《北京之春》第54期(1997年11月号) No.74より―
《北京之春》スタッフの亜 衣(ヤー・イー)氏がチベット亡命政府の機関紙《チベット通信》の編集長ダワ・ツェリン氏に単独インタビュー。
ダワ氏が自らの経歴を交えてチベットの現実と将来を語ります。
亡命チベット人たちを早く故郷へ―
《チベット通信》編集長ダワ・ツェリン氏を訪ねて
亡命チベット人たちを早く故郷へ―《チベット通信》編集長ダワ・ツェリン氏を訪ねて
ダワ・ツェリン氏は、《北京之春》が長年来行ってきたチベット問題に関する論議に
おいて主要な論客として活躍されており、そのチベット人民の自由、独立、人権を勝ち
取るための力づよい叫びは多くの読者の注意を喚起しました。 氏は長期にわたって漢
文化教育(中国での教育)を受けられ流暢な中国語を話されます。現在は首府をインドの
ダラムサラにおくチベット亡命政府の役人を務めておられます。九月上旬ニューヨーク
に立ち寄られた氏は、 本誌編集部主催の“漢族・モンゴル・チベット民族対話―民族
問題座談会”参加の招きに応え、期間中、チベット亡命政府ニューヨーク事務所で本誌
記者の単独インタビューに応じられました。


【かつての警官、後に“犯人”となる】
亜記者:本誌の長年来のチベット問題に関する論議において、 あなたの立場は一つの
観点を比較的はっきりと代表しておられると思いますが、 論議の中で一つの
重要な役割を果たしているあなたの過去の経歴について読者の皆さんは関心を
もっておられるようです。
ダワ氏:私は 1963年9月23日チベットで生まれました。 その日は月曜日だったので、
ダワ・ツェリンと名付けられたのです。“ダワ”とはチベット語で月のことで
月曜日の意味もあります。“ツェリン”とは長寿の意味です。 六歳で故郷の
小学校にあがり勉強を始めましたが、 すべて中国語でした。 三年生のとき
チベット語の先生が来られたのを憶えています。 しかしチベット語の授業は
少なく、チベット語を学ぶ機会にはあまり恵まれませんでした。その後中学に
あがり“民族クラス”で勉強しましたが、チベット語を学ぶことはありません
でした。 私のチベット語のレベルは小学校でわずかに学んだだけのもので、
当時、文字が書けるだけで読み方はできませんでした。
中学卒業後、試験に通り警察学校に入りました。この間に面倒なことが起こり
ました。ちょうど毛沢東が亡くなった折りで、一人のお年寄りがひどく泣いて
いるのを目にして可笑しくなり笑い出してしまったのです。毛沢東が亡くなっ
たのです。どうして笑うことが許されましょう? でもまだよかった。 政府
当局はこの事で私をどうこうするということはありませんでした。たぶんまだ
子どもだったからでしょう。
警察学校は二年制になっていましたが、実際に学校で学んだのは一年あまりで
した。それというのも、 文革が終わって警察学校も再開したばかりで、教室
などもまだ使える状態ではなく数ヶ月よけいにかかってしまったからです。
この学校は青海省にあって、もともと“青海省政法幹部学校”とよばれていま
したが、私たちが卒業する頃になって“青海省警察学校”と改名しました。
17歳で卒業し、青海省玉樹州公安所刑警隊に配属されました。
亜記者:共産党の一貫した“階級路線”から言えば、あなたは“独裁機関”といわれる
公安部門で働かれていたのですから十分な信頼を得ていたのですね。
ダワ氏:そういうことになりますね。公安局で働くチベット人は多かったですが、上の
階級にいくほど少なくなりました。下部機関の派出所では、所長以外は普通皆
チベット人でした。県の公安局ではチベット人と漢人の割合はだいたい半々で
したが、州の公安所ではチベット人は20〜30%に過ぎませんでした。私の所属
していた州公安所刑警隊では十四、五人中三人がチベット人でした。 私たち
チベット人は皆使い走りでいつも翻訳係でした。というのも、 彼らの中には
すでに二十数年チベットで生活している人もいましたが、一人としてチベット
語のわかる者がいなかったからです。いうまでもなく警官たるもの腰には拳銃
をさげ威張っていました。しかし警官の私はついに独裁機関で失敗をしでかし
てしまったのです。
亜記者:詳しくお話しいただけますか?
