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4/8(水)記

突然モデムが壊れてしまった。
壊れる直前までは、おかしくなる兆候はあったのだが、それも束の間。
最後のメールを読みだし終わった途端、『ぶつん』という音がして、それっきり天国へ行ってしまった。2度と電源がはいることはなくなったのだ。

このモデムは、一昨年転職をして東京に飛ばされて来たときに買ったもの。あと数日で、ちょうど2年になろうとしていたところだった。
会社の施設である寮(マンション)に引っ越してきて間もなく、電話の盗聴事件のうわさが流れた。会社は寮生活の社員の何もかもを管理し、管理人は勝手に部屋に入ってくるような状態だったので、電話盗聴もあながち嘘ではなかったようだ。
ただでさえ、研修期間のまるで軍隊形式のやりかた(こんなこと書いてもいいかしらん?)に疲れ果て、さらには2時間かけて帰ってきても、門限・盗聴という日々に、心は半狂乱(笑)。同郷から採用になってのは4人で、配属先は違ったがコソコソと話しするのが精一杯の毎日だった。
これでは、落ち着いて愚痴も言えない(?)『通信にしよう!』と思い、忘れもしない4月20日土曜日どしゃぶりの雨の中、重い身体を引きずって、初めてひとりで秋葉原に向かった。
人ごみに圧倒され、その場で倒れそうのほど。どの店にいけばいいのかもわからず、とにかく自分の575に使えるモデムであればいいのだ!と思い直し、Mac館と表示されているお店2件を見ただけで、決めてしまったモデム。雨が降っていたので、「雨の日セール」の割引付で買ったものだ。

PPP設定の必要のないNIFTY接続がいいと考えていたところ、買ったモデムにイントロパックなどがセットされていたので、さっそくオンラインサインアップ。
数日もしないうちに、メールが使えるようになって、言葉には表わせない安堵感がさーっと駆け巡り感激した。
初めてもらったメールが、会社で同期入社となった私よりずいぶん年下の男の人。夜は11時以降がんじがらめで、休日も外泊させてももらえずいたため、ストレスがたまりっぱなしだったのだが、土曜日の夜は1〜2時間置きにアクセスすると、返事が返ってきて、朝までメールのやり取りをした日もあった。そのうちやりとりできる人が徐々に増え、以後、通信は生活のなかで大きな比重を持つことに。あの時の思いが結構つまっているモデムだったので、個人的にはこの出来事は、ちょっとショックだったかも。

NIFTYが使えるようになってすぐに、会社から引っ越し命令を言い渡され(同郷4人とも)、わずか3週間ほどしか住んでいない部屋をあとにすることになった。
横道にそれると、人さらいのような(笑)会社だったので、単身赴任で旦那を置いてきていた2人は、とても気の毒だった。
移った先の新しいマンションは、一層セキュリティーがきつく、通信は欠かせないものになった。今まで、『家では決してやるまい』と手をつけていなかったのに、そこから現在の通信生活に至る道のりがすっかりでき上がってしまった。

今まで私のために頑張ってくれてありがとう!--昇天--


ちなみに今の会社は違います。