困ったことや良かったこと 


困ったこと


その1

ひと駅乗り過ごすとTAXI代は・・・(97年夏)

終電に乗り遅れたら・・・という話を「よくある質問」でしましたが、これに乗れても終電ですから当然ながら帰る電車がありませんので絶対に乗り過ごすわけにもいかないのです。

私の腕時計の目覚ましは23:39分に固定されています(宇都宮23:42着)。
終電は那須塩原行きですので乗り過ごしても1駅なのですがこれが遠い。
いままで乗り過ごしたことは5回あります。(2000年春現在)
TAXIで帰ったことが2回。うちの奥さんに迎えにきてもらったこと3回ありました。

はじめて乗り過ごした時のお話です。

あれは忘れもしない3年前の夏、世の中は盆休みのころでした。仕事が終わっていつもの如く飲みにいってました。何とか終電に乗れたことに安心して漠睡しておりました。
駅の到着を知らせる「チャンチャララ」という音楽で始まる車内放送で目が覚めました。
「まもなく終点那須塩原・・・・」[えっ?」時計を見たら23:50をまわっています。

とにかく改札に降りていって途方にくれていると、さすがにむこう(駅員のこと)は慣れた様子で「乗り過ごしですか?もう電気消しますのでお金はいいからとにかく出てください」とのことで,とりあえず駅の外に出ました。

仕方がないので公衆電話で家に電話しました(当時使っていたTUKAは那須塩原駅近辺は圏外でした)。うちに電話して迎えにきて欲しい旨伝えると当時は那須塩原まで自分で車を運転して来たことさえなく(このあと5回も来ることになりましたが・・・)
どこか泊まってきてほしいとのこと、まあもっともか。

駅前の那須塩原ステーションホテルに行ったら満室とのこと。
駅周辺のホテルや旅館もどこも一杯。そうか今は盆休み中だから那須塩原なんて予約で埋まってるよなと思いながらそうこうしているうちに1時半くらいになっていたと思います。

夏ですから凍死することはないですが明日も会社だし、帰るかと一念発起し、TAXIを探しましたが、ロータリーにもどこにもいません。

しばらく歩いて電気の消えているタクシー会社の事務所を見つけ、ピンポン・・・反応がない。
扉をガンガン・・・「誰だ!こんなに遅く」当然ながら怒っている、だってネマキ着てたもん。
「すんません。家に帰れないんで乗っけて欲しいんですけど・・・」「どこまで!?」

「宇都宮なんですが」「えっ♪ 宇都宮ですか♪」態度がコロッと変わった。
自分の小銭入れを持ってきて店の前でコーラを買って「これ飲んで待っててください。いま着替えてきますから」・・・・・

宇都宮に行く途中でも運ちゃんは上機嫌「いやーお客さん大変でしたねー、私たちお客さんみたいな方はお化けって呼んだりするんですよ・・・」・・・寝かせろ、しばくぞって感じでした。

家に着いたらTAXI代は18,000円でした。

この後も懲りずに何度か乗り過ごしてますが、ここ1年半ほどは乗り過ごすこともなくなりました。現在は腕時計に加えて携帯電話の目覚ましもピーピー鳴らしています。

迷惑かって?周りの人ほとんどが鳴らしてますから大丈夫です。いわば助け合い運動。

その2

1年半ぶりの失態(2000年春)

平成12年6月26日の巻。
油断大敵というか何というか、久しぶりに聞きました。
「まもなく、終点、那須塩原」というフレーズ。
腕時計と携帯電話の目覚ましもしっかりかけていたのですが、鳴って起きて止めてまた寝たようで、Beer&日本酒&Wine&招興酒のチャンポンにすっかり上機嫌で、1年半ぶりにこの地に(観光以外で)降り立ちました。
家に電話をかけたら「ごめん、行けない」のひとこと、放浪していると、ハイエースの白タクがいました。近くをふらついていた同胞(本来は宇都宮で降りるはずの乗り過ごし組)を誘い、各々8000円、計16000円を払い、ドライブを楽しむこと、1時間強、うちのと同じ車なので部品どりにしてやろうかと物色していたところで、自宅までたどり着きました。
「またよろしく」と運転手のおっさん。「二度と来るかい!」とは言ったものの。、聞けば、週3日これをやっているだけでそこそこ食えるそうです。おっちゃん、客として会う事はないかもしれないけど、同業者として会うかもね。。。。

