単行本(A5判300ページ)を福島市の平和活動をしている人たちが、このほど発行しました。2016年1月14日の朝日新聞福島版の記事にもなっています
電話がひっきりなしとか…。

私たち編集者・デザイナーも暮れぎりぎりまでがんばった本だけに、また今日の世情だけに、多くの人に読んでほしいですね。文章も挿し絵も、3年半前に91歳で亡くなった著者の作品で、まさに遺作です。本体価格は1800円です。
ただ、一般の書店に並ばないのが残念です。

問い合わせ:菅野家弘さん(090・8254・1435)
はじめに

 著者の菅野孝明さんは原著の「モノローグ」で次のように書いています。

 よく小説の題名や映画・テレビ等で『我(吾)が青春に悔なし』と立派な表題がありますが、
小生はそんな立派な青春を送れなかったので「悔あり」と致しました。
では、何が「悔あり」なのかと反省してみると、これが実に単純な他愛の無い事なのであります。
一、もっと若い内に真面目に勉強すれば良かった。
二、もっと若い内に歴史や文学書を沢山読んで置けば良かった。
三、もっと若い内に好きなスポーツ(スキー・アイススケート)を楽しみたかった。
四、もっと若い内に絵や漫画・写真技術を学んで置けば良かった(上野の美術学校に入校したかったが、
  親父が「商人の跡取りがとんでもない」と許して貰えなかった)。
 再び還らぬ短い大事な青春時代を、徴用令で静岡県沼津市の旧海軍技術音響廠へ入所、
約二年半勤務中、召集令状で朝鮮・京城市(現在のソウル)の水色工兵第廿八部隊へ入隊。
約一年後、転属命令で東京都・赤羽工兵東部第十五部隊に敗戦後まで束縛され、青春時代を
無為に過ごさなければならなかった事を大いに悔みます。
 クラスメートや友人達も戦場の露と尊い命を散らしました。この愚かな第二次世界大戦で不幸にして
戦没された方々へ衷心より御冥福をお祈りしつつ、我が青春時代を振り返ってみようと思います。

 この本の元となる手書きの原稿を菅野孝明さんが二十人ほどの限られた身近な人々に配られたのは、
一九九四年のことでした。著者ご存命の折も出版をすすめたことがありましたが、かないませんでした。
 しかし、この数年、事態は急変してきました。孝明さんが嫌った戦争の足音が、聞こえてきたのです。
私たちは、今こそ戦争の、そして軍隊の非人間性、暴力性、非情と狂気を知らなければ、訴えなければ、
との思いを強くもちました。
 私たちは「平和のための戦争展」をつづけるなかで、いろいろな戦争体験を聞きました。南京攻略の
途次、戦死したある兵士は家族に宛てた最後の手紙で「戦場は戦死者の山で話にならない。
話に聞いたり、新聞で見るようなたやすい事ではない。もはや死んだほうがよいと思う日が多い」と
書き残しています。
 戦争を憎み、平和の実現を求め続けていくために、私たちはまず、強圧的な力、暴力によって
若い新兵たちを軍隊秩序に同化させ、戦争・戦場に向かわせる軍隊の何たるかを知らなければ
ならないでしょう。著者が身を置いた内務班は、理不尽そのものの軍隊を象徴する「生活の場」だった
だけに、そこでの記録は戦争と軍隊を、またその非人間的で過酷な環境で懸命に生きようとする
人間の心理や行動を知る貴重な歴史の証言であり、学術書にはみられない生の資料です。
 陰惨な新兵に対するいじめ(リンチ)の日常化、新兵と上官の食事(献立)の差別、日々の訓練や
脱走兵のこと、植民地・朝鮮の人々と社会の姿、また敗戦後の米兵との遭遇や復員の際の出来事、
さらには一条の光のような家族や愛する人、戦友のことなどが、几帳面な著者が当時ずっと書き
つづけていたノートの記録(文章と挿し絵)をもとに実に細かく、描き出されています。私たちは
戦時中の空気≠感じることができるでしょう。
 軍隊でも、その後も、懸命に生きつづけ、充実した九十一年の生涯を送った著者ですが、それでも
徴用と軍隊での五年に及ぶ生活を「吾が青春に悔いあり」と書き残さなければなりませんでした。
無念さがにじみ出る、こうした言葉が、二度と誰の口からも出ることのないよう、私たちは戦後七十年に
あたり、この本を刊行しました。平和を築くための知と人々のつながりを求めて――。

