The Battle of Evermore by 清水義央 (2003)


●KENSO発祥の地、県相でのライブについて

クリスマスも近づいた今日この頃、お父様お母様でKENSOファンの方々、 いかがおすごしでしょうか。

「ハレ紀ライブ」の直前だったと思いますが、私のこどもが
「ねえ、サンタクロースって、パパなの?」 と訊ねました。

(ああ、ついにきたな)と思い、同時にまさに自分が、
(もしかして、サンタって、親?)という疑問を持ち始めた頃、
ある日偶然に物置きの階段に派手な包装紙に くるまれた「サンタクロースからのプレゼント」を
見つけてしまった時のことを思い出しました。
毎年この時期になると、子どもに気付かれないようにクリスマスプレゼントを探して
慣れないお店を右往左往しています。
もちろん、間もなく彼女も知ることになるのでしょうが、、、、、、、。

河合隼雄先生だったかが「小さい頃、サンタクロースを本当に信じた人は、
大きくなっても、心の中にサンタクロースの居た場所が残っている」というようなことを話されて
(或いは書かれて)いました。
「どうせいつか分るんだから最初から真実を教えたほうがよい」 という教育方針の方に対し
反論するつもりはありませんが、
私としては、大人になってもサンタクロースの居た場所が残っていた方がいいように思います。

さて、今回は相模原高校記念式典ライブについてで、高校生からのメールも掲載すると告知しました。
もちろん、後でお約束は果たしますが、その前に、ひとつ、今日、
正にさっき観て来たコンサートに ついて書きます。

今回のこのコラムは、少なくとも私にメールをくださった高校生の方々は ご覧になるでしょうから、、、、、
よい機会だと思うので。

今日、観てきたのはSwedenのグループ、Frifotです。
無理にジャンル分けすればトラッドミュージック ということになるのかもしれませんが、
優れた音楽のほとんどがそうであるように、
様々な要素が高い次元で融合された本当に素晴らしいグループでした。

Swedenでは人気もあり若い音楽家への影響力もかなり大きいと読んだことがありますが、
そうだろうなア、ホント、すごかったです。

私は整理番号6番をゲットできたので、2列目のど真ん中、しかも自分の前には丸いテーブルが あって、
自分の前には誰も座っていない、、、、最高の状態で、
生楽器の繊細な歌い回しや、それはそれは見事なアカペラがPAを通さずに聞こえる席でした。
ありがたや!

会場は割と小さく、でも満員で、とてもよい雰囲気でした。
でも、私としては、特撮ばかりで内容の無いアホ・アメリカ映画(なぜかヒットする)同様、
演出ばかりお金がかかっていて肝腎の音楽がさっぱりのコンサートに行って、 それでも満足している
(というか、世の中には、もっと他に本当に素晴らしい音楽があることを 知らないで、
拝金主義マスコミの情報に誘導されてきた)リスナーの10000分の1でも、
Frifotのように人類の宝とも言うべき音楽を聞きにこないかな、と心底思いました。

Frifotの招聘に関わったW氏は、かつてGENESISファンクラブの会長だか副会長だかを 務めた
言わばプログレ人なのですが、久しぶりに再会したW氏と終演後
「これなんだよね。 僕達がかつてロックに求めていたのは、こういうものなんだよな」という話をした。

今から30数年前、所謂プログレバンドの中で最初に聞いたのはたしかピンクフロイドだったけれど、
「なんなの、これ?!?!」ともかく全然、今まで聞いたことのない音楽だった。
でも、思春期の感受性が大いに揺さぶられた。
ここ数年、トラッド系の音楽のコンサートに通うのも、
そこにはまだ 「なんなの、これ!」っていう新鮮な衝撃を受ける可能性が大いにあるからなのだ。

終演後には、本番中に穴のあくほど見てしまったオリジナル楽器(アイリッシュブズーキと
マンドリンを組みあわせたような感じで、ちょっとここでは明かせない“すげえ”仕掛けがしてあった)
をメンバーのAleさんに見せてもらい、解説までしてもらった。
しかも! 「弾いてみるかい?」と、その貴重な楽器を弾かせてもくれた。感謝、感激。
弾いてみて、その響きに素晴らしさに、またAleさんの卓抜したアイディアに感服した。

高校生諸君、
今は、君たちの好きな音楽、それがセックスマシンガンズなのか“ゆず”なのか 知らないが、
勿論それを聞いていてなんら悪いことはない。
まずはその音楽が“好き”かどうかだから。
しかし、おじさん(相模原高校の生徒さんにとっては先輩)は思うのだ。
例えば、おじさんが高校時代に夢中になったLED ZEPPELINが、
解散から20数年たっても、 その音楽が輝きを失わず、
それどころか30年以上も前の映像が同世代のみならず次の世代にも衝撃を 与えるということが、
今、君たちが夢中になっている音楽でもありえるのか、、、、。

「別にありえなくたっていいじゃん」

その通り。

20年30年その音楽を聴き続け、自分がその音楽を心底愛したことを 幸せだったと感じるか。

「別に感じなくたっていいじゃん」

その通り。
でも、ちょっとだまっとれ!

おじさんも中学のころ、何かで知ってバリ島のガムランのレコードを買った。
ぜんぜん良さが分らなかった。
また、ロックミュージシャンがインド音楽(というものがあるのか、と最初は思った) からの 影響を
語っていたので、なけなしの小遣いを使ってインド音楽のレコードを買った。
情報がなかったので値段の安いのを買ったら、なんか、シタールの教則レコードみたいだった。
そこには、Jimmy PageもGeorge Harrisonもいなかった。
でも、随分たってから、それらのレコードのことを思い出し、聴いてみたら、、、、、、よかったんだよ。

音楽はそのままだった、自分が成長していた。
そういうことがあるから、自分が音楽を好きだと思ったら、
あるいは本当の意味で楽器で何かを表現したかったら、 今のうちから色々な音楽を聴いておいた方がよい。
多くの音楽に触れる時間とお金を惜しまないことだ。

(先日、同窓の忘年会の帰りに、ひとつ下の大変優秀な歯科医から思いがけず、
小学校の時にバロック音楽が好きになり、いまだにバロックが好きで、
LP,CD合わせて20000枚以上持っているという話をきき、なんか嬉しくなった)

そう言えば、ジェスロタルのI.アンダーソンが「日本人は軽薄だから嫌いだ。
自分が愛したモノをずっと大切にしないから」というようなことを 語っていたな。
そういう人ばかりじゃないけど、でも、そう感じるかもな。

Frifotの素晴らしいコンサートからの帰り道、 変拍子の歩行をしながら、
そんなことをとりとめも無く 考えていた。

さて、次は4月に来日するVASENだな、、、、。(これもSwedenのバンド)
東京公演2日ともチケット購入しよっと。
楽しみだ。

さて電車を降り、駅を出て、
この前痴漢を捕まえた付近にある オリジン弁当で晩御飯を買い(って書くと侘びしい感じがするけど、
素晴らしい音楽で心が満たされているから、全然平気)、
帰宅したら、 冷蔵庫に子どもが作ったと思しきケーキが入っていた。
「私がひとりで作ったんだよ。食べてね。じゃあ、おやすみ」
という メモが添えられていた。 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、なんか、最高の夜だった。



さて、では“記念式典ライブ” について書こう。

10月31日に、相模原市民会館大ホールにて神奈川県立相模原高等学校の創立40周年記念式典が
厳粛に執り行われた。
我々は、その式典の後半に文化行事として約100分のパフォーマンスを 行った。
観客は、現役の生徒さん約850名、学校関係者、歴代校長、同窓会役員、PTAなどなど 1300名くらいであった。

実を言うと、川崎クラブチッタでの『ハレ紀ライブ2003』の企画より前に、 この記念式典ライブの計画があった。
で、そのあたりで三枝くんも一時帰国してもらうなら、
一般オーディエンスへのライブもやろうかということになった。

まず2002年の10月に相模原高校のKM先生から、突然こんなメールが届いた。
_________________________________
初めまして。突然のメールで失礼いたします。 私は神奈川県立相模原高校の教師で、KMと申します。
相模原高校は来年2003年で創立40周年を迎えることとなりました。
多くの地域の方々、OBの皆さんに支えられ、生徒は勉強に、部活に、行事に大活躍し ております。

実はぜひ、KENSOのライブをぜひ創立40周年記念でお願いしたくメールした次第 です。
私は年齢40代後半でプログレも大好き、KENSOも前から存じておりました。
たまたま40周年行事の係になり、KENSOの話題が出たので、
さっそくためしにCD「夢の丘」を職員に聴いてもらったところ皆、絶賛でありまし た。
それで、ぜひKEOSOライブを実現したい!! という話になり可能かどうかお伺いしたく
突然のメールを出させていただきました。
会場は2003年10月31日(仕込み30日可能)相模原市民会館を押さえました。

県相の卒業生で世界的に活躍しているKENSOのライブを実現できたなら、
在校生すべてに聴かせることが出来たなら本当に嬉しいと思っております。

もし可能性があるようでしたら、お会いして、経費や条件等をご相談させていただきた いと思っております。
また所属プロダクション等ございましたら担当者の連絡先などお 教え下さい。
無理な場合もメールにて早めにご一報下さい(みんな楽しみにしています)。
とにかく突然のお願いで申し訳ありませんが、ぜひご検討お願いいたします。
2002/10/11
___________________________________

