ねこ好きの憂鬱。
恐らく自分は、あと一歩で『無類の』と評しても構わないと思われるくらいの、ねこ好きである。この悪意に満ちた世界の中にあって、あんなにも無条件で、憎たらしい部分や残酷な部分まで含めて愛らしい生き物が存在するのは、まぎれもない奇蹟だと思う。他に同じくらい無条件で可愛い存在は、今のところ姉の娘(二歳八ヶ月)しか知らない(あっ、あと新居昭乃さん)。つまり帰納法を用いるに、彼女もねこということになるのではないかと(笑)。
でも僕は、ねこと共に暮らすことを許されていない。
ねこアレルギー。多くの他人は、僕の状況を聞いたとき恐らく笑うのだろう。でも僕にとってはワリと深刻で悲劇的な運命。恐らく最もいとおしい種族に、触れることが出来ない体質なのだ。だから、ねこと一緒に暮らすことが叶わないから、自分を『無類の』ねこ好きと評することは出来ない。
自分が『無類・一歩手前の』ねこ好きで、かつ、ねこアレルギーであるという事実は、何となく自分の人生の縮図っぽいのだ。まぁすべてのとは言わぬまでも。
欲しいものが手に入らない。好きなものに触れられない。自分は、そういったことがあっても自分の中の理性の箍が外れることもなく、適当に痛みを抱いたままで我慢して生きて行けることを知っている。それらをため息まじりの苦笑と共に受け流し、表面上は何事もないように振る舞うのが最低限の強がりとゆーか。
僕が他者から、例えば我慢強いとか理性的であるという評価を貰えるのだとしたら、その性質の一端は、ねこがくれたのだ。たぶん。
え、我慢強いとも理性的だとも思わないって? それは事実かも知れないだけに困ったなぁ(笑)。
<更新日:2005.05.04(水)>