まえがき ヒマラヤの西端に位置するナンガーパルバット(サンスクリット語で「裸の山」)は、これまで幾多の登山家を飲み込んできた。を意味する。この山のBCを目指し、8/3、私はギルギットの街を後にした。 カラコルムハイウェイ(KKH)沿いにジャグロットまで南下し、BCに近いアストール方面のジープを探す。相変わらず日差しが厳しい。ミネラルウォーター1本では不安だ。ワゴンの出る昼過ぎまで待たされること2時間余り、この国に来て待たされるのには慣れっこだ。 西洋人が手招きする。聞けば向こうの血が混じっているパキスタン人のガイドらしい。運搬用ジープに便乗し、出発する。 ジープは砂漠のような不毛な大地を縫ってインダス川へと下り、よれよれの吊り橋を渡る。その後も激しすぎる日光の下、ナンガーを前方に仰ぎながらジープは進む。頭に手ぬぐいを巻かなければぶっ倒れそうだ。彼らの纏うシャミュアル・カミュースがゆったりとした長袖である理由が実感できる。 時折、ジープは河原で止まる。オイル缶に川の泥水を汲んでは、ラジエータにかけたり、皆で美味そうに飲んだり。「さあ飲め。ナンガーの水だ。」と勧められるが、さすがに飲む気はしない。 何時間かおきに現れるオアシス村で休憩し、夕方アストール着。途中の路面は荒れていて、おまけに焼け焦げそうな日差しに参りそうになったが、行き交う人たちが皆手を挙げてにこやかに挨拶するので心は和む。 アストールから1時間弱でグリコット着。ここではタダでチャイを出してくれた。心遣いが嬉しい。ここからはガイド氏と二人でジープをチャーターすることになり、所持金の半分がなくなる。夕暮れに包まれ、黒々とそそり立つナンガーを眺めながら、更に荒れた道を進む。 チョリットに着いた頃にはすっかり暗くなり、初日から夜間歩行だ。ガイド氏はポーターに荷物を持たせ、さっさと行ってしまう。飯もろくに食っていない私は、夜道をフラフラしながら必死でついていく。ふと、「山賊が出たら・・・」「もしも彼らが強盗に早変わりしたら・・・」と悪い想像が頭を掠める。一時間ほど歩き続け、タルシン村の光が見えてきたときには心底ほっとした。キャンプサイトにはイタリア人のほか、日本人パーティまでいて拍子抜けしてしまった。 満を持して作った味噌汁は野菜が生煮えで大失敗。それでも草地の寝心地の良さには大満足。ナンガーを見上げて眠れる幸せ。 ぐっすり眠って起きたのは7時半。死ぬほどまずいシリアルを空腹に任せて流し込む。今日はナンガーは雲の中。 テントのそばに村人がずらっと並んでいるのには驚いた。外国人が珍しいのか、それとも我々は金のなる木なのか。すごしやすい陽気に誘われて、付近を散策。目の前には大氷河、小川のせせらぎに鳥のさえずり。子供達が屈託のない笑顔で近づいてきた。 楽園的中央アジアの風景か、と思いきや「パイサ」(貨幣単位)ときた。勝手に踏み込んでいる私たちは言える立場にないが、この奥地へやってきても、現実は悲しく厳しい。 ゴロゴロするうちに西の空が掻き曇り、雨に見舞われる。だましだまし使っていたMSRも、この天気では威力半減。こんな所でストーブが壊れたらどうしようもない。まったく煮炊きできなくなって呆然としていたところ、イタリア人パーティのガイドが飯を恵んでくれた。涙が出るほど嬉しい。 よく朝早く、雲間からナンガーが覗くが、すぐに隠れてしまう。「食わなきゃ体がもたん」と思って飯を詰め込むたびに日本が恋しくなる。子供達が寄ってきても、昨日のことが頭をよぎり、素直に受け入れられない。 