The Battle of Evermore by 清水義央 (2000)


●世紀末のぼやき

年も押し迫っていた31日の朝、新聞のTV欄に「ワールド・ミュージック・アウォード 2000」
という番組を発見、ビデオの用意をし、大掃除及び家族写真の整理をしながら 見ることにした。
ワールド・ミュージックという呼称は好きではないが、 もしかしてトリロック・グルトゥがでるかも?
東欧代表、マルタ・セバスチャンなんてね、まさかでないか。
ドーナル・ラニーはでるかな? シャクティも再結成したからな、、、などと楽しみにしていた。
さて、番組が始まった。

えっ?これがワールド・ミュージック?
まあ、勝手に期待したほうが悪いのだが、 なぜマライア・キャリーがワールド・ミュージックなわけ?
ジャミワクロイは? その他、最も胸くそ悪くなるタイプの外人ミュージシャンが勢ぞろい!
知性ゼロ、創造性ゼロ。
刹那性100.
司会者が「本日の出演者は、CDのセールスで選ばれましたあ!!」
と高らかに歌い上げた瞬間、テレビ&ビデオのスイッチを消した。

日本だけじゃなく、外人のお国もCDセールス命なのね。
そう言えば、progfest2000の会場ロビーで話をした何人もが、 アメリカで流行っているのは
stupid musicばかりだ と言っていたな。
ああ、よく新聞を見てみれば「ワールド・ミュージック」ではなく 「ワールド”ミュージック・ウォード”」
だったのか。

あああ、時間無駄にした。
厄払いしないとな、いい音楽聞いて。
何聞く?
やっぱ、今ハマっているこれしかないでしょ。
Emmanuel Booz!
最近、友人がアナログLPをCDにダビングしてくれたのだ。
みなさん、聞いたことあります?
なければ、絶対探す価値ありますよ。
友人も言っていたけど、フランスものだったら、 マグマの次にEmmanuel Boozですね。
これは凄い!
しかしさあ、マライア・キャリーなんて有り難がって聞いている奴は 本当に人生を無駄 にしている
としか思えないね。
時間を無駄にしたくなければ、Emmanuel Booz!
そしてくどいようだがVDGGの4枚組ボックスだな、今は。

年越しソバを食べ、家族が見ていた紅白歌合戦をのぞく、
ポルノグラフィティ?
ああ、このドラマー、村石くんの後輩の●●くんかな?
たしか、ケンソーのライヴ来てたな。
サウンド・チェックの時、村石くん楽屋にいるのに ”在野”のドラム・フレーズが聞こえたから、
アレ?と思ったら彼だったんだよな。
シンバルの位置が高いなあ。 ま、どうでもいいか、そんなこと。
今の私はEmmanuel Booz と、やはりその友人がダビングしてくれた アルゼンチンのロックの
オムニバスものを聞きたいのだ。
後者がまた良いのだ。
あなどれませんよ、アルゼンチンのロック。

というような20世紀最後の一日でした。

さて、休憩時間終わりっ!
今、曲作ってたんだ。
じゃあね。
最近書いた文章をのせておきますわ。
まとまりの無い文章だけど、修正している時間がないので
ごめん、て感じ。


ここ一週間はNHK”大地の子”の再放送を毎日見てしまった。
この番組が7年くらい前に放映された時は、子育てに忙しく (まあ、今でも忙しいが)
とても毎日1,5〜2時間TVを見る余裕がなかったのだが、 シーンの断片が記憶に残っており、
どんな話なのか興味があったので、 3〜4年前に原作を読んだ。
原作も名作だと思ったが、今回の再放送を見てTV版のほうも大変な 入魂の作品だと思った。
昨今の恋愛話系TVドラマに登場するような素人同然、ギターでいえば チューニングもできないやつが
ステージにあがるごとき凄まじいまでの 稚拙な演技をする役者が(私の目から見ると)出演していないので、
こちらもドラマに入り込むことができ、感動してしまった。
ドラマがビデオになっていれば、ぜひおすすめしたいし、 その前にやはり原作を読んでほしい。
同じに”ワイルド・スワン”という作品を 読むと文革当時に中国の様子がよくわかって、より楽しめると思う。
歴史に疎い私はそうでした。

今、読んでいる本の一冊に”太宰治と聖書”がある。
太宰治が聖書の熱心な読者であったのは有名で、彼の聖書は書き込みで真っ赤だったという。

(このへん、要修正)

太宰治が玉川上水で心中したのは有名です。
太宰と死を共にした女性は山崎富栄というひとです。 太宰と出会ったとき、
「聖書ではどんな言葉を覚えていますか。」と問われ、 富栄は
「機にかなって語る言葉は、銀の彫刻に金の林檎を嵌めた如し」
「吾子よ我ら言葉もて相愛することなく、行為と真実とを以てすべし」
と答えたそうです。(”太宰治に聞く”より)

少し前に柳美里について書いたら、数人の友人から”命”は面白いかとか、
”ゴールド・ラッシュ”は読んだのだが次に何がお薦めか等と聞かれた。
一応ことわっておくと、私が柳を集中的に読んだ期間はもう過去のことで、 特にファンというわけではない。
(”命”は何となく、女性週刊誌の不倫体験談 みたいで、読後感はあまりよくなかった。)
もちろん、一時的にせよ惹かれるものがあったから、入手できるものはほぼ全て 読んだのだが
、私にとって柳は、かつて耽読した太宰治を思い起こさせる作家であり、
その点も大いにそそられたのである。
柳自身もたびたび太宰ファンであることを 書いている。

「太宰治が好き」というと「うわー暗い」などどという反応を示す人がおり、
私からすると、そういう捉えかたしかできない人のほうが、 よっぽど”暗い”ように思えるのであり、
また、多くの場合 そういう人は太宰の作品を読んでいないか、
読んでいても「人間失格」「斜陽」 くらいなのだ。
全く読んでなくてどうして太宰のことを暗いとい言えるのかというと、
テレビで「知ってるつもり」に代表される俗悪/貧弱な番組で太宰についての 表面的な知識もどきを
身につけたからである。
ひどい場合はこぶ平とか売れなくなったアイドルのコメントを記憶ちがいで
大脳皮質の記憶を司る部分にある”太宰についてのメモリー”におさめてあったりする。

太宰の中期に作品群の明るさと対比すれば死に近い、、、、、、、、


突然だが、 このテーマで深めるには時間がない。
途中、文脈がおかしいところもあるが、 作曲に大切な時間をむけたいので、これで終わり。
ま、とにかく太宰治、読んでちょうだい!
私なんて文学には素人だから、これ以上書いても、たいしたこと書けないからさ。
12月31日

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●ロックについて:PART2

前回は”ロックと渇望感”ということについての、 とりとめのない考察を書き、
更に私と同世代の友人からの意見を紹介しました。
数日前、既にこのコラムに何度も登場している友人の上田氏(KENSO ENGLISH PAGEの英訳や、
リハ・ライヴ及びprogfest2000における通訳を 引き受けていただいた)からもらった
メールの一部がその流れにある内容で、 今回のロックに関する考察について、
読者諸君に新たな切り口を与えてくれるもので あると考えるので、 ここに引用します。
前回分を読んでいない方は、まずそちらからお読みください。

上田氏が、このところ初期ジェネシスを集中的に聞いているという 話題からの展開です。
ちなみに上田氏は私よりやや下の世代、Es小口くんと 同世代だったと思います。

清水発言
> やはりロックという音楽がまだまだ可能性を秘めていた頃、
> そこに夢を託し、自分のすべてを賭けた作品、いわゆる名作といわれる
> ロック作品には、ほんとうに素晴らしいものがあります。

(上田)
全くそうですね。一時期のクイーンなども、これがロックという分野の音楽と いえるのかと
疑問に思ってしまうくらい、さまざまな音楽要素を盛り込んだ 音楽を作っているのに驚かされます。
ロックという音楽には果てしない可能性が あるのだな、と思っていたものです。
しかし、見方を変えると、多様化した、また個人的な音楽表現をしようと試みた ところに
ロックが生まれてきたことも確かだと思います。
従来的な手法としての クラシックや民族的なものの枠を超えて自分の音楽として表現する可能性を
提供するのがいわゆる「ロック」というジャンルだったのではないでしょうか。
そこには自由な表現を促し、また多様さを許容するような、制作側と聴衆との コミュニケーションが
あったようにも思えます。

(清水)
> 翻って、現在はまず売れるかどうかを第一義的に考えたり、
> あるいはロックに対する無知ゆえに、最初から自分たちが作る音にさえ、
> どうでもよさ、なげやりな姿勢を感じさせるものが多く、
> 私としては、そんなものは聞く気になれず、
> やはりロックは古典という気持ちが強いです。

(上田)
かつて制作側と聴衆とが一体となって生み出してきた音楽がいつのまにか
制作側の都合が優先するようになり、聴衆はそれを黙って受け取る、
ないしは「既製品」として製造者から出荷されるものを選択するしかなくなって いるのだと思います。
現代は多様化の時代であると言われてきましたが、 あまりに選択肢が多くなりすぎると
選択すること自体が重荷になる、ないしは 「選択しない」ことが選択肢となるように見うけられます。
そこへこれまでに類を 見ないほどに強力な影響力を獲得したマスメディアが製造者側の利益を背景
としたある選択肢を提示すると、選択することを好まない層が無批判にそれを 受け取り、
結果としてそれがその時期の社会的「デフォルト」(一般的選択肢)に なるのではと考えます。

さらに、生産者が情報技術を利用した、非常に正確な商品計画に基づいて デフォルトとなりやすいものを
送リ出しつづけることで「選択することを好まない 層が無批判にそれを受け取」るということがさらに助長され、
結果として清水さん の仰るとおり、「現在はまず売れるかどうかを第一義的に考えたり、
あるいは ロックに対する無知ゆえに、最初から自分たちが作る音にさえ、どうでもよさ、
なげやりな姿勢を感じさせるもの」となる状況が作り出されてしまったように 推察します。

また、悪いことに一般聴衆は、選択していると思わされて、その実選択の余地を 与えられていないのも
(非常に一般的認識ではありますが)事実として今の社会 状況の一面であると思います。

以上、上田氏からの意見でした。

次に紹介するのは、このコラムの読者からいただいたメールです。
これも”プログレ”という、よくわからない言葉が示すものに関する意見で、 あ〜そうなのか、と思った内容です。

(前略)
 私はケンソーを聞いたのも90年代になってからで、あまり詳しいリスナ ーではありませんが、
Mr.シリウスと美狂乱とケンソーは世界に誇れるバ ンドだと感じています。
エソプトロンのツアーで大阪公演が決まった時に は、ひとり興奮して触れまわったものでしたが、
その時、プログレ・ファン の間での、ケンソーの知名度の低さに愕然としました(^^;)。  
なんというか。私がいわゆるプログレを聞いてきたのは、単に最高の音 楽を聞きたかったからです。
それはつまり、「宮殿」のコピーが幾らあって も、「宮殿」があればそれらは不要なのであって、
それを上回るか、あるい は別の意味で最高な音楽が聞きたいということでした。
決してマイナーな 音楽が聞きたいとか変な音楽が聞きたいとかいうことではないです。
でも、 世間でプログレ・ファンと称される人々の間では、特定の狭い範囲の音楽 へのこだわりこそに
価値があるようで、ケンソーがそこから外れるならば、 それは関心の外だと、
そういう人達が随分と多いようです・・・。  
ともあれ、私の初ケンソーだった大阪公演ですが、私が初めてPFMのラ イブ音源を聞いた時の感動が
蘇る素晴らしいものでした。後に発売された ビデオでの演奏シーンも良かったです。  

私は最近、西新宿への通信販売で、いわゆるハズレの山の中から一握 りのアタリを探す事に疲れてしまって、
そのためプログレというものからは 遠ざかっていますが、あのライブの感動は、いつまでも大事にしたいと
考 えております。

ということです。

でも、ロックって面白いよね。
かつて流行った ”カシ尾ペ亜”とかのフュージョンだったら、絶対こうしたいろいろな視点で
語ることはできないと思う。 だから、かなり時間がたってから、あれは何だったのだろうと考えても、
何も深い思考を喚起することはできない。 「懐かしいね。」で終わってしまう。
もちろん、音楽なんてそんなものでしょうという考えかたもあるし、
楽器演奏面で語れる部分もあるのかもしれない。
”カシ尾ぺ亜”の皆さんにはもちろん恨みなんて何もないし、 私が大学時代には軽音楽部の連中が
みんなコピーしたり、 「昨日、ピット.インでのライヴに行ってきた。」と興奮して話していたので、
私も聞きたくなくても聞かされて、それまでの日本にはないタイプのバンドだったから 新鮮に思えたし、
ブームにのってでてきた多くのダサイ”和製フュージョン・バンド”に 比べたらマシだったことは認める。
というより「かっこいいな」と思う部分はあったね。
でも、軽すぎるよね、
”ミント・ジャム”っていたかな、 そのアルバムの曲目解説をメンバーが書いていたような気がするけど、
あまりの軽薄さにウンザリしたのを覚えている。

後期クリムゾン”Fracture”や”Starless”の後半を手に汗握って 聞いているのに、
”あさやけ”だとか”ミッドナイト・ランデブー”なんて タイトルからしても
ちゃんちゃらおかしくて聞けねえよっ!って 若かった私は思いました。

”燃える朝焼け”ならいいのかという自己矛盾、、、。
同じランデブーなら”ランデブー602”だっけ、あれなら聞きましたよ。
ああ、UKの初来日公演、テリー・ボジオのドラミング、びっくりしたよなあ!
あの曲ではハイ・ハットの使いかたが実に新鮮だった。
話が横にそれたけど、これだけは言っておきたいのだが、
UKの来日公演で、テープレコーダー・チェックにひっかかってしまったのだ。

「これは何ですか?」
「え、弁当箱です。(電池入りの?)」

さて、”ビューティ・ペア”じゃなくて”カシ尾ぺ亜”だったね。
あの空虚な時代を象徴するサウンドの代表として、 わかり易いのでたびたび例えとしてあげて
しまうんだなああああああ、
ま、”カシ尾ペ亜”のことはいいか。
kensoも”カシ尾ぺ亜”の延長としてとらえて聞いている人も いるだろうな。
かつて低レヴェルのジャップス・プログレが 多くでてきたころ、
”妖精”だとか”お城”だとかと関係ないKENSOは 「プログレではない、フュージョンだ。」と軽蔑されたのだ。
まあ、でも今となってはジャップス・プログレッシヴとかいう本の グラビアに載っているバンドと
同類に扱わないでアリガトウ!って感じ。
そう言えば、ライヴ後のアンケートに「カシ尾ペ亜は3年で飽きたけど、 kensoは10年たっても飽きません。」
ってのがあったけど、 そらそうや、ロックやもん。
精神性が違うって精神性が。

”アサヤケ”と”燃える朝焼け”は違うんや。

”燃える朝焼け”の英語原題を読んでみいや。深いわ〜。

でも本家本元のクロス・オーヴァーには素晴らしい作品があったよね。
マイルス、マハビシュヌ、RTF、W・リポート、アイアート・モレイラ、 F・プリム、オレゴン、
そしてメセニー、まだまだある、、。

話をもとにかえすと、 最近VDGGの4枚組BOXに大きな衝撃を受けた私としては、
「懐かしいね」で終わってしまう音楽には何の興味もわかない。

あ、誤解を呼ぶ発言かも。ま、いいか、今さら。

それにしても、VDGGボックスは凄い!
ピーター・ハミルのヴォーカルって聞いていて本当に鳥肌が立つ。
その世界にグイグイ引込まれてしまう。
サウンドの革新性も、個人的にはクリムゾンに匹敵すると思う。
これぞプログレッシヴ・ロックの名に恥じない、長い時にも風化することない 音楽のひとつの代表である。

やりてえ!やってみてえ!作ってみてえ!こんな音楽!

