ニューヨークに本部を持つ中国の民主化活動団体《北京之春》の一女性記者が、北インドの ダラムサラにチベット亡命政府を訪問し、 民族蜂起三十九周年記念日にダライ・ラマ法王に 接見しました。                                    以下は《北京之春》98年 5月号 第60期 33より、二回にわたるインタビューの内容を翻訳した ものです。《北京之春》雑誌版には、当日のダラムサラの様子と記者がチベットの民族衣装を まとい法王と親しく会話している写真が掲載されており、これからご紹介するインタビューの 内容も従来の政治的なものにとどまらず、法王のお人柄を偲ばせるほのぼのとした情景が伝わ ってきてたいへん興味深いものとなっています。                      実は、 この三月十日からニューデリーではチベットの完全独立を求める亡命チベット人の 団体が独自の要求を掲げて無期限ハンガーストライキに入ったのでした。 そして四月二十九 日、ついに抗議の焼身自殺者まで出るに及んで、このインタビューの中で語られている法王の 懸念も現実のものとなってしまいました。しかし、その後も法王は中道路線の継続を強調され ておられるようです。こうしたこともふまえてお読みになれば、より一層、法王の意志とその 苦衷が伝わってくることでしょう。                            なお文中、漢語表記されたチベットの地名等は、“ I love TIBET ホームページ”の長田 幸康様にご協力をいただき、チベット語発音に近いカタカナ表記を採用しました。 なおハン ガーストライキに関する詳しい状況を知りたい方は上記ホームページのチベット・ニュース・ ダイジェストをご参照下さい。                            

《北京之春》98年5月号 第60期 33より

【ダライ・ラマ訪問記】−民族蜂起三十九周年記念日に

《北京之春》記者:茉 莉(モー・リィ)

 北インド山間部が春一色に染まるこの季節、記者は世界的に有名な山間の小さな町−ダラム サラに滞在し、二週間にわたってチベット亡命政府を訪問した。               この期間中、記者は幸いにも二度、ダライ・ラマの親しみあふれる接見に与かり、訪問の最 初にあたって、チベットの人々に友好的感情を抱いている中国の友人たち並びに《北京之春》 編集部を代表してダライ・ラマに最高の敬意を表した。                   記者が、それぞれ異なった観点に立つチベットと中国の人々の橋渡しをし、相互間の理解を 促進したいという望みをもって、ダライ・ラマにデリケートではあるけれども一般の中国人が 知りたいと望んでいる問題について話し合うことをお許しくださるようお願いしたところ、  ダライ・ラマは、「とてもすばらしいことです!」と中国語でお答えくださったのである。 


第一回訪問(三月十日 午前11時11分より)

茉 莉 :きょう、あなたが発表された“三月十日”記念集会の講話を拝見いたしまし      たが、この度のお話ではいつものメッセージとは異なるいくつかの点がある      ことに気づきました。例えば、今回、 あなたは初めてチベット民族蜂起の      記念集会において、自分が求めているのは“名実相伴う自治”であって独立      ではないということをあなたの国民に正式に宣言されました。そしてまた、      亡命政府のチベット人民代表会議がすでに一つの法案を可決したこと、つま      り国民投票に依らず、引き続きあなたにチベットのために決定を下す権限を      委ねたことです。この二つのことについてお考えをうかがいたいのですが。 ダライ・ラマ :私たちが独立を求めず自治を求めることに関しては、すでに二十年あまりも      言い続けてきました。以前、このことについてははっきりと申しましたし、      よく理解もされています。それはまた別問題ですが、しかし私はもう二十年      あまりも言い続けてきているのです。1973年から私の心はすでに決まってい      ました、私たちはただ自治のみを求めていこうと。しかしその時から、私は      “チベット人の幸福”ということばを用いて、“独立”とか“自治”といっ      た語句を用いないことにしました。“自治”といえばチベット人は不愉快に      感じるでしょうし、また“独立”という語句、これは私の心からはすでに取      り除かれたものだったからです。それで私はいつも“幸福”、“幸福”、       “チベット人の幸福”と言うのですよ。 1979年から私たちは中国政府と直      接に連絡をとりあうようになりました。当時は香港の新華社を通して中国政      府がギャロ・トンドゥプ(記者註:ダライ・ラマの兄)と連絡しあうように      なったのです。当時、私は心中すでに独立を求めないことを決めていました      から、すぐにこの動きに応じ、中国側と連絡をとりました。この“中庸の道      ”は1987年と88年に広く海外に向けて発表しました。それから五、六年後の      ことでしょうか、私たちははっきりと中国側に表明したのです、私たちが求      めているのはただ“自分たちの土地を自ら治めること”であると。現在、多      くのチベット人は、私の提唱する“中庸の道”はとても意義あるもので大切      なことであると考えています。                           