ダワ氏:それは1982年のことで、私が刑警隊に入ってまだ間もない頃、従兄弟が病気で
入院したので病院で彼に付き添っていました。病院が勤務先からわりに遠かっ
たためその病院に寝泊まりしていたのです。その頃はちょうど武侠小説がはや
っており、私もたくさん読んでいました。青年たちの間では兄弟仁義といった
ものが流行し、私たちは毎日、世の中というものがどんなものかもわからずに
世を渡り歩く夢を描いていたのでした。 ある晩、 私は数人の友人たちと
《少林寺》という映画を見に行きました。見終わって帰りの道すがら自転車に
乗ってやって来た四人の若者に仲間の一人があてられ、そのまま取っ組み合い
のけんかになってしまったのです。私も二発ほど相手を殴りました。 続いて
民族師範学校のチベット人の学生にでくわし口論となり、 ついに殴り合いの
けんかになってしまいました。私も三回くらい相手を殴りました。暴力ざたの
けんかは当時十五日間の拘留と罰金30元でしたが、1983年に展開された
“厳打”運動の頃にこの事が再び取りざたされて“暴行罪”になってしまいま
した。
亜記者:“厳打”とは、 正しい司法手続きを踏む代わりに政治運動を用いるという
共産党が採るいつもの政策の一つだったわけですが。
ダワ氏:“厳打”運動で、 この一件に関わった私たち数人はまた捕まってしまいまし
た。当時私は真っ先に逮捕されたので、一切の責任がすべて私にかかってきま
した。ほんとうは最も罪が軽かったはずですが、後に主犯ということになって
十二年の懲役刑を言い渡されました。その時私は十八歳の法定年齢をわずかに
二十日過ぎたばかりでした。もちろんこれはぬれぎぬです。しかし“厳打”に
おいてなお多くの人々がほんの些細なことで銃殺刑に処せられたのです。その
後、なんとか六年の懲役に減刑してもらい、刑期を終えて出獄したのです。
当局は私に仕事を世話してくれましたが、 みな遠方の辺境の土地での仕事で
した。 その頃、私はインドに行ってみたいと思うようになりました。しかし
我が家では家を新築していましたので、それが済んでから家を出てインドに来
たのです。


【ラマ僧にならずインドへ亡命】
亜記者:あなたのご家族はまだチベットにおられるのですか?
ダワ氏:はい、みなチベットにおります。両親には十数人の子どもがおりましたが、生
きているのは八人です。私には三人の弟と四人の妹がおり、私が長男です。
三人の弟たちは皆出家してラマ僧になりました。 二人の妹はすでに結婚し、
もう一人は両親の面倒を見ています。家は旅館をやっていましたが、私が家を
出てから、 当地の地方政府がそこにマーケットを建てるということで家屋は
強制的に撤去されてしまいました。 家があったのはわりに良い場所だったの
で、政府ははじめ70万元を移転保証するといっていましたが、こちらが応じな
かったので、 20万元をよこし強制撤去したうえ、 町の外れに追いやったの
です。
亜記者:この数年あなたが海外で政治活動をしていることで、 ご家族になにか面倒が
起ったことはありませんか?
ダワ氏:まずありません。公安局が幾度か家の者を訪ねたことがありますが、父は彼ら
に、息子は家とは関係がないと言っています。 実際、私は家と本当になんの
関係もないのです。私は家を出るとき、父にインドへ行ってラマ僧になります
と言いました。父はずっと私が出家してラマ僧になることを望んでいたからで
す。私がどんなに高い地位に昇ったとしても、父にとってそれは罪業にすぎず
人を傷つけるだけの価値のないものなのです。さらに、役人になったところで
なんの好いこともないどころか死んでも罪過が残るが、私がラマ僧になれば、
どんなに貧しく落ちぶれたとしても、得られる限りの最高のご馳走を私に与え
て食べさせようと言うのでした。また、私がラマ僧になったら、たとえ自分の
屍が路上で犬に食われようともかまってはならない。息子が釈迦牟尼の弟子と
あれば、心も安らかになると言うのでした。父はいつもこう言って私にお経を
読ませようとしました。中国語など勉強しても何の役にもたたないと言って、
私が中国語の本を読んでいるとやって来て本を奪い捨てて、こういった本は人
を駄目にするものだと言いました。私が無神論を表明したときなど、父は憤り
のあまり涙をながし、息子はもう救いようがない、野蛮人になってしまったと
言って、弟たちを寺に送りラマ僧にしたのでした。私はラマ僧にはなりたくあ
りませんでしたが、こっそり逃げ出して父の心を傷つけるようなこともしたく
ありませんでした。そこで父に言いました。私は仏教に本当に理があるかどう
か知りたいのでインドへ行って研究したいと。 父はすぐに同意してくれまし
た。
亜記者:あなたはいつ亡命政府の仕事に就かれたのですか?
