(四) チベット独立の災難
毛沢東の強硬政策とケ小平の福利政策はいずれもチベット問題を解決できなかったが、では解決の糸口はいったいどこにあるのだろうか? ある者は、チベットが独立することに解決の糸口がある、と言うだろう。チベットの独立に法的根拠のあるなしはさておいて、とりあえず独立実現の可能性を見てみよう。
ダライが言うところのチベットとは“大チベット”のことである。彼の自伝及び“亡命政府”が公表している地図によれば“大チベット”とは西藏自治区と青海省、そして四川、甘粛、雲南、さらには新疆ウィグル自治区の一部を含む総面積250万平方キロメートルに及ぶ中国の四分の一強を占める地域である。“大チベット”には600万人のチベット人が暮らしているが、他にも750万人に上るチベット族ではない漢族、回族、カザフ族、ウィグル族、トンシャン族、サラール族、バウナン族、ユーグ族、リス族、ヌー族、トーロン族、イ族、ペー族、モンゴル族、トゥー族、チャン族、ナシ族といった十七の民族も生活しているのである。もし“大チベット”が独立するなら、これら十七民族は立ち上がって反対するだろう。そうなれば “大チベット”は“大ボスニア”となってしまう。 “大チベット”とはいわばロシアの風変わりな政治家ジリノフスキー(訳注:1992年末に極端な民族愛国主義を掲げて正式登録された極右政党“ロシア自由民主党”の党首)が言った“大ロシア”(ソ連全域と東欧、アラスカを含む)の焼き直しにすぎないのである。アメリカのチベット学者ゴールドスタイン(Goldstein)さえも次のように語っている:「大チベット国の目指しているものは非現実的なものである。チベットはすでに一世紀以上も前からそれらの地域を統治してはいなかった。中国政府が四川、甘粛、青海、雲南の広大な土地を手放すとはとても考えられない。そこには多くの漢人やイスラム教徒が暮らしており、彼らは1949年中共が政権を掌握する以前からすでにその地に定住していたのである」(前掲の《チベット、中国、アメリカ》より)。
ダライは常々、チベット人が“大チベット”内で少数化しているのは中共が大量移民を行った結果であると言っているが、これはまったく事実にそぐわないことである。漢人と回族が最も集中している青海省を例にとれば、紀元前121年(ソンツェンガムボがラサを都として吐蕃王朝を打ちたてる七百五十四年前)にすでに前漢王朝が青海に県を設け役人を派遣していたのである。紀元9年に王莽が新たな王朝を建てると青海に西海郡を設けた。後漢はチベットに西平郡を設け、その下に七つの県を置いた(当時ソンツェンガムボはまだ生まれていなかった)。唐朝の頃、吐蕃は武力によって青海へと領土拡大したが、まもなく吐蕃は滅びる。北宋は青海に西寧州を設け、元代になると西寧州は甘粛省に属した。明代には西寧は陝西行郡司に属し、清代には青海の東部は甘粛省に、西部は“欽差青海大臣”が管轄していた。1929年、民国政府は青海を省とした。というのも当時、青海の人口の半数以上は漢人であったからで、チベット人は30パーセントにも満たず、残りの大部分は回族であった。こうしたことから青海は昔から漢人の多い土地であったということがわかる。ダライが古くからチベット族ではない十七の民族に属してきた広大な土地を“大チベット”に繰入れ、後になって逆に彼らが“中共による移民”だなどと事実無根のでっち上げをするのは、優れたやり方とは言えないし、残念ながら決して正当なものではなく歴史的検証にも耐え得ないものなのである。