二つめの国民投票の問題に関しては、チベット人民代表会議がこの件で亡      命チベット人を対象に民意調査を行いました。チベット内では民意調査を行      うすべがないにもかかわらず、様々な方法を用いて一定数量の代表各地区及      び各階層の意見を収集しダラムサラに集めて来たのです。チベット人は一般      に、ダライ・ラマは全体の局面を最もよく把握しており、チベット各方面の      ことについてよくわかっているので、ダライ・ラマに実状に基づいて決定を      下してもらうべきであると考えているのです。              茉 莉 :あなたは今年の“三月十日”講話の中で、中国政府との対話を希望するとい      う心からの願いを表明しておられますね。私たちも中国政府がこのことにつ      いて積極的かつ善意ある回答をするよう希望していますが、   あなたは      すでに他のルートを通して中国政府との対話の可能性を探っておられるので      しょう?                               ダライ・ラマ :この中国政府との対話の問題に関しては、アメリカ政府をはじめ各国の政府      が尽力してくださっていますし、たくさんの外国の友人たちも関心を寄せて      くれています。                            茉 莉 :真の意味での自治だけを求め独立は求めないというあなたの方針は、大多数      のチベット人に受け入れられているものなのでしょうか?  あなたはその      都度“非暴力路線”を歩むことを協調されますが、しかし一部のチベット人      たちはいまだに暴力を用いて自由を勝ち取ると主張しています。それで漢族      の友人たちは知りたがっているのですが、あなたはこういった暴力を用いる      という主張に対して、どのような方法でこれを抑えるのでしょうか?仏教の      教えによって戒め諭すのでしょうか? それとも民主国家のように政府命令      を出して禁止するのでしょうか?                    ダライ・ラマ :一般のチベット人は、個人的に言えば中国人に対してずっと不信の気持を抱      いており、中国人と一緒にいることはやっかいで耐え難いことだと考えてい      ます。しかしチベット人はその信仰心のゆえにダライ・ラマには篤い信仰を      よせており、その信仰は自分の考えというものさえ超越しており、ダライ・      ラマの言うことは絶対によいことで、必ず実行することができ、チベット人      の利益になることまちがいなしと考えているのです。                たとえば、私が中庸の道を説けば多くのチベット人がそれに賛同してくれま      す。しかし、もし中庸の道を私ではなく別の人が説くとすればその支持率が      どれほどになるかは疑わしいものです。このように言うことができるでしょ      う。つまりチベット人が支持するのは人であって観点ではないのです。これ      はよくよく考えなければならないことです。チベット人は、ダライ・ラマに      対する敬意と信頼ゆえに、自分たちの理解を超えてダライ・ラマが自分たち      によい道をもたらすことができるというこの一点を信じているのです。        暴力の問題については、それはよくないものであり非暴力路線を歩む必要が      あります。それで私はいつも宗教的角度からチベット人たちを教え諭してい      るのです。私たちは亡命者ですから行政や法律をもってなんらかの制限を加      えるということは不可能です。もちろん、チベットの民主政治には規範が必      要であり、チベット亡命政府が定めている行為規則等の法律的性格をもつ公      文書には非暴力路線を歩まなければならないと規定されています。          私はいつもこう言っています。もしチベット人が暴力路線をとるというなら      私はダライ・ラマを辞めますと。これは1987年に言ったことです。     茉 莉 :一部の漢族の友人たちが知りたがっていることですが、あなたは1959年以前      の旧チベットの社会制度についてどのようにご覧になられますか? もし       中国共産党が宣伝しているような“反動的なたちおくれた農奴制” ではな      いとすれば、どのようなものであったとお考えでしょうか? 今でもなお一      部の漢人たちは、旧チベット社会には残酷な体刑や搾取、迷信などの問題が      あったと常に言っています。私は今日のチベット人たちが過去のこういった      歴史問題についてどのように考えているか知りたいのです。             今後もしチベットが真の意味で自治を得ることができたら、あなたがたはど      のように歴史の流れに順応していきますか?               ダライ・ラマ :旧チベットが完全で非のうちどころがなかったと考えているチベット人は一      人もおりません。私個人としては、旧チベットの制度は時代の趨勢に合わず      、改革を必要とする一種のたちおくれた状態にあったと考えており、この点      についてははっきりとわかっております。1950年に私がドムに逃れた時、       ドムはチベットとネパール(訳注:正確にはブータン)の国境ですが、その      時はじめてチベット僻地の農村の様子を知ったのでした。戻ってからほとん      どその年のうちに、私は“改革会議”という改革組織をつくりました。        