The Battle of Evermore by 清水義央 (1999)


●昔のKENSOのメンバーでのライブとなれば、アンコールでよくやっていた PFM?か何かの曲のカバー(COPY)でしょう。 ぜひ、お願いします。

オールドケンソーからの1リスナーより


●ミュージックプラント野崎です。今度の25周年ライブにむけてオールドケンソーの皆様に演奏してほしい曲があったらぜひメールください。実はすでに清水さんは曲を決めているという噂もありますし、今までも私が何度もリハーサル中に「あれが聴きたい」「これはしばらくやってないんじゃないか」と発言しても、今まで一度として聞き入れてもらったことはない・・というケンソーですが、実際駄 目モトでも、これを機会に皆さんがどんな曲が好きなのか、というのを私も知りたいですし・・どうぞよろしくお願いいたします。

1999年11月14日 ミュージックプラント 野崎


●ミュージックプラント野崎です。今回の清水さんの発言を読んで私もでてきました。いや、ほんと最近の音楽業界ってあまりにもバカな事が多すぎる。テレビで「オリコンの何位 に入らなかったら音楽活動をやめる」「武道館に何人来なかったら音楽活動やめる」とか、女の子のアイドル歌手が「プロデューサーに言われたからこうする」みたいな発言。たしかに若い人たちがそれにむけて必死でがんばる姿など、見ていて感動をさそいます。が、それはエンタテイメント・ビジネスであって「音楽」じゃありません。そういったビジネス社会で、彼等は自分のポジションをわきまえ、それを実践しているんでしょうから、歳をとるとともに頑固になっちゃって最近じゃ嫌いな音楽の仕事ができなくなってしまった私などより、はるかに彼等の方が大人なのかもしれません。でも私から言わせれば「おまえらそんな気持ちで音楽やってるなら止めちまえ!」ですよ。それに「そんな気持ちで作った歌など聴きたくない」ですよ。ところが世の中はそうじゃないんだなぁー。やっぱりメディアの最前線で活躍し高視聴率をかせぎだしたり、緻密なマーケティングのもと、それらの音楽をヒットさせている人たちは頭のいい人だと思うし、大変な努力をしているんだと思います。でも彼等のやっていることは「音楽」では絶対にない。そういうご時勢の中でケンソーの音楽に妥協はありません。うーん、あまりにもカッコよすぎるな。まぁ売れないんだったらせめてカッコよくあらねば。とはいえもう少しリスナーの数が増えてもよいはずだとも思うわけで、マネージャーとしては日々努力しているわけです。

さてこのコーナーでは皆さんの投書を募集しております。メールはこちらまでどうぞ。お待ちしております。

1999年11月7日 ミュージックプラント


●アート・ディレクター&ドラマーの岩田さん、メールありがとう。お友達にも「夢の丘」「LIVE92」を紹介してくださっているとのこと、重ねてお礼申し上げます。あなたのおっしゃるように「92」の音は私の目指しているところではありません。いや、結果 としてそうなってしまったというのが正しい。でも「92」に対する私の評価は「イン・コンサート」に対するそれとはまったく異質のものです。これはたぶん私と小口にしか分からないことですが「イン・コンサート」の時と「92」の時とではバンドのテンション、内包されたエネルギーが全然違うのです。演奏技術の巧拙ではありません、各メンバーが持っている音楽的ベクトル、精神の集中の仕方とでもいうのでしょうか(うまい表現を見つけている時間がないのでこのままにしておきます)そういった部分では「92」の頃のケンソーは凄かったなと思います。私が自分の過去の作品にウットリしたりしないことは皆さんお分かりでしょうから敢えていいますが「夢の丘」は素晴しい作品です。そしてあの作品の素晴しさはこれからのケンソーの歴史によってさらに証明されるはずです。というよりケンソーの過去のアルバムすべての意味、意義、価値は今後の活動によって明らかにされるのです。特に「ケンソー・セカンド」「夢の丘」の様に完成直後、次にどうしたらいいのか分からなくなってしまうくらい何もかも出し切ってしまった作品はそうなるでしょう。話が抽象的になってしまうのでこのへんでやめておきましょう。でもいいですか? それは「夢の丘」を目指すということでは決してありません。今回ビデオ編集において「92」の時の演奏を久しぶりに聴き、また映像を見て正直に言って「こんなに良かったのか」と思いましたが、それはやはり過去のことにすぎないのです。

 ビデオについて期待してくださるのは嬉しいことです。それはそうでしょう。全く期待されてなかったら、バンドのメンバーで昔の映像を見たい奴にだけダビングすればいいわけですから。これだけ貴重な時間とお金をかけてやっているのですから、期待していて欲しいですよね。ただ当たり前のことですが、期待通 りのものになる保証はありません。ケンソーは長い歴史を持ったバンドで、いろいろなメンバーが関わり、本質は変わらないとしても出てくる音の質感は様々です。たとえば小口に編集をまかせたら私がつくるものとは全然違うものになるでしょう。しかし、ケンソーのすべてにかかわったのは私しかいないし、このバンドの方向を見定めながら引っ張ってきたのは私なのです。GENESISの4枚組みBOX「アーカイヴ」に私はアンソロジーものの真髄を見た気がしました。ブロード・ウエイに2枚を費やし、1枚を名曲中の名曲のライヴ・テイクその他にあて、そして圧巻は68年のデモ・テイク集! トニー・バンクスさん、男の意地をみせてくれました。「ファンがどう思おうとGENESISというバンドの本質はここにあるのだ。あの時期こそ、あの音こそGENESISなのだ」という心意気が実に素晴しい。岡本太郎さんの「今がすべてだ。いずれあるものならば、今、必ずある。今無いものならば将来にも絶対に無い」という言葉を思い出してしまいます。話をケンソーのビデオに戻しましょう。ですから、私が「これがケンソーの良い部分だよな、これは面 白いなぁ、この試行錯誤があってその後良い結果が生まれたのだな」という部分を集めて仕上げたいと思っています。また、「おまえらにはわからないだろう、いやメンバーも分かっていないかもしれないが、ケンソーっていうのはこういうバンドなのだ」という挑戦、各種の毒も盛り込みたいと考えています。「あれこれ欲張った結果 、曲を途中で切ったりしないでください」とおしゃってますがたとえ切ったとしてもそれはケンソーを知り尽くした私がそう判断したのであるし、「清水先生に限ってそういうことはないと信じております」と勝手に信じられたり穏やかな脅迫をされても、私の知ったことではない。「グレート・デシーヴァー」でしたっけ、クリムゾンの1973年ころのライヴ4枚組。あれも同じ曲が何回も入ってましたよね。あんなふうに、リーダーの私がケンソーをどう考えているかを伝えられるような、そんな作品にしたいです。それにしても、やっぱりGENESISにしてもクリムゾンにしても、やりかたがかっこいいよな。最近、女のヴォーカルを中心にした日本のスゲー売れてる3人組が新聞に全面 広告を出していた。「あなたが選ぶあなただけの●●●(そのバンド名)のベスト・アルバムです」その下に多分そのバンドの全曲のタイトル。そして右下にその女のコメント「私はえらべませ〜ん」だとさ。バカヤロ! 迎合の極致。いくら商売とはいえ恥を知れ、恥を。前にも私がよくサラシモノにする歌謡ロックバンドが同じようなことやってたけど。でもさぁ、これに応募する人って、ほんとに「自分だけのベスト・アルバム」がこの方法でできるって思っているのかなぁ。まあでも、世の中心底頭の悪い人っているからなぁ。統計とか疫学的調査っていうものがどういうものか全く知らないんだろうか。“母集団”って言葉をおかあさんたちが集まっていることだと思っている人もいるかも。そういえば私の家の近くにしょうもない女子高があって、朝その生徒たちとすれちがうことで、忙しい生活のなかでも若者たちの生態に触れることができるのだけれど、そういう女子高だから朝からその子たちをナンパする男もいるわけさ。そいつらは信号のところに座っていて、メボシイ子が来ると立ち上がって“通 せんぼ”などという古典的なことをするんだよね。さらに驚くべきというか、もうあきれて物がいえないのは女の子も友達に「どおする?」とか相談して、その男たちと学校と反対側に歩いていっちゃうこともある。そうすると私は駅まで、その子たちの後ろについていくかたちって言うんですか? いろいろ会話が聞こえてくるわけです。我思う「あ〜あ/これじゃ、ケンソー売れないはずだよな」ゆえに我あり。

1999年11月7日 清水義央


●いや〜うれしいなぁ。結成25周年記念ビデオ、非常に楽しみです。これは店頭売りされるんでしょうか? しかも160分。いや〜楽しみ、楽しみ。 僕はKENSOを聴き始めたのほんの10年前ですが、Bruford好きの僕としては 「LIVE92」あたりの音、緻密なサウンドがすごく好きです。 僕が友人などにKENSOを奨めるときはかならず「夢の丘」と「LIVE92」をペアで奨めています。 清水先生はJAZZよりなところが目指すサウンドと違っているとおっしゃっていますが、 あのサウンドは 緻密でありながら、バンドサウンドとしてのまとまりもエナジーもかなりのモノだと思います。 僕自身、ツェッペリンやパープルを通らずにずっと音楽活動をしてきた人間なので そのへんがちょっと感じ方の違うところかもしれません。ちなみにドラマーですが・・・ PINK FLOYD, GENESIS, UK, Bruford, Brand X, King Crimson, RUSH, YES, etcといったところを 聴いてきました。King Crimsonにしても初期はあまり聴かないでDISCPLINEの頃です。 ですから個人的には「LIVE92」の頃のライヴ映像を多くみたいという気もしますが 「エソプトロン・ツアー」を始め、「ZAIYA LIVE」、「IN THE WEST」の 映像も非常に楽しみではありますが。お話によれば「エソプトロン」や「夢の丘」の レコーディングの模様も見れるということでこれまた楽しみです。 ただ、あれもこれもと欲張った結果 、曲を途中で切ったりということだけはしないで ください。 清水先生に限ってはそういうことはないと信じておりますが、 組曲状態のものでも途中でフェイド・アウトされてしまうと見てる側としては もう体中から力が抜けてしまうほど落胆してしまいますから。 先日「Classic albums」というシリーズのSTEELY DAN/Ajaのビデオを 買ったのですがレコーディング裏話的なものなのでしょうがないとは思いますが 途中に挟まれる短いライヴ映像や中途半端なオマケ的生演奏は見てる側からいえば もう、ただ欲求不満になるだけでがっかりしてしまいました。 ところで「イン・コンサート」のCD、今は手に入らないようですね 僕は持ってますが、貴重品なんですね。大切にします。

最近、村石氏や光田氏も売れっ子ミュージシャンに なってしまいましたが(特に村石氏は日本を代表するドラマーになりつつありますね) 皆さんのKENSOとしてのこれからの活動に期待しています。商業ベースに乗らない素 晴らしい音楽を 作り続けてください。 ヨーロッパなどでのの評価も高いと聞きました。日本の音楽業界ではKENSOの正当な 評価は期待できないので 個人的には海外活動などもしていただきたいと思っています。 では、ビデオの発売楽しみに待っています。

岩田 直樹 40歳 アート・ディレクター&ドラマー


●お久しぶりです。WOWOWのプロデューサーM氏よりまた電話あり。「ユーライア・ヒープの話以来更新してないねぇ、ビデオの編集で忙しいんだなと思ってたけど、どう? 調子は。」あのね、私はケンソーだけで生きているわけじゃないんですの。こどもと遊んだり、勉強見てあげたり、最近ついに音楽に興味を持ち始めたから譜面 の読み方とか教えたりもしている。セカンド・アルバムの頃活躍したコルグ・ポリ・6というシンセをあげたんだけど、この前こどもが寝てしまってから部屋にいってみると私が音符の読み方について書いてあげた5線紙の裏に“パパからおそわったおんぷ、おんぷはたのしい”って書いてあった。ぐすん、泣かせるじゃないの。散歩している時もこどもの方から「GIPS 」とか「スーフィーのブギー」とか、しかけてくるからね。口ケンソーですよ。さすがに「 GIPS 」を3拍子ではとってないけど、小口のシンセのニュアンスなんて結構うまくとらえている。まあ3歳の時からケンソーの全てのライブを最前列でみてるからね、大阪へ行く新幹線の中ですっかり三ちゃんファンになったらしいし。打ち上げで「居酒屋」へいくのも楽しみみたいだし、将来楽しみというか心配というか。というわけで、もうすぐ父親参観日もあるし、父親としても忙しいわけです。教会の新米オルガン奏者としても自分の当番の週は集中的に練習するし。そして歯科医としても忙しいのです。診療、勉強会、歯科医師会の公衆衛生委員長として“○○区健康祭り”とかあるでしょ? そこで運動会の時に来賓のひとたちが居るテントみたいなのを張って歯科苦情相談とかいろいろやっているのです。また保育園、幼稚園、小学校の校医としてもお仕事がね、あるわけですよ。さて、ではファンのかたからのメールの話題にいきましょう。