「相模原高校かあ」 どうかなあ、三枝が帰国できるのか、
村石、光田のスケジュールはどうだろう。
まあでも、やってみたいな。
と考え、次のような返信をした。

(KM先生の文章と私の発言の一部は割愛)
KM先生、初めまして。
kensoのリーダー、清水です。
私は確か10期生です。

光栄です。
ありがとうございます。
私も、実現できればと思うのですが、
現在のバンドには、御存知のとおり県相の卒業生は私しか おりません。
私自身はノーギャラでもいいのですが、 他のメンバーはそういうわけにはいきませんし、
コンサートの諸経費もかかります。
そうした金銭的問題があります。

それとスケジュールの問題があります。
ドラムの村石とkeyの光田は、大変に多忙で、 来年の10/31が既に埋まっている可能性もあります。
更にベースの三枝は現在ボストン在住(まあ彼は、重要なライブで あれば帰国しますが。
今年6月の新作発売記念ライブには帰ってきて くれましたし)。
全員が会えるのは、1年のうち数日だけという現状です。
USAのロックフェスから毎年のように依頼がきても、 スケジュールがあわず、2年前に初めて実現した次第です。
(この時も光田は参加できず、現在T-スクエアなどのサポート をしているの河野啓三くんが代役)

お金とスケジュールの問題をクリアしたとして、
あとは彼等自身がこの企画に意義を見い出すかという問題が あります。
kensoは彼等にとっても、普段の仕事ではできない アーティストとしての自己表現の場です。
だからこそ、 普段の仕事に比べたら、あまりお金にはならないkensoの 為に、
その才能と熱意を注ぎこんでくれていると考えます。
それだけに彼等の気持ちが重要になってきます。

可能性はあると思います。
メンバーにも誠意を持って、呼び掛けてみます。

こちらからの質問です。
1:市民会館のキャパは何人くらいでしょうか。
 相模原のPA会社を使って、そこから安く機材を
 借りれれば、多少経費削減できますが、
 PAエンジニアおよびモニターエンジニアの2名は、
 kensoと活動をともにしている人間でないと
 無理だと思います。
  2:観客は、生徒さんの全員?の他に、
  一般にもチケットを売りますか?  
  3:コンサートのバンド側の重要な収入源は、
  ライブ会場でのCD即売ですが、
  非営利コンサートの場合、これができないことが あります。
  今回はいかがでしょう。
4:録音やビデオでの撮影をする場合、その権利は すべてKENSO SIDE に所属します。
  つまり自由に、何かの会合で映写したりはできません。
  よろしいでしょうか?
  最近海外で、関係者以外持っていないはずの海賊ビデオが出回ってしまい、驚いています。
  そうしたことを防ぐためです。

以上、現実的なことを申し述べました。
私としても、若い世代に自分たちの音楽を伝えたい気持ちは 強くあります。
それが、母校の後輩とあればなおさらです。

ただ、やはり一流プロミュージシャンを抱えるバンドとしては、
現実的な事柄を無視するわけにはいきません。
そのあたりの事情をくみとっていただき、 御検討ください。
では、本日はこれで失礼します。
清水義央(しみず よしひさ)
__________________

村石さんのお話、そうだろうなあ・・と思いました。
清水さんには大 変ご苦労をおかけし申し訳なく思っております。
しかし、なおさら生 徒達に生を聴いてもらうことができたらと思い、
なんとか工夫して実 現できたらと思っています。
式典の日程をずらすことは可能なのか、 については難しい点があります。
1,まずホール押さえが1年前であり、しかも抽選であること。
2,それから学校のスケジュールとして前年度中に日程を確定する必要 があること(つまり3月上旬までに)、
特に今回は創立記念行事で早 めの確定が望まれています。
3,またKENSOライブが無理だと判明すると代替する企画を立ち上 げることになり、
それに相当な時間が必要になること。(学校側)

現時点で日程変更が全く不可能ということではありませんが、
学校行 事とホール押さえの抽選を考えると変更(代替日)もかなり事前に決 定する必要があります。

> __________________________
というようなやり取りが毎日のようにあり、
光田と話しあって、 もしお金の問題があっても、それは何とか工夫すれば大丈夫ではないかと、
「色々とやり方はありますよ。それ以上に、kensoというバンドの原点である 相模原高校でやるという意義が大きい」
という光田の意見が、大変に大きな支えとなった。

まあ、それから色々な現実的な交渉があって、
一時は村石くんが 「そのあたり、NGかもしれないのでトラも考えておいて欲しい」ということになり、
トラということになれば、小森くんしか考えられなかったので、 彼に連絡、快諾してくれた、
でも結局、村石くんのスケジュールがOKになり、
「小森くん、またしても、ごめん!」(かつても、こういうことがあったのです) という経緯もあって、
今年(2003年)の小森くんからの年賀状を見ると、
そんな経緯があったにも かかわらず「いざという時はいつでも呼んでください」って書いてあって、
有難いなあと感じたことを思い出す。

まあ、とにかく10月のKM先生からのメールから、
いくたの困難を 相模原高校サイドとkensoサイドが乗り越えての実現であった。
最大の困難は、もちろん、5月某日に突然、村石くんのスケジュールが NGになったことだったが、
まあ、それはもう過去のことだからいいや。
結果として「KENSO with 小森啓資」は、最高のライブができたんだし。

あ、そういえば、5月だったかに校長先生への挨拶もかねて 母校を訪問した時のことは
このコラムにも書いたので、 まだお読みになっていない方は、序章として読んでください。


さてさて、 様々な思いでむかえた記念式典ライブ、楽器搬入は前日の30日。
小学校の時のピアノ発表会、中学の時のブラスバンドコンクール、
高校時代は 自分は出演しなかったが、ELPやYESなどのフィルムコンサートや
日本のバンドの コンサートを見にいった、
そしてロンドンブーツにラメのシャツといういでたちで 出席し、階段からこけた成人式、、、、

そんな懐かしい相模原市民会館に昼過ぎに到着。
楽器搬入を手伝ってくれている軽音楽同好会の生徒さんたちと対面、
御礼にKENSOのCDを まるでサンタクロースのようにプレゼント。
「え、うれしいかも」
「ちょっと、すごいかも」という反応が楽しい。
ああ、高校生なんだな。
茶色い髪の子も、携帯みている子こもいるが、なんかすごい元気だ。
私自身の中にエネルギーが注入される感じが確実にある。

楽屋には生徒さんの手作りのイラスト入りポスターが!
(これは、今でも私の自宅スタジオに貼ってある、だって嬉しかったんだもーーん)
なんか、どんどん気分が盛り上がってゆく。
大変だったけど、実現できてよかった!

私は楽器のセッティングをスタッフにまかせ、
96歳の祖母が毎日をすごしている老人施設を2時間ほど訪問。
ちょうど、お仲間でケーキを作っている最中だった。
「僕だと分るかな」、、、、ここ数年会っていないし、もう96歳だ。
ところが、、、、、 「お、よしひさか」と気付き、そのあとは涙、、、。

高校一年の時、私は大病をして2か月くらい入院し、その後、
実家で唯一エアコンのあった祖母の部屋で自宅療養した。
祖母は、当時の私が徹夜で勉強したり、ギタ−をいじったりしていたのを 直に見ている唯一の家族だ。
大学の時、どうしても欲しかったダブルネックギタ−を買う際に、 援助してくれたこともあったな。
そんな祖母との再会も、私にパワーを注入してくれたので、ここに記しておく。

そして式典当日。
kensoの前には、いわゆる式典、すなわち来賓の方々の挨拶や、校長先生のお話、
校歌斉唱(光田の キーボードを使用)などがあり、
それに生徒さんたちのパフォーマンスがちりばめられる。
マンドリン部、吹奏楽部など、それぞれみずみずしい演奏が楽しかったが、
圧巻は“KENSO”と胸に書かれた(当たり前だが) ユニフォームで華麗な演技を披露した
チアリーディングだった。
あの地味で堅実なイメージしかなかった母校に、こんなにも元気なギャルが在籍していたとは!
もうおじさん、眼がパチパチしてしまいました。
幻惑されました。
(楽工房の太田さんによれば、チアを見て楽屋に引き上げてきた清水さんの顔は 幸福感に満ちていたと、
歩き方も浮遊していたと。まずいことに、光田にも見られてしまった)

それはともかく、 それぞれの演技、演奏は、勉強も大変だろうに、かなりレベルの高いものであった。
これからも是非、自分の好きなコトを追求してほしいものだ。

さて、生徒さんのパワーをもらい、いよいよ我々の演奏だ。
舞台のそでに立ち、アイヌのムックリを基調としたオープニングSEが流れ出すのを 聞く。

エッ? もしかしてハンドクラップ?
KENSO!KENSO!の声も聞こえる。

舞台監督の海老原さんが「凄い人気ですね」と微笑む。
ホントにすごく盛り上がっている、高校生たちが!

