GO☆FIGHT☆WIN




  丸テーブルの上に、灰皿が3つ置かれている。
どれもこれも満杯に、吸い殻を詰め込まれて。


 ディレッガー=トルクはくわえた煙草のフィルターを噛みちぎり、満杯な灰皿の上へ吐き出した。奇跡的に灰の山は崩れずに、それを頂上へ受け止める。
 椅子を大きく引き浅く腰掛けて、つぶれ気味に丸テーブルに肘をついている。左の手のひらに頬を乗せ、斜めに傾いた姿勢で、フィルターのなくなった紙巻き煙草にライターで火をつけた。普段はマッチを使うディレッガーとしては珍しいことだ。
 珍しいといえば、内勤なのに体にぴったりフィットした黒のハイネック&半袖を着ていて、下も同じような細身の黒のパンツをはいている。髪はくしゃくしゃで、たまに自分でがしがし掻き回すのでよけいに乱れる。
 年の割に落ち着いていて、仲間うちから『親父』と呼ばれていても、実際ディレッガーは世間的には若造の部類で、上層部からも出世の早い若輩者として見られている。もともと"B.L."はテストケースとして組まれた特異なチームなので、変革を嫌う役人からは好ましく思われていないところもある。不当ないちゃもんを避けるため、いつ本庁に呼び出されて誰に会っても無難なように、ディレッガーは内勤の日はたいていネクタイを締めているか、行動処理課の制服を着ている。(たいていそうしてはいるが、元来めんどくさいことや窮屈なことが好きでなく、結局タイもきちんと結ばずぶらさげて、袖も折り上げまくったりしているのだが。)
 そういう気遣いももはやどうでも良いかのように、彼の周囲の空気が目に見えて荒れていた。確かにそうして全身を薄手の黒で固め、髪を崩している様は、彼を実年齢以下に見せている。
 思い切り煙を吸って吐いたディレッガーは、この司令室にいる自分以外のもうひとりを横目で見た。
「…なあ雪尾」
「やだね」
 間髪入れずにすぱっと拒絶の言葉で空気を遮断したのは、同僚である浜名雪尾。本日は♂。生成のゆったりした長袖、パンツにモスグリーンが基調の上掛けを羽織り、腰帯で結っている。なんとなく中華風、もしくは民族衣装風。
 部屋の隅っこにこっそり設置されている古いパソコンになにやら打ち込んでいる。パネルではなくキーボードだが、さすが得意(専門)分野、タイプミスなしの超速だ。
「…なあ」
「イ・ヤ・だ」
「1回でいいから」
「お断り」
 折れてやる気なし100%以上の雪尾の冷めた態度に、ディレッガーは不機嫌に眉間の皺を深くする。
「いーじゃねーか。減るもんじゃなし」
 無理を言われているらしい雪尾も、パソコンのモニターを見つめたまま眉をひそめた。
「減るだろーが。体力も体液も気力もなにもかも」
「いーじゃねーか。少しくらい減ったって」
「キャップ相手に少しで済むかっての」
「たまってんだよ」
 並ではない肺活量のためにたった2口でもう吸い終わってしまった煙草を、ディレッガーは握りつぶした。手のひらが焦げたが気にする風もなく、吸い殻の残骸の上へ放る。それも絶妙なバランスの上に頂に積み上がったが、支えきれなかった灰が散ってテーブルにこぼれた。
「僕に言うなよ」
 きわめてイヤそーに、あくまでモニターを睨みながら雪尾が返す。
 振り向いて目を見たら終わりだ。と良く当たる勘が告げている。だから振り向かない。
「相手してくれるコとか相手してくれる野郎とかたくさん他にいるだろ」
「たまってる時に女に手なんか出せるか。身近じゃおまえがいちばんいいんだって」
「いやもー全然嬉しくないから」
 げんなりと肩を落として、半目でモニターを見る雪尾。もはや仕事は手につかない。
「なー。スティーブにバレなきゃいーんだろー? うまくやるから」
 ますます椅子を引き、ますますテーブルにつぶれて、ディレッガーは戦法を変えた。
滅多に聞くことのない甘え口調だ。確かに現在、精神年齢が下がっている。
 スネた時の京のような口振りでリーダーに話しかけられ、しかも雪尾にとって唯一絶対の名を出されて、雪尾は反射的に体をひねりかけた。かろうじてこらえ、耐えるように低い姿勢で無理やりパソコンに身を乗り出す。
「信用できないね。だいたい何だその言い方。スティはそーゆーの気にしない人なんだよ。でも僕が嫌なの」
