The Battle of Evermore by 清水義央 (2001)
ここ数年、とある事情から、アルテ・フラメンコ舞踊学院という、その名の通り フラメンコを専門的に教える学校?
と関わりを持っている。 関わりといっても、もちろん観客としての域を出ないものであるが、
主宰者である沙羅先生、板坂先生の おふたりとは何度かお話をさせていただき、大変に刺激を受けている。
特に、三島由紀夫に関する著書もある板坂先生は60’s rockにも造詣が深いため、
そのrockな感性が私には実に楽しい。
年に1度開かれる、FIESTAという学院全体のステージは簡易保険ホール級の大ホールのステージで
行われ、
これには沙羅先生、板坂先生はもちろんのこと、生徒さんたちの指導にあたっている講師陣、
そして本格的な生徒さんから、カルチャースクール的な意味合いで習っているかたまで勢ぞろいで
かなりの長丁場になるのであるが、これが私自身の音楽に確実に影響を与えてくれるのだ。
とにかく、そこから発散されるエネルギーが凄い!!!
また、踊っている方々の表情が素晴らしくいいのだ。
4年前のFIESTAの時、私がたまたまバックステージにいた時、ソロで踊る講師の方が出番を次に控えて
鏡の前で凄いテンションで最終チェック??をされているのに出会い、
さらに その方が、踊りおわってバックステージに戻ってきた時に、
演じる前と異なる 緊張感から開放された素敵な笑顔で
「楽しかった〜〜〜〜〜!」
とひとりごちていられたのを拝見した。
表現者にとって”楽しい”というのがその根本にあるではないかと思う。
このかたの気持ち、とても良く分るのである。
今、レコーディング中の新作には、KENSO初の試みで若干の歌がはいっている。
川島さんという歌い手にお願いした。
アルテのステージで初めて聞いて、「この人の声と歌、かっこいいなあ」と思い、
その後も何度か 聞くうちに「KENSOで何か、この素晴らしい声を使ったアプローチができないか」と考え始め、
ついに13年の4月に、沙羅先生のご厚意により川島さんに連絡をとれることになったのだ。
そんなこんなで、アルテにはお世話になっているのだが、
本日そのアルテ・フラメンコの 創立20周年記念コンサートに招かれた世界的な舞踊家、
ホセ・グレコさんのパフォーマンスに 触れることができた。
というより、圧倒された。
といっても私は舞踊には素人である。 ただ単に、凄い!としか言えないのであるが、
「踊りというものが、文学の1級品に匹敵する」 ということを初めて感じた。
そんなことは舞踊の専門の方からすれば当然のことなのだろうが、 素人の私をして、
そこまで感じさせたホセさんの表現力はあまりに強烈であった。
ギター1本の伴奏でソロで踊られた時の鬼気迫るエネルギーの発散、
その高い精神性の反映である肉体の 耽美なまでの美しさ、
躍動感という言葉ではとても表せない強靱な生命力、、、。
オーラが漂うというのは、このことなのか。
ステージから確かに何かがこちらへ押し寄せてきていた。
私の貧弱な筆力では語るすべがない。
また、あれこそ見ないとわからない。
ギターとのコンビネーションがまた素晴らしく、
素人の私はバリのガムランにおける 舞踊と音楽の緊張感ある調和との共通要素を感じてしまった。
(板坂先生には「バリ?ど〜こ〜が〜〜?!」と言われてしまいそうだが)
今回は、FIESTAの時と違って、カルチャースクール的な生徒さんは出演されなかったので、
(と、私には見えた)
全編の演出、流れが素晴らしく、心から感動してしまった。
フラメンコのダイナミックな部分はもちろんのこと、
私は沙羅先生の踊りから、とても日本的な 繊細さと流麗な印象を受け、
これも私自身が今後音楽を作っていく上で、見習わなくてはいけないなあと また勉強させていただいた。
さらに、指さきからかかとまで貫かれた何か(気持ちが入った感じ)も 同様だ。
そして、踊られる方々の表情の素晴らしさ!!
踊り、音楽、そして色彩、、、。 見事でした。大成功おめでとうございます。
さて、今年1年もいろいろなコンサートに通った。
リメンバー・シャクティを始めとして、素晴らしい音楽に出会うことができた。
一方でロック勢は、もうダメなのかなとも思う。
例外的にピーター・ハミルがよかったくらいで、まあ、カンサスは笑えて面白かったけど。
自分を根底から揺り動かして、人生の方向まで変えてしまった「ロック」であるが、
このところの体たらくはどうだ。
今年1年、衝撃を受けた音楽、追究してみようという闘志がわいた音楽、
或いは毎日毎日そればっかり聞いていた作品は、いわゆるロックではなかった。
今年最後にふさわしいアルテのステージ、とりわけホセ・グレコさんの芸術を体験し、
あらためてそう思った。
みなさんも一度、ロックを突き放してみたほうがよいかも。
懐メロに酔い、過去の焼き直しにおつきあいするのは時間の無駄というものだ。
12月24日の早朝に記す
たった今、所属している神奈川教会のクリスマス・イブ礼拝から帰ってきた。
教会のクリスマスって、心がこもっていていいんだよな。
商魂と虚飾と性欲がうずまく巷のイブと違って、質素だけれど本当に喜びに満ちている。
ご存じのとおり、私はこの教会でだいたい月に一度、礼拝の時にオルガンを弾かせて
もらっているのだが、
この大切な日にはやはり専門的教育を受けたオルガン奏者が担当、
私はエレクトリック・ギターでアドリブをまじえて数曲弾かせてもらっている。
キリスト教は、「歌う宗教」と言われることがあるほど、礼拝における音楽の重要性が高いのだが、
クリスマス・イブには、我が教会の誇る聖歌隊も登場、ピュアな歌声をきかせてくれる。
本番の前に音楽担当者は早めに集合し、手作りの食事を頂きながら打ち合わせをするのだが、
クリスチャン4代目みたいな、筋金入りのキリスト者おばさん(あるいは、おばあさん)が
嬉々として歌の練習をしている様子は、見ていて微笑ましいほどだ。
50〜80歳の女性たちが、思春期の女子生徒みたいに学園祭を楽しんでいる雰囲気もある。
もっとも、現代の思春期の女性がそうであるのかは知らない。あくまで、私の世代の記憶からの連想。
そう言えば、先日ある忘年会で、某有名病院の産婦人科の部長が話していたけど、
クリスマス・イブって、男女がはりきりすぎて、ラブホテルから救急車で運ばれてくるような奴が
結構多いんだって。
だから、イブの当直は忙しいので、ご免こうむりたいって言ってた。
ここでは憚りなき具体例についてはとても書けないけど、
「そんな馬鹿いるのオ〜〜〜〜〜!信じらんな〜〜イ」 という奴が各種いるんだなと思いました。
教会から帰る車のなかで、ラジオを聞いていると、、、、 こんなお葉書もきています、、と
帰国子女っぽい女性アナウンサーの声がリスナーからの手紙を紹介する。
「今年のクリスマスは彼が仕事でエ、ふたりっきりですごせないんですウ。もう最低!
これだったら、彼氏がいなかった去年のクリスマスのほうがよかったあ、とか思っちゃってエ」
それに対して、いささか(こいつアホか)と感じている様子をただよわせながら女性アナは
「ああ、そうねえ。それは、確かに残念だったけれど、でもねOOさん、そんな時だからこそ、
クリスマスっていうのがイエス・キリストが誕生した日だっていうことについて、
静かに考えてみるいい機会なんじゃないかしら?」と切り返していた。
ねえちゃん、わかんねえよ、こいつにそんなこと言ったって。
クリスマスイブ、イコール、彼氏とすごす夜っていうふうに 大脳新皮質のニューロンのネットワークが
もうできあがっちゃっていて、グリア細胞もそれを ささえちゃっているんだから。
まあでも、こういう阿呆がいるから、ああいう阿呆な曲が売れるってわけで、 世の中よく出来ているものよなあ。
でも、バブルの頃あったよな。
夏休みが終ると、イブをいっしょにすごす女の子を目の色変えて探して、
身分不相応なレストランで食事して、超高級なホテルへ連れ込んで、、て。
新大久保の汚ねえ連れ込み旅館がお似合いなふたりが、バブルなもんで、着飾ってさ。
頭の中身と負の相関関係にあるかのような外車に乗ってさ。
あの頃のみんな、元気でやってる?!
何?
赤坂プリンスだったのが、環状2号線わき綱島温泉ちかくの「ホテル大奥」にランクダウンしたって?
相変わらずだねえ、あんた。
景気は変わっても、人間そうは変われないってことかいな。
まあ、いいってことよ。
私自身のクリスマスの思い出をひとつ。
あれは21か22歳の頃だったと思うけど、 私はクリスマス・イブに、町田のレコードハウスPAMにいたんだよね。
それも、彼女とかといっしょじゃなくて、(よりによって)PAMのおやじ、いや失礼、
店長の末武さんと ふたりっきりで店の中にいて、何をしてたかって言うと、末武さんが
「おい、清水、これ聞いてみろよ。すげえぜ!」といってかけたVDGのLP「Still Life」を
聞いてたんだ。
そいでもってオイラ感動しちまって、
「そ、そ、そ、そのLP、売ってくんろ!」 って買って帰って、ひとりで自宅で聞いて涙流してたってワケ。
で、負け惜しみも幾分あって
「こんなクリスマス・イブもあっていいと思う」なんて ひとりごちていたのだ。ウ〜〜〜暗い!!!
よかったあ、そのあと自主製作でLP作って、よりによってPAMからリリースして、 すげえバンド登場と言われ、
その後、「ケンソ−はフュージョンや、プログレではないやんか」 と中傷され、
その後、山本くんがlookに入って大ヒットを飛ばしたためにライブに若い女の子が くるようになって、
山本くんの家に私が入っていこうとすると、ファンのコが待ち構えていたように、
「ハルキチさんがドラムたたいているバンドのかたですよね」って私に話しかけてきて、
(おっ!)と思ったのも束の間、
「これハルキチさんに渡してくれますか」って、山本くんへの プレゼント手渡されて、
頭にきたから山本くんが飼っていた犬にあげちゃおうかと思ったけどやめて、
あああ、いろいろなことがあったなあ、あのVDGを聞いていた夜から。
それではみなさん、よいお年を。
来年はついに、新作リリースの年です。
さっきも、高円寺百景のベース坂元くんから、
「新作のラフ聴きました。何かすごいですね!」という電話がありました。
みなさん、御期待ください。
ライブでも御会いできるといいですね。
12月24日 23:50 暖かなイブ礼拝の後で、清水家のサンタクロースとしての役割を終えてから記す
●レコーディングは佳境に
ああ、すっかり忘れていた。
友人から「最近、全然更新してないから、ああ、凄く忙しいんだなと 思っていたよ」というメールをもらった。
いや、本当に忙しくて、HPどころではなかったなかった。
患者さんの都合でインプラントのオペを日曜に行ったり、
その準備のために恩師K先生の診療所に早朝学習に頻繁に通ったり、
こどもの父親授業参観日があったり、
海外からのたくさんのメールに 上田部長のお助けを借りながら対応したり、
マンションの管理組合の会議があったり(よりによって私は本年度の 理事長なのだ!!!
更によりによって来年、大規模修繕工事があり、
工事担当会社と3〜4000万円クラスの交渉をしなくてはならないのだ、
ドグラマグラ級の見積書、仕様書と格闘して)、
従業員が結婚退職するため、新たに募集を 求人誌に出したら、
この不景気で面接希望者がわんさか来てしまい、
「あんたね、そんな感じじゃ、どこ受けたって受からないよ〜〜ん」
みたいな阿呆まで一応は時間をとって面接しなくてはならず、
昼休みや診療終了後も くたくたでやんす、ケムンパスでやんす。(おかげさまで、良い人がみつかりましたが)
そしてもちろんレコーディング!
一応、私のオーバー・ダビングは終り、あとは小口/光田組の完成を待って、
いよいよ来年からトラック・ダウンに入る。
発売はキングレコードから5月21日ころの予定らしい。
ということで、今は朝の3時5分。
これから、明日、いや今日、エンジニアの福島さんに送る A-datのテープの整理を
しなくてはいけないので〜〜〜す。
ファンのみなさんとしては、早く聞きたいだろうね、ふふふ。
凄〜く、いいよ〜〜〜ン。
昨日、ラフ・ミックスを聞いた友人から
「清水さん、素晴らしいです。 ”丘”を越えましたね。」というメールをもらった。
小口も先日、私の家にミーティングにきて帰る時、
「いや〜〜それにしても、今回のレベルは凄いですね。」と語っていた。
そして、そして、あの村石氏にラフ・ミックスを送ったところ、
「MDが届いて、すぐ聞いて、あまりに素晴らしいんで電話しました。」
という電話が昼休みに診療所にあった。
そして、その夜にまた、次のようなメールが、、、。
『清水さんに電話した後、もう一回最初から聴き直しました。
自分のプレイしたものを聴く事はそんなに無いのですが、 なんか今回は聴く度にわくわくします。
ドラムトラックをとっただけの時は、そんな感じはしなかった ということは、
やっぱりウワモノのパワーが素晴らしいという事ですかね?!
