五、 新たな冷戦とその結果
ソ連の崩壊後、冷戦は終わったと人々は言っている。しかしチベット問題における冷戦は終わるどころか以前よりいっそうひどくなった感がある。西側の一部勢力はなにゆえこの新たな冷戦に火をつけようとするのだろうか? 原因は二つあるように思う。一つは、ソ連が崩壊して中共はほとんど唯一残された共産主義大国になったため、西側はチベット独立運動を利用して中共に打撃を与えようとしていること。二つ目は、西側は中共を打ちのめすだけでは事足りず、チベット独立運動を利用して内モンゴルや新疆の独立運動を誘発し中国を分裂させ、ソ連と同じ道を歩ませようとしているということである。というのも彼らは十数億もの黄色人種からなる中国が世界の新たなスーパー大国になるのを見たくないからなのだ。1989年にノーベル平和賞を受賞したダライは89年民主化運動の指導者ではない。ここ数年、西側が絶えず発しつづけている“中国を抑えろ”という叫びはまさしくその明らかな証拠なのである。このことは西側が、中国の民主化よりも中国が分裂することにさらに関心があることを物語っている。
一部の中国人民主化運動活動家たちもチベット独立運動を利用して中共に打撃を与え、中国を民主化しようと考えている。その気持ちはわかるが、そうすることは百害あって一利なしというものだ。
第一に、ダライが求めている独立、或は形を変えた独立(訳注:ダライ・ラマ側が望んでいる“完全な自治”を指す)とは、その総面積が中国の四分の一強を占める“大チベット”なのだ。ダライによれば、“大チベット”には600万人のチベット人、750万人の漢族、イ族、回族、チャン族、トゥー族、ペー族、ヌー族、モンゴル族、ナシ族、リス族、ユーグ族、トーロン族、トンシャン族、サラール族、バウナン族、カザフ族、ウィグル族といった十七の民族が生活している(ダライは彼らすべてが中共によって送り込まれた中国人移民だと言っているが、それは言うまでもなくでたらめである)。新疆のウィグル族人口も半数に満たず、内モンゴルのモンゴル族はさらに少数である。もし“大チベット”と“東トルキスタン”(訳注:ウィグルのこと)そして内モンゴルがほんとうに独立、或いは形を変えた独立をするとすれば、中国の半分以上の国土でボスニアのような民族戦争が勃発するだろう。“大チベット”の地図はさらに新疆の一部にも及んでいるから、チベット人とウィグル人の間でも領土をめぐる争いがおこり西側はすかさず中国に制裁を加えるにちがいない。しかし中共がこれによって崩れるとは限らず、なにより中国人民がまっさきにその被害を受けることになる。このようなやり方で中共に打撃を与えようとすれば、チベット族を含む中国人民が支払う代価はあまりに高く、それはあまりにも残酷なことではないだろうか?
(訳注:四川に住むイ族、チャン族、雲南のナシ族、リス族、ヌー族、ペー族、トールン族はチベット系、甘粛西部に住むバウナン族、青海のトゥー族はモンゴル系、カザフ族、ウィグル族、甘粛と青海の省境に分布するサラール族、トンシャン族、ユーグ族はトルコ系少数民族)
第二に、中国とソ連の最大の違いは、ロシア民族の人口がソ連邦の半分であったのに対し、漢族は中国の92パーセントの人口を占めていることである。というわけで、漢族が内戦を起こさない限りいかなる少数民族も独立することはできないし、また中共が崩れない限り漢族は内戦を起こしえないのである。チベット独立運動はまさに中共の政権固めを助け、漢族をひとつにまとめる働きをしているのである。わたしがこういうのはたしかな事実があるからだ。