光田が「俺達を甘くみるなよ」と笑って言う。

そして私はステージへ、、、

私のソロギタ−のあと「太郎という生き方」「精武門」を演奏。
光田の前の生徒さんから
「どういうわけ?!おい、どういうわけ?!」と いう大きな反応があったことをあとから聞いた。

私の斜前の女子生徒が「かっこいい」と言ってくれた。
なんか、本当に楽しかった。
もちろん、寝ている子も中にはいたが、いいのよ、それで。

私のMCも自分で言うのもおかしいが好調好調。
当時履いていたロンドンブーツも持ってきたし、 男子生徒むけのシモネタギャグもかまし、、、。
“変拍子講座”は完全にシラっとしてしまったが、 まあそれは覚悟の上、ぜんぜん平気。

いや、とにかく楽しかったし、
このライブを実現してくれた 方々全員に深く感謝しながら演奏していた。

そして本編最後の曲「空に光る」の時、自分にとっては驚くべきことが起きた。

川崎クラブチッタにいらした方は、
私がこの曲をレスポールでなくポールリードスミスという ギタ−で演奏したのをご覧になっただろう。
そう、今回はポールリードで弾く予定だったんだ。
ところが「GIPS」で使ったssギタ−をギタ−スタンドに置いて、 自然に私が手にしたのは、レスポール。

私が18歳の時に買った、初めての本物、つまりギブソン、そして、
相模原時代に苦楽をともにした愛器だった。

「空に光る」の演奏が始まって初めて気がついた。
ありゃ、レスポール弾いてるわ、私。

終演後、ssギタ−の制作者である志村さんと「そういうことがあるんだよね」という話しになった。
志村さんは「願いかなえるーー」で使用したあと、裏で調整してくれた ポールリードをステージに持ってきて、
私に渡そうとしたんだけど、
「清水がレスポールを手にしたんで、ああ、そういうことだな」って思ったんだよ と話してくれた。

「空に光る」、1982年のオリジナルレコーディングはもちろんレスポールで弾いている。

メンバー全員が女子生徒さんから花束贈呈を受けたあと、
全世界初演の「暁に楽師が」を 演奏したのだが、その前に。

記念式典の様子は、kensoの楽屋にあるモニターテレビで流れていたのだが、
式典が始まる直前に、バスケットボール部顧問のT先生から
「学ランのボタンは全部上まで閉めなさい。 携帯電話を持っている生徒は電源を切りなさい。
一切録音、撮影はしてはいけない」という ような注意が、本当に厳しくされていた。

楽屋にいて、くだらない話で大笑いし、校長先生の訪問に飛び上がるくらい驚き、
その場を繕っていた KENSOメンバーは「きびしいんだね、清水さんの母校」という雰囲気で聞いていた。

でもその時
「携帯を出して、撮影しまくれ」とか言ったら面白いだろうね、と 誰からともなく言い出して、
あ、それロックっぽいかも、ということになり
「暁に楽師が」の前に、煽ったところ、みんなまた素直に携帯だすんだよね、で、 撮影しまくってた。

いい感じだぜ、後輩!
feel so good!
ride on!
Back in the saddle! まずいかこれは。

そんなこんなで終った式典ライブ。
終演後は、軽音楽同好会の生徒さんが楽屋に挨拶に来た。
楽屋は、お座敷で、座ぶとんがある、、、そう、そんな雰囲気の楽屋だ。
10枚くらい重ねた座ぶとんに肘をかけてリラックスしている小森くんは、 さながら親分の風格。

生徒さんたちが畳に正座しているのが可愛かった。
まるで親分に本日の稼ぎを報告している子分たちのようだ。

顧問のKM先生から「ひとりずつ、担当楽器と、今日の感想や質問をしなさい」という
“さすが先生”的、授業中のようなお言葉があり、
「どうやったら、ドラムが上達しますか」とか「うまいですね」とか、 素直な質問、感想があり、
とても微笑ましかった。
「ドラムのスティックいただけますか」という女子からの要求に対し、 ローディに

「 おい、スティック!」

とだけ言って、ちょこっと手で指示を出した小森くんは、やっぱ、親分ぽかった。

自宅に帰ってメールをチェックしてみたら、高校生からのメールが!
いや、嬉しかったね。
これから、紹介しますが、私、11月の軽音楽部のクリスマスコンサートにも行って しまいました。
ギタ−も弾いてしまいました。

でも、やっぱ、若いエネルギーって凄いなああ、
経験や技術ではどうにもならないものを 持っていると心底思ったね。
ギタ−をかき鳴らして、おそらくは日本のロックバンドの曲を叫んでいる男の子を 見つめる
室内なのにマフラーをした(この感覚がオヤジなんだそうだ)可愛い女子生徒、
地味ーーーーーなんだけど、ホントにロックが好きなんだろうなと思われる、 男子生徒、、、、

いたよな、私の頃も、、、結局変ってないのかも、本質的には。

ありがとう、相模原高校の生徒さんたち、
多くの可能性を秘めた君たちの幸せを 先輩として心から祈っているよ!

では、メールを紹介しよう。
?ー?ー?ー?ー☆ー★ー☆ー★ー※ー※ー〒ー¥ー?

差出人 : ☆M☆
送信日時 : 2003年 10月 31日 金曜日 8:58 PM
件名 : 初めまして!
初めまして! 私は、県立相模原高校に在学中のものです!
今日、式典に参加してKENSOのライブを聞かせていただきました(^_^)
私は、県相生には、理解できたんだろうか、と心配していました。
正直、「あまりわからなかった」と、意見をもつ友達もいました。
けれど私は、KENSOのライブをみて、すごく感動しました!!
リハーサルに出ていたので、始まる前にステージから流れてくる音楽に耳を傾けていました。
その時から体のそこに響き渡る感じで・・・その感動はなんともいえませんでした。
私が特に心に残ったのは、題名はわすれてしまいましたが、
「妻が北海道の・・・」というエピソードを語ってくれたのを覚えています。
その曲が、私の全てに響き渡ってきました。
行った事も無いのにその場所へいったような・・・。
私に、こんな感動を与えてくれたKENSOのメンバーの皆さんに感謝します。
ありがとうございました☆☆

p・s キーボードの光田さん、「空に光る」の時のピースがかわいかったです♪(>▽<)♪
   ふぁんになっちゃいました。(笑)

  差出人 : ☆M☆
送信日時 : 2003年 11月 5日 水曜日 7:50 PM

こんにちは! お返事ありがとうございます☆
返事なんてもらえると思ってなかったんで嬉しかったです(>▽<)♪
そういえば、あの北海道の曲は、「美深」 という曲なんですか!
良い曲ですね!
ライブの時、照明も手伝って良い雰囲気でした!
また、是非聞いてみたかったりするので、HP等を見て、ライブにも行ってみたいなと 思います!

当日、隣りで聞いていた1番仲の良い友達が、
「私こういう音楽好きなんだ」って言っていて、2人で盛り上がってたんです♪
なので、行くならその友達と行きます☆
KENSOの皆さんにも(特に光田さんに♪)会いたいです!
これからも頑張ってください!応援しています(^O^)/~~~


送信日時 : 2003年 10月 31日 金曜日 10:38 PM
こんばんは!夜遅くにすいませんm(__)m県相軽音楽の小森さんにスティックもらったSです!
今日は本当にありがとうございました。最前列でみれたのも生で聞けたのもすごいよかったです(>_<)
感動しました☆あたしはドラムしかやってないんでギターその他はよくわかんないんですけど、
すごかったです!
歌がなくても全然楽しかったです(^^)プロのドラムをあんなに間近で聞けて本当に本当に感動でした!
叩き方が格好良かったです!
また機会があったら是非ライブなどにもいけたらいいなって思ってます!
あたし達軽音楽同好会も11月の19、20、21に学校でライブをやるので良かったら
是非きて頂けたらと思います。
本当にありがとうございましたm(__)m


送信日時 : 2003年 10月 31日 金曜日 11:19 PM
県相軽音の者ですm(_ _)m今日のライブお疲れ様でした。
ほんとうにすごかったです。
感動しました(T_T)
僕は準備を手伝わせてもらったのですが、プロの人の仕事を間近で見れてとても勉強になりました。
プログレッシブロックは初めて聞くジャンルでしたが、すごく興味のもてる音楽でした!
これからも新しい音楽をつくって頑張って下さい!!


送信日時 : 2003年 10月 31日 金曜日 10:53 PM
件名 : 県相の軽音の者です!!
朝のリハから観せて頂きました!!今日は本当にライブカッコ良かったです! !
素敵なライブをありがとうございました!!
歌がなくいので初めは取っ付きにくそうだと正直思ったんですけど、
歌がないのに曲から情景みたいのがボワ〜っと浮かんできて特に氷島は感涙物でした。
これからKENSOサンをいっぱい聞かさしてもらいます。
これからも頑張って下さい!!