 本書をお読みいただく皆さまにお願いがあります。本文中には、今日では人権上から不適切と
考えられる身体や仕事についての、また他民族に対する表現(呼称・蔑称)が使われている個所が
あります。これらは、その当時の差別の状況と人権に対する日本社会と人々の認識といった歴史上の
事実(到達点や限界)が反映されたものであり、私たちは、これらを知っていただくことも本書発刊の
今日的な意味と考え、原文通り掲載することにいたしました。ご理解のほど、お願いいたします。
 なお、著者が原著を書きあげたのは一九九四年、七十三歳のときで、文中の登場人物の年齢は、
その時点のものです。
                    
編者・ふくしま平和のための戦争展実行委員会 
目次

はじめに

第一章 青春時代は戦争
 (1)憲兵と特高  11
 (2)徴兵検査  14
 (3)徴用で二転三転  15

第二章 軍隊生活(朝鮮・京城市)
 (1)入隊  22
    貨車の旅/朝鮮工兵隊第廿八部隊/第四班に所属
 (2)軍服官品支給  28
 (3)帯革ビンタの洗礼  34
 (4)手旗訓練  40
 (5)学科  42
    軍隊内務令/逃亡罪/敬礼/逓伝
 (6)不寝番  49
 (7)各個教練  51
 (8)消灯喇叭  55
 (9)酒保  56
 (10)爆破の実地訓練  60
 (11)兵のリンチ  61
    自転車/牛肉/九九式小銃殿/蝉/イビリ質問
 (12)ラブレターの巻  69
 (13)手榴弾投擲  71
 (14)学科(九五式エンジン)  73
 (15)「兵の希望」事件  76
 (16)瓦斯マスク訓練  87
 (17)漕舟訓練  91
 (18)下士官に志願  99
 (19)兵の神様・佛様  101
 (20)演芸大会の練習  107
 (21)?杖事件  110
 (22)演芸大会(軍旗祭)  117
 (23)下士官志望却下  125
 (24)第一期の検閲(ヘスモカヒソカイウ)  129
 (25)引率外出  133
 (26)赤痢患者発生 135

第三章 続・朝鮮の部隊で
 (1)その頃の日本(昭和十九年七月) 140
 (2)一等兵に進級 144
 (3)完全軍装演習 147
    行軍/匍匐が辛い/闇夜の行進/甜瓜/朝陽の中の体操/灼熱の行進/帰隊/
    各班巡りのイビリ
 (4)単独外出 162
    闇の飴売り/瓜を値切る
 (5)脱走兵の巻 168
    捜索開始/野営/日本人の果樹園で大休止/小学校を宿舎に/土砂降りの行進/トラックで帰隊
 (6)運動会 186
    競技/盗み食いした二人
 (7)朝鮮総督府軍司令官閣下 191
 (8)復讐 192
 (9)新しい戦友殿 196
    昭和二十年元旦
 (10)昭和二十年二月二十二日 200

第四章 国内(赤羽)に転属
 (1)赤羽工兵隊 206
 (2)三月十日 東京大空襲 208
    焼夷弾の力/米穀倉庫の警備/焼死体片付け/ドラム缶風呂
 (3)上等兵に進級 215
 (4)アメリカの伝単 217
 (5)特別甲種幹部候補生(初年兵)入隊 218
 (6)五月の空襲 220
 (7)珍客入来 223
 (8)ノモンハンの勇士 226
 (9)密漁 230

第五章 敗戦・米軍進駐・復員
 (1)ポツダム宣言の受諾 234
    我が軍健在なり?/物々交換/上級兵への暴行事件/デマゴギー(復員か捕虜か)/
    陸軍被服廠警備/頂いた水飴/居眠防止食
 (2)米軍来たる 255
    初めてのアメリカ兵/カワヤ≠ノ行きたい/米軍の新築兵舎/米兵と野球
 (3)復員 268
    いよいよ復員/上野駅の子ども達/パンパン/福島へ/巡査の検問 懐かしの我が家へ

菅野孝明さんのこと
   ――あとがきに代えて 282