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西御門(にしみかど)から二階堂 〜もっとも歴史の古い路地
現在の鶴岡八幡宮から東に位置するこのあたりは、源頼朝が幕府を開いた時代のエピソードが数多く残っています。鎌倉でも最も古い歴史を感じることができます。

西御門あたりの路地
西御門あたりの路地
西御門あたりの路地
現在の鶴岡八幡宮のすぐ東のあたりを「西御門」と呼びます。昔、源頼朝が鎌倉で最初に「大倉幕府」と呼ばれる幕府を開いたときに、四方に門を作り、その西側の門がこのあたりにあったため、「西御門(にしみかど)と呼ばれるようになったそうです。

西大路(にしおおじ)

西御門の谷戸にまっすぐ向かう路は西大路と呼ばれています。
西大路
西大路

西大路から二階堂方面に抜ける路地
二階堂方面へ行くために、西大路から、荏柄天神の参道へ抜ける細い路地を通っていきます。途中には源頼朝の墓もあります。

家の周りはさまざまな種類の生垣で覆われていて、見る人を楽しませていますが、この路地にはカラタチの木で作られた生垣があり、通る人はこのトゲのたくさんある木は一体何だろう、と口々に話していました。

さらに進むと、車が通るのもやっとというような細い路地にたどり着きます。小さな川が流れていたり、庭木がうっそうと茂っていたりして、たのしく散歩できます。

カラタチの生垣のある路地
カラタチの生垣のある路地
木の塀が続く細い路地
木の塀が続く細い路地

永福寺跡
鎌倉宮の東側の道を奥に進んでいくと、永福寺(ようふくじ)跡があります。永福寺は、源頼朝が奥州征伐の際に毛越寺や中尊寺を見て感心し、中尊寺の二階大堂大長寿院に似せて建立したそうです。二階建てで、宇治の平等院のように池に面して造られていたそうで、どんなに立派で美しい建物だったのだろうと思います。応永12年(1405年)に火災で焼失してしまい、現在は一面のススキ野原となっています。

ススキに覆われた永福寺跡
ススキに覆われた永福寺跡

瑞泉寺山門
瑞泉寺山門


瑞泉寺山門

永福寺跡で二つに分かれている道の右の道をすすむと、瑞泉寺があります。この瑞泉寺のある谷は、紅葉ガ谷と呼ばれ、山に多くの紅葉があり秋は紅葉が美しい場所です。今回訪れた季節はちょうど初秋で、紅葉しはじめのイロハカエデが山門から覗いていました。

瑞泉寺の紅葉
山門を入ってすぐ見えるイロハカエデが色づき始めていました。緑から黄色、橙、赤と木の先端にいくにしたがって赤みを増しています。紅葉の盛りの時期が楽しみです。
瑞泉寺の紅葉
瑞泉寺の紅葉

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