以下、《華夏文摘》第344期刊( 1997年11月7日発行 #344 cm9711a)に掲載された馬 悲鳴(マー・ベイミン)氏の寄稿“チベットの自由 と中国の統一”に対する二つの異なった見地から寄せられた意見を紹介します。(同誌第347期刊11月28日発行分 #347 cm9711dに 掲載)                                                        
【もっと自己批判の精神を―チベット問題について】   風之子   チベット問題を論じる前に、まずはっきりさせておかなければならない基本的な事実がある。                一、チベットは歴史的に見て決して中国の領土の一部分ではない。清朝時代のチベットは、当時のベトナムや朝鮮同様中国の属国 であり、中華民国期においても似たような地位にあった。                                 二、欧州の国々はもちろんのこと、いかなる国家も自国の領土が小さくなるのを望みはしない。問題は領土保持のために手段を選 ばないということが許されるのかということである。この問題には国際規準、すなわち“民族自決の原則”というものがあるので ある。北アイルランド、ケベック等の問題に対して欧州各国が採っている基本的姿勢は、その地域の大多数の人々が決して独立す ることに賛成していないということに依っている。一方、絶対多数のチベット人たちは漢人の支配を受けることを望んでいないの である。                                                        馬悲鳴氏の文章で敬服すべき点は、まさに“自己批判の精神”である。この種の精神は我々中国人ひいてはアジア人に欠けてい るものなのである。我々が日本人による受け入れ難き侵略に憤っていた時、その我々中国人の中にチベットの侵略占領をすすんで 承認した人がどれほどいたか思ってみたことがあるだろうか? 対ベトナム自衛戦”とて実は侵略戦争ではなかったのか?チベッ ト人は我々とは全く異なる歴史と文化的背景をもっているのだ。我々は皆、共産党による支配に嫌気がさしている。ましてチベッ ト人民の苦しみがいかばかりか思いやるべきであろう。梁岸合(リャン・アンホー)氏は、共産党がチベット人民を農奴制から解放したこと に言及されておられるが、私は、共産党の統治が農奴制より勝っているかどうか疑わしいとは言わないまでも、たとえ共産党がチ ベットの政治を進歩させたにせよ、それを以ってチベットを占領している理由にはならないと思うのである。さもなくば、かつて の欧州植民地主義者たちの侵略も正当化されてしまうだろう。彼らは自分たちが占領した地域に最もすすんだ政治制度を持ち込ん だのであるから。梁氏のお考えによるなら、植民地の人々の独立運動も、これすべて愚かにも遅れた政治制度の復活を企むものと いうことになってしまう。                                               共産党の教育はかなりの程度において一種の害毒である。我々は多くのよこしまででたらめなものをそれが当然の理であるかの ごとく教え込まされたのである。民主的な、そして豊かな新中国を建設するには、まず、もう少し自己批判の精神が必要である。 特に感情的になり易い問題においては、自分の反応と態度が果たして正しいかどうかもう少しよく考えてみるべきである。さもな くば、たとえ共産党の支配を打ち倒したところで勝利は得られないだろう。というのも、我々の頭は依然として共産党によって教 え込まれた偏った考えに支配されているのだから。                                                   (北京より)           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~      【“チベットの自由と中国の統一”を読んで】                                                                          厳 浩                     今期の《華夏文摘》( cm9711a)に掲載された“チベット独立と中国の統一”から見たところ、馬氏はどうやらアメリカ人になっ てしまわれたようだ。チベットの自由も中国の統一もすべて対岸の火事で自分には関わりのないこと、いかに気の向くままに無駄 話をしようと、異なった観点をもつ中国人留学生を一叩きにする必要もないないだろう。たとえ個人の利害で外国籍に入ったにせ よ、母国の統一安定と繁栄富強を支持し守ろうと出てきたのだから。それをどうしておかしな驚くべき話だというか?アメリカの ユダヤ人たちは全力を傾けてイスラエルを支持しているのである。“中国の神聖なる領土と主権の完全なる統一”についていささ かも気に留めないという人に、《華夏文摘》上で他の中国人の感情を逆なでするどんな資格があるというか?その上、国内に残っ たチベット族同胞は皆亡国の徒であると暗示し、国家の領土を守り主権を完全掌握している中国政府は皆愚か者だとののしる。こ れこそ驚くべきことではないか。                                            