さて、前回の”ロックと渇望感”について、ブレインのひとりより、
「俺とかは結構面白く読んだけど、若いやつらは面倒くさいって思うやつが 多いかもね。
何しろ活字が多いとそれだけでダメなのが多いんだよ。 本というのを読んでないからね。」
という意見をもらった。
音楽番組のプロデューサーである彼からは、新入社員面接において、 本も読んでいない、音楽も聞いていない、
映画も見ていない、 ”お前、なんでTV関係に就職したいの?”って 尋ねたくなる志望者が多いという話も
何度も聞いている。
しかし 私としては、好きなようにやるしかないので、このままいきますが。

というわけで、”終了宣言”に対し、読者から驚くほど多くの”続行希望” メールをいただき、
ブレイン数人との話しあいの結果、ペース・ダウンしても 続けることにしました。
ただ、次のアルバムへ向けて曲作りを始めているので、どの程度更新できるかは わかりません。
12月23日

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●ロックと渇望感について

エソプトロン・ツアーで故郷の相模原グリーン・ホールに行った際、 主催者から公演パンフレットに
載せる”ご挨拶”を依頼されて書いた。
その中に”「ロックとは何か」その答えが、我々の演奏の中に、、” というようなことを書いたらしく
(原本は物置きの中なので、取りにいく 気力と時間なし)、ライブ後のアンケートに
「パンフレットに”ロックとは 何か”と書いてあるのを見て、そんなに大上段にかまえなくてもと思ったが」
と書かれた内容のものがあり、「そうかな?」と首をかしげた。
と言うのは、私にとって 「ロックとは何か」というのはごく日常的な疑問であり、
まったく 大上段ではないからだ。

書店の雑誌売り場において、音楽誌などで「特集…ロックとは何だったのか」なんて 見出しを見ると、
必ずといっていいほど買ってしまう。 「ロックが熱かったころ」なんてタイトルにも弱い。
もっとも、「ロックとは何か」という疑問に答えてくれている記事なんて皆無に近く、
多くの場合、ムカツクほどバカなことが、えらそうに書いてある。
本をため込む習性を持つこの私でさえ即ゴミ箱につこんでしまうほど役にたたない本もある。
(ローリング・ストーン誌の古いインタビュー集などで、ピート・タウンシェンドとかの発言を 読んだほうが
参考になることが多い。)
で、自分に問いかける。
「ロックとは何か」

柳美里の最新刊?「魚が見た夢」にこんな記載がある。
三島由紀夫は「小説とは何か」という問いに対し、 ”小説について考えつづける人間が、
小説とは何かを模索する作業” と語った。

遠藤周作文学の根幹をなすとされる作品のひとつ「キリストの誕生」には、 こんな記載がある。
”ひとつの宗教はそれが組織化されるだけでなく、神についての謎をすべて解くような 神学が作られた途端、
つまり外形にも内面にもこの人生と世界についての疑問 と謎がなくなった瞬間、
衰弱と腐敗の坂道を転がっていくのである。”

ロックな作家、山川健一さんの小説「ロックス」のあとがきにはこんな記載がある。
”十代の少年だった頃、ぼくはいつの時代にもロックのような存在はあり、
今偶然に自分が 向い会っているのがロックなのだと思っていた。だが、そうではなかったようだ。
ロックというのは、他のどんな音楽、あるいは表現とも交換不可能な、鮮やかなスピリッツの 名称なのだ。
あるいは、ロックというのは一過性のある音楽形式の名称なのではなく、 個人が世界のアプローチする時の、
スタンスそのものの名称だったのかもしれない。”

なるほど、なるほど。
そんな、もろもろの文献や自分自身の体験をもとに、 私はロックという自分のライフ・ワークについて
いつも問い続けているのだ。

新聞に載っていた、紅白歌合戦関連の記事で 日本を代表するロック・バンドがサ座ン・全星ズだと
いうことを知りました。
「へえ〜そうなんだ。あれはロックなんだ。」
昨今の日本でロック・バンドとされる人たちの音楽のほとんどが、自分の考えるロックとかけ離れている のは、
今までもくりかえし述べてきた。ブランキー・J・Cのような数少ない例外もあるが。
ただ、それはバンド側だけの責任ではないと思う。
消費者がカスでいいと言ってしまうから、カスが生き残り、カスのCDが売れるから、
レコード会社は次々カスを送り込んでくる。
そして、大切な思春期にカスを聞いてしまった カス感性が町にあふれると、、、。

そこには、かつてロックをもとめた切迫した渇望感は存在しにくいのではないか。
「ロックとは何か」 それを探るため、私は日常的に次のようなメールを信頼できる友だちに送ったりしている。

> 最後に、私のHPのコラムで、ロックと渇望感について書こうかと思っています。
> 私とか○○くんの世代は、今のようにレコードに関する情報もなかったし、
> 自分のお小遣いに比して、レコードの値段はすごく高くて、「いちど聞いてみた い」
> という思いがつのったと思います。また、ラジオの洋楽番組というのが貴重な音源 で
> あり情報源であったとも思います。ラジカセがなかった時代、ラジオのスピーカー に
> かじりついてロックを聞いたし、無謀なエア・チェックも試みたりしました。
> そうした”音に飢えていた”ことが、かえってロックにのめりこむことを加速した と
> 思うのですが、いかがでしょうか?(中略)
> 私の先輩がアマチュア・オーケストラの団長をしているのですが、その人は
> 第二次世界大戦の時、敵性音楽であるモーツアルトを押し入れのなかで聞いていた そ
> うですが、そうした熱意と渇望感というものついて、○○くんはどう考えますか?
> 気楽にお知らせくだされば幸いです。 > > では、また。

> -- 同世代の○○くんからの返信

ロックと渇望感については全く同感です。 かつては新しい音楽を聴くことで
自分の何かが変わってゆくのではないかという期待 があったように思います。
裏返していうならば、自分に満足ができない、自分の内面にある何かを変えたいとい う「渇望感」がありました。
「音楽で自分の何かが変わる」そのような「マジック」が果たして本当にあったのか どうか、
今となってはわかりませんが、少なくとも当時の僕たちは無邪気にも疑うこ となく
それを信じていたような気がします。
聞き手だけでなく作り手の方にも、同じような意識があったからこそ、音楽シーンは もっと緊張感があって
活き活きとしていたのだと思います。
この「マジック」が急に色褪せてきたのが、70年代後半のディスコ・ブームでしょう か。
全米トップ40が全くおもしろくなくなったのをよく覚えています。

音楽は聴くのではなくて気軽に踊るもの、精神性よりも肉体的なものへと変化し、
そ の楽しみ方も個人から集団へと変質していったように思えます。
じっと一人部屋にこもって身じろぎもせず、ディスコに耳を傾ける(…何かが変わる のを期待する?…)
なんてのは、滑稽ですよね。

音楽は「一人一人が耳を傾ける」ものから「みんなで体を動かして感ずるもの」ある いは
衣服のように「身にまとうもの」になったことで、確かに身近になり、気軽に楽 しめるものになったことは
否定しません。
しかし、失われたものはあまりにも大きかった。
それは音楽の本質、つまり精神性と でもいいましょうか。
音楽が心に響き、それが新たな驚きとして私たちの心に刻み込まれていく、
そのよう な体験の繰り返しこそが音楽の「マジック」であったような気がしてなりません。
いかがでしょうか。

○○くん、ありがとうございました。

”失われたものはあまりにも大きかった。”

このコラムをもし若いひとが読んでいたら、ぜひ飢餓感を持つよう心がけてすごすことを
アドバイスしたい。
オヤジになってからでは遅いのだ。
ロックはやはり多感な若い時代に、より良くより深くインプリンティングされる音楽なのだ。

私は時々アマチュア・おやじ・ロック・バンドの面倒を見ていて、その中途半端さに
「それでも、かつてロック少年だったのか」と内心いらだつことがある。
この人たちは、いったいロックの(あの素晴らしい時代のロックの)何を聞き、 何に感動していたのかと
疑問に思うことがある。
ロック世代だから、イコール、ロックな生き方ができるわけではないし、
ロック不毛の時代にあっても、心掛け次第だと思う。

マスコミのクソ情報にまどわされるな!
現在のロック・バンドにも、面白いものはある。(あの時代のようなことはなく単発ではあるが)
レディオ・ヘッドの最新作なんてカッコいいじゃん!
若者よ、プログレ聞くのもいいけれど、キミの時代のロックを探せ!
12月16日
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●ジェフ・ベックのコンサート

前回お知らせしたとおり、本日ジェフ・ベックのライヴへいってきた。
結論から言うと、今年見たコンサートの中でだんとつのベスト1だった。
今年はいわゆる民族音楽系のコンサートに多く行ったので、特に 思い入れのあるミュージシャンが、
そうだなあ、キング・クリムゾンくらいかなあ、 ただし今のキング・クリムゾンには思い入れないから、、、
いないかったかな。
一方、ジェフ・ベックはギタリストとしての私に大きな影響を及ぼした人。 思い入れはすごくあったのだが、
それを差し引いても今夜のライヴは最高だった。
いっしょに行った大谷令文くんは数日前に今回のツアーを一度見ていたが、
「今日のほうがPAも含めて、ぜんぜんよかったわ。ベックも楽しそうだったし。」 と語っていた。

コンサート中、一曲ごとに私と大谷くんは、共通の師匠の唯一無二のギタープレイに 興奮、感激、
凄すぎる!とため息をついていた。

コンサート終了後、大谷くんが「でも、これから家帰ってギター練習しよ!って気になれへんな。 すごすぎて。」
と言っていたのが印象的だった。
ともかく、一音出しただけ、それがノイズであったとしても、すぐにベックとわかる その個性、
56歳なんて年令を全く感じさせない新しいサウンドへ挑戦するその精神、
ギターからほとばしる音楽への情熱、、、、。
2時間弱の間、ベックから全く目が離せなかった。
ギターがここまで自分の肉体と同化したミュージシャンを私は知らない。

自分がかつて憧れ、必死でコピーしたアイドルが、今もなお圧倒的な存在感を持って いるのをこの目で見、
この耳で聞くことができて、本当に嬉しかった。

もう10年くらい前になるのだろうか、”Letter from home”のツアーで来日した パット・メセニー・
グループを見た後、あまりの素晴らしさに、小口を含めて、いっしょにいった連中が コンサート会場から
中華料理屋のテーブルにつくまでの道のり、まともな会話ができなかったことがあった。

今日のジェフ・ベックも同様であった。
「ああ、すげえ。」
「いや〜、すごかった。」
「やっぱ本物はすごいね。」
「何あれ?」
「天才やからね。」
「考えたくないね。」
「それにしてもスゴいわあ。」
あ、生ビールがきた。
「ジェフ・ベックに乾杯!」

忘年会シーズン、
だらしなく酔っぱらい、部下の女の子にエロいジョークを言い、 くだをまき、
痰を道ばたに吐き捨てる薄汚い56歳もいれば、 こうして30年前と同じように、 いや、
30年の時を経てむしろ磨きがかかったギター・プレイをし、しかも まだまだ進化してゆくことで
人々を感動させることができるかっこいい56歳もいるのだ。

ジェフ・ベックよ、ありがとう。
私とレイブンは、今日もあなたから多くのことを教えられた。
12月9日
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●誰のようになりたいか

誰のようになりたいか。
これは、思春期の青年において大切な問いかけであろう。
ロック・キッズに限らず、スポーツ青年においても同様。 (かどうかは私には言う資格なし)
自分の目標は、やはり無いよりはあったほうが良い。
そして目標に向かって努力することは、いくら否定派が かっこつけて
「努力なんて、けっ!」と言ったところで、 揺らぐことのない成功への王道である。

さて、中年の私に尋ねてみてくれないか。
誰のようにギターを弾きたいかと。

私は答えるだろう。
ベックだよと。
まちがえちゃこまるぜ。
ベックってのは、最近売れているガキじゃなく、 ジェフ・ベックのことさ。
俺らの世代にとってベックはジェフしかいないのさ。
俺にとって反町が断じて”ソリマチ”ではなく東横線”タンマチ”であるようにね。

村石ケンソー先輩がソリマチのレコーディングに参加した旨、了解です。
それでもオレは言い続ける、反町はタンマチだと、Baby ,don't forget it!
そしてワインがぶちまけられたような街をオレは駆け抜ける。

どんなふうにギターを弾きたいか。
それは、ジョージ・マーティンのソロ・アルバムの3曲目、 「A day in the life 」のようにさ。
この曲でのベックは天才としか表現しようがない!驚異だ。
ギターで歌わせるというのはこういうことなのだ。
ギターをやっている人は、特に開放弦、ロー・ポジション、ハイ・ポジションの 使い分け(まあ、天才だから、
直感的にやるのだろうけど)、フィンガー・ヴィブラート とアーミングとの絶妙なブレンド具合、
ピック・アップの切り替え、ヴォリューム及びトーン・コントロールなどに注目すると、その凄さにビビることだろう。
しかし、真に大事なことは、そんな瑣末なことでなく、この感情の高揚と奔出。
エフェクターに頼らず、自分の指だけでここまで様々な色彩を盛り込む、しかも 物凄くエモーショナル 、
本当に信じがたいプレイだ。

今週末、ベックを見に行く。
一緒にいくのは、これ以上の適任者がいるだろうかというくらいのハマリ役、 第二期ジェフ・ベック・グループの
メンバーとアルバム制作した経験を持つ、 ストラトの魔術師、でも最近はレスポールも使う男、大谷令文その人である。
昨日、彼が私のクリニックにチケットを取りに来て、ふたりでワクワク、 まるで初めてロック・コンサートにいく
少年たちのように盛り上がった。
日本では数少ない本物のロック・ギタリスト、大谷令文とコンサート後に ベック談義、ロック・ギター談義を
するのも楽しみだ。

スティーブ・ルカサーくそくらえ!
あ、関係ないか。
こういうこと書くから、抗議のメール頂戴するのかも。
でも、大谷くんとはいつも、いろいろなロック・ギタリストもどきや 自称ロック・バンドどもを
まな板にのせて酷評する。
これが実に楽しい。

お前らがライヴの打ち上げで女の尻を追いかけている間に、
お前ら、バカにされてるんだぜ。Hey you,don't forget it!
To be a rock and not to roll.
そしてオレは薄明のトーキョーを駆け抜ける。