送信日時 : 2003年 10月 31日 金曜日 11:00 PM
メロディは少ししか覚えてないけど衝撃跡残りました!
やっぱ本当に音を楽しむのはLIVEじゃなきゃ!
あんなになもPAPじゃない音楽をやるとは思ってなかったんで、凄い面白い!と意表を突かれ感動しました。
最初は理解しようと頑張って聴いてたんですけど 
すぐROCKされちゃって一人でイッチャッタって感じでしたよ!暴れたかったですよ!でも椅子が邪魔で。
でもCD買ったんでヘッドホンでじっくり聞き込んでこのアルバムじっくり成長させてもらいます(^O^)
そしてまたLIVEに行きたいです!
また清水さんの曲紹介があったのもあっていつも絵が見えましたよ!
 面白いコンセプチュアルな音楽っていつもいい視覚的で絵を見せてくれるんですよね!
インスト独特のLIVEのよさがほんと最高でした!
メロディ重視のカラオケMUSICは飽き飽きです いい所も確かにあります、
けど音に飢えきってる音楽ファンにはひとまず圧倒的なものを食べたいんですよ!
いつか清水さん達KENSOの人にも負けない半端ないユーモア&オリジナリティ溢れるでクレイジーな音を
出してやろうと思います
いつか相模原の雄になったりますわ
長ったらしくてすいませんでした!
読んでいただいてありがとうございます。
今日はほんと楽しかったです自分の道を再確認出来ましたし、
かっこいい先輩を持てた事がマジ嬉しかったです!
また必ずLIVEに行かせてもらいます!

(清水註;この方は卒業して間も無い生徒さんのようです。もっと原文は長かったのですが)



送信日時 : 2003年 11月 1日 土曜日 8:51 PM
今晩は。はじめまして、
昨日の市民会館での演奏本当に素晴らしかったです!!(^-^)私は県相の三年生のMSといいます。
受験生なので勉強もしなくてはいけないのですが、私は何より音楽が好きで、
邦楽洋楽問わずいろんなジャンルの音楽を聞いています。
大学に入ってバイトを始めたらた〜くさんCDを買うつもりです。
高校に入るまでは意識していなかったのですが、自分は音楽を創ろうと思うようになりました。
成功するには運も必要だと思います。
でも私は自分が音楽を仕事として食べていけなくてもずっと携わっていたい!・・という位 好きです。
しかし自分は全く無知なので表現する手立てがわかりません(*_*)
だから短大にいってそこで英語の勉強をしたら専門学校でシンセサイザー等を教わるつもりです。
とにかく、昨日のKENSOの皆さんの迫力のある演奏で私は自分がやりたい事を改めて認識しました!
最近のテレビで本当に良いと言える音楽が少ない中、
KENSOのような音の深いバンドは貴重な存在だと思います。
これからもいろんな人に感動を与えて下さい!
昨日のライブとそして長いメール読んで下さって有り 難うございました。
明日の川崎でも頑張って下さい!
それでは失礼します


送信日時 : 2003年 11月 1日 土曜日 10:48 PM
リハーサルお疲れさまでした。
私も本当は専門学校にそのまま行きたいと最初は思っていたのですが、
安定した職業に就くのを望んでいる親には自分の夢をまだ言えず・・(^^;
それと、歌詞をつける事になった時に役立つように短大で英語と仏語を身に付けたいので、
専門学校に行くまで少しまわり道をしようかと思います。

清水さんにもここに至るまで他の人が知らない所で苦労や努力をなさったかと思いますが、
私も自分の曲を出せる時の喜びのために頑張ります!
シンセサイザーの事はきっとわからないことだらけなのでその時はよろしくお願いします(;_;)
それでは明日も頑張って下さい!
お返事どうもありがとうございました!


送信日時 : 2003年 11月 5日 水曜日 9:19 PM
件名 : 初めまして!県相1年のMと言います。
こんばんわ。この前の式典でお手伝いさせていただきました、軽音楽部のMといい ます。
あのライブ以来、音楽の幅がすごく広まりました。
いただいたCDをずーっと流しつづけている今日この頃です。
私はギターボーカルをやっているのですが、MCが大の苦手です…
なので清水さんを見習ってノートに書こうかなと思っています(笑)
これからも頑張ってください!!
私もみんなの心に届くようなライブや音楽ができるように頑張ります☆
では、さようなら。 

   送信日時 : 2003年 11月 23日 日曜日 10:18 AM
県相一年軽音のMです。
クリスマスコンサートどうでしたか?
私のバンドは清水さんがいらっしゃった次の日でした。
初のギターボーカルに挑戦!だったんですけど、失敗してしまいました…
でもとっても楽しかったです☆

そして何より、清水さんのギターさばき(?)を間近で見れて光栄ですっ!!

清水註:これは、クリスマスコンサートの後いただいたメールですね。


送信日時 : 2003年 11月 9日 日曜日 11:56 AM
件名 : 感動をありがとうございました
はじめまして、県相40期生のひとりです。
ライブは大好きです(たまに見に行きます)この前のライブは感動そのものでした!
本当にありがとうございます!
熱い魂が僕の心の中を駆け巡りました!
やっぱり燃えている人を見ますとこっちも「ああ、がんばらなくちゃな」って思います。

清水さんの学生時代の話も感動しました。
たとえ変なことでも、思い出がたくさんある人は人生を楽しんでいる証拠です!!
清水さんはすごいです!
今、僕も人生を楽しもうといろんな人と会話をしています。
音楽もたまらないです!!(大音量で聞くのがとくに好き)
また、KENSOライブを見たいです!本当にありがとうございました

清水註:「たとえ変なことでも」って、おい!いったい俺のどこが変なんや。
    バーチャル石黒彰「いや、清水さん、変だよ。いや、変だったと言いかえようか」

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他にも、色々とメールをいただき、ついには恋の相談まで受けてしまったのですが、
いやああ、これにはまいりました。
「これを聴かずしてロックを語るなかれ!」ということなら 一ヶ月でも話し続けられる自信がありますが、
恋については、、、、。
やっぱ誤酢屁裸ーズに登場してもらいまっさ。

最後に、今回の公演を最初に企画してくださったKM先生からです。

送信日時 : 2003年 11月 5日 水曜日 8:30 PM
清水さん、一年間本当にありがとうございました。
おかげさまで、40周年にふさわしい、 刺激的で印象深いイベントを成功させることが出来ました。
生徒のみならず職員の中にも ホンモノのロックを初めて聴いたというものもあり 溜飲が下がる思いです。
(中略)
清水さんの生き方や音楽に対する真摯なありかたは 多くの生徒に感動を与えました。
ロック魂(というものは死語?)もじんわり伝わりました。
いい公演をありがとうございました。
KENSOミュージシャンの方々とスタッフの皆さんに お礼申し上げます。

お互い、年齢を重ねてまた再会しましょう!!
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KM先生、お世話になりました。
本当にありがとうございました。
50周年の時は、私は56歳ですが、また呼んでください。

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以上で、この秋のライブ総括企画全3回はすべて終わりです。
この秋のライブ2本とそれに至る過程は、物凄い刺激に溢れており、
一時は健康を害するほどでしたが、
この経験により、自分がまたひとつ生まれ変わった気さえしています。

かつて全力を注ぎ込んだ 『天鵞絨症綺譚』も『ハレ紀』も私にとっては既に過去のものとなりました。
『ハレ紀2003年ライブ』の記録についてのリリースは、まだ未定ですが、
楽しみにしていただいてよろしいかと思います。
相模原高校の映像も何らかの機会に、、と考えています。

みなさん、本年も本当にありがとうございました。
そして2004年、KENSOは新しいスタートを切ります。
みなさんも、良い年をお迎えください。

              12月7日から12月19日にかけて記す


BGM:「IHUNKE」Umeko Ando/「LET IT BLEED」Rolling Stones/
   11月に中国国宝楽団のコンサートで買ってきたCD数枚、 中国語なので読めません。

追記:文芸誌「すばる」の2004年1月号(今、書店にでている号)の、
   慶應大学文学部教授の巽先生の「読書日録」にKENSOの事が
   書かれています。巽先生、ありがとうございました。
   御興味のある方は、ご覧になってください。


●『ハレ紀2003』アンケートにお答えする

今回の「相模原高校記念式典ライブ」と「ハレ紀ライブ2003」に向かう バンドの勢い、
また自分自身の気合いは並み大抵ではなかった。
それが診療の方に悪影響を及ばさないように 診療スケジュールをたてた結果、
11/4 以降の歯科医としての毎日は予想を遥かに越えた忙しさと なってしまった。
まあ、でも忙しいくらい結構なことではあるのだが。

たまってしまった経理関係を片付け、
診療終了後に「再生医療」の勉強会に出席し、
休診日には小学校の検診や子どもの学芸会参観、
恩師K先生との診療前早朝症例検討会が2回、
それに加えて、これも10月はパスさせてもらった教会の礼拝でのオルガン担当も復活。
嗚呼、睡眠4時間プラス昼寝30分の日々。

しかし、11月26日、内科的疾患を持った患者さんのインプラント(人工歯根)手術、、、
なんて 書いても歯科医以外の方には、どれだけ神経を使うものかは分からないでしょうが、、、
あ、 今回青森県から川崎まで来てくださった歯科医の方には分っていただけますよね、
それと歯科大軽音楽部の後輩、●松くん。
何っ?!分からない?、、、もっと勉強せいよ、●松くん! 