00000が一曲目っていうのは、000と000といった意味で なかなかいいかもしれませんね。
みんなビックリすると思います。
僕が感じた事は、韜晦序曲のボーカル版の後に韜晦序曲が 来た方がしっくり来るかなと思いましたが、
清水さんの事ですから いろいろ狙いがあると思うので、曲順は全面的にお任せします。』
村石くん!
うわもののパワーはリズム隊の圧倒的なプレイによって 触発されたものですよ!
ということで、時間切れです、じゃんじゃん。
12月14日
以前、「醜女の日記」という文学作品に触れたことがあったが、 やはり自意識過剰というのは、
若者にはありがちなのであろうか。
自分はかっこよく見えているだろうか、
自分の体臭が気になる (これが病的になると自己臭恐怖ということになるのか)、
自分の鼻の形はおかしいのではないか、(鼻が大きいやつは男根も 大きいという俗説から、
鼻のかたちがおかしいことが性器の形が おかしいという連想につながる場合があるらしい)などなど。
それとは少し違うが、私は大学生の時、KENSOについての誇大なまでの 構想を持っていたような気がする。
プログレ関係のフイルム・コンサート(若者よ、知っているかね!) で、
開場を待つその他大勢の行列の中にあって、(私ももちろんその他大勢のひとり)
「みんな、オレが凄いプログレ・バンドの構想を持っているの 知っているかなあ。知っているはずないか。
まだ、レコード出してないもんな。
でも、あそこの女の子、 さっきから俺のことチラチラ見てるから、気がついているかも、
”あらっ?あそこに並んでいる銀縁メガネの大学生らしい男の子、 なんとなく他の人と違う雰囲気、
もしかして凄くかっこいいプログレ バンドの活動をしている人かも”って感じているかも。
よし、更に強くそう感じてもらえるように、顎をひいて、背筋をのばして、
いや猫背のほうがなんとなく怪しげで、思慮深く見えるかな、
あ、あ、また見てる見てる俺のこと。ふふふ、、
えーと、そうだ、更に思慮深く感じさせるため、本読んでいるふりしよう。
あ、まずい!今日は”なんとなくクリスタル”(註)読んでるんだった。
あああ、カミュとかカフカとか持ってくるべきだった。
でも、あそこから表紙はみえないはず。
眉間にしわをよせて読むふり読むふり。
ほらほら、やっぱり更に俺のこと意識しているしているウ。
あ、まずい、鼻水でてきた。
俺、風邪ひいてたんだ。
恐るべきプログレ・バンドの構想を持っている 若者だということを更に強く印象づける鼻のかみかたって
どうしたらいいかな。」
ジ・イ・シ・キ・カ・ジョー!!!!
今? 今はないよ、まったくない。
あるわけないっしょう、44歳にもなって。
まあ、例えば自分のクリニックの近くのコンビニで フライデーとかのくだらない雑誌を(しかもグラビアとか)
立ち読みしている時は、周囲の視線を意識しつつですけど。
西川峰子ヘア・ヌードとか、マリアン最後のヌードとかの ”見たくもねえ!”ページが偶然開いてしまった瞬間に
「あ、先生、こんにちは」などと患者さんに言われたら大変だし!
突然話しかけられたファンにもなるべく失礼のないように心がけている。
いわゆるプログレ関係のコンサートでは、特に注意注意。
「清水さん、ひさしぶり!」と言われ、
そう言えば85年ころ、よく ライヴに来てくれてた人だなとは気がついたものの、
名前を失念して しまっていたので、「あの、お名前は、、、?」と丁寧に 尋ねたら、
なんとスネてしまい不機嫌になってしまったのだ、その人は。
あああ、面ドくさ!!
とはいえ、ある種の不便さから私ももう少し顔が売れていればなあと 思うことがある。
数年前、まだ横浜駅の近くに住んでいたころ、
自宅から数分のところに ある某有名楽器店で、こんなことがあった。
その日は、チューナー・アウトのついたヴォリューム・ペダルを探しに 行ったのであるが、
ショーウィンドウの前で若い店員に
「このペダル 見せてもらえませんか。」
「え?どれ?ああコレ。これヴォリューム・ ペダルだけど?」
「(わっかてるよ、にいちゃん)ええ、それでいいんです。」
「お客さん、どういう使い方するわけ?」
「どういうって、まあ、 いろいろと(私はね、かつて日本のスティーヴ・ハケットと言われてたの!)
ヴァイオリン奏法とか」
「???試奏する?」
「お願いします。」
「ギターは何?インピーダンスとか、ソーゆう問題とかもあるからさ」
「そうですよね。(私はね、ペダル、もう10個くらい持っているの!)」
というわけで、やっとショー・ウィンドウから出してくれたはいいものの、
彼がつないでくれたアンプは鉛筆削りよりひとまわり大きいくらいの、 乾電池で駆動するようなギター・アンプであった。
ナメやがって!とは思ったが 同じ土俵に立ってもしかたないので、
その小さなアンプで、こんなんで試奏できるか よと思いつつペンペンやっていると天の助けか、
最近横浜に異動になった旧知の マネージャーが現れ、
「あれ、清水さん、おひさしぶり!何故そんな小さいアンプで やってるんですか?」と、
フェンダーのツインにつないでくれました。
まあ、でも、ナメられて当然ということもありました。
そのoooo楽器店のすぐ近くにダイエーがあり、
「ちょっと楽器屋いってくる」
「だったら、人参とナガネギ買ってきて」という会話が家人とかわされ、
私は 買い物を忘れたらヤバイと思い、先にダイエーへ行ってしまったのである。
ダイエーのポリ袋、そこから飛び出たナガネギ、ヨチヨチ歩きのわが子、、。
もしかしたら、私が楽器屋の店内に入ったとたん、ネギのにおいがしていた かもしれない。
店員の扱いは、いつも以上に冷淡であった。
子育てに疲れた中年男に、早く店から出ていってほしいとすら思っていたかもしれない。
今となってはよい思い出である、、かどうか分からない。
ちなみにその楽器店、現在はそのダイエーの5階だったかに移っている。
11月22日
註:今や長野県知事の作品である。
こんなのが売れたのである。
これにあこがれ、バブルに酔っていた男女は今どんな現実とむきあっているのだろうか?
アリとキリギリスの話を知っていたのだろうか?
歯医者と結婚すれば玉の輿だと思って愛なき結婚を選択した女は いったいどんな現在をおすごしのことだろう。
「なんとなくクリスタル」
このタイトルを書くだけで虫酸が走るわい。
これを映画化したのもテレビでみたが、ゲロを吐きたくなるようなものだった。
歯科医でジャズ・ミュージシャンという男を石田某という5流役者が演じた
「平成の色男」とかいう映画と1位2位を争う、お馬鹿な映画である。
歯科医でロック・ミュージシャンの私が言うのだから間違いない。
しかし、原作を冒涜してしまった「ネバー・エンディング・ストーリー」よりはましかも。
(あれも薄っぺらな映画だったなあ。)
なにしろ、原作者のM・エンデが告訴するくらい、ひどかったのだから。
●変拍子での歩行
以前、お伝えしたプログレッシブ・ロックに関する本の正式名称は 「200CD プログレッシブ・ロック」となった。
発売は11月20日の 予定だが、これは遅れる可能性もあるとのこと。
ぜひ、書店で手にとって見てほしい。
特にプログレッシブ・ロックをオン・タイムで経験することの できなかった若い(といっても、
今の30代の人は既にそうなのかあ) 方々には必携のCD購入ガイドとなるだろう。
私は、Gentle Giant、PFM、Atoll、Vangelis、Arti & Mestieriといった アーティストを担当、
他にも「変拍子について」「長尺曲の構造」「プログレ におけるギターの役割」といった項目も書いている。
ちなみに、KENSO国際事業部長/上田達郎氏もマンダラバンドの他、他のライターが
書きにくそうな部分を
担当している。たいへんでしたね、上田部長!
さて、昨日、その文字校正用の文章が送られてきた。
そんなこともあって、今朝の出勤時に、上記の本の変拍子の項目で例としてあげたGenesisの名曲
”Cinema Show”を口ずさんでいる自分がいた。
御存知のとおりこの曲は8分の7拍子である。
「あれ、俺、今どうやって歩いている?8分の7拍子にちゃんと合わせて 歩いていたかなあ?」
と
意識し始めてしまったのが間違いの始まり。
私は、この曲を4分の3,5拍子的な感じでとらえているのだが、 4分の3,5というリズムに合わせて歩くのは、
なかなか難しいし、 他人から見ると「あのオヤジ、何やってんだ?」という雰囲気を呈すことになる。
白状してしまおう、ファンの皆さんに、恥をしのんで。
懺悔「私は今日、Genesisの名曲Cinema Showの8分の7拍子を口ずさみながら 出勤する時、
こともあろうに、小節最後の音を4分の4拍子のシンコペーションとして、 自分で勝手に歪ませ、
公の書物に自ら”8分の7拍子の代表”として挙げた Cinema Showを、
自らが歩きやすい4拍子として偽りの工作をして口ずさむことにより、 秘かに冒涜いたしました」
だってえ、歩きにくいんだもん!
しかし、そこは公の書物に変拍子について書いて、報酬をもらう私である。
Cinema Showの素晴らしい変拍子を汚さずに、しかも自分自身も不自然でなく 歩く方法をすぐにあみ出し、
偽りの歩行、自己欺瞞にみちた歩行から脱却した。
それは、もし左足から歩くとすれば、左右左まではそのままで次の右からは 足が地面
についたら
すぐ頭を切り替えて、次の左左右は裏で感じながら 口ずさむのだ。
表の時に顎を心もち引くようにすると、裏を感じやすい。
この名案を実践したその時、私は妙な既視感におそわれた。
あ、そうだった。
プログレ修行時代の20代のころ、この方法で、色々なリズムを裏で感じながら 歩いて、
リズムのトレーニングをしていたのだった。
4拍子の曲も、すべて左右の足が地面についた瞬間を、リズムの裏と感じて 曲を口ずさむ。
この方法、何かの音楽雑誌のセミナーで読んだのだった。
Cinema Showの場合、7/8を2回繰り替えしたら、次は小節の頭と 足が一致するので、とても気持ちよい。
7拍子であるから 当然、左足から歩行を始めた場合、3回目の頭は右足になるのだが。
しかし、例えば私の曲「麻酔パート2」の場合、 7/8、7/8、7/8、3/4であるから、
この4小節が終わった時点では、 足は「裏」のままで、このリフを2回、
即ち8小節終わった時点で、やっと ホっとすることができるのだ。
4小節目で、気分は「裏」の時に、運悪く 歩行者用信号が 赤だったりすると、
とても苦痛を強いられることになる。
どうしても継続したい場合は、信号を待ちながら足踏みするという技が選択されるが、
衆目の中でこれをやるのは、かなり勇気がいる。
「あのオヤジ、トイレにいきたいんじゃねえのか。」 と、思われても、しかたないずら。
しかし、なんの因果で、出勤時にまで、こんなことを考えながら苦労して 歩かなければいけないのか。
ほら、見てごらん。
前から押し寄せる女子高校生の一群の、
な〜〜〜〜んにも考えてまっしぇ〜〜ン、
悩みは彼氏に二股がばれそうなことだけで〜〜す。
今日は学校を早退して、勝負パンツ買いにいきま〜〜〜す。
毎日が遊びの連続で〜〜〜す、的なかろやかな歩調を。
揺れる胸の膨らみを。
彼女たちの頭で鳴っているのは、あの気色の悪い河村●一の「じゅ〜りあ〜〜」 だったりするのだろうか。
そう言えば、先週行ったラーメン屋でも鳴っていたな、
よくあんなつまらない曲を恥ずかしくもなく公にできるものだ。
もし、あんな曲を私が書いてメンバーに譜面をわたしたら、
村石「清水さん、マジですか?俺、この曲、かんべんです」
三枝「清水さん、ちょっと理想が低すぎませんか?」
光田「清水さんの曲としては、かなり異色ですよね」
そして小口からは数日後に電話で
「清水さん、あの曲、あのまま、やりますか? しゃれにもならないと思うんですけどオ」
となるだろう。
さてと出勤出勤、仕事だ仕事だ。
今日も患者さんが待っていてくれる。
さっそうと歩く私は、もうCinema Show を口ずさむことはない。
涙とはもうおさらばさ。
ふと気がつくと 「じゅ〜りあ〜〜」 と口ずさむ自分がいた。
この曲、歩きやすいんで〜〜〜す。
ところで、クワタ某の新曲のリフレインのところ、何かの曲にそっくりなんだよな。
まあ、彼の場合に限らず、パクりなんて珍しいことではないが、
そのモト曲のタイトルが思いだせないと、なんとも気持ちがすっきりしないのだ。
そして、今年も、その盗作すれすれの曲を聞きながら、恋人たちが 勘違いの時間をすごすのだ。
ははは、いいってことよ。
私には関係ないことでござんす。
11月3日
Nguyen Le「Talesfrom Viet-num] [Maghreb and friends] [Trios]を聞きながら
●同窓会の写真
レコーディングも自分の分はひと段落、後はキーボード二人の健闘に期待し、 最終的な推敲に入る。
ここ、数日はスペインのweb-magazineからのインタビューの回答を 考えているが、
これが結構な量あって、まだまだかかりそうだ。
昨年のprogfestの反響は大きかったようで、海外からの取材はかなりある。
私は一部しか知らなかったけれど、海外のプログレ系ファンジンがいろいろと KENSOの事を書いているらしい。
まあ、でも嬉しいこってす。
さて、 数日前、母校である神奈川歯科大の同期会から、先月行われた10年ぶりの同期会の写
真が 送られてきた。
私は、出席しなかった。
同期会当日がStewart & Gaskin のコンサートがあった日で、
10年ぶりにDaveさんと御会いしたい気持ちも勿論あったが(欠席の表向きの理由はそうしておいた)
なんとなく気が進まなかったのだ。
10年前に卒後10年目の同期会があって、その時は「10年ぶりに同級生の顔を見るのもいいかな」
と思い出席したのだが、開催者には悪いけど、そのつまらなかったことといったら!