あ、小口くんからの冷ややかな視線感じます。 11月6日
The Battle of Evermore TOP



●生活雑感ー師走の始めに思う

海外の友人からのメールによると、 スポックス・ベアードのファンがprogfestのkensoを見て
「ああいう想像を絶するインストルメンタル花火大会の後に トランス・アトランティックを持ってこられると、
ちょっと、がっかりしちゃうよな。
「kensoは今までに見たプログレ・バンドの中で 10指に入る」と言ってくれているとか。
また、そのトランス・アトランティックの ベーシストでありマリリオンのベースでもあるパット・トレワバス(だったかな?)
さんは、いろいろな インタビューで「KENSOは、長年に亘って発見した中で、最高のバンドだ。」
と 言ってくれているらしい。
有り難いことじゃないの。
素直にうれしいっス。

さて 数週間前、旧知の同世代系ミュージシャンが参加するあるバンドがCDをリリースするとのことで、
私にライナー・ノーツを書いてくれないかという電話があった。
音は既に別ルートでkensoがLA に行く前に聞いていた。
お世辞というのが、言うのも言われるのも大嫌いな私は、
「音は聞いてますよ。でも悪いけど、曲が貧弱でつまらないから、書き気になれない。」 と言うようなことを答えた。
また、私はケンソー・ファンに対して責任があるのだということも 強調しておいた。
私がライナーを書いていることがCDの帯に記載されていたら 「清水が薦めているのなら」と実はぜんぜん薦めてないものを
ケンソー・ファンが 買ってしまう可能性もある。それは申し訳ない。
ケンソーのライブのCD即売会場で、マグマだったかPFMだったか忘れたが、 「清水氏がライナーを書いている」
ということで、便乗して 売られていたこともあったが、私は自分が”良い”と書いたものに関しては責任を 持つので
それはそれで良い。恩師のセールスを促進するのは弟子の喜びでもある。

話が横にそれてしまったが、 「曲が貧弱で」という私の意見に対するその同世代ミュージシャンの反応は潔いものだった。
私は「理解してもらえて嬉しい。あの時代を知っている世代としてがんばろう」というようなことを 返信したように記憶している。

思春期において貧弱な曲ばかりを聞いて育った世代には、理解しにくいかもしれない。
曲の貧弱さを補うものはテクノロジー?味気ないほどに整理されたリズム? そして音以上に雄弁なインタビュー?
ま、いいけどね。
もう、どうでもいいのよ。
私としては、世の中にタレ流されているカスpopも、実はどーでもいいし、 プログレを自認する輩たちが、
土蔵を開けてカビだらけの音をだしてこようが、 Am>G>F>Eのコード進行の上に延々”泣きのソロ” とやらを展開しようが 、
往年の偉大なプログレ・バンドの露骨なパクリをやって 自らの人生を浪費しようが、安直な、あまりに安直な作曲をして、
それでも喜ぶ 未熟なリスナーから喝采を受けて自己満足にひたろうが、、、、
私には関係ないことでござんす。

ただし、私に関わってくれば(例えば前述のようにライナーを依頼されたりすれば) そりゃ本音でやりますよ。
本音で誠意を持って全力で事にあたるのを信条としているからね。
ミスター・シリウス”バレン・ドリーム”のような作品だったら喜んでライナー 書かせてもらいます。
もちろん自分が参加してなくても。

話がそれてしまった。
その同世代ミュージシャンは私同様、まだロックに音楽的可能性が残されていた時代に、 ラジオから流れてくる、
あるいはなけなしの金で買ったり友だちに借りたりした レコードからほとばしる面白くてしかたないロックを、わくわくしながら聞いていたのだろう。 だからこそ「曲が貧弱で」のひとことで何が言いたいのかがわかってもらえたのではないか。

じゃあ、KENSOには貧弱な曲はないのか?
そりゃ、ありますよ。言えないけどね。
しかし、できるだけハードルを高くしようと自分に言い聞かせている。
そして、有能なメンバーに自分の曲の甘えた部分を厳しくチェックされることは実は とても有り難いこと。
バンドが面白い理由のひとつだとも思う。
もちろん、20代のころと曲のアプローチが異なるのは当然。
”空に光る”を作ってからもうすぐ20年なのだよ。

時代は代わってもプログレは志しの高い音楽であるべきだ。
”売れない音楽”であることは、実はそのクオリティについて言い訳がきかないことでもある。
来週までに5曲作らなきゃいけないといった締めきりもないし、カラオケで歌いやすい曲である 必要もない、
流行も気にしないでよい。
しかし、 それだけに作曲者の意識の高さと演奏者の感性および演奏技術のが問われるのだ。

progfest で我々を知り、おおいに期待してくれている海外のファンのため、 そして私のHPでの放言を見のがして
くれている日本のファンのためにも、 恥かしく無い活動を続けなければ!

どうも、まとまりまっしぇ〜ん。忘年会シーズンはダメっすネ。
ところで、このコーナー、不評のため、あと数回で打ち切りが決定しました。
あと、数回を楽しんでください。
 12月4日

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●progfest のレビュー

LAレポート、ぜんぜん書かないうちに、もう”過去の良い思い出”化 しちゃってさあ、
そうこうしているうちに自分の中で、もう違う方向性が 始まっちゃったんだよね。
だよね、っていうのも無責任な話だとは思うけど、 まあ、このコーナーも勤労奉仕ですからね。許してくださいよ。

みんなだってさ、私がいつまでも過去に拘泥してるなんて許せなくない?
プログレッシヴ・ロックを志したこの私、いつも進歩していたい!
だから、過去の栄光について書くようなマネはしたくない、だから書かない。

来年2月ころ、MUSEAからPROGFESTのオムニバスCD及びビデオがでて、 それにはkensoは30分くらい
収録されているんだけど、その後に、 ほぼ全曲を収録したものをpathographからリリースするので、
そのライナーの 中にでも書きますわ。
で、かわりに、ここに海外からのprogfestレポートを転載しておきます。
訳はもちろん上田のとっつあん、いや失礼、上田さんです。
(今、歯科医師会の忘年会から帰ったばかりで酔ってるっス)

まずは、リック・スタッシさんより
「プログフェスト2000は素晴らしい経験だった。 多分、観客の半分以上はケンソーの演奏を聞いたこと が
ない人達だったと思われる。曲が演奏されると会場は 興奮で吹き飛びそうになった。
各曲ごとに歓声の嵐が起こった。 バンドは聴衆のエネルギーを、また聴衆はバンドのエネルギー を吸収しあった。
魔法にかかったような思いだった。 ステージでのパフォーマンスは一音一音にいたるまで、
スタジオレコーディングと同じく、またよりいっそう素晴らし いものだった。
私は特にSpartaが好きだがそのアルバムから 4曲が演奏された。 'good days, bad days', 'bifuka',
'the shadow over innsmouth' , それに'neuro-pschoma'.だ。(訳注:この辺 ちょっと勘違いですね)
熱烈なケンソーファンとしては、セットの間中、天国にいるような 気持ちだった。
しばらく前に私が、バンコはダーウィンの曲を中心にしたコン サートをやったことがあるんだろうかという
投稿をしたことを 覚えている人がいるだろうか? 今回のコンサートでは ダーウィンから多くの曲が演奏され、
素晴らしいものだった。 詳細の記述については他の人に譲ることとしたい。
ケンソーとバンコのコンサートを経験することができて非常に 幸運だったと思う。」

次はE-MANさんのレポート
「KENSO: 強烈だ!!! 良い演奏を聞かせてくれるとは思っていたが 信じられないくらい良かった!!!!
(訳注:ステージ上での)化学反応 というやつか。開いた口がふさがらないほど強烈なプログレ・フュー ジョンが
演奏されているのにロビーにいた人がいたようだった けどまったく気の毒なことだった。
このバンドにはまったく打ち のめされた。各人がそれぞれの得物で -それがベースであれ、 キーボードであれ、
ドラムあるいはギターであれ- 聴衆を叩き のめしたし、数多くの正確無比な高速パッセージがわれわれに 飛び掛ってきた。
リードキーボーディストは泣かせるし、また ベースはバンコのベーシストと並んでフェスティバルで最高の プレイヤーだった。
ケンソーのマネージャーが持ってきたCDは 完売だった。
しかしはるばる日本から来たのにみんなが熱望した アンコールがなかったのと、
ギタリストがまだしゃべっているのに 実際に幕をおろしてしまったのには頭に来たぜ。

TRANSATLANTIC: "Firth of Fifth"は良かった。  ロイネ・ストルトは楽しく演奏しているようには見えなかったし、 彼のスタイルは、少なくともライブでは、曲の流れに合わない ようだった。さらに演奏中ずっと低域ノイズに悩まされつづけ ていた。
演奏中ほとんどケンソーのことを考えてたぜ! でもこのバンドは幕をおろされなかったんだよな。(怒)」

ね、けっこう臨場感あるでしょ。 じゃあね。
11月29日
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●プール・サイドとロック

バリ島の繁華街クタ(クタなんて渋谷センター街だという悪口も聞くが、
コリン・マックフィ著 ”熱帯の旅人”などを読むとクタの成立を知ることができ興味深い)
にハード・ロック・バリというチェーン店ホテルがある。
このホテル、例えばウブドのヴィラ・タイプのホテルのような趣きはないが、
今のところバリから日本へ帰る飛行機が深夜便しかないので、 最終日、比較的空港に近いここに泊り、
チェック・アウトを延長すると、 子連れ家族には便利だと思う。
それだけなら、クタにある他のホテルでもいいのだが、 このハード・ロック・バリには素敵なプールがあり、
私の家族が それを大変気にいっているため、バリ必須旅程となっている。
(個人的にはウブドのピタマハがとても気にいっているのだが。)
また、地下にレコーディング・スタジオもあるので、いつかここで レコーディングしてみたいなあと思う。

昨年、今年とバリに行った。
特に今年は、祭礼の多いバリでも特に盛大なガルンガンという祭礼の 開かれる時に滞在できたので
大変ラッキーだった。 昨年知り合ったバリ人の友人に、自分の生まれ故郷の村へちょうど
ガルンガンの当日連れて行ってもらい、 おそらくは日本人がほとんど訪れたことのないバリの普通 の村で、
ヒンズー教の儀式にもその友人が用意してくれた祭礼用の正装を着て、 参加させていただくことができた。
感謝!
祭礼儀式を行う村の集会場の横に立てられた小屋では、村びとたちの演奏する 素朴なガムランを
目の当たりにし大感激したことを思い出す。
ガムランというと、もう何をどうやって弾いているのかわからないくらい 複雑なアンサンブルを持っている
(ように思える)が、村びとたちの まだ芸術までに昇華されていないガムランは、それはそれで
音楽の楽しさに 満ちていて素晴らしかった。

バリといえばガムランの他にもケチャなどの優れた音楽がたくさんあり、 時間と家族の目の許す限り、
浸り切るのだが、ひたりきった最終日、 前述のホテルのプール・サイドから自分の部屋へもどる廊下で、
慣れ親しんだ音の断片がかすかにきこえてきて、一瞬足をとめた。

”ん?なんだっけ、これ。”

LED ZEPPELINの"RAIN SONG"だった。
それは、何か、心に沁み入る体験だった。
日本のわらべ歌が流れてきても、きっとこんなにも懐かしいとは感じないだろう。
(懐かしいという言葉が適当かどうかわからないが。郷愁のほうが近いかな。)
そこに立ち尽くして、ずっと聞いていたいような気持ちになった。

ロックって不思議だなと思う。
ZEPの”Whole lotta love”の単純なリフに、全世界が熱狂したのだ。
ロックに出会って本当によかったと思う。

さて、 ロックとプール・サイドには、もうひとつ思い出がある。
今から約30年前、八王子のサマー・ランドのプールの中で、 私の耳は、特設ステージ(というより
単にプールの横だったかも)で 演奏しているホーン入りのバンドの音に釘付けになった。

「かっこいい!!何て言う曲なんだろう。」
バンドの歌手がアナウンスする。
「今の曲はシカゴのビギニングスでした。次の曲もシカゴのナンバーからおおくりします。」
「シカゴっていうバンドがあるのか。ビキニングスっていってたな。」
私とシカゴとの出会いだった。
その直後だったと思うが、シカゴは初来日を果たし、TVで放映されたものを見た。
また、”Low Down”が大ヒットし、日本語ヴァージョンまでリリースされた。

さっき、衝動的にシカゴを聞きたくなり、ファースト・アルバムを聞いた。
「イントロダクション」「一体現実を把握している者はいるのだろうか」 そして「ビギニングス」、、、、。
今聞いても新鮮だし、楽曲、演奏、エネルギー すべてが圧倒的なくらい素晴らしい。
そう言えば、シカゴってデビュー・アルバムから サードまではすべて2枚組ではなかったか。
そのころは、 まさにプログレッシヴ・ロックの時代。
初期シカゴは、一般的に”プログレ” とされるサウンドとは異なる音楽だが、真に進歩的、革新的な バンドだった。
政治色の濃い歌詞と姿勢は、昨今日本にあふれている甘ったれたpops、 ”過激っぽい”というデコレーションを
ほどこされた”実は騒がしいだけの軟弱ROCK" の対極にあるものだ。
初期シカゴの溢れ出るエネルギーはAREAに通ずるものがあると思う。

70年代後半から急速にAOR化してしまったシカゴ。
今のシカゴには、あまり面白みを感じないが、 数年前、佐橋くんの家に遊びにいった時、
「清水さん、これいいよ」とおもむろに だしてきた1969年のライヴCDもすごくよかった。
佐橋くんもシカゴ大好きなのだ。
みなさんも、もし初期シカゴを聞きのがしていたら、聞いてみたらどうでしょうか。
11月25日

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●イバラードの旅

今日、クリニックの待ち合い室に置く画集を買うため、 横浜ルミネ5Fの有隣堂に行った。
間もなく来日する ジェフ・ベックの新譜を4Fで買ってから。

そこで”イバラードの旅”という画集に目がとまり、何か惹き付けられるものを 感じ
中をパラパラと見て、その幻想的な作品に魅了されてしまい購入した。
作者は井上直久という方だ。 帰宅してからじっくりと味わい、更に気にいってしまった。

イバラードってなんなのだろう。
画集にはさまれていたチラシによると、井上さんには他にもイバラードを描いた作品が あるようなので、
こんど購入してみようと思っている。
”イバラードの旅” みなさんも書店で見つけてみてはいかがでしょうか。

そう言えば、アルバム「夢の丘」のジャケット写真も、有隣堂で写真集をパラパラ やっている時に
偶然見つけたのだった。 そして、さっそく出版社に電話してその写真家の連絡先をたずねたのだが、
なかなか 連絡がとれなくて、ジャケット決定のタイム・リミット近くにやっと許可がとれたのだった。
そして、そのやっと連絡がついた日の翌日から、その写真家の方はまた南米に数カ月間の撮影旅行に
行くところだったのだ。
「夢の丘」のジャケットは大変評判がよいが、実は危機一髪の産物なのである。
11月19日