チベット人が“会議”と呼んでいるものは各方面の代表を含んでいるもので      、その中にはチベット政府の役人だけではなく、寺院や一般庶民の代表も入      っていました。租税とチベット語で“ウラ”と呼ばれる賦役、すなわち労役      等の方面にわたっても改革を実行し始めました。 当時すでに土地改革とい      う考え方があったのです。                            旧チベット社会はたちおくれてはいましたが、しかし中国共産党が言ってい      るように暗黒と残酷と野蛮の極みであったというようなことは決してありま      せんでした。旧チベット社会に育った人々の表情を見ればたしかに喜びに満      ちあふれニコニコしているのがわかります。                    中国、インドの農奴制度とチベットのそれとは異なったものです。その違い      、チベット人が喜びに満ち溢れている主な理由は宗教によるものです。しか      し一部の金持ちや権力者たちが自分たちの農奴をいじめていたという事実は      たしかにあって、どの地域にもそういうことはありました。しかし総じて旧      チベットの制度は比較的良く、なかでも慈しみと善を以って人に対するとい      う観念は、中国やインド、その他の国々、とくにヨーロッパ中世の農奴制に      比べてみれば比較できないほどに優れており、それは主に愛と慈善の要素を      秘めていたのです。もちろん個別的には人に危害を加えるといった現象もあ      るにはありました。                               私たちが亡命して来てもう三十九年になります。この三十九年の間、私たち      は多くの居住地を建設し、自分たちの亡命政府等をつくってきました。これ      らは私たちチベット人が自分たちでつくったのであり、 共産党が援助して      くれたわけではないのです。共産主義は一種の残酷な制度ではないでしょう      か?それゆえチベット人にチャンスを与えてくれさえすれば、チベット人は      必ずや自ら改革を行うことができるでしょう。先ほども申しましたように昔      のチベットはとてもすばらしかったと思っているチベット人は一人もおりま      せん。むしろ欠陥があったと考えているのです。この種の改革はもちろん機      が熟するのを待つ必要がありますが、改革は自ら行い、かつ行うことのでき      るものです。チベット人はそれを成し遂げることができる能力をもっていま      す。                                 茉 莉 :私はここですでにそのことを目にしています。              ダライ・ラマ :もしそのような日が、亡命政府と内地のチベット人が一緒になる日がおとず      れるなら、これはすでに決めていることですが、私は政府の仕事には関わら      ず、いかなる政府の職務も担いません。未来のチベット政府は国民選挙によ      るものでなければなりませんから。                   茉 莉 : 昨年の十月に江沢民がアメリカを訪問した時、亡命チベット人たちは気勢      すさまじいデモの陣容をはっきりと示しました。抗議のデモ隊の80パーセン      トはチベット人が占めていたそうです。このことは中国語のインターネット      ・マガジン上でチベット問題に関する激しい討論を引き起こし、以前はあま      りチベット問題に関心のなかった海外の中国人留学生や学識者たちさえも、      次々とこの論争の場に巻き込まれ、チベット支持派と反対派が真っ向から対      立しました。ある中国人は、五十年代に中国共産党がチベット人に対してあ      のように残酷なことを行ったということをはじめて魏京生から聞いて良心に      大きなショックを受けたそうです。できればあなたにお詫びしたいというこ      とでした。こうした状況を前に、あなたとチベット亡命政府は、チベットの      人々とともに(中国人と)相互に交流をはかる計画をお持ちでしょうか?  ダライ・ラマ :80パーセントも? 中には大勢のアメリカ人もいたのでしょう?       茉 莉 :はい、しかし彼らはチベットの自由のために抗議に参加した人たちでした。 ダライ・ラマ :中国の兄弟姉妹たちと連絡をとり交流することは非常に大切なことであると      ずっと考えています。私たちはこのことをとても重視して、 ここ数年この      方面には力を入れています。私たちはもっと中国語の出版物を発行し、中国      の人々ともっと多く関係をつくり接触をはかり、能力があれば一切のチャン      スをとらえて近づいていくべきであると私は思っています。私はいつもこの      ように言っているのですが、具体的な計画についてはあまりよく知らないの      です。というのも、これは外交部と情報部といった機関がやっていることだ      からです。                                   チベットと中国が互いに理解し合いうこと、互いに抱えている苦難と心から      の願いとそれぞれの状況を理解し合うということはどうしても必要であり、      私たちはそのために努力しなければなりません。このことは二十年来ずっと      言い続けてきました。