まあ、考えてみれば学生時代にですら通りいっぺんの会話しかしなかった連中と 10年ぶりに会っても
話すことなんてないことに後で気がついた。
現役時代でさえ名前がよくわからなかった奴だっていたのだから。(単科大学だから同級生は100人
くらいだが)
上記の写真に同封されていた手紙によれば70名の出席で、2次会にも60名が出てカラオケ大会で
おおいに盛り上がったとのことが、それを読んで
「ううっ、苦しそう。やっぱり、いかなくてよかったかも」と思った。
酒も飲まない、カラオケは虫酸が走るくらい嫌い、ゴルフはやらないからそれについての話題もない。
ウーロン茶を飲みながら、「ああ、何を話そうか」と考え、頭が痛くなるような素人の歌に耐え、
おつきあいの拍手をする、、、酒飲みが酒についての蘊蓄をたれるのを聞かされるのもうんざりだ。
その時間、楽器やMTRと向かっていたら何かが生まれるかもしれないのにだ。
写真を見ると懐かしい顔が並んでいる。
みんな、それぞれの苦労を持っているだろうに笑顔で写っている。
しかし、考えてみれば、私の歯科大時代はそうした周囲の価値観との相違に気が狂わんばかりに
悩まされ、
すり減らされた日々の連続ではなかったか。
楽しいこともあったかもしれないが、とてもあの頃はよかったというふうに記憶の修正はできない。
もっとも、そうした状況に対する反動が初期のKENSOのエネルギーにもなったのだが。
(大学5年の冬に自主制作のファーストをリリースした時、同級生の一部が私が歌手として
シングル盤を出した
と勘違いしていた。よく中小企業の社長とかが”相模湖慕情”というような 曲で一枚だけレコードを出したでしょう。
私のやっている音楽に対する認識なんてその程度だったのだ)
昨年行った25周年記念コンサートは本当に楽しかった。
山本くん、佐橋くんを始めとした再会、今思い出しても心が暖まる。
私の人生にとってkensoとは、そういう存在なのだとつくずく思う。
そう言えば、最近読んだ「白い犬とワルツを」の主人公も、
50年ぶりだったかの同窓会の会場近く まで行きながら、結局会場ではなく、
「人生最良の日」を伴りょになる女性とすごした場所と再会しに いくのだったな。
あの場面、とても分る気がした。
何を大切にしているか、それはひとそれぞれなのだ。
「人は心に夢の丘を持っている」
10月24日
忙しくて忙しくて、髪を切る暇もないくらいだったが、きょう2ケ月半ぶりに美容院へ行くことができた。
横浜は高島町にあるこの美容院は、私のような中年男がなじみとするには、いささかおしゃれで高級な店では あるのだが、
以前高島町に住んでいたころから行きつけの店だ。いまや自宅から1時間はかかるが、ここへ来ている。
完全予約制のこの店にきょうは予約時間より少しばかり早くついたので、第2待ち合い室みたいなところへ
「少々お待ちください」と通された。
へいへいとばかり、文庫本を読もうと思った私の目に、私の前に この部屋で待っていた客が見ていたと思われる
ファッション雑誌の広げられたページが飛び込んできた。
見開き2ページに8人の女性の顔が均等に割り振られている。
今思えば「私のお気に入りのヘア・スタイル」 とかいう特集だったかもしれない。
私の目は左上の推定年令20歳の女性の写真に釘付けとなった。 可愛いのである。
老いらくの恋と笑うなかれ。私だって、自分の年令と自分の置かれた立場は充分承知している。
確かに、この年になっても高校時代と同じようにエレキ・ギターを弾いている。
特にこのところ自宅で、 ギターのオーバー・ダビングをしたりしているので、
夜中になると気分はティーンエイジャーではある。
しかし、昼間、自分の診療室で昭和32年生まれの患者さんのくたびれ具合を見るにつけ
「ああ、おれは本当はこの”まぎれもないオヤジ”と同級生なんだ。」などと、つくずく思うのだ。
手先のしびれ感、一日働くと目がかすむし、財布の中には健康堂マッサージの診察券、、、、、。
そんな私が、くだんのファッション雑誌の左上の女の子に目を奪われたのである。
もしかして、その子もしゃべってみれば、毎朝の通勤路ですれ違う阿呆女子高生たちと同程度の知性の持ち主
で、
かつ乱れきった日本語を使うやもしれぬ。
それでも、いいかなとすら思ってしまったことを今、私は白状せねばならない。
(ここまで書いて、「押絵と旅する男」という幻想小説の名作を読み返したくなった。)
オフコースの曲に老人のひとりごと的な曲があって、詳しくは忘れたが、
「私の短い人生は、私の生き方で 生きたから、もう2度と若い頃へ戻りたいとは思わないけど、、」という一節があって、
これは私もまったく 同感で、ここ数年の村石氏の主たる雇い主である歌手Yさんの「あの頃に帰りたい」という気持ちはない。
(しかし、オフコースの別な曲には「あの頃へ帰りたい」という歌詞もある、小田さん!!整合性という
点でいかがなものか)
でも、もしその雑誌の左上の女の子に、もちろん相手にされないのを承知の上で、
「私と一度でいいから お話してくれないか」と告白するとすれば、やはり44歳の今より、
20代のほうが自然だよななどと思うのである。(ここまで書いて、自分がジェスロ・タルの「アクアラング」の
ジャケットの老人の風体であったら その告白はよりエグイかも、などと脈絡のないことを考えた。
更にあの女の子にマウンテンのギタリスト、 レズリー・ウエストが告白したら、などども、、ああ連想が止まらない)
それにしても今日に限ってなぜ、こんな心境になったのか、思いあたるフシが無いではない。
私は毎日、電車で通勤しており、駅近くのコンビニで、昼ごはんのおにぎりやらミネラル・ウォーターなど
を
買うついでに雑誌のコーナーも一通り目を通す。クリニックの待合室に置くための雑誌を買うこともある。
そこで、きょう「Hotdog Press」という雑誌の表紙が目に入った。
”特集:How to love”
「へえ〜、今どきの若者は、どんなloveを求めているのかしらん」と、パラパラとページをめくってみると、
ラブホテルの紹介を始めとして、ほとんどHow to S●●ではないかと思える内容であったが、
まあまあ こんなものだろう、などと妙に納得していたら、周囲はエロマンガ雑誌を立ち読みする、
どう見ても頭の悪 そうな男子高校生ばかりになっていた。ロンドン・ハ−ツの片割れのようなヘアスタイルと、
どう見ても牛を連想させる鼻ピアスの高校生たちだ。(まあ、他人からみたら私も同類だったろうが)
「あ、やばい、こんな雑誌を立ち読みしているところを、患者さんやスタッフに見られたら」
実は、私のクリニックに勤務する若い女性スタッフも通勤前にこのコンビニを利用するのである。
あっ!本当に来た!
「あ、先生、おはようございます。」
「あ、あ、おは、おはよう。」
というような訳で、ぜんぜんまとまりがつかない、オチも出てこないうちに、
そろそろレコーディングの 時間となってしまった。すまんすまん。
昨日は新曲「夢想用階段」の制作をほぼ終了した。きょうは、96、97年のライブで演奏していた
「謀反」の
ライン録りギターを入れてゆく予定である。
老いらくの恋の結末はいかに、、、、、たぶんどうもならないと思う。
だって、忙しすぎて、それどころじゃないんだよーーーーー
明日は、市民健康祭りみたいのにボランティアでかり出され、綿菓子とかでべたべたの子供の歯に、
無料でフッ素を塗ったり、歯ブラシの指導をする歯科衛生士の卵たちの監督をしなくちゃいけないのだ。
えっ?何か言ったかい?村石くん。
「歯科衛生士の卵って、可愛い子いるんじゃないですか」だって?
ああ、いるかもしれないけど、それどころじゃないのよ。 こどもが唾液をペッと棄てて、一杯になったバケツを
公衆便所に棄てにいったりもするんだよ。
そういやあ、ある種類の女性を昔は「公衆便所」って表現したものだったけど、今はなんて言うんだろう。
ひどいエンディングだが、ここで失礼。
10月7日
市民健康祭りは大盛況のもとに終了した。我が歯科医師会公衆衛生チームも全力で頑張った。
歯科衛生士の卵たちの可愛いこと!
まあ中には行儀、性格、態度とも恐れを知らない奴もいたが、大半は素直な若者たちだった。
幸せな就職をし、幸せな人生をおくられんことを祈る。
さて、このところ珍しく、ベスト・セラーあるいは本屋で積み上げられている本を2册読んだ。
一冊は「白い犬とワルツを」
”感動の渦が日本中に広がっています!”という、いかにも売らんかなの コピーが多くの書店にひらひらしているこの作品、
ずいぶん昔に新聞にとりあげられていたので 買ってみた。
大感動には至らなかったが、しみじみとした良い作品ではあった。
もう一册は、「ホームレス作家」。これ完全に期待はずれ。
確かに、こうして普通の人が ホームレスになってしまうのかとか、公団住宅を追い出されてしまった人の家族が
行政上はどう扱われる のかなど知識としては「へえーそうなんだあ」と思った。
しかし、この文章力では作家としては あまり高く評価されないかもなあと思った。
いや、私の文章も貧しいけど、私はアマチュアですからね。 ただ本の愛好家として、この程度の作家には興味がわかないし、
この人がアルバイト先をくクビになる のも分る気がする。
私も人を雇用する立場として、この人みたいなのは働き手として好ましくないもの。
もう一冊はベスト・セラーではないが、宗教哲学者/高尾年数著「自伝的聖書論」。
作者が昨年、朝日新聞に寄せた文章が、KENSOの次の作品の構想に影響を与えた。
あ、それと古本屋で見つけた(やや高価であった)私の恩師の恩師であるところの偉大なる大脳生理学者:
林たかし先生の「頭脳」。昭和30年ころの本ゆえ学術的な部分はもちろん現代の医学常識とは異なる
部分があるが、
その独創的な切り口はやはり天才的である。
あああ、それにしても、浜●省吾ってあんなにダサイとは思わなかった。
いやね、昨日、アフガニスタン関連のニュースをNHKで見ていて、そのままTVをつけっぱなしに
してたら
「浜●省吾の特番」が始まってしまって、メールをチェックしながら、見てしまったのよ。
まあ、歌詞はね、ああいった世界、ものの考え方に共感する人がいるだろうなってのは
分るよ。
しかし、音楽とステージングがださすぎる。
TV見ていて気恥ずかしくなるだけでなく、 イライラするほどかっこ悪いのだ。
それでいて、インタビューではえらそうなこと言っちゃってさ、ふん。
もちろん、TVで流れた曲だけですべて彼の曲がダサイとは言えないけどね。
ま、関係ないか。今までだって、名前しか知らなかったんだから。
私とは音楽に関する美学がきっと違うんだわ。
今、友だちからもらったC.HadenとE.GismontiのCD「In Montreal」を聞いているけど、
これぞ音楽!!
Gismontiって本当に素晴らしいミュージシャンだと、あらためて思う。
みんながもっとこういう音楽を聞けばなあ。
昨年、アマチュア・バンドのコンサートを手伝った。演奏曲目の入ったテープをもらって
家で聞いた時、
「世間の人って、こんなにつまらない曲を聞かされ、しかも良いと思って いるのか」って心底驚いた。
KENSOのファンはそんなことないだろうけど、一度しかない人生、音楽は吟味して 聞きましょう。
しかし、ここで自問する。
もし、幸運にも、ファッション雑誌の左上の君と夕食をともにする機会があった とするよ。
そこで、彼女が
「あたし、浜省大好き!清水さんは?」と言ったとする。 その時、お前は
「浜省なんて、だっせーーーーじゃん!」と言ってのけることができるか!?
kensoファンの皆さんに誓って、そう言えるのか?