「青だって気にしないぜ」
 してくれないとゆーか、と口の中で呟きながら、ディレッガーは煙草の箱を手に取って眺める。もう1本吸うかどうかを考えているようだった。
「それはそっちの問題。僕にふるな」
 気を取り直して改めて姿勢を正し、キーボードに指を走らせる雪尾。モニターに反射して、ディレッガーが煙草の箱を弄んでいるのが知れる。
 本人も、そして雪尾も気づいている。何十箱カラにしようと満たされないものに、ディレッガーは餓えている。彼はそれを雪尾に求め、雪尾は拒んでいるのだ。
 ディレッガーの内の餓えを他人事として思いやりつつも、雪尾は受け入れるつもりもなく切り捨てる。
「いやしかしちょっと考えるよ。青が見てないと思ってこーゆーふーに豹変する男ってどーなん。チクるし引き裂くよそして匡に渡す」
 ピクリとディレッガーのこめかみが動いた。メンバーで群を抜いて懐の広く深いディレッガーも、今はメンバーで群を抜いてせまく浅くなっている。同居人かつ実は想いの相手である女性と決して切れない絆を持っている、らしい男の名前を出され、おもしろくないとストレートに顔に出た。
 気配の変わったディレッガーの様子を背中で感じつつ、他人事なんだけどさ、と雪尾は心の中で息をついた。
 元来その手の機微にうとそうな青が、ディレッガーの気持ちに気づけるはずがないだろう。彼は彼女の前で保護者としてあり、『雄』を意識させるような言動をしないように振る舞っている。この姿を見たら少しは流れが変わるのではないか。狩りをする獣のようにつくられた体をハッキリ示す黒の上下に、乱れた髪。瞳の中の餓え。それは彼を年齢同等、そして以下に見せると同時に、いつもはあまり感じさせることのない彼の『雄』を見せつける。
―― ホント、いい男だと思うんだけどね…。
 思考の中ですら語尾があいまいになってしまうのは、どんなにいい男でも自分とはそういう意味では関わりのない位置にいる人間だからだろう。雪尾の想いの先はもう決まってしまっていて、恐らくそれはもう一生揺るがない。
 だからあくまで他人事として、いい男がこんなところで熱をもてあまして斜めにつぶれてブツブツ言ってるのが我慢できない。
「あーもーホントに」
 なので雪尾は大声で言った。再び仕事に集中するよう、意識をモニターに反射するディレッガーから切り離して。
「いーから外で売るなり買うなりしてこいっての。売るのはむずかしーかもしれんが買うのは簡単だろ。僕のことはほっといて。仕事さして。僕はもうやめたの仲間うちではしないのドライに割り切れないから」
 そりゃ昔はいろいろやったけどさ、オトナになってそーゆーのはどうかと分別つくようになったんでね、と、仕事に戻るつもりなはずが肩をすくめてやれやれと首を振って喋っている。
 調子こいて喋ったので気づくのが遅れた。ディレッガーが雪尾の背後に立っていた。
「だからさ」
 は? と雪尾が肩をすくめたまま目線だけで見上げると。
「…おまえがいいんだって」
 ディレッガーはそのまま両腕を回し、後ろからふんわりと、雪尾を抱きしめた。
 なんでかすでに、想い人以外を受けつけない体になってしまっている雪尾は、服の上まで鳥肌を立てる。
「やーめーろーこの親父っチカンッ放せッ」
「いーから脱げっ」
 雪尾の抵抗を無視して、ディレッガーは前に回した手で雪尾の腰帯を解きにかかる。本気を悟って雪尾も身をよじって向き合い、剥ぎ取られそうな上衣を庇いながら振り払おうと腕に手をかけた。能力は双方超トップクラスのAAといえど体格と技の差で、速さや軽さ、鋭さを得意とする雪尾は重さやパワーでディレッガーに負ける。
 パソコンデスクに尻を押しつけられ、足を割られて蹴りを防がれ、旗色が悪くなった。
「ちょっ、とっ、キャップ! 正気にかえれってっ」
 掴みかかった手を取られて怒鳴る雪尾を、ディレッガーが見下ろす。
 目があって、雪尾は一瞬動きをとめた。
 瞳に映る、その熱と衝動。狂気とさえ呼べるほどの ―― 凶暴じみた欲。
 雪尾が何か言おうと口を開いたところで、ふいに扉がスライドした。
 互いを掴み合ったまま、雪尾とディレッガーは入り口を振り向く。
 扉口に立っているのはケイティで、目をまるくしてこちらを見ていた。