ポーランドBCに向けて出発。氷河を一つ越えてルパル村へ。そこから緩やかに登っていくが、道の割りにはしんどい。すれ違う人に所要時間を尋ねるが、人によってまったくばらばらであてにならない。 途中から地元の子供達が先導してくれるが、きつくてのろのろと足を運ぶのが精一杯。周囲に目をやる余裕もない。イタリア人パーティに追いつく。ガイドに尋ねると「2マイル、1時間だ」と言う。後1時間歩いて引き返そう。 この直後の斜面がきつかった。20分毎に腰を下ろすが、なかなか立ち上がれない。小川を左手に見、40分も歩いたろうか、広い草地に出る。湖畔にある筈のBCを目指し、もう一つ斜面を登りだすが完全に息切れ。これ以上進むのは無理と判断し、草地に戻って休憩。 イタリア人パーティがやって来た。ガイドに聞けばここがBCらしい。歩き方の「ゆっくり歩いて4時間」より1時間も余計にかかっている。酸欠なのか、手先が痺れる。茶を沸かし、少し回復してきたので帰路につく。ナンガーの大岩壁が雲に覆われていたのは残念だ。 帰りは下りなので楽だ、その甘い読みが後で痛いしっぺ返しを食う。最初は快調に歩けたのだが、ルパル村付近で急に体がだるくなってきたのだ。休むたびに横になるが、段々歩くのさえ辛くなる。やっとの思いで、タルシンに向かう最後の氷河を登りだす。 しかし、体が言うことを聞かない。体を前に折って進むが、それもしんどい。雨がぱらついてきたので、木の下に横たわる。「ここで倒れたら犬死だ」そう言い聞かせ、一歩ごとに一息つきながら歩き出す。 「ゆっくりでいいから、とにかくタルシンの見えるところまで。」行きとは比べ物にならない辛さの登りを、足元だけを見つめて一歩ずつ足を前に出す。顔もあげられない。 やっとタルシンを見下ろせるところまで来た。冷たい風が吹き抜ける。遠くに自分のテントが見えるが、どうにもならず倒れこむ。水を取り出す気力もない。何十回も深呼吸を繰り返すと、ようやく意識がはっきりしてきた。日没までに戻れれば、とかなり苦労して立ち上がるが、100mも歩けない。 岩にもたれてうずくまり、人が通るのを待つ。子供達が不思議そうに眺めていく。30分もたったろうか、ロバを連れたおじいさんが通りかかった。天の助けとはこのこと、と彼に頼んで荷物を持ってもらい、ふらふらと歩く。テントになだれ込み、横になる。悪寒はするし、腹も苦しい。死ぬんじゃないかと思ううち、いつしか眠りに落ちていった。 目が覚める。全身がだるいし、動けない。茶を沸かすのも一苦労だ。リンゴとカロリーメイトを齧りながら、一日寝て過ごす。命の恩人が見にきてくれた。なんとか大丈夫、とゼスチャーで伝える。 翌朝早く、私を見送るようにナンガーが顔を出す。まだふらつくが、今日のジープを逃すと次はいつになるかわからない。気合でジープに乗り込む。帰る日になって、草地のテン場が有料だ、と言われるが、喧嘩する体力もない。交渉して4日で100ルピーにしてもらう。 この日のジープは運良くギルギット直行便。チョリットまでの悪路は、荷台に10人以上がすし詰め。しかも、途中からどんどん乗り込んでくるので、手にマメができようが場所の確保に必死だ。 約二時間でアストール。ここから荷台には私一人。日光、暑さ、立ち疲れとの戦いだ。谷沿いなのに熱風が吹き付ける。 ジャグロットに着く頃には、消耗しきってどうしようもなくなっていた。夢のように走りやすい舗装のKKHを通ってギルギットにたどり着いたのは、出発から8時間後のことだった。着いてすぐに飲んだジュースのうまかったこと! |