<2001.4.10> パソコンで通信だと、どうしてもハンドル名称が必要になりがちなので便宜上命名し、 変遷を経て?今に至っているけれど、“elfin”と言う名は、結構一人歩きしていることがあった、と、この頃思う。 実際に会って話したこともない不特定多数の人々とのやり取りの中で出来上がる私。どんなに時間を経ようと、そこにあるのは実像のない私。 私にとっては私でしかないはずなのに、私の知らない“私”がどこか別の場所でできあがっている。 虚像の“私”。それは私自身がつくり出したものなんかじゃない。一人歩きはそんなところから生まれたのかもしれない。 私という“ほんとうの形”と向き合って話したことのない人から、「ここが丸くてこっちが四角くて、ちょっと尖ってて・・・」などと形成されて、ある出来事で“こういう人だから、こういう時はこういうことする人だよ”などと決めつけられて広まり、とても傷ついた言葉をうけたことが過去にあった。ネットは恐い。 私には、“何もわかってないのにひどい”という思いしかその時よぎらなくてすごく悲しかった。 出会ってから気になって、もっと近付いてちゃんと話し掛けてホントを知りたいと思う。 本当にその人を分かりたかったら、直接声を聞きたいと思う。だから嫌われたって電話ぐらい何度もかけるかもしれない。 私だったら、の話だけど。 出会いのはじめの一歩。メールでもなんででも。 そこから生まれる関わりにはちゃんと本当に人がいるはずだ。 そこにある本当の時間には生身の人間がいるのだから、知りたかったら文字だけじゃダメだって思うよ。 何故急にこんな話を書いたかと言うと、バーチャルスタートな恋に悩める素敵な大人のあの方へのエールのために。 今夜他人が見てる視点を持って客観的に自分を観察をしてみる。 ちょっと怖い時間。いつもありのままの自分のつもりなんだけど。やっぱり違うかも。 ありのままのつもり? 断言はなしか?。。。つもり。。 「今ある姿」を映すことができる鏡。 “虚像”“実像”?この瞬間はどっち? そして、まっすぐか歪んでいるかをもジャッジする鏡。 鏡はきっと自分の心。 今の私の真実ってどっち? |