ダワ氏:インドに着いてはじめは仕事もなく、あちこちを放浪していました。 後に、
日本で出版している《民主中国》誌上にチベット問題に関する文章を見て、
私も一筆書いて議論に加わりました。インドのチベット亡命政府は中国人との
交流をとても重要と考えていましたので試験を通して中国語のわかる公務員を
募集し、私はそれに合格したわけです。こうして亡命政府での仕事が始まりま
した。最初は、保安部のチベット研究センターで、チベットの人口推移、経済
状況、未来のチベット建設と資源の活用などを研究しました。研究センターは
保安部に付属していましたが保安とは関係なく、ただダライラマ法王がお出ま
しになる時、私たちも警護の任を負いました。私は中国語がわかるのでそこに
あるたくさんの中国語の資料を利用することができました。後に中国語の新聞
を刊行するようになると、宣伝部に配属され海外在住の華人に対する連絡業務
と《チベット通信》編集の責任を負うようになりました。
亜記者:二年半ほど前、私はここでアペィ・ジグメー氏にお話を伺ったことがあります
。彼は学者であられ、あなたは亡命政府の役人になられたわけですが、 現代
の基準から見て今のチベット亡命政府はどういうタイプの政府だと思われます
か? 一つは旧チベットの“カシャ” (カロンと呼ばれる7名の大臣からなる
政府組織)と比較して、一つは近代民主政治の国家と比較して。
ダワ氏:私は 、現在のチベット亡命政府は言うまでもなく民主形態の政府に属してお
り、政教一体であると思います。もちろんこの民主形態は人民が勝ち取ったも
のではなく、ダライラマ法王が人民にお与えになったものですが、ただ与えら
れたものというだけでなく、私どもに後れを取り戻そうとさせるものでもある
のです。なぜなら、民主的理念をもったチベット人はごくわずかしかおらず、
この数年西欧文化の教育を受けた人々を除いて、多くの人々はダライラマ法王
は神聖不可侵であると思っているからです。今にいたるまでずっと、 もし
ダライラマの悪口を言う人がいるなら、 多くのチベット人はその人に対して
きっと敵扱いするでしょう。法王ご自身、ダライラマは決して神聖不可侵では
ないとずっと表明され、 経典を講ずるほとんどその都度、 自立せよ、
ダライラマにばかりたよってはいけないと参加者たちに語られているにもかか
わらず、なお多くのチベット人たちは法王に絶対的信頼をおいているのです。
ダライラマ法王の数十年来の苦心尽力のおかげで、 今のチベット亡命政府は
“カシャ”と呼ばれながらも、実際上はまさに一つの内閣なのです。亡命政府
の内閣は選挙で選ばれ、議会も人民の直接投票によります。これは当然民主的
手続きに合致したものと言えます。


【民主形態の亡命政治】
亜記者:あなたのおっしゃる議会とは人民の直接投票によるということですが、くわし
くご説明いただけませんか?
ダワ氏:チベット亡命政府議会の議員は45名おり、 チベットの主要な三種類の方言を
形成しているウ・ツァン、カム、アムドの三地区からそれぞれ10名、 それに
チベット仏教の各派及び非仏教の伝統宗教(ボン教)からの代表とヨーロッパや
世界各地に住むチベット人代表が12名、それ以外に科学、芸術、教育の各分野
において特に貢献した人3名から成ります。この3名はダライラマ法王によって
指名されます。
亜記者:あなたのおっしゃるチベット三地区の代表とは、 もともとこの地区に属して
いた海外在住の亡命チベット人のことで、チベット内地のこの三地区から来た
チベット人代表ということではありませんね。 議会組織以外の政府の機構は
どうなっていますか?
ダワ氏:現在の有権者はすべて海外在住のチベット人です。亡命して海外在住すること
になったチベット人はそのまま選挙権を得ます。チベット亡命政府は旧チベッ
ト政府とは全く異なり、三権分立の形態をとっています。数年前まで亡命政府
は重大事となると、なおしばしばダライラマ法王の指示を仰いでいましたが、
今では法王はほとんど政府の事には関わられなくなりました。内閣閣僚として
のカロン(大臣)は7名で、 それぞれ教育衛生、外交宣伝、保安、内務、財政、
宗教文化を司り、もう一人は首相です。亡命政府はしばしば議会の非難を受け
、あるチベット人はそのために民主制度は亡命政府には合わないと考えていま
す。というのも効率は低く、しばしば水かけ論に終わって仕事にならないから
です。ダライラマ法王はかつてこの種の見解に対して公に反駁されたことがあ
ります。その後、民主制度は亡命期間中にはふさわしくないと公言する人はな
くなりました。亡命チベットの法律によれば、ダライラマ制度は変えることが
できます。しかし実際には誰も変えようとはしません。亡命政府はもちろん旧
チベットの政府とは違いますが、しかし旧チベットの政府とて、中国人が一般
に考えているような専制ではありませんでしたし、 重大事にあたっては人民
大会の決議を得るという、議会に類似したプロセスもあったのです。もちろん
これは人々が選挙によって選んだ人民大会ではなく、貴族や寺院の代表によっ
て構成される人民大会でしたが。
亜記者:ダライラマはチベット同胞の宗教的リーダー、精神的リーダーとして、関連す
る公文書中では、やはり彼を“チベットの政治と宗教における最高のリーダー
”と呼んでいますが、大きな問題に対する彼と亡命政府との間には何か見解の
相違といったようなものがありますか?
ダワ氏:あります。多くの人々が、チベット独立を放棄した“ストラスブール提案”に
関してダライラマを非難しました。あ る人々は、ダライラマは“チベットを
売った”と言ってはばからず、法王はそのことでたいへん心を痛められたので
す。しかしこのようなきつい批判はあくまで個人の意見であって、全体として
は亡命政府と法王の意見は一致しており、ある官僚などは異なった意見を表明
したくても遠まわしに言っているくらいです。
亜記者:いわゆる“大西藏”の版図問題においては、 ダライラマと亡命政府の意見は
一致していますか?
