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1999.6.13(日)

前に書いた昔好きだったバンドを思い出す時間が多くなっている。彼等はもうやっていないのに、日ごとに鮮やかに蘇ってくる。
たぶん自分にとってはもう切り離すことのできない部分。でもそれをわかってもらえることはあまりないので、そのことで話ができる場面が持てると言うのは嬉しいなと思う。
今日はお天気だけど、自分の中で好きな曲の普遍的ななかのひとつ♪Rain♪というのが浮かんできた。歌詞がとても好き。でも今これは聞けない。アナログしか存在しないから。一部をちょっと落書き。

♪Rain♪

誰がつついた訳でもないが
いつしか空が割れて
あなたの髪を濡らして遊ぶ
空の子どもたちさ
 流れる頬の雨は
 たばこの火を消したね
本当にあの雨は涙じゃなかったの
愛の心 ガラスの心 壊れやすい心

<2番が所々思い出せない>
ちぎれるほどに手を振る人は
昨日までの恋人
僕と別れる理由はなあに?
それさえはっきりしない
 どちらが悪者だと
 どちらがかわいそうと
二人の結末の答えになるのかな
愛の心 ガラスの心 壊れやすい心
愛の心 ガラスの心 壊れやすい心

<JASRAC未承認>


1999.1.24(日)

中学一年生のときから好きだったバンドだけど、以前NSPという3人組がいましたが、ここんところ彼等のMLが盛んでけっこう楽しい。
古いテープを引っ張り出して、聞き込んだりしている。
まつわる思いはたくさんあって、記憶のずっと隅から忘れかけていたことも蘇ってくる。思い浮かんでいる曲の歌詞を書いておこうっと。

♪雪のララバイ♪
ひとりの暮らしに飽きて 弱気になることばかり
狭い居場所が落ち着く私は 孤独が友だちらしい
あなたの声が聞きたい いつしか朝を迎えて
電話を枕にため息つくのも 少しは慣れた夜
ララバイうたおうか ちょっとハミングで ルルル…
また元気に笑おうね
心の深いところに 想い出ばかりが積もる
も一度だけでもあなたにもたれて 雪でもみたい夜
<JASRAC未承認>


8/9(日)

先日気になっていた曲を今日見つける。
杏里の「夏の月」。ずっと心に残っていたけど、特に探さないでいたら、カメラのCMに流れていて、気になってCDを見にいったら、買ってしまった。
ピアノのアレンジが、どこか郷愁を誘うような感じ。雑誌を見たら、本人のコメントが載っていて、『長野オリンピックの閉会式で歌った「ふるさと」が自分のなかに残ったままで、自然と涌き出てきた』と云う。
そういわれれば、そんな感じ。

  優しさも 我が儘も 弱さも全部 わかって私は
  あなたを愛し なにひとつ怖くない そんな自分怖くて

  体のぬくもりに 変わらないこの暮らしに
  甘えあってお互いが だめになってしまうのなら
  別々に生きていく 誰も知らない明日を
  まだ私も知らない私 見つけだしてみたい

   …

  時計を戻しても 悪いところ直しても
  きっとふたり同じこと 繰り返してしまうのでしょう
  夏の月が見ていた 私たちのこの愛は
  いま小さな花火みたいに 美しく心に

  月だけが見ていた ふたりのこの恋を

なんで音楽って自分にあてはめて聞いてしまうのだろう。
メロディーとともに聞いてみてほしい。
寝る前のカモミールティーとセットになっている昨今。


7/11(土)

朝、お友だちとうちの近所から荻窪へ行くまでのタクシーのなかで、杏里の新曲?が流れていた。ちょうど会話が止まったときに。
言葉も途切れ途切れにしか思い出せない。争うことはないけど、自然に何かがずれていく。お互いのわがままで甘えあっていく恋にピリオドを打つふたり。。みたいな内容の歌詞。
あの曲なんていうのかな。


7/8(水)

最近いいBGMないかな〜。
人に教えてもらうことがすくなくなっちゃったからな〜。


5/17(日)

今日は、友人の"ゆみの嬢"がやってきたので、彼女と学生時代から共通に好きだった、札幌出身の「五十嵐浩晃くん」のCDをかけながら、懐かしい思いで一日を過ごしました。
日曜日の朝は、どうしても彼の声が一番しっくりくるので、時々彼の曲をかけることがありますが、今日は特にその延長になってしまいました。

さて、今は懐かしい 「Joe Walsh」の『Song for s Dying Planet』を流しています。これはずっと前にアメリカに旅行にいったとき、NYのレコードやさんのおにいちゃんが私に選んでくれたもの。「Joe Walsh」はそれまでは知りませんでしたが、これを聞いてから、今まで聞いたことのないタイプのボーカルだったので、新鮮な気持ちで私のなかに残る声となりました。
最近は、パソコンにむかってばかりなので、新しい音楽を仕入れていません。特に日本のものは、近ごろはよくわからないので、おいてきぼりかも。
また日本語の曲だと、私の場合、詞がフレーズとして頭に残りがちなので、歌詞が先に気になってしまい、そこから入ることが多いのです。ですから、言葉がただならんでいるだけだと、すぐ聞かなくなってしまいます。
今日、ある新聞を読んでいたら、某ミュージシャンが『言葉というのは、多くの人が気がついていないけれど、全部、人からのもらいもの。だから言葉をそのままで使っていては、詩ではない。だから言葉をそのまま使っていては詩ではない。』と云ってしました。
音に乗せて、単にカッコイイだけのものが多い昨今の作家に聞かせたい!


3/22(日)

先先週、トートツですが、なんとBOOWY(!)の 『THIS BOOWY』を買ってしまいました。
何かビデオでも借りようかと、ごく近所のショップ&レンタルにいったら、新譜で出ていたのです。私らしくない1枚かも。
なんで、いきなしBOOWYなのかと言われても、これという理由はないのですが、80年代中盤、自分の生活のぼんやりしたところでBOOWYの流れているシーンが多くあったのです。特にこれが好き!とか、HOTEIさんが好き!とかそ〜んなことは過去に微塵もなかったのですが、音楽とは必ずそういうものばかりではないですよね。
なんとはなしに思い出とか、その頃のバックグラウンドを彷彿させるとか、そういう理由で『THIS BOOWY』に手を延ばしていました。
レジへいくと、店員さんがいきなり『待ちましたか?限定版これで最後なんです』と言う。。。
そこで初めて、限定版を手にしていたということがわかったのです。
『え。。あ。。まあ、、。』みたいな反応をしてしまいました。レジまでは、ぼんやりした感情だったのです。とっても大好きな人には、悪いリアクション。。限定版、最後の1枚だったのだから。
このアルバムには『全20曲、デジタル・リマスタリングによる究極のアルバム!』と書かれています。しっかり考えられて作られたデジタルは、それはそれでずいぶん気持ちがいいと思っています。
たぶん最近これを聞いてる人は、BOOWYの時代をあまり知らないHOTEIさんやHIMUROさんが好きな方が多いかもしれないですね。

で、ここんとこ目覚めがBOOWYなんだけど、何となく動作がテンポ良く動きます。いつもスローモーな私にはいいかもしれないですね。。。