その3

乗過ごし帝王(2001年冬)

こまったことと言えば、私の場合、乗過ごしに尽きますが、仕事休みを取って千葉にゴルフにいった帰りにもやってしまいました。
接待ゴルフだったんですが、接待とは名ばかりで、年齢も近い、仲の良いお客さんとのゴルフでしたので、帰りに飲んで帰ろうってことになりました。蘇我で夕方から9:30頃まで飲んだくれて、相当飲みました。東京駅で新幹線最終に乗り換えて(よく間に合ったなと思う)、車掌に「終点で〜す」と起こされた。
駅で降り立ちハイエース白タク(上のその2で紹介したおっちゃん)に「宇都宮13000円」と声をかけられ「8000円ならOK」というと無理とのことで、那須塩原駅前のホテルにチェックイン。
翌日、新幹線で帰りました。
家に帰ると、宅配便で送っていたゴルフバックがもう届いていた、おくさんから「おとうさんよりバックが先に帰ってきたよ」と言われてしまった・・・

その4

またも更新(2001年初夏)

乗過ごしが、なくなってきたと思っていた矢先、またもや失態。
職場で異動する人と退職する人の送別会があって、2次会に合流すると泊りになってしまうので、東京駅に向かい、いつもなら22:46発の最終電車なのですが、運良くその一本前の電車に乗れました。が、これが、運の尽き。
腕時計と携帯電話のアラームを「ON」にして、安心して爆睡。
ふと、気が付くと半年ぶりの車内放送のフレーズ「まもなく、終点、那須塩原」・・・
えっ、うそっ! 那須塩原駅のホームに降り立ち、時計に目をやると、まだ、11:00過ぎ。
その時始めて、終電の一本前に乗ったことを思い出した。「アラームもセットしなおさなければならなかった〜」と嘆いても後の祭りでピーヒャララ。
家に電話して、おくさんに相当無理を言って迎えに来てもらうことにしました。
着替えなきゃ行けないし、一番下の子供も連れて行かなきゃいけない、ガソリンも空なので、すぐには行けそうもないとのこと(仕方が無い。当然。文句は言えない。)
ただ、待っているのも暇なので、どこかですれ違うだろうと、いつものように歩きだす、最終的に約2時間半、14Kmも歩いていました。(時々携帯で連絡取り会って)
この緑の区間を歩いてました。

その間、当然ながら自宅で寝ていた小学2年生の長男、勇気から翌朝、「おとうさん、『うつのみやでおります』って看板を画用紙で作って、それ持ってたらいいんだよ」といわれた。会社では、その話をしていると「長距離トラックがビュンビュン走っている道を歩いていたら、轢き逃げされるのがオチ」(これはごもっとも)、「車を待っている間、那須塩原の駅の階段を1000往復くらいしたら安全」、「鉄アレイなど体力作りセットを那須塩原の駅に隠しておいたら良い」、「温泉にでも行って翌日休んじゃえば」など、好き勝手なアドバイスを数多くいただいて実に参考になりました。
これからは、歩かないようにしよう・・・(ってゆうか、乗過ごさないようにしなければ・・・)

その5

また歩いてしまった・・・(2003年冬)

仕事終わってから後輩と飲みに行ったときに、会社を辞めたやつの話題になりました。
その話をしながら思ったのが、「あ〜そーいえば、あいつの送別会の時に乗り過ごして以来、乗り過ごさなくなったな〜(上記その4のときのこと)、もう乗り過ごしとは無縁になったかな・・・」な〜んてことをふと考えながら飲んでました。

で、いつもの如く最終電車に乗ったんですが大宮で停まったあと、少し寝てたみたいで、新幹線がスピードを落しているのを感じて目がさめました。時計を見ると12時近かったんで「あー宇都宮か・・・ちょうどよかった」とデッキまで歩いていった。

