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Over the distance
「夜明けまで1マイル」より
四方堂
Up:2001.7.15.Sun


Over the distance
 「夜明けまで1マイル」より

 ぎいっ……

ポケットから取り出した合い鍵をゆっくりと差し込み、捻る。
錆びた音をたててドアが開くと、僕の背中を追い抜いた幽かな光が目の前の闇をゆらりと揺らした。
勝手知ったなんとやら。真っ暗な店内を進むと、僕はステージを照らすスポットライトのスイッチを入れる。
途端、真っ暗だった店内に光の筋が走った。
が、ライトが切れてしまっているのか、さながらピンスポットのように一筋の強い光だけがステージを目掛けて降り注いでいる。

「……しゃぁねぇなあ」

兄貴の奴、ライトの交換ぐらいしとけよ。と、心の中で舌打ちをしつつステージに上がる。
肩から提げたケースをそっと下ろすと、初めてそれを手にした時みたいにゆっくりと、自分の相棒であるベースを取り出した。
そういや、こないだはアコギだったっけ……などと、再び頭の片隅でとりとめのないことを思いながらも、手と耳の方はいつものように四本の弦を正しいテンションに張り合わせていく。

「ん……よし」

最後にいくつかフレーズを弾いてからベースを抱え直すと、僕はその足でピンスポットの真ん中へと立ってみる。
奇しくもそこは、僕たちのバンド『distance』での僕のポジションだった。
そうして、いつもの場所から直樹、セイジ、そして、うさぎのいないステージの上をぐるりと見渡してみる。
いつもは他のメンバーをめちゃくちゃそばに感じる、狭いぐらいのステージのはずが、こうして一人で立っているとやけにだだっ広く感じて、なんだかおかしな気分だった。
そんな感傷を追い払うように小さく頭を振ると、軽く唇を噛みながらゆっくりと目を閉じる。
それから、大きく深呼吸を、二回、三回。

すぅっと覚めていく頭の中で、いつものようにセイジのスティックが渇いた音でリズムを取り始める。
刹那──「音」が、一気に爆ぜた。
そして直樹のギターがメロディを紡ぎ始めるのに合わせて、その足元をしっかりと支えてやるために僕がリズムに合わせて指を弾いていく。
少し長めのイントロが終わり、僕たち三人の音がほんの少しだけ息を潜めたところで、うさぎのパンチの効いたヴォーカルが一気に飛び出して──ようやく、四人 の「音」が『distance』の「音楽」になるのだった。
そして、飛び出してきた勢いのままものすごい力で僕たちの音を引っ張るうさぎの歌声に、僕たちの「音楽」がぐんぐんと加速していく。

『うさぎ……やっぱ、お前の歌、サイコーだわ』

僕の頭の中でステージの上をぴょんぴょんと跳ね回るうさぎにウィンクを一つくれてやりながら、僕は夢中で弦を弾いた。
なんだか、いつもよりしっかり音を拾えているような気がする。

『もっと、もっとだ……もう少し…………!』

その感覚を逃すまいと、必死で指先に掠る音を掴もうとしていたその時、ふいに兄貴の言葉が脳裏をよぎった。


 『お前、音楽ってものがどこに存在するのか考えてみたことがあるか?』

 『音楽ってやつは、音楽が生む感動ってやつは、おそらく、聴かせる側と聴く側とのどこ
 か真ん中へんにポッと生じるものなんだ。奇跡みたいにな』


あぁ……そうか。と、僕は唐突に理解した。
いや、理解したと言うよりは、ずっと前から知っていたはずなのに、でも忘れてしまっていた。
そんな大切なことを思い出した、という方が正しいかもしれない。

兄貴が言ったようにステージのテンションと客席のグルーヴとの間に「音楽」が生まれるのならば、それよりも先に「音」は、ステージの上で生まれているのだ。
例えば、僕とうさぎが立つ、まさにその真ん中へんに。

相手が望む音をこちらが与え、自分の欲しい音を相手から引き出す。
時には強引に相手の中にまで入り込んでまで、貪欲に音を引きずり出していく。
相手がどうすれば悦ぶのかを肌で感じ、それを与え、時にはじらし、そしてより大きな歓喜の波を引き出す。その繰り返し。
お互いがそれぞれ、自分の欲望に素直になっての荒々しいまでのぶつかり合い。
それはなんだか、男女の営みによく似ているような気がする。
ひとりよがりでも、ただ盲目に相手に合わせているだけでもいけない。
本当の意味で、相手を思いやれる。そんな気持ちがなければだめなのだ。