事前の勉強やら準備やらが大変だったそのインプラント手術もひとまず無事に終り、
ほっとしたのも束の間、 12月3日からは新入社員雇用のための面接週間と、ひき続き新人研修なので、
急いで“ハレ紀”ライブ特集第2弾を書く事にする。

前回も書いたが、KENSOのライブ終演後のアンケート回収率は凄く高いらしい。
終演後によくこれだけ書けるなと思うくらい、ぎっしり書いてあるアンケートもたくさんある。
(私は、他のバンドをやっていないので分からないのであるが、
打ち上げにきた友人のミュージシャンや コンサート制作会社の方が口々に言うのです)
今回、初めてKENSOのライブ制作をしてくれた「楽工房」さんのオフィスには、
ライブから3週間たっても、まだアンケートが(A4用紙5ページにわたるものも含めて)届いているらしく、
担当者が驚いていた。
「kensoのファンの方って、みなさん熱心ですね」と。

本当に嬉しいことだ。
また 遠方から高い交通費をかけていらしてくださる方々、 本当にありがとう。

先日、私のクリニックに治療に行く際には是非アンケートを読みたい言っていた著名スタイリスト
(彼女自身を取材した番組が放映されていたと、私のクリニックのスタッフより報告あり)にして
熱心なkensoファンの女性は、治療終了後、待合室で全部読み終わった後、
私の気付かなかったことを指摘してくれた。

「最近聞き始めた人が随分いるんだね。20年以上もやっていて、すごいことだよ!清水さん。」

あ、それは、確かに嬉しいですね。
まだまだ養老院には入らなくて済みそうだ。
というより、この音楽を養老院に入れなくても 済みそうだ。

数名のベテランファンを自認する方から(今回のライブに限らず)、
「あの子たちは分っているのだろうか」という意見もいただくことがあるが、
それでは聞くがね、、、、という気持ちになるよ、まったく。

それぞれの感性でkensoを楽しんでくれればそれでいいいんだよ。
メンバーだって、何年も演奏してから
「あっ、この曲、そういうことだったんだ」って 気がつくこともあるんだし。

私としては、長年のファンもありがたいし、若いファンが増えているというのは、
我々の音楽の中にそれだけのパワーや普遍性というのがあることになるのだから、 これはまた有難いのである。
それに新しいkensoファンの方の意見というのが、 実に的を射ているいるんだなあ、これが。
もちろん思いもよらない部分に感動してくださっていたりということもあるが。  

自称“音楽通”に、訊ねてもいないのに陳腐かつ退屈な音楽論を展開されるより、

「音が耳からだけではなく、身体中に響いてきたので圧倒されてしまいました。
もう少し音楽理論を学んでからkensoに触れると楽しさ倍増なんだろうな」
(清水註:そんなこともないのです。今のあなたでよいのです)

「リズムの難しさはまったく感じず、音楽って気持ちいい!と思いました。
自分が何も強制されずに自由な気持ちで楽しむことができました」

「kensoの音楽はとにかくかっこいい。健ちゃんもkensoでプレイしている時が一番カッコイイ。
お客さんも男性が多く、「ウオー!」という歓声もかっこいい」

「TVや街で“骨”のないうすっぺらい音楽ばかり聞かされていて、
乾き切っていた心が満たされていくのが感じられた」

といった素直な感想のほうが、読んでいて楽しいし、それが明日への活力となる。
こんなに我々の音楽に感動し、次の作品やライブを楽しみにしてくれているファンが いるんだ
(しかも、今のところ増えている)ということは、メンバー全員にとって大きな励みです!

クラブチッタの2日前に行った相模原高校ライブでの反応に関しては、
次のこのコラムで書こうと思っているが、
プログレッシブロックなんて言葉さえ知らなかった若者が

「あれから毎日、kensoサン、聞いてます」
「美深を聞いて、まだ行ったことのないはずの北海道の風景がうかんできました」など というメールをくれたり、
「プログレッシブロックっていうのを、これから聞いてみようと 思います」なんていうメールをくれたり、、、、

今年6月だったか、 難波弘之さんが「クラシックファンのためのプログレッシブロック講座」
というのを開催されていたのを横浜のYAMAHAに おいてあったチラシで偶然知ったが、、、、、
難波さんと、なんとかしないとね、と話していたことも少し実践できた気がする。

私自身は今でこそ、いわゆるプログレはあまり聞かないが、私の一時期を支えてくれた 大切な音楽。
既に自分の骨格であり血であり肉である音楽。
感謝と敬意は持ちつづけているのだから、こうした反応も嬉しい。

さてさて、 最近は音楽的なことについて、“ありがてえアドバイス”をしてくれる人は減り
(残党の一例は 前回のコラムの最後に掲載。)、 なかなか有益な意見が多くなってきた。
音楽的なこと批判されたって行政機関の“苦情受付”じゃないんだから、
我々の音楽に何ら影響を与えることはないということが分ってきたのかな。

自分自身のこと考えたって「つまんないライブだったな」って思ったらアンケートなんて 書かないし、
関係者から「楽屋で、●●に会ってゆきませんか?」なんて勧められても
「いや、やめとくわ」となる。
若いころは、血気さかんだったから
「なんだよ、イエスのパクりじゃん」 なんて書いたり、直接言ったりしたが。

でも、なかには未だに“えっ、えっ、えーーーー!?”っていう方も散見されるので 再度言っておくが、
私はKENSOの音楽やライブが気に入ってくれればもちろん嬉しいが、
もし気に入ってくれなくてもそれは仕方ないと思っている。
我々は、皆さんの好みに合わせて音楽を作っているわけでも、
“今年の秋から冬にかけての恋人たちを演出する、、、”ふりをして、
自分たちの懐を暖める ために音楽をやっているのでもない。
これは4年前にアルバム『ESOPTRON』に対し、また 光田不参加の時のライブに対して寄せられた
見当はずれの数々の批判に対して既に述べてある。

「アルバムが受け入れられなかったことを素直に反省しろ」なんて、
もう大笑いの意見もあったことを 懐かしく思い出す。
なんか良識派ぶった輩が、しらっとするほどつまらない意見で、頼みもしない調停をしたり、、、
あったよね、あったよね。
「清水さんが人格批判をしたのはよくない」なんて、、、、、がははは、噴飯。

今回のアンケートには「変拍子がどうした、こうした」
「ドラムのヘッドがどうしたこうした」
「あの曲は、やっぱりレスポールでなく、シングルコイルの ピックアップで弾くべきだと思う」などという
感想がほとんどないなあと感じた。
KENSOの音楽を総体として(もちろん、音響や演出も含めて)味わってくれている印象を受けた。
『美深』や『願いかなえるこどもをつれてゆこう』で涙がでてきたという複数回答には、
その方の感受性を讃えたい。greatだ。
ロックコンサートって、演奏者とオーディエンスの感性の一騎討ち、
真剣勝負だと、ワ・タ・シ・は、思ってます。
私は、ね。

実は今回、知り合いの女性から
「小学生の娘といっしょに清水さんのコンサートに行きたいので、 チケットを2枚購入したいのですが」
と言われた時は、 おふたりでドリンク込みで11000円も 払っていただいて、
全然つまらなかったら申し訳ないな、と感じていたが、
コンサート後のお電話で
「『願いなかえる〜』の前半で、思わず泣いてしまって、
ロックコンサートで泣いてしまっていいのだろうか、
と思っていたら小森さんのドラムが 、がーーーーって始まって、涙が止まった」というエピソードと共に、
とっても楽しめたという感想をいただき、ホッとした。

また、ライブ後半、『T.BENTAR』『Foro Romano』『陰鬱な日記』の メドレーで、
興奮の極みに達したという多数の意見は、 まさに我が意を得たりである。
KENSOには、小口、光田という優れたコンポーザ−がいることを明確に示し、
私/小口/光田、それぞれの個性と良い意味でのライバル意識を交錯させることで
精神的テンションを高めるという意図があった。
そして、私の曲にしても小口、光田の曲にしても細かく入り組んだ譜割りなのに、
それを大きな波動として生理的快感にまで高めてオーディエンスに伝えられたのは、
三枝/小森という優れたリズムセクションあってのことだったのは言うまでもない。

では、具体的に質問にお答えしよう。

Q1:会場に流れていたBGMについて

開演前のBGMはSwedenのバンドVASENの「TRIO」というアルバム。

私が、宣伝文も書いてます。
「TRIO」はもうショップに並んでます。
もちろん、この作品もよいのですが、 パーカッションが在籍している作品も パワフルでいいんですよ。
来年1月21日に、日本版ベスト盤がリリース予定。
来年4月には、来日。
実は、一時、KENSOと共演の動きもあったんです、、、、よね。

終演後のはPat Methenyのソロ作「One Quiet Night」。
心に沁み入る、本当の天才の音楽だ。
キースジャレットの曲や自身の作品を演奏しているが、 とにかくそのハーモニーの センスには敬服する。
深夜、読書や原稿書きの際にBGMとしてよく選択するのであるが、
もうその素晴らしさに、意識が本やパソコンから離れてしまうほどだ。

Q2:清水さん、世良さんや御酢屁裸ーズを悪くいうのはなぜですか?   
あんなに言わなくてもいいと思う。

ああ、これはね。むずかしいですね。
私としても、いい加減毒舌はやめようと思う部分もあるんです。
でも、前回のEASTのライブの程度(ゆず、とかの話題ですね)に ひやかしを入れても、
「今回は清水さんの毒舌が少なかった」っていう 意見がくるんです。
で、結論として、ファンの多くは私の毒舌を楽しみにしているのだからやる、、と。
一方で、1999年の「esoptronツアー」についてのある雑誌に掲載された コンサート評に、
「清水さんのMCは面白いが、時として演奏の興奮を さめさせることがある」と書かれてから、
そうか、タイミングを 考える必要があるな、と素直に反省した部分も反映するようにしてます。