ではチベット自治区を独立させることはできるのだろうか? 自治区には六万人のチベット族共産党員と五万人のチベット族幹部、それに彼らの家族がおり、チベット族人口の2パーセント、都市部住民の半数を占めている。彼らはもちろん共産主義なぞ信奉してはいないが、中共から与えられる権力と特権をダライ・ラマ以上に崇拝しているのだ。もしチベットが独立すれば彼らはその権力と特権を失うのであるから、反抗して立ち上がるだろう。彼らが無学無能で退廃した生活を送り、仕事にはずぶの素人であろうとも、階級闘争にかけてはプロの腕前なのだ。これは中共に教わった“奥の手”なのである! 彼らは、自分たちの既得権益を守るために五万人規模の軍隊を組織することもできるのだ。かつての農奴主で今や中共の“統一戦線人士”たちは彼らを支持するだろう。そうなればチベット族内戦の火蓋が切って落されるのだ。1950年のチャムド戦役で中共に投降したチベット軍第九師団の師団長デルゲは、1959年には部隊を率いて叛乱軍の鎮圧にあたった(80年代にはチベット自治区人民代表常務委員会副主任に昇格するが、まもなく病没した)。80年代末にチベット族共産党幹部、武装警察、兵士たちが独立要求デモを鎮圧したときにもいささかの手加減も加えなかったのであるから、ダライがチベット族共産党幹部を抑えられるかどうかいささか疑問である。
中国政府はチベット自治区に毎年15億元を財政援助しており、大部分はチベット人たちに給料として与えられるものだ。もしチベットが独立すれば、十数万にのぼるチベット族職員たちが後ろ盾を失い、彼らはダライに生活の糧を求めることになるだろう。彼らに従来の待遇を与える財力がないなら、彼らはダライに対して抗議デモを起こすにちがいない。チベット農牧民たちはすでに十七年間税金を納めていないが、ダライは何度も、チベットが独立すれば税金を徴収しなければならない、と言っている。チベット農牧民たちがどんなに敬虔でも、甘んじて税金を納めるとは限らない。徴税できなければ、ダライはどうやってその政府と軍隊を養うのだろうか? 外国の援助はあてにはならない(ソ連、東欧が民主化した後、西側はどれほどの援助をしてくれたか?)。財政収入がなければ、独立はただの夢物語なのである。
(五) 一国二制度:現実的な解決策
チベットの独立は民族、宗教そしてチベット族同士の内戦を引き起こすだろう。平和を愛する人はこのようなことは望まない。ゴールドスタイン(Goldstein)教授は、すべての漢族幹部を引き上げさせチベット族幹部に自治区を任せることを提案しているが、はたしてダライがこのやり方を受け入れるだろうか?
幸いにもダライはチベットが独立することには無理があるとして、1993年8月11日、記者たちに向けて「自分はいままでただ自治を求めてきたのであって独立は求めない」との声明を出したのである。彼が言うところの“中道路線”とは即ち“一国二制度”であり、「わたしにとっては自治が与えられるならそれで十分」と言い、北京政府がチベットの国防と外交を担当してもかまわないと語った。同年10月3日、彼は重ねて、中国国内に留まる制限付きの自治を受け入れ、中国からの完全独立は求めないと言明している。
ダライが現在のチベット自治区の範囲で自治を求めているなら、彼のこのプランはチベット問題を解決するのによい方法である。この方法は“十七条協定”及び香港のモデルと決して別個のものではない。中国政府はチベット自治区からすべての漢族一般人を引き上げさせ、ダライにチベットへ戻ってもらい自治区を任せ、どんな主義、制度であろうと彼のやり方に従うべきである。中国政府はチベット自治区の国防、外交及びダライ、パンチェンの後継者を認可する権限のみを留保し、ダライには自治区の内政を任せるのである。この方法なら民族、宗教による戦争やチベット族の内戦を避けることができ、ダライの権限を元どおりにしチベットの伝統文化を復興させることができる。つまり中国政府は大幅な出費を節約でき、国際的にも“チベットの人権を尊重している”という美名を得ることができ、すべて円く収まって皆が喜ぶというものだ。
冷戦後、世界各国は社会の安定と国際協力、そして経済発展に関心を注ぐようになり、ケ小平以後、中共の指導者は国家の統一と経済発展を重んじざるを得なくなってきている。中央の政権を掌握するのが誰であれ、またどんな党派であろうと、敢えて内戦の危険を冒してまでチベットを独立させようとはするまい。いずれにしても、現行の“飴と鞭”政策の政治的経済的コストを改めて評価しないわけにはいかないだろう。一国二制度はまさに選択しうる最高のプランなのである。
以 上