The Battle of Evermore by 清水義央 (2000)
●世紀末のぼやき
年も押し迫っていた31日の朝、新聞のTV欄に「ワールド・ミュージック・アウォード
2000」
という番組を発見、ビデオの用意をし、大掃除及び家族写真の整理をしながら 見ることにした。
ワールド・ミュージックという呼称は好きではないが、 もしかしてトリロック・グルトゥがでるかも?
東欧代表、マルタ・セバスチャンなんてね、まさかでないか。
ドーナル・ラニーはでるかな? シャクティも再結成したからな、、、などと楽しみにしていた。
さて、番組が始まった。
えっ?これがワールド・ミュージック?
まあ、勝手に期待したほうが悪いのだが、 なぜマライア・キャリーがワールド・ミュージックなわけ?
ジャミワクロイは? その他、最も胸くそ悪くなるタイプの外人ミュージシャンが勢ぞろい!
知性ゼロ、創造性ゼロ。
刹那性100.
司会者が「本日の出演者は、CDのセールスで選ばれましたあ!!」
と高らかに歌い上げた瞬間、テレビ&ビデオのスイッチを消した。
日本だけじゃなく、外人のお国もCDセールス命なのね。
そう言えば、progfest2000の会場ロビーで話をした何人もが、 アメリカで流行っているのは
stupid musicばかりだ と言っていたな。
ああ、よく新聞を見てみれば「ワールド・ミュージック」ではなく 「ワールド”ミュージック・ウォード”」
だったのか。
あああ、時間無駄にした。
厄払いしないとな、いい音楽聞いて。
何聞く?
やっぱ、今ハマっているこれしかないでしょ。
Emmanuel Booz!
最近、友人がアナログLPをCDにダビングしてくれたのだ。
みなさん、聞いたことあります?
なければ、絶対探す価値ありますよ。
友人も言っていたけど、フランスものだったら、 マグマの次にEmmanuel Boozですね。
これは凄い!
しかしさあ、マライア・キャリーなんて有り難がって聞いている奴は 本当に人生を無駄
にしている
としか思えないね。
時間を無駄にしたくなければ、Emmanuel Booz!
そしてくどいようだがVDGGの4枚組ボックスだな、今は。
年越しソバを食べ、家族が見ていた紅白歌合戦をのぞく、
ポルノグラフィティ?
ああ、このドラマー、村石くんの後輩の●●くんかな?
たしか、ケンソーのライヴ来てたな。
サウンド・チェックの時、村石くん楽屋にいるのに ”在野”のドラム・フレーズが聞こえたから、
アレ?と思ったら彼だったんだよな。
シンバルの位置が高いなあ。 ま、どうでもいいか、そんなこと。
今の私はEmmanuel Booz と、やはりその友人がダビングしてくれた アルゼンチンのロックの
オムニバスものを聞きたいのだ。
後者がまた良いのだ。
あなどれませんよ、アルゼンチンのロック。
というような20世紀最後の一日でした。
さて、休憩時間終わりっ!
今、曲作ってたんだ。
じゃあね。
最近書いた文章をのせておきますわ。
まとまりの無い文章だけど、修正している時間がないので
ごめん、て感じ。
ここ一週間はNHK”大地の子”の再放送を毎日見てしまった。
この番組が7年くらい前に放映された時は、子育てに忙しく (まあ、今でも忙しいが)
とても毎日1,5〜2時間TVを見る余裕がなかったのだが、 シーンの断片が記憶に残っており、
どんな話なのか興味があったので、 3〜4年前に原作を読んだ。
原作も名作だと思ったが、今回の再放送を見てTV版のほうも大変な 入魂の作品だと思った。
昨今の恋愛話系TVドラマに登場するような素人同然、ギターでいえば チューニングもできないやつが
ステージにあがるごとき凄まじいまでの 稚拙な演技をする役者が(私の目から見ると)出演していないので、
こちらもドラマに入り込むことができ、感動してしまった。
ドラマがビデオになっていれば、ぜひおすすめしたいし、 その前にやはり原作を読んでほしい。
同じに”ワイルド・スワン”という作品を 読むと文革当時に中国の様子がよくわかって、より楽しめると思う。
歴史に疎い私はそうでした。
今、読んでいる本の一冊に”太宰治と聖書”がある。
太宰治が聖書の熱心な読者であったのは有名で、彼の聖書は書き込みで真っ赤だったという。
(このへん、要修正)
太宰治が玉川上水で心中したのは有名です。
太宰と死を共にした女性は山崎富栄というひとです。 太宰と出会ったとき、
「聖書ではどんな言葉を覚えていますか。」と問われ、 富栄は
「機にかなって語る言葉は、銀の彫刻に金の林檎を嵌めた如し」
「吾子よ我ら言葉もて相愛することなく、行為と真実とを以てすべし」
と答えたそうです。(”太宰治に聞く”より)
少し前に柳美里について書いたら、数人の友人から”命”は面白いかとか、
”ゴールド・ラッシュ”は読んだのだが次に何がお薦めか等と聞かれた。
一応ことわっておくと、私が柳を集中的に読んだ期間はもう過去のことで、 特にファンというわけではない。
(”命”は何となく、女性週刊誌の不倫体験談 みたいで、読後感はあまりよくなかった。)
もちろん、一時的にせよ惹かれるものがあったから、入手できるものはほぼ全て 読んだのだが
、私にとって柳は、かつて耽読した太宰治を思い起こさせる作家であり、
その点も大いにそそられたのである。
柳自身もたびたび太宰ファンであることを 書いている。
「太宰治が好き」というと「うわー暗い」などどという反応を示す人がおり、
私からすると、そういう捉えかたしかできない人のほうが、 よっぽど”暗い”ように思えるのであり、
また、多くの場合 そういう人は太宰の作品を読んでいないか、
読んでいても「人間失格」「斜陽」 くらいなのだ。
全く読んでなくてどうして太宰のことを暗いとい言えるのかというと、
テレビで「知ってるつもり」に代表される俗悪/貧弱な番組で太宰についての 表面的な知識もどきを
身につけたからである。
ひどい場合はこぶ平とか売れなくなったアイドルのコメントを記憶ちがいで
大脳皮質の記憶を司る部分にある”太宰についてのメモリー”におさめてあったりする。
太宰の中期に作品群の明るさと対比すれば死に近い、、、、、、、、
突然だが、 このテーマで深めるには時間がない。
途中、文脈がおかしいところもあるが、 作曲に大切な時間をむけたいので、これで終わり。
ま、とにかく太宰治、読んでちょうだい!
