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一本槍歩太SS やがて巡り来る春に 「天使の卵」より 狩野雅明 Up:2000.2.12 Sat |
読経が聞こえる。 黒を纏う人々が行き交う。 漂うのは線香の臭い。 途切れることなく流れる汗。 のどが焼け付くようにひりひりする。 心臓が鷲掴みにされたように苦しい。 震える手で焼香を摘む。 ふと顔を上げる。 そこには優しく微笑む彼女の瞳があった。 限界だった。 俺は転がるように外にでると激しく吐いた。 春妃が死んだという現実に、俺はまだ向かい合えなかった。 一本槍歩太SS やがて巡り来る春に 「天使の卵」より 時は流れ、季節は巡る。 そこに生きるモノ全てを飲みこみ何処かへと押し流していく。 流れ落ちる時の砂は心の隙間に忘却という慈悲を施す。 俺はゆっくりと「普通の生活」をするようになっていった。 「渡したいものがあるの」 夏姫から呼び出されたのは春妃がこの世を去ってから迎える最初のクリスマスだった。 待ち合わせ場所に指定された駅前のロータリーで夏姫を待っていながら街の様子を見るとも無く見ていた。 寄り添う恋人達。 サンタクロース役を押し付けられながらもどこか楽しそうな大人達。 葉を落とした街路樹に咲く電飾の花々。 お約束なクリスマスソング。 赤と緑と白に縁取られた街。 「これで雪が降ってたら良いのにね」 誰かがそんなことを言っている。 東京でこの時期に雪などめったに降らない。 ドラマじゃあるまいし。いや、ドラマだったら、フィクションの世界だったら良かったことか。いつかエンドマークがついて春妃があの暖かな笑顔で「おつかれさま」って言ってくれるのに。 「痛っ」 ずきりと痛みが走る。 少し荒くなった息が白く広がる。 痛みというのは何回繰り返せば慣れるのだろう。 「ごめん、待ったでしょ」 顔を上げると軽く息を切らせた夏姫が立っていた。 「少しな」 「ごめんなさい。ちょっとあってね」 「まぁ、良いさ」 「会うのは久しぶりよね。お姉ちゃんのお葬式以来かな」 「で、俺に渡したいものっていうのは」 夏姫の言葉を遮って本題に入らせた。このまま話を続けて夏姫に春妃の面影を見てしまうのが恐かったのだ。遺伝というものを心から呪いたい気分だった。 「……うん。渡したいものっていうのは……これなの」 彼女は肩にかけていたバックから4冊のクロッキー帳を取出した。 それを見た時、俺の全身が固まった。 「これ、歩太君のでしょ」 それは、春妃を、春妃だけを描き綴ったクロッキー帳。 あの日、春妃の部屋に置いていったもの。 「……どうして…これを…」 「部屋を片付けているときに見つけたの…私が、ずっと持っていたの」 「……俺のじゃない」 「え…」 「俺のじゃねぇよ」 「嘘よっ…あなたのじゃなければ誰のよ」 「前の旦那さんのじゃないのか。画家だったんだし」 「……ううん…五堂さんは何も残していないわ…たった1枚の絵以外は…」 「じゃぁ…」 「ねぇ、歩太君。五堂さんがどうして、絵を残して逝ったと思う。それも、たった1枚だけ」 俺の言葉を遮って夏姫が聞く。 「……わかんねぇよ…本人じゃないんだから」 「うんん……きっと歩太君なら分かるはずよ」 「わかんねぇよ」 「五堂さんと歩太君に共通するのはお姉ちゃんに対する未練よ」 「未練」 「そう、未練よ。五堂さんはお姉ちゃんに自分を忘れられてしまうことを怖れて絵を残したんじゃないかしら。そして、歩太君はお姉ちゃんを忘れてしまうことを怖れた。そう、心のどこかでね」 「……違う」 「本当に」 「違うっ」 「いいえ、違わないわ。あなたは未だにお姉ちゃんを忘れられずにいる。お姉ちゃんがもうこの世にいない事を受け入れていないでしょっ。もし受け入れているなら、私をちゃんと見れるはずよっ、このクロッキー帳を受け取れるはずよっ」 違う…違う違う違う違うっ ―そうさ、それは分かっていた― ちがうちがうちがうちがう ―俺は春妃の姿を今も探している― チガウチガウチガウチガウ 「おまえに…おまえに何が分かるってんだよっ」 夏姫の頬を張る。 彼女はよろけた体を立て直すと俺を睨み付ける。 「分からないわよっ。分からないわよ!でも、分かっちゃうのよっ……あなたこそ、私の何が分かるっていうのよっ」 はじける音と共に俺の頬に痛みが走る。 夏姫を睨み付ける。見たことのある瞳。そう、俺はこの瞳を知っている。鏡を見るたびに見ていた瞳の色。だから睨む。 「あぁ、おまえのことなんか分かんねぇよ、分からねぇよっ、だけどな、分かっちまうんだよっ」 俺の手が彼女の頬をさらに赤くする。 さらにお互いがわめき散らし、2、3発張りあうと肩で息をしながら睨み合った。 「あんたなんかぁ…あんたなんかぁぁ……ひっく…ひっく…」 夏姫がしゃくりあげだす。 それにつられるように俺の目頭も熱くなっていった。 歯を食いしばっても胸の奥が熱くなっていく。 そして、泣いた。声を上げて泣いていた。 