10月9日
御存知のとおり、現在ケンソーはレコーディング中であり、 予定としては来年の春にはリリースしたいと考えている。
そして、その後に、初期ケンソーの記念碑的作品である 「ケンソー・セカンド」の再発を考えている。
セカンドは93年に、「LIVE ’92」のリリースと同時にキング・レコード から再発されているが、
現在は製造中止状態で海外・国内の各方面から 再発を望む声が多かった。
私も3枚持っていたこのCDの内の一枚を先日、厚見麗衣氏(ケンソーの アルバムでセカンドが一番好きだとのこと)に謹呈してしまったので、 もうこれ以上頼まれても出せない状態だった。
再発に関しては、リマスターは当然のことであるが、その他にもオマケを 何かつけないとなあ、と考えている。
さて、数は少なくとも極めて熱心なKENSOファンの皆さん、期待の新作 レコーディングは順調に困難と向かいあっています。
簡単にできたら面白くないから、このほうがよいのです。
さて、そろそろ録音の時間だ。 10月3日
「じゃあ、あなたは、ビキニを着ている女のコは、みんな露出願望が
あるっていうの?」
「いや、そうは言ってないさ。ないけど、ただすずしくて気持ちいいという理由だけで、、」
あ、これは違うファイルだった。(偽名で書いている青春小説の原稿がなぜ バトル・オブ〜のファイルに混入したのだろう)
●あいかわらずガムラン
バリから帰ってきて、ガムランばかり聞いている。
昨日は、小口とガムランについて1時間ほど電話で話した。
私が疑問に思っていたことを彼に話したら、 それは以前に彼も疑問に感じていて、
ガムランの第一人者である 皆川先生に既に質問して回答をもらったいた。
さすが、小口!
しかし、その回答というのが、いろいろな風に解釈でき、
しかもガムランは(今、やっとそこまで実感としてわかってきたのだが)
ロックも含めた西洋音楽的な考え方では、絶対捉えられない部分があるので、
ふたりで「結局、こう言うことなんじゃないかなあ。」という結論だったのだが。
その後も、西洋音楽的にいうところの調性とかリズム・パターンについて話しあい、
こんど質問をまとめて専門家に聞いてみようということになった。
さて、そんなガムランの日々、頭のかたすみにずっとひっかかっていたLPレコード、
そのジャケットに、水色の服を来て、ガムランを演奏している人が映っているように記憶している
ものを
探してみることにした。
アナログ・プレイヤーの調子がおかしくなってから、LPレコードの棚はほとんど のぞかなくなっていた。
おおっ!!ありました、ありました。
キング・レコードの民族音楽シリーズ「バリ島のガムラン音楽」、、、1300円?!
ええっ?リリースはいつ?
1973年!!!、KENSO結成以前じゃん!
まだ、ぜんぜんガムランが日本では認知されていなかったせいか、
ライナー・ノーツ (ジャケットの裏に印刷されている、、、若い世代のかたは見たことないだろうな。
廉価版のLPにはよくあったのだ。ブラック・サバスのベスト盤もこれだったような)
の誤植も多く、笑える。
それにしてもこのレコード、いつ頃買ったのだろう。
1973年にリリースされてすぐ 買ったのではないにせよ、76年くらいまでには買っているだろう、、、。
ZEPのプレゼンスやYESのGoing for the oneが出たころか???
きっと何かで興味を持って、清水青年はロックのLPを買うためのお金でこれを買って、
「何これ??」と失望したのだろうな。
しかし、それが今、44才になってから、 喜びとともにレコード棚から出されるのだ。
なんという人生の不思議。
大江健三郎先生の「自分の木の下で」を彷佛とさせるなあ。
そして、あと2枚発見。
一枚は1975年リリースの、おそらくフランス輸入盤、 解説は、フランス語と一部英語、
清水青年、何を求めて、なけなしの金をこのガムラン(内容はジェゴグらしい)のLPに
そそぎこんだのだろう。
最後は比較的新しい、1982年リリースのビクター盤「火の島の響き」
これは、画期的なビクターのデジタル録音システムで録られているらしい、でもアナログLP。
ああ、聞くのが楽しみだ。
ところで、小口くん、スマラ・ダナって、色々調べたら、 どうやら
【スマラダナ/スマランダナ」
semara dahna/semarandana スマル・プグリンガン用に作曲された古典曲も演奏できるように、
一部の楽器を7音階にした変則的なゴン・クビャール。近年考案された。
ウブド近辺では、スダマニ、スマラ・ラティなどがこの編成を採り入れている。
【スマラ・ラティ】 SEMARA RATIH
天才的なバリスの踊り手として日本人の間でも評判のA.A.Anom Putraをリーダーとする芸能集団。
ゴン・スマラダナという楽器を有する。
定期公演は毎週火曜日Pura Desa Kutuhで行われているが、ウブドの定期公演の中ではキャンセルが多いのでも有名。
ついでながらスマラというのはスマラ神のことで、肉体的な愛の神。
ラティはスマラ神の妻デウィ・ラティ(月の女神)のこと。
ということみたいよ。
つまり、スマラ・ラティの”売り”っていう感じ?
でも、CDジャケットにはSEMARA DANAって書いてあるから、 綴りが違うから、、、、よくわかんな〜〜〜い!
以上、ガムラン三昧の清水です。 9月8日
さてと、ビキニがどうしたって?
ああ、あの小説か。
「稲垣くんて、ぜんぜん女の子の気持ちわかってないのね。」
「どう言う意味だよ。お前最近しゃらくせえぞ。」
”しゃらくせえ”なんて、今のコは使わないか。
そう言えば、この前も”ズベ公”って、何ですか?って質問きてたな。
「どう言う意味だよ。まったくはなもちならないやつだな。 俺はもう、怒髪天をついているんだよ。」
これでいいか。
それで女の子は
「なによ、駐車違反で捕まったくせに。」と時事問題を いれてくると、、。
清水です。 本日、バリより帰国しました。
3度目のバリ、やはり最高でした。 土産話は、またゆっくりするとして、とりあえず
買ってきたCDについて報告。
(と言っても、子ども連れの家族旅行ゆえ、残念ながら、 それほどの時間をCD探索に費やすことはできませんでしたが)
まず、今年は9000から10000ルピアくらいで買える(註1) カセット・テープで、
まだ日本に知られていない名作を 探そうと思った、、、、、のだが。
ウブドの大きなスーパー・マーケット「デルタ・デワタ」 で2本購入、
「Topeng」これはティルタ・サリの、おそらくトペン劇の音楽を 集めたもの。
もうひとつは 「festival gong kebyer tahun 2000 」というもので、 演奏はMEKAR
SARI。
この楽団、CDやカセットを探していると けっこうリリースしているように思う。
で、意気揚々とコマネカ(註2)のカセット・プレイヤーにかけたところ、
テープをすぐに巻き込んじゃって、とまっちゃう!!!! 2本とも。
よく見るとテープ自体が薄くて、もう既に ヤバい状態の部分もあるようだったので、
カセットはこの2本で止めた。
次にCDですが、SEMARA RATHIのSPILIT OF BALIは 3のみ、ありました。
あと既に小口が持っている2と4も当然購入しました。
3は、今度お貸ししますので、(もちろん他のも) コピーしてください。
で、1を必死に探したんだけど、なかったです。
私が、ジャケットの装幀や、他の有名楽団のアルバム・タイトルや シリーズもののナンバーリングから推測するに、
SPILIT of BALIの1は、ビデオ・ディスクでしか出ていない模様。 (詳細は今度お話します)
で、それは音楽の内容は、私が去年買ってきたSEMARA DANAというCDと 同じではないか?と推測されます。
ということで、結局、真実は分らずでした。
しかし、その昨年購入したSEMARA RATHI の「SEMARA DANA」の続編 「SEMARA DANA part2」というCDを発見!
あの、めちゃくちゃカッコ良い曲「JAGRA PARWATA」のLIVE VERSION収録 というのに狂喜して、
もちろん購入、コマネカのCDプレイヤーでかけて、 やはり良かったのでした。
このスピード感はすごい。 (今も、「SEMARA DANA 2」をかけながらこの文章を書いているのだが、
これは「1」より数段かっこいいですよ。)
とにかく、CDショップにいると目移りしてしまうので、 自分が実際に見たことのある楽団に絞って買うことに決め、、、
「LEGON 」グヌン・サリ(今回、初めて見ました。演奏もよかったけれど、 天才美少女の踊りが凄かった!!)
「DANCERS OF BALI」サダ・ブダヤ(プリ・サレンの華、客の入りもよく ロック・コンサート状態。
のっけのインスト曲にやられました)
と、あとはわけが分らなくなって、 「THE GOLDEN SOUND OF GONG GEDE」とSTSIの「LEGON
DANCE」という
小口の持っているのとは違うやつ。 以上ですね。
あと自分でMDにグヌン・サリ、サダ・ブダヤ、そしてワヤン.クリッを 会場録音してきました。
ビデオも昨年のSEMARA RATHIみたいに全曲というわけにはいかなかったけど、 記憶補助程度には録画してきました。
グヌン・サリのクンダン奏者が、楽団の指揮を実に楽しそうにとっていた様子、
サダ・ブダヤのガンサ奏者のすさまじい手技などなど、 今後の参考になると思います。
以上、とりあえずご報告まで。
いや〜〜やはり生のガムランは素晴らしかったです。
特に、サダ・ブダヤ公演では、演奏者のななめ後ろあたりに、 並んで地面に座ってみたので、
コテカン(なのかな??)の コンビネーションもなんとなく肌で感じられました。
また、ウブドを早朝に散歩していたら、例のサッカー場(註3)の向かいあたりから、
ガムランを練習している音が聞こえてきたので、家の中に入っていったら、
「おまえもやってみるか?」とあのカナづちみたいのを渡され、 叩かせてもらいました。
「難しいだろう?」
「すごく難しい」などと会話しました。
その話を、やはりバリに最近行った女性ミュージシャンにしたら、
「あのサッカー場の向かいのところでしょ。あそこはガムランを よく練習してますよね。」とのことでした。
ところで、新作のダビングのほうは、進んでますか。
また、電話します。
註1:1円=だいたい70ルピアである。
註2:コマネカ=コマネカ・リゾートというgoodなホテル
註3:ウブドの町に魅了された人と話をする時、
例えば「渋谷のタワー・レコードの手前のさあ、、」 という感覚で使われるとても分りやすい場所。
しかし、あの歩道に突然口をあける穴は、なんとかしてほしい。
まあ、クタの歩道の同様の穴が、担架でふさいであったのに くらべれば
ドラム缶でふさいであるほうがマシかもしれないが。
以上、小口くんへの手紙を一部手直しして、みなさんをガムランへと 誘うことにした。
ガムランは絶対に生に限る。
故武満徹先生が「切り取ることのできない音楽」というような表現を ガムランについてされていたのを記憶しているが、
本当にそう思う。
もし、このコーナーの読者でバリに行ってみようと思っている方が いらっしゃったら
絶対ヌサ・ドゥアという高級リゾートではなく (まあ、ヌサ・ドゥアも快適でしたが)
ウブドに行ってみてください。
毎晩、芸能が見られるし、どれを見ようか考えるのも実に楽しいです。
とりあえず参考文献としては、講談社現代新書の「バリ島」
コリン・マックフィ著「熱帯の旅人」、
日本のガムランの第一人者 、皆川厚一先生の「ガムラン武者修行」と「ガムランを楽しもう」
中村雄二郎先生の「魔女ランダ考」あたりが基本かな。
もちろん、偉大なる民族音楽学者・小泉文夫先生の「音楽の根源に あるもの」「小泉文夫フィールドワーク」
も大変勉強になる。
8月31日
ファンのみなさま、御存知のように、今KENSOはメンバー一丸となって、
新作のレコーディングに打込んでいます。
現在は、ドラムとベースのリズム・セクションは終了、ギターも7割くらい 終わりました。
(スタジオでアンプを大音量で鳴らすパートは終了)
でこれから、キーボード二人の出番です。
そして、小口/光田が頑張っている間、私は「エソプトロン」で言えば
「湖畔にて」「クロノス、ウーラノス、エソプトロン」同様の、 ひとりで自宅録音する作品にとりかかります。
小口が2曲、光田が1曲、(いずれも傑作!) そして私は小品も含めると10曲以上、、、。
kensoスタジオ・アルバム史上かつてない大作になりそうです。
私的には、三枝/村石のリズムの上にギターをダビングしながら、 この二人の演奏力に圧倒されました。
凄いわ、あいつら!