 沈黙。


 ケイティはこちらを見たまま、そそそ…と後ずさりし、
「お邪魔しましたァ…」
 口を押さえてそう呟くと、そっと退室した。
「………」
「………」
 何事もなかったかのように閉まってしまった扉を、止まったままふたりは見つめる。
すぐにディレッガーは己の望みを思い出し、雪尾の服をはぐ作業を続行した。一拍遅れた雪尾は腰帯を取られ、さらに上衣をむしられようとして、
ぎゃあっちょっとキャップっわかってんの!? 見られたよケイにっまた妙な噂流れるっ」
「流させとけ」
「だからヒトをはけ口にすんなってっ、外行って発散させてこいよっ」
「おまえがいーんだよこんくらいたまってる時ぁ。おまえならやりすぎても死なねえし」
「僕ひとりにぶつけないで少量ずつ多人数を相手すりゃいーだろっ」
「あーうるせーなーもー」
 ディレッガーはついに雪尾の上衣を引きはがして脱がせた。
「ごちゃごちゃ言ってねーで早く着替えろっ」




 『大部屋』と呼ばれるバカ広いトレーニングルームは、廃材置き場のようなセッティングがされている。迷路のようにコンテナや木材、パイプやブロックなどが積み重ねられ、細い通路から多少広い場までが設定されていて、床もわざわざ土や砂利を敷いていた。
 数十回、拳を打つ音が響く。
 ディレッガーの繰り出す重いパンチをすべて防いだ雪尾は、角材置き場まで追いつめられると手だけ後ろへ伸ばして角材を1本掴んだ。
振りかぶって、ディレッガーの正面へ打ち込む。
よけずに腕をかざして防ぐと、ヒットした角材は折れて先が飛んだ。
ディレッガーは雪尾の持つ角材を掴んで引き寄せる。引きざま蹴りを見舞うと、先を読んだ雪尾は素早く角材を捨て、身を翻して蹴りをかわした。




 大部屋前のロビーでは、ソファーに足を組んでふんぞり返っているケイティが、ちるるーとストローの音を立ててパックジュースを飲んでいた。
 そこへ通りすがったマフィが、ケイティを見、大部屋の扉に示されている『使用中』のプレートを眺めて、
「あれ? 今、大部屋使ってるのって」
「ディーと雪尾さん」
 ストローから唇を離し、けろりとケイティは答えた。
 マフィは目をむいて扉とケイティを交互に見つめる。
「マジ!? よくOKしたね雪尾が。あんだけ仲間うちで手合わせするの嫌がってたのに」
 またもケイティ、けろりと、
「ディーが拉致したらしいわよ」
「…あー」
 マフィは半目で眉を寄せ、ぐしゃりと前髪をかき上げた。その表情には同情の色が浮かんでいるが、どちらに向けられたものか。
「ずっと内勤だったもんねぇディレ。たまってたんだねいろいろ」
「ためすぎると人格あやしくなるもんねぇ」
 飲み終えたパックを握りつぶし、ゴミ箱へ放りながらケイティが答える。ジュースのパックはゴミ箱のど真ん中へすとんと落ちた。
 拉致られたのが自分でなくてよかったと、雪尾の不幸で己の幸福を実感しながらマフィが肩をそびやかす。
「でもまだ雪尾をターゲットに選ぶあたり、理性が残ってんじゃん?」
「まーね。でも逆に言や、あーまでたまるともう雪尾さんしか相手できないっていうか」
「んー。そっか。うっかりこづくと死にそうだもんね普通の人は」
 不幸な雪尾を異常と決めつけ、自分はちゃっかり『普通』領域におさまりながらマフィが重々しく肯くと、





ギイィー…

と軋んだ音を立てて、観音開きの扉が開いた。
 ケイティとマフィは振り返る。
 5cmほど開いた扉の隙間、その向こうにディレッガーが立っていた。
こちらから見える5cmの幅の中で、左目と唇の端が薄笑いに歪んでいた。
 廊下側の、理性のふたりは戦慄する。
 ふたりを脅かしたことに満足したか、(もしくはふたりの様子など気にもとめなかったか、)ばーんと勢いよく扉を開け放ち、満足げに満面笑顔のディレッガーが軽い足取りでこちらへ来る。軽い足取りだが片足を引きずっている。
「あー楽しかった
 明らかにハイなチームリーダーは傷だらけだ。打たれた跡殴られた跡蹴られた跡、擦り傷切り傷かき傷に、血のにじんでいる箇所も多い。着込んだ行動処理課の制服も、あちこち煤けて汚れている。ある程度の衝撃や凶器を防ぐ、特殊な素材を含むジャケットだが、袖をまくっている腕は防ぎようもなく、左腕の肘近い位置からはだらだら血が流れていた。
 腕を上げ気味に形だけは止血を試みながら、ディレッガーはニコニコふたりに笑いかけ、足を引きずりながらそのまま前を横切り廊下を奥へ進んだ。
「…雪尾は?」
「中で半分くらい死んでる〜」
 おそるおそる訊ねるマフィに、鼻歌交じりにそう答えると、ディレッガーは行ってしまった。点々と血の跡を廊下へ残しながら。
 マフィとケイティは、首だけ伸ばして大部屋の中をこっそり覗く。
部屋の真ん中やや入り口側に、雪尾はうつぶせに倒れていた。
 動かなかった。