出会いの話。




 ステーションのド真ん前、ツインタワーでそびえるメタリックブルーのビルは、アリステリアス=ホテルという。名の知れている企業がチェーン展開しているシティホテルだ。ランクとしては『中』と『上』の間、やや『中』寄りか。
 日のあるうちはとても平和なレグルスE大陸も、宵闇とともに陰に潜んでいた犯罪者達が街へ滲み出てくる。警備員の数こそ少ないものの、防弾ガラスや耐熱壁、監視カメラのシステムに非常口の数、廊下の広さなど、その凶刃から宿泊者を守るにはそれなりに問題のない設備を持っていた。


 地上32階地下6階、総室数800を超えるそのアリステリアスのWタワー12階。明るいグレーの廊下を、スキップに近い軽い足取りで進んでゆく黒のパンプス。かっつんかっつん弾む音を立てているのは、小さく鼻歌をうたっている地球人系超絶美女だった。
 甘苦いセピア色の髪はショートでゆるく流してあり、同じ色の瞳はやや吊り上がり気味。通った鼻筋、綺麗にチェリーピンクを掃いてある薄い唇。顔立ちから察するややアジア系地球人の女性にしては上背があるが、それを意識させないような流れるような身のこなしだ。
極薄紫のマオカラーブラウスに黒の膝上タイトスカートを履いている。耳に涙の形の小粒なアメジストのイヤリングを揺らしていて、茶・紫・黒の色使いなのに、印象は美しいロシアンブルーの猫である。纏う空気は自立した大人の女性の印象だが、薄い化粧を施してあるその美貌や若々しい体つきから、20歳過ぎ25歳前、といったところだろうか。
 よく見ると手も女性にしては大きめだが、それも感じさせない節のなめらかな指(パールの入ったパープルのマニキュア付)で、ひとつの扉をコココココン!と軽快にノックする。
室内からの返事を待たずにドアプレートの上にある数字ボタンに指を滑らせ、ロックを解除して分厚い扉を軽々引き開けた。
「きょーうv
 扉がオートロックで閉まるのに任せてグレーの絨毯の上を歩き出しながら、よく通るやや低めの声で呼びかけると、据え付けのテーブルについてノートパソコンのパネルをつついていた男がチラリと目線で応えた。
 椅子に腰掛けているので定かではないが、体格は女性よりややしっかりした印象、身長も少し勝っているくらいかと思われる。年齢もほぼ同じくらいで、まだ成長期、の印象が深い。
日焼けした肌に髪は黒、後ろの短さに比べて前髪が長く、緑の瞳にかぶり気味だ。濃紺のシャツを羽織り、ブラックジーンズを履いている。笑う口元から白い歯が覗くような爽やかな二枚目だが、20歳過ぎにしか見えないところがまだ青さを感じさせた。
 「てめえ、俺にばっかり書類作らせときながらどこ行ってた」
「知りたい? 私の行動を逐一知りたい?それって独占欲??」
「いい。おまえにそんな風に思われるくらいなら、もう全然聞かせてくれなくて結構です」
 思いっきり首を横にそらした男に、女性は腕を組んで仁王立ちに構えた。
「どうしてそこで引くかなぁ」
「引くだろ普通」
「だからどうしてよ」
「理由なんかとても一言で言えないね」
「じゃあレポートにして提出して。2枚以上3枚以内、手書きで。クセは殺してね、ちゃんと。京の字、結構右上がりよね」
「そうだレポート」
 女性に背中を向けて再びパソコンを睨み始めた男は、ぐるりと腰をひねって、前髪の隙間から女性を睨みつけた。
「おまえもやれっつの。俺はもうたくさんなんだよホテルにカンヅメなんざ。早くここから出たいんだよ」
「心配しなくったって、自分の分はちゃんと上げるわよ」
「そこだ、そこ。俺はデスクワークが超苦手、おまえは大得意。なのにどうして分担は俺のが多いんだ」
「そりゃあ仕事の混んでないこの時期に、京の書類ギライを直してあげようという、ていうか処理速度アップの練習をしたらいいんじゃないかという…」
「局長の指示かっ?」
 勢い込んで身を乗り出す男に、女性は胸を押さえて、
「いえ、私の思いやり」
「貴様ぁッ」
 男は椅子を倒す勢いで立ち上がり、怒鳴った。