でも、私も全力を出し切り、燃え尽きるまでやりました。
この年になって、少年時代から熱中し続けているロックに ここまで、
へとへとになるまで没頭できるなんて、実に幸せです。
とは言え、今日、今までのスタジオ経費やメンバーのパーキング代や 弁当代/お茶代などの諸経費計算をしていると、
なんとか1万枚くらい 売れてくれないかなあああああああああああ、と急に寂しくなったりもします。
リリースは来年4月ころを予定しています。 8月15日
●唖然!!remember SHAKTI
レコーディング真っ最中、というより今日もこれからスタジオへ行く
(今日は、村石くんのV-DRUM入れやら光田、小口それぞれの新曲の リズム録りやらでヒート・アップしそう)
ので、こんな文章を書いて いる時間はないのだが、昨日の信じ難い音楽体験について書かずには
いられない。
remember SHAKTI!!!!!!!
再結成は嬉しかったし、CDもよかったけれど、少しおとなしくなった 気がしていた。
70年代のSHAKTIのライブ・アルバムのあの熱狂はもう味わえない のかもなと思っていた。
しかし、それは間違っていた!
あれこそ究極の音楽だと言えるだろう。
目が点になるというのはこういうことか?
4人全員すごかったけれど、やはりザキール・フセインが、、、、ううううううっ!
マクラフリンの音色も素晴らしかったし、
マンドリンの若者もさすがマクラフリンがひとめ惚れしただけのことはある 驚異的なプレイヤーだった。
もうひとりのパーカッショニストの演奏するタンバリンみたいな楽器も
いやああーーーーーーーー言葉がない!
ああ、もうスタジオに向かう時間だ。
今、最近のライヴCDを聞きながらこれを書いているのだが、 やっぱCDじゃ全然ダメなんだわ。
ディテールは聞こえるけど、ほとばしるエネルギー、
演奏者自身の高揚と 喜びの表情はぜんぜんCDからは伝わってこない。
はっきり言って先日のマグマより全然すごかったぜ。
ここにしか無い音楽。
remember SHAKTIは偉大なり。
●ガムランは面白い
リズム録りの前半戦を終え、ラフ・ミックスのCDRが届いた。
すごすぎて、いったい、この上にどうやって音を重ねていったら よいものか困った。
しかし、何度も繰りかえし聞き込んでいくうちに、やっといろいろな アイディアが湧いてきた。
ここ数週間の歯科医としてのボランティア的多忙生活が終わったら、 オーヴァー・ダブへとなだれこもうと思う。
今月後半に小口/光田とダビングについてのミーティングも決まった。
とにかく難曲ぞろいの今回、緻密にやっていかないと、、。
いやあ、本当に楽しみだ。
さて、私は今年も夏にバリ島へいくつもりである。
3年連続、いわゆるリピーターになってしまったわけであるが、
そりゃなるわ、バリの自然、色彩、そしてもちろん芸能!! 本当に素晴らしいもの。
そして、人も料理も再会が楽しみ。
小口も昨年の冬に初バリして以来、完全にはまってしまい、 CDを買うだけでは飽き足りず、
「ガムラン武者修行」の著者 皆川先生のレクチャーもなんどか受講しているほどだ。
最近では、インドネシアの政局や経済もチェックしているらしい。
当然、我々ふたりの曲作りにもバリ体験は影響を及ぼしている。
私も、ここへきて(今年もバリへ行くことが決まったため) 文献やらCDやらを集めて
集中的にバリを勉強している。
ガムランは聞けばきくほど、歴史的なこと人々のことを 知ればしるほど面白い。
純粋に音楽としても、もちろん興味深い。
実に面白い!
一方、音楽としてのロックは、今や本当につまらないものがほとんどだと感じる。
特に日本産の”ロックとされているモノ”の多くは中身がない。
「お前ら恥を知れ恥を」といいたくなるようなパクりも依然として横行している。
そんな”ロックとされているモノ”をとりまく構造に何の興味も もたないが、同じ国民として哀れではある。
kensoファンの皆さんへ、今の私のイチオシはtoolというバンドの新作!
これはすごいっす!!!!!
お薦めします。
これぞロックでしょう。
今年、キング.クリムゾンを、クリムゾンをですよ、前座にしたがえ 全米ツアーをするらしいが、
このパワーでは、今のクリムゾンでは 前座かもね、、、。
だってかっこいいもんTOOL。
それにしても、ユーロ・ロック・プレス誌今月号は一体どうして しまったのだろう?
かつて、私らと同世代でkensoと某バンド、 不本意にも東京の2大プログレ・バンドと称されたこともある
そのバンドの LPジャケットに陰部をさらした少女を書いたものがあって、
それはたとえばスコーピオンズの”ヴァージン・キラー”みたいなかっこよさは みじんも感じられない、
よく古本屋にまとめておいてあるロリコン雑誌の表紙を 思いおこさせるものであった。
その時のそのバンドに関わった某に
「プログレ・ファンにはロリコンが 多いから、結構あのジャケットは人気あるんだよ」と言われた。
ホントかよ、なはずねえだろ!
で、同じそいつがかかわったバンドが、こんどはSMかよ。
今の私にとってプログレッシヴ・ロックがどうしたこうしたなんてことは どうでもいいことだけど、
でも例えば村石くんのローディ(21歳)に
「プログレで好きなのはプラネット・Xです」なんて言われると、
「アダチくん、それはね」と、
プログレについて、きっと系統的に学んだことのなかったのであろう若者に ていねいに講議して
さしあげるwith文献&ビデオ。
やはり自分がかつて、好きで好きで、 多くを学ばせてもらった音楽だから、
あまりにも間違った解釈はされたくないもんで。
野口秀世博士を尊敬しているひとが、野口先生の今は否定されてしまっている発見/学説に
ついて、
あまりにひどい解釈をされたら、嫌な気持ちがするであろう、そういった感覚。
でも、基本的にはどうでもいいのプログレなんて、もはや。
そんな、私ではあったが、それにしてもユーロ・ロック・プレスの写真と、
阿呆丸出しのインタビューには辟易しました。
あ〜あ、って感じ。
エロティシズム、性倒錯うんぬんという次元ではなく、 単にビニ本的扇情趣味。
私の友人も「せっかく、去年kensoがLAで聴衆をびっくりさせて、 日本にもこんなにレベルの高いバンドが
あるんだってことを思い知らせたのに、 今年はまたこいつらが海外いっちゃうわけえ?」と嘆いていたぞ。
まあ、そりゃいいけどさ。
そんなことより、 この雑誌、私の子どもにも清水歯科医院の女性スタッフにも見つからないようにしないと。
家でも診療室でも通勤電車でも、どこでも見つかりたくないよ〜〜ん。
読みたい記事もたくさんあるのに、、、あ、そっかあ ここだけ破って捨てればいいんだ、それだけのことか。
ごめんね、中島くん、旧友Chihiro、川上くん、まぐま桜井さん、、。
いやあ、でもどこに捨てようか?
自宅やクリニックのゴミ箱はまずいし、
駅のゴミ箱で「え〜と、燃えるゴミは」 なんて迷っている時にたまたま患者さんに会ってしまって、
「あれ、清水先生、何捨てているんですか?」ってなったら信用がた落ちだし。
こんなことなら、歯科医師会の新年会のビンゴで万歩計じゃなくて、 個人用シュレッダーが当たればよかったなあ、、。
友人からライヴCDをもらった。
「トランス・アトランティック」って、一応それなりのキャリアを積んだメンバー の集合体なのに、
どうして単なるカバー曲とかも CDにまでいれちゃうんだ?って疑問。
LAで我々の後に出演した時は機材トラブルもあったらしいし、 元気なかったし、
調子悪かったのかもしれないけど、
オフィシャルCDにまでよりによってなぜ超有名曲のカバーを 収録するんだろうなあ。
それもたいして新しい発想のアレンジも施していない コピーバンドの域を出ないものを。
わからんなあ、そういうぬるま湯的な演奏を喜ぶ 安直な聴衆がいるということか?
これも、あ〜あって感じイ。
まあ、いいや、それよりガムラン、ガムラン、コン・クビャール、グンデル・ワヤン、、、
そしてtool!
6月3日
都内某スタジオで5月24日、リズム録り3日目が行われた。
前日、電話で村石くんと綿密なうちあわせをした。
先週の既に録音が終わったトラックに対し、
「サエは、きっと船の上で、すげえ練習したにちがいない」
(註・三枝くんはレコーディングの3日前まで、大西洋を 渡る豪華客船の上での仕事があった)
と語る村石くんからは、武闘派ドラマーの気合いが 電話ごしにひしひしと伝わってきた。
私は、「明日の演奏も、きっと素晴らしいものになる」と確信した。
結果は予想をうわまわるすさまじいまでのものだった。
私は彼等の職人技と研ぎすまされた感性に圧倒された。
こんなにも素晴らしいメンバーと出会えたことを感謝!
しかし、昼の12時にスタートして、夜中の3時におよぶレコーディングは 44歳の私には、
しかも先週のレコーディングで体調を崩し、やっと 回復しかけた私にはしんどかった。
(と、言っても、私は演奏したわけでは ないんだけど、、、でもね、慣れないシーケンサ−作業で結構疲れたのよ。
それに彼等のあの集中力と自己のプレイへのこだわりを相手に
アルバム全体を ディレクションしてゆくってのは、、、たいへんだった。)
ということで、しばらく休んで英気を養いたい。
幸い、6月は虫歯予防デー関連の行事とか学校や幼稚園の歯科検診とかが 多くて、
しばらく音楽する時間はとりにくいし、、。
しかっし、ベースとドラムと録音用のガイドしか入ってない録音済み分の 音源だけで、これだけかっこいいって、
やっぱ村石/三枝は凄いわ。
どうやって、上モノかぶせようか???
完成した音を村石/三枝が聞いて、
「清水さん!こりゃないですよ〜〜!」 とならないよう 小口/光田と作戦会議しないと、、、。
リレーで前の走者がトップでもどってきて、バトンを「後は頼んだぞ」と わたされた心境でやんす。
スケジュールの都合で、残りの曲のリズム録りは8月頭くらいかな?
まあ、みなさん、気長に待っていてください。
「ESOPTRON」リリースから、まだ2年も経っていないんだから。
5月27日
5月16、17日と、都内某スタジオにてベースとドラムのレコーディング前半戦が
行われた。
今回はギター、ベース、ドラムが同時に「せ〜の!」で録った前作「エソプトロン」
と異なり、
「夢の丘」の時と同様、私と小口が作ったガイド・トラックを聞きながら 録音していく方式。
録音システム自体もpro toolsを使った緻密レコーディングである。
とにかく、凄い! あの、ふたりは凄すぎる。
音を聞きながら、
「こういう凄いミュージシャンと出会えたことが、ここまで 活動してくることができた原動力だったんだ」
と何度も思った。
ベーシック・トラックがあまりにハイ・レヴェルなので、
アルバム全体を 一体どうやって仕上げるか、かえってプレッシャーを感じるほどだ。
5月20日
●Progfest2000のコンピレーション
5月4日、すがりつく家族を振り切って、やってきました福島スタジオ、
誰が呼んだか誰が呼んだか”Island recording studio”。
これからkensoの新作でも活躍するであろうpro tools (というレコーディング システム)
を導入したばかりのこのスタジオからは、 「エソプトロン」「謙遜愚素」が巣立っていったのです。
あの当時は旧システムでしたが。
「エソプトロン」のブックレットに、小口が福島さんから味噌汁を 受け取っている写
真がありますが、
あれはスタジオの隣のダイニングの風景です。
ビデオ「秘匿性心象」のラストで三枝が自分の家の留守電が盗録されていたのを 知らされるシーン、
あれも旧システムだったころの、I,R,studioです。
5月4日はKENSO国際部部長、語学王・上田氏も参加。
結果は、とにかくねえ、いいですよ。
演奏が熱い、熱い。
確かに機材は自分のものじゃないし、トラブルもたくさんあったけど、
気合いがやはりね、違ったんだなあと思います。
もちろん、これまでいつだって全力投球でやってきたんですけどね。
こんなにエネルギッシュなプレイがこの中年バンドにできるなんて驚きです。
「空に光る」なんて、ドラムが村石くんになってからの最高の出来じゃ ないかなあ。
「地中海とアーリア人」の外人のハンド・クラッピングがいい味だしてる!
やはりここはアメリカなのだ!って感じが伝わってきます。
途中から、リズムにのれなくなっているけど、それもまた楽し。
というわけで、progfest2000のcompilation用に5曲、トラック・ダウン 終了しました。
pro tools の機能の凄さの片鱗もうかがい知ることができたし、
このトラック・ダウン、とても有意義でした。
さあ、来週から、いよいよニューアルバムのレコーディングだ。
楽しい!楽しい!
