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99.5.11(火)

妹さっちゃんからの手紙から。

3/28(土)

私の入院生活に忘れられない人は、数知れず。
955号室、観察室、、いろいろと渡り歩き(?)最後に過ごした953号室での日々はわずか36日だったが、おねえちゃんさっちゃんやKさん、Cさん、Fさん、学生さっちゃんと、苦しくも楽しい日々を過ごした人々と出会った。
おねえちゃんさっちゃんは、年代的に近かったのもあり、食事はいつも一緒。あーでもないこーでもない!と、彼女の調子の良いときは、おしゃべりしていた。
偶然同じ部屋の窓際に『さちこ』さんという、字は違うが同じ名前の二人がいて、私はこのHomePageにコメントを書くために、おねえちゃんさっちゃんと学生さっちゃんと、ふたりを便宜上命名することになる。
元気になってからは、病室でPowerBookをカタカタやって、日々のことを書き留めていたので、会社でMac少々を使ったことのあるおねえちゃんさっちゃんは、興味津々でいつも覗いていた。『元気になったら、家でインターネットやるから、その時じ〜っくり読ませてもらうね〜。おねえちゃんさっちゃんいっぱい登場させてね〜。あ〜楽しみ!』と言ってくれていた。

おねえちゃんさっちゃんは、1965年東京で生まれた。
お父様の仕事の都合で高校に上がる前に仙台に移り、仙台の短大を卒業後、東京の商船関係の会社に就職。
会社で機材入れ替えのためさげられた、LC630のMacをいくらかで購入したため、退院後は私がMacを教えてあげることになっていた。
彼女はどんなことにも不安がって、主治医N先生がお母さんを呼び出したり、検査の日程がずれただけでいてもたってもいられなくなり、病室をウロウロしたり、あ〜でもないこ〜でもないと、悪い方ばかりに考えが寄ってしまっていた。同室の皆も、あんなに神経質になるとこはないのに…と陰ながら思っていたようだ。
しかし、人の心の重さは、誰にもはかることができないのだ。
『お母さんがいないと、私どうしていいかわかんないの』彼女はいつもそう言っていた。そのためかお母さんは、毎日面会時間は、目一杯彼女に付きりだった。
しかしその時、既に彼女が余命幾ばくもないないとは、病室で知る人はいなかった。先生も看護婦さんも、さすがにプロだ。
ある時のお見舞の帰りに、エレベータの前まで送ってくださったおねえちゃんさっちゃんのお母さんが、『いつもどうもありがとう』とおっしゃったので、『大丈夫です。一緒に頑張りましょうね。私でよければ、赤の他人ですから何でも聞きますから』と、今から思うと、短絡的で、実は本当に思いやりのない言葉を発してしまったのが、恥ずかしい。

おねえちゃんさっちゃんの所に時々お見舞にきていた会社の方が、いつだったかの金曜日、彼女が外泊に出かけたあとに到着した。『日持ちしないもので悪いのですが、せっかく持ってきたので、代わりにどうぞ』と、私にお見舞の品を置いていった。
彼女のお別れの式のとき、その方に再会。
用意されたお善を、Cさんと学生さっちゃんと会社の幾人かの男性とご一緒し、私はあのときにいただいたお見舞の物のお礼を丁重に述べた。
その方は、彼女はとても海が好きで、夏はいつも潜っていたこと。海にまつわるエピソードを、いろいろと聞かせてくださった。
その日の帰り、歩く道すがら、22歳の娘さんを持つCさんが『あの方、さっちゃんのこときっと、ずっと好きだったのね。』としみじみおっしゃった。
人知れず過ぎていく時間。
そしてそれは永遠に封じ込められていくことになる。
たったひとりでも、気付いてくれる人がいてよかったですね。私は彼にそう言いたいと思った。

1997年12月12日没


3/25(水)

先週の金曜日、待ち合わせの前に、昨年入院しお世話になっていた病院にまだ入ったままの学生さっちゃんのところと、E子ちゃんのところにお見舞に寄った。
学生さっちゃんは、ちょうど入れ違いになり、実家に外泊のため帰ったあとだった。またE子ちゃんは、来る大手術を控え、心の整理と共に群馬の実家に一旦退院して2週間ほど戻っているとのことだった。
E子ちゃんの病室のひとたちと、話しが何故か盛り上がってしまい、待ち合わせに遅れるか…と思ったほど。『またどうぞ』の言葉に送られ、なんだかいつも病人に好かれているみたいなんだよな〜って思ってしまう。

学生さっちゃんは、看護学校の学生。昨年6月に入院し、現在も入院加療中。どんなに痛い検査でも、いつも淡々としており、騒ぐことは決してない。まわりの大人の人々にも、常に『強くて偉いわね』などと言われている。それが彼女の悩みとは誰もが思わないことだろう。もちろん私も最初、そんな彼女の気持ちなんか、なにも気付いていなかったのだ。

学生さっちゃんからの手紙---------------------------------

お元気ですか?私は元気です。
先週は、外泊・外出を続け、そして今日(3/23)もDr.の許可が下りれば、外出してこようと思っています。
先日は、横浜の私の寮まで友達2人と行き、トースター、炊飯器、布団乾燥機、鍋etc...を友達が一人暮しをすることになった国領にある慈恵病院の寮まで運び出しました。
3/21は、新宿に新しくできた橋を渡りにいきました。自宅から高島屋が近くなりました。
<中略>
とても病人とは思えないスケジュールでしょ?
今の病室は、とってもつまらないから気分転換いっぱいしたほうがいいかなという自己判断で、でかけることにしています。
こないだKさんの手紙に『E子ちゃんの気持ち、すごくわかるから』っていうのがあったのですが、その言葉すごいショックで、最近おなじ部屋のひとにも、『あなたは精神的に強いのよ』って言われて、ダブルパンチっていうか。
いつもプラス思考の私でもここ2週間は、すっかりマイナス思考です。
私は普通の人と、考え方も感じ方も違うのかな…って、ちぐはぐになって、友達と遊び歩いていたというのもあるんです。
イライラしたり、今の自分は大キライです。6回目の治療が3/10に終わり、今週CTなど撮って、今後のことが決まります。もう学校の友達は卒業しちゃったし。。
これで先は急がないし、それだけ延びたってもういいやって感じです。
あ、でも4月になってこの病院にも私と同じ歳の新人さんが入ってきますね。はいってくるのはちょっと…イヤ…かなりイヤかも。複雑な気分。
<後略>
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今、どんな言葉をかけてあげるべきなのか、自分の度量では考えは浮かばない。