近づいてくるホームの形が何か違う・・・・・・・・・・・・・・・・・・「ぎゃ〜」

よく考えたら12時前やったらアウトやもんね。宇都宮着は11:40頃やから、結構酔ってたっていうか寝ぼけてたっていうか・・・

自宅に電話して「乗り過ごして歩いて帰るけど迎えにこなくていいよ」とだけ告げて歩き出しました。

さすがに極寒の冬。歩き出して体は暖まるんやけど顔がいつまでたっても寒い。特に耳は凍りそうでした。
でもって、カバンは激重。

国道4号線に沿って歩いてしばらくすると看板「宇都宮 57km」・・・おおお〜、、こんなに遠かったっけ・・・まともに歩いたら8時間は、かかるから無理やな〜、まあ矢板あたりまで歩いて前回の記録を更新して在来線で帰るか・・・

あんまり寒かったので幹線沿いにあった牛丼屋に入った、もちろん他に客はいなく、トラックしか通らない4号線沿いにも関わらずカバン持ってスーツきたのが歩いて入ってきたから店のにーちゃんもビビってました。で、軽く腹ごしらえしたあと、暖かいお茶をいっぱい飲んでさー、これでしばらくがんばれるぞ〜っと。。。

歩き始めて1時間ほどすると、おくさんの携帯から「今、ガソリン入れたとこ。そっち向かってるよ」との電話。寝てると思ってた。ホントありがたいおくさんです。

結局、2時間ほど歩いて野崎工業団地の手前でおくさんと会えて、帰りはモチ、私が運転して帰りました(酔いも完全に覚めてますから)
今回は2時間で10kmしか歩いてなかった。
カバンが重かったのと寒かったので足取りが遅かったのと
途中で15分ほど牛丼食ってたからだと思われます。


帰りの車の中で「あしたはバレンタインやな〜」って会話してたら「今日だよっ!」って言われた。
でもって「そーいえば、昔、クリスマスの時に迎えにきたこともあったよね、イベントのある日は要注意ね」だって、何もいえません・・・
翌朝、二人とも寝不足の状態で朝を迎え「いってきま〜す」といったら口癖のように「今日は遅い?早い?」ってきくんだけど「今日は帰ってきてね〜」だって。

その6

ほんと、ありがたいおくさん・・・(2003年春)

新幹線通勤も6年目が終わろうとしているまさに、その日、3月31日。
会社の部署の納会がありました。夕方くらいから、出席するのやめて帰ろーかなっていうくらい体調が悪くなってきた。
ただ、事前にチャッカリ幹事さんから5500円という超大金を回収されていたことと、まあ普通の飲み会じゃないからと出席。
その日はビールが口に合わなくて、さっぱりして飲みやすかったからジントニックばっかり飲んでました。
ただね〜飲みだすとそれなりに元気になるんですわ。

でもって、いつもの如く終電に飛び乗り、新しくなったトランヴェールとTrainShop(新幹線備え付けの小冊子)をパラパラとめくってたら、いつのまにか気絶してました(笑)
新幹線がスピードを落す気配に気づくと、明らかに乗客の数が少ない、瞬間的に「あちゃ〜」って感じ。

今日は歩くのはやめて、明日の始発で帰ろうと決心。とりあえず家に電話。

「乗り過ごしてしもたけど、待合室で寝て始発で帰ってシャワーだけ浴びて出るつもりやから迎えにこんでええで。」

待合室に入って少し横になる。同胞も数人いるみたい。硬いベンチやから体が痛いけどしゃーない・・・。
と、1時間ほどしたところでえらい寒くなってきた。暖房が切れたんかな? 電気はあかあかと点いとる。暖房消さんと電気消してくれっちゅーのに・・・
同胞たちはイビキかいて寝とる。風邪気味ってこともあって、ちょっと寝付けんくらい寒いな〜。 今からホテルに移動するのもな〜・・・・