いつの間にか、クライマックスが近づいていた。
いつもなら感じるはずの妙な気負いのようなものは、完全に息を潜めている。
と同時に、もう僕はさっきまでのように音を探したりはしていなかった。
そんなことをしなくても、音はすぐそこに、それこそ閉じた目蓋の裏に見えていて、僕はそれをひとつひとつ優しく、時には激しく、指先ですくいとってやればよかったのだから。
そして、そのすべての音の向こう側に、うさぎがいた。
怒っているうさぎ。
照れているうさぎ。
膨れっ面のうさぎ。
泣いているうさぎ。
そして──笑っている、うさぎ。


最後の音を名残惜しいような気持ちで弾いてからも、しばらくは惚けたようにその 場に立ち尽くしていた。
ものすごい満足感と、心地よい脱力感。
ほんとに、「あれ」の後みたいだ。
そう思うと、ようやく口元がふっと緩む。
と、突然ぱちぱちと固い音が店内に響き、僕は思わず比喩ではなく飛び上がった。
今にも飛び出しそうなぐらいに跳ね回る胸を押さえながら振り向くと、そこにはいつかのように火の点いてないタバコをくわえた兄貴が突っ立っている。
そこでようやく、さっきの音が兄貴の拍手だったことに思い至った。

「少しは、まともな音が出るようになったじゃないか」

そう言いながら、兄貴はタバコに火を点けて大きく一度煙を吸い、そして吐き出す。

「タバコに火を点けるの、忘れちまってたよ」

旨そうに煙をくゆらせるその様子に、僕は思わず吹き出してしまった。
……まったく、兄貴らしい。そう思いながらも、やはり褒められるのは素直に嬉しい。
それが、ベーシストとして尊敬している人間からならば、なおさらだ。

「それはそうと、涯」

しばらくいろんな余韻に浸っていた僕が、いい加減ステージを下りようかと思ったその時、短くなったタバコをもみ消しながら兄貴が僕に呼びかける。

「お前…………さては、うさぎに惚れたな?」

その時、果たして僕が一体どんな顔をしていたのか。それを想像するのは、僕の顔を見た兄貴が途端に思いっきり吹き出したことを思えば、鏡を見るより簡単なことだと思う。
そうして、そのまま兄貴が事務所の中へと消えていくのを僕は火照った体のまま立ち尽くして見送っていた。
しばらくは金縛り状態で、その後はどんな顔をすればいいのか僕が考えあぐねているうちに、なにやら大きめのケースを片手に兄貴が事務所から戻ってくる。

「なんだお前。まだそんなとこにつっ立ってんのか?」

呆れたような兄貴の口調に動かされるように、僕はようやく疲れた体を引きずってステージから下りた。
なんだか顔を合わせづらくて、そのままいつものようにベースの手入れをしようとした時、兄貴がふいに口を開く。

「あぁ、涯。お前、そのベースここに置いていけ……おいおい、なんて顔してやがるんだ」

思わずぽかんと口を開けたまま振り返った僕に、兄貴はにやりと口元を歪めながら手にしたケースをぐいっと突き出した。

「ベースを二本も抱えて、バイトに行くつもりか?」

なんだか嬉しそうな声でそう言った兄貴が手にしていたのは──僕も今までに 何度と無く目にしたことのある、やたらと年季の入った傷だらけのハードケースだった。



***あとがき***
うちが『夜明けまで1マイル』を読んだのは、つい最近のことでした。
なかなか本屋で見かけなかったのと、本屋に行く暇がなくなってしまったのとで(^^;
でも、読んで一発で大好きな作品になってしまいました。
うちも楽器(ギター)をすこぉしだけかじってたので、そのことを思い出しながら書いたのですが……やっぱり、もっと真剣に音楽やってから書きたかったなぁ、という思いはあります。
とりあえず、今度は「二胡」という楽器でもやってみようかと思う、そんな今日この頃です(笑)

今回は残念ながらうさぎたちは出てこないものになりました。
最後にうさぎが出てくるアイデアもあったのですけど、なんとなく……「兄弟」を描いて見たくて。
この作品から、何かを感じて頂ければ幸いです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

2001.7.14 四方堂拝




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