まず、相模原のファンの方、メールありがとう。ああそうですか、床を転げまわってシールドが断線したのを見たわけですね。それは貴重な体験をしました。じゃあ、私が黄金バットのよろしくPA スピーカーに飛び乗ったのも見たかもしれませんね。あのころエコー・チェンパー(テープ・エコー、今でいうとディレイ)一台しか持ってなかったから普段はヴォーカル用に使っていたが「幻惑されて」でヴァイオリンの弓でギターを弾く時になるとマイクを引き抜いてギターアンプの上に移動させて、そこにギターからのシールド差し込んで、弓を持って例の「ジャン! じゃん!」をやってた。それも見てたのですね。今考えてみるとあれすごく格好悪かったよね。当時は「少し面 倒だな」くらいにしか感じてなかったけど。じゃあ、私がブライアン・メイみたいな白いフリフリの中世の王子みたいな衣装着て「ブライトン・ロック」のコピーやったのも見てるわけ? うわぁ、それスゴイことですよ。人生生きていくうえではなんの役にも立たないけどね。もしかして“相模原桜祭り”で市役所前の特設ステージから演奏中に飛び降りて、客にギターとピックわたして「弾けっ!!」てやったのも見てる? いや、まいったなぁ。去年、エスのデビュー・コンサートの打ち上げでその時そのギターわたされた人のすぐ近くにいたという人(当時小学生だったとのこと)に会った。その人「ああ自分が渡されなくてよかった」と思ったと言ってた。「あのギター渡された人、すごく困ってましたよ」とも言ってたな。まぁそれは想像するに難くないな。誰だってとまどうよね。でもあの当時の私がその客だったら、待ってました!とばかりに弾きだすんだろうな。初期ケンソーのフルート奏者の矢島さんの記憶によると歯科大1年に入学してすぐに学年全員で富士急ハイランドに親睦遠足に行った時、バスの中で某同級生が持ってきたフォーク・ギターにあわせてみんなで合唱したんだって。結構盛り上がってきたところで「そういえば清水くんもギター弾けるんじゃない?」って言い出した奴がいて「そうだそうだ、清水くんのギターに合わせて歌おう」ってことになった。わざわざ遠足にギターを持ってきたバカ、イヤ失礼、みんなで楽しくすごすために献身的な行為をした同級生は不機嫌な表情で、イヤ失礼、心よくギターを私に貸してくれた。何を弾いたと思う? イエスの「Mood for a Day 」!  それからZEP ナンバー! 清水義央オン・ステージ! だれも望んでない展開。当然遠足バスの中はシラッとしたらしい。「なんて奴なんだ!」これが矢島さんの私に対する最初期の思い出だとのこと。話がそれてしまったが、相模原のファンのかた、あなたが絶対見ていないことを教えてあげよう。私が青少年会館の楽屋で出番直前に暴走族バンドに暴行された事件は知らないでしょう。あれはマジで恐かった。で、元気ない状態でステージに上がったら、コンサート終ってから「きょうは清水が落ち着いてギター弾いてたからすごくまとまっていてよかった」と友人にいわれたのであった。

では次の方。「サン・レコ」に小さい記事とありましたが、実は「サード」即ちキングからのデビュー・アルバムがでた時は3ページの特集だったんですよ。でも、こういうメール嬉しいです。いろいろな人間がいるから世の中面 白いのだけど、でもやはり私はなにかに徹底的に打ち込んでいる、熱い思いに貫かれている人が好きだから。私もカセット・デッキ2台でピンポンやりましたよ。山本治彦君の家に初めて遊びにいった時、彼の部屋にティアックのオープン・リールの4トラックMTRと8チャンネル・ミキサーが置いてあったのを見て、とても羨ましかった。彼は17歳の時に全ての楽器、ヴォーカルをひとりで演奏して自主制作レコードを作ってしまった噂の人物だった。ま、それは別 の物語、また別の機会に。だから、卒業してフォステックスの8チャンネルMTR買った時は感激だったな。名盤といわれる「ケンソー・セカンド」はこれで作った。山本君から「清水くん、8チャン貸してっ」って言われた時、長年の雪辱を晴らした気持ちだったね、なんてウソウソ。その後すぐ16trMTRが100万円を切ってでた! 山本君は60回ローンで購入、私もすこし遅れたものの36回ローンで購入、「ケンソー・サード」の半分は8チャンネルで録ったものを16に移してダビングした。あとの半分は最初から16で録っている。8チャンだって夢の機材だったのに16チャンを手に入れることができるとは、本当に嬉しかった。この16チャンMTRは「夢の丘」まで大活躍、今は清水家「楽器の殿堂」入りを果 たし、隠居生活をしております。あなたも研究者として音と関わっていらっしゃるとのこと、どんな研究分野なのですか? ともかく私たちの拙い作品が少しでもお役にたてたのであれば幸いです。

さてビデオの件ですが素材はほぼ決定しました。制作予算を横目で見つつ、「ケンソー」というバンドに対する私の解釈をお伝えできるような作品にするべく鋭意取り組みたいと思っています。この手のバンドにしてはファンも多く、またかかわったメンバーもそれぞれ個性に溢れているためいろいろなケンソーがそれぞれの中にあるでしょうが、やはりここは創始者の私が独断でやるしかないと思います。音はCDで楽しんでいただくということで、映像優先でいきたいと考えています。

最後になりますが、25周年回顧企画として、この時にしか出せないある作品のリリースを予定しています。今日、エンジニアの福島さんにマスタリングを依頼しました。さて、なにがリリースされるのでしょう。きのう小口にその話をしたら「それはファンは聴きたいでしょうね」と言ってくれたので完全にGO!となりました。 では

1999年11月6日 清水義央


●はじめまして、清水先生の地元、相模原人のいちFANです。清水さんの 弟さんとは学生時代に仲良くさせて頂いていました。

KENSOは矢部でツェッペリンのコピーをやっていた頃から見てます。 清水さんがギターを弾きながら床を転げまわったらシールドが断線してしまい、ギターの音が出なくなった事件も知っています(笑)。

という訳で、陰ながらKENSOを応援しています。つきましてはWEBの 更新情報を僕にも送って下さい。よろしくお願いします。

富沢賢一

P.S ビデオ、楽しみにしています。


●はじめまして、中山といいます

KENSOとの出会いは今から15年(高校1年生くらいかな)くらい前にさかのぼります。 当時 リットーミュージック社のsound&recordinngマガジンをよく読んで、 将来は「レコーディングエンジニアになるのだ!」とよくいきまいていたのです。 そこで、サンレコにKENSOの話題がよく出ていました #当然というか特集扱いでなかったのですが・・・ ただその小さな記事の中に絶対にこれを聞くべきだと思わせる何かがありました 当時、私は友人とFOSTEXやTASCAMの4chカセットMTRを横目で見つつ、 カセットレコーダー2台でピンポン録音しながら自分の将来を夢見て レコーディング技術に磨きをかけていました #アナログディレィ1台とギターアンプについているスプリングリバーブで #よくがんばったもんです それからKENSO(3)を購入し、生まれてはじめて聞く音楽に衝撃を受け インコンサートが16trのマルチで収録したと記事が出れば 楽器屋に行ってそのマルチを眺めて 「これでとったのかぁ、いいなぁ」 「おれもがんばろー」てなかんじで 相変わらずカセット2台のピンポン時代が続きました。 大学受験を控えるころになると 自分のセンスのなさに自覚し、結局は研究者として音に関わっていくことを決意した のですが 将来を決定した要因としてKENSOの音楽は少なからず私に影響を与えたのかも知れません。

この前のライブ、妻と一緒に拝見させていただきました。 スピーカの近くの席だったので騒音暴露状態で2日ばかり耳鳴りが続きましたが・・・ #ライブは音が大きいほうがいいのですがスピーカのすぐ前の人は大変だったのかなぁ 妻はベースの三枝さんが気に入った様子で 清水さんのことを宣伝してたのですが 「ギターの人はヘンテコなリズムでよく踊れるね!でも、三ちゃんがいいなぁ」 と清水さんのリズム感をべた褒めしていましたが、ずっと三枝さんに見入っていたよ うです。

25周年ビデが発売されるということで期待しています ぜひ購入しますのでよろしくお願いします。

中山


●ユーライア・ヒープ“核自核”聴きながら書いてます。演奏も曲もB級バンドの極致だと思う。それなのにどうしてこんなにも心を熱くさせるのだろう。中高生のころ、つまり私のハード・ロック少年時代にもヒープはそれほど聴きまくったバンドではなかった。ただ中学3年の関西への修学旅行の際、旅館のラジオから流れてきた曲、“Look At Yourself”に耳を奪われ一緒にいた友人に「これはユーライア・ヒープというバンドだ」と教えてもらった光景は良く覚えている。そしてその直後に買ったファースト・アルバムとの出会いと切ない別 れについても。でもそれは別の物語、また別の機会に。それにしても何がこんなにも私を熱くするのだろう。それはうまく表現できないが、バンドというものに「たましい」が宿った瞬間があり、その時の、多くの場合は短い瞬間にのみ感じられる何か、バンドが生命体であることを証明する何か、おおいなる超越的存在によって導かれた究極の高みへの到達・・・だめだ、よくわからない。
 膨大な量のケンソーのビデオを見返し、商品化のためのセレクトをほぼ終了した。まず感じたのはケンソーにも「たましい」が宿った演奏とそうとは言えないものがあるということだ。ケンソーの場合、お金のために演奏したりファンに迎合したことは無いし常にその時々のベストを尽くしてきたつもりだったが、こうしてじっくり過去の演奏をチェックしてみると、見ていてイライラするほど生ぬ るい演奏、ギャグとしての毒舌ではなく私自身の歪んだ劣等感がタレ流されているにすぎないMCなど、ウンザリするようなもの、「バカやろう!」とブン殴ってやりたいようなもののなんと多いことか! しかしその対極にある「カッコイイ!」「おおスゴイ」「コレぞケンソー!これを見ずしてケンソーは語れない」といったものもたくさんあった。5年くらい前だったか、「アーリー・ライヴ」のCD化のために古い音源をチェックした時同様、今回のセレクト作業も私自身がケンソーというバンドをもういちど振り替えるよい機会となったし、今後の活動のためにも必ず役立つと思う。
 さて皆さんから色々な要望をいただいた。まずは、どうもありがとう。「白衣」については私も考えていた。お楽しみに。「イン・コンサート」については残念ながら収録されないが(その理由はもうおわかりでしょう)あのメンバーでの貴重なテイク“王様の唄”と呼ばれていたある曲のフル・ヴァージョンを入れるつもりだ。後半のジェントル・ジャイアント的な部分はスタジオ録音ではカットされ別 にギャグ曲として屈辱的な扱いを受け、バンド全員では84年にたった2回だけ演奏されただけ。大学生だった小口君、がんばってます。そういえば今回収録することになったテイクの前の84年1月のオグチ・デビュー・ライヴのまさにこの部分で小口君、再起不能の大トチリをやらかし「ダメダ〜」の声とともに私のジュピター8の鍵盤に倒れこんだのでした。Hi, Mr. Oguchi, Do you remember?「LIVE 92」はファンの心理をくすぐる、CD未収録のあの曲を入れます。また酸欠者、貧血者続出の92年伝説の大阪公演も。しかし今回の目玉 はなんといっても83年のライヴでしょう。老いたファンには過ぎし日の郷愁を若いファンにはもう決して味わうことのできないあのころのケンソーの片鱗と「もっと早く生まれたかった」という悔恨の思いを・・・村石ファン、光田ファンもご安心を。ほかでは絶対見られない彼らの秘蔵映像満載です。「エソプトロン・ツアー」もモチロンたくさん入ってます。予定としては堂々160分! マニアックな企画です。とにかく今はなんとか160分におさめるべく「あぁ、しょうがない。これもカットするか」と夜な夜なやっております。発売日、価格等は近日中に発表します。

清水義央 10月23日


●どうも、はじめまして ペンネーム:ヒラちゃん と申します。

久しぶりに掲示板を覗いていたら、な、な、なんと清水さんが結成25周年ビデオ の希望を受け付けてくれるという投稿が載っているのをみて、感激してしまいメールさせ ていただきました。こんな私(単純?)をお許し下さい。日常の忙しい中、毎日眠い目をこすりながらの選定作業、ファン冥利につきるおもいです。ちょっと、かたくるしいかな?(笑)話はかわりますが、1995年8月の在野ライブ以降、毎回ケンソ−のライブを楽しませてもらっています。今年の8月の相模原でのライブも非常に楽しませてもらいました。はるかなる地へに感激 !!独断と偏見ですが、ケンソ−のサウンドを聞くと日本人の血を感じてしまいます。 Esのライブにも仮装出演されてましたね!(笑) メンバー思いの清水さん、人間味があっていいとおもいます。さて、ビデオに関する希望ですが、個人的には「LIVE92」の頃のケンソ−大好きです。でも、清水さんが納得していないのなら仕方がないですよね。「ZAIYA LIVE」のギプスや地中海とアーリア人などもいいと思うんだけどなぁ...旧メンバーの頃の映像もぜひみたいし、などと言っているときりがないのでこの辺でやめておきます。なんかわけのわからんメールになってしまった。 お許しください。

最後に、これからも気楽に楽しみながら音楽を作り続けてください。野崎さん、スタッフ関係者の皆さん、いつもお疲れさまです。お体お大事にしてください。 では。

ヒラちゃん


●東京のタカです.比較的新しいファンです。 音楽聞いてるのは長いんですけど..(ここ2〜3年でケンソーを知りました) というわけで,CDなんかのライナーノーツなどでメンバーの変遷やその当時の曲への思い等はある程度理解しとるつもりですが(まだ甘いと思うが..)やっぱり,歴史の長いバンドなんで清水氏の「ケンソーの歴史」のコーナーなんかがあるとよいなぁと思います ちょうど今回のツアーも白衣を着ていらしたんで是非その白衣と黒板を 用いたNHKの教育テレビ的コーナーがあるとよいとおもいます 事前に謝っときます.くだらん発想でスミマセン それでは,ビデオ楽しみにしとります.皆さん頑張って下さい.