 部屋を訪ねた女性は、浜名雪尾。
 押しかけられた男は、麻直 京という。
仕事上で元・相棒、現・チームメイトのふたりは、レグルスEセンター勤務の行動処理課員。犯罪者を狩る職に就く者である。


 「それでねそれでね」
 雪尾の存在を無視しようと猫背になってパソコンに向かう京に、かまわず椅子の背の上へ手をかけて揺さぶる雪尾。
京は揺さぶられても意地でキータッチを続けるので、パソコンの画面には意味不明の記号の羅列が続いた。
「てめえ邪魔すんなら自分の部屋へ帰れっ」
 振り払うように肘を打ち込む京をパシンと手のひらで押さえ制して、
「下にフェイが来てるのよ実は」
 今度は京の肘を掴んだまま逃がさぬようにギッチリ握り、にこにこ笑顔で言う。
「フェイ? こっちに? 何でまた」
 出された名前に京は反応し、肘を取り返そうと入れていた力を抜いた。雪尾も手を離し、にこにこ笑顔のまま続ける。
「観光旅行なんですって」
「……は?」
 フェイ、ことフェイグ=ステアはふたりの共通の友人である。年齢は少し下、ストレートの黒い髪を背まで伸ばして首の後ろで束ね、小柄な体に毒針をいっぱい生やした彼は、レグルスと兄弟星であるファンタリオンで同様の職に就いている。瞳は緑、ごくたまに青になるのは、実は彼の瞳は左右色違いで、気分と仕事内容によってどっちにどっちの色のカラーコンタクトを入れるかを使い分けたりするからだった。
「今さら何が観光?てゆーか休暇なの?」
 兄弟星の関係上、他の星に比べて行き来は頻繁だ。仕事柄、たいていの場所も行っている。仕事なので遊んでくる暇もないだろうが、観光目的にしなくとも、行き慣れてくれば遊びの対象から外れてくる。みんな余暇は仕事を忘れたいタイプだ。なかなか、そうはいかないけれど。
「そう、休暇でね。詳しい話は聞いてないんだけど…」
 雪尾はそこで口に手を当て、くふふと喉の奥で笑った。
「連れがいるのよ」
「真知と水穂だろ」
「違う違う」
 京の言う、フェイグのチームメイトを首を振って否定して、
「あ、真知も水穂もいるんだけど。他にね、5人」
 雪尾はパ、と手のひらを広げた。
「おまえも知らない奴なのか?」
 『歩くデータベース』などと異名をとる雪尾を上目で見て、一応京が伺ってみる。それがプライベートな友人であればもちろん関与するところでないのだが、涼しい顔をしてセンターの超機密から近所の野良猫が産んだ子猫の数まで、『何でも』知ってる、それが『浜名 雪尾』だ。(知り合った頃の京には理解できなかったし今も特に理解していないが、慣れた) そこに情報があれば知らないよりは知りたいと思う、人の常であろうし、職業柄の癖かもしれない。
 ところが雪尾は首を横に振った。
「見た感じ、地球人だと思うわ。年もそう変わらない。ね、ね、見に行かない?」
 浮き浮き弾んだ口調で言われて、「出刃亀かよ」と呆れて返す言葉を呑む。笑みに細められた雪尾の茶瞳に、不敵な輝きを見たからだ。
 まあとにかく、このデスクワークから逃れられるには違いない。
たとえ一時的なことだとしても。時間が詰まってあとで泣きを見るんだとしても。
 根についた刹那的感覚で、京も椅子から立ち上がった。



 吹き抜けになっている、広く広いエントランスホール。
 空間が通じている、2階のオープンロビーの手すり。子どもの転落防止を考慮してか、大人の胸あたりに縁がくる。柵は輝く金属板を斜めに配置していて、ほぼどの角度からも2階の足下が見えないつくりになっている。
 そこへ京と雪尾がヒョイと顔を覗かせ、エントランスを見下ろした。
 ゴージャスなガラスのシャンデリアがいくつも吊り下げられ、エントランスホールはオレンジのライト、アイボリーの床、鈍い金色の金属に統一されている。壁に張り巡らされている受付ロビーは焦げ茶の木製で、『落ち着いた華やかさ』のある印象だ。
老若男女、髪の色も白金から黒、茶、金、青に緑にショッキングピンク。肌の色も白から象牙、濃い茶に黒、青白に赤茶。連邦を組み交流のある『八惑星』は、住む人々は「ヒト型」から大きく外れない。中には猫の耳を持つ者、長い尾を持つ者もいるが、やはり少数だ。

