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ずっとふたりで‥‥‥ 《前編》
「夜明けまで1マイル」より
〜 Epilogue 〜
makoto
Up:1999.11.6 Sat


 ずっとふたりで‥‥‥ 《前編》

「夜明けまで1マイル」より  
〜 Epilogue 〜  


「ほらほら、グラス持って」
「なんだよ」
「もぉ、ノリ悪いなぁ。ほらぁ、乾杯するんだから」
 僕が渋い顔をしても、テーブルの向こうのうさぎはくすくすと笑っていた。派手な色のカクテルが注がれたグラスを僕の目の前に差し出す。グラスの中でうさぎの顔がゆらゆらと揺れていた。
 仕方なく僕はグラスを手に取った。
「乾杯って、なにを乾杯するんだよ」
「なんでもいいのっ。それじゃ、かんぱ〜い」
チン、とうさぎは僕のグラスに自分のグラスを軽くあわせた。少しだけ飲んですぐにグラスをテーブルに置いたうさぎは、僕を見てまたにっこりと微笑んだ。

 あの日からうさぎはずっとこんな調子だった。今まで以上に明るくて元気が良くて、そしていつも笑顔だった。その前まではいつも落ち込んだり悩んだりしていたから、そのギャップは相当のものだ。
 うさぎが暴走し、そして僕に悪夢がふりかかった、信じられないくらい目まぐるしい週末から、ちょうど1週間が経っていた。
 マリコさんが僕の前から去っていったあの時、僕はこれからどれだけの間、落ち込んだ日々を送るのだろうと思った。毎日毎日彼女を思いだしては、もう彼女を抱きしめることができないのだという事実に落胆し、どうして彼女を引き留めることができなかったのだろうと後悔し、そしてこれからどうしていけばいいのだろうと不安に潰され‥‥‥そんなふうになるだろうと思ったのだが‥‥‥
 たった1週間しか経っていないのに、僕の中ではもうすでに過去の事になりつつあった。正確に言えば、2・3日後には吹っ切れていた。なんて立ち直りの速い奴だと思うかもしれないが、そんな自分に僕も驚いている。
 でも理由は明白だった。
 この1週間、うさぎはなんだかんだと理由をつけては、毎日僕を外へ引っぱり出した。
「買い物があるからつきあって」
「ねぇねぇ、ご飯食べに行こうよ」
「あたし、ど〜しても観たい映画があるんだ」
「ほら、いい天気だよ。部屋ん中なんかにいないでさ、お花見にでも行かない?」
 僕を慰めようとしてくれているのか、それとも自分の気を紛らわしたいからなのか‥‥‥どちらかと言えば、やはり僕を元気づけようとしてくれているように思う。うさぎを見ていても無理をしているようには思えないし、心からの笑顔を見せてくれていた。あの夜の事を気にする素振りは微塵も見せていない。一度だけ「心配してくれなくても、もう大丈夫よ」と笑いながら僕に話してくれたあの言葉に嘘はないようだ。
 どんな理由にしても、うさぎがそばにいてくれたことで僕が元気づけられたのは事実だ。うさぎと一緒にいる間はマリコさんの事を思い出すこともほとんどなかったし、うさぎと別れて夜ひとりになったときでも、落ち込むようなことはなかった。うさぎの明るさが僕の中の暗い部分に光をあててくれているようだった。うさぎには本当に感謝している。
「うさぎ」
「ん?」
「ありがとな」