タカ


●このコーナには、初めて登場しますヒロと申します。 ケンソービデオには、「In Concert」の内容を是非入れて欲しいです。このライブには残念ながら私は、聴いておらず。キーボーダーの私としましては、小口 さん参加の初期の映像を是非みたいのです。  少し話しはずれますが、最近のCD再発でKENSOのCDも初期のものも手に入るようになりましたが、(さすがにアナログはセルフポートレートしかもってませんが)、私がKENSOのCDで持っていないのは、「In Concert」だけなんです。三枝さんじゃないですが、DISK UNIONの中古はチェックしてますが、なかなかないです(根性がたりないのかもしれませんが。。。)キングレコードさんにはなんとか再発ブームにのって出 していただきたいです。先日、ガーデンシェッドの林さんが「出るんじゃないか?」 おっしゃっていたので期待しているのですが、、、、

ヒロ


●清水さんに以下のファックスをもらったのが、すでに先週の土曜日。すみません、ここの数日ミュージックプラントもリリースラッシュで、それに加えてアイルランドから知人がきて観光や買い物につきあったり、多忙につき更新もできませんでした〜。見苦しく言い訳をしております。でも今週はあともう一度くらい更新できそうです。すみませーん! ではでは。
ミュージックプラント
The Battle of Evermore TOP


●みなさん、お久しぶり。ここのコラムのことを忘れてました。きょう、友人のWOW WOWの音楽プロデューサーM氏より電話あり。「清水さん、最近更新してないじゃん」「えっ?ああ、ホーム・ページね。いや、今さあ毎日25周年ビデオの素材をチェックしているから時間ないんだよ。すごい映像の量 だからね。」というわけで、もう眼が痛いっす。音楽映像のプロであるM氏によれば90分以上になれば着かれるし、編集素材のフォーマット的にも制作費も高くなるから、とのことだったが、83年の3回のライヴだけでも、これも欠かせないし、これもなあ、矢島さんのこの雰囲気も捨て難いよなあなどとやっていると50分必要なんですよ。92年の「LIVE92」の時のはCDになっているし、演奏もジャズっぽくて私の目指したケンソー・サウンドとは違うけど、でもCDに収録されなかった「アルファマ」なんかはファンは嬉しいだろうな、私がケンソー・ファンだったら絶対に喜ぶぜい!などといわゆる“ひとりごちる”っていうんですか?そうなっているんです。ねっ、私ってファンのこと考えてるでしょ。とにかく、今年のエソプトロン・ツアーまで入れると、ライヴ映像だけで120分は譲れない、そこに「夢の丘」や「エソプトロン」のレコーディング・ショットを加えたらもう・・・。それにしてもビデオ制作ってこんなにお金がかかるとは思いませんでした。ケンソーはもともと自主でLPを作ってたし、というより内情は「夢の丘」と「LIVE92」以外は基本的には自主制作なので、レコーディング費用に関しては結構詳しいんです。しかしビデオに関しては無知だということを通 感いたしました。さて、ファンの皆さんどうでしょうね。本当に買ってくれるんでしょうね? アンケートに「絶対2本買う」って書いたあなた! 私の眼を見なさい。あれは真実だったのでしょうね。「武士に二言はない」って貴方、武士じゃないでしょうが、大丈夫かよ、ホントに、知らないぜ。でもとにかく出します。今だったらビデオに関する希望(珍しく)受け付けます。どうぞ、メールしてください。あの掲示板時代に熱い意見を聞かせてくれたキミ、キミ、キミ! 私は迷っている。今こそ君の意見をききたいぞ、それを取り入れるかどうかはわからないが。

今後しばらく忙しいので、以前書きためてあった原稿をアップすることになりそうです。

清水義央 1999年10月15日


●今日、KENSO 小口から電話があった。1年3組ネタにおいて私が“小口という生徒”に「音楽というものは音そのものであって・・・愛・・臨終感云々」と言わせ、それに対し先生に「小口のいうことは相変わらずわからんなあ」と言わせたことに対し、これはどういう意味なのかという、私が電話にでた直後の印象としてはかなりシリアスな雰囲気を感じさせる電話であった。“愛”とか“臨終感”はいいのだそうだ。しかしキーボード・マガジンのインタビューにおける小口の発言「音楽というのは形がなくて、音そのものを体験するには精神が自由でなくてはならない。」をパロったつもりだった“音そのものに意味が”という部分は小口自身が日頃から音楽をやる上で真剣に考え、追求していることに抵触し、またそれを茶化された感じがして不愉快であるとのことであった。いや私は小口の電話での話をそう解釈したと言い直そう。私としては村石君のシャドウ・ボクシングにしても三ちゃんの「はい、わかりました」にしても「泣き虫光田」にしてもメンバーの個性のいち側面 をユーモラスに表現したつもりだったのだが小口から「僕だけどうして音楽的なことを書かれているのか」と言われれば確固たる理由はないし、とにかく私がどんなつもりで書いたにせよ、それによって小口が不快な思いをしたのであるからこれは私のミステイクであった。心よりお詫び申し上げます。

さてそんなことがあった今日の夕方、約10年ぶりに山本治彦氏に会いに言った。目的のひとつは「結成25周年ビデオ」に使う83年7月の映像を(山本氏がマスターテープを保存しており宅配便で送った場合、もしものことがあるとこまるので)取りにいくためである。そしてもうひとつはOLD KENSO復活のためのミーティングをするためである。OLD KENSOについてはまだ詳しくその内容を明かすことはできないが、思うところあって復活させることにした。ビデオに関しては先日、松元公良氏が送ってくれたケンソー最古の映像83年4月のエレファント、私が持っていた同5月の新宿ロフト、そして上記の同7月という貴重なものが全てそろった。特に4月のはフルート矢島氏在籍時唯一の映像だし、7月のはこのビデオが見つからなかったら「結成25周年ビデオ計画」は頓挫するかもと思っていたほどのもの。「清水さん見たの?」ですって?そりゃ見ましたよ。このころのKENSOにしかないものがありますね。「IN THE WEST」のライナーで古茶先生が「失敗に、みんなで笑ったこともあった。」と書かれていたが、本当にガハハハと笑ってしまうシーンもたくさんあったし。楽しみにしていて下さい。もちろん画質は悪いです。音質も悪いです。しかしそれがどうだというのか!アンケートに「映像の質がよければ買う」と書いたかたには買っていただかなくて結構。利益をだすためにリリースするのでは無いから、本当にケンソーを愛してくださった方に買っていただきたい。

清水義央 1999年10月8日


●こんにちわ、松木です。

 あんな些細な質問に答えていただいてどうもありがとうござい ました。 清水さんの答えが聞けただけでもう満足です(^^) アーティスト本人から答えていただけるなんて滅多にない事 ですからね〜! 

 「医者が末期がん患者になってわかったこと」という本はまだ 読んでいませんがなかなか興味深いタイトルですね。 私は KENSOを治療しようとか微塵も思ってないので(笑)この本が 役立つかは分かりませんが今度読んでみたいと思います。

 ちなみに「”我々は”KENSOを見にいったのであって・・・・」 なんて書いてませんよ。 これはただの私個人の感覚でしか ないことくらい充分認識してます〜(T_T)

 ただ清水さんと議論する覚悟はないのでこれ以上はメール できません(^^; どうも失礼しました。 それではお仕事と KENSO頑張ってくださいね!

松木一忠


●あ〜あ、まいった、まいった。“地雷を踏む”って言うんですか(爆)? とにかく今日の昼休み、ここにのせる文章のことで電話した際、「野崎地雷」を踏んでしまったようで、「佐川くん」も知らなけりや、ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」の有名なくだりを「オフコースの歌詞ですか?」なんて言っている文学部哲学科卒の野崎女史から「男性アーティストが女性マネージャーに対して言ってはいけない言葉、とってはいけない態度」について滔滔と説教されちゃったよ、この私がよ。「この私がよ」っていう表現に出会う度に必ず思い出すのが昔ある男性週刊誌の冒頭のヌード・グラビアの横に書いてあった要するにその女の子の“ヒトリゴト”みたいなやつの文章だ。「ハダカになるなんてドオってこと無いと思ってたけど、撮影はやっぱ緊張した。ディスコ・クイーンのこの私がよ!」この私がよって言われててもねェ、こちとら「ディスコ・クイーンてなんやねん。キラー・クィーンのディスコ・ヴァージョンかい?」っていうそんな生きかたしてまっさかいに、えろうすんまへん。とにかく野崎にやられました。前回、野崎がセクハラとか言うから、スゲエ面 白いネタ考えて電話したのになあ。

 話はかわるけど先日、子供の同級生のお母様Yさんから電話があり妻が留守だったので私がしばらくお相手をしてさしあげた。いや真実は一度お話ししてみたかったのよん。(Yさんは資産家の娘で、かつてはテイーンズ・ファッション雑誌のモデルもしていた。ほらよくテレビとかで究極のオジョウサマ!とかあるじゃないですか。ああいう人ってこどもの運動会とかでもめっちゃ垢抜けてるなんてこと書くと田舎者まるだしですけど)とにかく、話がはずんだと思いねえ。Yさんも私の話に上品に笑ってくださった。ゆっとくけど、私もセーブして話しましたよ。そりゃそうでしょ、初めて話すのにイキナリThe Battle of Evermoreじゃあもう私の子供遊んでもらえなくなっちゃうでしょう。あっでもYさん“ON AIR EAST"聴きにきてくれたんだった。まっ、それはともかく「清水さん、是非こんどお母様がたの集まりでも面 白い話してほしいわ」ってそ・こ・ま・で言ってくれたんだよ、資産家の娘で元モデルが。で、翌日妻が「パパ、きのうYさんとなに話したの?」「いや別 に、あたりさわりのないことだけど。ああ、そういえば電話あった?」「さっきあったわよ」「なんか言ってた? Yさん」「“ご主人あの時飲んでらしたのかしら”って」「いや飲んでないよ」「そうでしょ、だから私も“主人はお酒を飲まないから”っていったら」「そしたら?」「“ええっ!飲まずしてあのトーク!”だって。」 みなさん、私のトークってそんなに濃いですか? 酔っ払ったみたいですか? 

では質問にいきましょう。「ローディが邪魔」とのこと。では、こんどからローディがかがまずにでてきたら即、目を閉じましょう。それですべての問題は解決するはずです。あなたが今すぐに読むべき本をご紹介いたしましょう。「医者が末期がん患者になってわかったこと」岩田隆信・著(角川文庫)¥600  今、書店に行くとその続編(¥571)が文庫コーナーに積み上げられているかもしれませんが、必ず続編でない1巻目のほうから読むこと。それを読んでもなお「我々はKENSOを見にいったのであって、スタッフを見にいったのではありません」といいたいのであれば、その時はどうぞもう一度メールしてください。そのかわり覚悟をきめておいてネ。

清水義央 1999年10月5日


●こんにちわ、松木と言います。 清水さんのコーナー いつも楽しみに読ませていただいてます。 それにしても 病院の会計があと2週間はかかるという話を聞いて こりゃしばらく更新はないなとか思ってたら予想以上に 更新が!(^^) いいっすねぇ、ほとばしってますね!(^^)

 掲示板のあの騒動が結果的に今の清水さんのコーナー につながってるのであれも必然だったかな?という感じが します。

 ところでこのペースでいくと1年後位には結構な文章量に なると思うのでこの際単行本化しましょうよ! 次のアルバム の前にはライブアルバムではなくビデオと単行本!(笑)

 そう言えば清水さんに質問があります。 くだらない事だと 思うかもしれませんが、今回のツアーの事です。 実は アンケートに「ローディー邪魔!」と書きなぐってしまった のは私でして(^^; つい感情的で直接的になってしまった のは反省しているのですが、やっぱりどうしても気になりまして。

 三枝さんのベースが倒れた時なども含め数回スタッフの 方がステージ上に出てきたのですが、私にしてみれば リハーサルならともかく本番中にプロのメンバーの方々と 同じ目線の高さで腰もかがめずに出てくるとは何事か と思ってしまうのです。

 ぶっちゃけた話、私はKENSOの方々を見に行ったので あってスタッフを見に行ったのではありません。 自分の 中でスターである人達のステージにそれ以外の人間が 立つのは抵抗があります。 もちろんPAの方、野崎さん、 ローディーの方、その他多くのスタッフには感謝してい ますがそれとこれとは話が別 です。 それで1年3組的 にではなくロック的に書いたら「ローディー邪魔」と言う事に なってしまったわけです。

 この認識について清水さんの気が向いたら答えて もらえるかな?と思っています。どうも失礼しました。

松木一忠 1999年10月5日


●K先生より清水歯科医院あて以下のファックスが届き、清水さんからこちらへ転送されてきましたので、ここにそのまま掲載させていただきます。
ミュージックプラント 1999年10月5日
--------------------------------------------------------------------- お礼AND抗議 ---------------------------------------------------------------------
FAXありがとうございました。
お礼
ホームページにイニシアルで掲載いただき光栄に存じます。
抗議
小生の恩師は「押金」ではありません。「押鐘」です。恩師は私は「オシガネ」では有りません「オシカネ」です。1回間違えると10点引きます。4回でたいていの者は留年となりますから充分に気をつけるよう警告しておきます。と、最初の講義で言われました。そして本当に落第させてしまった学生がおりました。とにかく、日大の他校にも知れ渡った名物教授でした。従って高弟としては見過ごすわけにはいかず、アピールさせていただきます。それでは明後日を楽しみに。 
●羊の丘さんへ、まずは私のシモネタを甘く見ないように。今読んでいる「性的唯幻論序説」岸田秀・著/文春親書(ところで皆さん、岸田先生の「幻想の未来」くらい読んだことあるでしょうね?)によって私は人間の“性”についてきっと新たなヴィジョンを与えられるであろう。そうしたら、天才的生化学者(医師と歯科医師のダブル・ライセンスを持つ)押金先生の大作「人間の性化学」(正式書名かどうか自信なし、ただしかなり大きく部厚い本だった、そして内容も圧倒的だった)をもう一度閲覧させていただくため私の尊敬する歯科医師て押金教授の高弟であるK先生のご自宅を訪問しようと考えている。あの本はすごかった。K先生は「私は夜寝るまえとか、夜中に起きてしまった時なんかにこの“性科学”の本を読むのです。どこから読んでも面 白いし、本当に素晴しい学者だった押金先生の思い出も甦ってくるんです。」とおっしゃっていた。学問を追究した人の話って面 白い。根っからの熱血漢もいえれば静かに燃えるタイプもいる。「エソプトロン」で礼拝説教の一部をつかわせていただいた阪口牧師先生は「タルムード」や「ラビ文学」の研究者でもあるが、とにかく文学、哲学そしてもちろん神学についての話はすご〜く面 白い。いつか紹介したいと考えている。話がそれてしまったが、シモネタで女性ファンを失いはしないか心配だというあなたの文章を私の妻が読んで「女性ファンなんているの?」そのひとことを残し妻は洗濯に、私は山へ芝刈りに・・・では、まじめな質問「なぜKENSO にヴォーカルがいないのか?(いた時期もあったのに)」についてお答えしましょう。大きくわけて2つの理由があります。