しかし天安門事件以前は中国の方と連絡をとりあうこ      とはかなり難しく、そのためこうしたことに関心をもってくれる人もおらず      、当時はこちらに来る中国人もまだいませんでした。天安門事件以後、中国      の方々と連絡をとることがずっとやり易くなり、この問題に関心を持ってく      れる人も出てきたのです。                       茉 莉 :一部の中国人は、西側の人々のチベット支持という強大な国際世論の圧力を      前にして不満をならしています。彼らの内のある者たちはかつてチベットで      働いたことのある漢人で、自分は当時、チベットを一日も早く貧困とたちお      くれの状態から抜け出させるという望みを抱き、奉仕の精神に満ち溢れてチ      ベットに入り真心込めて青春と労苦の汗水を捧げてきたと思っていたのに、      その結果得たものは“侵略者”、“悪の手先”という汚名だったと言い、ま      た”人の命はみな一様に高価なものだ、チベット人が苦しみをなめたのなら      、自分たち漢人も同様に迫害を受ける”と考える者もいます。また“大西藏      ”といわれるチベット三地区(訳注:ウ・ツァン、カム、アムド)に居住し      ている漢人は、チベットが独立或いは完全な自治になったら“漢族追放”が      始まるのではないかと心配しています。あなたはこのことについてどのよう      にお考えでしょうか?                         ダライ・ラマ :1951年から1958年まで私はずっと中国人といっしょに仕事をしてきました。      一部の漢族共産党員は確かに崇高な理想を抱いてチベットに来ていました。      貧しい人々のために、そしてチベットのために奉仕しようという崇高な理想      です。こういう人たちは少なくなかったですよ。(ダライ・ラマがさらに中      国語で付加えて“たくさん、たくさんいました”と言うと茉莉記者は大笑い      )。こういった人々の中にはチベット共産党員もいました。彼らは忠誠心に      燃えて、共産党の指導の下でチベット民族とチベットは必ずや進歩発展して      いくことができると確信していました。                      しかしこういった観点をもっていたチベット共産党員たちは、1956年と57年      にかけておこった変化(訳注:「百家争鳴」に続いて毛沢東がしかけた「反      右派闘争」を指す)の中で、1957年とその翌年から中国共産党によって地方      民族主義者或いは民族主義者という非難を受けたのです。              中国がチベットに派遣した漢族幹部の中には、たしかに敬虔で誠実な人々も      たくさんいました。しかし実際、大部分の人々は事情に通じておらず、共産      党が宣伝していたこと以外は何も知らなかったのでした。              あなたのおっしゃる“大西藏”は、その三地区一帯の中国人、そして私の生      まれたところでもあるのです。1949年以前にもすでに一部の中国人が定住し      ていました。康定(ダルツェンド)等の地区にも代々定住している中国人が      います。歴史の中で私たちはすでに一つ家族のようなもので、どんなもめご      とも起こったことなどありません。彼らの多くは仏教徒です。            一方では、新たにチベットに来た人々、共産党に派遣されてきたとか或いは      経済的理由で。経済的開発に乗じてお金を稼ぎに来たという人々もいますが      、これらはまた別の問題です。中国人ということで一概に論じてはならず、      ある程度区別する必要があります。                        彼らがチベットに留まるつもりであれば、またチベットの文化や宗教を尊重      するのであれば、私はもめごとや問題など起こるはずはないと思っています      。もちろん、彼らがチベットの文化や宗教を無視するのであればチベット人      にはおもしろくないでしょうし、彼らにとってもチベットで生活することは      不快でしょう。お互いにともに生活し易くなるように、どうしたら双方とも      しあわせな日々をおくれるかということ、こういった方向から互いに力を合      わせて努力していけば、必ずや良い解決方法が見出せると思います。    茉 莉 :チベット民族は近代化していくでしょうが、そのことと民族の伝統との間に      衝突はあるでしょうか? ある漢人たちは、チベット族は仏教を盲信してい      るために近代化が妨げられているのだと考えています。この問題については      どのようにお考えでしょうか?                     ダライ・ラマ :チベット人の伝統的な習慣の中でも、あるものは封建制度のもと当時の社会      要因が生みだした習慣なので、時代の発展とともに自然と消えていくでしょ      う。というのもそういった習慣には残っていく基礎となるものがないからで      す。こういったものが自然に消えていくことは何も惜しいことではありませ      ん。一方、例えばチベット人の衆生に対する慈愛のこころ、一匹の虫を見て      も「なんとかわいらしい、この命を慈しまなければ」と言ってしまうような      、こういった愛の心、利他の思想と意識の伝統、これはとてもとても大切な      ものなのです。これは近代化といささかも矛盾しませんし、当然残していか      なければならないものです。                           