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「それがさ、すっごい美人なんだって」 「あ、俺も見た。情処だろ? 3日前に赴任してきた」 「そうそう、超絶美人。ネコ系のさ」 「ちょっとキツそうなんだけど、笑うと和んでさ、そのギャップがまた」 「あれ? 情処だよな? 男じゃねーの? 20歳前の」 「何言ってんだよ、女だよ女。んで時間の流れを止めちゃうくらいの美人なんだってば」 「なんだそれ」 「だって俺、とりあえず1分間は見惚れちゃったし」 「えー。男だって聞いたけどなあ」 「いーからおまえもとにかくひと目拝んどけ」 「なあ、総務のマリルとどっちが美人?」 「いっやーでもタイプ違うしさぁ、マリルってほら、どっちかっつーとふんわり系だしさ…」 ファンタリオンB−Tセンター、食堂。 遅めの昼食を取っているエティアスの耳にも、興奮で自分の声の大きさもわからなくなっているセンター員たちの会話が届く。 昼には遅く、午後の休憩にはまだ早いこの中途半端な時間帯では、食堂にいる者は少ない。いやがおうにも声は響こうというものだ。 この時期に赴任とは珍しい、程度の興味で、エティアスはその会話を聞き流した。自分には関係のないことだ。 ――もっとも、センターのみならず、この世のほとんどの事象は、エティアスにとって関係のないことだったが。 薄切りトースト1枚にサラダという、少量で簡素な食事を機械的にすませると、コーヒーの最後の一口を流し込み、エティアスはトレイを持って立ち上がった。 横長のロの字型の回廊をたどるのも面倒で、エティアスは中庭を突っ切ろうと芝生の上へ踏み出す。 まだ夏を迎えない季節に空は青く澄んで、気候も穏やかだ。 芝生が敷かれ、真ん中に石造りの小さな噴水。あまり背の高くない広葉樹があちこちに固められて茂っている。 そこの木陰で昼寝でもしたいところだが、午後からはまとめておかねばならないレポートもある。 それでも殺伐としがちなセンター内の空気の中で、中庭のこの空間は別世界のようにのどかで美しく、横切る歩調が遅れがちになる。もともとエティアスの『血』は、自然や植物を愛するのだ。 ――エティアス=ルーファウス。17歳。フィンアル人。 170cm前後の身長にしては細身の体からは、性別を決定づける要素が少ない。男性というには線が細く、女性というにはやわらかさに欠ける。 小造りな顔立ちも、整ってはいるが表情に乏しく、発する精気の少なさもあわせて無性の人形を思わせた。髪は黒で肩を過ぎた長さを無造作に束ね、感情の揺らぎの見えない瞳はオリーブ・グリーン。 フィンアル人には程度の差こそあれ獣相が出るものだが、エティアスには目立った特徴もなく、一番出現しやすい耳の尖りや爪の鋭さも見えない。アルス人と言っても通用するだろう。 ――しかしエティアスには、アルス人にはほとんど見受けられない特殊な特徴があった。 フィンアル人は八惑星/6人種の中で、とりわけ不安定な遺伝子構成をしている。 6人種の中では小柄で、平均身長は170cm前後。また、瞳や髪に黒、茶、緑の色を持つ者が多く、肌の色は白〜黄色、または茶。全体的に小粒で地味な印象だ。 また、他人種に比べて平均寿命が短く、遺伝子交配率が低い。フィンアル人同士の夫婦でも子どもは多くて2人程度であり、1人いれば良いほうだとも言われている。他人種との交配による受精は人工的なものでなければきわめて成功率が低く、それゆえに星の最大輸出商品が性奴隷といういびつな面も持っていた。 そして、強い力を持つESPERを多く輩出した。ESPER――ESP検査で陽性と判断される、自分以外の者及び物及び状態・状況に影響を与えることのできる能力を有する者、を指す。ESPERは届出を義務づけられているが、センターで管理するリストの上位能力者は、フィンアル人が8割を示した。 さらに、生まれて10歳前後に性別が変化する肉体を持つ、両性体(プロトタイプ)の多さ。 男から女へ、女から男へ、変態する者は稀に他人種にもいるが、フィンアル人に特に多い。