その五 小松川之景

荒川の「スーパー堤防」が完成して、ゴーシャタワーなどの超高層住宅が立ち並び、新しい文化ゾーンとして生まれつつあります。

かつてこの地域は中川の下流に位置していて、小名木川に連なる重要な水路でした。

当時の旧小松川閘門がそのまま保存されていて、今でもその姿を見ることができます。

陸路は千葉街道筋に「逆井の渡し」があって、成田詣や八幡詣の人たちなど、房総方面に行き来する人たちでにぎわいました。

しかし、宿場ではなく亀戸大根小松菜を栽培する農耕地帯でした。

明治以降になると、小名木川の水運を利用した工業地帯として発達したため、農業をやめた人たちや、工場で働く人たちを相手にした商業に変わりました。

その後、工場の環境汚染が問題になり、工場が移動したり閉鎖されて、その跡地には、住宅団地や公園、運動施設ができました。

そうした環境の変化はありませんでしたが、昔から地元に伝えられてきた民俗芸能や生活文化は大切に継承されています。

富士講の人たちによる「山開き」夏越えの「形代流し」、祭礼の「天神」など、伝統的な民俗芸能行事や、比較的新しい芸能の「浦安の舞」も子供たちによって伝えられています。