この原稿を書いてから、インターネットで”イバラード”を検索しました。
イバラードって結構有名なんですね。
新たな世界が広がりそうです。

それと明日、11/21の読売新聞・夕刊にケンソーの記事が掲載される予定です。
大きな芸能事件があれば、飛ばされるかもしれませんが。
11月20日
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●文芸春秋のおすすめ

さて、現在発売中の文芸春秋は、なかなか面白いです。
週間文春ではなく、月刊誌の12月号です。
私も、この雑誌を買うことは珍しいのですが、新聞に載っていた 広告で”
立花隆、「捨てる!技術」を一刀両断する”という見出しを発見 、
「やっぱり立花さん、やってくれたか!」と嬉しくなり、翌朝購入しました。

私も「捨てる!技術」は数カ月前に発売と同時くらいに書店で購入しました。
何しろ私の部屋は、楽器と本とケンソーのマルチ・テープ(これが沢山あるのです) に侵食され
既に絶望的状況、ベランダ用の物置きを買い足しても、CDや書籍を クリニックの院長室や
レントゲン室のすみに移転させても、焼け石に水、 今年の春にはドッカーンという轟音とともに、
作りつけクローゼットの棚が 楽器の重みに耐えきれず、 壁からはがれて落っこちました。

というわけで「捨てる!技術」は、書店でそのタイトルを見た時「おおっ!」 と思ったのです。
読後、確かに著者の言うことは、まあある意味ではもっともで、参考になる部分もあり、
少し実践してみた部分もありました。しかし、何か「こいつ、きっと、スゲエ嫌な女なんだろうな」
と不快に思ったし、それ以上に私程度の頭の持ち主でさえ、あれえ?論理が破綻してねえか? と思う部分
、軽薄な考えだなあと感じる部分が多くみられました。

立花さんの文章を一気に読み、「やってくれましたね!さすがです。」とひざをたたいて喜び ました。痛快!
「カスみたいな本がベストセラーになることは決して珍しいことではないから、それはそれで よいのだが〜〜」
という導入あたりからくりひろげられる批判、そしてそこから発展して、
人間とは何かというテーマへとつなげる論法、それを裏付ける膨大にして冷徹な根拠、、、。
「捨てる!技術」の著者、辰巳渚とやらとの頭脳の違い、スケールの違いを見せつけた感じです。

「他人にとってはゴミかガラクタでしかないようなモノの中に、ひとりの人間の人格の 核をなすような
メモリーがあり〜〜〜」
「生命史の流れにおいても、人類史の流れにおいても、よきものを作ってきたのは、
常に ”捨てない派”だったということである。」 などなど、勇気がでることがたくさん記されている。
(しかし、現実には部屋はいっぱいだ)

という一方で、実は、最近の立花さんの本、自分の中でやや不協和音を生じていたのです。
何か、自然科学礼讃というかテクノロジーこそ大切なのだという感じがどうも。
まあ、でも立花さんの場合、文学や哲学も通過してきた上なので、私など、もちろん 反論できは
しないのだが、それでも「そうかなあ?」と感じることも多くなってきていた のです、最近の著書は。

そしたら、本日の新聞の広告に”立花隆の無知蒙昧を衝く”という本がのっていた。
京大名誉教授が書いたこの本、さっそく明日、探してみようと思ってます。

読書の秋、しかしもちろん音楽もたっぷり仕入れてます。
今はハーディーガーディ奏者、”Varentin Clastrier”,やサックス奏者”Michael Riessler”関連の
作品に大変興味を持っており、ケンソーの新たな展開にも影響を及ぼしそうです。
面白いですよ〜〜!ぜひ、みなさんも聴いてみてください。
あと、エンジニアの福島さんがMDにおとしてくれたSun Electric?というテクノのバンドも よかったです。
福島さんのおっしゃる通り、なぜか、どこか、初期ケンソーに似てるんですよね。

さて先日、読売新聞の取材を受けました。 担当されたN氏に掲載日を尋ねたところ、
「それは私も前日までわからない」とのことでした。 音楽誌とちがうのだなあと思いました。
N氏とは、大変楽しい時間をすごさせていただきました。
ジミー・ペイジより野呂○生のほうがギタリストとしては上だという一般認識がまかり通 る時代
(おかしな時代でした。”なんとなくクリスタル”っていう胸くそ悪くなる本や軽薄な文化が
もてはやされた絶望の時代) についての話題、忘れていたことをたくさん思いだしました。

そう言えば、11月売りのキーボード・マガジンで、ジュピター8について私の駄文が 掲載される模様。
11月14日

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●男と女のお話

さて、今日は男と女の話をしようか。

僕が公に恋愛の話をするなんて、今から約30年前、中学2年、ちょうどピンク・フロイドが 来日したころ、
”制発義男”というペンネームで、数々の名作短編を書いて以来かもしれない。
実は制発義男の存在は私自身が忘れていたんだけれど、数年前、実家の引っ越しにともない、
物置きにあった古い書類が大量に手に入った時に、詩やら散文やらが書き散らかされた中に、 「白い本」3册を発見。
「白い本」というのは、今も書店のレジの横とかに置かれていることも 多い、ハード・カバーのついた、
中に何にも書いて無い本のこと。つまり、自分で好きなことを書ける ようになっているものだ。
「おおっ!懐かしい」と思い中を読んでみると、懐かしいを通り越して、自分でも
「こいつ、おかしいんじゃ ねえか?!」と思うようなもの、家族にさえも見られたくないものが多くあり、
自分の暗い青春が吹き出すような「白い本」にしばし見入ってしまったのです。

中でも恋愛小説は、書いている制発自身が、恋愛したくてしょうがない年頃なもんで、
あきらかに興奮しながら書いており、自己陶酔のクライマックスを早く書きたいがために、
人物描写なし、複雑なプロットなしのチョー短編、要するに平凡な中学生の作文の域をでないもの。
いや、 今、平凡と言ってしまったが、う〜〜ん、これを平凡といっていいものだろうか。

「白い本」の中に糊でくっつけられて、いわば封印されたページがあったので、はがしてみると
いわゆるエッチなシーン(といっても、当然かわいいもんですけど、だって作者自身が 女の子との
交換日記で喜んでいるレベルですから)があったりして、
「ああ、こんなこと書いてしまった。親にみつかるとヤバイ」と思って、 封印したのかどうかは分からないが、
ともかく過去の自分に圧倒されました。
(本当に削除したいのならやぶって捨ててしまえばいいのに、糊で貼るとは、、、、。)

「僕はやっぱ、ロックを選択して正解だった。」 と、つくずく感じました。

あ、そうそう、男と女の話でしたね。
「男と女」っていう映画がありましたね。
映画っていえば、フェリーニって好きだなあ。
オザンナってやはりフェリーニの香りがするよね。
そういえば、オザンナの映像はおもしろかった! (入手の経緯は9月後半の文章参照)
あんなものが現存しているなんて驚きだし、いっしょに入っていた フォルムラ・トレの色々な時期の映像も
実に興味深いものだった。
フルートにワウつけてたんだな、あのオザンナの音。
昨日見た、ジェネシスの「サルマシスの泉」を始めとするレア・ビデオ、
そして遂に見た「ブロード・ウェイ」!!!感動したっす。
LA、progfestのCDコンベンションで、「秘匿性心象」と5:1トレードしたうちの 一本、
初期カンサスの演奏もよかったなあ。
「L」の頃の、スティーヴ・ヒレッジのライヴも感激した。
ユニオンで買った「AREA」!すごすぎる!
こういうビデオ見ていると、現在のプログレ系バンド(ケンソーも含めて)には 何かが足りない気がするなあ。
がんばろ!!
11月7日

追伸)明日、読売新聞の取材があります。いや、別に悪いことしたわけじゃなくて ケンソーについてですよ。
いつ掲載されるのかは、またお知らせします。
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●「謙遜愚素」リリースによせて

ライヴ・アルバム「謙遜愚素」がリリースされた。
先日のProgfest2000で、終演後瞬く間に売り切れたこの作品は KENSOに関わったすべての方々
ーもちろんファンの皆さんも含めてー への感謝の気持ちがいっぱいのメモリアルなアルバムです。
どうか、楽しんでください。
風の噂により、いくつかの誤解が聞こえてきているので、訂正させて いただきましょう。
選曲に関して、フレアークの「ソフィア」が収録されていないのは、 著作権の問題からではなく、
CD収録時間の限界と以下の事情とのかねあいからです。
志村さん参加の「リリース・ユアセルフ」も同様です。

佐橋くんはぶっつけ本番でしたし、志村さんは功労者ですがケンソーの正式メンバーでは ありません。
ふたりが多忙なスケジュールを調整して、25周年記念ライヴを盛りたててくれたことには、
本当に感謝していますが、CDとして世の中に出す、作品として残すという 視点でマスター・テープを
じっくり聞き込んでみて、純粋に音楽的に やはり何かが足りない感じがしたのです。
というわけで、おふたりには申し訳ないけれどカットさせてもらいました。
でも、将来、老後の楽しみとして、この日の映像をリリースすることに なったら、その時は必ず
このふたりの演奏を収めるでしょう。 映像的には、実に良い味出してるんですよね、ふたりとも。
いかにも楽しいイベントって感じで。
いやあ、実際、本当に楽しいライヴでしたよ。
山本の楽しそうな笑顔は語り草になるほどだったけれど、松元がオン・エアから 打ち上げ会場に歩いていく途中に
「kensoを辞めてから、プライヴェートで こんなに楽しかったことはなかったんじゃないかな」
と言っていたのも印象に残っています。 KENSOの代表作のひとつ「KENSO2」を力を合わせて作った仲間に
そんなふうに喜んでもらえて私も嬉しかったです。

一方、光田くんは「なかなか出番がまわってこないし、 気分をもっていくのが(演奏するために気持ちを
高揚させるのがというような意味だと思います) 大変だった」というようなことをライヴが終わった直後に
話してましたが、 この演奏を聞くと、やはり彼の出してくる音はKENSOの正式メンバーしてるんですよね。
特に彼のピアノは絶品ですね。本当に素晴らしい!

kensoみたいに、年に数回しか顔を合わせないようなバンドでも、 それがバンドとセッションの違い
かもしれないけれど、 何か通じ合うものがあるんですよね。
何なんだろ?
運命共同体としての覚悟や”愛バンド心”みたいなものが音にでるのかも。
そこがバンドの面白いところなんだろうけど。
そして、その面白さが「謙遜愚素」にはたくさんつまっています!!

白水さんのアート・ワークも細やかでとても気にいってます。 上田さんのライナーもとてもいいっす!
みなさん、感想、質問などあったら寄せてくださいね。
11月5日
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LAレポートはまだか! まだです。
LAの4泊6日の旅程は
1日目/夕方成田を出発〜その日の午後にLA着
2〜3日目/progfest2000
4日目/CDコンベンション、夕方から私は知人と観光
5日目の午前中LAを出発 6日目の夜に成田着 というものであった。

4日目、小口、村石、河野およびPAチームの秋山/田淵が 既に帰路についているころ、
私は知人にいわゆるLAの名所を案内して もらい単なる観光客と化していた。 私にとって印象深かったのは、
チャイニーズ・シアターその他の 有名観光地ではなく、フリーウェイ即ち道路そのものと移り行く景色と
リトル・トーキョウだった。
詳細は書かないがリトル・トーキョウのたたずまいと、私を案内してくださった 渡辺さん
(50代の方で、LAでビジネスを成功させた)の味わい深い解説、 そしてラーメン、、。

数年前、あまりのヴォリュームに負けて途中で挫折した山崎豊子さんの「二つの祖国」 が、
むしょうに読みたくなった。 そして帰国後、全三巻いっきょに読みました。 素晴らしい作品ですね。
リトル・トウキョウを実際にみたことも、読書中にイメージをふくらませるのに おおいに役立ちました。
渡辺さん、ありがとうございました。
皆さんにもおすすめします。山崎さんの小説はすごく面白いです。 すべて読んだわけではありませんが。

その後、しばらく柳美里の小説にはまって(柳についてはいつか小口との対談を展開しようかと思ってます。)
その流れで久しぶりにしばらく文学してました。
山崎さんのはいわゆる純文学ではないのかもしれないけれど、、、。
(これも、これはプログレだとかそうじゃないとかと同じく、不毛なジャンル分け かな?)

私が所謂”文学作品”から遠ざかるきっかけは、サン=テグジュペリの「人間の土地」 と「夜間飛行」が
あまりピンとこなかったからだった様に記憶してます。 これもまあ、おかしな理由なのですが、
「こんな一般的に傑作とされる作品に感動できないなんて きっと、俺は中年になって感受性が鈍ったに違いない。」
と思い、なんとなく がっかりして、かと言って書店に山積みになっているような難波弘之さん言うところの
”ハリウッド・プロット”(上手い!!)のエンターテインメントを読む気にもなれず、
というわけでしばらく自然科学関係やなんというか思想/哲学方面にいってました。
いくら”本が好き”といっても、音楽ほどのめり込んだわけじゃないし、自分じゃ書けないし、
自分の中に確固たるものがないのでしょうね、きっと。
音楽については、例えば「これぞ日本のロック史に残る傑作」とか賞賛されている ”トンデモ・ガキ・ロック”を
向学のためレンタル・ショップで借りて聞いても、 「わははは!これがロックかよ?
これが日本のロック史に残る傑作なの?笑わせるぜ。 片腹痛いわ。」と一蹴できるのに、、。

柳美里は「命」が流行ってますけど、もしこれから読んでみようかって方には、
「水辺のゆりかご」という自伝的作品をまず読まれることをおすすめします。
その後は「ゴールド・ラッシュ」「タイル」「女学生の友」「自殺」「家族シネマ」」 かな?
で、異例の論説集「仮面の国」を読むと、、。
小口も最初「仮面の国」を私に薦められるままに読んで、違和感を覚えたけれど、 「水辺のゆりかご」で、
”清水さんの言ってたこと、よくわかりましたよ。” と言ってたし、私も「水辺のゆりかご」でハマりました。
「仮面の国」は「東大・上野ナントカに喧嘩をならいにいく」と同じく、喧嘩的意味あい において強力で、
柳さんに文字喧嘩を習いにいきたいくらいです。 世の中、こてんぱんにやっつけたいほどバカな奴いますからね。
歯医者にもいるし、音楽関係者にもいるよ〜〜〜ん。

さて、最近読んだ本のなかでなかなか面白かったものを紹介します。
「宇宙からの帰還」立花隆:著  中公文庫  
1985年に発行された本ですが、これは予想外におもしろかった。
 立花氏にはアポロ13号(だったかな?)の奇跡の生還を扱った手に汗握る傑作がありますが、
「宇宙からの帰還」は、それとは趣を異にして宇宙開発のテクノロジー面でなく、
 宇宙飛行を体験した飛行士の  スピリチュアルな面での変化、新しい視点での環境問題、
宗教そして神の臨在などについて、  たいへんに興味深いインタヴューを繰り広げています。