さらには、両性具有である『両性体X』、一定の期間ごとに性別の変化する『循環両性体(リプレイ・プロトタイプ)』等がおり、循環両性体はフィンアル人にしか現れない。 エティアスは、孤児院出身である。 赤ん坊の頃、孤児院の前に捨てられていたらしい。入れられていた手篭、着せられていた衣類、添えられていた宝石の様子からして、貴族の血筋のようだった。 体面や格式を最優先に重んじる貴族のその家に、生まれ持ったその肉体を忌まれて、捨てられたのだろう。 獣相もなく、ESPERでもない。アルス人と言ってもわからないほど、『見えるところ』にフィンアルの血の現れていないエティアスは、『両性体X』であった。 「エティアス!」 到着予定の廊下の方角から、名を呼ばれた。顔を上げると、白衣を着たひょろりと細長い男が、こちらに手を振っている。 「バート医務局長」 標準体型の男性の頭と足を掴んで縦に引っぱるとこんな感じなのでは、と思わせる、この顔も体も手足も長い男は、エティアスの直上司だった。 しかし、研修医であるはずのエティアスは、レポートを週に1本提出する程度で、ほとんど1人前の外科医として仕事を任されている。 廊下へ辿り着くと、いつものように短めのミルク色の髪をぼさぼさのままにしている男は、深い緑の瞳を丸眼鏡の奥で細めて、くしゃりと笑った。地元の出身で40歳を超えていると聞いたが、笑うともっと若く見える。 …もっとも、ファンタリオン人の平均寿命は200年を超えるので、40歳を過ぎてもまだ若くて当然、なのだが。 「やあ久しぶり。 …って、毎日同じ棟にいるのに、久しぶりってのも変だが」 「こんにちは」 挨拶をして、エティアスはひとつ咳をした。声が喉に引っかかる感じがしたための咳払いだったが、そういえば今朝から調べものをしていたせいで、今日は喋るのが初めてだったとその時気づく。 「もう慣れたかい? このセンターには」 「なんとなくは」 そう答えて、自分はここに赴任してきて1ヶ月くらいだと思い出す。 「聞いたよ。本当はここを希望していたわけじゃないんだろう?」 改めて問われてそれも思い出し、わずかに瞳を伏せて答える。 「仕方ありません。研修医は希望が通らないことも多いですから」 「しかし…ここは、その」 バート=オルビスは言いよどんで頭を掻いた。 「…血気はやった者が多いから、居心地わるいだろう?」 そうなのだ。 ほとんどのことを無関心にすごしているエティアスだが、ひとつだけ不快に思っていることがあった。 このセンターの行動処理課員、とりわけ特定される数人の、ガラの悪さだ。 「…半年後には、正式な医師の免状が下りますから。そしたら再申請しますし」 自分を気にかけてくれている人の好い上司に、エティアスは静かに言った。 感情を表さないエティアスを掴みきれず、バートは曖昧に言葉を継ぐ。 「…そうか。そうだな…それまでは、じゃあ」 「これも経験ということで」 まったく表情の変わらないエティアスだったが、伏せていた瞳を上げてバートを見返すと、わずかながら意思の強さが宿り、バートはホッと肩の力を抜く。 「ああ。…がんばってくれな」 赴任して1ヶ月たつのに未だ周囲と馴染まない、気負うふうでもなく寂しそうでもなく、ごく自然に独りを保っている部下を、バートは気にしている。近頃は3、4人の行動処理課員にからまれているという噂も耳にした。 しかしエティアスの纏う孤高の気配がなまじ自然であるだけに、バートにはそれ以上深入りすることができなかった。できることといえば、見かけるたびにこうして声をかけるくらいだ。 「ありがとうございます。では、失礼します」 事務的処理事以外はセンターで話すこともないエティアスは、このバートの心遣いを客観的にはありがたく受け取るべきだろうと判断し、頭を下げて礼を言った。 そんなエティアスを見てバートは目を細め、唇を開きかけたが、軽く息をつくと、 「じゃあ、また」 短い挨拶を残して廊下の向こうへ消えていった。 上司を見送り、反対方向へ歩き出すエティアスに、また違う声がかけられた。ロの字に庭を囲む廊下の角は広葉樹の広い茂みになっていて、人がいても姿は見えない。 「よう、エティアス」 しかし、ガムを噛みながら喋る下品な口調に、普段は無表情なエティアスの貌がハッキリと不快を示した。