5月7日
●カノン
人生は「こうしたい」という希望だけで成り立っているわけではない。
家庭、教師としての仕事、自分を支えてくれた多くの人間関係、、、、。
今の生活の充実感と安定と責任とを、 青春の夢や情熱と比べてどうなるというのだろう。
これは篠田節子・著「カノン」の一節である。
女流作家に詳しい方は「清水さん、篠田節子なんて読むのかあ。意外!」 と思われるかもしれない。
私も今年になってから、新聞紙上で同作家による「ハルモニア」の書評 (というより、
新聞の読書記事の”おすすめ文庫本”欄)を読み、 「へえ、読んでみようかな。」と思うまで、
篠田節子という名前を知っている程度であった。
古本屋の女流作家コーナーで、一度くらいはその作品を手にとったことが あるかもしれないが。
御存知のとおり来月からKENSOはレコーディングへ入る。
おかげさまで先週末、バンドで演奏するための”清水楽曲”は すべて作曲し終わったのだが、
(私ひとりで演奏する曲はまだ未完) 「ハルモニア」の書評を読んだころは、
バンド用 未完成曲のことで頭がいっぱい。
本当にこのままで、 納得のゆくアルバムなんてできるのか!!と考えこむけっこう深刻な毎日で、
しかも本職のほうでも読まねばならない本が多くあり、 精神的体力的にかなり疲れていたので、
割と軽めのエンターテインメント的な本を 読もうと思い、仕事帰りに「ハルモニア」を購入したのが始まりだった。
「ハルモニア」が、なかなか面白かったので、同様に作者の音楽観が作品の 重要な要素となっている(と思われた)
「カノン」を次に読み、 そこで、おそらくは話の展開とは直接関係ないようにみえて、
実は作者が言いたかったことのひとつなのでは?と思える上の一節に なんとなく心を動かされた。
共感するアンビバレンツな思いが自分のどこかにあった。
私はつい先日44歳になった。
私と同世代のひとは私同様、きっと仕事のこと家族のことなどに追われながら、
ふと自分の人生について思いめぐらすことが多いのではないか。
しかし、 前回の”クリムゾンおやじ同級生”との電話で彼が、
「おれたちくらいの年になると、回顧的になるよね。 昔のことばかり考えるよ。」と言っていたのに対しては、
そんなことで論争してもしかたないので いちおう「そうだな」とは答えたが、 私はそうは思わない。
使い古された言い回しかもしれないが、 過去をふりかえるのはまだ早い。
というより、ふりかえってばかりいるのは 時間の無駄だ。
そういえばジェスロ・タルのアルバムに、 なんかそんなタイトルのがあったな。
あ、いかん、もう夜明けだ、時間がない。
これから、メンバーに渡すデモテープのダビングをせねばならないのだ。
ま、ともかく同世代諸君!
まだまだ回顧的になるのは早いぜ。
先日電車の中で、前に座った40台半ばと思われるサラリーマンふたりが、
部下と思われる2、3人の若い女性に、酒臭い息をふきかけながら、
「若い男なんかよりよお、おれたちくらいの男のほうが、 いろいろと経験積んでて、
話題も豊富で、ぜったいいいぜえ」と 話題が豊富とはとても思えない赤い顔で自慢げに話していた。
その反吐がでるような光景、、、。
あんな、醜悪な中年にならないよう、 KENSOのレコーディング、がんばります!!
4月23日、、、えっ!?もう23日? 従業員の給料の計算しなくちゃ!!!!!
●嗚呼、青春群像
歯科大時代の同級生Aから電話があった。
最初、診療中だったので、昼休みにかけなおす旨、 受け付けスタッフに伝えてもらった。
「何の用だろうな、そう言えば、9月に10年ぶりの同期会をやるって いう連絡があったけど、
あの日デイヴ・スチュワート公演が あるんだよな。その同期会のことかな?」
「そういや、Aはかつてクリムゾン狂だったな。それで、私が ジェネシスも聞いてみろよって薦めて、
ジェネシス初来日の時はチケットを買うため、 青山のウドーに夜中から並ぶつもりでふたりで行って、
でももう整理券くばり 終わってて、しかたないから日比谷公園に(なぜか?)行って、
カップルが濃厚なシーンを展開しているのに大学生の男ふたりがいっしょにいるって
いうのも変だということで、
こんどは銀座に(なぜだ?)行って、 安そうなスナックへ入って、男ふたりで酒飲んでたら、
隣のテーブルで飲んでた 女の子のタバコの火が私のズボンを焼いてしまって、
「ごめんなさい!」って あやまられて、そしたら結構可愛い子だったんで、
Aが何を思ったのか (これをきっかけに、お近づきになろうと思ったに違いない)
「こいつは、こんなダサイ服着ているけど、ギターがすげえ上手いんですよ」
とか何とか、その女の子に話しかけて、その上、酔っぱらっているもんだから、
そのスナックの”ギター弾き語り”のプロのおじさんに
「ちょっと、おれのダチに(私のこと)、ギター弾かせてもらえませんかねえ」
なんて、かけあっちゃって、、、、
私もよせばいいのに、Aにのせられて、 今でも忘れない黒のレスポールを手にして、
その銀座のスナックのステージに 出てしまって、Aと私のズボンを焼いた女の子のグループのみの注目の中、
「さすがに、ここではロックはできないな」
と、覚えたてのジャズのフレーズを ちょこっと弾いてお茶をにごしていたら、完全に酔っぱらったAは、
「ヨシヒサ〜!クリムゾンひいて〜〜。」とか、店中に聞こえる声で
「ジェフ・ベックひいて〜〜」とか言うんだよな。 で、弾きましたよ。Aの奴隷となって。
演歌が似合いそうな、場末の安スナックでクリムゾンだかなんだか忘れたけど、、。
当然、店はしらけきってしまい、失意のうちに私はステージを降り、
”弾き語り”のおじさんに「ギターありがとうございました」って返しに いったら、
おじさん、なぐさめるように、
「君のはロックだね。この店には ちょっとあわなかったね。」って言ってくれたんだ。
”ただ、あなたの優しさが、こ〜わ〜か〜った〜”という歌詞が四畳半フォークの 代表曲にあったけど、
弾き語りのおじさんのやさしい言葉に、多感な清水青年は かえって落ち込み、
その店をでて、こんどは(もう泥酔していたため、今でも どこの店にはいったかよく覚えてない)
深夜喫茶みたいなところに行ったのだが、 ちょっとそこはボッタクリ的な店だったので、結構な金とられて、
これじゃあ ジェネシスのチケット代がなくなってしまうということで、
最後は東京駅前の 植え込み(噴水があったかどうか不明)で野宿することにした。
で、朝、周囲のただならぬ雰囲気に気づいて起きてみると、その時間既にラッシュアワーと
なっており、
我々は多くの出勤ビジネスマンに奇異な視線を浴びせかかられる存在、 ホームレス青年、、、、、、、、。
「おいっ!ヤバイよ!もう9時近い!」
急いで青山へ。
”チケットぴあ世代”のかたにはわからないだろうな。
青山ウド−から始まる行列は、既に青山学園の正門(だったかな)にまで達していたのだ。
つまり深夜にはるばる東京まででてきた田舎青年の意気込みは、完全に空振りになってしまったのだ。
行列の最後尾に向かってとぼとぼ歩いていると、
比較的前のほうにならんでいた 高校時代の後輩が私を見つけて声をかけた。
「あれ?清水さん、何してるんですか?」
ということになって、そいつのほうが、もちろんいい席をとれるので、
そいつに頼んで、チケットを買ってもらったってワケ。
ああ、哀愁の南十字星。
紆余曲折あったけど(って、ただ徹夜しただけか)おかげで結構いい席で見れたのです。
ジェネシス初来日は、初日のスモークに会場の検知器が反応してしまい、 2日目以降はスモークがあまり使えず、
しかも、あれだけ前宣伝していたコンピュータ制御の 鏡も厚生年金ホールのステージに入らなくて使えないという、
「もっとちゃんと調べてこいよ」的な 感じであったらしい。
私は運よく初日を見たのだが、そういった事情でたとえ照明が”ロック界のスターウォーズ”でなくても、
やはりジェネシスをこの目で見ることができ、しかも演奏も素晴らしく大感動した。
途中Aと私は抱き合ってしまったことさえあった。(東京駅の植え込みで一夜をともにしたふたりだモン)
Aなんて、初めて体験するレーザーの光を手で掴もうとさえしていた。
いやあ、今でも、あのライヴの感動は忘れられない。
kensoが日本音階を意識しだしたのも、ジェネシスを見て、
「どうして、こんなにイギリスを感じさせるのだろう?」と感じたことがひとつの きっかけだった。
最近でも、kenso25thライヴの時のツイン・ドラムのアイディアの根底には、
間違いなく ジェネシス初来日の時の感動があったと思う。
さて、前置きが長くなってしまったが、そんな友人Aと電話で話をした。
10年以上前、彼が大学院を出て、付属病院に勤務していたころ、 偶然大学で会って、
「おお、久しぶり、今でもクリムゾン聞いている?」と私が 聞いたところ
「いやあ、もう最近は、軽いもんばっかり。日本の歌ものの軽いもんしか 聞けなくなっちゃったよ〜〜。」
(今”日本の軽いもの”と書いて思い出した、 彼と会ったのは、まさにバブル経済の時代、
うそっぱちポップスが街に溢れていたころだった。
まあ、今も変わらず街に残飯ポップスは見事なまでの悪臭を放っているが)
ということだったので、音楽の話題ではそれ以上進まなかったのだが、
今回のAの電話は 「あのさ、今日の用件というのがクリムゾンのことなんだけど、、。」
要約すると、昨年、Aの出身高校(県下屈指の進学校)の同窓会があって、
そこで会ったかつてのクリムゾン友だちに、なかば無理矢理聞かされたのが きっかけとなって、
クリムゾン熱がメラメラと再燃し始めたのだとのこと。
それで、CDショップのクリムゾンのコーナーに行ったら、皆さん御存知のように
クリムゾンのCDがあまりに沢山リリースされているのに驚き、
「いったい、どれを聞いたらいいんだああああ!」 とパニックに陥り、
「そうだ、よしひさ、まだ音楽やってるはずだから、聞いてみよう」となったらしい。
”Larks””Bible black””RED”をこよなく愛す彼に、必聴盤を教え、
「俺なんてロバート・フリップに会わせてもらったんだぜ〜〜〜」
と えげつない自慢話をし(感じとしては、Aの憧れの女性の真利子さんというのがいたとして、
その女性と私がつきあっていて、Aに”真利子の唇の感触はねえ”とか
あんな、おとなしそう な顔していていて、あれで結構情熱的でさあ”とか
”真利子って着痩せするタイプ なんだぜ”という自慢に近い、
真利子って外見は清楚に見えるけど、実は重度の歯周病で 口臭がひどくて”なんてことはもちろん言わない)
Aが「いいなあ、よしひさ、いいなあ。うらやましいなあ。フリップてどんな雰囲気の人だった?」
なんて結構まじめに聞いてくるから、
「そうねえ、フリップの唇の感触は、、、、、、、」
そういやあ、Aは「ねえ、ロバート・フリップって結婚してるの?」なんて 質問もしてたな。
それ聞いてどうすんねん。
「もしかして、よしひさ、フリップのサインとか持っているの?」
「もちろん、持っているけど、、」
(ああ、この前、掃除した時、どっかへまるめこんで、どこいったかわからねえや、、、、。)
でも、最後にAが、銀座のスナックでのエピソードを「よしひさ、覚えているかよ」
と話しだし、
「あの時はごめんな、俺も若かったから、悪のりしちまって、、。」
ああ、Aも覚えてたんだ。
なにか、とても嬉しくなった。
ああ、我が青春、プログレッシヴ・ロックとともにあった青春。
私は”キング・クリムゾン・ブート・ビデオ集”をAに作ってあげようと思った。
4月12日
●平成13年4月1日 KENSO始動
昨年9月にロス・アンジェルスで別れてから数カ月、
都内某リハーサル・スタジオに私、三枝、村石が集合、 次のアルバム制作にむけてのリハーサルに突入した。
いつものことながら、メンバーのオフ日をなんとか やりくりしながらの超過密日程ではあるが、
ともかく こうして再会できたことがまず嬉しい。
小口、光田は都合がつかなかったので3人だったが、ほとんどが新曲の 状態なので、
私がキーボードとギターを持ち替えで、 作曲者の意図を説明していったほうが実は効率がよい。
ある程度、ベーシックな部分ができあがったところで小口が、
「あの村石くん、あそこさあ、例えば、、、、」
という具合に 新しい作戦が次々に提示されるのが、いつものケンソー・パターンだ。
今回は”エソプトロン”の時とは異なり、かなり複雑な曲が多いため、
どのくらいのペースで進められるか心配していたのであるが、
さすが、村石、三枝の両氏は素晴らしい!!