ダワ氏:多くの方々から幾度もこの質問を受けましたが、私にはとてもおかしなことに
思えます。 なぜならチベット人の言う“西藏”とは即ち“大西藏”のことで
あって、ただ“西藏自治区”のみを指しているのではないからです。
亜記者:今はっきりさせなければならないことは、“大西藏”の概念はいったい一つの
民族、人民の概念なのか、それとも一種の地域的概念なのか? 換言すれば、
ダライラマが心にかけている“大西藏”とは、ウ・ツァン、カム、アムドとい
う地域のチベット人民のことなのか、それともこれらの土地のことなのかとい
うことです。 もし後者、つまり地域的なものであるとすれば、問題はさらに
複雑で、現在この地域で生活しているチベット人以外の人々にも関係してきま
す。
ダワ氏;歴史、文化そして人民という角度から考えなければなりません。これらの地域
は今世紀初頭には間違いなくチベット人の土地でした。現在多くの民族が住ん
でいますが、チベット人ともう一つの土着民族を除くその他の民族は皆外から
やって来て住み着いたのです。中国共産党によって振り分けられた回族の人々
もいますが、やはりほとんどはチベット人です。 それゆえこれらの土地は皆
チベット人が切り開いたものだと言うのです。これらの問題をどのように解決
するかは双方の政治の智恵に頼らなければなりますまい。
亜記者:私たちが住んでいる地球上の土地主権問題は実に複雑です。 北米大陸でこう
いった話は幾度も聞いたことがあります:ヨーロッパから来た移民たちは数丁
の小銃とナイフで原住民のインディアンから広大な土地を騙し取ったのだと。
もし今日インディアンの末裔たちがこの不平等な交易を非難するなら、これら
の土地の帰属をめぐって改めて処置を要求することさえあるでしょう。 そう
なればいったいどうすればよいのでしょうか?歴史を溯れば皆が認める一つの
スタート地点に行き着くようです。さもなければある人は十九世紀に、また別
のある人は十五世紀までさかのぼるでしょう。漢族とチベット族をさかのぼれ
ば同一の類人猿から進化してきたものではないでしょうか?このようにすれば
きりがありませんが。
ダワ氏:それゆえ現在のアメリカも非常にインディアンを尊重し、彼らに保留地を与え
ています。いわんやこれは過去の歴史であって、あの不平等交易にはインディ
アンたちも同意したのでした。当時の人々はまだ植民地主義の罪悪を見たこと
がなかったけれども、今では植民地主義が理に適うと考えている人はいません
。チベットにいるのはまさに現代の移民です。 今世紀初頭になってはじめて
外部民族の侵入を受け、チベット人は自らの居住区で少数民族となってしまっ
たのです。


【ダライラマの広い心と深い苦悩】
亜記者:ダライラマはチベットの独立を堅持しなかったことで一部のチベット人の批判
を招いたわけですが、あなた個人としてはこのことについてどのようにお考え
ですか?
ダワ氏:もし私だったら、 やはり自分の命を懸けてもチベットの独立を選ぶと思いま
す。でも今考えてみれば、法王の選択は賢明であり受け入れられるものです。
というのも、 本音を言えば、 私は中国人の承諾というものを信じてはいま
せん。歴史を見れば、唐、宋、元、明、清の歴代王朝から現在に至るまで中国
統治者の多くの“承諾”は皆ペテンでした。 中国の政治はペテン術を好み、
共産党はこの方面にかけてはトップの座を誇っています。私たちチベット人は
ほんとうに安心できないのです。もしダライラマ法王の目的が実現するなら、
中国のチベットに対する脅威は消えます。それならば私は受け入れることがで
きます。逆に、もし脅威が依然存在するなら、チベットの独立を戦い取るのが
最善の道だと考えます。
亜記者:私はダライラマの主だったメッセージを読んだことがありますが、彼は、1988
年フランスで発表した有名なストラスブール提案において、中国政府にチベッ
トの外交を任せ、解放軍のチベット駐留をある程度認める等というところまで
譲歩していますね。
ダワ氏:それこそが法王の妥協案であり、一種の“中庸の道”なのです。すなわちお互
いに譲り合うことで民族間の争いを未然に防ぎ、なかよくやっていこうという
ことなのです。
亜記者:ダライラマのこういった妥協的態度は、人々を戦争による殺戮の苦しみから救
うという理念によるものなのでしょうか、それとも、実際には独立を達成する
ことが難しいが故にとらざるをえなかった一種の現実的な態度なのでしょうか
?