(1)今の日本にこの人のバックでやってみたいと思わせるような魅力的なヴォーカリストがいない。ルックス、声質、表現力、詩人としての資質、カリスマ性などなど、とにかく私が聴いてきた人たち凄すぎたからね。ZEP デビュー直後のR・プラントなんてもう圧巻!
(2)インストルメンタルのほうが声域の制限、日本語のイントネーションを考えずに自由に作曲できる。

ただし、私が言うまでもなくロックの主役はヴォーカルですよ。ビートルズやストーンズのような古典はギター・ソロなんてアッという間に終わってしまう長さしかないし、まあだからこそ凝縮された名ギター・ソロがたくさん生まれたってこともあるわけだけど。ザ・フーにしても確かにライヴではタウンジェンドの独壇場となることもあるけど、やはり歌詞のメッセージ込みでダルトリーがフロント・マンだからね。(歌詞やコンセプトはタウンシェンドが作っていたにしてもだ。)ロックにおいてインスト・パートが明らかに拡大されたのはやはりイギリス中心のプログレッシヴ・ロック、いや違ったクリーム からかな? アメリカではグレートフル・デットやオールマン・ブラザーズなどが長いインスト・パートを持っていた。マウンテンなんかもライヴだと長いインスト・パートがあったけど、彼らのアレンジ面 での魅力はやはりヴォーカルとの対比において語られるべきものだと思う。バンドごとの各論をやりだしたらきりがないのでやめておくが、本当の天才アーティスト、ジミ・ヘンドリックスも非常に優れたインスト・ナンバーを残しているとはいえ、やはり彼の個性的なヴォーカルがあのマジカルなギターと絶妙に絡み合うところが私にとってのヘンドリクス・ミュージックなのだ。 KENSO のようなまったく歌なしのロック・バンドなんて、ほとんどいなかった、(と思う)いたかなあ? 私以上の毒舌キーボディスト石黒彰くん、見てる? ピース、どうだろう? なに、それは清水さんの奢りだって? いや私はそういうつもりで言ったんじゃないよ。タンジェリン・ドリームがいるしサード・イヤー・バンドだっているって、そりゃそうだけどそういうことじゃないでしょ、相変わらずケンカふっかけてくるね、石黒くんも。そういえば20年くらい前、電話でパトリック・モラツの使用機材と音色の是非についてケンカしたよね 、Do you remember?  石黒くんはもう消えていいや、どうもね。・・というわけでびっくりしたかね石黒くん! 閑話休題。 KENSO も初めはヴォーカル入りでした。ヴォーカル入りKENSO としてはアルバム4枚(カセット・テープ)作ったけど、やっぱり最大の難関は歌詞のクオリティでした。   ただそうした消極的理由で「日本の麦歌」「陰影の笛」「海」の方向に進んだのではもちろんありません。歯科大のあまりの過密カリキュラムによって大学3、4年とケンソーの活動は中断せざるをえなかったんだけど、そのあと山本治彦くんと出会って新しいケンソーの構想を練ってた時に私の中にあったものはドビュッシィのピアノ曲であり、宮城道雄先生の曲でありスティーヴ・ライヒなんかも既に聴いてたかもしれないけど、そうした器楽曲だったのです。そうしたものを例えばPFMのインスト・パートやイエス、アレア、ジェネシス、ジェントル・ジャイアントといったバンドのそれ(そのころにはもう私の血となり肉となっていた)を目標として自分なりに仕上げていく、そこに更にキング・クリムゾンの「フラクチャー」「太陽と戦慄」的緊迫感が加わればもう無敵!だと若き日の私は考えていたのです。RTF、W・リポートなどの硬派フュージョンもお手本のひとつだったし、要するにインスト・バンドをやる方向にすべて進んでいたということですね。でもインストでロックをやるのって難しかった。自分ではロックだと思って演奏しててもリスナーからはケンソーはフュージョンだって言われた時期もあったし、まあ自分でもあれはロックじゃなかったなという曲やその時のバンドの姿勢も今は素直に認めますけど。しかし「空に光る」は絶対ロックだと思うけどな。あれは自分にとっても奇蹟の曲なんですよ、作曲の過程もマジカルだったし。「空に光る」はきっと神様が「いままでよく我慢したな。清水義央よ、扉は開かれた。いったれ〜!!」と背中を押してくださったのだと今も固く信じています。この感謝と祈りを神様にお捧げいたします。

清水義央 1999年10月4日


●はじめまして、いつもこのページを楽しませてもらっている者です。ミュージックプラントの方々や清水さんには忙しい中いつも我々を楽しませていただいて感謝しております。

実はわたくし、伝言板時代にもいつも読ませて頂いており、 清水さんや私の友人達のやりとりに時には怒り、時には笑ってとても楽しませて頂いていたものですから伝言板が無くなった時には非常にがっかりしました。 しかしながら、THE BATTLE OF EVERMORE におけるこの面白さ。ああ、なんと素晴らしいことでしょう。いつもライブで演奏以上に期待していた清水さんのMCより更に面 白い物が見れるなんて!本当にありがとうございます。

あまりに素晴らしいので思わず投稿してしまいました。乱筆乱文、ご容赦ください。 では、ミュージックプラントの方々や清水さん、お体にお気を付けて。

金沢 徹 TRIO DE KENSO


●清水先生、最高です!! 僕のあげたメッセージでここまで壊れて下さったかと思うと、本当に感激です。(決して茶化しているわけではありません)

もうこれで清水歯科医院に治療に行こうなんて、怖くてできませんね。(笑)何はともあれ、熱いお言葉に感謝いたします。小口さんのサインの話と電リクネタ、爆笑です。ギターが弾けて、クリントンと阿部定を結び付けたシモネタまでできる歯科医なんて、世界中に清水先生しかいないですね、きっと。在野にいらっしゃる女性がキムタクに思い焦がれる様に、清水先生をお慕いしている女性ファンを失いやしないかと、心配です。

ところで、清水先生がこれ以上暴走するのを見るのも辛くなってきたのでちょっとまじめな質問です。高校生時代に結成した「KENSO(県相、喧騒)」は、当初ツェッペリン等のHRのコピーから始まったと聞いているのですが、1stでもわかるようにボーカリストが存在した時期がありましたよね。現在のKENSOを踏まえた上で、清水先生が考えるロックのボーカルについての考えをお聞きしたいのです。

単刀直入に言うと、なぜKENSOにボーカルがいない(必要ない)のか?です。もちろんたまたま歴史がそうなってしまったとか、日本にはピーター・ゲイブリエルがいなかったとか、ギター弾きながらは歌えないからとか、専属ボーカル入れたら自分より人気出てしまって面 白くないからクビにしたとか、もしかしたら古い話ですが”日本語とロック”の問題なんてのもあったのかなぁなんて考えてしまいます。

もう一つ、「エソプトロン」って何ですか? 誰も聞いてないところをみると、知らないのは僕だけなんでしょうか?

それから前回の補足。清水先生に指摘されて恥ずかしくなったのですが、文字によるコミュニケーションの難しさを実感しました。いまでも「夢の丘」を聴いているのだろうか? というのはご指摘の通 り「いちご白書をもう一度」はもちろん、ピンクフロイドの「IF」を少し気取った感じなんですが、もちろんそんなわきゃねえだろ、という意図が伝わってないとすると本当に恥ずかしいですね。

清水先生は、質問に答えてくれるのだろうか?

羊の丘(たしかミュージックライフだったかの誤植)


●今回清水さんからいただいたこの文章をマックで打ちなおしていている時に「清水さん“佐川君”って何ですか?」と質問して「おまえはそれも知らないのか!」と、またもや怒られてしまいました。しぇ〜。でも1年3組の野崎に対して「女としてどう思うか」とか、「恋でもしたな」のあたりはセクハラだと思いまーす。野崎はこの厳しい男社会“ケンソー”の中で男らしくがんばっているんですから。何はともあれ皆さんのこのコーナーへの投稿をお待ちしています。それと皆さん今週末は小口さん率いるESのライブです。お忘れなく。ではでは。

ミュージックプラント 1999年10月4日


●先日とある投稿者(以下Aさんとする)から、このコーナーあてに自分の音楽リスナー歴を書き連ねたメールをもらった。彼のメールを取り上げて更に掘り下げた見解を述べようと思ったが、野崎の反対により彼のメールをここに掲載することは却下されてしまった。とはいえ、こういった最近のリスナーに関する私の考えを伝えるよい機会であるので、Aさんの質問とリスナー歴をほのめかしながら書いていきたいと思う。もちろん、いただいたメールだけでそのリスナーのことがすべて分かるはずはない。あくまでこれは推測の上での感想だ。

まずAさんの音楽歴と私のそれとを比較して最も違うのは「飢餓感の有無」ではないだろうか。音楽を聴いたり演奏したりすることにおいて、Aさんおよび最近のリスナーをとりまく環境は一般 的意味において恵まれており、それゆえ飢餓感がつのって爆発寸前までいくことはなかったのではないか。飢餓感がないから渇望がない、と私は考える。そして飢餓感も渇望も無いところにロックは無いのだと。

因みに私は中学2年の時にビートルズにショックを受けてギターを始めたのですが、音楽が嫌いで男が音楽なんてみっともないことだと考えていた父は私がエレキ・ギターを買うことを許しませんでした。(エレキ・ギター=不良という図式ではなく、とにかく父は私に音楽をやらせたくなかったのです)ミュージック・ライフを読んでいると「“音楽人生”とはなにごとだ!」と怒られました。私がグレコのレスポール・モデルを買ってもらったのはビートルズ・ショックの約2年後の高1の時、それまではフォーク・ギターのサウンド・ホールにテープ・レコーダーのマイクを突っ込んで鳴らしてました。中3の文化祭では近所のお兄さんのテスコ製エレキを貸してもらいました。毎日毎日グレコ・ギターのカタログを食い入るようにながめ、楽器屋のショウ・ウインドウの中のSG(クラプトン)ストラトキャスター(R・ブラックモア)レスポール(J・ペイジ)を凝視してはため息をついていました。ある日ついにレスポールへの思いがおさえきれないものになり、私はベニア板と風呂の火をおこす薪とでレスポール型の物体をつくり、そこに針金を張り、レコードを聴きながらそのレスポール型物体とともに部屋の中で暴れてました。前ベーシスト松元あたりはあの物体を目撃しているはずです。しかしそれだけ欲しくて欲しくてたまらなくて、やっと買ってもらったグレコのレスポールをなんと私は、自分で改造しようとして壊してしまったのでした。事の起こりはこうです。ミュージック・ライフのグラビアで見るジミー・ペイジのギブソン・レスポールはピック・アップ・カバーが外してあり、その白と黒のコントラストがいかにもロックっぽく魅力的でした。私の大切なグレコ・レスポール・モデルのピック・アップには銀色のカバーがついており、上品だけどなとなく弱々しい感じがしたし、とにかくジミーと同じにしたかったのです。成毛さんか誰かが「カバーをはずしたほうがいい音がする」とおっしゃっていたようにも思います。やるしかない、やりました。はずしました。しかしそこに見えたものはあの悪魔的魅力を放っていた白と黒でなく、なんとなくマヌケな茶色とうす汚れた肌色、すなわち露出したコイルそのものでした。ショックでした。「これなら外さないほうがマシだ」落胆、失望、焦燥のなかで復帰作業にはいりましたが、ああ、いずれかの工程にあやまりがあり・・・汗と涙がイエロー・サンバーストのボディにたれました。

ギターと楽譜を買ってくるのにも最近の音楽ファンは時間がかからないようですね。もっとも私の時代にはロックの譜面 なんてほとんどなかったけど。ハード・ロック好きの女にふられたくらいでハード・ロックをやめるとか、自分の音楽人生に影響を与えたミュージシャンとの出会いをよく覚えていないとか・・音楽ってAさんにとってその程度のものなんだな、と思います。私は今でもテレビからCan't Buy Me Love が流れてきた時のこと、「エコーズ」を友達の家で初めてきいた時のこと、「危機」を借りてきてターン・テーブルにのせ針を落とした時のことなどはっきりと覚えています。また今の時代には経験しにくいことかもしれませんが、1枚のレコードをバンド名とアルバム名をたよりに一日中足を棒にして探し回り「くそっ!ここにもないか!」と思った直後「うわっ、なにこのジャケット、アーレーア?AREA ?なんだっけ、どっかで聞いた名前だな。」あの孤高のバンド、AREAとの正に神様に導かれた出会いも昨日のことの様に鮮明に覚えています。プログレ至上主義といえば一時期の私もそうだったかもしれません。一般 的にプログレッシヴ・ロックとしてカテゴライズされるが実はそれ自体が ー 例えばビートルズ・ミュージックの様に ー ひとつのジャンルといえるほどの強烈な個性と精神的多層構造を持ち、メンバー間の軋轢さえエネルギーに変換し、またそのバンドの構成メンバーのかかえる心の問題(脳の器質的な病理に起因するものも含めて)の露呈が激しい嵐のように聴き手に襲いかかる、安藤先生の表現を借りれば“自らの立地点をこれでもかとえぐりとるような音楽”があの時の私には必要だったのです。どうして必要だったかについては長くなるので省きますが、ハミルやパーマー・ジェイムスの詩を理解したくて、わずかな情報をたよりに本屋、古本屋、図書館を巡りました。もちろん純粋に音楽的な魅力についても探りました。ジェントル・ジャイアントのコピーなんて本当に大変だったけど、作曲、アレンジについて多くのことを自己流ながら学ばせてもらいました。ただ私には最近のプログレッシヴ・ロックのリスナーにありがちな選民意識なんてなかったと思います。だって私が中学生だった頃、いわゆるプログレはオリコンのヒット・チャートをにぎわしていた流行音楽であり、マーキー誌の「プログレ国内事情」(これは必読)によれば、今でいうところのディスコの黒服が指をパチンとならしながら「キミ、原子心母、聴いたあ?」といってたし。