 私は「エソプトロン」のブックレットに北海道、大沼に滞在した時の湖畔での
 スピリチュアルな出来事について書きました。あれを読んだある友人が  
「あれ、ホントなの?」と、まあ疑っていたわけですが、この本を読んでいただければ、
 そういうことはあるのだという理解の助けになると思います。  その人にそれが起こるかは別 として。
 読後、ユングの集合的無意識の理解についても少し深まった気がします。

「これからの日本」河合隼雄:著  潮出版社
私は河合先生のファンで、職業的/専門的な著作以外は乱読しています。
でも、最近少し興味が他へ移っていたせいもあり、「これからの日本」で、 ひさしぶりにその卓抜した思考と
実に趣きのある語り口に触れ、充実した時間をすごすと 同時に、多くのことを勉強させてもらいました。
これは、皆さんにもぜひお勧めいたします。 私の読書メモとして少し引用します。(読書ノートの代わりとして)
「近代医学の発展により、人間は神仏抜きで幸福な生活ができるようになっただろうか。
なかなか簡単にそうならないところが人間というものの特徴である。」
「近代科学は”私”という存在と現象を切り離して研究してきただが、前述した問題は すべて
”私”という一人称にとっての問題である。」
「アイヌの人生観・世界観の豊饒さ」
ロナルド・レーガンもと大統領の娘さんが書いている「娘を愛せなかった大統領へ」という本 についての記述。
日本の物語りと西洋のそれを比較して「しかし、日本のはそうではなくて、倫理的な是非よりは、 最後がいかに美しいか
ということなのです。」
「なぜ、日本の物語りは悲しいのか」
「異類婚からみる自然観」
「聖なるもの」ルドルフ・オットー著 岩波文庫の紹介。
「つまり、日本人の倫理観というのは、自分と他人との”関係”の中に設定されているんですね。
 〜中略〜ある意味で臨機応変な倫理観なんです。ところが、アメリカ人の倫理観というのは、
あくまでも自分の内面にあるんですね。」
「より厳しい倫理観を持っているはずのアメリカ人のほうが、なぜ、倫理に反する犯罪に走ることが 多いのでしょう?」
「では、日本人は欧米人に比べて宗教心に乏しいのかというと、けっしてそうではないんですね。」
仏教的な考えに触れて(清水・註) 「この”もったいない”という意識こそ、
日本人にとっては非常に重要なモラルなのではないかと 思うようになりました。
”もったいない”は正確に英語に置き換えることができない言葉だと思います。」
「”私”という固定的な実体はないけれども、すべての人、すべての物との関係の中に、”私”は存在 する」
「最近”自己実現”という流行り言葉(それもやや浅薄に使われています)がありますが、
あれは 西洋的・欧米的ですね。”私なんてない”という仏教的な考えからは、”自己実現”なんて言葉は 出てこないでしょう。」
「ところが、日本の場合、キリスト教的な考えの土壌がないところに、いきなり個人主義が輸入されて しまった。
だから、日本の個人主義は、じつは元の個人主義とは根っこの部分で違っているんですね。
神との結びつきという前提を欠いた、いわばいびつな個人主義。それが定着してきたことが、
日本人が本来持っていた倫理観を、少しずつ崩壊させつつあります。」
「我々が物の豊かさと引き換えに失ったものは、じつはすごく大きいと思います。」
「人間は自然科学の恩恵でものすごく豊かになった。それはたしかですね。でも、そのせいで、
私たちは自然科学流の分析知をあまりにも過大評価してしまった気がします。
分析知だけでうまくいく と勘違いしている人が、非常に多いんですね。」
以上、個人的なメモも含めて引用しました。

以前にもどこかで書いたことがあるが、kensoの音楽を変拍子とかポリリズムとか、
プログレがどうたら こうたらとかのキーワードで語るのは、もちろんリスナーの自由である。
新聞紙上などで昨今の若者の 投稿などを読んでいて、
「それがどうしたの?世の中、そんなに難しく考えることないじゃん」的考え に触れても
まあ昔からそういう人はいたなと思うだけだし、小学校の歯科校医の任務を通して、
おそらく日本のロック・ミュージシャンとしては、かなり今のこども事情には詳しいほうだと思うが、
そこから類推するに、「音楽なんて楽しけりゃいいじゃん」というkensoファンが増えることについては
別に何も思わない。
しかし、kensoの主宰者でありメイン・コンポーザーである私が、何を考え、何に感動しているか を知ることは、
kensoの音楽を深く楽しむうえでぜったいに役立つはずだ。
kensoはインストだから、歌詞というものから私の思考を推測することはできない。
しかし、kensoはBGMプログレではないのだ。
「噪の悲哀」という曲のほとんどは3つのコードで作られている。
これは、kensoの曲としては異例である。
小口でさえ当初「清水さん、どうしちゃったのかな」と思ったらしい。
では、どうしてこれが「噪の悲哀」なのか?考えたことありますか。

ESの曲で「考えるな、感じるんだ」というのがあったように記憶している。
小口に反旗を翻すつもりは毛頭ないが「感じてばかりいないで、少しは考えろ!」と言いたい。
もっと楽しむために。 (小口くん誤解しないでね。キミのこと言ってるわけじゃないのよ)

もちろん感じるだけでも結構ですけどね。
レーベルの経営者としては「謙遜愚素」が売れてくれれば 次のアルバムのレコーディング費用が助かるし。

 サンリオ・ピューロランドでキティちゃんやポムポムプリンらと過ごした日の終わりに、
BGMとしてSteve Kuhn「ECSTASY」を聞きながら。      11月2日
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前回の[N氏と日本語の乱れについて話した件]について ケンソー英語部部長の上田さんより以下のメールをいただきました。
リハーサル・ライヴに行かれたかたは上田さんの雰囲気がお分かりに なることでしょう。
上田さんは、ケンソー・イングリッシュ・HPの制作、 progfestでの通訳、CD「謙遜愚素」のライナー・ノーツなどなど、
今のケンソーに無くてはならない存在であり、私のブレインのひとりです。

ホームページを拝見してつい笑ってしまいました。 たしかに昨今の言葉の乱れは嘆かわしいことです。
それも公共の場においてそれがまかり通るのを 見聞きするにつれ、スプレーペイントとポータブル アンプとで
テロリズム的活動に走ろうかとまで思ってしまう 次第です。 電車に乗れば「ご乗車できません」などと失敬な
アナウンスが 響き渡り、改札付近の大看板には「一ヶ月から借りれる」 と、ろれつの回らぬ ような文句が大書
してあり、またレストラン、 喫茶店の類ではご指摘のような有様なわけですから、 なんとも心休まらざること
甚だしい次第です。
それで致し方 なくディスクマンと文庫本で防御することになるのですが、 思い出すのはウォークマンがはやり出したころ、
新聞の 投稿欄などに最近の若者は電車やバスに乗っているその 少しの間が持たないほど考えに乏しいのか、といった
年配の 方の意見がよく見られた事です。
それに対し、なるほどと感心 したのは、たしかこれは雑誌のコラムか何かだったように思い ますが、
屋外でヘッドホンをしているのは音楽を聴くためと いうよりもむしろ自分にとって好ましくない音を聞かないよう に
するための自衛的手段なのである、といった趣旨の文章 でした。ウォークマンが発売されて25年経った現在、
しばしば 外的刺激や情報に抑圧感さえ覚える環境にあって自分の 周りに自発的に選択した音を纏うということが、
ともすると 拡散してしまいそうな自我を手中に留める数少ない方法の 一つとなっているようにも思えます。
そう考えるといわゆる 「癒しの音」、「ヒーリング・ミュージック」なるものの流行が 頷けるものであるように思えます。
ただしこれも、他者に 癒しを求めるという気持ちが見え隠れして私にはどうも 素直に受け取り難いものなのですが。

「楽しみというより、私はプログレッシヴ・ロックを必要と していたのだと思う。」という清水さんのコラムを読んで
確かにそれは今でもそうである、と感じた次第です。 長文失礼しました。

上田

p.s.藤田まこと、渡辺篤郎主演の「剣客商売」、実によい出来です。 なにしろ殺陣が良いし、筋にけれん味がなく、
また展開も道理 に適っていて、かつ時代考証的にもあまり外れたところがないの が安心感を与えます。
ただし毎回、必ず役者の中に「勉強中」の人 が出てくるところが画竜点睛を欠く形になっていて、それもまた
緊張を和らげる効果になっているのやも知れません。 (ケーブルテレビ「時代劇専門チャンネル」にて放送中」です。)

(註)私、清水は時代劇には興味ありませんが、以前のメールのやりとの中で、ある女性ダイコン役者に話がおよんだことがあり、   
このp.s.は、その流れと思われます。
さて、そろそろCD「謙遜愚素」が発売です。
ファンの皆さんが「魂の演奏」と評してくださった「さよならプログレ」も 山本治彦と村石雅行の激突ドラム・バトルつきの
「Good days bad days」も もちろん収録!! みなさん、ぜひ買ってくださいね。 11月1日
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●歯医者とミュージシャン
LA、progfest2000で初日にオオウケした翌日、そうそうバンコの ステージが始まる直前であった。
後ろの席から、「Yoshi!ケンソーの メンバーの歯は無料で治してあげるのか?」という質問があった。
「メンバーだけでなく、ミュージシャンは基本的にタダだ。しかし、 気に入らない奴からはガッポリもらう。」と無責任に答えた。

というわけで、確かに私のクリニックにはミュージシャンの患者が 多い。ケンソーのメンバーの繋がりもあるが、私のところに
「清水せんせい、またヒトリ歯で悩んでいるミュージシャンをお願い したい。」という謎めいた電話とともに、次々と患者を送り込んで
くれる ”患者紹介シンジケート”のドンは、かの有名なキーボード奏者N氏である。
N氏の紹介による”六本木を歩いていて、喧嘩売ったら逆に殴られて 前歯を折った”ドラマーは元気でやっているだろうか。
あの、ギタリストは 奥歯が治って、強く噛み締められるようになったろうから、きっと テンションの高いギター・ソロを弾いているで
あろう。世界的に有名な ピアニストの某氏はまたホールズワースやディメオラと共演するのだろうか。 私が治した歯で、
彼等と話すのかな? などなど、やはり個性豊かな人と関わるのは実に楽しい。

先日、よくこのコラムにも登場する大谷レイブンの治療がひとまず終了した。 彼にはいつも午前中の最後の時間に予約をとってもらい、
その日の治療が終わると、 昼休みのかなりの時間を費やして音楽談義をした。お互いが秘蔵している ビデオを交換したりすることもあり、とても楽しい時間であった。 それだけに、なんかやや気持ちの悪い表現かもしれないが、
「ああ、レイブン。もう当分会えないのね。私、この先、誰とロック・ギター の話をすればいいの?」などと思ったりしている。

さて、昨日は”患者紹介シンジケート”のドン、N氏が歯のメインテナンスの ために来院され、焼肉を食べながら(ごちそうさまでした) 昨今の日本語の乱れ、日本文化や日本人の行く末などについて、「憂国の二士」 と化して話しあった。
私がかねてから疑問に思っていたファースト・フード系 のレジなどで聞かれる「1000円からおあずかりします。」という奇妙な日本語に ついてもN氏より明確な説明が得られた。作家でもあるN氏の日本語についての 造詣の深さに感服しつつ会話がはずんだ。

N氏は音大の講師もされているが、 ある時講師が集まって食事をしてる席(だったと思う)に学生がやって来た時の話。
「先生たち、ここにいたんですか。みんな(生徒のこと)はあっちに いらっしゃいますよ。」などという日本語がまかり通 っているのだとおっしゃって いた。まあ、確かに敬語は難しいし、私にしたところで誤った使い方を多く してることだろうとは思うのだが、
それにしても!と感じることがある。 おっ、サラダだ。

「こちらキノコ・サラダとなってます。こちら、このソースのほう、かけて お食べください。」
「こちらウーロン茶のほうになりま〜す。」

 ナニゲな会話の中でチョームカツク関係?(語尾あげ)の話とかになり、
「それでですねNさん、そいつが舌の根の乾かぬうちにこう言うんですよ。」 と私が言ったところ
「おお!”舌の根が乾かぬうちに”なんて表現、きっと 分からない若者たくさんいますよ。どうですか、ケンソーの
次のアルバム・タイトル ”舌の根の乾かぬうちに”というのは。」という話題がもちあがり、話はロック方向へ 移ったのです、ベンベン。(このベンベンも、ワッかるかなあ、ワカンネエだろうな)

今の若者は我々の世代と異なり、ロック・ミュージックにライフ・スタイルまで 影響されることは少ないのではないかという話もした。
我々ももう40代で、老後というのは近未来になっている。将来の老人ホームでは、 演歌ではなく、みんなロックとかフォークを合唱するのではないか、という話題も でた。
もし、アメリカン・ロック愛好の老人ばかりのホームに厚見レイ氏が入って しまった場合、孤独回避とブリティッシュ・ロックへの忠誠のどちらをとるのだろう?
10月27日

追記‥N氏のアルバム、8?作品がまもなく再発されるとのこと。    「アクア・プラネット」いい音で聞いてみたいざんす。
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大学時代「清水は友だち少ない」と、よく言われた。 実際、少なかったと思う。
「友だち少ない」という表現に、 どのような意味が込められていたかと想像すると、まあ当たり前 のことだが、”暗い””協調性がない” ”独自の価値観にこだわりすぎる”などなど。 そして当時はまだ歯医者の黄金時代の末期であったので、歯医者の 御子息さまが多く通 っていた私立歯科大にあっては”金を持っていない” ことも「友だち少ない」理由に含まれていたと断言できる。
べつに今さら 断言しなくてもよいが、神奈川歯科大の学生駐車場には軽薄を絵に書いたような スーパー・カーが並んでいた。(ように記憶している。) いや、失言。車が軽薄なのではないね、問題はドライヴァー。オトーサマに買って もらった車に乗ってニヤつく空虚な頭のひとびと。 即物的価値観。抽象的思考の欠如。狭窄した世界観。
もちろん私自身も世の中のことなんて何も知らないガキでした。

以前歯科医師会の飲み会で国立歯科大卒のドクター に「確かに当時はスーパー・カー・ブームだったけど、みんな自転車しか 持ってなかったよ。電話が下宿にあるやつは尊敬されてた。」と聞いたことが ある。もちろん私立と国立で画一的にどうこういえることではないが、 あの空気、どうもなじめなかった。 私の場合、家庭にもなじめなかったし、大学にもなじめなかった。 それが音楽へ、いやロックへ向かうエネルギー源となった。 キング・クリムゾンにもっとも溺れたのもあの頃だった。 楽しみというより、私はプログレッシヴ・ロックを必要としていたのだと思う。 そして私の居場所は、KENSOのファーストからサードまでを録音した 軽音楽部の部室のみだった。

