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11/8(日)記


 元気になると、つい元の体内時計に戻ってしまって、日々「いけないなー」なんて感じてしまう。
今年の始め頃から、とある月刊誌にノンフィクションライターの柳原和子さんが「がん病棟へようこそ」というタイトルで自らのリアルタイムの闘病生活を綴った連載を掲載されていたので、毎月読みつづけていた。
彼女は私が思っていたこと、考えていたこと、そして書きたいと思っていたことをすべてカヴァーしていたのでびっくりした。…とはいっても、あちらは本職の物書きで、そのうえカンボジアの野戦病院でのボランティアや薬害エイズ、筋ジストロフィーの少年少女たちの取材を続け執筆活動されて来た方。医療に対する知識も考え方も、自分が病気になって初めて得たものではない。毎月それはそれは真に迫ってくる鉛のように重く堅く強い言葉、決して濁されない言葉、時には医療に対する辛辣な意見も冷静に書き続けていた。読みながら、この柳原さんは退院することなんかできるのだろうか、と思たほどだ。
 しかし、柳原さんは緩解され病院を出られた。

今月号は、私も読みあさったK大医学部の近藤誠先生と対談をされ、また歯に衣着せぬ質問をされていたが、それはもっともなことだ。患者が無知でいてはいけないこともわかるし、でも突然出会う(かかわり合う)ことになる医師には杖になってほしいとも思うわけで、そこらへんのお互いの葛藤みたいなものがひしひしと感じる。まあ、こんなとこで書いても仕方ないけど。
最近は、いろいろな場面で闘病記のようなものに出会うことが多いように思う。Internet上でもしかり。
私も半分はリアルタイムで書き続けて来たので、社会復帰してしまった今となっては、読むとずいぶん恥ずかしい話がいっぱい書いてあったりする。でも、まああの瞬間瞬間がそのままなので、それは仕方がないことだけど。それでも半分以上は日々心の封筒に仕舞いこんで封をしてかかなかった。当たり障りなくしか書かなかった。書けなかったのだ。そこまでの覚悟は持ち合わせていなかったので。

よく「何か変わったことがあるか?」というようなことを聞かれることがある。もちろん病院に入る前の生活と、現状との違いを聞きたいのであろう。私はちょっと抽象的な言葉しか持っていないと思う。だから私の答えを聞くと「なんだ…」というふうにあまり納得してもらえない。何もかわちゃいないんじゃないの?というふうに。ドラマチックな言葉が必要なんだろうか?
何かこんなふうにこうなって、だから今は…って、そういう筋書きがないといけないのだろうかって思う。もちろん何も変わってないとは思っていないけど、だからどうした!と思いたいのだ。なぜなら、まだ現在進行形だと思うし、背中合わせの恐れがないわけでないから、最終的な結果なんて「これだ!」と誰が言い切れよう。私ってわがまま?…だよねぇー。たぶん。人はそこで、たぶん大きく変わっているとは思うけど、そんなことどう伝えればいい?それは自分の価値観での言葉でいいんじゃないだろうか。
私には、こうやって自らのことを口で言えるようになったことが最大の変化とも思う。
検診に行く度、主治医N先生に「うーん、今のところは変化ないよ。次は◯月◯日ね。」と云われる。
どういうことか?それは、次があるということなのだ。終わりなんかじゃないんだ。
突然、それが夜にやってくることもあるけれど、それはちょっとづつ少なくなっている。自分で感じる変化というのは、そういうようなことばかりなのよね。

先月、入院の友のひとり、さっちゃん(当時学生)と病院でばったりあった。新しい薬が出て来て、数日入院して点滴する必要もなくなり、通院だけで済むと云う。もうすでにヘアピースだけど、
「お化粧も満足にできないのよねー」と、
22歳の彼女にすれば、まつげまでなくなってしまったことは、ショックというもの。かえす言葉は正直ない。でも明るいさっちゃんには、「じゃまぶたに書いてあげようか?」で済む。それに気付くまで時間はかかったけど。
たいへんな人はもっともっとたくさんいらっしゃる。そういう方々のことを考えたら、私はたいした生活もしてないし、特別な考えもないとも思うけど、まぁ、ほんとそれぞれなのよね。自分なりの結論。
ほーんと、人それぞれなのよ。。

近藤先生の「近藤理論」も、柳原さんの「生きる医療を」という考え方も、もう一回読みなおしてみようと思う。近藤先生がおっしゃる「ガンは本当に治るのかということに疑問をもっています」という考えが理解できるかもう一回読みなおしてみようと思う。

ちなみに去年の今頃、社会復帰をはじめた。会社に出て、時間になったら帰るという程度だったけど。ようやく1年たったのだ、、と思う。