眉がひそめられ、瞳が細められる。 茂みを分けて現れた若い男は3人だった。体格や髪、瞳の色は皆違うが、着ている濃紺のジャケットは行動処理課の制服で、ニヤニヤ笑う品のなさも共通している。 「半年経ったらよそへ行っちゃうのか?」 「寂しくなるなぁ」 「まァそれまでは、仲良くやろうぜ?」 「通してください」 だらだらとした動きでエティアスの行く手を遮るように立ちふさがる3人に、静かに言う。 赤茶の髪の、やや太り気味な男が大げさに肩をすくめて、 「あれ? 俺ら、邪魔?」 「邪魔です」 言い捨てて脇を通り過ぎようとするエティアスの肩に、短い黒髪の、体格の良い男が手を乗せて押さえた。 「なあエティアス、おまえ、トイレってどっち入んの?」 わざとその話題に触れ、神経を逆撫でしてくる子どもじみた挑発をエティアスは嫌悪し、肩の手を払うと歩き出す。 「待てよ。教えてくれたっていいだろ?」 追いすがる黒髪の男がエティアスの腕を掴み、残る2人がさらにエティアスを囲むように回り込んだ、その時に。 少し離れた場所の広葉樹が、ガサリと音を立てた。 それは確かに人の気配で、今まで気づかなかった行動処理課員の3人は、緊張というより動揺した。黒髪の男が、「誰だ!?」と怒鳴る。 茂みの向こうから返事はなく、代わりにザザザと音を立てて、葉の揺れがこちらへ向かってきた。すごいスピードで近づいてくる葉ずれ=人の気配に、エティアス以外の3人が体を固くして1歩後ずさる。 すぐ間際でそれは止まり、「よいしょ」という声とともに枝々を大きく掻き分けて、人が現れた。 首を巡らせ、エティアス+3人を見つめる。 見つめられた3人と、エティアスもまた見つめ返した。 ――空気の流れが止まったかのような、沈黙。 …を破ったのは、現れた人物のほうだった。 「あらあ。お取り込み中」 さらに枝葉を手で割って木の根をまたぎ、こちらへ移動してくる。 3人の男はそろって我に帰り、警戒心を剥き出しにして上目で睨んだ。 「…なんだおまえ」 引いているのは、警戒心のせいばかりでもない。 茂みを掻き分けて現れた人物が、たいそうな美女だったからでもあった。 甘苦いセピア色の髪はショートだが、前髪とサイドがやや長めで、横は耳にかけている。アーモンド型のダークアイは目尻が上がり気味で、猫科の動物を連想させた。通った鼻梁に、うすい唇。肌は白人種と黄色人種の中間ほどで、強めのピンクの口紅が映えていた。 察するに、アルス人だろうか。アルス人女性にしては長身で、あまり肉感のないすらりとした背格好だ。極淡紫のスタンドカラーのシャツに細い黒ベルベットのリボンを襟に結び、黒の膝上タイトスーツをスマートに着こなしている。踵の低いパンプスも黒で、小さな紫水晶のイヤリングが陽光にきらめいた。 美醜の基準は好みの問題のはずだが、そこに100人いれば100人とも肯くであろう、アルス人として完璧な美貌の持ち主だった。 3人とエティアスの前に唐突に現れた美女は、うすく目を細め、腕を組む。 暖かな微笑みではなく、挑発と蔑みを含んだ、闇の色の微笑だった。 「いじめ? 3対1じゃ卑怯ねぇ」 女性にしてはやや低めの声が、涼やかに響く。 「…なんだと」 あからさまな皮肉の態度に、気圧されていた黒髪の男が気色ばむ。それを、長めの金髪を後ろで束ねた、痩せた男が引きとめた。 「おい、こいつ、例の…」 言われて、黒髪の男は目を見開いて女を見つめ、唇を歪めて舌打ちした。そのままエティアスを無視し、3人とも足早に廊下の奥へ去る。 首を巡らせてそれを見送ると、美女はエティアスを振り向いて、にっこり笑った。今度は花もつられて咲き出しそうな、あでやかな笑みだ。 「医務局の方?」 白衣を羽織るエティアスに、そう訊ねる。 「…ええ」 無関心なりに多少の警戒心を込めて、エティアスは低く答えた。 「大変ねぇ」 という台詞がかなり他人事っぽく聞こえ、逆にエティアスは少し安堵する。他人に関心を持たれるのは、不快なのでエティアスの望むところではない。 わずかに警戒を解き、 「一応、お礼を言っておいたほうがいいですか」 「ん? いや別に。