ダワ氏:どちらとも言えると思いますが、後者の要因がより大きいでしょう。法王のお
立場からは実際どうなのか、私には知る由もありませんが…。私は平和を第一
に考えています。しかし、それは尊厳を前提とするもので、隷属状態におかれ
るような屈辱的なものであってはなりません。そのような屈辱的平和には私は
断固反対します。法王も反対なさるでしょう。法王がなぜ中庸の道にこだわら
れるのか、それは人々が互いに殺し合うことを避けるとともに、チベット文化
を存亡の危機から守るということを考慮されてのことなのです。
亜記者:私は善を説く仏教を尊重します。 私としては、むしろダライラマは仏の善の
観念から妥協を提案したのであって、一種の策略上の考えからだけであったと
は思いません。さらにお教えを請いたいのですが、仏教を信奉しているチベッ
ト人たちは皆、 その善の観念で自己を律しているのでしょうか? 私は他の
宗教を批判するつもりはありません。 たしかにある宗教は報復とテロ活動で
世界的に名を馳せていますが…。
ダワ氏:法王は一代のリンポチェとしてその思想境地は高く、私たちが理解しうるもの
ではありません。仏教を信奉するチベット人は、確かに善意、忍従、忍耐を具
えています。チベット人はこれは前世からの因縁だと信じているのです。仏教
には“衆生を父母と為す”という非常に深遠な思想があります。即ちこの世の
いかなる生命も、地を這う虫でさえ、生命の限りなく繰り返される輪廻の中で
人の父であり母であったということです。この思想はチベット人の中でたいへ
んな影響力をもっているのです。


【伝統的仏教の教えと共産党文化の影響】
亜記者:今の若いチベット人、海外在住のチベット人も含めてどのような状況ですか?
ダワ氏:今の中国領内のチベット人の間では、 伝統的仏教思想はかなり失われていま
す。 彼らは共産党の闘争哲学の影響を深く受けており、かなり強い民族意識
をもっているものの宗教文化の薫陶は低く、 どこにも指導してくれる高徳の
学識深いラマもいないので、その信仰はさらに迷信に近いものになってきてい
ます。仏教は迷信に反対しているのですが…。海外に亡命したチベット人たち
はかえってよりよく伝統を保持しています。彼らは嘘をつかず、道理をわきま
えていますが、中国領内のチベット人は嘘もつくでしょうし、暴力に訴えるこ
とさえあるでしょう。総体的な素質から見れば、外地のチベット人は内地より
よいです。共産党は自由な宗教活動に反対しました。仏教の第一の勤めは読経
ですが、これは共産党が受け容れないものだったのです。
亜記者:中国国内のチベット族同胞は長年にわたって共産党文化の影響を受けてきまし
たが、 彼らはチベット亡命政府とダライラマの政治主張に対してどのような
態度をとっているのでしょう?
ダワ氏:私の知るところでは、 インテリたちの間では、チベットの民族問題における
立場は、おそらく海外のチベット人たちよりもっと激烈でしょう。 ラマ僧や
インテリたちにおいては、ラマ僧が受けているのは寺院を主とする伝統的宗教
教育であり、他の一部のインテリたちは中国共産党の各種の学校で養成されて
きています。 自分たちの民族についての知識は欠けていても中国の歴史には
精通しています。こうした民族主義意識の強い体制の下で養成されたインテリ
たちは同様に強烈な民族意識をもっています。彼らの中国共産党に対する闘争
は、チベット亡命政府の主張する穏やかな態度とは比べものにならないほど、
さらに激しいものとなるでしょう。一般の人々にしてみれば、亡命政府は譲歩
し過ぎだと思うかもしれませんが、かといって自分たちの具体的見解も出せな
いのです。 というのもチベットの文盲率はかなり高く、宗教の力が大きいの
で、 ダライラマ法王のおっしゃることは正しい、たとえ自分の考えが法王の
主張と違っていても、自主的に自分の考えを否定し法王を信じるでしょう。
もちろん目先の利益に目が眩み、まったくなんの独立した思考能力も持たずに
中国共産党に身売りし頼ろうとするチベット人もいますが。
亜記者:1959年にダライラマがチベットを離れて以来すでに四十年近く、相当数にのぼ
るチベット族同胞が共産党の官僚体制に組み込まれ各種各部の職務を担ってい
るわけですが、こうした人々が既得の利益を守るためにチベット亡命政府とは
異なる政治的態度をとる可能性はあるでしょうか?
ダワ氏:現在チベット(中国側)の各部の幹部であるチベット人は、中でもとりわけ高学
歴の者はチベットの独立を支持しています。 というのもチベットが独立すれ
ば、それは彼らの権力が消失することを意味するのではなく、その時にはもう
一つの旗の下で再び活躍できると信じているからなのです。しかもダライラマ
とチベット亡命政府が今まで強調してきたのは、未来のチベットを管理するの
は(中国側チベットの)現在の官吏たちであるべきで、亡命政府の役人は彼らと
職権を争うことはありえない。亡命政府にはなんら官吏と呼べる者はおらず、
すべての公務員を合わせてもようやく四百名であるから、将来チベットに戻っ
ても自分たちの勢力を形成することはできないということなのです。それゆえ
亡命政府とダライラマは強調しています。 望もうが望むまいが、未来のチベ
ットは専ら(中国側チベットの)現在の幹部が主導できるのであると。亡命政府
のこの政策については、内地の幹部もよくわかっているのです。
亜記者:それはあなたの一種の経験からくる判断ですか、それとも統計に基づいたもの
なのでしょうか?