私の稚拙な譜面、紙に書かれた記号が、時間の経過とともに 音楽となってスタジオに溢れてゆく。
「ああ、これが楽しいんだよな。」
自分でバンドを持ち、自分のオリジナル曲を演奏するというこの楽しさ、
自分の狭い頭の中で鳴っていた音楽が、命を与えられ、 どんどん広がりと力を増してゆく快感、、、、、。
3月10日、小口とふたりで、ピーター・ハミルの来日公演に 行ってきた。
もう、とても感想なんて書けないね。
コンサートで こんなに金縛りにあったようになったのは、ここ10年いや もっとないかも。
80年代の来日公演に行った友だちから(あの時は完全にソロだったと 記憶しているが)
とにかく凄かったと聞いていたので、かなり期待していたのだが もう期待をはるかに上回るライヴだった。
もう何を書いても虚しいよ、だってあの音楽を言葉で表現しようがないもの。
とにかく、今まで私が見た中で一番凄いヴォーカリストだと断言できる。
ヴォーカリストと書いたが、それは勿論単なる歌い手という意味ではない。
歌うことを手段として何かを表現する、、、、う〜んダメだ、言葉が見つからない。
小口とも話したのだけれど、ハミルに曲を作らせているモノ、ハミルを衝き動かしている
モノの巨大さに
圧倒される思いだった。 あのライヴを見れた人はラッキーだと思うよ。
かつてプログレッシヴ・ロックにカテゴライズされ、 今も現役で活動しているミュージシャンのうちで
一番凄いのは、
クリムゾンでもなく、もちろんイエスやキャメルのはずもなく、
ピーター・ハミルなのでは(もちろん見たことがないミュージシャンは除く)とさえ思う。
しょうもない書き方ではあるが、こんなことしか書けないくらい衝撃を受けてしまったのだ。
ヴァイオリンもよかったなあ、なぜハミルがこの人と活動しているか 分かったような気がする。
ハミルの持つ音世界を共有し、更に増幅して 信じられないような高みにまで到達していた。
これも小口と同意見だったけど、途中、「これ本当に二人で出している音かよ!」 と何度も戦慄した。
次の瞬間瞬間にどんな音楽が炸裂するのか、ドキドキしながら聞くなんてこと 近頃なかったし。
いやあ、私もずいぶんコンサートには通ったけれど、今夜のことは生涯忘れないだろう。
ピーター・ハミル、凄い!!!!!!!!!!!!!!
しかしまずいことが一つ生じてしまった。
ここ数日、作曲がはかどっていたのだけれど、 ハミルを見たことで、自分の音楽が実に貧弱に感じられ、
とても曲を作る気にならなくなってしまいそうなのだ。
いやあ、そりゃあ、自分の音楽とハミル/VDGGの音楽が 比較にならないものであることなんて、
充分承知していたが、 (特に最近リリースされたVDGG boxにノックアウトされたのは
このHPでも書いたはず)
こんなにも自分の音楽が非力に感じられてしまっては!
う〜ン、困った。
(心の中に秘めた世俗的思い・禁告知/帰りの電車の中で)
日本の自称ロック・ヴォーカリストたちが、もしハミルと歌バトルをしたら傑作だろうな。
ああ、でもそれはあまりにも酷かなあ、いくらなんでも。
同じ日本人として、彼等が恥をかくのを見るのは忍びな、、、、くない、ない。
ある種のカタルシスさえ感じるかも。
ファンのことをスレーヴと呼んでいい気になっている留無胃の ヴォーカルとか、
歌が上手いといわれている「綺麗だ、キミのスイミングスタイル」の彼と ハミルと対バンさせてみてえ。
まともな神経の持ち主だったら、落ち込んできっと職を変えるだろうな。
あ、奴らがまともな神経なはずないか。
まともだったら、いくらなんでも、あんなひどい歌平気で歌うはずないもんな。
ちょっと待てよ、やっぱり、あいつらにはハミルと共演して欲しくないな。
だって、あいつらときたら、すぐ真似るだろう、表面だけ。
で、しょうもないサルマネ歌、歌って、それを脳タリンが喜々として聞きカラオケで歌うと、、、。
それで馬鹿なマスコミも「○○の確信犯的なビートルズのパクリは素晴らしい」
などどいう訳のわからないヨイショをすると、、。
(ハミルをパクった屁室京透毛なんて、聞いてみたい気もするけど。ウソウソ、聞きたくねえよ。)
まあ、よいしょすることで生活費を稼ぎ、こどもを学校に行かせているんだから 仕方ない面
もあるよね。
ハミルの音楽に比べたら、街に溢れているJーpopだかJーrockだか知らないけど、 ああいうのは残飯だね、
ブタのえさと言い換えてもいいかもしれない。
それにしてもさあ、「雪の日の幻想」の回にも書いたけど、 接吻よりロックだよね。
3月10日
●ハミルの残像
昨日は失礼した。 もう頭が死にかかっていたので、
神々しいまでのピーター・ハミルのライヴ・レヴューに 胸が悪くなるような”J-pop”の連中のことを書いてしまった。
それはともかく、一日たった今、多少冷静さをとりもどした今でも、
「一体あれはなんだったのだろう?」という思いが消えない。
度胆を抜かれたのは勿論その通りなのだ。
でも、それだけで、あれだけ自分がギリギリのところまで追い詰められたり、
心理的にバランスを欠きそうにまでなるだろうか。
故岡本太郎氏が「綺麗なものが芸術なのではない。見ていてもうその絵から 目をそらしたくなるような、
立ち去りたくなるような不快感、不安をひきおこすものも芸術なのだ。」
というような発言をしていたが(ディテールは自信なし)
ハミルのライヴには不快感など勿論なかったが、自分の中に何かとてつもないモノが
生まれてしまった、
あるいは埋め込まれてしまったような感覚を味わっている。
ステージから自分に迫るものが、もうメロディとかコードとか そうした姑息な分析を拒絶するだけの、、、、、
う〜〜んダメだ、やっぱり上手く 表現できない。
いつだったか、小口らと、ある日本人有名ポップス歌手の歌を聞く機会があり、
その帰りに コーヒーを飲みながら、私の
「しかしさあ、ああゆう”うそっぱち”の世界を 歌ってさあ、それで聞くやつらも、ウルウルしてるってのが
私には よくわからないんだよねえ。ぜんぜん伝わってこないじゃん、あんな”うそっぱち”
の音楽なんて。」
という発言から 「いや、清水さん、ポップスっていうのはそういうもんなんですよ。」
「例えばジョン・レノンの音楽みたいに、自分の内側から込み上げてきたもの を表現したシリアスなものもあるけど、
大半はああいったモノ、軽いもの、 擬似恋愛みたいなのを 一般の人は楽しむんですよ。」
という方向で議論したことが思いだされる。
ハミルのライヴ告知のチラシだったかに、
”ハミルは自分は何ものであるのか、 自分はどこから来てどこへ行くのかを追い求める”というようなことが書いてあり、
ステージを体験する前は、その文章に安直な感じを受けたが、 今は、そういうことなのかもしれないなと考えている。
そして、それはハミルがハミル自身に問いかけていると同時に、
聴衆である我々にも強くその問いが切迫してくるのであろう。
のどもとにつきつけられたナイフ、時としては斧だ。
本当の意味でヘヴィーな音楽だと言えよう。
ハミルの歌には彼の真実がある。
それは質感こそ違うがジョン・レノンに匹敵するものだと思う。
”きれいごと”と”ウソッパチ”から遠く離れた、
一人の人間が真剣に生きる重みが、
ちゃらちゃらとした装飾を排して 私に迫ってくる。
あのライヴに居合わせたラッキーな聴衆のほとんどは、
曲が終わってハミルが 曲の世界から開放される瞬間を息を止めて見つめていたのではないだろうか。
パッケージされたロック・コンサート、お役所仕事のようなロック・コンサートの 対極にある、
研ぎすまされた時、空間であった。
「凄いものを見てしまった。」
これが終演後、小口と私の口から何度となくでた言葉である。
”孤高”という言葉がふさわしい数少ない存在であることは間違いない。
3月11日
●ハミルから学んだもの
ライヴ直後は小口と
「でも、今日の場合、この音楽からこういう部分を 取り入れようとか、ここを自分なりに分析して、
云々ということじゃあないよな。」 と話していたのだが、
2日たってみると、やはり色々と教えられたモノが多いと 考えるようになった。
ハミルの音楽は、とらえどころのない音楽であった。
しかし比類なき独創性に溢れていた。
激しい感情の奔出も強烈であった。
そして、そこにはロックが流れていた。
ロックとは何かという問いのひとつの答えを示していた気さえする。
とにかくかっこよかった。
表現手段や演奏技術の巧拙ではなく、表現欲求そのものがいかに大切かということも
今さらながら思い知った。
今でも、あのライヴを言葉で説明することなどできはしない。
しかし、ハミルが私の体に、心に残してくれたものを大切にし、
再び自分の音楽に向かわなければならないだろう。
3月12日
毎年2月、自営業のみなさんは3月の確定申告へ向けて、 それまでの自分の怠惰を後悔しつつ、
ちょー多忙な日々を おくられているのではないでしょうか?
大変ですよね確定申告。
私も歯科医院を経営していて、何が一番面倒かって、 確定申告の準備ほど面倒くさいものはありませんやね。
また、この準備によってkensoがいかに儲からないかを 痛感させられるんですよね。
自腹切ってビデオを作り、ビデオの収入で「謙遜愚素」を 作り、更にLAライヴ経費の不足分を補い、
「謙遜愚素」のあがりを次のスタジオ・レコーディング用経費の 一部にすると、、、、、。
まさに自転車操業です。
さて愚痴はこのへんにして、、、、。
昨日、今話題の映画「Dacer in the dark」を観てきました。
ビョークというアーティストは、とにかくここ数年の女性ミュージシャン の中ではダントツにすごいと思ってきました。
特に、アルバム「ホモジェニクス」(だったと思う。おかめみたいな人形の ジャケットのやつ)を聞いた時は、
もう打ちのめされましたね。
歌のうまい女性歌手はたくさんいるけれど、トータルなサウンド・メイキング というか創造性という点で
ここまでの存在は珍しいと思う。
好調だったころのケイト・ブッシュにも匹敵するその独自な世界!
4th あたりのP・ガブリエルを彷佛とさせるリズム構築、
などなどビョークの音楽について書き出すときりがないので、このへんでやめますが、
だから「ビョークが映画に主演して、カンヌだかで主演女優賞をとったんだって!」
と昨年の夏だったかに聞いた時から、これは久しぶりに劇場に観にいかないとな、と
楽しみにしてきました。
ところが、新聞やら雑誌やらで、一般ピープルたちが
”とまらない涙!ティッシュをご用意ください。”
”母親の愛に感動!”
”日本中がビョークの演技に歌に震えています!!” などど感想をのべ、
街行く若者(フランスがアフリカ大陸のまん中にあると思っているような)が
「すげえ感動した。」
「私も、将来こどもができたら、あそこまで子どもを愛せるのかな?」
などと話しているのを聞いているうちに 「?????????」 と感じはじめた。
私の妻も、新聞を読んで、”どうなのかなあ”と思っていたらしい。
まあ、でも見ないと話にならないし、というわけで観てきました。
観終わってすぐの妻と私のほぼ共通の感想は
「新聞とかで言ってたのと、ぜんぜん違うところにテーマが あると思うんだけど。」だった。
すごいよ、やっぱりビョークは凄い!
でも、例えばアメリカの陪審制裁判のことを始めとしていろいろと分らない部分もあったし、
テーマなどについてももっと考えたかったので、
ミスター現語学・上田さんにメールしてみたところ 私同様、ビョークはデビュー当時から注目していたが、
「Dancer in the dark」はやはり新聞の”感動の嵐”評によって どうしようかなあ状態だったらしく、
まだ観ていないとのこと。
で、よせばいいのに「Dancer^^」のwebサイトにいってみたら、
そこで芸能人の方々の、ほとんどがドアホな感想に出会い、 なんだよこいつらもこれかよ、と思ったのであるが、
もしかして、ここまでみんなが恥ずかしげもなく”母の愛に感動”ということになると、
もしかして本当にこの映画は”母の愛に感動”すべき、
それをテーマとした映画とさえ 思えてきた、、、はずねえだろっ!