私なんて文学には素人だから、これ以上書いても、たいしたこと書けないからさ。
12月31日
●ロックについて:PART2
前回は”ロックと渇望感”ということについての、 とりとめのない考察を書き、
更に私と同世代の友人からの意見を紹介しました。
数日前、既にこのコラムに何度も登場している友人の上田氏(KENSO ENGLISH PAGEの英訳や、
リハ・ライヴ及びprogfest2000における通訳を 引き受けていただいた)からもらった
メールの一部がその流れにある内容で、 今回のロックに関する考察について、
読者諸君に新たな切り口を与えてくれるもので あると考えるので、 ここに引用します。
前回分を読んでいない方は、まずそちらからお読みください。
上田氏が、このところ初期ジェネシスを集中的に聞いているという 話題からの展開です。
ちなみに上田氏は私よりやや下の世代、Es小口くんと 同世代だったと思います。
清水発言
> やはりロックという音楽がまだまだ可能性を秘めていた頃、
> そこに夢を託し、自分のすべてを賭けた作品、いわゆる名作といわれる
> ロック作品には、ほんとうに素晴らしいものがあります。
(上田)
全くそうですね。一時期のクイーンなども、これがロックという分野の音楽と いえるのかと
疑問に思ってしまうくらい、さまざまな音楽要素を盛り込んだ 音楽を作っているのに驚かされます。
ロックという音楽には果てしない可能性が あるのだな、と思っていたものです。
しかし、見方を変えると、多様化した、また個人的な音楽表現をしようと試みた ところに
ロックが生まれてきたことも確かだと思います。
従来的な手法としての クラシックや民族的なものの枠を超えて自分の音楽として表現する可能性を
提供するのがいわゆる「ロック」というジャンルだったのではないでしょうか。
そこには自由な表現を促し、また多様さを許容するような、制作側と聴衆との コミュニケーションが
あったようにも思えます。
(清水)
> 翻って、現在はまず売れるかどうかを第一義的に考えたり、
> あるいはロックに対する無知ゆえに、最初から自分たちが作る音にさえ、
> どうでもよさ、なげやりな姿勢を感じさせるものが多く、
> 私としては、そんなものは聞く気になれず、
> やはりロックは古典という気持ちが強いです。
(上田)
かつて制作側と聴衆とが一体となって生み出してきた音楽がいつのまにか
制作側の都合が優先するようになり、聴衆はそれを黙って受け取る、
ないしは「既製品」として製造者から出荷されるものを選択するしかなくなって いるのだと思います。
現代は多様化の時代であると言われてきましたが、 あまりに選択肢が多くなりすぎると
選択すること自体が重荷になる、ないしは 「選択しない」ことが選択肢となるように見うけられます。
そこへこれまでに類を 見ないほどに強力な影響力を獲得したマスメディアが製造者側の利益を背景
としたある選択肢を提示すると、選択することを好まない層が無批判にそれを 受け取り、
結果としてそれがその時期の社会的「デフォルト」(一般的選択肢)に なるのではと考えます。
さらに、生産者が情報技術を利用した、非常に正確な商品計画に基づいて デフォルトとなりやすいものを
送リ出しつづけることで「選択することを好まない 層が無批判にそれを受け取」るということがさらに助長され、
結果として清水さん の仰るとおり、「現在はまず売れるかどうかを第一義的に考えたり、
あるいは ロックに対する無知ゆえに、最初から自分たちが作る音にさえ、どうでもよさ、
なげやりな姿勢を感じさせるもの」となる状況が作り出されてしまったように 推察します。
また、悪いことに一般聴衆は、選択していると思わされて、その実選択の余地を 与えられていないのも
(非常に一般的認識ではありますが)事実として今の社会 状況の一面であると思います。
以上、上田氏からの意見でした。
次に紹介するのは、このコラムの読者からいただいたメールです。
これも”プログレ”という、よくわからない言葉が示すものに関する意見で、 あ〜そうなのか、と思った内容です。
(前略)
私はケンソーを聞いたのも90年代になってからで、あまり詳しいリスナ ーではありませんが、
Mr.シリウスと美狂乱とケンソーは世界に誇れるバ ンドだと感じています。
エソプトロンのツアーで大阪公演が決まった時に は、ひとり興奮して触れまわったものでしたが、
その時、プログレ・ファン の間での、ケンソーの知名度の低さに愕然としました(^^;)。
なんというか。私がいわゆるプログレを聞いてきたのは、単に最高の音 楽を聞きたかったからです。
それはつまり、「宮殿」のコピーが幾らあって も、「宮殿」があればそれらは不要なのであって、
それを上回るか、あるい は別の意味で最高な音楽が聞きたいということでした。
決してマイナーな 音楽が聞きたいとか変な音楽が聞きたいとかいうことではないです。
でも、 世間でプログレ・ファンと称される人々の間では、特定の狭い範囲の音楽 へのこだわりこそに
価値があるようで、ケンソーがそこから外れるならば、 それは関心の外だと、
そういう人達が随分と多いようです・・・。
ともあれ、私の初ケンソーだった大阪公演ですが、私が初めてPFMのラ イブ音源を聞いた時の感動が
蘇る素晴らしいものでした。後に発売された ビデオでの演奏シーンも良かったです。
私は最近、西新宿への通信販売で、いわゆるハズレの山の中から一握 りのアタリを探す事に疲れてしまって、
そのためプログレというものからは 遠ざかっていますが、あのライブの感動は、いつまでも大事にしたいと
考 えております。
ということです。
でも、ロックって面白いよね。
かつて流行った ”カシ尾ペ亜”とかのフュージョンだったら、絶対こうしたいろいろな視点で
語ることはできないと思う。 だから、かなり時間がたってから、あれは何だったのだろうと考えても、
何も深い思考を喚起することはできない。 「懐かしいね。」で終わってしまう。
もちろん、音楽なんてそんなものでしょうという考えかたもあるし、
楽器演奏面で語れる部分もあるのかもしれない。
”カシ尾ぺ亜”の皆さんにはもちろん恨みなんて何もないし、 私が大学時代には軽音楽部の連中が
みんなコピーしたり、 「昨日、ピット.インでのライヴに行ってきた。」と興奮して話していたので、
私も聞きたくなくても聞かされて、それまでの日本にはないタイプのバンドだったから
新鮮に思えたし、
ブームにのってでてきた多くのダサイ”和製フュージョン・バンド”に 比べたらマシだったことは認める。
というより「かっこいいな」と思う部分はあったね。
でも、軽すぎるよね、
”ミント・ジャム”っていたかな、 そのアルバムの曲目解説をメンバーが書いていたような気がするけど、
あまりの軽薄さにウンザリしたのを覚えている。
後期クリムゾン”Fracture”や”Starless”の後半を手に汗握って 聞いているのに、
”あさやけ”だとか”ミッドナイト・ランデブー”なんて タイトルからしても
ちゃんちゃらおかしくて聞けねえよっ!って 若かった私は思いました。
”燃える朝焼け”ならいいのかという自己矛盾、、、。
同じランデブーなら”ランデブー602”だっけ、あれなら聞きましたよ。
ああ、UKの初来日公演、テリー・ボジオのドラミング、びっくりしたよなあ!
あの曲ではハイ・ハットの使いかたが実に新鮮だった。
話が横にそれたけど、これだけは言っておきたいのだが、
UKの来日公演で、テープレコーダー・チェックにひっかかってしまったのだ。
「これは何ですか?」
「え、弁当箱です。(電池入りの?)」
さて、”ビューティ・ペア”じゃなくて”カシ尾ぺ亜”だったね。
あの空虚な時代を象徴するサウンドの代表として、 わかり易いのでたびたび例えとしてあげて
しまうんだなああああああ、
ま、”カシ尾ペ亜”のことはいいか。
kensoも”カシ尾ぺ亜”の延長としてとらえて聞いている人も いるだろうな。
かつて低レヴェルのジャップス・プログレが 多くでてきたころ、
”妖精”だとか”お城”だとかと関係ないKENSOは 「プログレではない、フュージョンだ。」と軽蔑されたのだ。
まあ、でも今となってはジャップス・プログレッシヴとかいう本の グラビアに載っているバンドと
同類に扱わないでアリガトウ!って感じ。
そう言えば、ライヴ後のアンケートに「カシ尾ペ亜は3年で飽きたけど、 kensoは10年たっても飽きません。」
ってのがあったけど、 そらそうや、ロックやもん。
精神性が違うって精神性が。
”アサヤケ”と”燃える朝焼け”は違うんや。
”燃える朝焼け”の英語原題を読んでみいや。深いわ〜。
でも本家本元のクロス・オーヴァーには素晴らしい作品があったよね。
マイルス、マハビシュヌ、RTF、W・リポート、アイアート・モレイラ、 F・プリム、オレゴン、
そしてメセニー、まだまだある、、。
話をもとにかえすと、 最近VDGGの4枚組BOXに大きな衝撃を受けた私としては、
「懐かしいね」で終わってしまう音楽には何の興味もわかない。
あ、誤解を呼ぶ発言かも。ま、いいか、今さら。
それにしても、VDGGボックスは凄い!
ピーター・ハミルのヴォーカルって聞いていて本当に鳥肌が立つ。
その世界にグイグイ引込まれてしまう。
サウンドの革新性も、個人的にはクリムゾンに匹敵すると思う。
これぞプログレッシヴ・ロックの名に恥じない、長い時にも風化することない 音楽のひとつの代表である。
やりてえ!やってみてえ!作ってみてえ!こんな音楽!