 うさぎは少し驚いたような顔をした。もともと大きな瞳がさらに大きくなっている。でもそれは一瞬の出来事で、彼女の表情はすぐに柔らかな微笑みに変わった。
「なにが?」
 僕が何のことに対して言ったのか、うさぎはわかっているようだった。さっきの驚いた表情がそれを物語っている。わかっていながらとぼけているのだ。それでも僕はあえてうさぎに答えた。
「この1週間のことだよ。毎日俺のこと気遣って、元気づけようとしてくれてただろ?」
くすっと笑ったうさぎは「そんなんじゃないよ」と答えた。グラスを両手で包み込むように持ち、ゆらゆらと揺らしている。それを見つめながらうさぎはゆっくりと口を開いた。
「そんなんじゃない。あたしはあたしがそうしたいから‥‥‥そうしたいと思ったから誘っただけ。別に涯のことを気遣ってたってわけじゃないよ」
「‥‥‥‥」
「もしあたしがあんたを元気づけようと思ってたとしても‥‥‥それでもあたしがそうしたかったから‥‥それだけのことだよ」
 顔を上げたうさぎと目があった。
「でもね‥‥‥」
 そう言ってまたすぐにグラスに視線を落とす。
「あたしと一緒にいて元気になってくれたんだったら‥‥‥それはそれで嬉しい、かな?」
 この一言は胸にきた。嬉しいような、くすぐったいような、そんな甘酸っぱい気持ちが胸の中心に広がった。
「うさぎのおかげだよ」
「えっ?」
「俺が今、こうやって落ち込まずにいられるのは、うさぎがそばにいてくれたからだよ」
「‥‥‥‥‥よかった」
 最後はつぶやくような声だった。
 ふたりとも次の言葉がなくて、部屋がし〜んと静まり返った。でもそれは、気まずい雰囲気とかそういうのではなかった。お互いに今まで口にしたことがないような素直な気持ちを相手に伝え、相手からそんな言葉をもらったことが妙に照れくさかった。
 しばらくしてうさぎは顔を上げて、意を決したように唐突にこう切り出した。
「涯は‥‥‥あたしの歌、好き?」
 うさぎにこんなことを聞かれたのは初めてだった。
「あたしの歌、これから先も聴きたい?」
 あまりにも突然だったので戸惑った。
 でも、考えるまでもなかった。そんなの答えは決まっている。
「ずっと聴いていたい」
 まぎれもない、これが僕の本心だ。
「俺ってボーカリスト内山浅葱のファンなんだよな、たぶん世界中の誰よりも」
「えっ?」
「どんなすごい歌手の歌よりも、おまえの歌を聴いてる方が好きなんだよ」
 誰にも言ったことはないけれど、実はバンドを始めた当初からずっと思い続けていたことなのだ。うさぎの歌を初めて聴いたときから、僕は彼女の歌声の虜になっていたのだった。
「じゃあ、さ‥‥‥もしあたしがデビューして有名になったりしたら‥‥涯は嬉しい?」
 言葉に詰まった。すぐに返事ができなかった。
 この1週間、うさぎの口からデビューに関することを聞いたことはなかった。だから僕も気になっていたけれど聞かなかった。あの日、うさぎは僕に歌を歌うと言った。でもそれっきりだった。
 頭では「もちろん嬉しいよ」と言えるのだけれど、心の中は複雑だった。今ではうさぎの才能に対する嫉妬なんてものはない。でもどこか違うところで、うさぎがメジャーになることに抵抗があった。
「やっぱり言わなくていい」
 僕をじっと見つめていたうさぎが、慌てた仕草で僕の考えをさえぎった。そしてこう付け加えた。
「今、答えが見つかったから」