今の欧米を例にとれば、その外面的な経済発展にはかなり人の目を引くもの      があります。しかし内面的には、善良な人、人のために尽くす人をいかに育      てるかといった伝統は弱まってしまいました。こうした伝統の衰退によって      欧米諸国では多くの社会問題が生じ、一部の人々は精神的にも病んでいるの      です。それで多くの外国の社会学調査団や社会福祉団体などの専門家たちは      みな口をそろえて言っています。チベット社会の伝統には多くの愛と利他と      慈悲の思想があって、それはすばらしいものだと。彼らはこうしたチベット      の伝統を逆に学びたがっているのです。                      さきほど仏教を盲信しているというお話しが出ましたが、チベット人の中に      は仏法を理解しないで仏教を盲信している人々もたくさんいます。しかし、      理解しないで盲信するということが仏教それ自身が迷信であるということで      はないのです。  私は世界のあらゆる宗教に対して尊崇の気持を抱いてい      ます。しかし仏教の角度から見れば、もしそれを正しく理解しているなら、      仏教が迷信といったものではないと私は思います。                 アインシュタインはかつて 「もし科学の発展において宗教が必要だとすれ      ば、それは仏教である」と語ったことがあります。いままで私はたくさんの      学者、科学者の方々とお会いしお話ししたことがあります。             私たちは宇宙の生成について論じ合い、霊魂と肉体の関係、 さらに原子、      電子等々無限に分析していきました。こういった問題について全部で七回、      真剣に討論し、それを通して私は非常にはっきりとわかったのです。仏教と      科学は決して矛盾せず、ある観点では共通であると。科学者は仏教の中から      多くのものを学びとり、仏教もまた科学から新たなものの見方や新たな世界      認識の観点を発見することができ、互いに相手の役に立つものなのです。  茉 莉 :とてもすばらしいお話しですね! もう一つお尋ねしたいことがあります。      ダラムサラに来る前に私はチベット族の詩歌を読んだのですが、 なかでも      六世ダライ・ラマ、ツァンヤン・ギャツォの詩歌はとても優美で、その詩の      ほとんどの部分でこまやかな愛情を詠いあげ、愛情と宗教の板ばさみになっ      た矛盾を表現していました。愛情のために彼は“ダライ・ラマ”の称号さえ      も返上したいと思ったほどでしたが、あなたはこのご自分の前世をどのよう      にご覧になりますか?                         ダライ・ラマ :六世ダライ・ラマ、ツァンヤン・ギャツォは出家してから後にまた自身の       戒律を返上しました。こうすれば戒律に拘束されることはありません。彼は      戒律に縛られたくなかったのです。それは彼の自由で、それでよかったので      すよ!(二人とも大笑い) 宗教的生活というものは一般の人でも送れます      し、また僧侶になってもできます。これはそれぞれ異なる選択ですが歩む道      は同じです。みな一緒なのです。                    茉 莉 :ある漢族の友人たちは、あなたが依然としてチベットが中国の一部であって      もよいとお考えであるなら、自分たちとしては将来あなたに中国に戻ってい      ただき、その慈悲と愛の心、智恵と包容力で全中国の政治によい影響を与え      ていただきたいと願っています。そうすれば今の中国は多くの矛盾と衝突を      避けることができます。                        ダライ・ラマ :私はもう年ですから、残された時間を宗教に、人々が互いに愛し合い、仲良      くして団結することを教えることに捧げたいのです。その対象には、アジア      、ヨーロッパ、アメリカ大陸という分け隔てはなく、また中国、チベットと      いう区別もありません。人々が望むなら、私は今こうしているようにこれか      らも同じようにするでしょう。いつかチベットに帰ることがあれば、中国に      対してもチベットに対しても、すべての人々に対して平等に接し、そこには      どんな区別もないでしょう。                            台湾を訪問した折、そこで大勢の中国の友人たち、兄弟姉妹に会いました      。みんなとても喜びました。 私も自分のもっているすべての力を尽くして      チベット人に接するように中国の方々に接しました。私はずいぶん前から一      つの望みを抱いており、中国へ巡礼に行けたらと願っています。とくに中国      の泰山に行きたいのです。 たとえ今の政治問題やそれらのもめごとがまだ      解決していなくても、こういった問題はとりあえず傍らに置いてまず巡礼に      行くのです。私はずっとこの望みを抱いており、とりわけ泰山に行ってみた      いのです。(訳注:泰山=山東省にあり主峰の海抜は1.524m。歴代皇帝が天      と地の神を祭る儀式「封禅」を行った中国第一の聖山。)               政治活動とその勤めについては、 いつかチベット人が故郷に戻れるなら      ば、私はすでにこれらの職務を降りると堅く決意しています。 