私からも一言・・・


 初めて広瀬さんの作品を読んだのは僕が中学校1年か2年の時でした。本屋で集英社文庫版の「タイムマシンのつくり方」を見つけたのが最初です。
「何、タイムマシンのつくり方だ?でもこれ小説だよな。まあいいか、買ってしまえ。」
てな感じだったのです。とーぜん、本物のタイムマシンの作り方を書いている解説書なんかではなく時間ものの短編集だったわけですが、これが熱中しました(後に講談社のブルーバックスから「タイムマシンの作り方」という本が出たのですが、これもタイトルで買ってしまいました。あ、こっちの方はばりばりとまでは行かないのかも知れませんが物理の本です。)。タイムマシンに興味がなかったらこの本を手にするわけはなく、逆に興味があるからこそはまってしまいました(思えば、タイムマシンとの最初の出会いは「ドラえもん」ですか。)。その後わざわざハインラインの「時の門」を買って(解説の筒井さんが「入手しにくい」と書いてありましたが当時(昭和60年)調べたら、既にハヤカワ文庫に収録されていました。解説が書かれたのが昭和52年ですから時の流れに感謝々々)読んでもみたりもしたのですが、広瀬さんの解説があるにもかかわらず「???よくわからん」状態でした。
 で、その後は「マイナス・ゼロ」を文庫版で買って読み、なんというか話の流れのあまりの美しさに感動。「よし、全作品読むぞ!!」とは思ってみたものの中学生のわたしがそうホイホイと買えるわけもなく、地道に買っていくしかないなと思っていたのです。
 ところがある日、市民図書館の本棚をボーッと眺めていたら見つけたのです。河出書房新社版の広瀬正・小説全集・全六巻を!!(各巻ケース入りの教科書サイズ、カバーデザインは文庫版と同じ絵)。これは意外でした。盲点といってもいいでしょう。田舎のこんな図書館にあるとは思ってもみなかった。やられました。とりあえず、迷う事なくそれを借りて全作品を読破したのでした。めでたしめでたし。
 あれから約7年、最近になってまた読みたくなったのです。それまでは集英社文庫ではまだ絶版になっていないのを確認はしていたのですが(目録には「マイナス・ゼロ」しか載らなくなったのですが、巻末の紹介ではちゃんと6冊載っていた)そのせいで「んじゃ、まだ後で買えばいいか。」と考えていたのです。でも「今ならばお金に余裕もある、よしまだ買ってなかった4冊を買ってしまおう。」と久々に読める期待でワクワクしながら本屋に注文しました(平成8年1月)。ところが、2週間が過ぎても何の連絡もありませんでした。たいていの本は2週間くらいで取り寄せられるものです。「多分、問屋にも在庫がないんだろう。」と解釈してやって、もう少し待つことにしました。・・・一カ月が過ぎました。・・・さらに半月が過ぎました。・・・何の連絡もありません。さすがに僕も本屋に問い合わせました。すると
「あー、申し訳ありません。出版社に問い合わせたところ現在品切れになっておりまして、印刷の予定もないらしいんです。」
そんならそうと、連絡くらいしろ。と、思ったのですがその後の店員さんの言葉
「僕も若いころにこの辺は読んだんですけどね。T型フォードとか。最近はこの辺の名作を復刻しようという意見もあるらしいんですけど、まだまだですからねぇ。〇〇とか、××とかの古本屋あたりだったらあるかもしれませんけど・・・。」
おお、あんたも広瀬正を読んでいたか、そうかそうか、と一人で納得しつつ、古本屋の情報まで教えてくれた店員さんは僕の中ではいい人になっていたのでした。
 てなわけで、一時はこのままでは二度と読めなくなるのではという危機感に襲われたのではありますが、この6月、朝日新聞の広告の中に「今月の新刊」として「広瀬正・小説全集・全六巻」があるではありませんか。
「なんで、新刊なんだ?」
という素朴な疑問もあったのですが、まさにグッドタイミング。今回はためらわずに買わせていただきました。これでいつでも読める。よかったよかった。
 さて、話はまったく変わりますが、私は昭和47年生まれです。一方、広瀬さんの作品の多くはそれよりもかなり前の時代が舞台です。にもかかわらず、なんの抵抗もなく読めてしまうのはなぜでしょう?答えは「エロス」の解説で小松左京さんが述べているところにヒントがあるのではないでしょうか。その時代を表わすデータや描写が読者にとって無理なく書き込まれているということです。当然、その時代に実体験を伴っている人にとっては限りなくノスタルジィに浸ることができるのでしょうが、そうでない我々にとってもその時代にいるような感覚を起こさせます。まさにタイムマシン小説といってもいいのではないでしょうか。

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