その二 臨海之景

葛西は、江戸時代頃までは東半分が陸地で、西半分は満潮時になると水没してしまう湿地帯で葦(あし)や茅(かや)が群生していました。

そこに半農半漁で暮らす人たちの集落ができ、新田の開発によって陸地がつくられました。

清新町や臨海町は新しい埋立地です。清新町には、今では巨大な高層住宅団地がいくつも建てられています。臨海町には、倉庫街の雑貨村やトラックターミナルがあります。

南の海辺には、江戸時代から昭和初期までは漁村でした。そのころの海辺では、アサリやハマグリ採りができ、浜では海苔を干す漁師の姿が見られました。一般の人々も、春には潮干狩り、夏には海水浴、秋にはハゼ釣りを楽しんでいました。“すだて”と呼ばれている魚獲りなど、四季を通じて水辺は豊かな恵みをもたらしていました。

明治以降,東京湾は近代化が進められ、昭和中期には、のどかな葛西の海も高潮の災害を防ぐために堤防がつくられました。その結果、水は汚れ、魚は減り、浜はさびれて、海の恵は遠ざけられてしまいました。

その結果、昭和40年代(1965〜74)になると自然環境の保護が叫ばれるようになり、埋め立てが見直され、自然が残されました。葛西臨海公園の海辺には、人工渚が作られて自然環境の再生が図られています。