そう言えば、併設された歯科衛生士や養護教諭を要請する短大には、もちろん そうした自立したキャリアを身につけようと思っている真面 目な女性も たくさんいたが、いわゆる”玉の輿”に乗ることを第一目的とした 綺麗なネーチャンもゴロゴロしていたのである。(20年以上も前の話です。)
「こんどの衛生短大1年に、アンアンのモデルが入った!」などという話が たくさんあったのである。 ウソダ!!女性蔑視だ!!と思われるかた、いらっしゃいますか? いませんよね。だって、ホントなんだもん。 ひっかかった奴、知ってるもん。
でもさあ、一生玉の輿だと思って結婚して、まあこういう時代になって、 価値観をシフトさせないとね、やってけないでしょ。キレイな顔とスタイルだって あれから20年もたてばね、「いつものお化粧プラス、イミディーンよ」なんて CMに賭けているのかな、なんて思うとやはり浅はかな考えというのはね、、。
今となってはどっちがひっかかったのかな、って感じ?(語尾あげ) もある?(語尾あげ)
まあ、心もきれいならきっと幸せになっていることでしょう。

大幅に話がずれてしまったけれど、「今、私は決して友だち少なくないなあ」 ということを、ふとさっき考えたのです。というより、むしろ多いよ、友だち。 私は”会社の同僚”というのを持ったことがないので、それが友だちになりうるのか ということは良く分からないが、ああそうか、歯科医師会に友だちがいるかって ことに近いのかな。いないな。ふだん、仕事以外の話をしたり、連れ立ってどこかへ 遊びにいくっていうのはいないわ。あっ、いるか。私の愛器ポール・リード・スミスの もとの持ち主のN先生。またクリスマス・コンサートでサ座ンとかチュー武とか 弾かされるのかなあ。でも、この前のサマー・コンサートの練習中に私 「こんな、つまらない曲ばかりやらされるのなら、ギャラをください」ってキレて、 本当にもらっちゃったから、もう清水にたのむのはやめようってなってるかも。 それにしても皆さん、その今年6月のサマー・コンサート、オープニングのSEは サウンド・スケープですよ。もちろん私の選択です。だからオープニングに関しては、 先日のクリムゾン公演と同じ雰囲気。でも、それに続くのが”RED”か中山美穂の ”世界中の誰よりもきっと”かの違い、、。
でも、このコンサート、なんと山本治彦が アンコールで飛び入りし、実は結構楽しかったです。

おっと、友だちの話だった。他には、、、。 ああ、これは友だちというより尊敬するk先生、k先生は 「清水くんは、私の数少ない談親の友です。」といってくださっているから、 友だちということにさせていただこう。
K先生から課せられている本、 早く読まないと。

いっしょにどこかへ遊びに行くっていうのを友だちの定義にしてしまうって いうのも短絡的か。あまり、盛り上がらない話だったね。ごめん。 でも、友だちは大切です。 人と人とのかかわり、さまざまな感化を経験して人間は成長していくのです。 10月23日

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◎LAへの道程・その1
さて、LAレポートを始める前に、リハ・ライヴに触れておこう。
結果的にあの企画は成功だった。 ケイゾーくんを入れての練習はあのリハ・ライヴ前にはたった2回! だから、当然リハ・ライヴでの演奏はボロボロだろうなと思っていた。 そしてボロボロだったとしても、それでバンドに緊張感が生まれれば いいやと考えていた。事実、翌日のリハーサルはここ数年で最も充実 していたと思う。メンバー5人が前日の演奏の問題点を出し、改善策を 練った。後がなかった。この後のリハーサルは日本を出発する前日の夜に 短時間あわせるのみ。ともかく、ケンソー史上忘れられないリハーサルだった。 このバンドの底知れぬパワーに身震いしてしまうような、最高の時間。 「月夜舟行」「月の位 相2」ほか、ショー全体の流れを考えアレンジを変更 した曲もあり、これもいい結果をうんだのではないか。ともかく、 あのリハ・ライヴでメンバー全員に「ヤバイな」という気持ちが起きたことが、 progfestの成功へつながったと思う。
  さて、リハ・ライヴ当日、聴衆の皆さんからいただいた質問で時間の関係で、 質問コーナーで答えられなかったものについて、私の分かる範囲でお答え しておこう。
●「謀反の年」「日記」「精武門」をレコーディングする予定は、あります。もし次のアルバム・カラーに合わなければ、いつになるか分かりませんが。
●「イン・コンサート」は私としてはリリースするつもりはありません。
●私が影響を受けたミュージシャンは多すぎて、とても書ききれませんが、 とりあえずロック・フィールドに限定し、しかも私がティーン・エイジャーだった ころのもの、つまり私のベーシックな部分を形成してくれたものを列挙すると。 ビートルズ、R・ストーンズ、L・ゼペリン、B・サバス、D・パープル、テンペスト、 U・ヒープ、E・ジョン、シカゴ、k・クリムゾン、ジェフ・ベック、クリーム、 E・クラプトン、CCR、GFR、P・フロイド、J・ヘンドリクス、クイーン、イエス、 エアロスミス、ロキシー・ミュージック、T-レックス、フェイセス、WBアッシュ、 フラワー・トラヴェリン・バンド、マウンテン、サンタナ、ジェネシス、キャメル、 まだまだある気がしますが、こんなところです。
あなたのお好きなスティーヴ・モーズはいいギタリストですよね。ただ、私は、 彼のハード・ロック的プレイでは無いもののほうが好きですが。
●今のプログレに興味がないと言った私が、どのような気持ちでprogfestへの 出演を決意したのかという御質問。 私はプログレは過去の音楽だと言ったように思いますが。 どうして決意したかは、主催者の熱意、メンバーの希望、バンコとの共演などなど 多くの理由からです。プログレ云々ということには関心がありません。
●次のスタジオ・アルバムについてはなるべく早くとは思ってますが、、。 progfest関係のリリースが落ち着き次第、曲作りに入りたいと思います。
●私のアンプおよびエフェクターについての御質問。 国内ではメサ/ブギーのクゥアド・プリアンプを使ってますが、LAでは他のバンドとの かねあい及びレンタル屋で見つけやすいということでメサ・ブギーのRectifier?という アンプを使いました。リハ・ライヴで使っていたやつです。いいアンプでした。欲しい! 歪み系は志村さん推薦のexpandraの古いヴァージョンのものを普段はひとつ使ってますが、 LAでは2つ直列につないで、音色のヴァリエーションを増やしました。WOWはvoxのを 志村さんに改造してもらってます。LAにはラックを持っていけなかったので、LINE6の フット式ディレイを持っていきました。今後は大谷レイブン氏にもらった歪み系エフェクター を研究してみようと思ってます。ちなみにexpandraの前のヴァージョンは4つ持ってます。
●光田くんがクビか?という御質問。もちろん NO!です。次のアルバムでは健ちゃんにガンガン、ピアノを弾いてもらうつもりです。 25THライヴで、あらためて彼のリズムのキレに驚かされました。「謙遜愚素」に 収録されてます。 LAで、熱心な外人ファンから「最近、光田のクレジットが無いものが多いが、彼は 死んだのか?」という質問があったそうです。おお!縁起でもない。でも、それだけ 光田の存在が大きいということです。

10月13日
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うーっ、忙しい!なぜこんなに忙しいのだ。毎朝、診療所に通 う道沿いにあるパチンコ屋 の前に並ぶ”開店を待つ人々”を「暇そうでいいな。一日いくら稼ぐのか知らないけど、 私に時間を売ってほしいよ、まったく」と思いつつ横目で見ながら
通り過ぎている。 まあ、本当にあの”開店を待つ人々”が暇なのかどうかは勿論分からないが。
しかし、異常な忙しさもひと段落し、ここ3、4日は6時間睡眠が可能なスケジュール。 今日は休診日だったので、
早朝、まず歯科医師会の広報誌から依頼されていた「LAライヴ・ レポート」をかたずけ、こどもを学校におくって行き、
顧問税理士のところへ書類を届け、 妻の用事につきあい、昼食後こどもを某駅まで迎えに行き、帰宅後、読書をしながら
子どもの ピアノの練習をみてあげ、算数の宿題もチェックし、フーッ、やっと静かな時間。
そろそろ、HPも更新しないとなとやっているのです。 しかし、本当はこんなことやっている時間に新曲を書きたい。だから、近況報告のみにする。 今年末か来年頭にフランスのMUSEAよりprogfest2000のオムニバス・ビデオ及びCD がリリースされる。現在はその選曲作業をしている。オムニバスには20〜30分セレクト してくれと言われている。
MUSEA版とは別にPATHOGRAPHでは、ケンソーの90分の ステージをほぼ全曲おさめたビデオかCDをリリースしようと思っている。 映像はケンソー初の4カメによる映像(MUSEAが撮ったもの)に加え、我々のフタッフが 最前列で撮ったもの、ファンが客席で撮ったものを編集し、オフ・ステージの映像も混ぜる つもりである。リリースはかなり先になると思われる
ので、まずは「謙遜愚素」を買って 聞いてほしい。
ところで、 今月売りのキーボード・マガジンに、我らが誇る変人(いや冗談ですよ冗談)、小口健一くんが 登場。
ぜひ見てください。カラー・ページでCDつきらしい。
10/12

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●9月23日の出来事

 さて、HPの運営という重責がのしかかりつつ、しかし旧マネージャー野崎の検閲が 入らないため、書きたい放題になるであろうこのThe battle of evermore、 ますます清水の発言のファンを増やすか、それとも反感をもたれて、「なんやねん、 あいつ、ケンソーの音楽は好きやねんけど、清水の話は嫌いや」と、ついには コンサートの動員にも影響を及ぼすか。でも、私が質の高い音楽を追求し続け、 ケンソーのライヴでしか体験できない”あの感じ”を失うことがなければ、 その人も、結局ケンソーのライヴに足を運ぶであろう。 ファンの存在は大切だし、今回LAのライヴで痛感したけれど(よく外国のライヴ・アルバム に”偉大なる聴衆へ”とかいうのがある意味がわかったぜ)特にライヴにおいては 聴衆のパワーをもらう部分は大きいとは思う。 しかし、だからと言って、ファンに媚びる、御機嫌をうかがう、HPで営業戦略的に 親しく語りかけるなんてマネ、私はしたくないね。あ、そんなこと分かっているか。 では、文責・清水ヴァージョンのThe battle of evermore、始めましょうか。  

 みんなLAでのprogfest2000のレポートや珍道中記を期待していると思うけど、 そして書きたいことがたくさんあるけど、”今、この時間”はそれについて書く意欲が 湧かないので書かないよん。 とりあえず、ここにアクセスして外人の書いたレポートでも読んでくれや。 来月更新分には私と三枝のインタヴューも掲載されるらしい。

  さて、本日の内容は、9月23日の私の日記である。 LAの後、とにかく仕事が忙しく、またLAでのビデオをメンバーやスタッフのために ダビングしなくてはならず(こんなことまでリーダーの私がやるのです) フーフー言いながらすごしているが、23日は久しぶりに休める休日であり、 かねてから楽しみにしていた”CD買い散財ツアー”に出発、その後、私の大好きな 日本では数少ない本物のロック・ギタリスト、大谷レイブンに誘われて彼や旧友key 石黒彰がバックを務めるキースエマーソンのライヴ・イヴェントに行くという心踊る 予定をたてた。もちろん、午前中はこどもと人生ゲームをして人生の厳しさを教え、 時として人生の厳しさを教えられ、その後小雨がぱらつく中、公園にて犬と三つどもえとなり、 来るべき運動会にむけて徒競走のリハ、いや練習をした。 県立相模原高校時代「ロッカーの俺が、運動会なんて出るかバカ、チャンチャラオカシイわい」と、 実はただ単に足が遅いというのを他人に知られたくないという虚勢だったのだけど、 3年間体育祭を全欠席した私がこどもといっしょに徒競走の練習なんて隔世の感がある。

  私は酒を飲まないので行きつけの店というのはないのだが、行きつけのCDショップはもちろんある。 D・U横浜店のI氏にはいつもお世話になってます。D・U横浜店は実は神奈川県歯科医師会本館の 近くという絶好の地にある。まあ、絶好と思っているのは神奈川県歯科医師会会員のうち私くらい だろうが。研修会や会議がある時は必ずといっていいくらいD・Uに立ち寄って「2階だけ見よう」 のつもりが結局3階のJAZZのフロアも見てしまい、歯科医師会には遅刻と、まあここだけの話 そういうことなのです。そして、私が東京方面に用事がある時必ず寄ろうと思うのが目白のW・D。 ここにはN君といういわば私の参謀のひとりがいて、手ぐすねひいて私に面白い音楽を紹介してくれる。 学生時代と違って、多忙のため、面白い音楽を探す時間のない私にとって彼の存在は本当にありがたい。 今日も、3日前”保育園の歯科検診”でいただいた、いわばバイト代をつぎこんで、買ってきました。 買ったCDのリストは最後に記すつもりだが、とにかく新しい音楽に接する楽しみは、今も昔も変わらない。 実は今も、本日買ってきたうちの一枚、ベトナムのギタリストのアルバムを聞きながら書いているんだけど、 イイスネエ、コレ!以前やはりN君に勧められて買ったこのギタリストの2枚も素晴らしくて、大谷くんにも 紹介して彼もすごく気に入っていたんだけど、、、、、いいわコレ。みなさんも、フツーのCDショップに 積み上げられているアルバム聞いて「つまらねえ!」と嘆いてないで、どんどんコアな店へ足を運ぼう。 日本の普通のショップに積み上げられている凡庸なアルバムなんて、聞くだけ人生の浪費である。

  さて、目白から原宿クエスト・ホールへ。コルグのイヴェントの一部として、エマーソンが出たのであるが、 その内容については述べない。ただ、大谷くんのギターが相変わらずいい音してた。彼の使用している ディストーションと同じものを彼の紹介で特注してもらったのだけど、(LA関係が忙しくてまだ音出して ない。ごめんね)まあ、E・ギターの音って、エフェクターだけでどうにかなるものじゃないからね。 大谷くんのような音がそう簡単に出せるとは思わないけど、でも、本当に良い音、いいプレイだった。 うちに歯の治療に来る時の大谷くんとは別人のよう、やはり本物のロッカーはステージが映える。

  さて、その会場で友人のTVプロデューサーM氏が来るのを待っていた時に私に近づいてくる怪しげな人物。
「あ、Uだ!」と思う間もなく彼はうっすらとした笑みさえ浮かべながら、「ケンソーの清水さんですね。 どうぞコレ」と白い粉、おっと違った!白いビニール袋につつまれた禍々しき物体を私に手渡した。 中身は見なくても想像できた。ビデオである。今までも彼はどこからともなくやって来て唐突に、 そういった物を私に無理矢理見せるのである。「いや〜ん、やめて!」とは思わない。なぜなら彼がくれる その手のビデオには本当に興奮させられるからである。ビデオというと、みなさんはすぐいかがわしい裏ooo などを連想されるかもしれないが、まあたしかに彼がいつも私にくれるのもいかがわしいといえばいかがわしい のではあるが、、、、、とにかく上物でっせ、ダンナ。

私はコンビニの袋のような安物の袋を「おい、こんなところでなんだよキミい」といった威厳をもった態度を 失わないように気をつけつつつ、パリパリいわせながら開けて、中を見た。ラベルに”osanna”の文字が見えた! 「オ、オ、オザンナって、まさか70年代の!?」”当〜然”と言わんばかりのU氏の表情。 コルグのイヴェントは途中で失礼し、M氏の自宅へ向かった。TVの音楽番組プロデューサーという仕事がら、 秘蔵映像には慣れっこのはずのM氏も”osanna”の文字を見せると、明らかに興奮していた。40歳すぎたオヤジ ふたりが興奮しながら奥さんが出かけた密室でなにをしたか!!聞かないでエ!        

