船木鉄道バスです。
かつて宇部から出ていた汽車が有った。
日野ノンステ車
そのB
イベント列車は大変な賑わいを見せました。超満員なんて何十年振りなのでしょうか。
「おのだ元気大使」のお二人。マニアに囲まれ何を思うかな。小野田市は元気なの???
沿線住民の皆さんも大勢やってきて、42を見送ります。
運転士氏は鉄道省時代の制服でした。

今は電車に乗る事自体が子供たちには珍しい体験なのかも。
思えば初めて飯田線に乗った時は私もこんな感じだったはず。
「ありがとう」の気持ちを地元の皆さんが絵手紙にしたためました。
本当に駆け足訪問でしたが、私にとって「旧型国電」はこれで本当に思い出の中だけになってしまいました。
今の私がこうして鉄道の現場で働いているのも、あの時乗った飯田線のクモハ43の運転台の記憶が有るからこそです。

今でも残った僅かな車両は静態保存され、イベント時には姿を見る事が出来ます。
大宮工場のクモハ40、大井工場のクモハ12、大船工場のクモハ11などです。
クモヤ90は既に在籍は無く、飯田線の夢の跡、伊那松島にはクモヤ改造のクモハ12041が残っています。
そして佐久間レールパークには、「流電」と呼ばれたクモハ52が居ますが、近年、戦前の塗装に変えられてしまい、
私にとっても思い出の「スカ色の飯田線」は既に記憶の彼方へと消えていきました。
SLなどと異なり、電車の保存は熱心では無かった上に、維持が難しい事もあって、殆どが保存されていません。
交通科学館の80系が唯一の博物館入りした車両ではないでしょうか。
蛇足ながら、今回お世話になった「きらら交流館」での講演会にて、宇部電車区に転入してきた当時の42は暫くはスカ色のままだったとか。その後、検査の時にぶどう色2号に変更された訳です。
飯田線に別れた仲間はそのままスカ色で活躍し、その後全ての飯田線がスカ色化された、という訳です。

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