 「いた」
 目敏く雪尾が友人を見つけ、京に目線で知らせる。
人の行き交うホールの隅、黒い長髪を首の後ろで束ねた、男にしては華奢な若者がフロントから引き返す。先には背の高い男、背の低い少女。
 淡いオレンジのワイシャツに黒っぽいネクタイを締め、スリムパンツ姿のフェイグが向かったのは、同僚の真知と水穂のもと。
何か事情を話している、それを聞いている背の高い男は淡い茶の髪、長くはない毛の先が黒で、サングラスをかけているのでここからは見えないが瞳は琥珀。Tシャツに焦げ茶のジャケットを羽織り、袖をまくって、同じような色のジーンズを履いている。
傍らに立つ背の低い少女は蜂蜜色のくるくるとした髪を肩へ垂らし、ふんわりと軽そうな、でも布の量を考えると軽くはないと思われる、レースとフリルがたっぷりのゴスロリチックなドレスを着ていた。つま先の丸く、踵の太くて高い編み上げブーツを履いているが、それでも隣の真知とはかなりの身長差がある。子どもっぽく見え、本人それを演出しているが、水穂とフェイグは同い年である。
 何かしら話を聞いていた2人が、フェイグとともに振り向く先に、4人の姿があった。
 「あの人達ね」
 首を伸ばして見入る、京と雪尾。
同じ地球人であることは推測がたやすい。しかし、個々から受ける印象は全然違っていた。
 真知ほど背の高い青年が1人。スマートさが売りの京と同じような身長で、京よりもがっしりした印象の若者が1人。その若者よりもひとまわり小柄な若者が1人。ジュニアハイくらいの少年が1人。

 背の高い青年は淡い水色のワイシャツにネクタイ、スリムパンツで、同じような格好のフェイグはラフに見えるのに対し、青年はきちんとして見える。背広を羽織っていなくとも自立した社会人という風情だ。

「あの人が責任者かな」
「好青年て感じ」
「今時珍しいね。私たちの周りにはいないタイプ」
「クセがなさそうな」
「それはどうだか」
「まぁな」
「うちのリーダーとも違うかしらね?」
「んー。どうかな。YESかNOかってんなら、似てる方に入るんじゃ?」
「リーダーの資質的に?」
「そう」
「なるほど? うーん…ハンサムねぇ…」
「そこかよ」
「ハンサムだけど、やっぱり『今時珍しい好青年タイプ』てのがおいしいかな」
「おいしいのかよ」
「食べるなんて言ってないわ♪」
「食べたいってことだろ」
「ふふふ♪ ま、ちょっと様子見」
「様子見?」

 弾丸を思わせる若者は、クセがあるのか短い黒髪をツンツンと跳ねさせ、Tシャツにジーンズ、腰に黒のデニムシャツを巻いてぶら下げている。目つきが鋭く、あまり笑わないように見えたが、自分よりもかさの低い2人をからかうように歯を見せる時は楽しげで、

「喜怒哀楽のある皮肉屋、ってか少し人慣れした一匹狼、て感じ?」
「なんだそりゃ」
「考えるけど体を動かすことを優先する、フットボールというよりはラグビー、ひねりのきいた言葉でかわすタイプ、まだちょっと青いかな、ひねてて皮肉屋だけど真っ直ぐなとこもあり、いや違うか、真っ直ぐというより頑なな、て感じかな。でもひねてるとこも十分クセが強くて、そこが年上のお姉様にはウケそうな、本人は独りが苦痛じゃないのに周りの女性がほっとかないっていうか」
「…年上のお姉様って、おまえのこと…?」
「んふ。…でも、おもしろそう。ちょっと遊んでみたい。相当カラダ、作ってそうじゃない」
「…そうだな」
「リーダーの彼もね」
「そこが『様子見』の理由か?」

 藍のシャツを羽織り、ジーンズにスニーカー。黒く真っ直ぐな髪は短く、ダークアイが強い光を宿している。自分をダシにして遊ぼうとする、頭半分大きな彼に食ってかかったり、歯を剥いてみたり、腕を組んで上目に余裕で言い返してみたり。くるくると表情の変わる、フェイグと同じ年ほどの少年。