ビデオを見たのである。

 まず、M氏がニヤニヤしながらosannaの前座として、ここではとても書けないような秘蔵モノを続々と披露。 「えええええええっ!!!!これすごお〜〜〜〜い」と1時間ほど盛り上がったあと、「じゃ、そろそろ清水さん、 いきますか、osanna」「いきましょうか」というわけで上記のビニール袋からビデオをとりだして松、いやM氏 に(あぶねえ、あぶねえ)に手渡した。「あれ、清水さん、これ頭に巻き戻してないよ。途中だよ。」 「えっ、本当?ダビングしたまま、巻き戻しするの忘れたのかなあ。」「あ、わかった。ここから見ろってことかも」 「ああ、そうかもね。osanna以外のバンド名も書いてあるし、きっとここからosannaが始まるんだよ」 「おお!気がきくね。よし、いくよ、清水さん」 リモコンの再生ボタンを押すM氏。

  画面にあらわれたのは「銭形平次」の4文字!!!!!!
  そしてちょんまげを結った人々。
  PFMに「通りすぎる人々」という名曲があるが、まったく無関係の もちろんosannaとも無関係の江戸時代の人々。

「あれえ?」「もしかして、テレビ録画で使い古したテープにダビングしたのかも」(内心、Uもけちくさいなあ、 ビデオテープくらい新品使えよ)「そうだな、じゃ、巻き戻して頭から見てみるか」 巻き戻すM氏、
そして時は来たりて、Your time gonna come.
頭にもどり、再生に入った。
息を飲んでTVモニターを見つめる発情したふたり。

そこに写し出された映像は、かつてのプログレおたく、今は単なるロック.オヤジふたりの想像だにしていなかった ものであった。
H.P.ラヴクラフト作「超時間の影(時間からの影)」の衝撃的なエンディングの一文をも凌駕するもの。

そこに映し出されたものは、そのテレビの画面に映っていたのは、、、
映画「座頭市」だったのである。故勝新太郎であったのである。

呆然とする私&M氏、「思いっきり、落としてくれたね。」とM氏がポツリ。
「ねえ、銭形平次の後に入ってないかなあ」と空しく、私。
怒りを押し殺したように「入っているわけねえだろ」とM氏。

それから、5分もしないうちに私はM氏の車の中にいた。 車内にはジェスロ・タルの新譜が流れていた。 どちらからともなく言った。
「タルっていいよね。」                             
 
9月24日記

清水義央

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ケンソーLA公演レビュー

http://www.dabelly.comにプログフェストでのケンソーについてレビュー掲載中。

 



●ケンソー・ファンの皆さん、お久しぶりです。

我々は“日本が世界に誇るプログレ・バンド”という看板を背負い、悲愴感さえ漂わせて、去る8月31日に成田を出発、LAで開催されたPROGFEST2000に出演、人種の坩堝アメリカの聴衆を日本以上の興奮の渦に巻き込みました。LAツアーに参加された方も、日本国内で成功を祈願してくれた方も、応援ありがとうございました。そして日頃から私の言動をこころよく思わず、ひそかに玉 砕を期待していた方、残念でした。

くわしくは、いずれ”KENSO LA 道中記”を書こうと思っていますが、海の向こうにあんなにも熱心なファンがいるとは思ってなかったし、あの日初めてケンソーを聴いて、感動してファンになったひとも少なく無いようでどちらも大変嬉しかった。ケンソーのコピーをやっているという人から“さよならプログレ”の収録された自分のバンドのCDをもらったのも嬉しかったなあ。ブラジルのTempus Fugitのドラマーがケンソーの大ファンで、彼の口(くち)ケンソー、くち村石も笑わせてくれた。ありがとう!!

オープニング、“GIPS”“空に光る”というメドレーが終わったあとの、場内総立ちの大歓声は今も忘れられない。結局各曲ごとにstanding ovationで、時として、拍手と歓声がなりやまず、しばらくMCができないほどであった。実をいうと開演までは、あれだけ念をおしたレンタル機材がヴァージョン違いのものが届いていて使えなかったり、サウンド・チェックの後、ハイ・ハット・スタンド(?)のレスポンスが悪いということで(多分)、村石くんは自分でどこかの楽器屋まで行って、スタンドをレンタルしてきたり、その他トラブル続出で、いささかブルーになってしまった。また「この野郎!なめやがって!」とキレそうな扱いも受けた。しかし、終わってみれば、私たちにとってみればやや不本意で荒い演奏だったとしても、聴衆は熱狂、終演後は日本から持っていった「25周年記念ライヴ」のCDは即完売、ビデオ「秘匿性心象」も高価にもかかわらず残些少となった。(結局ヴィデオも売り切れ)Museaのブースでも「In the West」「esoptoron」がやはりsold out! incredible, amazing, perfect, KENSO stole the show!などと、多くの聴衆が賞賛してくれた。やったぜい!
ホテルで会ったツアー参加者の方々から「すばらしい演奏でした」といわれたのも嬉しかった。日本のためにもオジサンがんばりました。ありがとう!! そうそう、娘にまでディズニー・ランドのお土産、ありがとうございました。

そう言えば会場へ向かうvanの中で野崎洋子が「清水さん、あんまりヒドイ状況だったら、出演拒否してもいいですからね」と言っていたな。今回約4か月におよぶ主催者がわとのやりとりでかなりウンザリさせられていた野崎は「本当に音がでるのか心配だった」らしくサウンド・チェックで一応音がでることが確認したあと緊張の糸が切れグッタリ。本当にご苦労様。

サウンド.マン秋山/田淵チームの存在も「とにかく出音とモニターはまかせたぜ」といえる安心感があった。モニター担当の田淵くんが開演前に言ってくれた名言「清水さん、ステージ上は日本語OKです。」というのと「2曲目までは、僕がステージにたってモニターをチェックするくらいの気持ちでいますから」ありがたかった! 最年少、入沢くんも良く働いてくれた。

というわけで、たいへんだったけど楽しく、意義深い、そして今後の活動に勢いをあたえてくれる貴重なライヴ体験だった。

さてライブ自体の詳細や具体的な聴衆の反応、感想についてはいずれ書くことにして、今日はひとつ寂しいお知らせをしなければなりません。

1991年「夢の丘」リリース時にいっしょにプロモ−ション活動をしたことで知り合い、キングレコード退職後もマネジャーおよび私設応援団長として陰でケンソーを支えてきた野崎洋子が、このLAの仕事をもってケンソーのマネジャーという立場を解消することとなりました。
 

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<お知らせ>

ミュージックプラントは、2000年9月よりケンソーのマネジメントの仕事を終了することになりましたので、ご報告いたします。

ご存じの通り、ミュージックプラントはもともとアイルランド系のアーティストを紹介していくレーベル/オフィスで、ケンソーのマネジメント業務は、いっしゅ特別 な存在でした。それでもバンドが年に1度のライブをやっている頃はよかったのですが、ここ数年は自分たちが想像するよりもバンド自体がどんどん大きくなってしまい、個人のマネジメントオフィスによるコンサートの運営など、かなり業務に無理がでてきてしまったのが、理由です。

キングレコード勤務時代から考えると約10年、ケンソーから学んだ事は非常に多く、メンバーはもちろん、ファンの皆さんにも、いくら感謝しても感謝したりません。本当にありがとうございました。

さて今後ですが、インディーズレーベル(パソグラフ)の運営については、このまま引き続きミュージックプラントにて続けていくことになりましたので、この11月に国内発売予定の「25周年ライブ」も含め、どうぞよろしくお願いいたします。

またケンソーの新しい連絡先ですが、基本的にはこのままミュージックプラントあてにいただいてかまいませんが、すべて書面 (メール、ファックス、手紙など)にてお願いいたします。いただいたメッセージはリーダーに責任をもってお渡ししますが、リーダーも超多忙ゆえ、返事は遅れると思われますので、ご了承ください。

今後は、客席でゆっくりケンソーのライブが楽しめる、と思うと、なんとなくすごい楽しみだったりもします。これからもケンソー、そしてミュージックプラントをよろしくお願いいたします。

ミュージックプラント
野崎洋子

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まずは野崎さん、今までの多大な貢献に心から感謝いたします。特に今回のprogfest参加にあたっては、決してプロフェッショナルとはいえない主催者側とのレンタル機材の交渉、宿泊や航空券の手配、資金の調達まで、本当にたいへんでしたね。野崎さんの協力なくして実現不可能でしたよ。ありがとう。マネジャーを降りたいという申し出はLAでの最終日に聞いたけど、最近のメールのやりとりの中で「もしや」と覚悟していたから、「やっぱりそうか」というのがまず感じたことです。これはケンソーにとって大きな損失だと思います。しかし、ケンソーの音楽が何ものからも束縛されることがないように、野崎さん自身の人生もそうあるべきだから、今後もお互い自分の目標に向かって精進しましょう。

私としては、メンバーあての挨拶の中から次の文章を引用して、上記の告知に加えることで、野崎さんの決断を私なりに補足したい。
「〜そんな中、自分が一番やるべきであるアイリッシュ関連の仕事は、忙しいからといって諦められるものではなく、これは絶対に譲るわけにはいきません。〜」
私は野崎さんが企画したアイリッシュ・ミュージックのライヴで、来日メンバーに慕われ、頼りにされ、野崎さん自身も楽しさと使命感を持って仕事している現場を何度か目の当たりにしている。これからは、多忙なケンソーのメンバーのスケジュール調整に悩まされたり、心ないファンからの甘えた電話に業務を中断されることもない。ぜひ、がんばってほしい。

野崎さんに「今後は客席でゆっくりケンソーのライヴが楽しめる」なんていわれるとやはり寂しいが、まあ、パソグラフの運営は継続してくれるということなので、これからもよろしく。私も「esoptron」のリリースとツアー、「秘匿性心象」の制作、25周年ライヴ、そしてLAコンサートと続いたお祭り騒ぎを終え、じっくり次の作品の構想を練ろうと思う。

このHPの運営は今後は私がすることになるが、まあ私の本来やるべきことは、歯科治療であり、父親業であり、音楽制作なので、あまり時間はさけないと思うが、いろいろと御質問などあれば、寄せてほしい。近々、引っ越っさなければいけないが、LAツアーに参加した方の生なましいレポート(例:実はそんなでもなかったLAでのケンソー)などあれば、とりあえずこのアドレスに送ってください。

9月12日 清水義央



●私の代表的作品に「心の中の古代」という曲がある。プログフェス出演が決まった際、主催者にどんな曲が聴きたいか尋ねたところ、まっさきに「心の中の古代」という答が返ってきた。今、プログフェスのHPで、出演バンドの曲を二曲聴けるのだが、そのひとつがこの曲であることからもずいぶん気に入っていただけたようだ。(ちなみにもう一曲はGood days)

では「心の中の古代」とはどういうことであろうか。みなさん考えたことありますか?この曲が六本木ピット・インで初演されたのは1990年、光田加入直後のライヴだった。その時このタイトルはあったか?ちょっとビデオ見てみるね、、。あっ、そんな時間ないわ。

それはともかく、このタイトルは実はこの曲を作曲していたころ岡山大学医学部の脳代謝研究施設の研究生だった私の中につねにあった。というより、それよりもっと前、大学の授業だったか自分で読んだ本だったかは忘れてしまったがあの有名な「個体発生は系統発生を繰返す」という一文に触れた時から興味を持っていたもろもろのことが大脳生理学の研究生時代に高まり、ついにはそこに世紀の奇書、夢野久作のドグラ・マグラの”脳髄はものを考えるところにあらず”というこれまたあまりにも有名なフレーズが思い起こされ、しかも現実には”ものを考える中枢である脳”を対象とする実験を毎週、ラットの脳に電極を植え込んで行っている自分がいると、、、こんな渾沌とした状況が生んだメチャクチャな思考の中で、大脳の旧皮質に刻まれた原始の記憶というものに興味がつのり、それが「心の中の古代」というイメージにつながったのです。

しかし、実際に「心の中の古代」というイメージが自分のなかで非常なリアリティを持ってふくらんできたのは、アルバム「夢の丘」のレコーディング中〜ちょうどリズムセクション録りが終わったあと少し休暇をとってギリシャのサントリーニ島を訪れた時だった。海に沈んだアトランティス大陸の名残りといわれるサントリーニ島の最北端の町イアの断崖の上から、眼下にひろがる海を見ていた際、なんともいえない懐かしい感覚が自分の内側からこみあげてきた。もうかなり時間がたっていまったのでうまくは言えないが、海から歌が聞こえてくるような感じだったようにも思う。自分の中の古代の記憶と遠く離れたギリシャの海とが呼応したのだ。こう書くと「それ勘違いなんじゃない」とか「自分の曲に神秘的要素を加えるためのでっちあげじゃない」などどいう人がいる。いや、実際いたのだ。可哀想なひとだなあ、と私は思う。きっとその人にはそういう経験がないのだろうなあ。シンガー/作曲家の福島ゆうこさんは「ああ、そういうことってありますよね。」と言っていたな。それは「エソプトロン」の私の文章についても同様。そう言えば福島さんの書棚にも「音の神秘」があった。まあ、それはいいとして。で、今回の主題はここから、、、。

みなさんはワイルダー・ペンフィールドという偉人を御存じだろうか。てんかん治療の外科的手法の開発やヒトの大脳の機能局在を明らかにした革命的な脳外科の世界的権威である。博士の絶筆”The Mistery of the Mind”の翻訳「脳と心の正体」は私の愛読書であり、たしかに現在の脳科学の研究結果 からすれば細かい部分で認識の違いはあるのかもしれないが、そういった、ある意味では一般 ピープル研究者には真似できないすぐれた発想とそれを実証するための頭脳を持っていた。ここで断っておきたいのは博士はまず脳外科医であり、とにかく膨大な量 の脳外科手術や脳を開けた状態で、実際に脳を刺激して、同時にその患者と会話をしながらの実験を手掛けており、まず徹底した自然科学的手法でデータを集積した。当然だが。そして様々な思考をしていくのだが、その中で、そうやって調べあげた成績をもとにして、「心は脳の外にあり、脳にある最高位 脳機能を通じて脳を働かせている」という大胆な仮説を提出したりもしている。これ以上、私のような凡人がしかもこんなわずかなスペースで書くという愚かな行為はやめよう。まず「脳と心の正体」を読んでいだだきたい。(法政大学出版)そこから、私の作品「心の中の古代」の新しい味わいかたが見い出されるだろう。

