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五堂春妃SS
おやすみ
〜天国にいちばん近い場所〜

「天使の卵」より
狩野雅明
Up:1999.8.9 Mon


「五堂先生」
「はい、なんですか?」
「先生は・・・天国を信じてますか?」
「天国、ですか?」
「ええ、そうです。私はね、先生、信じてたんですよ。天国があるって」
彼は手首に刻まれた深い深い傷痕を無意識に摩りながら私にそう言った。


五堂春妃SS
おやすみ
〜天国に一番近い場所〜
「天使の卵」より



それは小さな小さな記事だった。
交通事故で男性会社員が死亡。
新聞の片隅に載ているありふれた交通事故の記事。
普段なら読み飛ばしてしまうその記事に私の目は釘付けになった。
「歩太君っ私もう病院に行くねっ。後片付けお願いっ。それから多分今日は遅くなるわ」
突然の慌てぶりに春から同居している一本槍歩太君はぽかんとしていたがかまっていられなかった。
支度も化粧もそこそこに家を飛び出した。
今の時間なら夜勤の先生はまだいるはず。じりじりとした思いで勤務先の病院に向かった。

「滝沢先生っ」
「五堂先生どうしたんですか?こんな早くに」
息を切らせて部屋に入ってきた私に夜勤明けの初老の医師が尋ねた。
「滝沢先生、今日の新聞を読まれましたか?」
「ええ。あ、そうですか、五堂先生もあの記事を読まれたのですね」
「はい。それで・・・いてもたってもいられなくて・・・もしかして・・・」
「彼はまだ自殺願望が完治していませんから自分から飛込んだ可能性はあります」
不安を隠しきれない私の表情を読み取ったのだろう。先生は優しい表情で言った。
「彼の主治医は私です。関わっていたとはいえ、五堂先生が気に病むことはありません。それにまだそうと決まったわけではないのです」
「はい・・・・・・」
「とりあえず、彼のことは彼の家族からの連絡を待ってから考えましょう。一応、上の方には私から報告をしておきます」
「はい・・・・・・よろしくお願いします」

「滝沢先生は・・・その・・・天国を信じていますか?」
私がそう切り出したのは彼の葬式からの帰りの車中だった。
彼が事故死してから数日後。家族からの連絡を受け病院の代表という形で私と滝沢先生が葬式に出席していた。
「天国、ですか?」
「はい」
「また突然ですね」
「私がカウンセリングを担当した時に聞いてきたんです。『先生は天国を信じてますか』って。そして『私は信じていた』と・・・」
「そうですか・・・結論から言うと私は信じていません」
天国や極楽浄土といったものは宗教屋が儲けるために考え出した空手形にすぎないから信じるに値しない。ただ、人類が大自然の中のちっぽけな存在に過ぎないと自覚していた頃、自然を敬い、畏怖の念を持ていた頃の来世を信じる想いは信じられる。弱い人間が「死」を最大の恐怖としていた頃、その恐怖を、その悲しみを、少しでも和らげるために生み出された知恵が来世であり天国ではないだろうか。
「ですからね、五堂先生。私は天国が人生の逃げ場であってはいかんと思うんです」

家に着いたのは23時近かった。
喪服を着替えてふらふらとソファーに身を沈める。
「お帰り。コーヒーでも飲むか?それともビールの方が良いか?」
「ううん。水が良い」
「分かった」
滝沢先生の言うことはもっともだと思う。
でも、歩太君のお父さんも五堂もそして彼も自ら命を絶った。
彼らは「死」の向こうに何を求めたのだろう。
終わりなのか、始まりなのか、ユートピアなのか。
彼は「天国」に何を求めたのだろう。

拭い去れない焦燥感。
光の見えない暗闇。
答えの出ない命題。
思考の無限ループ。
断ち切れないメビウスの輪。
「死」を「天国」を求めることが最後の答えだったのか。

私はまた、助けられなかった・・・・・・・・・・・・

「・・・ひ」「・・・るひ」「・・・はるひ」「春妃っ」
「えっ」
我に返った私の前に水の入ったコップが差し出されていた。
「水」
「あ、ありがとう」
「また『彼が死んだのは私のせいだ』とか考えてるだろ」
「・・・・・・わかっちゃうんだ、あなたには」
「あたりまえだろ。俺はおまえの彼氏だからな」
水を飲み一息ついた私の隣に歩太君は座った。
「こう立て続けに関わった人が死んじゃうと、ショックで・・・・・・」
「春妃のせいじゃない。前そう言ったろ」
「うん・・・滝沢先生もそう言ってた。頭では分かてるんだけど・・・」
弱々しく答える私を歩太君は抱き寄せ、幼子をあやすようにトントンと私の背中を叩いた。
胸に押し付けられた耳から心臓の鼓動が聞こえる。
「あのな、春妃・・・俺は医者じゃないから患者のことは良くわからない。でもな、春妃が今回のことでそういう感情を持つことは人として間違いじゃないと俺は思う。前も言ったけど、泣きたいなら泣いても良い。愚痴があるなら聞いてやる。何も話したくないなら何も話さなくて良い。そんなことしか俺にはしてやれないけど・・・俺がしてやれることはないか?」
上目遣いに見えた歩太君の瞳はどこまでも優しかった。いつもは何処かに年上という意識があったが今はその優しさに溺れていたかった。
「じゃぁ、このまま・・・このままでいて・・・・・・」
「わかった」

母親の胸の中で眠る幼子のように私は目を閉じて歩太君の胸の中に顔をうずめた。
必死に答えを探しても、誰かに相談しても、愚痴をこぼしても、解決はしない。
駄々をこねるにも、母親に甘えるにも歳を取りすぎた。
でも、聞こえる鼓動が、背に触れる手が、私に安らぎを与えてくれる。
今は、今はそれだけで良い。

その後のことは良く覚えていない。
泣いたのか、泣き言を言ったのか、それとも何もなかったのか。
ただ、記憶の最後に「おやすみ」という優しい声が残っていた。
(五堂春妃SS おやすみ 了)


*****あとがき*****
え〜村山作品中最も人気のある天使の卵のSSを書いてみました。
本文中では4行で済まされた同棲中のエピソードとして書いてみました。
ふと、頚動脈を切りたくなる衝動にかられたことはありますか?
最近自殺者が急増しているそうです。
心の潤いや安らぎはどこに行けば手に入るんでしょうね。
う〜ん「ガンダーラ」だなぁ。
そ〜こ〜ゆ〜けばぁ〜ってなもんだ。
この作品の意見感想をいただけると幸いです。


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