前述のスタイリストの女性も私のMCの支持者なんですけど、
もうこれは私のスタイルだから、必要なんですね。
大勢のファンが期待しているので、できるだけ悪意のない面白い毒舌をと 考え、実は工夫しているんです。
実際に私が考えていることをそのままコンサートで話したら、、、、、
それはそれは大変なことになりますから。

で、世良さん、御酢屁裸ーズ、についてなんですが、、、
よく聞いていただければ、両者とも単なるきっかけにすぎないのです。
世良さんは、小森くんの経歴のZEP,ZAPPA,マハビシュヌ、、、といった
物凄い超人的なバンドとの対比が面白いから入れただけで、
それが“ぴんから兄弟”だってよかったんです。
私の主題としては小森くんが、そうした物凄いバンドを聞いて触発され練習を積んで
これだけのドラマーになったのだと言いたかったのです。
だいたい、世良さんについては「これが経歴に入っているのがよく分りませんが」としか 言ってませんよ。

世良さんというと「あんたにーーー」っていう歌と、
趣味の悪いアクションと、
それをコピーしていた友人たちを「だっせーーーーー!」って蔑視していた 大学生の自分と、
ヤクザ系の映画でだれだかの乳房をいらっていたことと
ZEP特集の雑誌で、つまらない文章を書いていた印象があるくらいで、
私の人生には関係ないひとなんです。

私だって、BEATLESやZEPといったバンドの他に、
「ぴちぴち天国」「私の彼は左つき」あれ? 「私の彼は左前」あれ?「私の彼は左巻き」? 
なんか、わかんない、そんなのとか、
「年下の男の子」なんて曲も けっこう好きで聞いてましたから、、、そんな感じで。

「ごすぺ」の方は、たまたまライブが近づいていた日にコンビニで聞いて、
「くっだらねー、つまらねえー」と感じたのですが、
それだけ言っても 面白くないので、私のルーツであるブラックサバスの曲との対比をしてみたのです。

これも私が少年の頃どんな曲を聞いて、
リフをコピーして(FOCUSも弾いたでしょ)きたかって 事を「ごすぺ」をきっかけとして言いたかっただけで、
本質はサバスへの愛情表現だったんですねどね。
(実際、終演後、清水さんってプログレだけの人じゃなかったんですね、って喜んでくれた 方に
数名会いましたし、アンケートを見ても、好評でした)
私が狙ったのは「血まみれの安息日」は500万倍、
同じようなリフの「悪魔の呪文」は 1000何倍、
“黄金虫は金持ちだ”みたいな(今となってはダさい寸前のリフだということも 含めて)リフの
「Children of the Grave」でさえ、「ごすぺ」の5倍はかっこいい、と。
500万倍から5倍への落差、このへんだったんです。
それと「遠距離恋愛」→「血まみれ」→「墓場」っていう流れ。
更に、ロックのリフのかっこよさとは、というのもありましたね。

もっとマニアックに見てくれた方には、
「血まみれの安息日」と「悪魔の呪文」という似た部分のあるリフを 弾くのに、
私がレスポールの、どちらのピックアップを選択し、
ヴォリュ−ムのノブをどの程度絞ったか という面白さもあったと思います。
まあ、これはギタリストに限られるかもな?
残念ながら今回は友人の大谷レイブン氏は会場にいませんでしたが、
もし来ていたら 「清水さん、あれは、ちょっと違うんちゃう?」 なんて言われたかも。
レイブンはヤン・アッカ−マン、好っきやからなあ。

そういった訳で、「ごすぺ」の新大阪だろうが、川崎の風俗街の「おすぺ」だろうが、
なんだってよかったのです。

はい、次の質問。

Q3:ドリンクブースの照明、スタッフの私語、ガラス(コップ等)が当る音は、
   何とかならないものでしょうか。

もしまたクラブチッタで演奏させてもらう機会があれば、スタッフに話してみます。
しかし、あそこはコンサートホールではないので、そうした“音”も仕方ないようにも思えます。
それに、お店(もちろんチッタのこと)の営業として必要なのかもしれませんよ。

あとは質問というより希望ですかな。

H1:清水さん、おしゃべりはもう少し拍手が途切れてからでもいいと思います。
  お客さんは、演奏に対してそれに値するだけの拍手はしたいと思っているはずで、
  お話し始まってしまうと無理に止めなきゃ聞こえないからもったいないです。
  (ひょっとして時間気にされてましたか?)

なるほど、これも心がけましょう。
ただし、私は司会(mc)だけをやっているわけではないので、
あのもの凄い集中力を要する曲を演奏し終った直後に司会者のクールな頭に もどって
「あ、mcは拍手が鳴り終ってからだったな」となれないかもしれません。
それは、貴方がライブで大勢の前で熱気をもって演奏されたら 分ると思います。
それと、演奏が終ってから話に入る時間が、貴方のように“短い”と 感じる方とそうで無い方が
いらっしゃると思います。
ま、いずれにしても、プライオリティの高い問題ではありますまい。

それと、時間は気にしてません。
リハーサルで、なんども時間を測ってますので。

あとは、もろもろ、、、

1:「美深」という名前をつけたウサギがおっとりとしたかわいいウサギに
   成長したという微笑ましい御報告がありました。
   私もパットという犬を飼っています。もちろんPATです。
   生後6年の既にオヤジ犬ですが、公園につれてゆくと可愛いギャル犬を
   追いかけ回し、先日もポメラニアンのお尻に前足をかけ、、、
   おっ、おっ、ちょっと待て、パット!パ〜〜ット!となりました。

2:DVDにしてもコンサートチケットにしても安く提供しようとする気持ちが伝わってきたという感想。

  これはKENSOを陰で支えてくれるスタッフのおかげです。
  DVDにおいては映像編集スタッフ、コンサートにおいては、
  PAや照明のオペレーター、舞台監督、楽工房のスタッフ、その他多くの方々の実に献身的な
  働き、KENSOの財政事情を分ってくれている方々のおかげです。
  心より感謝しています。

3:a-静かな曲なのに、隣の人が足でリズムを刻むので音楽に集中できなかった。
  b-ひとつおいた隣の人がドラマーなのか、もう最後は腕ふりまわして、、、、

  b-実はこれは私も経験ありますんで、コメントしにくいんです。
   1998年、マグマ初来日の時、興奮のあまりドラマーと化し、前の席の人の頭、たたいてしまいましたんで。

  a-静かな曲でも、その人の中ではハードなリズムが鳴り響いていたかもしれないですし、
  まあ、ロックコンサートですから、仕方ないですね。

   そう言えば4、5年前、ラカトシュ・アンサンブルというロマ系のバンドのコンサートに
  行った時、場所が普段はクラシックを主にやっているホールだったせいかもしれませんが、
  そうした所謂民族音楽系の会場のノリでなく、クラシックのコンサートみたいな雰囲気でした。
  でも、その音楽は変拍子がバリバリでてくる躍動的なリズムに溢れたものでしたから、
   「おっ、かっこいい」と感じた私は自然に体が動き、次第にロックコンサート的なノリに
   なってました。 そしたら、横の席にいた白いYシャツの若いサラリーマン
 (いかにも、“ママの味噌汁最高だよ”、新婚旅行先から母親に電話して“うん、大丈夫、
  ママに教わった通りやるから。ママが御嫁入りの時に持ってきた枕絵もコンビニでカラーコピーして
  持ってきたから、分らなくなったらそれをマニュアルにするよ”っていうタイプ)が、
   私のことじろじろ見始めたんです。

  「もしかして私のこと知っているのかな」と最初は感じていましたが、その非難するような視線が
  気になりました。(そんなに動いていたわけじゃないんですよ。いくらなんでも私だって
   その会場の雰囲気は読んでましたから)
  そしたら、第二部が始まる直前、

  「あの、動かないでもらえます?」
  「えっ!?でも、これクラシックのコンサートじゃないですよね」

  しばしの沈黙、そしたらそのマザコン野郎がこめかみピクピクさせながら、
  「き、き、キミが動くと、ボクがノれない!」って裏返った声で言ったんです。

  長くなるのでそれ以降のエピソードは省略しますが、若い頃の私だったら、
  そいつがアンコールナンバー『だんご3兄弟』(なんで、こんなもんラカトシュにやらせるんだよ)に
  合わせて、まるで幼稚園児のように夢中で手拍子を打っている間に 、
  油性のマジックでその真っ白いシャツの脇腹に“ばーか”とか書いちゃうな。

  閑話休題

   さてさて、ファンに「“天鵞絨症綺譚”は本当に最高傑作だと思っていましたが、
  あのライブを観てしまうと、そして新曲を聴いてしまうと、次はどんな作品を作るんだろう、
  もっと凄いものを作るのではないか?と、今後の活動が楽しみです」とか
  「新しいアルバムのリリースが楽しみなバンドなんてkensoくらい」と書かれるのは、
  これまた有難いことだ。