さて、前回の”ロックと渇望感”について、ブレインのひとりより、
「俺とかは結構面白く読んだけど、若いやつらは面倒くさいって思うやつが 多いかもね。
何しろ活字が多いとそれだけでダメなのが多いんだよ。 本というのを読んでないからね。」
という意見をもらった。
音楽番組のプロデューサーである彼からは、新入社員面接において、 本も読んでいない、音楽も聞いていない、
映画も見ていない、 ”お前、なんでTV関係に就職したいの?”って 尋ねたくなる志望者が多いという話も
何度も聞いている。
しかし 私としては、好きなようにやるしかないので、このままいきますが。
というわけで、”終了宣言”に対し、読者から驚くほど多くの”続行希望” メールをいただき、
ブレイン数人との話しあいの結果、ペース・ダウンしても 続けることにしました。
ただ、次のアルバムへ向けて曲作りを始めているので、どの程度更新できるかは わかりません。
12月23日
●プール・サイドとロック
バリ島の繁華街クタ(クタなんて渋谷センター街だという悪口も聞くが、
コリン・マックフィ著 ”熱帯の旅人”などを読むとクタの成立を知ることができ興味深い)
にハード・ロック・バリというチェーン店ホテルがある。
このホテル、例えばウブドのヴィラ・タイプのホテルのような趣きはないが、
今のところバリから日本へ帰る飛行機が深夜便しかないので、 最終日、比較的空港に近いここに泊り、
チェック・アウトを延長すると、 子連れ家族には便利だと思う。
それだけなら、クタにある他のホテルでもいいのだが、 このハード・ロック・バリには素敵なプールがあり、
私の家族が それを大変気にいっているため、バリ必須旅程となっている。
(個人的にはウブドのピタマハがとても気にいっているのだが。)
また、地下にレコーディング・スタジオもあるので、いつかここで レコーディングしてみたいなあと思う。
昨年、今年とバリに行った。
特に今年は、祭礼の多いバリでも特に盛大なガルンガンという祭礼の 開かれる時に滞在できたので
大変ラッキーだった。 昨年知り合ったバリ人の友人に、自分の生まれ故郷の村へちょうど
ガルンガンの当日連れて行ってもらい、 おそらくは日本人がほとんど訪れたことのないバリの普通
の村で、
ヒンズー教の儀式にもその友人が用意してくれた祭礼用の正装を着て、 参加させていただくことができた。
感謝!
祭礼儀式を行う村の集会場の横に立てられた小屋では、村びとたちの演奏する 素朴なガムランを
目の当たりにし大感激したことを思い出す。
ガムランというと、もう何をどうやって弾いているのかわからないくらい 複雑なアンサンブルを持っている
(ように思える)が、村びとたちの まだ芸術までに昇華されていないガムランは、それはそれで
音楽の楽しさに 満ちていて素晴らしかった。
バリといえばガムランの他にもケチャなどの優れた音楽がたくさんあり、 時間と家族の目の許す限り、
浸り切るのだが、ひたりきった最終日、 前述のホテルのプール・サイドから自分の部屋へもどる廊下で、
慣れ親しんだ音の断片がかすかにきこえてきて、一瞬足をとめた。
”ん?なんだっけ、これ。”
LED ZEPPELINの"RAIN SONG"だった。
それは、何か、心に沁み入る体験だった。
日本のわらべ歌が流れてきても、きっとこんなにも懐かしいとは感じないだろう。
(懐かしいという言葉が適当かどうかわからないが。郷愁のほうが近いかな。)
そこに立ち尽くして、ずっと聞いていたいような気持ちになった。
ロックって不思議だなと思う。
ZEPの”Whole lotta love”の単純なリフに、全世界が熱狂したのだ。
ロックに出会って本当によかったと思う。
さて、 ロックとプール・サイドには、もうひとつ思い出がある。
今から約30年前、八王子のサマー・ランドのプールの中で、 私の耳は、特設ステージ(というより
単にプールの横だったかも)で 演奏しているホーン入りのバンドの音に釘付けになった。
「かっこいい!!何て言う曲なんだろう。」
バンドの歌手がアナウンスする。
「今の曲はシカゴのビギニングスでした。次の曲もシカゴのナンバーからおおくりします。」
「シカゴっていうバンドがあるのか。ビキニングスっていってたな。」
私とシカゴとの出会いだった。
その直後だったと思うが、シカゴは初来日を果たし、TVで放映されたものを見た。
また、”Low Down”が大ヒットし、日本語ヴァージョンまでリリースされた。
さっき、衝動的にシカゴを聞きたくなり、ファースト・アルバムを聞いた。
「イントロダクション」「一体現実を把握している者はいるのだろうか」 そして「ビギニングス」、、、、。
今聞いても新鮮だし、楽曲、演奏、エネルギー すべてが圧倒的なくらい素晴らしい。
そう言えば、シカゴってデビュー・アルバムから サードまではすべて2枚組ではなかったか。
そのころは、 まさにプログレッシヴ・ロックの時代。
初期シカゴは、一般的に”プログレ” とされるサウンドとは異なる音楽だが、真に進歩的、革新的な
バンドだった。
政治色の濃い歌詞と姿勢は、昨今日本にあふれている甘ったれたpops、 ”過激っぽい”というデコレーションを
ほどこされた”実は騒がしいだけの軟弱ROCK" の対極にあるものだ。
初期シカゴの溢れ出るエネルギーはAREAに通ずるものがあると思う。
70年代後半から急速にAOR化してしまったシカゴ。
今のシカゴには、あまり面白みを感じないが、 数年前、佐橋くんの家に遊びにいった時、
「清水さん、これいいよ」とおもむろに だしてきた1969年のライヴCDもすごくよかった。
佐橋くんもシカゴ大好きなのだ。
みなさんも、もし初期シカゴを聞きのがしていたら、聞いてみたらどうでしょうか。
11月25日
●文芸春秋のおすすめ
さて、現在発売中の文芸春秋は、なかなか面白いです。
週間文春ではなく、月刊誌の12月号です。
私も、この雑誌を買うことは珍しいのですが、新聞に載っていた 広告で”
立花隆、「捨てる!技術」を一刀両断する”という見出しを発見 、
「やっぱり立花さん、やってくれたか!」と嬉しくなり、翌朝購入しました。
私も「捨てる!技術」は数カ月前に発売と同時くらいに書店で購入しました。
何しろ私の部屋は、楽器と本とケンソーのマルチ・テープ(これが沢山あるのです)
に侵食され
既に絶望的状況、ベランダ用の物置きを買い足しても、CDや書籍を クリニックの院長室や
レントゲン室のすみに移転させても、焼け石に水、 今年の春にはドッカーンという轟音とともに、
作りつけクローゼットの棚が 楽器の重みに耐えきれず、 壁からはがれて落っこちました。
というわけで「捨てる!技術」は、書店でそのタイトルを見た時「おおっ!」 と思ったのです。
読後、確かに著者の言うことは、まあある意味ではもっともで、参考になる部分もあり、
少し実践してみた部分もありました。しかし、何か「こいつ、きっと、スゲエ嫌な女なんだろうな」
と不快に思ったし、それ以上に私程度の頭の持ち主でさえ、あれえ?論理が破綻してねえか?
と思う部分
、軽薄な考えだなあと感じる部分が多くみられました。
立花さんの文章を一気に読み、「やってくれましたね!さすがです。」とひざをたたいて喜び
ました。痛快!
