その二十九 新河岸之景

巨大な高島平団地を中心にしたこの地域は、かつて高島田圃と呼ばれた広大な農地でした。この団地がたちはじめたのは昭和44年(1969)です。都営地下鉄三田線の開通とともに、一万一千戸の大団地ができました。団地のほぼ中央には赤塚公園があり、いろいろな運動施設が整っています。図書館、地区センター、デパート、スーパー、金融機関、郵便局、警察署、消防署、保健所など、あらゆる公共施設が整っています。生産的な工場は、新河岸の北側にわずかにあるだけで、下水処理場や清掃工場、トラックターミナルなどが一帯を占めています。首都高速5号線の南側は山の手になっていて、一般住宅がありますが、高台の麓には豊富な木々があって遊歩道公園になっています。赤塚に至る道は、郷土資料館や区立美術館、植物園があります。そして、東京大仏がある乗蓮寺や、徳川幕府の命令で大砲を鋳造した、高島秋帆由縁の古刹もあります。諏訪神社では、国の無形重要民俗文化財の「田遊び」があります。これは、年始にあたって、五穀豊穣と子孫繁栄を祈願するもので、春の耕作初めの儀式として、ほぼ完全な形で伝承されている、数少ない貴重な民俗行事です。また、「獅子舞」なども復活されて、今日に伝えられています。