というわけで、あらためて一般ピープルとの乖離を感じる今日この頃ですが、
上田さん!!早く観てよ〜〜。 話したいよ〜〜。
みなさんも「Dancer in the dark」について、勇気ある解釈をこのHPあてメールしてください。
もし、観にいく場合、目眩/乗り物酔いしやすい人は、後ろのほうの席でみたほうが
よいかも。
余計なおせっかいかもしれないが、理由は観ればわかります。
でも、ぜったいビデオでは魅力半減以下の映画ですね。
ぜひ劇場でみないと。
さすがビョークだけあって、音/音楽の扱いが絶妙でした。
特に、刑務所の中で、換気口から聞こえてくる賛美歌(私には、ビョークのオリジナルな
作品に思えたけど)
にあわせて歌うところはよかったなあ。
あれは確かに”感動の嵐”でした。
2月17日
●読売新聞掲載がひきおこしたもの
昨年の11月に 読売新聞に載った時の話。
まず、 音楽雑誌と桁ちがいの広がりを実感。
白衣の洗濯をいつも頼んでいるクリーニング屋さんの 女主人が
「先生!ロックやってるんですか!!!!」 と驚き、
おばさん患者が治療椅子(ユニットと言います)の上で 含み笑いをしながら、
「先生、見ましたよ。」と言う。
誤解しないでほしいのだが、「俺って有名!?」と喜ぶほど 若くはない。
(高校のころだったらきっと鼻高々だったろうが。)
KENSOの活動資金を得るためには、少しでもCDが売れて欲しいので、
読売新聞に載せていただいたこと自体は本当にありがたいことだと思うのだが、
なんというか、まあ良い方にばかりは解釈されないのよね〜〜。
なにしろ、ふだんは私は下町の歯医者ですから。
でもまあ、その程度は予想していたことだからいいのだ。
困るのは、昔ロックやっていたという、今は単なる中年男みたいな 人がCDを売ってほしいと接近してくる、
そしてそれだけならまだいいのだが、 ロック談義をしかけてくることだ。
彼等の持つ「俺だって昔は、、」的な自尊心は、まったく他人、
それまでまったく 関係のない人生をおくってきた私にとっては とても扱いにくい。
「じゃあ、今のあなたは誰なんですか?」と言いたくなってしまうが、
かえって面倒なことになりそうなのでやめてしまう。
また多くの場合、彼等の考えるロックとケンソーの 音楽はかけはなれており、
そのへん、はっきり言ってしまえば 素人相手に話すのは面倒だし、
お前ら俺とロックの話したいなら、もっともっと 勉強してこいよ!と思う。
だって、みんな、浅いし狭いし、しょせん趣味の領域、
酒のみ、パチンコ、ゴルフに車にスキーにカラオケ、、、そしてその合間にロック?
その程度しかロックに関わってない人間に、
どうして俺の大切なプライベート・タイムを とられないといけないんだよ、まったく。
それでいて、どうしょうもないバンドを俺が批判すると
「いや、あれはあれでいいと思う。」 なんて言ったりするんだよな。10万光年早いぜっ!
あと、「ロックって結局、●●ですよね。」という言い方もなんとかしてくれ。
ぜんぜん意見が違うことが多いんだから。
更に、中年男の語尾上げは反吐がでそうだ。
と、このHP を読んでいる貴方に怒ってもしかたありませんが、、。
音楽の話をして楽しいのは、その人が深く音楽に関わっているから。
もちろん 音楽を職業にしているとかは関係ない。
音楽がその人の人生や生き方に深くかかわっていないとつまらない。(註1)
いっしょに音楽作る場合も同じこと。
少し話はそれるけど、 ミスター・シリウスが昔言ってたけどプログレ聞いているっている人って、
訳も無く選民意識持っている人が多い気がする。
おれたちゃモーニング娘じゃなくてクリムゾン聞いてるもんね的な。
でも、考えてもみたまえ、クリムゾンの素晴らしい音楽を作ったのはキミではないだろう。
クリムゾンの素晴らしい音楽を聞く自分がどういう自分かが問題なのだ。
(註2。それにしても、確かにモー娘のCDをお金だして買うやつの気持ちは分からない、
というより知りたくないね。)
したり顔でプログレの名を口にする人々よ、常に自分自身に問いかけたまえ。
そのままでいいのか?
(註1) 「学びその死と再生」の著者、佐藤学さんのエピソードが河合隼雄著「日本文化のゆくえ」
p66に紹介されている。引用するのは大変だし、そこだけ取り出しても真意は伝わらないと思われるので、
興味のあるかたは購入の上ごらんいただきたい。
”無為にすごしていた自分を変えたバッハの無伴奏パルティータ。”
本当の音楽体験というものについて共感でき、また考えさせられるエピソードである。
「日本文化のゆくえ」は初版が2000年5月なので、まだ入手可能なはず。
(註2) ここで言う”キミ”はこれを読んでいるいる貴方を必ずしも意味しない。
と、同時に断じて貴方自身ではないともいえない。
もちろん私自身でもありえる。
”サ座ん”や”尾ー酢”の音楽がいいという人よりクリムゾンの音楽がいいという人の
ほうが、
勿論うなずけるが、近頃パソコンというものをいじったり、KORG Triton pro で曲を作っていて、
「いったい、こんな凄い機械を作る人の頭の中はどうなっているのだろう。」 と感嘆している私としては、
もしこれらを作った人が”サ座ん”や”尾ー酢”の音楽を こよなく愛しているとしたら、
そしてTritonの制作者に「クリムゾンなんてキモイじゃん」と 言われてしまったら、
それはその〜〜、敗北宣言はしないまでも、
音楽の趣味の良さ/悪さというのと、頭の良さ/悪さというものの間に相関関係はないのかも
なあんて考えないこともない。と、やや弱気。
2月10日
IONAのライヴ、もうすぐだ!楽しみっ!!
1月14日
●願いかなえるこどもをつれてゆこう
冬休みは少し、いや普段のペースからすればかなり作曲が はかどった。
今年中のレコーディングも夢ではないかも。
とはいえ、子持ちのオヤジである私の生活は、当然こども中心、 家族行事重視である。
というわけで、あっと言う間に冬休みは終わったので、明日から また究極に忙しい生活が始まるのだ。
11月ころに書いた”願いかなえるこども〜”に関する文章を 以下に載せておく。
そうそう、2月に来日するアイオナのライヴ・アルバムが、もうすぐ リリースされる。
くわしいことは、また近々書こうと思っているが、 これは実に素晴らしいアルバムだ。
本当に曲がいいし、演奏も上手い。
特にCD2のドラマティックな展開が圧巻!
アイオナは今まで個人的にそれほど聞き込んだバンドではなく、 なんとなくクラナドとイメージが
ダブっていたのだが、 このライヴ・アルバムによって大脳皮質の整理/書き換えができた。
アイリッシュ・ミュージックの香りはもちろん強いが、 ロック的な熱さと形而上学的スペイシーさが
私にはとてもおいしい。
一部の曲に聞かれる いい意味でのプログレッシヴ・ロック的なシンフォニカル・ムードも
たいへん心地よい。
責任をもっておすすめできる作品だ。ぜひ、聞いてみてほしい。
個人的にはスタジオ作品より、ずっと気にいった。(というより うちのめされた)
来日も楽しみだ!
2001年1月5日
「ESOPTRON」がリリースされると、ある程度予想していたことでは あったが、賛否両論だった。
否定側のリスナーは賛成派なんているの? といぶかしがるかもしれないが、
「ESOPTRON」を最もフェイバリットと して挙げる人も多いのだよ。
フランスのムゼアのスタッフと会った時も、 ベスト・アルバムだと言っていたし、
海外のメディアに掲載されている レビューを見ると
「ZEPのファンなら、きっと気に入ることだろう」などと 嬉しいことが書いてある。
確かに”個人的希求”の曲構成にはZEPの”Heart Breaker" のパロディ的要素が入っているし、
”在野からの帰還”のリズム・パターンは 中期ZEPを意識している。
賛成派からは、ヘヴィーな音に打ちのめされたといったものが多かった。
また、自分たちの過去の再生産でなく、常に変化・前進してゆく姿勢を高く評価して
もらえたという実感もあった。
その中で印象に残っているのは「やはり、私も子持ちだからでしょうか?”願いかなえる〜”
に
ぐっとくるものを感じます。」という意見が少なくなかったことだ。
単に複雑な構成がスゴイとか変拍子がカッコイイとかでなく、
それを越えてリスナーの 心そのものに訴えかけられたということは、とても嬉しく光栄なことだった。
たいへん、おこがましい例かもしれないが、私がパット・メセニーの音楽を好み、すごいなーと
思うのは、
ここのスケール・アウトの感覚がどうしたこうしたとかでなく、彼のギターの ワン・ノートが
(ワン.ノートはおおげさかな?)私の中になんともいえない幸せな世界を開いて くれるところである。
まだ見ぬアメリカを想像することもできたし、いろいろな風景を心の中に 運び込んでくれた。
生きている喜び、悲しさ、懐かしい思い出、、、、。
初期ケンソーの信奉者の中には、今のケンソーにはメロが無いなどとわかったようなことを言う輩が
いるが、
そしてそれも「どうぞご自由に」ではあるが、
”願いかなえる〜”のメロディは私自身の お気に入り度から言わせてもらうと、
私が作ったKENSOナンバーの5指に入るものだ。
そして、それを更に高めてくれたメンバー各人の見事な職人芸はもちろん初期ケンソーの比ではない。
私は彼等と音楽を作れることを幸せだと思うし、 これぞ現在のKENSOであると誇れる作品である。
これまた、おこがましい例で恐縮であるが、ジョン・レノンが映画「イマジン」の中で、
「僕は、自分と同世代の人たちにむけて、メッセージをおくっているんだ。
どうだい、元気でやってるかい? 70年代は散々だったな。80年代はいい時代にしようぜ、
というような。」という発言をしていたように 記憶している。
”願いかなえる〜”の中には、きっと私のそうしたメッセージが知らず知らずのうちに
入っていて、
それが前述のように子持ちリスナーに伝わったのかと思うととても嬉しい気分だ。
更に大物ポール・マッカートニーが80年代半ば(だったと思う)のインタビューで、
「僕のイエスタディは、ビートルズ時代のイエスタディとは違うんだ。こどもが高熱をだせば、
”大変だ!!”とあわてふためいて病院につれてゆき、、、。」くわしくは忘れてしまったが、
要するに家庭の主人として、こどもの父としての様々な経験をした自分が歌う”イエスタディ”は
60年代なかばのガキの時に歌ったものとは違うということを言っていた。(と私は解釈した。)
私も”わかるなあ”思える部分がある。
こどもがいることが必ずしも親を人間的に成長させるとはもちろん思わないが。
まあでも、こどもがいると、とにかく忙しいよね。
私なんて、90年代最初の活動休止期間、子育てに明け暮れており、
kensoの再開は無いなとさえ思ったもの。
作曲なんてとんでもない。
当時の日記を読むと、 「今日は久しぶりに、一日に15分、音楽聞けた」って喜んでいたこともあった。
ポールの発言にもあったとおり、こどもは良く病気をもらってくるんだこれが。
まだ、いろいろな免疫を獲得していないこともあって、ともかくよく病気をする。
こどもが高熱でフーフー言っているのに、オヤジがシンセ弾いてられませんよ。
まあ、音楽でメシ食っているなら別ですけど、私のように音楽でかえって散財している者には
それは許されないでしょう。(みんなCD買ってくれ!)
自分の病気は自分が苦しかったり痛かったりだから、まだわかりやすいしある意味割り切れる。
でも、こどもの苦しむ姿はね、、、、こたえるのです。
動物園の食堂で食事していて突然”こどもイス”が転倒!その夜に救急病院外来へ、、、なんてこともあった。
お医者さんの説明聞くのが不安だったなあ。
「こども健康百科」とか「家庭の医学・こども編」なんて本を何冊も買込んでこどもの病気を研究したよ。
大学時代の内科の教科書では知識が古いから信用できないとか言って、一般向けの本を買った。
普段は普段で、一緒にすごす貴重な時間を、よりよく、より楽しくするっていう義務が親には
あると思うし、
将来、もちろん挫折を経験させることも必要だろうけど、幼いうちはそれ以上に人生を肯定的に捉えることを、
その人格の根本に持ってもらえるよういろいろ苦心するわけですよ。
トランプしてたって(さっきまでしてました)人生ゲームしてたって 絵本を読み聞かせしてたって
一輪車の練習してたってブランコのってたってね。
本屋に行っても、新聞の書評でも童話は常に注意して見るのが習慣になっている。
こどもに見せたい演劇やミュージカルなんかも、できるだけ一緒に見に行くようにしている。
(でも、これは結構素晴らしい作品に出会ったりして、自分でも楽しんでいる一面が)
だから、純粋な自分の時間なんて本当にわずかしか残らない。
でも、ある教育者が「でも、人生70年として、子育てしている期間なんてたかだか20年でしょう。」
と語っていたとおりだと思う。
そしてそんな生活の中から、”願いかなえる〜”のような曲をつくらせてくれる素晴らしい体験を、
こちらもすることができるわけだからね。
「子育ては自分育て」という言葉が実感できることがあります。
くどいようだけど、自分がそれによって本当に成長したかどうかはわからない。
でも、子どもを育てる過程で自分の無力を感じ、謙虚になり、多くのことを学んだのは事実です。
私が若いころに作った”空に光る”は歯科大という檻から自由になる直前、
これで自分を解き放てる!
自分の音楽を世に問うのだ!と強く感じていた時のもの。
もちろん私の代表曲のひとつで、それを聞いて「元気が出る」 といってくだされば、
嬉しいし音楽家冥利につきる。
そしてそれと同じ意味で、”願いかなえる〜” は正に私の生活からにじみでた曲であり、
もともとケンソーの曲は小手先では作れないが、特にこの曲は 自分自身の分身といえる作品であると思うので、
それが 子持ちであれ、そうでないリスナーであれ、何かその心の中に暖かいものを、
そしてどこか 切ないものを生じさせられたとしたら本望だ。
以上、 11月に書いたものを1月7日に一部修正、更新