その十 四つ木之景

大正期(1912〜26年)まで水田が中心の農村で、現在の渋江と奥戸街道沿いに集落があった程度の落ち着いた田園地帯でした。川沿いの特質である地盤の低さが宅地化を阻んできました。近代に入ると河川の整備が整い、水害の心配がなくなると、急速に各地から玩具・メッキ・染色などの町工場が進出してきて過密化が進みました。中川や綾瀬川の水利がこうした工場の立地条件に適していたからです。しかし大規模工場ではないので、無計画に狭い路地を挟んで建ってしまいました。その反対に、川岸から奥に入った地域は工場進出が遅れていたため、整然とした道路建設と区割りが進みました。近年、超高層住宅が建ちはじめ、人口が急増したため、住民同士のコミュニケーションの場づくりが大切な課題になっています。つい最近まで、野菜の栽培農家が残っていたこともあり、四季折々の行事や神社の祭礼も含め、農村文化の色彩が濃い伝統行事が受け継がれてきています。木根川薬師の植木市や上平井の天祖神社の例祭、上品寺の閻魔法要には地元の人々が集います。原稲荷の二の午の日には、子どもたちにお菓子が配られます。また、本奥戸橋の川施餓鬼の燈篭流しやハープ橋の夜景など、まちの生き生きとした光景を見ることができます。