◇         ◇         ◇

「うさぎのおかげだよ」
「えっ?」
「俺が今、こうやって落ち込まずにいられるのは、うさぎがそばにいてくれたからだよ」
「‥‥‥‥‥よかった」
 胸が熱い。
 今のあたしには一番嬉しい言葉だった。この1週間、涯の気持ちも考えないで、自分のことばかり考えて行動してたんじゃないか、と心配していた。
(よかった‥‥‥あたしでも涯の役に立てたんだ)
 涯に言った言葉は本当だった。涯のことを気遣って毎日押し掛けて来ていたわけではなかった。もちろん心配していなかったわけではないし、元気になって欲しいと思っていたけれど、それよりも涯のそばにいたかった、ただそれだけだった。
 あたしのしたことが、とりあえず間違いじゃなかった。それがわかっただけでもすごく嬉しいし、ホッとした。
 これだけのことでここまで幸せな気持ちになれるなんて‥‥
(あたしって、やっぱり単純なのかな?それとも相手が涯だから‥‥涯の言葉だからこんなに嬉しいのかな?)
 おそらく両方だと思うけれど、「涯の言葉だから」の方が圧倒的に強い。今は涯の言葉なら、どんなことでも素直に受け入れられる。それほどあたしは涯に惚れてしまっていた。
(‥‥‥‥‥‥)
 ふと頭の中をかすめたことがあった。 オザキさんから最初に誘われたあとに涯に言われた言葉だった。
『お前いつか、きっと後悔するぜ』
 実はいまだに迷っていた。あの誘いを受けるのか、それとも断るのか‥‥‥
 やってみたい気持ちが無いわけではない。でもやりたくない気持ちの方が大きい。
 ここ数日は本当にいろいろ考えた。でも結局、答えはまだ出ていない。いや、もうほとんど答えは出ているのだけれど、結論づけるのをただ先送りにしているだけなのだ。なにかきっかけが欲しかった、本当に決心できるようなものが。
(やっぱり涯がどう思ってるのか知りたい)
 また相談しても、最初のときと同じような答えが返ってくるのだろうか?
 こんなこと相談できるのは涯しかいないし、なにより涯の言葉が欲しかった。涯にあたしの気持ちを打ち明けたいし、できればそれを理解して欲しい。
「涯は‥‥‥」
 それより先に涯に聞いておきたいことがあった。それはあたしにとって、とても重要なことだった。
「‥‥あたしの歌、好き?」
 相談するよりも前にこれだけは聞きたかった。
「あたしの歌、これから先も聴きたい?」
 涯と目があった。なにを突然言い出すんだ、とでも言いたそうな顔をしている。それなのに涯はすぐに答えてくれた。
「ずっと聴いていたい」
「ほんとに?嘘じゃない?」と聞き返したかったけれど、言葉にならなかった。
 涯は続けた。
「俺ってボーカリスト内山浅葱のファンなんだよな、たぶん世界中の誰よりも」
「えっ?」
「どんなすごい歌手の歌よりも、おまえの歌を聴いてる方が好きなんだよ」
 予想もしない答えだった。でも、めちゃくちゃ嬉しかった。なんだか相談事なんてどうでもよくなってきた。このまま幸せな気持ちにひたっていたかった。でも‥‥‥
(ダメ、ここで止まってちゃ)
 誘惑を振り払い、あたしはこの1週間聞けなかったことをついに聞いた。
「じゃあ、さ‥‥‥もしあたしがデビューして有名になったりしたら‥‥涯は嬉しい?」
 あたしは涯の瞳をじっと見つめた。涯の本当の気持ちが知りたかった。言葉だけじゃなく、その裏にある本当の気持ちも知りたかった。
 涯の瞳の奥には‥‥‥迷い‥‥‥‥‥
 あたしには『迷い』に見えた。戸惑い、気持ちの中での葛藤、頭と心とのギャップ‥‥‥
 きっと最初の時に励ましてくれたような言葉が頭に浮かんだのだろう。やってみろよ、と。でも今の涯にはそれを口にできない何かが心の中に潜んでいるように見える。
 全部あたしの憶測だし、完全な勘違いかもしれない。
 でもそんな涯の瞳を見た瞬間、あたしの中では答えが出てしまった。
「やっぱり言わなくていい」
 涯の迷いを遮った。涯に言われることで、また振り出しに戻りたくない。あたしが答えを言えば、きっとこの問題はそこで終わる。涯もきっとわかってくれる。
「今、答えが見つかったから」