「…可愛いなぁ…あの子…」
「どの子よ。一番小さい子か? おまえショタ趣味もあったのか」
「ショタもあるけど。今言ってるのは、下から2番目の子」
「ふぅん?」
「すごい、真っ直ぐ。ああ、こっちが真っ直ぐだわね、さっきの彼じゃなくて。…負けない子だわね。あの子だけカラーが違うわねぇ」
「…だな。何て言うか…」
「うーん。カラーが違うとしか…他に比べて、まだって言うか、未完成って言うか…」
「だなぁ」
「化けるかしら」
「どうだかな」
「それにしても可愛いわ」
「カラーが違うトコがか」
「…目が悪いわねぇ。前髪上げたら?」
「あぁ?」
「フェミニストの看板下ろしなさいよ」
「あぁあ?」
「やれやれ」

 4人目は、薄手の淡い黄色のトレーナーに、細い藍のストライプのオーバーオール、スニーカーといういでたちの少年。短い赤茶の髪をクセにはねさせて、同じ色の瞳は吊り、ちょこまかと動いては仲間のだれかれに何か短く言っている。どうやら相手を軽くへこますような毒舌の持ち主らしく、利発そうだ。3人はアジア系の特色が強いが、少年は白人系であるらしい。肌が白く、年頃からいってそばかすなんかもありそうな。

「いいわねぇ。うちの末娘とちょっと似た感じかしら」
「こっちの方が素直そうだぜ」
「いやいや、うちの娘だって本当は素直なんだってば」
「おまえが意地悪するのが悪いんだろ」
「表情もくるくる変わるのが可愛いわね。男の子に可愛いって言うのは失礼かしら」
「おまえ、下から2番目の奴に『可愛い』連発したじゃねーか」
「だから目が悪いって言うのに」
「はぁ?」
「でもいっか。今はまだ可愛い感じだものね? 数年後には化けそうね」
「ツバつけたいとか言うわけ? ショタめ」
「いやどうせなら今食べでがあるほうが…でも可愛い子は好きだけど。ぐりぐりしたいわよねぇ」
「おまえの言ってることは時々本当にわかんねえ」


 やれやれ、と首を横に振った京が、気づいて改めてロビーを見下ろした。
「5人て言ってなかったか? ひとり足りないな」
「あ、あの人じゃない?」
 雪尾がエントランス側から4人とフェイグたちの方へ歩いてくる人物を目敏く見つけて、ちょいと指さした。

 合流し、水色のシャツの背の高い青年とフェイグと交互に話しかけている青年は、ゆるくウェーブさせた茶の強い金髪を短めにまとめて流し、瞳も金茶。アジア系と白人系の中間を思わせる、両方の美点を備えた超絶美形で、年も背格好も、リーダーらしき好青年と刃物のような若者の中間に位置しているようだ。薄手で黒のぴったりしたハイカラーのシャツに袖のない芥子色のジャケットを羽織って、細身の黒いパンツをはいている。スタイルもモデル顔負け、と言った感じ。

「…うっわ。神様の作った芸術品みたい…」
「…うっわ。おまえに張り合う美形、生まれて初めて見た」
「私とはカラーが違うわねぇ」
「どっちが善し悪しとかいう話?」
「タイプが違うって話よ。それにしても綺麗だわ。いいわ。まいったわ。あんなに綺麗で、すましてないとことかもポイント高い」
「だなー。結構表情出てるよな。美形にもいろいろいるってことだな。惜しいなぁ、女ならお願いしたいとこだけど」
「趣旨替えのチャンスじゃない」
「どんなに綺麗でもついてる奴は駄目。萎える」
「いやぁ美味しそう。どうしよう。極上。最高級品。食べてみたい…!vvv
「じゃあ譲る。んで、お姉さんか妹か、親戚に似た女の子がいないかどうか聞いといて」


 手すりの上からこそこそと、赤らめた頬を押さえてみたり、頼み事をしてみたり。
馬鹿話を続けながら見下ろしていた2人の視線の先で、不意に。
金茶の髪の青年が顔を上げてこちらを見た。


――視線が合った。


 「うわ」
 目が合った瞬間に京は手すりの向こうに頭を引っ込め、呆然と突っ立ったままの雪尾に気づいて、
「何してんだおまえ。覗いてたのバレただろっ」
 立ち上がり、雪尾の頭を押さえて下へ押し込んだ。
ぺたりと床に座り込み、雪尾はまだどこも見ていない瞳を見開いている。
「…おい? どうかしたのか」
 さすがに不審に思った京が眉をひそめて覗き込み、肩を掴んで揺さぶる。
ゆらゆら揺さぶられた雪尾はゆらゆら揺れながら、ぎぎぎ、と音がしそうにゆっくりと、京を振り向いた。
「? 大丈夫か」
 そしてそのまま京にのしかかった。
「何だおまえ…うわ、ぎゃあぁあッ



