《北京之春》98年7月号 No.62−99より【ダライ・ラマ、ボストンにて中国人学者たちと対話】
銀 衫(イン・ シャン)
今年、 ダライ・ラマのボストン訪問の行程は有名なユダヤ系の大学であるブランダイス大学に集中し た。 5月8日、ダライ・ラマは同校がおくった名誉人文学博士の学位を受け、”世界発展と穏やかな 対話”というテーマの討論会において講演を行った。5月9日早朝、ダライ・ラマはブランダイス大学に おいて中国人学者やアメリカの中国問題専門家たちと対話の場をもった。彼は自分とチベットの中国共産 党との関係における協力から分裂に至るまでの経緯を紹介し、さらに、チベットは香港のような“一国二 制度”式の実際上の自治を獲得することを望んでいると表明し、列席者の質問にも応じた。 会議に出席した著名な民主化運動人士の魏京生は席上、次のように語った。;「ダライ・ラマの独立で はなく自治を求めるという政策は非常に賢明なことであって、また中国人民の支持を得られるものです。 中国人民は共産党の抑圧を受けており、こういった抑圧はチベット人民に民族的な抑圧としてさらに重く のしかかっています。チベット人民がこういった抑圧に反対している時、民族主義的気持を持つでしょう し、中国内地の人々もこういった抑圧に反抗して地方主義的な色彩を帯びることでしょう。あらゆる人民 は共産党に反抗する時、みな周囲の人々と団結することを求めるでしょう。」 長い拘留生活のうち彼は 青海で五年間拘禁された。そこはまさにチベット民族の地域であり、彼は、チベットの人々、チベット族 の囚人や警官そして漢族の警官と看守との交流を通して二つの重要な情報を手に入れたのであった。その 一つは、チベット人民が共産党に反抗するのは、けっしてすべてが民族主義的な問題ではなく、主に共産 党の理不尽な抑圧に反対しているのである。 多くのチベット人は“独立”のスローガンを叫んではいる が、実際のところ漢人との関係は良好である。彼らはただ、独立すれば抑圧から逃れられると考えている に過ぎない。その二つ目は、共産党は可能な限り漢族とチベット族の団結を邪魔しようと、チベット人は 独立したがっているんだぞ!と言い、実際には、鎮圧を行うための“合法的な理由”を探し求めているの である。 この二つの情報によって、魏京生は、ダライ・ラマの自治を求め抑圧に反抗するという政策は 正しいものであり、また漢族、チベット族双方の支持を得るものであるという印象を受けたのである。 魏京生はダライ・ラマに次のような質問をした。 ;「五十年代、(チベット代表として中国共産党と 《十七条協議》に調印した)アポ・アワン・ジグメはダライ・ラマの全権代表だったのですか、それとも ただ問題を協議するために派遣されただけだったのですか?」 ダライ・ラマ;「アポ・アワン・ジグメはわたしの代わりに偽りの調印をしました。彼は当時具体的な 話し合いに参与するよう委任されただけであって、交渉権はありましたが調印権はありませんでした。」 ハーバード大学費正清東アジア研究センターの傅高義教授は次のように語った。;「わたしは中国政府 の指導者たちと接触していて、彼らはけっしてチベットの自治やチベット文化や宗教を保護することに反 対しているわけではないと感じています。ただ彼らはダライ・ラマが提示しているこれらの主張を真実で あるとは信用していないのです。(ダライ・ラマに)あなたは何らかの方法で中国政府の信任を得て、 彼らにチベット人がほんとうに話し合いによってことを運ぼうとしているということを感じさせることが できますか?」 ダライ・ラマ;「信じることのできるひとつの現実はあります。 チベット経済の各方面の条件はみな すべて劣っています。もしチベットが中国と連携しないなら、交通などの物資における条件は非常に困難 なものになります。歴史においてチベットが中国の一部分であったかどうか、論争にはいまのところまだ 結論は出ていません。大切なことは未来の発展に目を向けることなのです。歴史を穿り返してもけっして 現実の問題を解決することにはならないのです。」 元ハーバード大学発展研究所所長のドゥワイト・パーキンソン教授は次のように意見を述べた。; 「1984年にわたしはある代表団に随行してチベットを訪問しましたが、チベットの宗教と社会文化の変化 はけっして中国政府が故意に引き起こしたものではなく、経済の開発と発展の過程において大量の漢人が チベットに入りこんでビジネスを始めた結果であると思いました。このような状況下で(中国政府が認め たことであるせよ)、チベットの宗教文化を保持していくことははたして可能なのでしょうか?」 ダライ・ラマはチベットの宗教文化はいまや壊滅の危機に瀕しており、それは中国政府が故意に引き起こ したものであると考えているのである。 現在ハーバード大学政治学部で講師を務める鄭世平教授が意見を述べた。; 「四十年前、中国政府と チベットが《十七条協議》に調印した頃は、国際社会から孤立しており、各方面の国力は非常に弱いもの でした。しかしいまや世界の 150以上もの国が中国と外交関係を樹立し(中国のチベットにおける主権を 認め)、しかも経済改革と開放によって総合国力は大きく発展したのです。 