さて久しぶりに1年3組の生徒さんたちに登場してもらおう。 「みんな、おはよう!」「おはようございます。」「きょうは、佐川君からのイヤ違った、このAさんからの手紙を読みディスカッションすることで、人間にとっての幸福について考えていこうと思う。おい! うるさいぞ村石! 机を鉛筆でたたくのやめろっていつも言っているだろ。さあ、じゃあ野崎、どうだ。お前はこの文章を読んで女としてどう感じた?」「まあこの人はこの人で平和なリスナー生活をしてきたんだから、そりゃあ、なんか常に受け身な感じはするけど、まあ人それぞれでいいと思う。」「野崎、今日はやけに穏やかじゃないか、あっ! さては新しい恋でもして、守りに入ったか。フフフフッ、図星だろう。おい! だれだ!? 床を踏み鳴らしているやつは。なあんだ、また村石か。なぜもっと静かにできないんだ? 毎日毎日両手両足をそうやって、そうそう、そうやって動かして、なんだ? ドラマーにでもなるつもりか? みんなの討論の邪魔になるから廊下へでてろ。わかったな! じゃ次は小口、お前はどう思う?」「やはり音楽というものは音そのものであり、そこに愛があるわけで、要は要は・・・音というものがすべてであるので音そのものの意味とか臨終感というものを愛というもので高めていくというかあ」「小口の話は相変わらず良くわからんなあ、それにお前が言いたいのは臨終感ではなくて臨場感のことではないのか? ところで清水、お前なぜディスカッションの時間に読書しているんだ。本はしまえ。お前はどう考える?」「ケンソーはロック・バンドだ。1年3組じゃあねえんだよ!」「なにすっとぼけたこと言ってるんだ、ここは1年3組な ん だ よ! ところで廊下の村石やけに静かだなあ、三枝ちょっと見てこい。」「はい、わかりました」「そうかあ、野崎、新しい恋かあ、おっどうした三枝、なにイ! 村石がシャドウ・ボクシングやってる? まぁいい、あいつはそういうことが好きなんだ。ほっとけ。ところで、泣き虫光田はどうした、欠席か?」「健ちゃん、舌を出すとしびれるということで病院よってからくるそうです」「えっ? 今なんて言った? シター・ダスト・ビレー」少し無理がありましたし、これオリジナルのネタではありませんでした・・・1年3組からは何も収穫がありませんでしたね。では。

清水義央 1999年10月4日


●えっ??? 清水さんのところにまだご案内が行ってませんか? 招待状の発送は先週とっくにすませたはず・・・あれれ?? あっ、やばい!! 招待リストから清水さんの名前がぬ けてる?!す、すみません。小口さんに「清水さんにはしっかりご案内を送るように」と念を押されていたにもかかわらず・・小口さんは悪くありまっせーん。私のミスです。しぇ〜どうしよぉ〜。怒ってらっしゃいますよね、清水さん・・すみませ〜ん。怖いので、私は当分消えます。Esのライヴ用のアンケート用紙でも作ろ。このページはしばし皆さんにあずけます!投稿はこちらへ

ミュージックプラント 1999年10月1日


●5回目の今日はケンソー小口への抗議声明的色彩に満ち満ちたものだ。 小口君!君とは色々なことがあったよね。お互いを励まし、悩みをうちあけ、あるときは笑い、またある時は涙を流して共に生きてきた。少なくとも私は君のことをかけがえのない友人だと思っている。あぁそうです、そうです、友人なのです。今でこそ君はたくさんのシンセサイザーを持っていて、これ見よがしにステージに並べて、しかも弾きやすさよりも見た目を優先させたとしか思えないセッティングで弾いているが昔はどうだった? 私のジュピター8をM1をまるで自分のものの様に使い、果 てはSー900を佐橋君と「俺に使わせろ!」「いや、佐橋さん、やっぱりSー900は僕が弾くべきだと思うんですよ。」などととりあった。まあ昔のことはいい。私は今、1999年のことを言っておるのだ。Esのリハーサルはどうだね、進んでいるかね、How do you sleep? これだけ心配している私に「清水さん、エッグ・マンぜひ来てくださいね。」のひと言もないというのはどういうことかね。私は君をそんな恩知らずに育てたつもりはないぞ。ケンソーの活動を通 じて、どこにだしてもおかしくない人間にして差し上げた自負がある。確かに去年のEsのデビュー・ライブではギター・ソロが長すぎたかもしれない。「清水さんもあそこまではやりすぎだよな。」という君の独り言がきこえてくる。しかしあの時君は「清水さんの好きにやってください。」といったではないか。しかもよりによってZEPナンバーをやらせて私をあおったではないか。まあ去年のことはいい。私は今のことをいっておるのだ。とにかく、君がそういうつもりなら、私にも考えがある。郷ひろみ氏のようなみっともないことにならないように、ウヒヒヒヒ 今から念入りに計画を練るつもりじゃ。じゃあな、ソダラバ、アジャ。

清水義央 1999年9月30日


●今回おもしろすぎますね〜。ラジオ恋愛相談に出てくるツェッペリン少年って清水さんのことなんでしょうか。どっちにしてもかなりノン・フィクション入っていると思うんですが・・。このページに恋愛相談を持ち込む勇気ある皆さんの投稿もお待ちしております。

ミュージックプラント 1999年9月29日


●皆さん、たくさんの投稿ありがとう。みんな恐がって投稿してこないのではないかというマネージャー野崎の心配も杞憂に終わったようだ。しかし一部のファンや私の友人からは「過激さがたりない」とか「なまぬ るい!もっと毒を」などという意見もいただいている。そういう人には野崎検閲が入る前の原文をプレゼントしよう。「エソプトロン」のCDジャケット10枚をひと口としてミュージックプラント宛おくってほしい。どの回の原文を希望するかも明記しておいてくれ。

“羊の丘”さん、君にも言ってあげますとも。「羊の丘さんのケンソーに対する熱い気持ちが、以下同文。」まず「ZAIYA LIVE 」3枚の話題から始めよう。1枚目は仲の良かった女性にプレゼント、でも好感度アップにはならなかった模様とのこと。私も20年くらい前、片思いしてた女性にPFMの「幻の映像」あげたけど、結局ふられてしまった。まあでも「幻の映像」の前にプレゼントしたのが軽音楽部の夏期合宿のおみやげ「桔梗しんげん餅」だったからセンス疑われたのかも。2枚目は小口がサインしたものをホールズワースに!これはもう素晴らしいことです。小さな親切賞あげます。小口の誇らしげな顔が目に浮かぶようです。ケンソーが遂にキングレコードからデビューするっていう時、小口ったら一所懸命サイン考えてたもんな。悩んだ末にやっと納得のいくサインが決まり「清水さん!これで行こうと思います」ってもってきたサインみてお世辞にもカッコイイとは言えなかったけど、彼の精根つき果 てた顔をみて「おお!いいんじゃない?じゃあこの色紙30枚あるから佐橋君の右側に書いてよ」嬉々としてサインし続けるまだ大学生だった小口。のってきた、のってきた。が、突然の叫び「あぁっ!」勢いあまった健一の一の字が色紙の右ふちを越えて淡い色のズボンの上に・・・。 皆さん、もし中古CDショップで帯に小口のサインが入った「ZAIYA LIVE」を見つけたらそれはホールズワースが売ったものかもしれない。しかし羊の丘さん、たったひとつミスをおかしたね。わかるかね? それは村石くんに、よりによって「ZAIYA LIVE」にサインしてもらったことだ。村石くんはあのアルバム・リリースには大反対していてドラム・マガジンのインタビュアーに「本当は取材拒否しようと思った」と語り「オレとしてはあまり買ってほしくない」とまで言ったんだぞ。

では、恋愛系の話へ。 「夢の丘」1枚目を当時遠距離でつきあっていた女性にプレゼント。今でも「夢の丘」を聴くたびに彼女のことを思い出します・・とのこと。「夢の丘」は今でも聴いているだろうか?(聴いてない、聴いてない。今頃は彼氏の車の中でモーニング娘きいているか、もう結婚して妊娠して胎教のためにモーツアルト聴いているよ、きっと)ひどい!ひどいわ! そういえば昔「いちご白書をもう一度」とかいう歌あったよね。歌詞よく覚えてないけど。あぁ、急に深夜放送ネタをやりたくなってきた。

時は1971年、某ラジオ局の人気番組『レモンちゃんの電リク恋愛相談』 パーソナリティはナウなヤングにモテモテのレモンちゃんこと落合亭子さん。 「はい、今の曲は吉田拓二郎さんが別 れちゃった彼女とよく歌ったというフォーカスの大ヒット曲“悪魔の呪文”でした。」リリ〜ン「はーい、次の相談者、まずお名前をどうぞ」「相模原に住んでいるサクラといいます。中学2年生です。」「まあ、かわいいお名前ね、それでサクラちゃん、どうしたの?」「今つきあっている人がいるんですけど、もうつきあって半年もたつのにキスひとつしてくれないんです。私のこと愛してくれてないんじゃないかと思うと不安でエ、」「中学2年生かあ、体は大人だけど心はまだまだ子供、そんなに焦らなくてもいいんじゃないかしら?」「そうなんですか?」「うん、きっとあなたのこと大切にしてくれているんだとレモンはそんなふうに思うけど」「じゃあ、まだ肉と肉の関係を考えては」「ちょ、ちょっと、凄い言葉知ってるわねぇ。でもそういうことよ。彼はスポーツマン?」「いえ、運動はダメ。でもエレキ・ギターがすごく上手い。レモンちゃんはレッド・ツェッペリンってしってる?」「ええもちろん、ちょっと前までブラック・ドッグって曲がヒットしてたよね。へぇー、彼ツェッペリンひけるんだ。かっこいいじゃない。」「この前彼の部屋に遊びにいって、彼にギター貸してって言ってそれまで秘密に練習してた“天国への階段”の始めの部分を弾いたの」「きゃあ、彼びっくりしたでしょう?」「ぜんぜん。私の背中側でじいっと聴いているわけ。でも突然彼が動く気配がして、ああ遂に抱きしめられるんだって」「私までドキドキしてきたわ、それで、抱きしめられたんでしょ?」「彼はこういったの“そこのコード違う。ちょっとギター貸してみ!”」「もしかして、そこから特訓? 天国への階段の。」「そう、ギター・ソロに入る直前のところなんてリズムがすごく難しくて、でも彼は“ここがいいんじゃん。オマエ、ジミー・ペイジの意図が全然わかってないな”って」「ああもう頭痛くなってきた。じゃあサクラちゃんのリクエスト何にする?」「ツェッペリンの“幻惑されて”のSong remains the sameヴァージョンをお願いします。」「あら、あれは27分くらいの長いヴァージョンじゃない。番組おわっちゃうわ。それに今は1971年、まだスタジオ・ヴァージョンしかでていないはずよ」 おあとがよろしいようで。

羊の丘さん、“遠距離恋愛”してたんですか。知ってますよ、遠距離恋愛。10年くらい前、岡山大学医学部の研修生だったころ夜の新幹線のホームで何度も目撃しました。こっちは自由席車両で早いとこ席みつけて明日の実験の予習したいのに入り口のところでベタベタ、ネトネト。「ねぇ、こんどいつ会えるの?」「さ来週にはきみのもとへ絶対もどってくるよ」「ぜったい!ぜったいよ!約束のしるしに私の小指をかんで!」「噛むだけでなくなめてあげるよ」「あっ、いや〜ん」「昨夜のきみ、娼婦のようだったよ」「あなたこそクリントンみたいでステキだった」「きみこそ阿倍定のようだった」「あなたこそカリギュラのようだった」・・・・あのう、ちょっと通 してもらえます? もう発射のベルが鳴ってるんで。

以上

清水義央 1999年9月28日



平野真聡 1999年9月24日


●掲示板じゃなくなったので、なかなかくだらない事が書けなくなったかなぁと感じ る今日この頃。掲示板が出来てすぐの頃に一度だけアップしたことがありました。

ところで「イン・コンサート」は今後発売される事はないという発言で、いよいよ ロバート・フリップの「USA」「アースバウンド」状態になってきましたね。 (全然違うというお叱りがあるでしょう)クリムゾンとの流通 量の差を考えるとプ レミア化は必至ですね。買っててよかった。(ますますのお叱りがあるでしょう)

「ロック切磋琢磨」の話題がでておりますが、全然関係無い話。僕は「夢の丘」を 2枚購入しました。二枚目は「ZAIYA LIVE」の際のおまけライブテープ 欲しさに購入。最初の一枚目を当時遠距離で付き合っていた女性にプレゼント。今 でも「夢の丘」聴くたびに彼女のことを思い出します。「夢の丘」は今でも聴いて いるだろうか? 