ダワ氏:経験による判断であると同時に現実の調査によるものでもあります。私は中国
国内にたくさんの友人がいますが、ある者は郷長(“卿”は“県”の下、
“鎮”“村”の上に位置する行政単位)、村長をしており、その他、各部門の
貴任者をしている官吏にも知り合いがいますが、 彼らは先ほどお話した件に
ついて疑いをもってはいません。 この方面の情報交流も非常に盛んで、毎年
国境を往来する人々は数万人にのぼります。(中国領)チベットには毎日放送を
流しているいくつかの放送局があり、 その中には “Voice of America”や
“自由アジア放送”も含まれていますが、共産党はその放送を妨害してもいま
せん。チベット亡命政府にも放送局があります。共産党の妨害はかなりひどい
ものですが、それでもなんとか聞き取れます。チベット人には毎日マニ車を回
しながらお経を唱える習慣がありますが、多くの人々は毎朝その時に、人目に
つかないところへ行き情報を互いに交換し合うのでしょう。


【自由の価値は“統一”や“独立”に勝る】
亜記者:あなたはかつて民族問題に関する論争文の中で、人々の自由と民主人権に対す
る熱愛は“大統一”に対する熱愛にはるかに勝っていなければならないと指摘
されたことがあります。それなら同様に、人口の少ない民族において、人民が
民主、人権、自由を追求することは“独立”を追求することより大切なのでは
ありませんか?独立であれ統一であれ、 それは主に国家を統治する者の見地
から語られるものですが、自由、民主は人民の福祉から語られるものだからで
す。
ダワ氏:私もそのご意見に大賛成です。 民主、自由に対する共通認識は独立や統一を
追求することに勝っていなければなりません。しかし逆に、弱小民族の自由、
民主の保証はまさしく独立することにあるのです。 独立しなければ人々の民
主、自由は保証されません。チベット民族は政治的民族ではなく宗教的民族で
あり、大部分の精力どころか自己のすべてを宗教に投入し、政治には関心がな
いのです。中国共産党がチベットに進駐した時人々は野次馬見物していました
が、共産党が主権の名目でチベットの宗教を踏みにじってはじめて、チベット
人民は主権とは自分たちの熱愛する宗教を守るものだと気づくに至ったのでし
た。
亜記者:今のお話は論理的によく筋が通っていますし、私たちもよく知っていることで
す。 共産党の長年来の政治的スローガンは、国家の独立、民族解放、人民民
族、社会主義というようにそれらを少しずつリレーして政治目標とすることで
した。国家の独立と民族の解放は人民の民主を成し、自由と幸福のしかるべき
前提です。しかしこの数十年の歴史を見るなら、次から次へと疑問がわいてき
ます。中国から見るなら、中国共産党が政権を掌握して以来、主権を得て中国
は独立国家となりましたが、しかし人々の自由や民主、幸福はどこにあるので
しょう? 以前に比べてどうなったでしょう? 1960年代以来のアフリカの国家
独立運動は嵐の勢いでしたが、独立した結果、人々はもっと貧しくつらい状況
にあるのでしょうか、それとも豊かで楽しんでいるのでしょうか?香港を見て
みれば、返還された七月一日以前、主権は外国政府の手中にあり、 今は中国
政府がもっています。イギリス人統治下の香港市民の民主、 自由と中国政府
統治下の民主、自由とはいったいどちらが多くどちらが少ないのか?これ以上
論じる必要もないようです。ここに私たちが考えるに値するさらに複雑な関係
があるのでしょうか?
ダワ氏:民主、自由の価値と、独立、統一の価値、いずれが高いかといえば、もちろん
民主と自由のほうが高いのです。しかしここで言う自由とは結合の自由と分離
の自由を含んだものです。ここでの問題は、弱小民族が自由、民主、そして文
化を追求する過程において自身が消滅、或いは同化してしまうかもしれない恐
れを取り除かなければならないということです。もしこういった恐れがないな
らば、独立する必要もないでしょう。しかし現在、チベット人の中国人に対す
る恐怖心を取り除こうとすることはもはや難しいものとなってしまいました。
亜記者:ついでに申し上げますが、あなたはお話の中で“中国人”がどうのこうのとよ
くおっしゃいますが、実は中国人の間でもチベット人同様、多くの問題に対し
てその観点と態度には大きな違いがあるのです。それを十把一からげにされて
はあまり正確とは言えませんでしょう。
ダワ氏:私の言う“中国人”とは実は中国の統治者のことを指しているのですが、すで
にこの種の観念が出来上がってしまったようですね。 チベット人にとっては
自分たちに抑圧を加えたのは中国人であって、そこには個人のだれそれという
区別はなくなって、すでに一種の民族的抑圧になってしまっているのです。
亜記者:薛偉(《北京之春》メンバー)が1996年にダライラマを訪問した折り、法王は
このようなことを尋ねられたことがありました―将来民主的な中国が出現する
前にチベットは死に絶えてしまっているのではないだろうか?―と。私はこの
ことばに心中重く揺さぶられる思いでした。 見たところ、これはあまりにも
悲観的にすぎると思うかもしれません。しかし私は、これは一人の偉大な人物
が深く思索した結果なのだと思いました。法王が人々に与える印象は、楽観的
で楽しそうで、いつも微笑みをたたえている方というものですが、しかしその