  次の作品がどんなモノになるのかは、私にもまったく分らないが、
  新しいKENSOは既に私の中にその萌芽が生まれている。

  そしてアンケートに書かれていた次のような意見は、そんな私を勇気づけてくれる。

> <4.今後のKENSOに期待したいことがありましたら、お書き下さい。

> > ans. > 常に、KENSOの赴くところに、期待しています。
> 世界中に散らばり渡り歩いたケルト民族の音楽のように、どこに行っても、
> 底辺にはその魂が共通項として息づいている…10年以上もKENSOを聴いて
> きましたが、「KENSOII」からのアルバムの変転にずっとついて来ているのは
> やはりその中に共通項として残り続けるものが好きなのだと思います。
> ギリシャの海でも、ニューイングランドの沼の中でも、KENSOはKENSOで
> 在り続けてきていると思いますので、今後も、どこに行くのか、その先を
> 期待しています。

また、「kensoを初めて聞いた時の状況について」という質問に関しても大変興味深く読ませてもらった。

佐渡島(だったかな?)のその方の住んでいた地域には、当時レコードショップというのがなく、
レコードというのは電気屋さんのお店の片隅に流行歌が少し置いてあるだけ、、、、。
(私も田舎出身なんで、よく分かります)
もちろん、メジャーとかインディーズという区別も知らず、
そんな中でキーボードマガジンの 難波弘之さんのコラムでKENSOを知り、
御本人はキーボードを弾かないのにキーボードマガジンを唯一の情報源としていた、、、
同誌の小さな記事「kenso セルフポートレイト発売」、
勇気を奮い起こして町田のレコードハウスPAMに電話して、
やっと手にしたkensoの レコード、御飯を食べるのも忘れ6時間聞き続けた、、、、、、とのこと。

うれしいです、ありがとう。


ここに紹介できないのが残念なくらい、多くの方が興味深いエピソードが書いてくださった。
本当に有難く拝読し、心に深くしまいこんだ。

多くの友人たちが指摘するように、こうした事に関する私の記憶力は異常にパワフルだ。
本人さえ忘れていた、昔のカノジョの名前やアルバイト先を覚えていたりして、密かに 恐れられていさえする。
「あああ、清水さん!それ以上、やめてっ!」
(最近、固有名詞、個人の名前が覚えられないのは、多分ボケの徴候だろうが)
皆さんからのアンケートも、きっと全て覚えている。
ライブ92の時から、アンケートはすべて保管しているし。

音楽との出会いについての思い出というのは、その時々の自分の生きていた状況と 密接に繋がっているものだ。
その音を聞くと、その時の自分や自分をとりまいていた諸々が甦ってくる。
それぞれのkensoとの出会い、とても楽しく読ませていただきました。
ありがとう!

次回は、この秋のライブ特集その3、相模原高等学校創立記念式典でのライブについてである。
「じょしこーせー」からのメールも一挙公開。
他のプログレバンドには、ありえねえーーーーーーーーーーーっ。
わけわかんないんだけど。

12月2日


●超大作:『ハレ紀ライブ2003』とは何だったのか

皆さん、お久しぶりです。
抜け殻状態から回復しつつある清水です。
今や、痴漢を交番に連行したくらいでは警視総監賞はもらえないことを痛感した次第です(前回分参照)。

クラブチッタに来てくださった方、どうもありがとうございました。
お陰さまであの日のライブはKENSO史上屈指の充実したライブとなりました。
それはあの会場にいた方の多くが感じてくれたことでしょう。
1983年7月のシルバーエレファント、、、、
1992年2月の「LIVE92」六本木ピットイン、、、、、
そしてDVD「ハレ紀」に収録された2002年6月のオンエアイースト、、、。

でも、そうした印象深いライブにも無かった特殊な空気が先日のチッタでの ライブにはあったと感じています。
それは“気”と表現するしかない性質のモノなのかもしれません。

私事ですが、実はこの日使用しようと思っていたスピーカーキャビネットが サウンドチェックの時
トラブルをおこし、本番直前はかなりナーバスになってました。 (結局、いつものスピーカーを使用)
まあ、本番直前は常に自分自身のテンションを上げ精神集中させるためナーバスにはなるのですが、
特にこの日はそうでした。
でも、ひとたび演奏が始まると、、、、、、なんかとても良い感じでした。

アンコールが終って楽屋へ引き上げる通路で、
光田が「いや、なんか凄かったですね。」 と言っていたのが印象に残っているし、
11月中旬に小口に電話した時も、
「このライブほど、終った後の脱力感が長く続いたことはない。でも、それは心地よい疲れ。
また、ライブ終った直後って、私は割といつも“あああ、あそこ間違えてしまった”とか考えて
しまうほうなんですが、今回はもちろん間違えはあったのですが、
なんかそういうことよりも すごく楽しかったし、いいライブだったんだなって思います。」と話していた。

    小口とはこんな話もした。
    随分前に、私の自宅で大谷レイブン氏からもらったマクラフリンとパコのDUOのライブ映像を 見ていた時、
    小口が「いいですねええ、なんか二人しか分からないところまで行っているんでしょうね。 羨ましいなあ。」
    「そうだね、二人とも楽しそう。きっと常人には分からない境地なんだろうね。」 なんて会話があったこと。

    また、パットメセニーのライブを見るたびにいつも感じる“音楽の歓喜”ということ。
    先日の小口との電話では、
    「もしかしたら、この前のチッタでのkensoは、この領域へほんの少しだけ 手がかかったっていうか、
    足を踏み入れることができたのかもね」という話もした。
    こんなことを書くと、オーディエンスのM●君(後で触れます)から
    「パコ・デ・ルシアにでも なったつもり?」
    などと言われてしまうかもしれないが、 M●君、早合点しないでね。
    パコやマクラフリンになったつもりだなんて、思ってもいないですからね。
    ただ、そういう感触があったということ。
    それだけ、特殊な雰囲気に溢れたライブだったということだ。

    難波弘之さんが「メンバーが、特に清水君が楽しそうだった」とおっしゃって いましたが、
    ホントそう、もう楽しい楽しい、、、、、、そして解放された感覚が強烈にあった。

    「プログレッシブロックの哲学」(平凡社刊)の著者で慶應大学文学部教授の巽先生にも
    楽しんでいただけたようで、よかった、よかった。
    先生!今度、YESのブートビデオ見せてください、ははは。

    また、このライブほど、後から後から
    「ねえ、清水さん、お願いがあるんだけど、、、 チッタでのライブのビデオ、
    内緒でダビングしてほしいんだけど、、、」と友人に 言われたことはないです。
    KENSOのライブをずっと見続けている複数の友人に「ベストライブなんじゃない?」とも言われた。

    とは言え、この日のライブについての細かい分析は今はまだ無理だなあ、時間的にも心理的にも。
    ただ、8月31日の小森氏を入れた初めてのリハーサル終了後、既に 何かがおこりそうな予感があったから、
    光田と「ちゃんと録音しておこうか」と話し、 ライヴレコーディングもしておいて良かったと思う。
    更に、 もちろん『ハレ紀』収録時ほどではないが、ある程度編集素材となる映像もとることにしてよかった。

    小森氏は、8月、9月はそれどころじゃなかっただろうが、
    物凄いタイトなスケジュールの中、本当によくやってくれたと思う、感謝です!
    愛染感謝状(嬢)、元気ですか?

    それと、オーディエンスの皆さんのアンケートも有難う!
    いつものことながら、 ホントに驚くほど沢山の数集まった。
    みなさんの気持ちが伝わってきて本当に嬉しかった。
    特に、小森くんの素晴らしいドラミングについての感想がかなりあり、
    ライブ後の打ち上げで、小森くんはアンケートに目を通しながら
    「うれしいなあ」
    「よかったア!すげえ大変だったけど」と喜んでいた。
    オーディエンスの皆さんが彼の労をねぎらってくれたことに対して、私からも御礼を言いたい。

    アンケート(ライブ終了後2週間たってもまだファクスやメールが 楽工房さんのオフィスに届いているそうだ) には、
    ちゃんと通し番号をつけて、一枚も逃さず、メンバーおよびスタッフは拝見しています。
    あとから送られてきたものは、私がコピーしてメンバーにわたすようにしています。

    尊敬するPat Methenyやジョニ・ミッチェルも言っていたこと、
    「我々の音楽を気に言ってくれれば嬉しいが、気にいらなかったとしてもそれは仕方ないと思う。
    他人がどう思うかより、自分がどんな演奏ができたかが大切なのだ」という 姿勢に大いに共感するが、
    やはり皆さんからの熱い反応は嬉しい。
    これからもKENSOを愛してくださることを心から祈っている。

    では次に、問い合わせの多かった、今回初演の新曲について簡単に触れておこう。

    ________今回のライブで演奏された新曲について_____________

    私がライブの冒頭でローランドVG-88を使って 弾いた曲は「痛ましき晦冥」。
    オーディエンスのひとりが「清水さん、この路線は 難しいですよ」などと
    “ありがてえ”忠告(後述)をしてくれたが、
    私の頭にあるアイディアはメンバーにすらまだちょこっとしか伝えてないのだがねえ、、、
    どうして貴方に私が“どういう路線”で行くか分かるのかなあ。

    「痛ましき晦冥」に続き清水/川島/小森のトリオで演奏したのは「暁に楽師が」である。
    スタジオで初めて3人で演奏した時、思わず「これ、いいねーー!」と握手してしまった。
    私は、自由にやって欲しいと言っただけだったけど、
     ナイスなアプローチだと思うよ、小森くんのドラミング。
    そして川島さんのカンテ、演奏中、ぞくぞくした。
    「暁に楽師が」はコンサートの後半にバンドと川島さんでも演奏した。