CD「ZAIYA LIVE」は3枚も買ってしまいました。

一枚目:確か発売日にCDショップで購入。念願だったKENSO初ライブの思い 出という事もあってこの上ない感動と感激を受け、悪い癖で当時仲のよかった女性 に思わずプレゼント。残念ながら好感度アップにはならなかった模様。

二枚目:確かその女性とのデートの日。村石氏が参加したON AIR EAST?WEST?での ローランドのフェアに向かう途中渋谷のCDショップにて購入。会場にて村石氏の ドラミングに酔いしれている最中、後ろを振り替えると小口氏が。思わず買ったか ったばかりのCDの帯にサインをしていただく。その後、一般 人にすっかり溶け込 んでカリスマ性もなにも微塵に感じられないアラン・ホールズワースを発見。

またしても思わず興奮してしまい、おそらく一生涯で最初で最後という位 積極的に 話し掛けました。かなりのブロークンイングリッシュとボディランゲージです。た しかこんな内容でした。「さっきお前の前にプレイしていた日本のナンバーワン格 闘技ドラマー村石が参加したグレイトなアルバムなんだ。聞かないと損だぜ。よか ったらお前にやるよ、聴いてみな。じゃあな」(一部かなり誇張)といって小口氏 のサイン入りCD「ZAIYA LIVE」はアランの手に渡りました。(小口氏 からもお叱りがでますね)

彼は随分感激していたようで、お礼に愛用のギターを差し上げようと言っていたよ うでしたがそれは丁重にお断りし、その代わりに今後も素晴らしい作品を提供するようお願いしました。しかしこの部分は聞き違えをしたような気がしないでもありません。

三枚目:フェア会場を一時抜け出し、先ほどのCDショップに行き購入。会場に戻 り今度は村石氏のサインをいただく。これはもちろん今でもCDラックに置いてあ ります。

そうだ思い出した。「ZAIYA LIVE」の時は「セルフポートレイト」も購 入しました。これも買ってて良かった、ですね。その時はライナーに清水氏のサイ ンをいただきました。なんかかなりミーハーですね。こんな僕に清水氏は “あの青年のケンソーに対する熱い気持ちが痛いほどわかるのです。” と言ってくれるのだろうか?

羊の丘 99/9/24


●通院患者からの証言です(笑) 私が通っていた頃のBGMは、ヴァイオリン協奏曲のよ うな クラシックが多かったです。懐かし洋楽ポップスが流れていた時もありました。 治療前の不安と緊張の時間には、あまりプログレは聴きたくないですね(^^;) 院長室ではジミヘンがガンガン流れていましたが(笑)

次回は是非、清水先生がこの夏行かれたバリ島の話を掲載して頂けたら嬉しいです。 「音楽と自然」興味深いテーマです。

えむ
http://member.nifty.ne.jp/Labyrinth/ 


●今回は、私が地雷を踏んでしまったようです(爆)。すみません、清水さん、余計なこと書きました。先日、某世界的な名作の有名な下りを「オフコースの歌詞ですか?」と言って「バカモノ〜!!」と怒られたばっかりだったのに・・すみません。私もまだまだ修行が足りないです。勉強しなくちゃ。では。 皆さんの投稿もお待ちしております。

ミュージックプラント 野崎 99年9月23日


●不勉強なKENSOファンの方へ。投稿ありがとう。あなたの質問が野崎からFAX されてきて一読「いい質問だ。」と私はつぶやいた。しかし! その後に書いてあった“清水さん、こんな投稿あり。女の子ですからや・さ・し・く対応してあげてください。野崎” これが余計だ、これが余計だって言ってるんだよ、ノ・ザ・キ! こういう質問こそファンらしいのだと「小口皮パン」のところで言ったはずだ。毎日の日常生活の中でふと感じた疑問、どうしても聞いてみたい、でもこんなこと聞いたら熱狂的ケンソー・ファンに何か言われそうで、でもやっぱり聞いてみたい・・・私はそんな貴女の味方です。だって、こんな質問に対してまで食ってかかってたら、単なる「怒りの変人」でしょう、私。

清水歯科医院のBGMも今は有線放送440チャンネルです。以前はCDも併用してましたが私、音楽についてはちいっとウルサいのでCD代がかかってしまい顧問会計士から「清水先生、BGMのCD代かかりすぎ!」といわれていたのでCDプレイヤーが壊れたのを機会に有線だけにしました。「夢の丘」のライナーで久野さんが「清水歯科医院では待合室でもプログレを流して患者さんを恐怖のどん底に陥れている」などと書いたため、それを信じている人もいるみたいだが、そして実際そういう時期もあったことは認めるが、女性スタッフからの助言もあり今は無難なものにしている。ちなみに先週はビリー・ジョエル特集をやってたのでそれが多かったかな? おい!そこの兄さん、ちがうちがう、そこのカウボーイ・ハット被っている赤シャツの横の皇太子ヘアーの、そうそうお前、お前、ひとが真面 目に答えているのに笑うんじゃねえよ。いいか!? それでね、ああ、この曲もビリー・ジョエルだったんだなんて思いましたよ。なかなかのソング・ライターだよね、好きじゃないけど。あとはクラシックの室内楽とか古い映画音楽のサントラのチャンネルも多いかな。オーケストラものは音量 の差が大きくてピアニッシモのところは聞こえないのに突然ジャン!とか入ってくることがあるのでBGMとしては???かなぁ。でも好みの作曲家のオケ曲はかけてるなぁ・・・。大貫妙子さんのチャンネルがあればいいのに、などと考えることもある。好みといえばその有線にはビートルズのチャンネルがあって、And I love her 、In my life なんてかかっているうちはいいんだけど、Helter Skelter とか突然かかると焦るわけですよ、曲を知り尽くしているからね。あのギター・リフが入ってくる前に消せー!なんてことになる。Cold Turkey の後半なんて、もっとも歯科医院向きじゃないよ。あなたの通っているクリニックは邦楽ポップスですか。しかも、助手がノリノリで歌っている・・私なら「やめろ」といいますね。そういえば妻からこんな話を聞いたことがある。妻がまだ現役歯科医だったころ、元ヤンキーの助手が自分の好きなCDを持ってきて診療中に大音量 でかけるんだって。その歌詞ってのが「女をホテルにつれこんでー」みたいなノリで、診療に支障をきたしたんだって。でもそこの院長、そのヤンキーの子とその彼氏(パンチパーマ)がこわいから何も言えないんだって。話が横にそれたけど、私のクリニックのBGM事情はそんな感じです。民族音楽は従業員からの反対があってやめました。アイリッシュなんていいと思うんだけど・・・。匿名希望さん、こんなもんでいいですか?

ところで・・あるケンソー・ファンが自分のホームページで神奈川教会での私の奏楽をレポートしていたが、1ケ所だけ不足があった。1曲目は私のオリジナル曲である。私の次の奏楽当番は、えーと、あっ! 26日だ。やばい、こんなことをしてないで練習しないと。神奈川教会は東横線、反町駅近くにあり日曜礼拝は朝10時15分から、クリスチャンでなくてもはいれますが、コンサートではないのでヤジを飛ばしたりしないでください。基本的に1曲目は私のオリジナルです。

清水義央 1999年9月23日


●清水さんへ

こんにちは。 顔を洗って出直してきなさ〜い,といわれるであろう不勉強なKENSOファンです。

先日歯科医院に行ったときに,大口を開けて治療されているときにふと思ったの ですが,清水歯科医院の待合室や診察室ではどんなBGMを流しているのですか?

私が通う医院は邦楽ポップス系?の有線です。 時々,助手の方々がカラオケの練習よろしくノリノリで歌っていらっしゃるとき もあるのですがー。(^^;

よろしくお願いします。

匿名希望 1999年9月22日


●野崎で〜す。清水さんが帰還しました。ご覧のように私もすっかりネタにされてしまいました・・・グスン。すでに3日くらい前に清水さんは帰還していたんですが、野崎の業務がここのところたてこんでおりまして、すぐにここに掲載できなくってすみません。

実はふたたび時間差で藤原さんからの第2報メールをいただいています。清水さんには先ほどファックスしました。藤原さんの第2報メールによると藤原さんと私はほぼ同じ年齢・・なんてすみません、3つも私の方が上ですけど・・私も「インビジブル・タッチ」大好きです〜。やっぱり清水さんとは「Led Zeppelinを新譜として買って聴いて」いない世代として決定的に違うものがあるのかもしれませんね。

全然話はかわりますが、昨年アイリッシュトラッドの代表的なグループ、アルタンが来日した時に一緒にレコード屋にいったんですが、その時私はやーっとツェッペリンの3rdを買ったんですね。(いったい何年遅れで買ったんだ?!)そのときそれをみていたアルタンのダヒー・スプロールが「あ、このアルバムはね、この曲のこの部分がすごいいいんだよー」といったその“部分”が清水さんが「ここを聴け」といった部分とまったく一緒だったんでびっくりしてしまいました。国は違うしやっている音楽は違っても音楽って不思議な結び付きを作りますよね。特に清水さんたちの世代って特にそうかもしれません。まぁ、生まれた時期が違うのはもうどうしようもない事なんですが、評価されるべきはどんな時代に生まれても“音楽リスナー”としての態度だと思うんです。そういう意味で、私がキングレコードに勤務しなかったら果 たしてケンソーの音楽にリスナーとしてたどりつけているか・・とても疑問です。だからケンソーのファンの方はそれだけで私は尊敬してしまいます。

さて、ここを読んでらっしゃるだけの皆さんもぜひこのページに投稿してみませんか? タイトルにThe Battle of Evermore投稿と書いてミュージックプラントまでメールしてください。お待ちしております。

THE MUSIC PLANT 1999年9月22日


●帳簿からの帰還。お陰さまで清水歯科医院の帳簿記載は8月分まで終わりまして、残りは年末からかかれば例年通 り来年2月くらいには帳簿が全部終わって、あとは控除関係の書類をそろえて・・・ああひとりごちてしまった。この『ひとりごちる』というのは初めて使ってみたのですが、なんか消化不良ですね。何で読んだのだろう。とにかくわりと最近、といっても1年くらいたっているかもしれないけど、なんかの文章で読んだんだよね。なんかあまり好きな言葉じゃないなあ。『ひ・と・り・ご・ち・る』かあ〜なんか、あんまり、なんか、軟化。きみの唇に僕の鼻を重ねてもう一度囁いてみる、『ひとりごちる』。まぁいいか、もうこの『ひとりごちる』に関してはもうこれでおわりっ! 終わりだという誓いを証明するために私は右のまぶたを2回、左のまぶたを3回開閉することにする。さあ、やってみるよ。キミがやってどうするの。私ですよ、やるのは。そこんとこ、ヨロシク。そこんとこ、ヨロシクってのは矢沢永吉さんでしたっけ? あぁ止まらない。雑念がつぎつぎに襲ってくる。この雑念を止めるために右足でGIPS、左足でミスカトニックのリズムを刻むという大技にトライ!! あらイヤだ、この2曲とも自分の作った曲じゃ無いわ。小口に「清水さん、こういうギャグに僕の曲を使わないでもらえます?」って言われそうだなあ。いやだなぁ、ケンソーのメンバーってみんな自己主張強くて、でこんなこと書くと野崎がまた「清水さん、この表現は“ケンソー不仲説”につながるからカットしまーす。」なんて言うんだよな。ああダメだ、全然本題へはいれない。左手でV字を作り、そこに右手・・・もうええっちゅうねん。  

藤原さん、投稿ありがとう。キミの文章は決して稚拙ではありませんよ。でもお互い文章が旨くなるといいですね。少し前、ベスト・セラーだった「日本語練習帳」読んで、自分がいかにボキャブラリー不足であるか痛感しました。 質問に答える前に私が長年“日本のプログレッシヴ・ロックの雄”として活動してきた過程で出会った人々を大雑把に分類してみたい。

Type1:プログレッシヴ・ロックを変拍子、不協和音、複雑に入り組んだ曲構成といった言わば譜面 上の出来事としてとらえている人。形而上学的な思考を苦手とし、鳴っている音の背後にある本質を探ろうとしない、いやできない。人生の諸問題についても実に単純な考え方で対処することが多い。当然のことながら実際に楽器を演奏する人が多く、演奏テクニックと内省的思考力の差が大きい場合、彼の音楽は単なるテクニックのひけらかしとなる傾向にある。歌詞の内容も重視しないか、無視することすらある。

Type2:プログレッシヴ・ロックがロック・ミュージック即ち“音楽”であることを忘れてしまったかの様に精神論、抽象的議論に溺れ自己陶酔する“にわか哲学者”。楽器を演奏したり作曲したりする実践派は少ないが、かつて楽器にトライしてみたが上達しなかったとか、自分よりギターが上手い奴に彼女を寝とられたといった過去があり、いろいろな思いが彼をそうさせている場合もある。さあ、もう一度楽器を持って! クリスチャン・バンデも言っている。「ところであなたは何か楽器を演奏しますか? それは良い。演奏しないひととの会話は抽象的になりすぎて、間違った方向へ行ってしまう」下手だっていいのです。楽しいですよ。

Type3:上記のいずれでもなく非常にバランスのとれているひと。楽器を弾かないひとでも、実によく分かっている人がいる。幸い私はこうした友人との出会いにめぐまれた。感謝。

Type4:更に上記のいずれでもない、絶望的に何もわかっていないひと。それだけならいいのだが・・・「村石くんのドラムってブルーズを感じないんだよね、もっとビターなテイストがあるといいブルーズがでると思う」(たぶんグルーヴって言おうとしているんだろうなー)「清水さんアガってなかった?? ウッソー、あがってたよ、アハハハもっと落ち着きなよ〜」(12歳年下のへったくそなアマチュアの発言)などという分不相応なことを言う。そして多くの場合プログレ以外のこともわかっていない。

Type5:プログレッシヴ・ロックについては詳しくないが、よいものはよいものとして受容し、素直に楽しめるひと。

以上。では藤原さんの質問へ。

まず「プログレ好きのプログレはプログレを滅ぼすか」という質問について。これは君がどういったバンドをプログレだと考えているのか、プログレを滅ぼすということが具体的にどういう状態を指すのかが分からないので答えようがない。80年代半ば以降のジャップス・プログレと呼ばれたバンドのことについては、あのひとたちは単に才能がなく、努力することを怠り、自分に甘かったから自滅しただけのこと。プログレ好きのプログレといえば一時期のケンソーだってそうだし、「好きこそものの上手なれ」は音楽の基本だと思う。ただ藤原さんの文章全体から察するに君がプログレとカテゴライズあるいは認識しているものと私がかつてのめりこんだ所謂プログレッシヴ・ロックとは、かなり大きな開きがあるように思う。もちろんそれはひとそれぞれでよいのだが。まぁ確かに君の言うように80年代中頃の日本のプログレは聴くに耐えないものがほとんどだったね。ミスター・シリウスとその惨状を嘆き、お互いを鼓舞しあっていたのもこの頃だった。当時海外のケンソー・ファンから、日本には他にもいいプログレ・バンドがあるのか?と尋ねられたら、かつてはフラワー・トラヴェリン・バンドや四人囃子のような素晴しいバンドがあったが今は無いと答えていた。こんなことを書くと自惚れの強い奴と感じる文章読解力のない人がいるかもしれないが、ファンからの切望にもかかわらず私が「イン・コンサート」を絶対再び世に出さないのはどうしてか考えれば、当時のケンソーに対し私自身がどういった評価を下しているかわかるであろう。藤原さんの質問に戻ると江戸期の国風文化というのがどういうものを指しているのか分からないので答えられない。

