《北京之春》は、亡命チベット人トゥプテン・ングドゥプが抗議の焼身自殺を遂げたことを、チベット 問題における重大事として、四月三十日、全中国人及び中国政府に向けて以下の声明を発表しました。 《北京之春》98年 6月号 第61期 91より
【ダライ・ラマの“チベット問題平和解決”を支持する声明】 1998年 4月30日 亡命チベット人トゥプテン・ングドゥプが、四月二十七日焼身自殺をはかりました。トゥプテン・ング ドゥプと他の五名のチベット人は、三月十日以来ハンガーストライキに入り、北京のチベット政策に抗議 していました。トゥプテン・ングドゥプが焼身自殺をはかったまさにその日に、人民解放軍の総参謀長、 傅全有はニューデリーに到着し五日間にわたるインド訪問を開始しました。インド政府は傅全有の訪印を うけて(ハンスト中のチベット人たちを)“一掃する”ことを決定し、インド警察が六名のチベット人の ハンストを強引に中止させました。警察が最後の一人となったトゥプテン・ングドゥプを担ぎあげ連れて 行こうとした時、彼は「ダライ・ラマ万歳! チベット万歳!」と声高に叫ぶや、自らの身体に引火性の 液体を浴びせかけて火を放ちました。彼は四月二十九日の早暁、零時五分、ニューデリーにて亡くなりま した。トゥプテン・ングドゥプの逝去に、私たちは心から深い哀悼の意を表します。 トゥプテン・ングドゥプがハンスト開始に選んだのは三月十日。三十九年前のこの日、数万にのぼるチ ベット人たちがラサでデモを起こし、ダライ・ラマの在所であったノルブリンカ宮殿に集まりダライ・ラ マを守る決意を表明しました。まさにこの一九五九年三月十日の平和抗議行動が、ついには中共による武 力鎮圧を引き起こし、ダライ・ラマはインドへの亡命を余儀なくされたのでした。その後、中共の三年に 及ぶ“平定作戦”によって一千万人にものぼるチベット人が殺害され、六万人がチベットから逃れるとい う結果になりました。“文化大革命”中にはまたも数万のチベット人がチベットを離れました。現在、イ ンドだけで十一万人の亡命チベット人がいます。三月十日、この日はチベット人にとって“自由を勝ち取 る闘い”の記念日なのです。 今年の三月十日、この“自由を勝ち取る闘い”記念日に、ダライ・ラマは次のように言われました。 「私は決してチベットの独立を求めているのではありません。いままで幾度となく言及してきましたが、 私が求めているのは、チベット人民が名実ともに自治を享受するチャンスを獲得できるようにということ であり、自らの文明、即ち独特の文化、宗教、言語、生活様式を保つことによってそれを大いに発揚して いくことです。私が最も心にかけていることは、チベット人民がその独特の仏教文化遺産を確保すること なのです。」 トゥプテン・ングドゥプの焼身自殺による死は、チベット問題において再び警鐘を鳴らしています。私 たちはすべての中国人に〈ダライ・ラマの“チベット問題平和解決”を支持する声明〉をアピールし、近 日中に“チベット問題”解決のために以下の四項の措置を採るよう北京政府に断固要求します。 一、一九五九年のラサ事件を改めて調査し直すこと。 二、北京政府はダライ・ラマ或いはその代表と直接話し合いをすること。 三、ダライ・ラマのチベット帰還を歓迎すること。 四、チベット民族を結集させた会議を招集し、チベットの“充分な自治”を保障する計画を協議する こと。 (訳註:以下、発起人七名と連署人四十八名中十名の名前が記され、連絡先電話番号が明記されている)