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マスターSS
−妹−
「おいしいコーヒーのいれ方」より
狩野雅明
Up:1999.9.14 Tue


「こうして、懐かしい1フレーズを耳にするだけで、
あの頃の街の景色や気配がくっきりよみがえってくる。
それを聴いていた時の自分がどこにいて、なにを着て
いたかまで思い出せるの。そんな力を持っているのは、
音楽のほかには香りしかないわよ、きっと」
「香り・・・・・・ですか?」
―「夜明けまで1マイル」より―


マスターSS
―妹―
「おいしいコーヒーのいれ方」より



扉に「CLOSED」の札を下げ、店の照明を落とす。
まだ明かりを落としていないカウンターでコーヒーを淹れるのが習慣だった。
いつもは今日の出来を確かめるように店の道具と豆で淹れるのだが、今日は違う。
棚から普段は使わない使い古したコーヒーミルを取り出す。
豆は聞けば誰でも知っているメーカーのものだ。
時々、ふと飲みたくなるコーヒーはこれでしか淹れられない。

どんなに陰惨な事件も数インチの画面に映された劇画だった。
どんなに悲惨な事故も数平方センチの紙面に書かれた物語だった。
チャンネルを変えてしまえば、ラックに仕舞ってしまえば、それは終わった。
しかし、それは電波よりも早く忍び寄り、紙の厚さよりも薄い壁で仕切られた世界だったことを俺はあの日まで気づかなかった。

両親が死んだ。交通事故だった。
俺は劇画の人物となり、物語に綴られる悲劇の主人公になった。
俺の手にチャンネルのリモコンは無く、仕舞うべきラックはどこを探しても見つからなかった。そこにはただ消すことのできない現実しかなかった。
「現実」が俺に問う。
「たかが13歳の子供に何が出来る?」「小さな子供まで引き取れるほどあの家は裕福なのか?」「貴様に選択の余地などあるのか?」と。
俺に出来ることは見えなくなっていく小さな妹の幸せを願うことと、再会を誓うことだけだった。

7歳の時、初めて父親にグローブを買ってもらった。
それ以来、ずっと野球を続けていた。
事故後も続けた。以前よりも熱心に。俺には野球しかなかった。
事故の記憶を忘れたかったのか、親との絆を失いたくなかったのか、今は忘れた。
俺が引き取られた親戚もそんな俺を応援してくれていた。
プロの世界に入るにはツキが足りなかった。ま、世の中そんなもんだ。

妹の様子は送られる書中見舞いと年賀状で知らされていた。
写真の中の妹はいつも幸せそうに笑っていた。
しかしそれは俺の妹としてではなく、花村家の娘としての幸せではないのか。
俺はいつしか再会しても兄であることを告げないことを決めていた。
はがきの中で笑うあの子は花村家の娘なのだから。

肩を壊しプロ入りの話しが流れた俺は普通の大学生になり普通に就職した。
数年後、俺のところに親戚が死んだと連絡が来た。
何の前触れもなく、両親も親戚も死んでしまった。
人の命とはこうも呆気ないものなのかとそのとき思った。
そして俺の手には両親と親戚が残した遺産が残った。
俺はこれを機に長年の夢であった喫茶店を開店した。
場所はあの子のいる街。そこしか考えられなかった。

「久しぶりだね。ヒロアキ君」
カウンターの向こう側で花村さんはそう言った。
「お久しぶりです。花村さん」
喫茶店を開店したことを花村家に知らせる手紙を俺は送っていた。
「おいしいコーヒーだね・・・先輩・・・君のお父さんも淹れるのが上手だったよ。親友と良くご馳走になった」
「ありがとうございます。私がコーヒーを淹れるようになったのは父の影響です。今は父より上手に入れますよ」
「ははは、そうだね。・・・・・・・・・ところで、かれんにはもう会ったのかい」
「・・・・・・いいえ、まだです」
「そうか・・・あの子には、まだ私が実の親ではないことを伝えてはいないんだ・・・・・・」
「そうですか」
「うん。君には悪いと思ってる。実の兄なのに会わせないようなことをしてしまっている」
「そんなことは・・・」
「あの子を、私は本当の、自分の娘だと思って育ててきた。あの子が笑ったり、泣いたり、怒ったり、甘えてきたり・・・そんなあの子を見ていると・・・本当に可愛くて、愛おしくて・・・話せなかった・・・話すのが、怖かったんだよ・・・・・・これまでの幸せな暮らしが全部嘘になってしまう気がしてね・・・・・・すまない・・・もう少し・・・もう少し待ってくれないか・・・・・・」
「かれんは、良い人に育てられたようですね・・・・・・分かってます、初めから私が兄であることを話す気はありませんでした・・・ただ・・・」
「ただ?」
「花村家のお嬢さんがここにコーヒーを飲みに来るぐらい、良いですよね」
「あぁ、あぁかまわないさ。すまない。私が臆病のために・・・」
「いいんですよ。今度はご家族でいらしてください」