さてでは「ポップ化は悪か?」という質問について。おととい“ストラトキャスターの魔術師”大谷レイブンから電話があり、実に楽しいひとときを過ごした。グリーンホールにもきてくれたレイブンはかつてケンソーをたっぷりけなしてくれたが(その時も間に入ったのはミスター・シリウスだった)、何回かピット・インにも来てくれたし、そうそう「スパルタ」の Good Days Bad Daysを始めとするアーミング・プレイは私の自宅に彼が遊びにきた時に教えてもらったものだった。「夢の丘」は気に入ってくれたようだったし、「エソプトロン」については「スゴイかっこええわあ、今までのケンソーのアルバムで一番スキやあ」と語っていた。レイブンというとハード・ロックのギタリストというイメージが強いかもしれないが、彼の弾くヤン・アッカーマン的ギターは絶品ですぜ。それにロックについての見識と洞察もあのワイルドなルックスからは想像できないくらい冷静で深い。なぜ、レイブンをここに登場させたかというと、あの日彼が言った「結局、オレとか清水さんはLed Zeppelinを新譜として買って聴いたってことですよ」ということが、これから私が書こうとしていることの底流に在るからなのだ。これだけで終わってもいいくらいだ。そうしよう、エイジアとかについて書くのは時間が無駄 なのでやめたっ。

「ポップ化は悪か」悪のはずがない。しかし、バンド結成時の理想と情熱をないがしろにし、広く大衆に受け入れられることにのみ執心したバンドの失ったものは大きい。ポップということでいえば「90125」なんかよりポリスやXTCのほうがずっと面 白かったし、アイディアもエネルギーも超越していたと思う。といっても、あのころ私はロック以外の音楽に心を奪われていた。けれどもこれは別 の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。「悪」とかそういうことではなくて単に深みのない音楽ってこと、娯楽ですよ、娯楽。藤原さんが「90125」や「インビジブル・タッチ」を気に入っているならそれを聴いていればいいんじゃないですか? でも「曲展開がスリリング」ということがありえるのか、スリリングとはどういうことかについて考えたほうがいいのでは? まぁ藤原君の言いたいことはわかるけど、なにしろあなたのプログレッシヴ・ロックに対する認識って軽すぎる気がするので一応このことについて釘をさしておく。
***野崎で〜す「清水さん、ファンの方のせっかくの質問なんでもっと温かく答えてくださいよ〜」「わかった、わかった」 「90125」にしても「インビジブル・タッチ」にしてもたいした曲展開ではないと思うが、エンジニアリングでスリリングな雰囲気を演出していて一般 リスナーはそれに踊らされているだけ「清水さん!!(怒)」おい野崎「なんですか!(既にケンカ腰)」「私は文部省指導要項に従って模範的な回答をするつもりはないからね」「あたしだって、清水さんのイエス・マンじゃありませんからねーだ」どーも小口です。「まあまあふたりとも、なにもこんな公の場で・・・」閑話休題。

モーニング娘ってどんなんだっけ? 残念ながら藤原さんを楽しい気持ちにさせるような「あの清水がこんなくだらない音楽を」というものは聴いていません。とにかく私は貴重な時間を無駄 にしたくないのです。でも私には信頼できるブレインがいて、今流行っているもので聴くべきものはMDとかにおとして送ってくれますので、いろいろ聴いてはいます。診療終了後にカルテを整理したり入れ歯の設計をしたりする時、有線放送を聴きながらやることが多いのだが、エアロスミス特集なんて聴いちゃうと「おお、かっちょいい!もっとでかい音で聴こう、このギターソロいいんだよな。あれ?このコーラス何度でハモっているんだろう。」となってしまい仕事にならないから、JーPOP のチャンネルとかを聴くことが多い。「うわっ、ダセーぇ曲。なんだよこの甘ったるい歌詞!ハミルを聴けハミルを!なんだよ、またパクリかよー」などとブツブツいいながらやると実に仕事がはかどる。話が横にそれてしまったが、新しい日本人のポップスにも割とかっこいいねと思うものもあることはある。でもやっぱり私はあのLed ZeppelinやKing Crimsonを多感な時期に新譜として聴いて育った世代だからね、そういうことなんですよ。

最後に、「ロック切磋琢磨」の件ですが、グリーン・ホールでサイン会をした時、「エソプトロン」発売当日に即お店で買い、「インサイド・ストーリー」欲しさにミュージック・プラントの通 販で買い、「ロック切磋琢磨」欲しさにライヴ会場でも買った青年に会いました。彼を裏切るわけにはいきません。私もかつてそういった行為を何度かしたことがあるので、あの青年のケンソーに対する熱い気持ちが痛いほどわかるのです。

 では、今回はこれにて失礼。ああ、やっぱり映画の話より燃えますね。

清水義央 1999年9月22日


●ちょうど清水さんのメッセージと入れ違いで藤原さんより下記の投稿をいただきました。ありがとうございます〜! 清水さんから「了解。ただしばらくお待ちください」という伝言をたのまれましたので、藤原さん、しばらくお待ちくださいね。おそらく帳簿つけはだいたい・・そうですねぇ、2週間くらいはかかるのではないかと思われます。

あ、それから藤原さん、私にまではげましのお言葉、ありがとうございます。でもなんというか野崎はマネージャーというより、どっちかというと番頭みたいな存在で、KENSOを引っぱっていくのはあくまで清水さんです。これは謙遜でもなんでもなく事実そうなんですよー。あくまで私が手伝っているのはKENSOの対外的な部分だけです。

なにはともあれ清水さんがしばらくお休みしてますが、良かったら皆さんもどしどし投稿してください。 ではでは〜。

1999年9月14日  THE MUSIC PLANT


●藤原@CASIOと申します

The Battle of Evermore拝見しました。 いや〜良いですねぇ。 清水さんの文章はKENSOの音楽性と同じで  
・知性  
・人なつっこさ  
・スピード感
がありますね。 そんな清水さんから「君の文章は稚拙だね」と言われるのは覚悟のうえで 投稿します。清水先生にも転送していただければ幸いです。

まずは
>KENSOのマネージャーともなると、さぞ「プログレに詳しく」
>「本もたくさん読み」「頭のよい」人間だと思われるかもしれませんが、
>そのどれも私には当てはまらないことを最初に告白しておきます。

それが良いのでは?

80年代中期、数多くのプログレバンドが国内に有りましたが、 それらの多くが 「プログレ好きによるプログレバンドとプログレ好きのプロデューサ」 により世に出されていたおかげで現在では衰退してしまいました。 これは近親相姦が種の滅亡を早めるのに似ていると思います。

KENSOは当時から孤高の存在であったし、夢の丘メンバーになってからは プログレどころかロックにも興味を示さないメンバーの加入のおかげで、 清水 VS 若手(でもないか?)の交流、対立により文字通 り常に プログレッシブで居られたのではないでしょうか。

だから野崎さんも  「KENSOはプログレバンドだから」  「こんなことすると清水さんは嫌がるだろうから」 なんてこと言わず、どんどん新しい方向にKENSOを引っ張っていって下さい

さて、The Battle of Evermoreで清水先生の意見を伺いたいことが いくつか有ります。

・「プログレ好きのプログレはプログレを滅ぼすか?」
  上にも書きましたが近親相姦になるか? 江戸期の国風文化のように昇華するか?

・「ポップ化は悪か?」 アバカブ以降のジェネシス、90125YES、エイジア etc 産業ロック、魂の無いカス等々の否定的意見や 贅肉をそぎ落とした名盤、そもそもYESはポップである等々の 肯定意見など賛否両論ありますが、清水さんはいかがでしょうか?

私は結構好きです。90125やインビジブル・タッチは曲展開が スリリングなくせにそれを感じさせないポップなメロディーが 気に入ってます。

・「実は私こんなバンドが好きなんですぅ」 日頃B'zやサザンに厳しい事言っているけど、 「いや〜モーニング娘。の頼りなさは良いねぇ」 なんてこと有るんでしょうか。

ちなみに私は初めてロックバンドを意識したのが中学の時に聞いた アルフィー。それ以来17年経ちますが、未だにファンです。 20才くらいの頃は 「プログレマニアがアルフィーファンでは恥ずかしい」 なんてことを思っていましたが、今では 「高見沢は偉大だ!!」と胸を張って言っております。 あ、あとパフィーとプリプリも好きなんですけどね

最後に掲示板閉鎖騒動について。(いまさらなんなんですが・・・)

私の座右の銘は 「Quick To Judge,Quick To Anger,Slow To Understand」 Rush:Witch Huntより引用

音楽ファンにはライブ、CDを聞いてすぐに批評(それも否定的意見)を 述べることが「俺は音楽をわかっている」ということだと思い込んでいる 人が沢山います。

私も多分に「判断する」傾向に有るわけですが、その時座右の銘を 思いだし。  
「待て待て、己のちっぽけな世界観で判断して、新たな良さを見逃していないか?」
と考えるようにしています。

数年前なら酒の席の座興で済んだことですが、インターネットのおかげで このような意見が無責任、無秩序に流れるようになりましたね。

多くの掲示板で同様の騒動が起りますが、大抵はそのまま 悪口雑言大会になるか、なしくずし的に閉鎖になるかです。 KENSO掲示板の様にきちんとした対応は良かったと思います。

それでは今後の発展をお祈り申上げます。 The Battle of Evermoreは清水義央の世界が楽しめる Another Side Of KENSOですね。(Dark Sideにならないでくださいね)

P.S. その1

「25周年記念ビデオ」楽しみにしています。

P.S. その2

「ロック切磋琢磨」を希望者にはメールで配信とか出来ないですか? だってKENSOファンならCD全部持っていて、ライブ前に新譜買うなんて 当り前じゃないですかぁ〜〜 私も読みたいよ〜何がT氏を怒らせたんだぁ〜?

1999年9月14日 藤原耕太郎


●もう既に虹の彼方へ去ってしまった「ケンソー掲示板」において私は『とにかく私は忙しいのでこれからは○○○といったことをヒマがあれば書いていきたいと思う。』というような発言をした。これは事実である。村石くんも休みなく働いているが、彼にはまだツアーに同行した外人スタッフと腕相撲する時間が残されている。それについてはエソプトロン・ツアー中のいつだったかに三ちゃんから「村石! おまえ、その腕1本で食っているんだよ。腕相撲なんかしてもし筋でも痛めたらどうするんだ。僕の知っているドラマーで、それでドラマー人生ダメにしてしまった人もいるんだよ。」(三ちゃんのこういう意見て、すごーく説得力あるんだよね。特にあの眼でまっすぐに見つめられて、彼のベースそのままの揺るぎのない口調でいわれると、もう絶対茶化したりギャグで逃げたりできない雰囲気になる。私も弱気になった時、「清水さん!!あなたはねぇ、このケンソーというバンドを25年間ひっぱってきたひとなんですよ!」と論されたことがある。いやもうすごい迫力なのです。)と言われてやめたかもしれないが。なんの話だっけ、あぁそうだった。とにかく私は忙しいのです。では、なぜこの The Battle of Evermoreに次つぎに文章を書いているのか。(タイタニックについての回は明らかに散漫、ヴォルテージ・ダウンであった。)それはね、それはね、それ〜はね、他にやりたくないことがあって、でもそれはいつかはというより本当は今すぐにでもしなくてはいけないことであって、清水歯科医院の顧問会計士から矢のごとき催促がきているのであって、私は歯科医院を開業していからそれが一番面 倒なのであって・・・それは何かとたずねたら「あっ、帳簿、帳簿、帳簿」帳簿をつける、それも今年の1月からたまりにたまってしまった大事業からの逃避なのです。1月分家賃××円、雑費トイレット・ペーパー5巻219円などとやっていると、いくらBGMにレッド・ツェッペリンかけてもゲンナリしてくる。『これがあの強者どもと音楽的果 たし合いをした清水義央なのか?』『いやこれはあくまで世を忍ぶための仮の姿』などとひとりごとを言いながらやってるとどうしてもワープロの方に体が向いてしまい「さあ、オレとロックについて語り合おうじゃないか」などとよくないモチベイトを自分にしてしまうのである。しかし、時は来たりて・・・ついに私は追い込まれた。Close to the Edge!  しばらくの間そちらに集中することにした。ではまたいつか会おう。

1999年9月14日 清水義央

 