あなたは何を拠り所として 中国政府がまだあなたと話し合いをする必要があると思うのですか?」 ダライ・ラマ;「中国にほんとうの安定と統一が必要なら、どうしてもわたしと話し合いをしなければ なりません。中国人が自らの国際的イメージを改善したいなら、これもまたわたしと話し合いをしなけれ ばなりません。」 ハーバード大学の中共系中国人学生会主席である胡小江は次のように語った。;「チベット問題を論じ ている時、中国人であるわたしを不愉快にさせるものがあります。第一は、チベットの過去の政治制度を 美化することであり、第二は、中国は五十年代に百数十万人にのぼるチベット人を虐殺したと言うこと。 第三は、中国はチベットにおいて文化と宗教を抹殺する政策を実施していると言うこと。第四は、中国は チベットの発展のためではなく資源を掠奪するためにチベットにいるのだと言われることです。 これは 事実の曲解です。 中国政府はビデオや宣伝冊子などの手段を通してチベットのほんとうの状況を紹介し ようと努めているのです。チベットとチベットの友人たちはまさにその中からチベット文化を理解し学ん でいるのです。」 マサチューセッツ工科大学の華僑出身学者崔之元の質問に答える時、ダライ・ラマは次のように表明し た。;「もしもわたしがチベットに帰りすべての権限を返上することができれば、未来のチベットに必要 なのは選挙で(リーダーを)選出することなのです。わたしは未来のチベットが世俗(政教分離)の政府 であることを望んでいます。」 ある学者が訊ねた。;「クリントンがまもなく中国を訪問しますが、チベットと中国との関係において アメリカはどのような役割を果たせるでしょうか?」 ダライ・ラマ;「わたしはアメリカ大統領、副大統領、国務大臣と何回も接触していますが、 彼らが 中国政府に対してチベット問題を提起することを深く信じています。いま鍵となる重要な問題はすぐにで も対話を始めなければならないということです。そしてクリントン大統領が中国に行き面と向かってこう した問題を取り上げることが非常に重要なことなのです。」 ある学者は、チベットと中国との関係において、時は中国に比較的有利のようだと考えている。しかし ダライ・ラマと同席のチベット亡命政府駐米代表は正反対の意見で、時はチベットに味方していると言っ ている。相対的に言えばチベット内部の意見の方が北京当局よりもずっと一致していると言うのである。 しかも中国政府は目下のところ政治の民主化といった大きな問題に直面しており、話し合いにこぎつけた 頃には、 今の北京政府にはすでに(崩壊あるいは更迭といった)問題が起こっているかもしれない。 一方、現在中央政府の主だった指導者の平均年齢はダライ・ラマより十歳も上である。 ある人が、インドに亡命したチベット人ラマ僧がハンストをして抗議行動を起こしたことに対してどの ように考えるか訊ねた時、ダライ・ラマは、ハンスト行為は自らに一種の暴力を加えることであり、自分 はこのようなやり方には賛成しないと表明した。 しかしこのような抗議行為が引き起こす危機をいかに 解決すべきであるか、ダライ・ラマは列席者にアドバイスしてくれるよう望んだのである。 民主化運動人士の王希哲は次のような意見を述べた。;「一昨年、わたしと劉暁波は、チベットに真正 の自治を与えるよう連名で二十項目からなる宣言を発表しました。 いまダライ・ラマが提起している “一国二制度”によってチベット問題を解決するということ、これは非常に賢明なことで、 政治的にも 非常に自発性のあるものです。もし大部分の中国人がダライ・ラマのこの主張を知るなら必ず支持するで しょう。中国の民主運動と十二億の民の支持は一つの圧力となって中国政府をダライ・ラマとの話し合い に応じさせることでしょう。」ダライ・ラマは王希哲のこの発言に対して中国語で何度も「謝謝」と繰り 返した。 対話の後、ダライ・ラマと魏京生等意見の異なる人士と中国人学者たちはともに記念撮影をし、郭羅基 、王希哲等と引き続き意見を交えた。正午、ダライ・ラマはブランダイス大学体育館において行われた 6,000 人あまりが出席した集会で講演を行った。午後四時、彼は魏京生と二人だけで膝を交えて話し合っ た。ダライ・ラマは語っている。ここ数年来のたゆまぬ努力によってすでにますます多くの中国人が彼の 主張が中国人の利益と一致すると考えるようになってきた。彼もまた楽観して、生きている内にチベット に帰れると考えているのだと。 現在ハーバード大学燕京中国学社で研究活動に従事している一人の中国人学者が個人的に筆者に語った ところによると、 注意しなければならないことは、中国政府がパンチェン・ラマの転生霊童事件以来、 以前は直接ダライ・ラマと呼んでいたのをダライ・ラマ十四世と改めたということである。 このことは 北京政府がすでにダライ・ラマとの話し合いの門を閉ざしたということであり、十四世ダライ・ラマの後 にチベット問題を解決しようと決心したことを表しているのである。 これは中共が台湾問題を李登輝が 政権を離れた後に考慮するという方策とまったく同じである。