「答え?」
「あたし、オザキさんの話、断わろうと思う」
「‥‥‥本気で言ってるのか?」
「うん‥‥‥」
 グラスをテーブルの上に残し、あたしは涯のそばに移動した。すぐ隣に座り、涯と同じようにベッドの縁にもたれかかる。
「これでも真剣に考えたんだよ。この前、涯には歌を歌うなんて言っちゃったけど、その後も本当にそれでいいのかなって、さっきまでずっと迷ってた」
 涯は黙ってあたしの話に耳を傾けてくれていた。
「あの時はやってみようって本気で思ったの。でもさ、相変わらずメジャーになりたいって気持ちはあんまり無いしさ。それが無いから闘争心とか野望みたいなものも全然湧いてこないし。プロになるのに必要なものって歌だけじゃないでしょ?あたしってやっぱりプロ向きの性格じゃないんだよ、きっと」
 これはずっと思い続けていたことだった。こればっかりはどうしようも無いような気がする。性格なんてそう簡単に変わるものじゃない。あたしに欠けているそういう部分は、きっとセイジが全部持っていってしまったのだ。
「前に涯が言ったよね?4人が集まって4以上の力が出せなきゃ意味がないって。あたしひとりだと、きっと1の力も出せないよ。あたしの力はみんなが引き出してくれてたんだから。だからもし『Distance』でデビューできるんだったら喜んで歌うよ。だけど‥‥ひとりだとやっぱりダメだよ」
「うさぎ‥‥‥」
「これを逃したら涯は後悔するって言ったけど‥‥もしかしたら後悔するのかもしれないけど‥‥‥それでもいいよ、歌えなくなるわけじゃないから」
「‥‥‥そうか」
 涯はそれ以上何も言わなかった。もしかしたらまた怒られるかもしれないと思っていた。まだそんなこと言ってるのか、と。だけど涯はあたしを責めたりしなかった。
「涯‥‥‥怒らないの?」
「なんで怒るんだよ」
「だって‥‥‥」
「本当に悩んで出した答えなんだから、俺は何も言えないさ。そりゃあ、もったいないなって思うけど、おまえがしたいようにするのが一番だよ」
「‥‥‥涯」
「オザキの話を蹴ったからって、歌えなくなるわけじゃない、だろ?」
 涯が明るく言ってくれたのを見て、あたしは胸を撫で下ろした。心の底からほっとした。もし反対されたら、本当にどうすればいいのかわからなかったから‥‥‥
 涯が天井を見上げて言った。
「ま、それもいいよな。おまえが歌を背負うのも見たくないし、歌のことで苦しんで欲しくないし‥‥‥うさぎにはいつも幸せそうに歌っていて欲しいよ」
「‥‥‥ありがと」
(本当にありがとう、あたしの気持ちをわかってくれて‥‥‥)

Keep on keepin' on! まだ誰も知らない
Keep on keepin' on! ほんとのこと探して
俺たちに明日はない なんて信じない
ほら 夜明けまで あと1マイル‥‥‥

 誰かひとりに向けて歌ったのは初めてだった。
 あたしの歌を聴きたいと言ってくれた涯のためだけに歌った。目一杯の気持ちを込めて‥‥‥だけど全身から力が抜けてしまっていて、かすれた声にしかならなかった。
 涯が作ったメロディ、あたしが作った詩‥‥‥最初のときは、どうして歌えないなんて言ったんだろう。こんなに胸に染みわたる素敵なメロディなのに‥‥‥
「最近ね、この曲が一番好きなの。ひとりの時にこの歌を口ずさんでるとね、なんか涯が励ましてくれたときの事を思い出して‥‥それで思うの‥‥‥最後にそばにいてくれるのはいつも涯なんだなぁ、って」
 涯は黙ってあたしを見つめている。
「今のあたしにはこの歌もあるし、この曲を作ってくれた人も近くにいるし‥‥‥それだけで十分だよ」
 今しかないと思った。今言えなければきっと後悔する。デビューの話は後悔しても構わないけれど、このことは絶対後悔したくない。少しでも時間が経てばあたしの中にあるこの勇気はどこかへ逃げてしまう。大丈夫、今なら言える。あたしの本当の素直な気持ち‥‥‥
「あたしの歌を聴きたいって言ってくれてすごく嬉しい‥‥あたしも‥‥‥あたしも涯のそばで歌っていたい。これからもずっと‥‥ずっと‥‥‥‥‥」
 胸にしまいこんでいた気持ちはすべてはき出した。もうあたしから言うことはなにもない。あたしにできることは‥‥あとはただ祈るだけ‥‥‥‥‥

〜 後編へ 〜

〜 あとがき 〜
 エピローグと位置づけがあるように、この作品は『夜明けまで1マイル』のラストシーンから、ちょうど1週間後の話です。
 うさぎのデビューの話ですが、原作を読んだ方はうさぎはデビューを目指す、と思われた方も多いと思います。僕も話の流れからすると、そうなる方が自然かな、とも思いました。ただうさぎの性格を考えると、本人が言うように海に向かって歌っている方が似合っていると思うし、本文中にもあるようにいつも幸せに歌っていて欲しいという僕の願望がありました。だからあえてデビューの話を断るといった話を書くことにしたんです。あとは断った話の方が読んでいて心地のよい作品にできるんじゃないか、と思ったんです。
 今回は涯とうさぎの両方の視点から書いてます。村山センセの作品では『Bad Kids』でお馴染みのやつです。あんなにうまく書けてないですけど。
 後編は‥‥まぁ、この作品を読まれた大方の皆さんの予想通りの展開だと思っていてください。それでは、また。

99/11/01 makoto



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