何もしてないし」 男たちの消えた廊下の果てを眺めながら、何も考えてなさそうな口調で答えると、今度は美女はくるりとエティアスに向き直り、にこにこ話しかけた。 「エティアスさん?」 「…はい」 名を呼ばれたことで、一度薄れた警戒心がまた湧き上がる。どうしてこの人は自分の名前を知っているのだろう? どこから見ていたのか、自分たちのやりとりを。 「3日前から情報処理課に配属された、浜名雪尾です。ケガの際にはよろしく」 人懐こい笑顔のまま、名乗った美女は右手を差し出した。 3日前、情処、超絶美人、とどこかで聞いた単語が一連につながり、エティアスは『ああ、この人が』と改めて見やる。 …改めて見ても、造作の整ったアルス人(推定)だ、という感想しか思い浮かばない。 差し出された右手まで視線を下ろしながら、 「エティアス=ルーファウス、医務局です。 …では失礼します」 顎を引く程度の会釈をすると、雪尾に背を向けて歩き出した。 「あらっ? この右手はどうすれば」 無視された右手を振りながら、眉尻をハの字に下げて言う雪尾を、エティアスは斜めに振り向き、 「わたしと親しく口をきかないほうがいい。…あなたもいじめられますよ」 雪尾はまるく目を見開いてエティアスを見返し、無邪気な笑みを満面に浮かべた。 「心配してくれてる?」 「別に」 機械的に答えると、そのまま背を向けて廊下へ上がり、奥へ向かう。 角を曲がる頃には、今ほど出会った華やかな美女のことも、意識の外へ消えていた。 一方。 無言でエティアスの背を見送った雪尾は、エティアスの去った廊下の角を眺めながらぼんやり考えていた。 誰かに似ている気がするんだけど、ひとりはわかるんだけど、もうひとり、さて誰だったかな、などと巡らせている雪尾に、 「浜名くん!」 対岸の廊下から声がかかる。 振り向くと、アイボリーの三つ揃えスーツをびしりと着こなした男が、片手を上げながらこちらへ歩いてきた。 「局長」 やや神経質を思わせる細面に、取ってつけたような笑顔を浮かべた、ファンタリオンB−Tセンターの局長、タカエ=ヴァミル。アルス人で42歳だと聞いたが、平均寿命が100歳ほどのアルス人としては年齢につりあう外見だ。 「やあ、今日はまた麗しい姿だな。完璧だ」 「ありがとうございます」 雪尾の姿なりを上から下まで眺め、タカエは上機嫌で肯いた。応えて雪尾も、目を伏せ気味にうすく笑む。 「ここの雰囲気はだいぶ掴めたかい?」 「ええ、まあ」 さわりのない返答を笑顔に混ぜて呟きながら、ふと気づいたことを訊ねる。 「…行処や情処には、若い男性がずいぶん多いんですね」 「平均年齢は20歳前かな。珍しいかね? まあしかし、適正能力のある者を集めたらそうなった、というだけのことだよ」 「局長がじきじきに?」 「そういう者が多いかな」 得意な様子で説明する局長とは逆に、雪尾は顎に手を当て、視線を横へ流す。 「適性ねぇ」 呟いた声の響きに気づいて、局長が、 「何か?」 「いえ、別に」 にっこり、有無を言わせない美貌で完璧な笑顔を演出し、雪尾はタカエの追及をかわす。 かわされた局長はひとつ咳払いをし、 「…それはそうと、浜――雪尾くん」 下品ではないが馴れ馴れしさを表に出した急接近に、雪尾は気づかない振りをしてまじめに返事する。 「はい」 実際タカエは一歩近づき、 「まだこのあたりも不案内だろう? 街案内も兼ねて、ちょっといいレストランがあるんだが、もし都合が良ければどうかな、今晩でも」 「まあ」 雪尾はタカエの、やや微妙さの残る親切に、あるだろうと思われる下心を無視して目をまるくし、次いで花のように微笑んで首を傾げた。 「それはどうも、お気遣いいただいて…」 言いながらタカエの気づかない角度で、右腕の通信機のボタンを突いた。 ごく小さい音でアラームが鳴る。 「あら」 雪尾は右手首を持ち上げ、呼び出し音を止めると、 「すみません、ちょっと行かなくては。では失礼しますね」 あでやかに笑むと、タカエにものを言う隙を与えず背を向け、廊下へ上がる。 中庭にぽつんとタカエを残し、自分で自分を呼び出した雪尾は、午後の仕事に戻るべく、鼻歌を歌いながら情報処理課室を目指した。