「カスみたいな本がベストセラーになることは決して珍しいことではないから、それはそれで
よいのだが〜〜」
という導入あたりからくりひろげられる批判、そしてそこから発展して、
人間とは何かというテーマへとつなげる論法、それを裏付ける膨大にして冷徹な根拠、、、。
「捨てる!技術」の著者、辰巳渚とやらとの頭脳の違い、スケールの違いを見せつけた感じです。
「他人にとってはゴミかガラクタでしかないようなモノの中に、ひとりの人間の人格の
核をなすような
メモリーがあり〜〜〜」
「生命史の流れにおいても、人類史の流れにおいても、よきものを作ってきたのは、
常に ”捨てない派”だったということである。」 などなど、勇気がでることがたくさん記されている。
(しかし、現実には部屋はいっぱいだ)
という一方で、実は、最近の立花さんの本、自分の中でやや不協和音を生じていたのです。
何か、自然科学礼讃というかテクノロジーこそ大切なのだという感じがどうも。
まあ、でも立花さんの場合、文学や哲学も通過してきた上なので、私など、もちろん
反論できは
しないのだが、それでも「そうかなあ?」と感じることも多くなってきていた のです、最近の著書は。
そしたら、本日の新聞の広告に”立花隆の無知蒙昧を衝く”という本がのっていた。
京大名誉教授が書いたこの本、さっそく明日、探してみようと思ってます。
読書の秋、しかしもちろん音楽もたっぷり仕入れてます。
今はハーディーガーディ奏者、”Varentin Clastrier”,やサックス奏者”Michael Riessler”関連の
作品に大変興味を持っており、ケンソーの新たな展開にも影響を及ぼしそうです。
面白いですよ〜〜!ぜひ、みなさんも聴いてみてください。
あと、エンジニアの福島さんがMDにおとしてくれたSun Electric?というテクノのバンドも
よかったです。
福島さんのおっしゃる通り、なぜか、どこか、初期ケンソーに似てるんですよね。
さて先日、読売新聞の取材を受けました。 担当されたN氏に掲載日を尋ねたところ、
「それは私も前日までわからない」とのことでした。 音楽誌とちがうのだなあと思いました。
N氏とは、大変楽しい時間をすごさせていただきました。
ジミー・ペイジより野呂○生のほうがギタリストとしては上だという一般認識がまかり通
る時代
(おかしな時代でした。”なんとなくクリスタル”っていう胸くそ悪くなる本や軽薄な文化が
もてはやされた絶望の時代) についての話題、忘れていたことをたくさん思いだしました。
そう言えば、11月売りのキーボード・マガジンで、ジュピター8について私の駄文が
掲載される模様。
11月14日
大学時代「清水は友だち少ない」と、よく言われた。 実際、少なかったと思う。
「友だち少ない」という表現に、 どのような意味が込められていたかと想像すると、まあ当たり前
のことだが、”暗い””協調性がない” ”独自の価値観にこだわりすぎる”などなど。
そして当時はまだ歯医者の黄金時代の末期であったので、歯医者の 御子息さまが多く通
っていた私立歯科大にあっては”金を持っていない” ことも「友だち少ない」理由に含まれていたと断言できる。
べつに今さら 断言しなくてもよいが、神奈川歯科大の学生駐車場には軽薄を絵に書いたような
スーパー・カーが並んでいた。(ように記憶している。) いや、失言。車が軽薄なのではないね、問題はドライヴァー。オトーサマに買って
もらった車に乗ってニヤつく空虚な頭のひとびと。 即物的価値観。抽象的思考の欠如。狭窄した世界観。
もちろん私自身も世の中のことなんて何も知らないガキでした。
以前歯科医師会の飲み会で国立歯科大卒のドクター に「確かに当時はスーパー・カー・ブームだったけど、みんな自転車しか
持ってなかったよ。電話が下宿にあるやつは尊敬されてた。」と聞いたことが ある。もちろん私立と国立で画一的にどうこういえることではないが、
あの空気、どうもなじめなかった。 私の場合、家庭にもなじめなかったし、大学にもなじめなかった。
それが音楽へ、いやロックへ向かうエネルギー源となった。 キング・クリムゾンにもっとも溺れたのもあの頃だった。
楽しみというより、私はプログレッシヴ・ロックを必要としていたのだと思う。 そして私の居場所は、KENSOのファーストからサードまでを録音した
軽音楽部の部室のみだった。
そう言えば、併設された歯科衛生士や養護教諭を要請する短大には、もちろん そうした自立したキャリアを身につけようと思っている真面
目な女性も たくさんいたが、いわゆる”玉の輿”に乗ることを第一目的とした 綺麗なネーチャンもゴロゴロしていたのである。(20年以上も前の話です。)
「こんどの衛生短大1年に、アンアンのモデルが入った!」などという話が たくさんあったのである。
ウソダ!!女性蔑視だ!!と思われるかた、いらっしゃいますか? いませんよね。だって、ホントなんだもん。
ひっかかった奴、知ってるもん。
でもさあ、一生玉の輿だと思って結婚して、まあこういう時代になって、 価値観をシフトさせないとね、やってけないでしょ。キレイな顔とスタイルだって
あれから20年もたてばね、「いつものお化粧プラス、イミディーンよ」なんて CMに賭けているのかな、なんて思うとやはり浅はかな考えというのはね、、。
今となってはどっちがひっかかったのかな、って感じ?(語尾あげ) もある?(語尾あげ)
まあ、心もきれいならきっと幸せになっていることでしょう。
大幅に話がずれてしまったけれど、「今、私は決して友だち少なくないなあ」 ということを、ふとさっき考えたのです。というより、むしろ多いよ、友だち。
私は”会社の同僚”というのを持ったことがないので、それが友だちになりうるのか
ということは良く分からないが、ああそうか、歯科医師会に友だちがいるかって ことに近いのかな。いないな。ふだん、仕事以外の話をしたり、連れ立ってどこかへ
遊びにいくっていうのはいないわ。あっ、いるか。私の愛器ポール・リード・スミスの
もとの持ち主のN先生。またクリスマス・コンサートでサ座ンとかチュー武とか 弾かされるのかなあ。でも、この前のサマー・コンサートの練習中に私
「こんな、つまらない曲ばかりやらされるのなら、ギャラをください」ってキレて、
本当にもらっちゃったから、もう清水にたのむのはやめようってなってるかも。 それにしても皆さん、その今年6月のサマー・コンサート、オープニングのSEは
サウンド・スケープですよ。もちろん私の選択です。だからオープニングに関しては、
先日のクリムゾン公演と同じ雰囲気。でも、それに続くのが”RED”か中山美穂の ”世界中の誰よりもきっと”かの違い、、。
でも、このコンサート、なんと山本治彦が アンコールで飛び入りし、実は結構楽しかったです。
おっと、友だちの話だった。他には、、、。 ああ、これは友だちというより尊敬するk先生、k先生は
「清水くんは、私の数少ない談親の友です。」といってくださっているから、 友だちということにさせていただこう。
K先生から課せられている本、 早く読まないと。
いっしょにどこかへ遊びに行くっていうのを友だちの定義にしてしまうって いうのも短絡的か。あまり、盛り上がらない話だったね。ごめん。
でも、友だちは大切です。 人と人とのかかわり、さまざまな感化を経験して人間は成長していくのです。
10月23日
うーっ、忙しい!なぜこんなに忙しいのだ。毎朝、診療所に通
う道沿いにあるパチンコ屋 の前に並ぶ”開店を待つ人々”を「暇そうでいいな。一日いくら稼ぐのか知らないけど、
私に時間を売ってほしいよ、まったく」と思いつつ横目で見ながら
通り過ぎている。 まあ、本当にあの”開店を待つ人々”が暇なのかどうかは勿論分からないが。
しかし、異常な忙しさもひと段落し、ここ3、4日は6時間睡眠が可能なスケジュール。
今日は休診日だったので、
早朝、まず歯科医師会の広報誌から依頼されていた「LAライヴ・ レポート」をかたずけ、こどもを学校におくって行き、
顧問税理士のところへ書類を届け、 妻の用事につきあい、昼食後こどもを某駅まで迎えに行き、帰宅後、読書をしながら
子どもの ピアノの練習をみてあげ、算数の宿題もチェックし、フーッ、やっと静かな時間。
そろそろ、HPも更新しないとなとやっているのです。 しかし、本当はこんなことやっている時間に新曲を書きたい。だから、近況報告のみにする。