●現在、清水先生はどうやら歯科医院の経理で忙しいらしく(爆)、「ちょっとボルテージがダウンしているなぁ〜」と言いつつこのページ用にファックスを送ってくださいました。私は「スター・ウォーズ」については全然くわしくないですけど、何本かみてまして、どれも結構好きです。映画は本当にみないので「タイタニック」もみてません。アイリッシュ・ミュージックを仕事にしているからには勉強のためにも絶対みておかなきゃいけないはずなんですが・・・映画のワンシーンで演奏していた全く無名の下手クソなアイリッシュ・グループがCDデビューして結構当たりまして、とても複雑な気持ちです。ある意味、一般 のアイルランドに興味のなかった人があの映画をきっかけに興味をもってくれたら、うれしいところですけど。セリーヌ・ディオンのあの曲はデビット・フォスター(でしたよね、プロデューサー)はアイリッシュ・ミュージック界にも目を向けている、って事でいいんじゃないでしょうか。・・・駄 目だ。どっちにしろ見ていないので説得力にかけますね。でも何だかんだ言って、ヒットを出している人というのは努力してますし、どっかに学ぶべき部分はありますよ。ずっと前ですけどシャ乱Q(ってこれでよかったっけか?)のツンク(って名前でしたよね、あの人)が、新人の女の子をプロデュースしているシーンをテレビでやっていたんですけど、「うわ〜こんな細いヴォーカル指導みたことない〜」っていうくらい細かく指示を出していた! 小室哲哉さんの音楽は聞きませんけど、いろんな雑誌に載っているあの人のマーケティングに関するインタビュー記事は本当に勉強になります。さてこのコーナー、野崎一人で清水さんのお相手をするのは役不足ですし、個人的にも皆さんのご意見も聞きたいところです。みなさんの投稿をお待ちしております。(タイトルにTHE BATTLE OF EVERMORE投稿と記入してください)

1999年9月13日 ミュージックプラント 野崎洋子 


●3回目の今日は映画の話をしたいと思う。ただし私は映画に関してはズブの素人であり、音楽に比べると体験した母集団の数が全然少ないし、専門的なことはまったくわからない。ただ「スター・ウォーズ」のような娯楽作品は私には面 白くない。と言っても「スター・ウォーズ」全作品を見た訳ではないのでエラソーなことは言えないが。むしろ「スター・ウォーズ」のどこが面 白いのか、どういった深いテーマを持っているのか(深いテーマがあればの話だが)教えてほしい。これは穏やかな質問だ。ぜひメールを送ってほしい。「タイタニック」も見ていない。もうあれは一時よく耳にしたセリーヌ・ディオンのテーマ曲(じゃないんですか?あれ)だけで『うわ〜、背中かゆーい』状態だった。かつてある戦争映画について「でも清水さん、○○って戦争映画すごいリアルなんですよ。スクリーン全体に血が飛び散ってくっついちゃって、あれはぜったい撮影しているカメラにもくっついてますよ〜!」と興奮気味に話され「彼女にとってリアリティとはそういうことなのか?」と考えさせられてしまったことがあって、その女性がとにかく「タイタニック」が好きで「もう何回見ても涙があふれてきちゃう」と。それはそれで人それぞれ好みが違うのだからいいのだが、「でも清水さんてアカデミー賞っていうよりカンヌ映画祭って感じですよね。」などとよくわからない分類をしてくれたし、その上彼女があのバカバカしい血液型による性格診断及び相性占いの類の信望者だったことも手伝って、ますます「タイタニック」を見る気がしなくなってしまったという訳なのだ。週刊誌レベルの話で申し訳ないが「タイタニックに感動できない症候群」というのがあるらしい。要するに皆がこんなに感動している「タイタニック」に感動できない自分はおかしいのではないかと悩んで精神科を訪れる人が少なくないということだ。この記事の真相はケンソーのアルバムのライナー・ノーツやジャケット写 真をお願いした安藤先生や古茶先生に聞いてみないと分からないが、まあでも確かにそういう人もいるだろうなという気もする、最近は特に。そして日本人は特に。もしそんな症候群が本当にあるとすれば私なんてさしずめ隔離病棟にいれられ、両手両足を鎖で壁につながれて、脇腹を猫じゃらしでくすぐられて、陵辱 される苦痛と抗い難い甘美な被虐の悦びに悶絶しなければならないであろう。あっ! いかん。これはミスター・シリウスとの会話ではなかった。では「エソプトロン」をライヴ会場で買ってくださった方に差し上げたオマケ「ロック切磋琢磨」でも引用させていただいたある映画監督の言葉を紹介しよう。「別 に豪華客船が転覆したり、宇宙人が攻めてこなくても映画は感動を与えてくれる。そんな当たり前の事実をこれらのイラン映画はおしえてくれる。」これは7月に私が行ったイラン映画祭で配られたチラシに書いてあったのだが、音楽もそうなのではないだろうか。初めて見たキアロスタミ監督の作品、本当に素晴しかった。皆さんもご覧になってみたらいかがでしょうか。次回は私の大好きなタルコフスキー監督の作品について、そして日本人のおかしてしまった本当に恥ずかしいパクリCMについて、タルコフスキー監督の日記を参考にしつつ素人のたわごとを書いてみたい。映画に詳しいかた、いろいろ教えてください。

99年9月13日 清水義央 


●マネージャーの野崎です。本日は清水さんに出入りを許可されてでてきました。いままでの私の発言で、すでにバレバレでしょうけれど、KENSOのマネージャーともなると、さぞ「プログレに詳しく」「本もたくさん読み」「頭のよい」人間だと思われるかもしれませんが、そのどれも私には当てはまらないことを最初に告白しておきます。このコーナーがスタートしてからというもの、清水さんがファックスで送ってくる文章を私が打ち直して、ここに載せているわけなんですけど、いつ漢字の間違いや、私の一般 常識の無さを指摘されるのではないか、とビクビクしながらやっています。こんなんで、よくこの仕事が勤まっているなぁと思いますが、そこは懐の大きなリーダーのもとで、楽しくやらせていただいてます。

おやおや・・アーティスト・グッズについての話題ですね。おそらくケンソーのメンバーの中で、一番のいわゆるグッズ好きは清水さんでしょうね。三ちゃんもジョン・レノンのTシャツをよく着ていますけど。ちなみに三ちゃんはNEW YORK CITYヴァージョンだけでも2種類持ってます。

ビートルズに関していえば、私もかなりのミーハーです。私が好きなのは、やっぱりジョンなんですけど、でも私はリンゴと結婚するのです(なんのこっちゃ)。 ポスターは狭い仕事場に「フォーセール」のジャケットと同じデザインのものと、リバプールで買ったジョンの「Working Class Hero 1940-1980」と書かれたものの2種類がはってありますし、Tシャツもアメ盤のHard day's Night(超かわいい!)と、リボルバーとアビーロードのジャケットを施したTシャツと、ジョンとヨーコのHAPPY CHRISTMAS from JOHN and YOKO と入った黒のジャンパーと・・話がつきなくなるのでこの辺でやめときますが、とにかくたくさん持っています(自慢!)。でも初期のビートルズってほんとにかわいいですよねぇ。映画「やあ!やあ!やあ!」の冒頭シーンでビートルズの4人が電車に乗っていると気難しい親父がビートルズが乗ったボックス席に入ってきて、リンゴのラジオを無理やり切ってしまう場面 があるじゃないですか。その時のリンゴの目ったら・・本当にまんまるになっちゃうんですよ。あまりにかわいくてその場面 ばかりビデオを止めてコマ送りでみたり、巻きもどしたり、何度も何度も見てしまいます。そういえば今「イエロー・サブマリン」が再編集され発売になってますけど、たまたま業界内の友人から、貴重なレターパット(めちゃ可愛い)をゲットしたので、清水さんと三ちゃんにも分けてあげようと思っていたところです。今回の「イエロー・サブマリン」は、怪しげなグッズもたくさん発売になるみたいなんで、また散財してしまいそうですぅ〜。ほんとビートルズファンはお金が幾らあっても足りません! あ、そうだ清水さんから借りたジョンの「スウィート・トロント」早くみなくちゃ。 ではまた。

1999年9月11日 ミュージックプラント 野崎洋子


●2回目の今日は、もう過去のものとなった「ケンソー掲示板」の私の終了宣言の直前に掲載された匿名希望の主婦の方による「小口の皮パンがどこで買われたものか」という質問についてである。この質問こそ! ロック・バンドのファンがステージ上でスポットライトを浴びているロック・スターに対して放つ質問としてふさわしいものである。原文が手もとにないので思い出すままに書かせてもらうが、まず「皆さんが白熱した議論をしているところへこんなミーハーな質問をさせていただくのは・・・」この謙虚さ、奥ゆかしさ。私の留守中に自分の立場を顧みずわかったようなことを書いた(そして私に批判された)輩に最も欠落していたのはこれなのである。またダラダラと内容が伴わないジコマン意見と違い、この匿名希望の主婦の短い文章からは「ご主人への“愛情”」「家族の健康管理者としての“願い”」「ケンソー小口への“感謝”」といった人間としてつねに自分の心の中に湛えておくべきとても温かい灯火が過不足なく感じとれるのである。しかもその質問の核心を伝えた直後にプログレッシヴ・ロックに対する控え目なコメントを書き、さらにコンサート会場について触れることで私や野崎にも気を使ってくださっている。すばらしい。ミーハーという言葉の真の意味は知らないが、憧れのロック・ミュージシャンと同じものを着たいという前向きの明るい気持ちは、生理学あるいは免疫学的にいっても健康維持にとても大切である。私は一時ビートルズ・ファン・クラブの会報が毎月送られてくるたびに通 販グッズのコーナーに「私が欲しい形の」ジョン愛用サングラスを探していた。しかし吉報は別 のところからきた。原宿にあるビートルズ専門店からのDMに遂にそれは載っていた。MSGでのコンサートでジョンがしていたものと同じ型!!『これがあれば三枝に勝てる。フフッ』すぐに電話しようと思ったが『しかしエソプトロンのレコーディングでずいぶんお金を使っちゃったし、まだトラック・ダウンのお金もかかるしなぁ・・』とグズグズしていたのが運のツキ。翌日電話した時にはもう売り切れてしまっていた。やはり原宿にあるZEPショップからのDMにも同様の思い出がある。ああっ! 私にはそうしたロック・グッズの思い出のなんと多いことか。では最後に東京タワー蝋人形館で買った「ポセイドンのめざめ」T シャツに関する話をしよう。昨年の7月のある日、私は大変な勘違いをしてしまった。その週の診療終了後の夜の予定は木曜に難波弘之さんのSOW のコンサートと水曜に横浜市某地区の歯科医師会の会議であった。そう、私は水曜と木曜を取り違えてしまい、水曜日にあのレコード・ジャケットそのままの怪しげなTシャツにピンクのジャケットで仕事に来てしまったのだ。診察終了直前「えーと、場所はエッグ・マンだったよな」と院長室のカレンダー兼予定表を見て愕然! そこには『場所・歯科医師会館 19時30分より』と書いてあったのだ。家にもどってスーツに着替える時間はない! しかし歯科医師会は原則として上着・ネクタイ着用だ。結局ポセイドン清水は会議終了後、諸先生がたの好奇の、或いは白い視線にさらされることになった。「ほおっ、清水先生、面 白いシャツ着てるねぇ」きたっ「あっ、これですか? あのこれ背中にも絵が描いて、あっ! ○○先生! ジャケットはぬ がさないでクダサイヨー。」「いいじゃないか、清水、背中も見せろっ! おおっ! ホントだ。おい、おい、××先生! 見てみろよ、清水のこのTシャツ、ほら!この絵」「やめてぇっ、やめてぇっ、ミスター・シリウスよ、こんな私のどこが教祖だっちゅうねん!」

99年9月10日 清水義央 


●「The Battle of Evermore」このタイトルを聞いて即座にニヤリとしたひとはまずは及第点、ウーンなんだったっけ・・・あ、そうか、そうだそうだ「思いだしたかね?」「はい、思いだしました。」というひとも、まぁしかたがないだろう。バタフィールド・ブルース・バンドの傑作、ホワイト・ブルース史上にさんぜんと輝く「イースト・ウエスト」の中に「絶望の人生」という曲があるが「The Battle of Evermore」についてなんのことやらサッパリという御仁はロック的には「絶望の人生」を歩んでいる。ここはケンソーのホーム・ページ、私の支配下にある密猟地区である。顔を洗って出直してきなさい〜!

1970年代中頃、ロックは失速し、方向を見失い、巨大化し始めた音楽産業の一部にとりこまれることで情けないまでに牙をぬ かれてしまった。肉食獣にとって牙を失うことは死を意味する。ロックもそうだった。ロックが終わってしまったころからロックを聞き始めた世代、産業ロックを原体験としてしまい、その表面 的な爽快感にのみロックの楽しみを見い出しかつ本来のロック作品(あの時代の空気を体験することは無理なわけだから、あえて「作品」とした)をさかのぼって聴いて掘り下げる作業を怠ってしまったひととロック談義をしていると、お互いの大脳皮質内の神経回路がその形成過程でかなり異質なものになってしまっているのを感じる。そういうひとに「でも清水さん、僕もブリティッシュ・ロックやプログレってスゴイすきでぇ〜」と接近してこられても白けてしまう。逆にあの時代にグレートフル・デットを始めとするアメリカのしかも当時のアメリカらしいロックを聴いて自分のライフ・スタイルにまで影響を受けてしまったひとと話す方が共通 部分を感じるし、楽しい。ロックというのは音楽でもあったが、生き方の提示でもあったからである。

私がBob Dylanの「Highway 61 Revisited」は、三流プログレ作品よりも、はるかに存在価値のある、後世に伝えるべきロック・アルバムであるなどと書くと、「えっ?Dylanってフォークの人でしょう?」などとトボけた事を言うひとがいる。そういう人はだいたいDylanの音自体は聴いていない。カタログ文化の悲劇というべきか! 自分の耳で聴き、自分の感性で受容して、その音楽が自分にとってどう響くのか、魂をゆさぶられるのか否か判断することがない。判断の蓄積と反省、自分自身の考えの軌道修正、新たな問題提起・・・こうした精神的作業なくしてロックによって自分を成長させ励起させていくことなどできはしないのに。

「ただ楽しむっていうのもアリでしょ?」もちろんアリである。ちまたにあふれている商業ロックバンドのタイトルを読むと・・・。おーおー楽しそうな曲名じゃのう・・。ふざけているのかと思った。

「Selling England by the Pound」「Desolation Row」「Working Class Hero」で育った私は以上の様に考える。ロックは終わったと言っておきながらケンソーはロック・バンドとは、人格批判じゃなかった、自己矛盾ではないかというセコイ質問があるひとは、ここへ自分の意見をメールしてほしい。

99年9月9日 清水義央