2時ちょっと前くらいに携帯がなる。とってみると奥さんから。

おくさん「ごめん。寝てしまってた。遅くなったけど今から迎えに行くから」

えだまめ「始発で帰るってゆーたやろ。寝ててくれてええねん」

おくさん「2時間くらいでも家で寝たほうがいいって」

さすがに申しわけないんで断ってたんやけど、体調悪いのに朝までこんなとこおったら、ちょっとヤバいなと思って結局は来てもらうことに・・・感謝。

寒くて寝れないのでPC開いて、納会に行くまで夕方やりかけてた仕事の続きと、HomePageの更新なんかをちょこちょこっとやってるとバッテリー切れになった。ん〜、カタログスペック5時間のLet'Note PRO CF-R1のバッテリーもこのごろは実質2時間ちょっとしか持たんようになってきたぞー。
時計を見たら3:20。えらい時間になっとる。そろそろかなと思って、おくさんの携帯にかけてみるとちょうど那須塩原駅に着いたとのこと。

助手席のドアを開けたら、末娘の楓が寝てました。
「おにいちゃんたち、一度寝ると絶対起きないから心配で楓だけつれてきた」とのこと。・・・・・・・ヘコみました。


帰りの車中で「おとうさんから寝過ごしたって電話かかってきた時、エイプリルフールでうそと思ったよ」とおくさん。
そーいえばもう、4月1日。新幹線通勤7年目の朝を迎えました。

家についたの4:30頃やったかな〜。5:00に寝て6:30に起きて、結局、1時間半ほどしか眠らず出勤。でも、来てもらってよかった、あのまま駅にいたら絶対風邪こじらしてた・・・。今日はケーキでも買ってか帰ろかな。


その7

納会は要注意(2004年春)

寝過ごし回避記録1年を迎える前日のこと。またもや部署の納会でした。
1次会が終わったのが20:30過ぎとわりと早かったんで少し迷ったんやけど「よし、今日は帰る!」と決意して、20:44東京発というかなり早い電車に乗車。

乗車と同時に爆睡。完璧に油断してました。夢の中で微かに聞こえた「まもなく那須塩原」のフレーズに飛び起きました。
時計を見ると時間はまだ22:00前。

完璧に上り電車あると思ってました・・・

なのに無い!(21:43最終)

在来線も無い!!(21:48最終)

さっきでたばっかりやんけ!
なんでこんなに終電早いねん!!!知らんかった。

仕方なく駅をでると外は冷たい雨。こりゃ歩けんな。
で駅前の那須塩原ステーションホテルにいくと「ツインのシングルユースで8400円です」とのこと。こりゃ明日朝の新幹線代と含めて1万円コースやな〜。

家に電話すると「迎えに行くよ」…なんか、フットワーク軽いわ。

で、待ってる間駅のベンチで寝てた…やばい、こっちもなんか慣れっこになってる。

おくさんが到着して運転代わろうとしたら今日は長時間歩いてないんでまだ酔ってる。
それを察したおくさんが「今日はまずいよ」と家まで運転してくれた・・・スミマセンです。

んーーー、今回はこれといったドラマも無く淡々と事が済んでしまった。
1年ぶりの失態といえ、おくさんもわしも対応が慣れてきてしまってる・・・これはやばい!
気を引き締めなければ・・・

その8

たった1週間(2004年春)

久々の乗り過ごしなのに淡々と事が済んでしまった前回の寝過ごし。なんか定常化してきたようで嫌な予感がしてたんやけど、わずか1週間でその予感は的中。
部署の新年度の発足会でした。

終電の時間が迫ってきたので2次会を中座して、いつものごとく終電に乗ってほっとした次の瞬間。
「まもなく、終点那須塩原です」のフレーズ。

目覚ましをセットする間もなく座った瞬間に爆睡してたらしい。

改札をでて、まもなくおじさんに「宇都宮だったら6000円でいいよ」と声をかけられる。
ん〜、えらい安いな・・・「ほな、たのみます」
「あと2人集めてくるからちょっと待ってて」とおじさん。

待ってると1分もしないうちに3人揃う。

で、車に行って見るとなんと、15年落ちくらいのミラ!
こりゃ狭い! まー、かろうじて助手席に座りましたが・・・

同胞のひとりは小山らしく、運転してるおじさんは小山の知り合いの家に転がり込む覚悟らしい。
おじさんは元トラックの運ちゃんらしく、色々と話してたんやけどトラック業界も厳しいみたいね。