今年末か来年頭にフランスのMUSEAよりprogfest2000のオムニバス・ビデオ及びCD がリリースされる。現在はその選曲作業をしている。オムニバスには20〜30分セレクト
してくれと言われている。
MUSEA版とは別にPATHOGRAPHでは、ケンソーの90分の ステージをほぼ全曲おさめたビデオかCDをリリースしようと思っている。
映像はケンソー初の4カメによる映像(MUSEAが撮ったもの)に加え、我々のフタッフが
最前列で撮ったもの、ファンが客席で撮ったものを編集し、オフ・ステージの映像も混ぜる
つもりである。リリースはかなり先になると思われる
ので、まずは「謙遜愚素」を買って 聞いてほしい。
ところで、 今月売りのキーボード・マガジンに、我らが誇る変人(いや冗談ですよ冗談)、小口健一くんが
登場。
ぜひ見てください。カラー・ページでCDつきらしい。
10/12
さて、HPの運営という重責がのしかかりつつ、しかし旧マネージャー野崎の検閲が 入らないため、書きたい放題になるであろうこのThe battle of evermore、 ますます清水の発言のファンを増やすか、それとも反感をもたれて、「なんやねん、 あいつ、ケンソーの音楽は好きやねんけど、清水の話は嫌いや」と、ついには コンサートの動員にも影響を及ぼすか。でも、私が質の高い音楽を追求し続け、 ケンソーのライヴでしか体験できない”あの感じ”を失うことがなければ、 その人も、結局ケンソーのライヴに足を運ぶであろう。 ファンの存在は大切だし、今回LAのライヴで痛感したけれど(よく外国のライヴ・アルバム に”偉大なる聴衆へ”とかいうのがある意味がわかったぜ)特にライヴにおいては 聴衆のパワーをもらう部分は大きいとは思う。 しかし、だからと言って、ファンに媚びる、御機嫌をうかがう、HPで営業戦略的に 親しく語りかけるなんてマネ、私はしたくないね。あ、そんなこと分かっているか。 では、文責・清水ヴァージョンのThe battle of evermore、始めましょうか。
みんなLAでのprogfest2000のレポートや珍道中記を期待していると思うけど、 そして書きたいことがたくさんあるけど、”今、この時間”はそれについて書く意欲が 湧かないので書かないよん。 とりあえず、ここにアクセスして外人の書いたレポートでも読んでくれや。 来月更新分には私と三枝のインタヴューも掲載されるらしい。
さて、本日の内容は、9月23日の私の日記である。 LAの後、とにかく仕事が忙しく、またLAでのビデオをメンバーやスタッフのために ダビングしなくてはならず(こんなことまでリーダーの私がやるのです) フーフー言いながらすごしているが、23日は久しぶりに休める休日であり、 かねてから楽しみにしていた”CD買い散財ツアー”に出発、その後、私の大好きな 日本では数少ない本物のロック・ギタリスト、大谷レイブンに誘われて彼や旧友key 石黒彰がバックを務めるキースエマーソンのライヴ・イヴェントに行くという心踊る 予定をたてた。もちろん、午前中はこどもと人生ゲームをして人生の厳しさを教え、 時として人生の厳しさを教えられ、その後小雨がぱらつく中、公園にて犬と三つどもえとなり、 来るべき運動会にむけて徒競走のリハ、いや練習をした。 県立相模原高校時代「ロッカーの俺が、運動会なんて出るかバカ、チャンチャラオカシイわい」と、 実はただ単に足が遅いというのを他人に知られたくないという虚勢だったのだけど、 3年間体育祭を全欠席した私がこどもといっしょに徒競走の練習なんて隔世の感がある。
私は酒を飲まないので行きつけの店というのはないのだが、行きつけのCDショップはもちろんある。 D・U横浜店のI氏にはいつもお世話になってます。D・U横浜店は実は神奈川県歯科医師会本館の 近くという絶好の地にある。まあ、絶好と思っているのは神奈川県歯科医師会会員のうち私くらい だろうが。研修会や会議がある時は必ずといっていいくらいD・Uに立ち寄って「2階だけ見よう」 のつもりが結局3階のJAZZのフロアも見てしまい、歯科医師会には遅刻と、まあここだけの話 そういうことなのです。そして、私が東京方面に用事がある時必ず寄ろうと思うのが目白のW・D。 ここにはN君といういわば私の参謀のひとりがいて、手ぐすねひいて私に面白い音楽を紹介してくれる。 学生時代と違って、多忙のため、面白い音楽を探す時間のない私にとって彼の存在は本当にありがたい。 今日も、3日前”保育園の歯科検診”でいただいた、いわばバイト代をつぎこんで、買ってきました。 買ったCDのリストは最後に記すつもりだが、とにかく新しい音楽に接する楽しみは、今も昔も変わらない。 実は今も、本日買ってきたうちの一枚、ベトナムのギタリストのアルバムを聞きながら書いているんだけど、 イイスネエ、コレ!以前やはりN君に勧められて買ったこのギタリストの2枚も素晴らしくて、大谷くんにも 紹介して彼もすごく気に入っていたんだけど、、、、、いいわコレ。みなさんも、フツーのCDショップに 積み上げられているアルバム聞いて「つまらねえ!」と嘆いてないで、どんどんコアな店へ足を運ぼう。 日本の普通のショップに積み上げられている凡庸なアルバムなんて、聞くだけ人生の浪費である。
さて、目白から原宿クエスト・ホールへ。コルグのイヴェントの一部として、エマーソンが出たのであるが、 その内容については述べない。ただ、大谷くんのギターが相変わらずいい音してた。彼の使用している ディストーションと同じものを彼の紹介で特注してもらったのだけど、(LA関係が忙しくてまだ音出して ない。ごめんね)まあ、E・ギターの音って、エフェクターだけでどうにかなるものじゃないからね。 大谷くんのような音がそう簡単に出せるとは思わないけど、でも、本当に良い音、いいプレイだった。 うちに歯の治療に来る時の大谷くんとは別人のよう、やはり本物のロッカーはステージが映える。
さて、その会場で友人のTVプロデューサーM氏が来るのを待っていた時に私に近づいてくる怪しげな人物。
「あ、Uだ!」と思う間もなく彼はうっすらとした笑みさえ浮かべながら、「ケンソーの清水さんですね。
どうぞコレ」と白い粉、おっと違った!白いビニール袋につつまれた禍々しき物体を私に手渡した。
中身は見なくても想像できた。ビデオである。今までも彼はどこからともなくやって来て唐突に、
そういった物を私に無理矢理見せるのである。「いや〜ん、やめて!」とは思わない。なぜなら彼がくれる
その手のビデオには本当に興奮させられるからである。ビデオというと、みなさんはすぐいかがわしい裏ooo
などを連想されるかもしれないが、まあたしかに彼がいつも私にくれるのもいかがわしいといえばいかがわしい
のではあるが、、、、、とにかく上物でっせ、ダンナ。
私はコンビニの袋のような安物の袋を「おい、こんなところでなんだよキミい」といった威厳をもった態度を 失わないように気をつけつつつ、パリパリいわせながら開けて、中を見た。ラベルに”osanna”の文字が見えた! 「オ、オ、オザンナって、まさか70年代の!?」”当〜然”と言わんばかりのU氏の表情。 コルグのイヴェントは途中で失礼し、M氏の自宅へ向かった。TVの音楽番組プロデューサーという仕事がら、 秘蔵映像には慣れっこのはずのM氏も”osanna”の文字を見せると、明らかに興奮していた。40歳すぎたオヤジ ふたりが興奮しながら奥さんが出かけた密室でなにをしたか!!聞かないでエ!
ビデオを見たのである。
まず、M氏がニヤニヤしながらosannaの前座として、ここではとても書けないような秘蔵モノを続々と披露。 「えええええええっ!!!!これすごお〜〜〜〜い」と1時間ほど盛り上がったあと、「じゃ、そろそろ清水さん、 いきますか、osanna」「いきましょうか」というわけで上記のビニール袋からビデオをとりだして松、いやM氏 に(あぶねえ、あぶねえ)に手渡した。「あれ、清水さん、これ頭に巻き戻してないよ。途中だよ。」 「えっ、本当?ダビングしたまま、巻き戻しするの忘れたのかなあ。」「あ、わかった。ここから見ろってことかも」 「ああ、そうかもね。osanna以外のバンド名も書いてあるし、きっとここからosannaが始まるんだよ」 「おお!気がきくね。よし、いくよ、清水さん」 リモコンの再生ボタンを押すM氏。
画面にあらわれたのは「銭形平次」の4文字!!!!!!