いかなる職      務、名義を担っていようとともそれを辞める覚悟でいます。        茉 莉 :他にもう一つ小さなことですが、あなたのご証言をいただきたい大切な歴史      問題があります。きょうは三月十日ですが、三十九年前のこの日、チベット      のラサで武装蜂起が起こりました。中国共産党系の資料によれば、その時、      あなたご自身、 自らすすんで軍区文工団の演劇上演を見に行くと申し出ら      れ、 その後反動分子がこの機に乗じて叛乱を引き起こしたと言われていま      す。                                 ダライ・ラマ :先に招待を受けてそれに応じたのであって、招待もなく私が自ら申し出たと      いうのとは全く違いますよ。あの時、彼らが先に私を招いたので、「よろし      いですよ、伺いましょう」と私は応えたのです。                  彼らが招きもしないのに私自身が芝居を見に行きたがったなんて、 それは      ちがいますよ。ハッハッハ(大笑い)                  茉 莉 :最後にもう一つお尋ねします。私の知るところでは、現在中国大陸のインテ      リ層の中ではチベット問題に関して三つ目のとらえ方が出てきています。       彼らの考えでは、従来のチベット研究は二種類の制約から逃れ得なかった、      つまりダライ・ラマの側につくか、 はたまた北京側につくかのいずれかで      あって、 いずれも信じるに足りないということなのです。             王力雄(ワン・リィシォン)という中国の作家はチベット区域に深く入り込み十数回 取材を行って、今一冊の本をまとめましたが、彼は亡命政府と北京という二      つの制約をできる限り超えようとしているようです。このことについてはど      のように思われますか?                        ダライ・ラマ :それはチベット亡命政府、或いは中国政府の言い分を必ずしも信じる必要は なく、自ら調査した方がいいということですね。この作者(王力雄のこと)      がチベットに十数回も行ったことがあるというのであれば、自ら調査に赴く      ことが最もよいことです。たとえチベットに行ったことがある人でも完全に      チベットを理解しているとは限りません。この作者はただチベットに行くだ      けでなくインドにも来て、亡命チベット人の声を聞き、逃げてきたそれぞれ      の家庭の、彼らの中に迫害をうけて死に至った者がいったいどれほどいるか      、彼らがどれほど苦しんでいるか知るべきです。                  いつの日かチベット人に恐れがなくなり、ほんとうの自由という条件の下で      調査するならそれはもちろん公正なものといえるでしょう。しかし、恐れる      ことばかりで自由のない状況下において公正な結論を出そうとすることは非      常に難しいことなのです。尋ねた相手に度胸があるなら自分も怖がることは      ありませんが、応える方はたぶんそんな勇気や度胸はもっていないでしょう      からおそらくほんとうのことは言わないでしょう。だから自由で恐れのない      状況下で調査してはじめて公正であるといえるのです。彼(王力雄のこと)      は両方 (訳注:中国側チベットとインドの亡命政府)とも見てみるべきで      す。私はさきほど集会(記者に接見する前におこなった“三月十日”記念集      会の講話)でチベット人にも話したことですが、いかなる人であろうと私た      ちはここに調査に来られしっかりと見ていただくことには大歓迎です。きょ      うのこの集会にもおそらく少なからぬ中国政府関係者が来ておられたことで      しょう。それは非常に歓迎するところです。 道理に従えば彼らを貴賓席に      お招きするべきでしょう。私は、彼らが帰国後、明確に調査を行うよう、事      をはっきりと公正に報告し、 事実を歪めることなくまた物事の表面だけを      見て事実をぼやかしてしまうことなく上部に報告するよう期待しています。      ようするに私は彼らの来訪をとても歓迎しているのです。         茉 莉 :申し訳ありません、こんなにもお時間を拝借して…。それにめんどうなこと      ばかりお尋ねしてしまいました。何か私にお聞きになりたいことはあります      でしょうか?                             ダライ・ラマ :もう一度お話しする時間がとれるかどうかみてみましょう。(茉莉記者、チ      ベット語で「はい」と応える)。何かご意見や今回話し足りない部分があれ      ば当然改めなければなりませんから、どうぞおっしゃって下さい。(続けて      中国語で)ご批判でも結構ですよ!                   茉 莉 :ありがとうございます! 私ども多くの中国人が言っていることですが、       あなたの存在はチベットの人々の幸せであるばかりでなく私たち中国人の幸      せでもあります。いつまでもお元気でいらっしゃいますように! こんどお      会いする時には、またたくさんの厄介な問題をお尋ねすることと思います。 ダライ・ラマ :そういった問題をどうか引き続き出して下さい。 厄介であればあるほどよ      ろしい!                              