てなわけで1時過ぎには家に着きました。

帰ってきた時間も財布の中身も、3次会まで行って在来線でかえってきたってとこでしょーか。

・・・・・・・いかん、いかん!!
ダメージが少なすぎる!
再度、気を引き締めなければ・・・


その9

ジンクスはこっちだった・・・

年度の変わり目の3月31日と4月1日は相当気をつけてました。
なんてったってここ数年記録を更新してるのはこの時期でしたから・・・本来気を引き締めるべき時期に気が緩んでるんですね。サイテーなやつです(笑)

今年は無事にその時期を乗り越えて「時速200Km通勤」のトップページの寝過ごし回避記録365日達成を明日に控えた4月6日、お客さんとの打ち合わせのあと、軽く食事代わりにのみに行き、早めの9:30頃に店をでて新幹線に・・・

新幹線に乗る前におくさんに電話「11時くらいかな」と。

完全に油断してました。

小山までは覚えてるのですが(正確には小山到着のときに一度目覚めた)

次の瞬間時計を見ると11:00になってる、ホントなら自宅のベルをピンポンしてるくらいの時間

・・・きっと時計が進んでるんだ(電波時計なんですが)

・・・恐る恐る車内を見渡すとガラガラ。。。。いやいやまだ信じないぞ〜。

「まもなく終点那須塩原です」・・・心に染み渡る遠い少年時代を思い出すような懐かしいフレーズが車内に流れてトドメ刺されました。

改札に行くとタダでだしてくれましたが無賃償還(翌朝始発に限りタダで戻れる)ってのがもうないらしく、「明日は切符かってね〜」といわれてしまった。こりゃイタイ。

さすがに今日はおくさんに電話かけようと思わなかったな〜、自分で呆れてしまって。

すかさず駅前の那須塩原ステーションホテルにチェックイン。上記その3の時以来です。シングルは満室でツインのバリアフリールームのシングルユースでムチャクチャ広い部屋でした。トイレなんか車椅子で入れるように設計してあるし、風呂も馬鹿デカ。

ゆっくり寝させてもらって翌朝はいつもより少し早めに起きて那須塩原駅で宇都宮までの乗車券と特急券を買って今、行きの新幹線の中です。
東京駅についたら早朝からやってる駅ナカのユニクロで着替え買おっと。

ホテルに泊まるって、おくさんに迷惑かけるわけでもなくこんなに余裕を持って出社できるんだ・・・(金はもったいないけど)
なぜか気持ちは穏やかで悟りをひらいた境地です。。。。ナンジャソリャ。

気をつけるべきは納会の日じゃなくて寝過ごし回避記録1周年の日だったのか。。。ジンクスはこっちだった。



その10

判断が裏目に・・・

なんか柄にもなくこのごろ良く仕事してます。
GWなんか関係なく徹夜や何泊も会社に泊まる状態が3週間ほど続いていましたが、ある仕事が一段落してその日は夜の20:30という遅い時間から飲みだしました。

「あ〜、今日はとことん飲んで明日は前半休させてもらってゆっくり寝てるで〜」との私の言葉に
「そうしたほうがいい」とみんなから言ってもらって気分よく飲んでました。

かなりのお疲れモードだったので、宇都宮で降りる自信がなかったので、宇都宮が最終の在来線で帰ろうと決断して東北新幹線の最終がでたあとも飲んでました。

で、東京駅に到着すると、上越新幹線の最終がまだ出発前でした。
これに乗って大宮で降りて、宇都宮線(東北本線)の最終に乗り換えるってのがGoodなパターンです。

このごろは在来線にグリーン車が登場したんで、大宮から950円でグリーン車で爆睡してると宇都宮に1:00過ぎに着くんだよね〜♪

で、上越新幹線の最終に乗って大宮まで起きてるつもりが、気付いたら乗って30分以上たってる。。。


「これって、むちゃむちゃや、やばいんちゃうの・・・・・」と思ってたら

「チャンチャララ〜・・・まもなく熊谷(くまがや)」

お、新しいパターン!!と喜んでる場合じゃなくて、仕方なく改札へ。
「えへへ、大宮で降りられませんでした」と言ったら那須塩原ではいつも、さくっと出してくれるのに

「1410円です」だとさ!!

