《華夏文摘》第380期(1998年7月10日刊)から三回にわたって、曹長青(ツァオ・チャンチン)氏がインドのチベット人居住区を訪れた際の文章が掲載されました(ここでも少しずつ翻訳してご紹介する予定です)。一方、曹氏のチベット問題に対する見方を批判して“事実に反している”という意見も発表されました。以下の文章は、その後同誌の『読者来信』に投稿されたもので、少数民族問題において“大漢族主義”がいかに大きな障害となっているかを一漢族の立場を以って正面から取り上げたものとして、たいへん興味深い内容となっています。順序は逆になりますが先にご紹介することにしました。


《華夏文摘》第385期(98年8月14日刊)より


【漢族としてチベットを語り“大漢族主義”を考える】


林 尤(リン・ヨウ)


  曹長青(ツァオ・チャンチン)氏の『中国人に語ろう、われらチベット人の苦難を』を読了後、また一連のチベット問題に関する投稿−その主な内容は曹氏の文章の不実の点を述べたものであるが−を読んだ。私はかつて多くの民族が混居している青海省で暮らしたことがあり、多くのチベット族やその他の民族の友人をもった。そこでこの機会に、長年にわたって“中国少数民族”問題について認識したことを皆さんに分かち合いたいと思う。


  漢民族は歴史に燦然たる文明をもち、人口の非常に多い大民族である。その悠久なる古代の歴史と独特の風俗習慣、そして独自の風格をもつ言語は、漢民族として生を受けた者一人一人にとって、またその民族のうちに育った者にとって誇りとなっている。大部分の漢人たちは、一人の少数民族として別の民族の雰囲気の中で生きていくということをいままで理解することはなかったし、また理解しようともしない。問題を考える際の出発点は、いつも“大漢族”の立場からなのである。中学に上がると先生は「私たちと少数民族とは一律に平等です」と教え、街角ではみんな、「岳飛(註:宋代の名将)は忠誠を尽くして国を守り、塞外民族の侵入に抵抗しました」等と講談が語るのを取り囲んで聞いているのだ。こういった少数民族を考えに入れない漢族を出発点として世界を見る傾向は、かくも自然で理解できなくもない。しかし中国はこのように多民族国家なのである。漢族は絶対多数とはいえども唯一の民族ではないのだ。漢民族として、自分たちの文明や風俗は誇れるものであると考えてもよいが、それはけっして他の民族もそのように思うということを意味しているわけではない。それぞれの民族は、自分たち民族の風俗を誇りに思う権利を有しているのだ。もし、ただ自分たちの一切が優越していると考えるなら、他の民族も当然そのように考えるのであり、それは完全に偏狭な民族主義意識になってしまう。

  このような大漢族を出発点とする思考方式は、先ごろ発表されたチベットの真実の情況に関する文章(註:曹氏の文章に対する反論を指している)の中に明確に表されている。ある人は指摘する;チベット人の苦難において “餓死者は百万人、六千の寺院が破壊された”という事の起こりに関しては、その当時は大躍進と文革の時期に当たっていたのだと。その当時、すべての中国人民はみな大きな苦難をなめたのであり、漢人の餓死者は二千万人、漢民族の文化はもっと大きなダメージを被ったのだと。その裏には、チベット人の受けたこの程度の苦しみなど取るに足りないものだ、という思いがあるのだ。さらに曹長青氏を、どうして先に漢人の苦難に関心を払うことなく、ただチベット人の受けた苦しみに対してのみこのように同情するのか、と非難するのである。このような思考方式は、まさに偏狭な民族主義を代表するものの一つである。曹長青氏はご自身漢人として、自らをチベット人の立場におく勇気をもち、チベット人居住地を訪れダライ・ラマに取材し、一人のチベット人の目から世界を見ているのである。このように広い心に対して、あの「どうして先ず漢人の苦難を語らないのか」という類の思考方式はどれほど偏狭で俗っぽいものに感じられることだろう。たしかに、大躍進と文革の期間、漢民族の苦難は他の少数民族に比べて大きかった。しかしこの苦難の原因は漢民族自身の政権にあるのであって、チベット人やその他の少数民族には、漢人とその苦難を分かついかなる義務もなかったのだ。