昨年(1997年)の11月1日、江沢民がハーバード大学で演説した時、三つのグループ(チベット独立運動、台湾独立運動、中国民主化運動といういわゆる“3T”と呼ばれている運動)に属する人々が抗議のデモを行った。その総数は一千人、中でもチベット独立運動のグループは最も多く(その大部分はアメリカ人であったが)勢いも強かったが、これはなにも驚くほどのことではない。思いがけないことにはなんと四千人もの華人たちが五星紅旗を手に、「江主席、ようこそ!」と声も高らかに叫んでいたことである。その中の多くは“六四”(訳注:1989年6月4日の天安門事件)の折、大学生或いは大学院生や現職の職員だった人々で、大部分はきっと89年の民主化運動に参加したり共感していた人たちであっただろう。本科の留学生たちは当時その大部分が中学生であり、やはり89年の民主化運動に共鳴したことがあったであろう。彼らがその八年後に一斉に江主席を歓迎しにに集まったのはなぜだろうか? それは彼らが中共の独裁政治を歓迎しているからではなく、アメリカ人のチベット独立運動に対する支持が彼らの反抗を招いたからなのだと思う。
ハーバード大学の一中国人留学生が語ってくれた:「もしこれほど多くのアメリカ人がチベット独立運動のデモに参加していなければ、こんなにも大勢の中国人が江沢民を歓迎することはなかったろう」と。江沢民がハーバードを訪れる数日前、ハーバード大学の中国人学生と学者たちからなる連絡会は“チベット問題”討論会−といっても実際にはチベット独立運動を糾弾する大会であったが−を召集した。会場いっぱいの参加者たちはひどく興奮し、会は江沢民歓迎のための激励会と化した。台湾から来た一人に至っては記者に向ってチベット独立運動を激しく非難した(以上は、1997年11月2日付《世界日報》、1997年11月7〜13日付《ボストン・ニュース》、1997年11月7日付《サンパン》紙上に見られる。わたしはボストンに住んでおりテレビの実況中継で参加者たちが様子を語るのを聞いた)。そこでは西側のチベット独立運動への強力な支持が煽り立てた民族主義が大きな働きをしていた。なるほど中共の駐ニューヨーク領事館もボストンに人を派遣して歓迎活動を行っていたが、民族主義にうったえる励ましがなければあれほど大勢の人を動員することは不可能であっただろう。
こうして次のような矛盾した論理が出てくるのだ。即ち“西側はチベット独立運動やダライ・ラマを支持すればするほどますます活気付き−一部の中国人エリートたちはますます反感を抱くようになり、中共を擁護するようになる−中共の統治が確固たるものになればなるほど漢族はますます団結する”(これは漢族に限ったことではなく、回族もチベット独立運動にはきわめて反感を抱いている。1989年3月5日、ラサで暴動が起こった時、チベット独立派がラサのモスクを焼き払おうとしたのでイスラムの僧侶は彼らにこう言った:「われわれにはインドに数千万人のイスラム同胞がいる。おまえたちがわれわれのモスクに火をかけるというなら、われわれはインドの同胞たちにダライの住んでいるダラムサラの家を焼き討ちさせるぞ!」と。これを聞いたチベット独立派はためらったという)。西側の一部勢力とダライはもともと中共を潰し中国を分裂させようとして、客観的には逆に中共の統治を確固たるものとし合法性を強め中国が団結するよう手助けしているのだ。これは中国の民主化を進めていく上でもなんの益もなく、むしろありがた迷惑と言うものだ。
わたしはこの機会に西側の方々にご忠告申し上げたい。もしほんとうに中国の民主化を望まれるのであれば、クリントンがダライに中国のチベットに対する主権を受け入れるようすすめたように中国の各民族の民族主義を煽るようなことは慎むべきである。それでもなお中国を分裂させたいなら、火遊びの代価がいかなるものになるか考えてみなければならない。《黄禍》が描写しているような数億の難民が漂流してきたらあなたがたはどのように対処なさるのか?
わたしはダライにもおすすめしたい。もしチベットに戻りたいなら“亡命政府”の高ぶった感情を抑えて中国のチベットに対する主権を受け入れ、中共と話し合うべきである。さもなければこのまま異郷に骨を埋めるしかない。そうなればチベット独立運動は全世界が認めた指導者を失い、国際社会からもしだいに忘れ去られることだろう(“東トルキスタン独立運動”は半世紀に及んでいるが、世界的に知られた指導者を失った今となってはその勢いも途絶えてしまった)。チベット問題もこうして消え失せてしまうことだろう。
以 上