熊谷の駅周辺を徘徊してワシントンホテルに泊まりました。



で、翌日はいつもと同じAM6:00前には目が覚めて、そのまま駅で大宮までの切符を買って会社へ出勤。

なんか、普通に東北新幹線で乗り過ごしたほうが被害が少なかったな〜・・・・

会社に着くと「あれ?今日は重役出勤って言ってなかったっけ」と同僚。

「家に帰ってればね・・・・」

この言葉で、すべてを悟っていただけました。



その11

偶然の再会

多忙な状態はあいかわらずで慢性的になってきました(涙)
そんなある日、大宮で仕事が終わり、さっさと帰ればよいのに上司と一緒だったんで「寿司行きましょ!」と、ご馳になってました。
でもって、大宮から22時くらいに新幹線に乗って、50分くらいで目覚ましのアラームセットして爆睡。

「まもなく新白河」・・・・・・え?  うっそーーーーーーーーーーーー!!!

っていうか、あまりにもあり得なくて笑いました。
よくよく考えたら今日は大宮から乗ったからアラームは20分くらいでセットしとかなあかんかった・・・。

千鳥足でドアの方向に向かうと見慣れた後姿が・・・

Mujinaさんじゃあーりませんか!!

早速声かけましたがな・・・

えだまめ 「ども、なぜか来ちゃいました」
全てを察してくれたMujinaさん 「うちくる?」
えだまめ 「すんません」
Mujinaさん 「その前に行きますか」

改札で事情を話したところ「今日は良いんで明日はちゃんと払ってね」と寛大なお言葉・・・ありがたや。

でもって「鳥こまち」へ。ここ行きたかったんだよね。おまけにご馳になってしまいました。

そのまま何の遠慮もなくMujinaさんちに。これってはっきり言って大迷惑な酔っ払いオヤジだよね。

翌朝もすっかり朝ご飯までいただいてMujinaさんと仲良く出勤。
いつもMujinaさんが通勤日記で書いている朝の日常のパターンを一緒に過ごすという貴重な体験をさせてもらいました。

なんか痛い目にあったというより楽しいひと時を過ごさせていただいたって感じです。

Mujinaさん、奥サマ、大変お世話になりました・・・

その11

伝説的な乗り越し

2ヶ月ほど前のこと、とんでもない乗り越しをしました。
別途開設しているブログには書き込んだんですが、乗り過ごし副隊長(隊長)としてはこれをきちんと記録しておくのが義務だろう(意味の無い義務感)と記しておくことにしました。




ここのところ浜松への出張が増えてる今日この頃、その関連した仕事のある段階の区切りの日で簡単な打上げを行いました。鰻をはじめとして食いもんが旨い浜松、楽しい時間でしたが、東海道→東北と乗り継いで帰んなきゃいけないのでそろそろ帰らなきゃ・・・

聞くと自分以外の東京メンバーは全員が浜松泊、「泊まっていきなよ〜」とお客さんにも言われましたが翌日朝イチで東京で会議なので後ろ髪引かれましたが新幹線に飛び乗りました。

うなぎボーン(うなぎの骨のおつまみ)を片手に東海道新幹線でビール500mlを2本、東京駅で東北新幹線のやまびこ最終に乗換え。

乗ったとたんに爆睡でしたね〜、目が覚めてふと時計を見ると23:00頃。いつも乗ってる23:44那須塩原行きの最終じゃないので乗り過ごしたのかそうじゃないのかわからない。でも外はまっくら、どうやら山あいを走ってる感じ。見た風景では無い。

どうやら乗り過ごしは確定。

那須塩原か?もしかして新白河???