そしてちょんまげを結った人々。
PFMに「通りすぎる人々」という名曲があるが、まったく無関係の もちろんosannaとも無関係の江戸時代の人々。
「あれえ?」「もしかして、テレビ録画で使い古したテープにダビングしたのかも」(内心、Uもけちくさいなあ、
ビデオテープくらい新品使えよ)「そうだな、じゃ、巻き戻して頭から見てみるか」
巻き戻すM氏、
そして時は来たりて、Your time gonna come.
頭にもどり、再生に入った。
息を飲んでTVモニターを見つめる発情したふたり。
そこに写し出された映像は、かつてのプログレおたく、今は単なるロック.オヤジふたりの想像だにしていなかった
ものであった。
H.P.ラヴクラフト作「超時間の影(時間からの影)」の衝撃的なエンディングの一文をも凌駕するもの。
そこに映し出されたものは、そのテレビの画面に映っていたのは、、、
映画「座頭市」だったのである。故勝新太郎であったのである。
呆然とする私&M氏、「思いっきり、落としてくれたね。」とM氏がポツリ。
「ねえ、銭形平次の後に入ってないかなあ」と空しく、私。
怒りを押し殺したように「入っているわけねえだろ」とM氏。
それから、5分もしないうちに私はM氏の車の中にいた。
車内にはジェスロ・タルの新譜が流れていた。 どちらからともなく言った。
「タルっていいよね。」
9月24日記
清水義央
http://www.dabelly.comにプログフェストでのケンソーについてレビュー掲載中。
我々は“日本が世界に誇るプログレ・バンド”という看板を背負い、悲愴感さえ漂わせて、去る8月31日に成田を出発、LAで開催されたPROGFEST2000に出演、人種の坩堝アメリカの聴衆を日本以上の興奮の渦に巻き込みました。LAツアーに参加された方も、日本国内で成功を祈願してくれた方も、応援ありがとうございました。そして日頃から私の言動をこころよく思わず、ひそかに玉 砕を期待していた方、残念でした。
くわしくは、いずれ”KENSO LA 道中記”を書こうと思っていますが、海の向こうにあんなにも熱心なファンがいるとは思ってなかったし、あの日初めてケンソーを聴いて、感動してファンになったひとも少なく無いようでどちらも大変嬉しかった。ケンソーのコピーをやっているという人から“さよならプログレ”の収録された自分のバンドのCDをもらったのも嬉しかったなあ。ブラジルのTempus Fugitのドラマーがケンソーの大ファンで、彼の口(くち)ケンソー、くち村石も笑わせてくれた。ありがとう!!
オープニング、“GIPS”“空に光る”というメドレーが終わったあとの、場内総立ちの大歓声は今も忘れられない。結局各曲ごとにstanding
ovationで、時として、拍手と歓声がなりやまず、しばらくMCができないほどであった。実をいうと開演までは、あれだけ念をおしたレンタル機材がヴァージョン違いのものが届いていて使えなかったり、サウンド・チェックの後、ハイ・ハット・スタンド(?)のレスポンスが悪いということで(多分)、村石くんは自分でどこかの楽器屋まで行って、スタンドをレンタルしてきたり、その他トラブル続出で、いささかブルーになってしまった。また「この野郎!なめやがって!」とキレそうな扱いも受けた。しかし、終わってみれば、私たちにとってみればやや不本意で荒い演奏だったとしても、聴衆は熱狂、終演後は日本から持っていった「25周年記念ライヴ」のCDは即完売、ビデオ「秘匿性心象」も高価にもかかわらず残些少となった。(結局ヴィデオも売り切れ)Museaのブースでも「In
the West」「esoptoron」がやはりsold out! incredible, amazing, perfect, KENSO
stole the show!などと、多くの聴衆が賞賛してくれた。やったぜい!
ホテルで会ったツアー参加者の方々から「すばらしい演奏でした」といわれたのも嬉しかった。日本のためにもオジサンがんばりました。ありがとう!! そうそう、娘にまでディズニー・ランドのお土産、ありがとうございました。
そう言えば会場へ向かうvanの中で野崎洋子が「清水さん、あんまりヒドイ状況だったら、出演拒否してもいいですからね」と言っていたな。今回約4か月におよぶ主催者がわとのやりとりでかなりウンザリさせられていた野崎は「本当に音がでるのか心配だった」らしくサウンド・チェックで一応音がでることが確認したあと緊張の糸が切れグッタリ。本当にご苦労様。
サウンド.マン秋山/田淵チームの存在も「とにかく出音とモニターはまかせたぜ」といえる安心感があった。モニター担当の田淵くんが開演前に言ってくれた名言「清水さん、ステージ上は日本語OKです。」というのと「2曲目までは、僕がステージにたってモニターをチェックするくらいの気持ちでいますから」ありがたかった! 最年少、入沢くんも良く働いてくれた。
というわけで、たいへんだったけど楽しく、意義深い、そして今後の活動に勢いをあたえてくれる貴重なライヴ体験だった。
さてライブ自体の詳細や具体的な聴衆の反応、感想についてはいずれ書くことにして、今日はひとつ寂しいお知らせをしなければなりません。
1991年「夢の丘」リリース時にいっしょにプロモ−ション活動をしたことで知り合い、キングレコード退職後もマネジャーおよび私設応援団長として陰でケンソーを支えてきた野崎洋子が、このLAの仕事をもってケンソーのマネジャーという立場を解消することとなりました。
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<お知らせ>
ミュージックプラントは、2000年9月よりケンソーのマネジメントの仕事を終了することになりましたので、ご報告いたします。
ご存じの通り、ミュージックプラントはもともとアイルランド系のアーティストを紹介していくレーベル/オフィスで、ケンソーのマネジメント業務は、いっしゅ特別 な存在でした。それでもバンドが年に1度のライブをやっている頃はよかったのですが、ここ数年は自分たちが想像するよりもバンド自体がどんどん大きくなってしまい、個人のマネジメントオフィスによるコンサートの運営など、かなり業務に無理がでてきてしまったのが、理由です。
キングレコード勤務時代から考えると約10年、ケンソーから学んだ事は非常に多く、メンバーはもちろん、ファンの皆さんにも、いくら感謝しても感謝したりません。本当にありがとうございました。
さて今後ですが、インディーズレーベル(パソグラフ)の運営については、このまま引き続きミュージックプラントにて続けていくことになりましたので、この11月に国内発売予定の「25周年ライブ」も含め、どうぞよろしくお願いいたします。
またケンソーの新しい連絡先ですが、基本的にはこのままミュージックプラントあてにいただいてかまいませんが、すべて書面 (メール、ファックス、手紙など)にてお願いいたします。いただいたメッセージはリーダーに責任をもってお渡ししますが、リーダーも超多忙ゆえ、返事は遅れると思われますので、ご了承ください。
今後は、客席でゆっくりケンソーのライブが楽しめる、と思うと、なんとなくすごい楽しみだったりもします。これからもケンソー、そしてミュージックプラントをよろしくお願いいたします。
ミュージックプラント
野崎洋子
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まずは野崎さん、今までの多大な貢献に心から感謝いたします。特に今回のprogfest参加にあたっては、決してプロフェッショナルとはいえない主催者側とのレンタル機材の交渉、宿泊や航空券の手配、資金の調達まで、本当にたいへんでしたね。野崎さんの協力なくして実現不可能でしたよ。ありがとう。マネジャーを降りたいという申し出はLAでの最終日に聞いたけど、最近のメールのやりとりの中で「もしや」と覚悟していたから、「やっぱりそうか」というのがまず感じたことです。これはケンソーにとって大きな損失だと思います。しかし、ケンソーの音楽が何ものからも束縛されることがないように、野崎さん自身の人生もそうあるべきだから、今後もお互い自分の目標に向かって精進しましょう。
