12日目 7月30日(木)天気:晴

 明日は早朝にホテルを出てジュネーブから成田へ向かうので、この日が実質的な最終日となる。 最後のハイキングはアンデックス(L'index:2385m)からラック・ブラン(LacBlanc:2352m))という山上湖へのコースだ。


 シャモニからプラ(Les Praz)へバスで行く。プラには9日目のハイキングでフレジェール(La Flegere 1894m)から下ってきたり、 昨日もグランモンテへ行く途中にバスが寄ったので3回目となる。

 プラからロープウェイでフレジェールへ登り、アンデックスへのリフトに乗り換える。(左の写真はリフトの切符)

 アンデックスは標高約2500mもあるので寒い。見慣れたモンブラン山群を見ながら準備体操をして出発。

 アンデックスからラックブラン(白い湖)へのコースタイムは1時間15分だ。残雪と高山植物を見ながら歩いて行く。左手には赤い針峰群の岩山が連なる。



 最後の岩場を抜けるとラックブランの山上湖が目に飛び込んでくる。 標高2352mの湖からは、モンブランからシャモニ針峰群、グランドジョラス、ドリュ、そしてヴァルト針峰へと大パノラマが展開する。

(左の写真のように、湖畔の小屋の背後にドリュが浮かんでいるように見える。)

 湖面に映る山を見ながら至福のひと時を過ごす。

 


 時間を忘れるほどノンビリしたがフレジェールへ向けて出発。正面にはモンブラン山群が逆光に霞んでいる。 広く歩きやすいトレイルで、山々の展望や高山植物を楽しみながら下ることができる。 (左の写真は、左から、ドリュ、グランドジョラス、プレチェール針峰、眼下はメールドグラス氷河。)

 岩場に動物を発見。オコジョだ。それもファミリーなのか4〜5匹もいる。日本のアルプスでは見たことがあるが本場アルプスでオコジョに出会えるとは思っていなかった。


 下山した後はシャモニに戻り、レストランのテラスで軽食をとっていると、目の前に今井通子さんが歩いてきたので声をかけてしまった。m(_ _)m

 食後、日本人が経営している登山用品店(スネル)でお土産を買ったり帰国便について相談する。旅行代理店のアトラストレックが、このお店の神田さんに相談するようアドバイスを受けていたのだ。神田さんには、その後、ホテルへ来てもらったり、空港までのタクシーを手配してもらったりでお世話になった。m(_ _)m

 このお店で買ったものは、登山用ザック(ミレー45g)、登山用フリースなどだ。(これは10年後の現在でも使っている。)

 左の写真はモンブラン初登頂者のソシュール(左)とガイドのジャックバルマの銅像。ジャックバルマの右手はモンブランを指差している。


 ホテルへ戻り、夕方まで荷物の整理をする。

 最後の晩餐はレストランでフルコースだ。
 「レストラン・ランポシーブル」は古い農家を改造した雰囲気のあるレストランだった。

 (右の写真はレシート。414Frとは約1万円だ。)

 (左の写真は食後のスナップ。夜10時を過ぎていた。)


13日目 7月31日(金)〜14日目 8月1日(土)

 早朝にお迎えのタクシーが来てジュネーブ空港まで送ってもらう。(当初の旅行代金に含まれていた。)
 空港でお土産を買ったりして過ごし成田へ向かって飛び立つ。(10:40発 SR655)
 チューリッヒで乗り換え(12:45発 SR166)、翌日の午前中に成田へ到着。


後記: このアルプス紀行はすべて一人でプランニングし、添乗員やガイドなしで実行しましたので数多くのハプニングや失敗が起きましたが充実した2週間でした。その後10年経過しましたが、このように充実した旅行は一度も経験していません。

 10年も昔の旅行をホームページに掲載することは大変でした。アルバムの写真を選考、ガイドブックの読み直し、自分で撮影したビデオを見ながら思い出しながら書き始めました。4日目までは夢中になってアップしましたが、その後は仕事の忙しさが増したり、デジカメを買ってからは山行記の報告も忙しくなり、この紀行文が滞ってしまいました。特に、11日目からは約2年半も手を付けずに放置してしまったことはお恥ずかしい限りです。

 今後も思い出しながら紀行文を加筆していきたいと思います。

2002年6月27日

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