放送がかかるのを待つこと10数分?いや数分だったかもしれないけど長い時間でした。

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「まもなく郡山」

判決確定、って感じですな。「おっ、新記録」って思いました。完全に開き直り。


駅から降り立ったらえらい寒いがな、日本は広いな〜

駅前の郡山シティホテルにチェックイン。7,000円、翌朝の宇都宮までの新幹線代は4,410円。
えらい勉強代でした。
翌朝はやまびこ始発で東京へ出勤。朝イチの会議には間に合いましたよ(涙)


浜松と福島の名物土産を一緒に渡されたおくさん。喜びは無く顔がひきつってました(汗)





ところで、今この内容を浜松のホテルで打ってます・・・あの日も浜松に泊まってたら良かったな〜と思いつつ。

ここのホテル6,300円也。

 ・結果安かったし
 ・結果みんなとゆっくり飲めたし

 
でも、ええネタができたと思ってるワタシは病気???

歴史の数々


乗過ごし記録 対応 勉強代 コメント
1回目 97年夏 タクシー代をまともに払って帰宅 TAXI:18,000円 上の「その1」の時のできごと
2回目 97年12月24日 うちのおくさんに迎えにきてもらう 0円 仕事帰りにX'masプレゼントをうちの奥さんに買った後、飲みに行き乗過ごし。せっかくのプレゼントも意味なし。
3回目 2回目の直後 うちのおくさんに迎えにきてもらう 0円 前回は、勉強代を払っていなかったので、学習能力がなかった。
4回目 98年ということは覚えている うちのおくさんに迎えにきてもらう 0円 やっぱり勉強代払って痛い思いしないと駄目みたいです。
5回目 98年ということは覚えている タクシー代をまけてもらって帰宅 TAXI:10,000円 運ちゃんに「幾ら持ってるの?」と聞かれ「10,000円しかない」というと、それで帰ってくれた。
きちんとメーターも回して走っていた。非常に良い人でした。
6回目 00年6月26日 白タクで帰宅 白タク:8,000円 上の「その2」の時のできごと
7回目 7回目の数日後 白タクで帰宅 白タク:10,000円 6回目と同じハイエースの白タクで。1人なので15,000円と言われたが10,000円に値切る。2度と乗らないといいながら実はその数日後に乗っていたのです。トホホ・・・
8回目 00年12月20日 うちのおくさんに迎えにきてもらう 0円 ハイエースで迎えに来てもらったのは始めて。
9回目 01年1月26日 ホテル泊。
翌日新幹線で帰宅
ホテル:8,000円
新幹線:1,630円
上の「その3」の時のできごと。
那須塩原ステーションホテルで和室の二人部屋の一人利用。
結構広くて良い部屋だった。
10回目 01年6月27日 うちのおくさんに迎えにきてもらう ガソリン代+α 上の「その4」の時のできごと。
珍しく終電の一本前に乗れたのが運の尽き。終電時間でセットしているアラームが、那須塩原到着後、空しく響いていた。
11回目 03年2月13日 うちのおくさんに迎えにきてもらう ガソリン代+α 上の「その5」の時のできごと。
しばらく乗り過ごしてないなーと思ってたら、やってしまった・・・
また、途中まで歩いてたんやけど、寒くて耳が凍りそうやった。
12回目 03年3月31日 うちのおくさんに迎えにきてもらう 0円 上の「その6」の時のできごと。
翌日の始発で帰るつもりで、那須塩原駅の待合室で仮眠をとろうとしたら暖房が切れた。風邪気味の体には寒くて死ぬかと思った。
13回目 04年3月30日 うちのおくさんに迎えにきてもらう 感謝の気もち 上の「その7」の時のできごと。
前回からちょうど365日目のできごと。またもや部署の納会。
14回目 04年4月7日 白タクで帰宅 白タク:6,000円 上の「その8」の時のできごと。
寝過ごし回避記録はたった1週間でした。
とてもおくさんに迎えに来てとは言えなかった・・・
15回目 05年4月6日 ホテル泊。
翌日新幹線で出勤
ホテル:6990円
新幹線:1660円
上記「その9」の時のできごと。
ホテル泊でおくさんに迷惑かけずにすみました。
シロタクが8,000円以上ならこっちの方がいいなと勉強になりました・・・・・・・・こんなこと言ってるようじゃイカンイカン。
16回目 05年5月10日 白タクで帰宅 白タク:7,000円 どーも1回やると連続する癖がついてるみたい。
今回はホテルがトリプルのシングル利用で9800円の部屋しかなく、白タクのテラノのお世話になり帰還しました。
17回目 05年5月17日 ホテル泊 ホテル:6,090円
新幹線:2,820円
上記「その10」の時のできごと。
寝過ごしても大丈夫なように在来線で帰ろうとしたことが裏目にでて、どー考えてもマリアさまも来れないようなところに降り立ちました。
18回目 05年9月12日 Mujinaさん邸泊 新幹線:3070円 上記「その11」の時のできごと。
寝過ごして痛い目にあうというより、なんか楽しんでしまった。
19回目 05年9月28日 ホテル泊 ホテル:8,800円
新幹線:2,820円