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第二回訪問(三月十五日 午前11時半より)

茉 莉 :(合掌してチベット語で挨拶)タシデレ!                ダライ・ラマ :(応えて)タシデレ!                         茉 莉 :目下のところ自由思想をもった中国のインテリたちは、北京、 ダラムサラ      双方の宣伝機関が嘘をついていると批判しています。たとえば、チベット自      治区に今現在いったいどのくらいの漢人がいるかという問題で、 あなたが      1987年に発表されたのは、軍隊を含まないチベット自治区の漢人人口はすで      に 190万人を超えているというもので、このような言い方はひろく国際社会      で取り上げられています。 また中国政府側の発表した数字ではK1987年の      チベット自治区の漢人総数はほんの7.88万人であるとし、  両者の間には      二十四倍もの差があります。その他ある漢人たちは、中共がチベットを統治      するようになってから殺害されたチベット人は百万人以上にのぼるという       チベット政府の出している数字は疑わしいものだと言っています。     ダライ・ラマ :思うに、 700万人以上の中国人がチベットに移住したという言い方はチベッ      ト三区(訳注:かつてチベット域であったウ・ツァン、カム、アムドの全領      域)を指しているのであって、チベット自治区だけを指しているのではあり      ません。チベット自治区に(漢人が) 100万人あまりいるという言い方に至      っては、私たちは当然実地調査をすることはできませんし、その能力もあり      ません。それに中国人はチベットにおいてすでに多くの居住地区をつくって      います。もちろん彼らの戸籍を考えに入れているわけではなく、ただチベッ      トにどのくらいの中国人がいるか観察しただけです。また軍隊を含めれば、      たとえばコンボ地区、そして現在のニンティ地区ではほとんど中国人で一つ      の街が形成されているのです。こういったところから推測し、チベット人た      ちが報告した状況を分析することで、チベットにいる中国人人口はすでに       700 万人を超えているに違いないと見積もったのです。この数字は間違って      いるかもしれませんがそれほど大きく違ってはいないはずです。 もちろん      これらは推測によるものであり、私たちはチベット内地に調査に行くことは      できません。もしどうしても必要があれば内地に調査に行ことも考えられま      すが。                                     120 万人のチベット人が殺害されたという言い方については、ここに二つの      前提があります。一つは、これらの人々はそのすべてが戦いで命を落とした      のではないということで、二つ目は、ある時期に限って、例えば、ある一年      間に百万人以上が殺されたと言っているのではないということです。         この数字は、中国の軍隊がチベットに進入してから1983年までの間に中国人      の進入が原因で亡くなったチベット人の総数です。この数字の中には戦死し      た者も含んでおり、たぶん二十万人くらいいるでしょう。それから獄中で亡      くなった人もたくさんいます。ダライ・ラマの医師であった人が投獄された      時、いっしょに拘禁された人々が百人余りいましたが、生きて戻ってきたの      は十数人に過ぎず、その他の多くの人々は飢え死にしたのでした。凶作のた      めにアムド一帯で1959年に大飢饉が起こりたくさんのチベット人が飢え死に      しました。今日のいわゆる“チベット自治区”は1966年、67年の文化大革命      期間中に多くの餓死者を出しました。このような状況は1983年、84年まで続      きました。さらに多くの人々が耐えられないほどの侮辱と虐待を受けて自殺      したのです。私たちの調査を通してたくさんの人から報告がありました。       自分たちのところではどれほど多くの村で家庭で、どれほど多くの人が亡く      なったか、彼らがどのような死に方をしたか…。私たちは多くの材料と数字      を得、それらの数字を統計してこのような約120万の チベット人が死亡した      という推測を立てたのです。これは、中国がチベットに進入してから1983年      に至るまでの数十年間にさまざまな迫害を受けて亡くなった人たちを統計し      た数字です。                                  私たちチベット亡命政府にはこれに関連する統計数字があります。たぶん報      告された統計数字には一部重複があるかもしれません。ある一つのことを二      人の人が報告すれば、それで重複してしまいますから。               こういった事は技術的な問題で避けられないものなのです。(茉莉記者も同      意見)もちろんこれはとても重要な問題であって、 事実に即した科学的な      調査が必要です。公正な調査を行うことが望ましいのですが、しかし調査の      対象が自由で恐れのない状況下で行われる必要があります。もし公安に捕ま      る可能性があり、すぐに面倒にまきこまれるかもしれないとすれば、 この      ような調査は公正で正確であるとは言えません。多くの事、 例えば中共の      文革期間中に人肉を食べたという事件は、いまこの時になってはじめて摘発      されたのであって、当時は明らかにされていなかったのです。多くの事がら      は公正な調査を経てはじめて明らかにすることができるのです。      茉 莉 :”政教一致”とはチベット人にとってどのような制度なのでしょう?多くの      中国人たちは、この制度は中世ヨーロッパの制度と同じで旧式で時代遅れな      ものだと考えています。このことについてどのようにお考えですか?    