私としては、メンバーあての挨拶の中から次の文章を引用して、上記の告知に加えることで、野崎さんの決断を私なりに補足したい。
「〜そんな中、自分が一番やるべきであるアイリッシュ関連の仕事は、忙しいからといって諦められるものではなく、これは絶対に譲るわけにはいきません。〜」
私は野崎さんが企画したアイリッシュ・ミュージックのライヴで、来日メンバーに慕われ、頼りにされ、野崎さん自身も楽しさと使命感を持って仕事している現場を何度か目の当たりにしている。これからは、多忙なケンソーのメンバーのスケジュール調整に悩まされたり、心ないファンからの甘えた電話に業務を中断されることもない。ぜひ、がんばってほしい。
野崎さんに「今後は客席でゆっくりケンソーのライヴが楽しめる」なんていわれるとやはり寂しいが、まあ、パソグラフの運営は継続してくれるということなので、これからもよろしく。私も「esoptron」のリリースとツアー、「秘匿性心象」の制作、25周年ライヴ、そしてLAコンサートと続いたお祭り騒ぎを終え、じっくり次の作品の構想を練ろうと思う。
このHPの運営は今後は私がすることになるが、まあ私の本来やるべきことは、歯科治療であり、父親業であり、音楽制作なので、あまり時間はさけないと思うが、いろいろと御質問などあれば、寄せてほしい。近々、引っ越っさなければいけないが、LAツアーに参加した方の生なましいレポート(例:実はそんなでもなかったLAでのケンソー)などあれば、とりあえずこのアドレスに送ってください。
9月12日 清水義央
では「心の中の古代」とはどういうことであろうか。みなさん考えたことありますか?この曲が六本木ピット・インで初演されたのは1990年、光田加入直後のライヴだった。その時このタイトルはあったか?ちょっとビデオ見てみるね、、。あっ、そんな時間ないわ。
それはともかく、このタイトルは実はこの曲を作曲していたころ岡山大学医学部の脳代謝研究施設の研究生だった私の中につねにあった。というより、それよりもっと前、大学の授業だったか自分で読んだ本だったかは忘れてしまったがあの有名な「個体発生は系統発生を繰返す」という一文に触れた時から興味を持っていたもろもろのことが大脳生理学の研究生時代に高まり、ついにはそこに世紀の奇書、夢野久作のドグラ・マグラの”脳髄はものを考えるところにあらず”というこれまたあまりにも有名なフレーズが思い起こされ、しかも現実には”ものを考える中枢である脳”を対象とする実験を毎週、ラットの脳に電極を植え込んで行っている自分がいると、、、こんな渾沌とした状況が生んだメチャクチャな思考の中で、大脳の旧皮質に刻まれた原始の記憶というものに興味がつのり、それが「心の中の古代」というイメージにつながったのです。
しかし、実際に「心の中の古代」というイメージが自分のなかで非常なリアリティを持ってふくらんできたのは、アルバム「夢の丘」のレコーディング中〜ちょうどリズムセクション録りが終わったあと少し休暇をとってギリシャのサントリーニ島を訪れた時だった。海に沈んだアトランティス大陸の名残りといわれるサントリーニ島の最北端の町イアの断崖の上から、眼下にひろがる海を見ていた際、なんともいえない懐かしい感覚が自分の内側からこみあげてきた。もうかなり時間がたっていまったのでうまくは言えないが、海から歌が聞こえてくるような感じだったようにも思う。自分の中の古代の記憶と遠く離れたギリシャの海とが呼応したのだ。こう書くと「それ勘違いなんじゃない」とか「自分の曲に神秘的要素を加えるためのでっちあげじゃない」などどいう人がいる。いや、実際いたのだ。可哀想なひとだなあ、と私は思う。きっとその人にはそういう経験がないのだろうなあ。シンガー/作曲家の福島ゆうこさんは「ああ、そういうことってありますよね。」と言っていたな。それは「エソプトロン」の私の文章についても同様。そう言えば福島さんの書棚にも「音の神秘」があった。まあ、それはいいとして。で、今回の主題はここから、、、。
みなさんはワイルダー・ペンフィールドという偉人を御存じだろうか。てんかん治療の外科的手法の開発やヒトの大脳の機能局在を明らかにした革命的な脳外科の世界的権威である。博士の絶筆”The Mistery of the Mind”の翻訳「脳と心の正体」は私の愛読書であり、たしかに現在の脳科学の研究結果 からすれば細かい部分で認識の違いはあるのかもしれないが、そういった、ある意味では一般 ピープル研究者には真似できないすぐれた発想とそれを実証するための頭脳を持っていた。ここで断っておきたいのは博士はまず脳外科医であり、とにかく膨大な量 の脳外科手術や脳を開けた状態で、実際に脳を刺激して、同時にその患者と会話をしながらの実験を手掛けており、まず徹底した自然科学的手法でデータを集積した。当然だが。そして様々な思考をしていくのだが、その中で、そうやって調べあげた成績をもとにして、「心は脳の外にあり、脳にある最高位 脳機能を通じて脳を働かせている」という大胆な仮説を提出したりもしている。これ以上、私のような凡人がしかもこんなわずかなスペースで書くという愚かな行為はやめよう。まず「脳と心の正体」を読んでいだだきたい。(法政大学出版)そこから、私の作品「心の中の古代」の新しい味わいかたが見い出されるだろう。
もうひとつ脳科学の本を紹介しよう。こんどは私の大嫌いな本である。「”私”は脳のどこにいるのか」この著者のT・S(日本人)は最近売れはじめている脳科学者であり、医者ではない。実際に命と心のある患者の治療には携わっていない。
彼の科学的な知識はたいしたものなのだろう。しかし、かれの最大のあやまり、あるいは性格上の欠陥は「意識」の問題をさまざまな形から研究してきた哲学者や宗教家たちを軽視し(どう考えてもT・Sなんてケシ粒程度にしか見えないと思うよ。軽視された偉人から見たら)、哲学者や思想家というのはつくずく「暇」だと思う、とまで言っていることだ。もしかして自分がダビンチのように思えるのだろうか。
さて、私はなぜこんな文章をケンソーのHPに書いているのか?それはケンソーを通 じて知り合ったみなさんに、このネットワークを媒介としていろいろなことを考えてほしいからだ。歌とはいえない歌、踊るアホウに見るアホウのTV、話題性だけで中身のない出版物、クチパクと過剰演出で金をボッたくるコンサート(コンサートとは何なのだ?)それをささえるバカ・メディアに毒された消費者たち、、。私はウンザリしている。いや、もう可能な限り関係を断っている。
最後に今日のこの内容を書くきっかけとなった本とその本の帯に書いてあった宗教学者・中沢新一氏の文章の一部を紹介しよう。
「続・科学の終焉」ー未知なる心/ジョン・ホーガン著
”大脳科学やコンピューター科学が未知の世界を開こうとしているというのは神話にすぎない。それはむしろ自分の無知も知らぬ 間に限界へ向かって疾走していく無明の大型駆動車のようなものだ。”
7月23日 清水義央
これは日本を代表する作曲家のひとり、伊福部昭先生の言葉である。私がこの言葉を知ったのは伊福部先生のLPレコードのライナーであった。因みにこのライナーを執筆されたのは、伊福部先生のお弟子さんでありこれまた著明作曲家の故黛敏郎先生である。これを読んだのは、もう20年以上前になると思うが、それ以来、ことあるたびに思い出し、ともすれば多忙な日常生活に流されてしまいがちな兼業音楽家である私が、自己の感性を錆つかせないようにするための、言わば座右の銘となっている。
最近読んだ岡本太郎先生の「青春ピカソ」という本の中で、”細心に構成された会場で、泥つきのまま出陳した”(本文のまま)ピカソの凄さに口惜しがり、この”しみ”を通 して”芸術の根本問題を堂々と見せつけられた”という記述があり、わたしは上記の伊福部先生の言葉と同様にたいへん感銘を受けた。(ケンソー・ファンのみなさん、こう私が書いたら、せめて「青春ピカソ」を読むくらいしてくださいね。ビール飲みながら、TVのバカ・ヴァラエティ番組なんて見てたら、明日はありませんよ)
