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小学校に入る頃ピアノを始めた。
小学校卒業音楽会で「エリーゼの為」を弾いた。 練習曲はツェルニー30番の途中位だった。

中学ではブラスバンドでクラリネットを覚え、他に管楽器 も覚えた。指揮もやった。

高校では男声合唱の指揮者だった。 同声合唱は混声合唱に比べ澄んだきれいなハーモニー が出せるのでとにかくハーモニーの美しい曲を選んだ。
男声合唱組曲で月光とピエロという曲があった。好きな曲で、 高校から大学にかけて計4回(うち3回は指揮で)もやった為、全曲 全パート暗譜してしまった。
高校音楽部は、男声だけではなく、女声、混声、管弦楽と一応揃っていることから、 文化祭(とんぼ祭と言った)でのトリに全員一緒の「混弦」があり、3年の 時にはモーツァルトのレクイエムに挑戦した。 その曲を選曲・指揮をした友人は、現在音楽大学の教授をやっている。 今思えば高校生がレクイエムとは、無謀のような気がしないでもなかったがよくやったものだと思う。

大学ではオーケストラに入団、 高校の頃かじったフルートをやりながらビオラの 練習を始めた頃、グリークラブなるところから 強烈な勧誘が入って遂に陥落し入団。 理由は指導者不足、メンバー不足であり、グリーの存亡に関わるとか? この時勧誘にきた部長のその後は不明なるも、どこかの企業のトップセールスマンになったに 違いないと確信している。 おかげで異例だったが1年生から指揮者にさせられ、オーケストラは自然退団。
自信があったのは耳。 老化現象でただでさえ耳が遠くなった今では考えられないが、 1パート10人で40人程度までなら、ハーモニーが澄んでいないと 思った時どのパートか、またそのパートの誰の音程が半音の半分くらい違うか が聞き分けられた。

グリークラブの他に 市の大学合唱連盟で指揮したり、他の大学とジョイントで東京の武道館で コンサートをしたり、NHKの合唱団員になってテレビに出たり、アルバイトで 町中の企業の職場合唱団の指導をしたりしていた。
頭に乗って席は理学部数学科だったが、音楽方面に進路を切替えようか と思った年があった。教育学部に遠征し聴講生として教えて貰ったり、 音楽の講師に相談したりしたが、志望の東京芸大作曲科にはピアノの力が 足りないと言われ半年で挫折。
言い訳であるが、 1年留年したのはこれが理由ということにしている。

会社に入って以降、パタッとこの世界から無縁の私であるが、父が亡くな った時、実家にあるグランドピアノを処分する話が出たが残すことにした。

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