ダライ・ラマ :”政教一致”はチベットの歴史において、ダライ・ラマやバスパといった宗      教的指導者によるものであって、その宗教上の威信のゆえに政府の指導者、      もしくは政権の担い手となったのです。このような制度がもともとチベット      にとってどのようなものであろうとも、将来のチベットにはもはやあっては      ならないものです。それで私は、来るべき政府からはすでに引退することを      決めており、このことはもう結論を出しました。未来の指導者はただ選挙を      通じてのみ登場しうるのです。                     茉 莉 :あなたは今年の“三月十日”記念集会の講話の中で、「いまやチベット人の      挫折感はますます深刻なものになってきています」とおっしゃり、彼らのた      めにとても心配なさっておられますね。もしこの先不幸にしてこの地(ダラ      ムサラ)で亡くなられるということにでもなれば、事態はどうなるのでしょ      う?                                      中共側は、あなたという旗印を失えば亡命政府はもはや国際社会においての      地位を保持できるはずがなく、あなたがたの事業も自ら崩れるだろうと考え      ています。  このことについてはどのようなお考えとお心積りをお持ちで      すか? ダライ・ラマ :もしダライ・ラマが突然亡くなるようなことがあれば、それはチベットの事      業にとって明らかにダメージとなります。しかしそれはただ一時のことにす      ぎず、長い目で見ればマイナスにはなりえません。チベット民族はなおも闘      い続けるでしょう。 というのもこの矛盾が依然として存在しているからで      す。チベットの闘争はダライ・ラマ個人、あるいはダライ・ラマの制度のた      めではありません。もしただそのためだけであるなら、ダライ・ラマがいな      くなることでこの闘争もまたダライ・ラマの制度もなくなるでしょう。しか      しそういう事ではないのです。それは全チベット民族の問題に関わることな      のです。ですから、この闘争が存在するというだけでなく、一部のチベット      人が暴力に訴える傾向さえ出てくるでしょう。                   それがとても気がかりです。いまのところ私がおり、その“非暴力思想”が      あることで、ある人々はおとなしくして欲しいままにふるまおうとはしてい      ませんが、これからそういう方向に発展していくかもしれません。私はその      ことをとても心配しています。いずれにしてもチベットの事業は存在するで      しょう。                                    過ぎ去った歴史を振り返れば、中国人民解放軍がチベットにやってきたその      年から1957年まで、この時期アムドにはたくさんのチベット族共産党員がい      ました。彼らは全く宗教を信じず、中国共産党がチベットを指導すればよく      なるだろうと信じていました。彼らには民族意識があるだけで信仰はなかっ      たのです。しかし1957年、58年になると、彼らは完全に中国共産党への信仰      を失い、チベット人民の側に立つようになりました。それはダライ・ラマに      対する信仰、あるいは宗教的理由によるものではなく、唯一の原因は彼らが      チベット民族に属していたことだったのです。彼らは非常に強い民族意識を      もっていました。このように見てみると、将来のチベット民族の問題の所在      は、ダライ・ラマがいるかいないかに関わらず、この問題(訳注:民族の問      題)の存在にあるのであって、そうなればこういう人々が立ち上がるでしょ      う。 それゆえ肝心なことは問題がなお存在しているということなのです。 茉 莉 :そのとおりですね。私はこの地を訪問して、あなたがたの民族感情、民族が      一丸となって前進していくという精神に深く感じ入りました。申し訳ありま      せん、こんなに長いことお邪魔してしまいました。さきほど法話からお戻り      になられたばかりでたいへんお疲れですのに、もうお休みにならなければい      けませんね。私はこれで失礼いたします。どうぞいつまでもお元気で!   ダライ・ラマ :(思いが未だ尽きないかのように)中国の方々の民族意識もかなり強いです      よ!(大笑い)中国人には自分たちの民族意識があり、チベット人にもチベ      ット人の民族意識があります。大切なのは中国、 チベット両民族の団結で      す。これは特に大切なことです。私たちは互いの益になるよう互いに助け合      うべきであって、いじめ傷つけあってはならないのです。         茉 莉 :中国人の一人として、私はいまチベットの人たちが羨ましくなりました。       チベット人はどんなに苦難があろうとも、あなたという慈愛に満ちた仏様を      精神的な拠り所としているのですから。でも私たち中国人にはそういう方が      おりません。歴代の君主制からいまの中共の指導者に至るまで、ただ程度の      差があるだけで、皆人民を抑えつけてきたのです。私などは海外への亡命を      余儀なくされ、心はよるべもなくいつもさまよっているのです。      ダライ・ラマ :(なにも言わずにただ茉莉記者の手をやさしく撫でている)        茉 莉 :私はまだあなたにあやまらなければならないことがあります。この前お会い      した時、私は仏教のおきてを知らずに、思わずあなたに抱き着いてヨーロッ      パ風のお別れの挨拶をしてしまいました。                ダライ・ラマ :(大笑い)そんなことですか… ハッハッハ!              茉 莉 :またお会いしに参ります! さようなら!                                                   ( 完 )

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