2人して声を上げて泣いていた。 地面にへたり込み、幼いガキのように泣いていた。 「あ〜ちょっと良いかな」 まだ小さくしゃくりあげる俺達に誰かが声をかけてきた。 顔を上げると警察官が立っていた。さらに周りには野次馬が俺達を囲んでいる。 「喧嘩をしているカップルがいると通報を受けたのだが…君たちのことかね」 状況が飲み込めず呆然としている俺達に立つように促す。 「ちょっと交番まで来てもらおうか……その前に病院だな。2人ともひどい顔だぞ」 その言葉に夏姫に張られた頬が急激に痛み出した。夏姫も同じらしい。 「もう喧嘩なんかするんじゃないぞ」 病院で頬の治療を受けた後、交番で簡単な調書を取られると警官は俺達にそう言った。 「ご迷惑をおかけしました」 そう返して俺達は交番を出た。 無言のまま駅に向かって歩く。 「………さっきは……悪かったな……」 「…ん…わたしも…ごめんなさい…」 それっきり、何も話せず。何も話してもらえず。駅まで歩いた。 電車の営業時間はそろそろ怪しい。 「……帰るのか……」 夏姫は俯いたまま何も言わない。 「…うちに、来ないか」 「……………うん…」 テレビの中で皆が笑っている。 マグカップの中からゆらゆらと湯気が立っている。 俺達は黙ったままコーヒーを啜っていた。 口を開くということがこんなにも難しいこととは知らなかった。 俺は無理やり口を開いた。 「俺な…あの日、そのクロッキー帳を持って帰れなかったんだ。持って帰ったら…春妃と二度と会えなくなってしまう気がしたんだ。いや、もう会えないんだけどな。ただな、春妃が死んだっていうことを認めたくなかったんだ…今はちょっと拗ねていて俺の前に出てこないだけで、仲直りしたらまた一緒にいられるって思った…いや思いたかったんだ」 ちらりと夏姫を見る。彼女は目で続きを促す。 「だから、今は冷却期間ってことで部屋を出るんだって自分を無理やり納得させた。クロッキー帳を置いていったのは…後でこいつを口実に部屋に戻ろうって考えたんだ…バカだろ、俺って」 「私ね…」 夏姫がカップに目を落としたままゆっくりと口を開いた。 「私ね…お姉ちゃんの部屋でこのクロッキー帳を見た時、すごく、嫉妬した。お姉ちゃん、すごく綺麗だった。描いている人の気持ちがすごく感じられた。みんな、みんなお姉ちゃんを好きになる。ずるいって思ってた。綺麗で、優しくて、頭が良くて…なんでお姉ちゃんばっかりって、いつも、思ってた。でも、嫌いになれなかった……ずるいよ、お姉ちゃん…こんな別 れ方をしたら私、一生嫌な娘のままだよ…お姉ちゃんを嫌いになれないよ…」 夏姫は何かに耐える様に体を小刻みに震わせていた。 「なぁ…俺の、そばにいてくれないか」 何故そんな言葉が出たのか分からない。ただ、口を開いたらそんな言葉が出いた。 「どうして」 その問いの答えを俺は持っていない。いや、言葉にすることができない。 言葉に詰まる俺に夏姫はそっと寄ってくると治療してもらった俺の頬を優しく摩りながら口を開いた。 「疼くんでしょ」 あらゆる感情を含んだ瞳が俺を見つめている。 「痛いんでしょ。気になって、気になって、仕方が無いのに、その傷に手を当てることができないんでしょ。他人が触ることを拒むけど、自分でも触れることができない傷をあなたは持っている……その傷に触れることができるのは私だけ…同じ傷を持っている私だけ…だからあなたは私を求めるの」 俺の口からは何も言葉が出てこない。 「…だから…私の傷に触れられるのも、あなただけ…私はあなたのそばにいてあげる…だから…あなたも私のそばにいてほしいの…」 「……夏姫…」 「ごめんね…お姉ちゃんの死を受け入れられないのは私の方…お姉ちゃんのこと、忘れないでいてあげて…」 「春妃を忘れるなんて出来ないさ……春妃が思い出になるまで、俺のそばにいてくれ」 「歩太君……」 ふれあった唇は痛いほどの涙の味がした。 俺達の時が流れ始めた。 やがて巡り来る春に君に会いに行こう。 君のいた時を忘れないために。 君のいない時を歩むために。 君が初めて囁いてくれた言葉と共に。 「ねぇ、これは誰のお墓なの」 「ここにはね、パパとママの大事な人が眠っているのよ」 <やがて巡り来る春に 了> ***後書き*** やっと終わったぁ〜。 「天使の卵」のエピローグにあたる作品になります。 冒頭を見ての通り、もともとはクリスマスSS用に書き始めたものです。 何とか冬の間に書きあがれて良かったです。春までかかったらお蔵入りでした。 元ネタはアイディア掲示板のケーさんの書きこみからです。 いかがなもんでしょうか。 これが「天使の卵」の未解決部分に対する私の答えです。 男と女の愛憎劇でブラックに終わらせるのも一興でしたが、 私はそこまで男女の関係を知りませんので書けません。誰か書いてくれませんかね。 <2000.2.11 up><2001.11.3 ちょっと修正> |
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