初めて大雪を訪れ、旭岳石室に泊まった時のこと。昼より明るい月光が辺りを照らしていた前夜の興奮も覚めやらぬ朝、散策に出た私の目に、白い花が目に入った。ハイマツの間に点々と咲いている。もうすぐ雪も降ろうか、という季節に一体何だろう?そう思って近づいた私は次の瞬間、言葉を失った。 場所は移って、日高のとある林道。除雪の最終地点に車を止め、スノーシューを履いて歩き出そうとしたその時、足を踏み出せなくなった。今度は逆のコントラストである。 私が山を始めた10年前、先輩が「キジの撃ち方」を伝授してくれた。曰く、 以来、その方法を踏襲してきたが、北海道に移ってからは限界を感じ始めていた。温暖な京都と違って、こっちは亜寒帯である。高山ならば、余計に土壌が低温で、微生物による分解をあてにする方が間違っている。 それでも、自分の排泄物を持ち歩くことには抵抗があった。他人の排泄跡に憤慨する割りには、自分のものは目に見えないからましだ、と言い訳してきた訳だ。が、雪山に行くようになって、どうにもならなくなった。山を止めるか、排泄を止めるか。どちらも無理なら、持ち帰るしかない。 こうして、携帯トイレを使用し始めた。勿論、臭いが気にならないと言えば嘘になるし、うまくキャッチできなくて拾う事態も経験した。それでも、案外なんということはない。要は、慣れなのだろう。 これからは、例え本人が望まなくとも、登山者のモラルが問われる時代。皆さんも、脱・野○ソ宣言してみませんか? |