その後、帰りにばったり会ったとかで花村さんが学校帰りのかれんを連れて来たり、俺が監督を引き継いだ野球チームに丈をスカウトしたりと時は流れ、大学生になったかれんはちょくちょく店に来るようになった。

過ぎた月日はたとえ波立っていたとしても穏やかに思える。
時はかれんが大学を卒業する年になっていた。
立春が過ぎても風の便りは春を運んでこない。春はもう少し先らしい。
「マスター」
閉店作業をしていた俺をカウンター席に座っていたかれんが呼んだ。
「なんだ、お代わりか?」
俯いた頭をふるふると振る。
「話したいことが・・・あります・・・」
かれんの思い詰めたような様子が気になり隣の席に座った。
「話したいことっていうのは?」
「私・・・おばあさんに・・・会いました・・・」
その言葉に俺の中で戦慄が走った。かれんは俯いたままゆっくり確かめるように続ける。
「鴨川の老人ホームで、おばあさんに会いました。それから話しも聞きました」
「私が花村の人間ではないこと、それからマスターが私のお兄さんだったこと・・・・・・」
「・・・・・・おばあさんがそう言ったのか?」
「おばあさんは私をお母さんと間違えてるぐらいだから・・・ホームの人の話と、私の推測・・・」
「そうか・・・」
「私・・・マスターのこと好きでした・・・マスターといるとなんだか安心できて・・・甘えたくなって・・・でも・・・それはマスターが私のお兄さんだったからなんですね・・・愛情と恋を間違えちゃった・・・ふふっ・・・ふふふ・・・可笑し・・・いです・・・よ・・・ね・・・私・・・何・・・勘違い・・・して・・・たんだろ・・・」
微かに震える細い肩をそっと胸に抱き寄せ髪を撫でてやる。
こいつが泣き虫だったあのころのように。
「・・・・・・お兄ちゃん・・・お兄ちゃんお兄ちゃん・・・」
「・・・・・・お帰り。かれん・・・・・・やっと、会えたな・・・・・・」
「うん・・・ただいま」
かれんが落ち着いたのを見計らってまた向かい合う。
「相変わらず、泣き虫だな。おまえは」
かれんの鼻先をちょいとつまんでくにくにとする。
「ぶー意地悪・・・私、そんなに泣き虫だったの?」
何時も俺の後ろをちょこちょこついてきて、何かあるとびーびー泣いていた。
邪魔だし、めんどくさいことこの上ない。
それでも可愛くて、ついつい優しくしてしまう。
話しを聞くかれんは恥ずかしそうな、くすぐったそうな顔をしていた。
「ところで、花村さんはおまえがこのことを知っていることは・・・・・・」
「知らないはずよ。私自身がつい最近知ったことだから」
「言うのか?」
ふっと寂しい顔をして頭を横に振る。
「言わない・・・ううん・・・言えない・・・お父さんが・・・花村さんが今まで何も言わなかったし・・・どう切り出せば良いのか分からなくて・・・」
「そうか」
「うん。私は物心ついた頃からずっと花村かれんだったし。今の私にとって家といったらあの家しか思い浮かばないの・・・・・・ごめんなさい、お兄ちゃん」
「そうか。なぁ、かれん・・・今、幸せか?」
「うん。幸せだよ」
即答したその言葉に一片の曇りもなかった。
俺はのど元まで出掛かっていた「一緒に暮らさないか」という言葉を飲みこんだ。
「そうか・・・それから、これからも俺のことを兄と呼ぶなよ。ばれるから」
「うん。じゃ、私、家に帰るね。お父さんが心配してるだろうから」
「おう。きおつけて帰れよ」
そしてかれんは「お父さん」の待つ「家」に「帰って」いった。
何の迷いも無く花村さんを「お父さん」と呼んだことに一抹の寂しさを感じた。

それから、色々あった。
思い出が自分の生きた証なら、俺は確かに生きていた。


ちょっとこだわって買ったコーヒーミル。
ちょっと奮発して使っていたコーヒー豆。
家族の記憶の中にある香り。
共有したささやかな幸せの香り。
おまえは、覚えているか?
これは、嫁ぐおまえへのはなむけ。
父さんと母さんと俺が家族として、おまえへのはなむけだ。
俺は淹れたコーヒーを差し出した。



「かれん・・・」
「何?」
「今、幸せか?」
「うん。幸せだよ」

(マスターSS ―妹― 了)




* ****後書き*****
え〜というわけでマスターSSです。
アイディア掲示板で出ていた案を元にSSを書いてみました。
アイディアを出してくれた方々いかがでしょうか?
コーヒーを差し出した後の3行と最後の1行の間はわざと空けました。
この行間に何があるのかは読者の方に任せたいと思います。
アイディア掲示板での趣旨は「マスターとかれんの出会いはどうだったか」
だったのですが力及ばず書けませんでした。ごめんなさい。
マスターの思い出話風になってしまいました。
嫁ぐかれんに兄として昔話をするマスターといったところですね。
コーヒーはお茶より香りが強いですから記憶として残りやすいかもしれませんね。
うちは緑茶党だったからなぁ(笑)
<1999・9・12 第1稿UP >


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