心中には、このように深い苦しみと常人にははかりがたい思いをもっておられ
るのです。
(訳註:96年4月号 第35期 #06にこの訪問の対談が記載されています。)
ダワ氏:私には法王のそのお気持ちがよくわかります。未来はチベット人にとって成功
しても失敗しても“死”であるかもしれないと、以前話したことがあります。
私たちはチベットでおこった変化を見てきました。多くのものが今まさに失わ
れようとしています。 気持ちはひどく焦りますがどうにもしようがありませ
ん。法王はこの一点から、必ずしも独立しなくてもよいというお考えを出され
ました。多くのチベット人もこの一点に同意し中庸の道を受け入れました。
これは如何ともし難い苦しい選択でした。少なくとも私には…。私にはたくさ
んの中国人の友人がおりますし、中国文化には精通しています。しかし感情の
レベルでは一種の反感をもっているのです。中国語の本を読みたくなくても読
まざるを得ず、チベット語の本を読みたいのに意味がわからない。この二種類
のいずれの文字からも私は知識を得ることができますが、しかし私には一種の
同化されてしまうという苦しみがあるのです。それは我が民族文化の滅びてい
く過程が我が身に再現されるという苦しみです。 もし私のような者が絶対的
多数を占めるようになったら、チベット民族の文化はそれで終わりです。この
ような気持ち、中国人には理解できないものです。
亜記者:私はあなたの気持ちを理解するかもしれません。しかし私はアインシュタイン
の世界主義をそれ以上にすばらしいと思っています。 私は、世界のいかなる
文化遺産であれ、 チベット文化も含めてすべて大切にし保存すべきであると
考えています。そこには先天的に優先権をもった文化というものはなく、その
人がもともともっている文化こそがその人にとって最も尊いものなのです。
共産党の文化破壊も民族の区別はなく、文化大革命の間、中国漢文化に対する
破壊は少数民族の文化に対する破壊に劣ることはありませんでした。こうも言
えるかもしれません。 民族文化遺産を保護することは独立のスローガンより
有意義であると。八九民主化運動(1989年6月4日の天安門事件で幕を閉じた)
から八年、中国が”抗日戦争”に要した歳月に相当します。 海外に亡命した
多くの中国の民主活動家たちはまだ国に戻れないでいます。気がかりなことで
す。私がチベットの友人たちのことを心配するのは、時が経つのはあまりにも
速いということです。十年のうちに戻れなければどうするのか?二十年たって
もまだもどれないとすれば?ダライラマは本当に偉大な方です。彼はチベット
人民の宝であり、チベット問題を平和的に解決する重要な要素であり安定た力
でもあるのですから。
ダワ氏:チベットの亡命能力は中国の海外民主化運動のように一年また一年と引き伸ば
していくことはできません。中国共産党との和議を求めていかなければならな
いのです。たとえ交渉が発展しなくても、少なくともチベット民族が生存して
いけるよう保証しなければなりません。法王は、ご自分が存命中に平和的話し
合いでチベット問題を解決することをずっと望んでおられ、そのためには努力
を惜しまれません。しかし今に至るまで中国共産党からの積極的な応えを得て
いません。 もし法王ご存命中にこの問題が解決されないなら、平和の唯一の
希望、チベット人の平和の門は閉ざされてしまいます。チベット人民にとって
はおそらく堪え忍ぶか反抗するかのいずれかになるでしょう。
亜記者:これまでのところで、将来、中国でボスニアのように民族問題が原因となって
残酷な戦争が引き起こされる可能性があるとお考えになりますか?
ダワ氏:ダライラマ法王がご健在であれば、 中国とチベット人との間に戦争はありえ
ないと思います。 たとえ中国共産党がどんなに威圧しようともチベット人は
堪え忍ぶでしょう。 法王のご意志には背けないからです。また我慢できなく
なって反抗したとしても、後で人気のないところで懺悔することでしょう。
法王のご意志に背くべきではなかったと後悔し、自分の罪業のもとが未だ尽き
ず、 どうしようもない怒りと焦りにかられて自分を抑えることができなかっ
たと。しかし、もし法王ご存命中に亡命チベット人たちが故郷に戻れないとす
れば、極端な話、たとえ成功しないにせよ暴力に走る可能性もありえます。
この時の暴力は成功を目的としたものではなく、うっぷん晴らしであり、相手
にも暴力による苦しみを味あわせるためのもの、 破壊的な性格をもつもので
す。一部のチベット人たちはこう言っています―テロ活動をするのに大掛かり
な準備は必要ない、しかも中国共産党の抑止力に対してその効果は大きい。
少なくともチベットへの移民を抑えることができる。 つまり中国人を追い払
うことはできなくてもチベット人を守ることはできるのだと。
亜記者:それもまた独裁者によるもっと残酷な鎮圧を招くでしょう。テロ活動と鎮圧の
狭間で苦難を強いられるのは結局一般の人々なのです。
ダワ氏:平和の門が閉ざされてしまった後では、人々は絶望的行動にうったえるにちが
いありません。私はそのような結末を見たくはありません。


【香港をモデルにチベット問題を解決する】
亜記者:現在の状況から見て、亡命チベット政府と共産党が話し合いのテーブルにつく
わずかの可能性はあるのでしょうか?