どさくさ買物
世話になった人の送別会、ちょうど激務状態に一段落がついた頃だったのでついつい気分よく飲んでしまい東北新幹線最終には間に合わず、上越新幹線の最終へ、案の定、大宮で起きられずまたまた熊谷に降り立ってしまった。。。
前回の安いホテルに空き部屋はなく、少し外れたチサンホテルに。。。8800円?田舎のビジネスホテルの割りには高いな〜。久々に勉強代を結構払ってしまった。
翌日は大宮方面で朝イチの仕事だったので楽だったんですが何せ着替えがないと気持ち悪いんで、シャツ、パンツ、靴下、Yシャツ、おまけにネクタイや靴まで一新して買ってしまいました。必要なものといえ散財したな〜
でもその29日は阪神タイガースのリーグ優勝!野球放送をしていた飲み屋で優勝の瞬間に付き合ってくれた同僚(巨人ファン)には感謝(笑)。もちろん奢りましたよ。てなわけで夜も散財(爆)。この日はきちんと帰りました。
20回目 06年4月4日 ホテル泊 ホテル:6,700円
新幹線:1660円
部署のみんなで東京湾で大型クルーザー貸切クルーズ。
非常にリッチな気分で東京湾夜景を見ながら飲みまくり。
リッチついでに那須塩原のホテル泊と相成りました。
21回目 06年4月27日 ホテル泊 ホテル:7,000円
新幹線:4,410円
上記「その12」の時のできごと。
この伝説的な乗り越しを教訓に記録更新はストップしたいもんです。
今後、更新しないようにしたいと思っております。



良かったこと

このごろ「困ったこと」ばっかり更新してるんでここの説得力がなくなってきましたわ(笑)

その1

もうひとつの書斎がもてます

通常業務時間内に仕事が終わらないことって、良くありますよね。
そんな時の選択肢って、一般的には2つあります。
  1. 仕事を終わらせてから帰る。
  2. 帰ってから仕事を片づける。
私には、もうひとつの選択肢があります。
  • 帰りながら仕事を片づける
新幹線って、そこそこのシート(会社の椅子より良い人がほとんどだと思います・・・)と机がありますよね。
仕事が終わった頃に自宅近くに到着しています。これは良いですよ。

自己啓発のための時間としても、1日往復で2時間電車に乗っているとして、1週間で10時間、1ヶ月で40時間、1年間では何と480時間が無条件にその時間に充てることができます。

その2

疲れが取れる

シートをぐっと倒せば、ゆっくり寝れます。毎日の長距離通勤疲れるね、と言われたりしますが、寝不足の翌朝は、たっぷり眠れる場所だったりします。

その3

煙草が吸える

私は、煙草やめましたが、新幹線通勤を始めた当初は煙草吸ってましたので、当時は最高でした。
だって、リクライニングシートでコーヒー飲みながら、煙草をふかして、今日の仕事の資料に眼を通すんですよ。これはね、良い仕事できます。
近頃、オフィスも全面禁煙というのがトレンドで、愛煙家の肩身も狭いと思います。
喫煙車両は、ここでしか吸えないって感じで皆、ものすごく煙草吸ってますね。
自分で吸ってなくても充分楽しめるくらい・・・・。今は息止めて通り過ぎていますけど・・・。

その4

住環境が最高

これは、住んでいる場所により、個人差がありますが、一般的には住環境の良いところに自分の城があります。
休日は自然に囲まれた山々や、温泉街も日帰りですし、近くのデパートも駐車代なんてセコイこと言うところも少ないです。水も米も安くて美味しい。





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