馬氏は、亡命チベット人を故郷を逃れざるをえなかった東北の学生たちに喩えておられるが、その個人的観点も妥当ではない。 馬氏は、ダライたちが国に戻り各々得るところがあれば皆大喜びするという理由で中国がチベットを放棄することを望んでおられ るようだが、実は当時の東北人の脱出は、満州人の“精神的指導者”溥儀が祖先勃興の地で満州国を打ち立てようとしたというこ とではなかった。日本人勢力の助けを借りたとはいえ、漢人の移民に比べ “我が愛しの故郷に帰り、我が無尽蔵の宝を取り戻そ う”とするのは満州人たちにとってみれば “しごく当然”のことだったのである。河南人 楊靖宇(ヤン・ジンユィ)、四川人 趙一曼(ヂ ャオ・イーマン)は満州国へ抗日のために駆けつけ、ついにその命までも落としたのであった。まことに大“バカ者”である。近頃、海外 の民主化運動出版物にしばしば論説を発表しているモンゴル人の巴赫( バ・ホー)氏は、かつて“モンゴル新彊自治政府”の主管を務 めた徳王に対する従来の評価を覆そうとしている。どうやら満州人が溥儀の名誉回復をはかろうとする日もそう遠くはあるまい。 馬氏は、中国が今のチベットを放棄すれば何もかもうまく収まると考えておられるようだが、ダライが欲しているのは、北は河西 回廊、西は成都平原に臨む“大西藏”であることをご存知ないのだろうか。昨今は嘘をつかない出家僧侶でさえ天を指して誓うの だ。“大西藏”はこれまで独立国家であったと。ダライが今その助けを借りることのできる西欧勢力は大変なものだ。将来ダライ たちの反撃が成功したら、今世紀チベットで多発している漢族追放事件がもはや起らないと誰が保証しえようか?青海そして四川 西部の漢族、回族の同胞たちもおそらく居住地を失い流浪することだろう。                         馬氏は現在の中国国内の状況もよく把握しておられず、“かなりの入植漢人たちは皆、ある種の命令で、甘言にだまされて、脅 迫を受けてチベットに入ったのである。まさに文革当時の知識青年たちが下放されたのとおなじである。どこに生涯を甘んじて下 放生活に終わろうとする知識青年がいようか? ”と書いておられるが、実は、チベットに入った幹部技術者たちにはとっくに交替 制度が設けられ、高い福利とボーナスが約束され、年次休暇は数ヶ月、任期を好成績で全うした者にはさらに昇進のチャンスがあ り、それを望まない者には天下りのルートもあまた用意されているのである。誰にも辺境で暮らすよう強請されているわけではな いのだ!チベット入りした人々の多くは開発のために派遣された建設労働者たちであり、チベット援助プロジェクトが完了すれば すぐに帰されるのである。ここ数年、自らチベットに赴き経営や商工業に従事する一般人もかなりの勢いで増えている。北京であ れチベットであれ、彼らは金もうけのためとあらばどこへなりと行くのだ。そこにどんなだましや脅迫があるというのか? 彼ら は喜んでやっているのである。懐いっぱい稼いだなら自ずと家に帰るだろう。どこに哀れ“ゆえなく辺境の果てに流される”恨み などあろうか?                                                    ダライたちは国外亡命生活を送ること数十年、仏の慈悲とキリストの博愛の精神、そして“基本的人権”という角度からいえば 当然同情すべきことではある。しかし、彼らも中国政府も互いに自らの政治理念に固執して譲り合わない。ダライにとって時に利 あらず、今は欧米人たちの気を引き、当分の間は当時の白ロシアのように放っておかれることはありえないが、欧米人とて皆が菜 食斎戒者というわけではない。肝心な時にどうなるかはまだわからないのである。話を戻そう。国外に亡命しているチベット人は チベット族全人口の2~3パーセントにすぎず、チベット族の人口は中国総人口の0.3~0.4パーセントにも満たない。“チベット独 立”の理念は大部分の海外在住華人さえ認めるものではなく、中国国内の人々にとってはなおさら容認しがたいことである。欧米 人たちが考えていること、共産党が現代と次世代のじっとしていられない白人の若者たちを洗脳し騙してやたらと騒ぎ立てさせ、 ついでにハリウッド映画の切符がよく売れれば、という程度のことでしかないのだ。馬(マー)さん、あなたはこれでもまだ世を嘆 き人民を哀れむことがおできになるだろうか? あなたの文章の結論の一句だが、それはちがう! これは明らかにまぎれもない得 意満面のアメリカ人でなければ口に出せないことではないか?                               “ハーバード大学で“三つ巴”になって互いに戦いを挑む黄色い顔の間に割り込んでいたのは、一隊の白い顔と黒い顔の合衆国 の警察官たちだった。このことはアメリカの第七艦隊が台湾海峡をパトロールし、国民党と共産党の間に割り込んで中国人同士の 仲間割れを阻んだことを思い起こさせる。”                                       そこに隠された台詞: 意気地なしの中国人たちよ、それでも“統一”に値するのか ?!                                                                   (オーストラリアより)
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