 階下の美貌の青年は、ふたつの頭が引っ込んだ手すりを眺めたまま。
傍らに立つナイフのような若者が、自分は2階ロビーに背を向けながら、
「おい。何ガン見してんだよ」
 小声で、青年に声をかけた。
気づいて視線だけを返すと、反対側から赤毛の少年がオーバーオールのポケットに手を突っ込みながら、やはり体は青年に向けて、2階を意識しない素振りで。
「そうだよスティ。こっそり見てたんだから、気づかない振りしてあげるのがマナーってもんだろ」
 言われて青年、
「…ああ、そうだな」
 呟いたまま、また2階を眺めたまま。



 一方2階ロビー。
 雪尾は、
「…ああ、びっくりした」
 と呟いて、口元を拭いながら京の上から身を起こした。
「それは俺の科白だ!!」
 押し倒されて半裸に剥かれた京が、力一杯抗議する。
「正気か!? もう正気に戻ったか!?」
「やだな京くん。アタシ基本的にいつも100%以上正気だけど」
 立ち上がり、スカートの埃をパタパタ手で払い落として、腰に手を当て京を見下ろす。にっこり、華のように笑って。
「はぢめては公衆の面前じゃアレかと思って、やめてあげたじゃない?」
「その前にまず公衆の面前でやるな。ていうかな、俺を標的にするな!!」
 まだ座り込んだまま、京は歯を剥いてシャツを掻き合わせる。
「イ・ヤv 楽しいからv
 くるぅりとパンプスの爪先で回転してみせる雪尾を、京はしばらくの間眺めて。
ナンパ成功率90%以上の浮き名を流す男として、甘い科白を吐いてみた。
「なぁ雪尾。おまえ、一目惚れって信じる?」
 雪尾は目を見開いて、場違いな質問をしてくる同僚を眺めた。
――ああ。さっきのアレを言ってるのか。
 思い当たって雪尾は笑む。瞳を細め、唇の端をかすかに吊り上げて。人を惹きつけたとたんに拒絶するような。棘を隠す薔薇のような。
「京は信じるの? ロマンチストねぇ」
 京が何かを言い返す前に、雪尾の携帯が鳴る。
「あ、来た来た。…もしもし、フェイ? うんわかった、2分で行くわ」
 用件だけを簡潔に済ませて会話を切り上げると、雪尾は京に向かってニコリと笑む。
「京の部屋、ツインじゃない?」
「それが?」
「ホテルが満室でね。今夜1晩、誰かにベッドを貸して欲しいんですって」
「誰かって誰だよ」
「あの5人+フェイたち3人のうちの、誰かよ。もちろん私の借りてるツインをそっちに回して、私が京の隣のベッドに寝」
「おまえだけは御免だ!お・ま・え・だ・け・は!!
 噛みつく京に唇を尖らせて、
「つまんないの」
「毎度毎度言うけどな!!どうして俺がおまえの楽しみの犠牲になってやんなきゃいけないんだ!!」
「そんな血管浮かせなくたって。いくら数日、私と離れるのが寂しいからって」
「は?」
「私、このままフェイたちのツアーに参加するのよ♪ キャップに話つけたもんね♪」
「…レポートは」
 きゃいきゃいはしゃぐ雪尾に、答えを知りつつ尋ねると。
予想通りに雪尾は腕を組んで、フフンと京を見下ろした。
「誰かさんとはお脳の作りが違うのよ。とっくに終わってるに決まってるじゃないの」
 本当に、小面憎い奴。京は口に出さずに奥歯で噛みしめる。口に出したら十倍返しされるから。
 しかしこの時京はまだ知らなかった。実は京も、彼の知らないところで、このツアーに参加させられることになっていると。雪尾はチームリーダーへ休暇申請を、京の分まで出したのだと。



 1階エントランスホールの隅。
 フェイグの紹介で、雪尾と京は真知と水穂にはひらひら手を振り、5人の初顔の来訪者には笑顔を向けた。
「初めまして。今日からツアーに参加させて頂く、浜名雪尾です」
「麻直 京です。よろしく」