ダワ氏:全く無いとは言いません。江沢民は今その地位を確立し、幾ばくかの貢献を成
したいと考えているのです。この点から言えば、チベット問題の解決は一つの
突破口になります。 チベットは今のところ物質的利益という面では共産党に
とってなんのメリットもありません。しかし政治的には重要です。 今、中国
共産党は国際舞台において肯定的イメージを打ち立てていかなければなりませ
んが、どこへ行っても亡命チベット人の抗議に遇い、 また多くの国家や国際
組織も中国の指導者にチベット問題を突きつけます。チベット問題は今や中国
にとって最大の悩みに種になってしまいました。ダライラマは独立を堅持しな
いと言っているのですから、中国共産党は、高度の自治を与えるという方式で
チベット問題を解決し、西藏特別自治区をつくることもできるのです。そうす
れば国外において、民主活動家以外は中国共産党に抗議する人はいなくなるで
しょう。こうすることはチベット人にとって、中国にとって、そして江沢民に
とっても益のあることなのです。
亜記者:つまり、中国共産党がチベットに対して香港に対して行ったと同様、 高度の
自治をもつ特別行政区域となすことができるということですね。もし江沢民が
チベット問題においてこの一歩を踏み出せば、たいそうな歴史的貢献であると
も言えるでしょう。
ダワ氏:そうです。もし法王のご存命中にこの問題が解決し法王がチベットに戻られる
なら、チベットで騒乱が起ることはありえません。これは幾つもの戒厳令より
も役に立ちます。それに長期にわたる平和と安定を保証できるのです。 絶対
多数のチベット人にとってダライラマは輝く太陽です。この一点から言っても
今こそが最も好い時期なのです。中国共産党がいささかでも賢明であるなら、
この歴史的チャンスを逃してはなりません。実際、チベットは中国共産党の
“一国二制度”に最もふさわしいところなのです。
亜記者:ここで言う“一国二制度”とは言うまでもなく“社会主義の初級段階”と
”政教一致”の民主制度のことですね? “政教一致”についてはどのように
お考えですか?
ダワ氏:一般の人々は政教一致”という語にマイナスイメージをもっています。 私は
これは仏教に対するものとは違うと思っています。仏教的政教一致は他の宗教
のそれとは異なります。歴史において仏教はこれまで他の宗教を信じる人々を
迫害したことはありません。 正しく仏教の教義に照らして政教一致を行うな
ら、あらゆることが可能で、人民にとって弊害になるものは何もありません。
もともと政教一致の弊害は人民の愚かさにあったのです。 チベットの元来の
政教一致もかつて科学技術の発展を阻んだことがありました。これは愚かさと
無知と立ち後れの故であって、決して仏教の過ちではありません。 現在のチ
ベット亡命政府は今も政教一致を採っています。僧侶は政治に干渉すべきでは
ないという人もいますが、 僧侶とて人ですから政治に参与する権利はありま
す。この権利を奪い取ることはできません。仏教教義は人々にむりやり押し付
けることはありません。違う教派、異なる宗教に対しても、例えば回教に対し
て今までずっと受け入れ、援助してきたのです。少し前、法王が台湾を訪問さ
れた時、そこの回教協会会長が法王に謝意を表したことがありました。
亜記者:ダライラマが台湾を訪問されたことで、その影響についてお話しいただけます
か?
ダワ氏:政治的意義とか宗教的意義は後回しにして、 最も大きな影響はチベット人の
中国人に対する印象が変わったことだと思います。 チベット人のこれまでの
観念では、 中国人はみなチベット人を飲み込もうとする戦争好きの悪魔であ
り、少なくとも善人ではないというものでした。 彼らは中国語を耳にすると
一種の恐怖を覚えるのです。 私はあなたがた中国人の中にあってはチベット
独立分子であり、 ダラムサラではチベット人に親中国分子とみなされて、
双方から“鼻つまみもの”扱いを受けてきたわけです。 法王が台湾を訪問さ
れた時、私は、チベット人たちが中国の別の一面を知ってとても驚いたことに
気づきました。 もともと中国政府の残虐な一面しか知らなかった彼らが今、
中国人民の善良な一面を目にしているわけですからね。もともと中国といえば
共産党政治による統治であり、台湾といえば“蒙藏委員会”なのですから、
どっちにしても好いということはありませんが。現在中国に対する印象は大き
く変わりました。これはとても重要なことです。集団における観念の変化なの
ですから、通常の二、三年の教育では変わりえないものです。チベット人は、
中国人が仏教に対しダライラマに対して自分たちと同様、 このように敬虔で
あることを発見したのでした。もともとチベット人は中国政府に対する嫌悪を
全中国人民の上にまで拡大していたのです。 今私が心配しているのは、彼ら
が台湾人民に抱いた好感を今度は全中国大陸に広げるのではないかということ
ですが、これは的確とは言えませんね。
亜記者:不一致と衝突の存在する民族の間で、好い感情を育むのは悪い感情を養うより
も有益なことなのです。願わくは、中国とチベットの政治家たちが人民の幸福
のために平和解決の道を求めていくことができますように。本日は取材に応じ
ていただきありがとうございました。私たちチベット、漢、両民族の未来を共
に祝福しようではありませんか。
<完>