話は少しそれるかもしれないが、10年以上前、沈みゆく都ベネチアを訪れた際、有名な”ためいきの橋”を渡る機会があった。死刑囚が牢屋から処刑場につれていかれる管状の通 路に一ケ所、スリット状の小さな窓があり、そこから内海をてだてた島にあるマッジョーレ教会(たしか)のすがたが見える。死刑囚は処刑される直前にその窓から、自分がこの世に生まれた時に皆から祝福され、キリスト教の洗礼を受けた教会を見るという説明を受けた。当時キリスト教とは無関係の生活をおくっていた私ではあったが、その窓から実際にその教会のすがたをみた時、胸がしめつけられる気持ちになった。もっとも、「なぜ教会を最後に見せるのか」については、あいまいな解釈しかしていなかった。
のちに、阪口牧師先生(”エソプトロン”の共同命名者であり、同CDに声の出演もしていただいた)と出会って、自分もクリスチャンになった。「なぜ、最後にその窓から教会のすがたを見せるのか」という疑問に対する阪口先生の回答は明確であった。ここで、その解釈について書くつもりはないが、私は感動し、以前カルト宗教についてのTV番組で,おそらくは具体的な信仰を持たないであろう弁護士さんが「宗教って言うと、すぐにカルト的なものを連想し短絡的な反応を
示す人が多いけれど、本来、宗教というのは人の心を豊かにするものなんですよ」と話していたのとあわせ、本当にそうだなあと思った。私は宗教家でもないし、信仰の神髄など語る資格などない凡庸な人間ではあるが、宗教体験や信仰ということと感受性、芸術的感性とは深くかかわっていると思う。
日本の場合、特に自然科学の分野で中程度の成功をおさめた知識人にありがちなキリスト教批判には「”イエスが水の上を歩いた”なんてことが信じられるか!それを科学的にーーこの言葉得意なんですよねーー証明してみろ。」などどいう
悲しくなるような貧しい意見があるのです。歯科医学という、ある意味、きわめて自然科学的(本当はそれだけでは人間は治せないと私は思うけどね)な価値観の支配する世界で生活の糧を得ている私は、それを日々感じています。
「イエスがおこなった奇跡が事実であったかどうかよりも、それを多くのひとが2000年の長きにわたって信じてきたという事実が重要なのだ」というある作家の発言を、たぶん私の音楽の愛好家であるケンソー・ホーム・ページ読者は、噛み締める必要があるのではないか。文章読解力のないひとにことわっておくけど、私はキリスト教そのものについて語っているのではないからね。しかし、そういった視点なしに主にキリスト教的文化圏において勃興したプログレッシヴ・ロックを理解することは難しいだろうとは思う。たとえばジェスロ・タルの「パッション・プレイ」をどう解釈する?バンコの「最後の晩さん」は?「幻惑のブロード・ウェイ」は?そういう知識なり、思考なりがないと、プログレッシヴ・ロックを変拍子がどうだとか、複雑な構成がどうだとかで語るという愚をおかすことになるのではないか。そして、明らかにプログレッシヴ.ロックの強い影響下にあるケンソーの音楽を味わい尽くすことの障害になるのではないか。
さて、今回はこのへんにしておこう。自分を豊かにするために、つねに未知のものにチャレンジしていこうとしている読者に最適のTV番組を紹介しておこう。
NHK人間講座(7月〜9月) 現代に生きる聖書 講師 曾野綾子先生
”西欧精神の根幹をなす書物でありながら、日本人にはなじみの薄い聖書。しかし、そこに描かれる人間感情の機微は、現代と少しも変わらず示唆に満ちあふれている。人間存在の本質を描く名手が解き明かす聖書の世界”ーー人間講座テキストより。
私は、先日その2回目の放送を偶然見て、あまりの面白さと講師の誠実かつユーモアにあふれた語り口に魅了され、翌日本屋にテキストを買いにいった、ウソ、妻に買ってきてもらった。
教育テレビ 月曜 23:00から、再放送は火曜の15:30から、30分。
NHKで思い出した!私、8月の中旬にNHK-FMに出演します。くわしくはまた、このページでお知らせします。
では最後に前述「青春ピカソ」の中から岡本太郎先生の珠玉の言葉を引用しよう。
「いったい芸術において単に眺めるという立場があり得るであろうか。真の鑑賞とは同時に創るということでなければならない。観ることと創ることは同時にある。」
2000年6月19日 清水義央
ミュージックプラント 野崎
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顔文字に関する皆さんのやりとり、楽しく、時としてイライラしながら拝見しました。
おい!こんなことやってる暇あるなら、ライヴCDの文字校正手伝え!
あたしゃ、ここ数週間、4時間プラス昼休み30分睡眠でやっと生きてるんだ。
あまりの忙しさで、かえって色々なことが気になりだし、”男は狼なのよ、気をつけなさい。”などという軽薄なヒット歌謡の歌詞についてさえ「遺伝学的にいって、通
常オス/メスで区別する狼という獣に対し、男/女という区分をあてはめてよいものか」などということを延々考え、遺伝学や発生学の文献を実際に調べて、更に時間を消耗したりしてるんだぜ。
そんなオレ、そんな空しいオレをみんな仲間はずれにしやがって。
ぐすん、みんなオレがパソコン初心者だと思ってナメやがって。
でも、言っておくがな、今わたしは日増しにパソコンに強くなっているからな。
あとで、ほえずらかくなよ。今日だって作業環境マネージャーについて学んだのさ。
それにしても村石くん、メールやってるのかな。
なんか似合わねえな、悪いけど。
マウスでクリック、カチカチなんて似合いませんよ、村石くんには。
あ、でも彼ならスティックでキーボード早打ち!とか得意そう。
でも、壊れますよ、そんなことしたらキーボードが。
まあ、いっか、他人のことは。
最後にゆっておく!オレは顔文字という軽薄かつ常に責任逃れ的な姿勢が
顕著なコミュニケーション手段は嫌いだ。
というメールのつもりでしたが、結構マジで書いて時間も費やしたので
野崎さん、これを「バトル・オブ〜」の最新稿として
HPにアップしてください。
2000年7月5日 清水義央
さてKENSO LA Special Edition BAND は気合いの入ったリハーサルに突入しました。25周年記念ライヴの時は、メンバー全員がそろってリハーサルできたのはオールド・ケンソーで3日、現役ケンソーにいたってはたった1日!であったが今回は5日ほどは全員でできる予定である。村石くんもマーク・ポートノイとの対決のため、タイトなスケジュールをケンソーに開けてくれた。ありがとう。パット・メセニーがライヴ・ビデオの中で語っていたがバンドの歴史を語るようなセット・リスト作りは難しくもあり、また楽しい作業でもある。とにかく精神的にも日増しにバンドの結束が固まり、高揚していくのが実にうれしい。我々の世代は英米の音楽を”カッコイイナア!”と聴きまくっていた世代。そのアメリカで演奏できるのは、光栄だし身の引き締まる思いである。アメリカの歴史や文化に関する文献も読み始めている。サイはふられたのだ。
最後に、立花隆さんの「脳を鍛える」は今たぶんベスト・セラーになっているが、本当に面
白いし勉強になるので、絶対のおすすめです。
2000年6月11日 清水義央
ところでLA-ツアーに、もう既に何組かお申し込みいただいたようで、ありがとうございます。まあ我々もLAに遊びに行くのではなく、はたまた金銭欲と性欲渦巻く”いわゆるファン・クラブ・ツアー”でももちろんなく、音楽といえども、勝つか負けるか「プログレ世界選手権」に出場するつもりで行くのでコンサートが終わるまではファンのみなさんとの”語らいとふれあいの時間”などとれないが、お礼は必ずします。メンバーが使った譜面 をあげちゃうとか、リハーサル・スタジオに招いてケンソーの音作りの現場見学とか、私清水義央とプログレについてサシで議論するクーポン券5日分とか、こどもの国牧場のミルク工場で小口とポリリズムについて語りながら乳しぼりとか(冗談だよ冗談、小口くん)なんかとてつもないプレゼントを用意しようではないか。三枝の目でじっとみつめられる30分チケットなんてコワソ〜、清水義央それはパスします。あの確信に満ちた目!あの逃げられない雰囲気は経験しないとわからないぜ。まっ、とにかくLAツアーに参加してよかったと思っていただけるような、なにかケンソーらしいプレゼントを。
2000年5月11日 清水義央
2000年1月14日 ミュージックプラント