  歴史において、チベット族は数千年の歴史と独特の文明を有している。チベット族の文書に記されている二千年の歴史の中で、中原の中央政権に隷属した二つの時期があった。一つはチンギス・ハーン以後の元朝で、当時のモンゴルの軍隊が中原を征服してからのことである。チベット人は戦争によって征服されるのを避け、身の安全を図るために、モンゴルに帰属するという合意を取り結んび、モンゴルがチベットの国土を防衛するという義務を負い、チベット人はモンゴル人の中で仏教を伝播することに従事したのである。もう一つは満州族の王朝、清の時期である。同様の原因によってチベット人は、満州族の清がチベットの主権に対し形式上ラマと官吏を冊封することを承認したが、実際はチベット人の自治であった。チベットが中央政権に帰属したこの二つの時期、漢人自身さえもまた被征服民族であった。しかるに、かの偉大なる漢族たちは、「ダライ・ラマとパンチェン・ラマがかつて中央政府に忠誠を尽くすことを自らすすんで願い出た、チベットの官吏が清の服をまとっていた、ダライ・ラマがかつて毛沢東の詩を賛える文章を書いた」等ということをもって、チベットが古くから中央に帰属していたとする根拠にしているのである。その口ぶりは当時の中共の宣伝となんと似通っていることか。この種の大漢族の立場に立った偏狭な考え方は、異郷の地に身をおいている者にさえ、これほどに赤裸々に感じられるのである。いったい、文革のあの時期、毛バッジをつけないでいられたのか? 光緒の時代、弁髪を切れただろうか?(註:光緒年間とは清朝末期、西太后が垂簾政治を行っていた時期。清朝の支配下で弁髪を切ることは死罪を意味した。)

  文化において、チベットはそれぞれの民族同様、独特の風俗習慣を有している。チベット仏教はチベット人の信仰である。イスラム教がアラブ人の信仰であり、ユダヤ教がユダヤ人の信仰であるように。中共の数十年にわたる無神論教育は、いまの多くの中国人を宗教オンチで理解しようとしない者にしてしまった。ある人は、こともあろうにダライ・ラマとチベットのラマ僧を蔑視して中世紀の遺物、愚昧な現象と呼んでいる。これはまったくの宗教に対する無知である。科学技術の高度に発達している西側の国々でさえ、クリントン大統領は教会に礼拝に行き、アメリカのユダヤ人宇宙飛行士は宇宙船から正確な方向を探し出して礼拝しているのだ。アメリカに留学している学生の中にも、相当多数の博士や修士たちが宗教を信じる者の列に加わっている。あの他の人々の宗教や信仰を尊重しない人たちは、自らの無知を認める以外に、何を証明できるというのか。曹長青氏は自らの体験をもって、客観的角度からチベット人の自己の宗教に対する信仰を十分に理解し支持したのであり、広く豊かな寛容の精神を体現したのである。それはまた、あの偏狭で自己中心的な大民族主義者たちに対する一種の軽蔑なのだ。

  チベットの1949年以前の制度という問題においては、当時のチベットの農奴制度は時代に逆行し、不合理で非人道的であり、チベットの過去の制度に関しては議論する必要もない、と考えている人々がいる。みんな社会発展史を学んできたのだ。それぞれの社会にはすべて初期段階があり変化発展するもので、その間に変法、改良、革命等があり、社会制度はしだいに進歩を遂げ、以って生産力の発展に適応するのである。チベット人民が自分たちの社会を選択していく権利をもっておらず、必ず漢人によって制度を決められなければならないというのはどうしてなのか? どうかお笑いにならないでいただきたい。かつて二千万人が餓死したところで、そして、すでに改革二十年を経て未だに世界からみれば貧しい制度の下で暮らし、或いは暮らしたことがある者に、他の制度を評価するどんな資格と必要性があるのだろうか? あのチベットの過去の制度を嘲笑う時間のある海外在住の人士たちは、先ず自分のポケットにある外貨を調べるがよい。

  要するに、中国は多民族国家なのである。もし、ある一部の人々の考え方が常に大漢族の立場から出発するなら、感情において必然的に、中国の少数民族とどんどん疎遠になっていくだろう。漢人の中で、曹長青氏のように高度にチベット問題を取り扱える人は、漢族とチベット族の和解の希望なのだ。また、あのような大民族を笠に着て少数民族の文化風俗を蔑視し敵視する少数の小市民もいるが、これではただ漢民族と少数民族の間の溝を深めるだけである。そんなことでは、中国の辺境にはいつまでも中心から離れようとする力が働くことであろう。



以 上



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