もうひとつ脳科学の本を紹介しよう。こんどは私の大嫌いな本である。「”私”は脳のどこにいるのか」この著者のT・S(日本人)は最近売れはじめている脳科学者であり、医者ではない。実際に命と心のある患者の治療には携わっていない。

彼の科学的な知識はたいしたものなのだろう。しかし、かれの最大のあやまり、あるいは性格上の欠陥は「意識」の問題をさまざまな形から研究してきた哲学者や宗教家たちを軽視し(どう考えてもT・Sなんてケシ粒程度にしか見えないと思うよ。軽視された偉人から見たら)、哲学者や思想家というのはつくずく「暇」だと思う、とまで言っていることだ。もしかして自分がダビンチのように思えるのだろうか。

さて、私はなぜこんな文章をケンソーのHPに書いているのか?それはケンソーを通 じて知り合ったみなさんに、このネットワークを媒介としていろいろなことを考えてほしいからだ。歌とはいえない歌、踊るアホウに見るアホウのTV、話題性だけで中身のない出版物、クチパクと過剰演出で金をボッたくるコンサート(コンサートとは何なのだ?)それをささえるバカ・メディアに毒された消費者たち、、。私はウンザリしている。いや、もう可能な限り関係を断っている。

最後に今日のこの内容を書くきっかけとなった本とその本の帯に書いてあった宗教学者・中沢新一氏の文章の一部を紹介しよう。

「続・科学の終焉」ー未知なる心/ジョン・ホーガン著

”大脳科学やコンピューター科学が未知の世界を開こうとしているというのは神話にすぎない。それはむしろ自分の無知も知らぬ 間に限界へ向かって疾走していく無明の大型駆動車のようなものだ。”

7月23日 清水義央



●「音楽家たるもの、道ばたの石のお地蔵さまの頭の上にカラスが糞をたれたということを美しいと思うような新鮮な新鮮な感覚と心を持たなければならない」

これは日本を代表する作曲家のひとり、伊福部昭先生の言葉である。私がこの言葉を知ったのは伊福部先生のLPレコードのライナーであった。因みにこのライナーを執筆されたのは、伊福部先生のお弟子さんでありこれまた著明作曲家の故黛敏郎先生である。これを読んだのは、もう20年以上前になると思うが、それ以来、ことあるたびに思い出し、ともすれば多忙な日常生活に流されてしまいがちな兼業音楽家である私が、自己の感性を錆つかせないようにするための、言わば座右の銘となっている。

最近読んだ岡本太郎先生の「青春ピカソ」という本の中で、”細心に構成された会場で、泥つきのまま出陳した”(本文のまま)ピカソの凄さに口惜しがり、この”しみ”を通 して”芸術の根本問題を堂々と見せつけられた”という記述があり、わたしは上記の伊福部先生の言葉と同様にたいへん感銘を受けた。(ケンソー・ファンのみなさん、こう私が書いたら、せめて「青春ピカソ」を読むくらいしてくださいね。ビール飲みながら、TVのバカ・ヴァラエティ番組なんて見てたら、明日はありませんよ)

話は少しそれるかもしれないが、10年以上前、沈みゆく都ベネチアを訪れた際、有名な”ためいきの橋”を渡る機会があった。死刑囚が牢屋から処刑場につれていかれる管状の通 路に一ケ所、スリット状の小さな窓があり、そこから内海をてだてた島にあるマッジョーレ教会(たしか)のすがたが見える。死刑囚は処刑される直前にその窓から、自分がこの世に生まれた時に皆から祝福され、キリスト教の洗礼を受けた教会を見るという説明を受けた。当時キリスト教とは無関係の生活をおくっていた私ではあったが、その窓から実際にその教会のすがたをみた時、胸がしめつけられる気持ちになった。もっとも、「なぜ教会を最後に見せるのか」については、あいまいな解釈しかしていなかった。

のちに、阪口牧師先生(”エソプトロン”の共同命名者であり、同CDに声の出演もしていただいた)と出会って、自分もクリスチャンになった。「なぜ、最後にその窓から教会のすがたを見せるのか」という疑問に対する阪口先生の回答は明確であった。ここで、その解釈について書くつもりはないが、私は感動し、以前カルト宗教についてのTV番組で,おそらくは具体的な信仰を持たないであろう弁護士さんが「宗教って言うと、すぐにカルト的なものを連想し短絡的な反応を
示す人が多いけれど、本来、宗教というのは人の心を豊かにするものなんですよ」と話していたのとあわせ、本当にそうだなあと思った。私は宗教家でもないし、信仰の神髄など語る資格などない凡庸な人間ではあるが、宗教体験や信仰ということと感受性、芸術的感性とは深くかかわっていると思う。

日本の場合、特に自然科学の分野で中程度の成功をおさめた知識人にありがちなキリスト教批判には「”イエスが水の上を歩いた”なんてことが信じられるか!それを科学的にーーこの言葉得意なんですよねーー証明してみろ。」などどいう
悲しくなるような貧しい意見があるのです。歯科医学という、ある意味、きわめて自然科学的(本当はそれだけでは人間は治せないと私は思うけどね)な価値観の支配する世界で生活の糧を得ている私は、それを日々感じています。
「イエスがおこなった奇跡が事実であったかどうかよりも、それを多くのひとが2000年の長きにわたって信じてきたという事実が重要なのだ」というある作家の発言を、たぶん私の音楽の愛好家であるケンソー・ホーム・ページ読者は、噛み締める必要があるのではないか。文章読解力のないひとにことわっておくけど、私はキリスト教そのものについて語っているのではないからね。しかし、そういった視点なしに主にキリスト教的文化圏において勃興したプログレッシヴ・ロックを理解することは難しいだろうとは思う。たとえばジェスロ・タルの「パッション・プレイ」をどう解釈する?バンコの「最後の晩さん」は?「幻惑のブロード・ウェイ」は?そういう知識なり、思考なりがないと、プログレッシヴ・ロックを変拍子がどうだとか、複雑な構成がどうだとかで語るという愚をおかすことになるのではないか。そして、明らかにプログレッシヴ.ロックの強い影響下にあるケンソーの音楽を味わい尽くすことの障害になるのではないか。

さて、今回はこのへんにしておこう。自分を豊かにするために、つねに未知のものにチャレンジしていこうとしている読者に最適のTV番組を紹介しておこう。

NHK人間講座(7月〜9月) 現代に生きる聖書  講師 曾野綾子先生
”西欧精神の根幹をなす書物でありながら、日本人にはなじみの薄い聖書。しかし、そこに描かれる人間感情の機微は、現代と少しも変わらず示唆に満ちあふれている。人間存在の本質を描く名手が解き明かす聖書の世界”ーー人間講座テキストより。

私は、先日その2回目の放送を偶然見て、あまりの面白さと講師の誠実かつユーモアにあふれた語り口に魅了され、翌日本屋にテキストを買いにいった、ウソ、妻に買ってきてもらった。
教育テレビ 月曜 23:00から、再放送は火曜の15:30から、30分。
 
NHKで思い出した!私、8月の中旬にNHK-FMに出演します。くわしくはまた、このページでお知らせします。

では最後に前述「青春ピカソ」の中から岡本太郎先生の珠玉の言葉を引用しよう。

「いったい芸術において単に眺めるという立場があり得るであろうか。真の鑑賞とは同時に創るということでなければならない。観ることと創ることは同時にある。」
                                      
2000年6月19日 清水義央

 



●最近ケンソーはLAの打ち合わせのために各々のメールをメンバー間でCCしているのですが、小口さん+サポートキーボード河野さん、これにマネージャー野崎を加えた仲良し3人組のメールのやり取りをみていた清水さんより下記のメールをいただきました。おもしろいので転記いたします。

ミュージックプラント 野崎
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顔文字に関する皆さんのやりとり、楽しく、時としてイライラしながら拝見しました。

おい!こんなことやってる暇あるなら、ライヴCDの文字校正手伝え!
あたしゃ、ここ数週間、4時間プラス昼休み30分睡眠でやっと生きてるんだ。
あまりの忙しさで、かえって色々なことが気になりだし、”男は狼なのよ、気をつけなさい。”などという軽薄なヒット歌謡の歌詞についてさえ「遺伝学的にいって、通 常オス/メスで区別する狼という獣に対し、男/女という区分をあてはめてよいものか」などということを延々考え、遺伝学や発生学の文献を実際に調べて、更に時間を消耗したりしてるんだぜ。
そんなオレ、そんな空しいオレをみんな仲間はずれにしやがって。
ぐすん、みんなオレがパソコン初心者だと思ってナメやがって。
でも、言っておくがな、今わたしは日増しにパソコンに強くなっているからな。
あとで、ほえずらかくなよ。今日だって作業環境マネージャーについて学んだのさ。

それにしても村石くん、メールやってるのかな。
なんか似合わねえな、悪いけど。
マウスでクリック、カチカチなんて似合いませんよ、村石くんには。
あ、でも彼ならスティックでキーボード早打ち!とか得意そう。
でも、壊れますよ、そんなことしたらキーボードが。
まあ、いっか、他人のことは。
最後にゆっておく!オレは顔文字という軽薄かつ常に責任逃れ的な姿勢が
顕著なコミュニケーション手段は嫌いだ。

というメールのつもりでしたが、結構マジで書いて時間も費やしたので
野崎さん、これを「バトル・オブ〜」の最新稿として
HPにアップしてください。

2000年7月5日 清水義央



●「かあさん、僕のあの帽子どこにいってしまったんでしょうね」
正確な文章は忘れてしまいましたが、「人間の証明」の中のこの有名なフレーズ、私と同世代のみなさんはノスタルジックな思いを感じるのではないでしょうか。こんばんは細川とし、、清水義央です。
「かあさん、僕の幻惑のブロード・ウェイどこにいってしまったんでしょうね」そうなんです!きのう、ある原稿を書くためのBGMを「久しぶりにブロードウェイでも聴こうか」と決め、CDのケースを開けDISK 1をプレイヤーにかけて机に向かったら流れてきたのは「ミュージカル・ボックス」!なんたるちあ。果 たしてそのCDは「Nursery Cryme」であった。「ああ、ケース入れ間違えてたのか」と思い原稿を書き終わったあと「Nursery Cryme」さがしてみたが無い。「ああ、院長室にもっていったきりか。明日持って帰ってこよう」余裕の私。その私が余裕を失ったのは、翌日院長室で見つけた「Nersery Cryme」のケースが空だった時だった。”その私が余裕を失ったのは”という表現を今私が使ったとき急に思い出したのは高校時代(つまり県相時代)読んだ青春恋愛小説といえば聞こえはいいが、要するに青春エロ小説で、それまでかたくなに処女を守ってきた主人公がついに性にめざめるシーンなわけなのだが、そんなことについて皆さんに話す義務はないのである。とにかく「僕のブロード・ウェイ、どこにいってしまったのでしょう」ブロード・ウェイ、カム・バック!!

さてKENSO LA Special Edition BAND は気合いの入ったリハーサルに突入しました。25周年記念ライヴの時は、メンバー全員がそろってリハーサルできたのはオールド・ケンソーで3日、現役ケンソーにいたってはたった1日!であったが今回は5日ほどは全員でできる予定である。村石くんもマーク・ポートノイとの対決のため、タイトなスケジュールをケンソーに開けてくれた。ありがとう。パット・メセニーがライヴ・ビデオの中で語っていたがバンドの歴史を語るようなセット・リスト作りは難しくもあり、また楽しい作業でもある。とにかく精神的にも日増しにバンドの結束が固まり、高揚していくのが実にうれしい。我々の世代は英米の音楽を”カッコイイナア!”と聴きまくっていた世代。そのアメリカで演奏できるのは、光栄だし身の引き締まる思いである。アメリカの歴史や文化に関する文献も読み始めている。サイはふられたのだ。

最後に、立花隆さんの「脳を鍛える」は今たぶんベスト・セラーになっているが、本当に面 白いし勉強になるので、絶対のおすすめです。

2000年6月11日 清水義央




●結成25周年記念ライヴにきてくださってありがとう。私もこんなに楽しかったライブ今までなかったというくらい印象深いものになりました。小口からは「ケンソーというバンドに参加できて本当によかったと思えたライヴだった」というメールもらったし、はるきち君はライブにきていた人が感動するほどの”少年のような笑顔”(佐橋・談)で「懐かしくて、楽しくて」というMCどおり本当に楽しかったようだし、松元は「社会人になって10何年になるけれど、プライベートでこんなに楽しかったことはなかった」と言っていたし、佐橋くんはあのライブの直後、お子さんをつれて行楽地へいく途中、母校が急に見たくなって方向転換、守衛のおじさんに「あの〜私、卒業生なんですけど」って言って中に入らせてもらい「すべてはここからはじまったのだ!」という感慨にふけったらしい(ここだけ読むとケンソーのライブと無関係に思えるかもしれないけど、私と彼の長電話の全体からは実に関係あるんだな、これが)。いわゆる村石ケンソーも「アマチュア・バンドには負けないぜ!」的な気合いが入っていて(この表現、三ちゃんあたりは否定しそうだが)良い演奏ができた。アンコールのGood days~の一発目のコードが鳴った瞬間は私自身、イッテしまいました。ドラム・バトルにおける降伏の白旗も、はるきち君らしいアイディアだと思う。会場の雰囲気も実によくて、もちろん演奏上のミスはいろいろあったにせよ、メンバーとオーディエンスが一体となり25周年を祝えた素敵な夜であった。
しかし、ここ数日このライブの準備のために今年のあたまからタマリにたまった歯科医院院長業務を必死で処理する毎日、かなりシンドイでっせ。メンバーに渡すあの日のビデオのダビングも経費節約のためリーダーみずからやっており、すごい本数なのでウチのデッキ過熱してます!いそがしい!野崎もLA関係の交渉で大変そうだ。

ところでLA-ツアーに、もう既に何組かお申し込みいただいたようで、ありがとうございます。まあ我々もLAに遊びに行くのではなく、はたまた金銭欲と性欲渦巻く”いわゆるファン・クラブ・ツアー”でももちろんなく、音楽といえども、勝つか負けるか「プログレ世界選手権」に出場するつもりで行くのでコンサートが終わるまではファンのみなさんとの”語らいとふれあいの時間”などとれないが、お礼は必ずします。メンバーが使った譜面 をあげちゃうとか、リハーサル・スタジオに招いてケンソーの音作りの現場見学とか、私清水義央とプログレについてサシで議論するクーポン券5日分とか、こどもの国牧場のミルク工場で小口とポリリズムについて語りながら乳しぼりとか(冗談だよ冗談、小口くん)なんかとてつもないプレゼントを用意しようではないか。三枝の目でじっとみつめられる30分チケットなんてコワソ〜、清水義央それはパスします。あの確信に満ちた目!あの逃げられない雰囲気は経験しないとわからないぜ。まっ、とにかくLAツアーに参加してよかったと思っていただけるような、なにかケンソーらしいプレゼントを。     

2000年5月11日 清水義央



●ケンソーのホームページ:メインページはこちらです。

●現在HPの引っ越し作業で更新作業が止まってますが、もうすぐ再開しますので少々お待ちください。

2000年1月14日 ミュージックプラント