    相模原高校ではアンコールで ちょっとしたロックなアジテーションをかまし、
    パンクロック的な破壊力とともに、 携帯で我々を撮影しまくる女子高生に愛嬌をふりまいて演奏した。
    いやあ、みせたかったなあ、皆にも。
    ね、光田くん!ファンふえたよね。
    「Vサインする光田さん、かわいい」ってメールもらってね。
    俺、すなわち清水も親指立てたんだけど、、、笑ってたわ、最前列の女子高生。

    本編中間部で私ひとりステージに残ってやはり「この路線は難しい」らしいVG-88で演奏したのは
    「シヅカへの扉」である。
    それに引き続き小口/小森によって演奏された曲は、 今のところ曲名はなく、
    私は「小口/小森インターリュード」と呼んでいた。

    さてさて、私は現在コンサートの残務整理やら清水歯科医院の仕事に追いまくられているため、 あまり時間がない。
    よって、後はライブにいらしてくれた方からいただいたメールなどを紹介 し、
    『ハレ紀ライブ2003』とは何だったのかについての考察資料としていただこうかと考えている。

    まずはユーロロックプレス誌(11月28日発売号)にレビューを書いてくださる予定の
    音楽評論家内田さんからのメールです。

    送信日時 : 2003年 11月 2日 日曜日 11:17 PM
    件名 : 最高の気分です!!!

    清水さん ライヴ最高でした。帰っても興奮しっぱなしです。
    所用のため10:00までには戻 らなければならなかったのでご挨拶できず失礼いたしました。
    小森氏のドラム、 パワフルで村石氏とはまた異なるエネルギーがあって、素晴らしかったです。
    あ と、川島さんのヴォーカルも!!
    曲は作り込まれているのに、ステージ上では何 か獲物に立ち向かう野獣のような猛々しさすら感じます。
    海外に行ってもこうい う「ロック」バンドにはなかなか出会えません。
    今回もDVDとは言いませんが、 何かの形で残ったらいいなと、本当にそう望みたい気持ちでいっぱいです。
    今夜は最高の気分で眠れそうです。
    内田哲雄


    次にファンの方で、この日のライブレポートを細かく書いてくださったかたのサイトを お知らせしておきます。
    > http://homepage3.nifty.com/YOMO-NO-MI/sakusaku/5_1.htm

    一部内容を転記しますと、、、

    不思議な現象に気づく。ライブが進むにつれてステージ奥の壁が見えなくなってくる。
    演奏しているみなさんの向こうに無限の空間が広がっている。
    そして幻視。
    音のない広大な雪原、或いは凄烈なブリザード。
    よく大掛かりなコンサートでステージバックに画像を流すことがあるが、KENSOのライブにそれは必要ない。
    KENSOの音楽が個々の心象風景を喚起する。

    この方はアンケートにも書いてくださったのですが、
    「演奏中にメンバーの向こうに、、、、kensoの音楽が個々の心象風景を喚起する」 と感じてくださったこと、
    とても嬉しかったです。
    というのは、私が心から尊敬しているPat Metheny Groupの昨年9月の ライブにおいて、
    私はメンバーの存在が目の前から無くなり、
    上手く言えませんが「宇宙」とか「生命」とかが感じられたのです。
    P.M.G.には勿論遠く及ばない我々ですが、 こういうふうに感じてくれたことは大きな喜びで演奏者冥利につきます。

    次に、ガムラン演奏家(バリ島の著名楽団複数に在籍。私と小口は、バリ島へ行く前に、
    よく南部さんのHPで様々な情報を仕入れていたが、これまで面識はなかった。
    だから今年の春、南部さんから突然のメールをいただいた時は大変に驚いた) にして
    ロックギタリストの南部さんからのメールを紹介する。

    「南部です。昨日は素晴らしい演奏をありがとうございました。
    また、せっかく打ち上げにお邪魔させてて頂いたのに中座して しまって失礼いたしました。

    久しぶりに生演奏を聞いて鳥肌が立ちました。
    もしかしたら10 年前にスマララティ(清水註:バリの有名楽団、私も小口も初めて見た時、
    もう戦慄さえ覚えたくらいすごい楽団だ)を見たとき以来かもしれません。

    いくつか昨日の感想を述べさせていただきたく思います。
    打ち上げの席上、
    「ドラミングの狂熱とギターのストイックさ が鮮やかな対比をなしていて興味深かった」と申し上げました が、
    今考え直してみれば決してそんなことはありませんでした ね。
    ギターも実に色気のある音を出していました。
    多分、清水 さまが繰り出してくるフレーズが実に制御された無駄のない核 心をついたものだったから、
    私は「ストイック」と思ったので しょう。

    打ち上げの席上でも、ご紹介いただいたギターテクニシャン の方と、
    「本来、ギターという楽器はその発音原理を考え れば打楽器なのであって、
    ピッキングの音が感じられなければ 魅力は半減する。
    その点、清水さんのギターは実にロックで、
    譜面に起こせないようなピッキングの微妙な雑音成分までもが 実にエロい」などというような話をしておりました。

    「ドラマーが馴染んでいないのではないか」というような話が 打ち上げの席上出ていたようですが
    (清水註:私は記憶にないのだが、 アンケートの内容についてか?)、
    初めて拝見した私からすればさほど違和感は感じませんでした。
    失礼を承知の上であえて言わせていただければ、もうちょっと 抑えても充分舞台は成立するような気もしましたが、
    週何回も ライブをこなし、全国をロードしながら完成度を向上させてい くような環境にあるバンドならいざ知らず、
    日常的に活動して いるバンドではない場合は一回のステージをいわば「作品」と して考え、
    その時点での完成度を追求することは重要で、静態 としての最良の結果を出すようにしなければいけない。
    そうい った意味において結果が出ておりましたし、
    彼のドラミングに 他のメンバーが触発されてどんどんと集中力が増し、
    結果とし てあれほどの音場空間が出来上がったのは実に見事としかいい ようがありません。

    そしてなによりも実に圧巻なドラミングで あり、痛快そのものでした。
    特にボーカルとの相性は抜群だっ たと思います。
    外に向けて力を発散させていくタイプのボーカ ルには彼のドラミングは最高ですね。

    小口さまのガムラン風の間奏曲も全く自然ですんなり入ってき ました。
    もし、ガムランのフレーズをサンプリングしてそのま ま流し、
    インチキヒーリングミュージックを展開するなら何か 言ってやろう、と思っていたのですが、(笑)
    全くの杞憂でし たね。
    きっちりと消化されていて、実に見事でした。何回か「 おっ!?」と思いました。
    特に小口さまが素晴らしいのは、
    通常、ガムランにインスパイ アされる方々の多くがメタルパーカッションという切り口でし か
    ガムランを見ていないのに対し、小口さまはその奥にあるメ ロディーまで理解されている、という点ですね。
    チャンディ・ ブンタールのメロディーはそれこそうっとりするようなもので 、
    ルー・ハリソンと比較されても決してひけをとらない、と思 いました。
    (清水註:ルー・ハリソン! これは、すごい高い評価ですよ、小口くん!)

    そして何よりもメンバー全員が演奏を楽しんでいる雰囲 気が伝わってきて、見ていて非常に爽快でした。

    まだまだ感想があるのですが、とまらなくなりそうなのでこの 辺で。」

    南部さん、ありがとうございました。
    打ち上げ会場ではリーダーという立場上、私はあちこちの席を飛び回っていて、
    あまり話ができませんでしたが、 ガムランについて、いずれ色々と教えてください。

    では、次に三枝と川島桂子さんからのメールを紹介しよう。
    まずは三枝から。
    ________________________________

    件名 : お疲れ様でした

    皆様、三枝です。 お疲れ様でした。

    ライブが終わってからの三日間、完全に脱力しておりました。

    今回のライブがあまりにもすごいエネルギーを持っていたからだと思います。

    今までと明らかに違う「気」が満ちていました。

    このバンドにいることに誇りを感じます。

    明日の飛行機でまたボストンに戻ります。
    勉強に行くというより、このエネルギーを伝えに行くような気分です。

    ケンソーという生命体の一細胞としての可能性を、もっともっと広げて帰ってきます。
    次回がまた楽しみです。
    よろしくお願いいたします。

    -- _次に川島さんからです。来年一年間スペインに留学されます。___________

    送信日時 : 2003年 11月 3日 月曜日 3:59 AM
    件名 : ありがとうございました

    今日は呼ばれもしないのに2次会にまで参加させていただき、
    (清水註:呼んでましたよ、 2次会、呼ばないはずないじゃないですか、俺、否、オーレ!)
    言いたいことを言ってしまい、すみません。
    このところ、ソロ活動のせいもあって、頭も体も純粋フラメンコ路線を向いていながら、
    KENSOライブに関しては、特別な感情(愛着というべきか?)を持っていた自分を、
    我ながら不思議に思っていましたが、本番をやってみて、
    「あったりまえじゃん、生半可なことじゃ参加できねぇよ」ということを改めて思い知らされた川島です。

    KENSOのライブはほんとに不思議です。
    今日、後半舞台のソデにいて感じた圧力は、技術や頭脳が卓越した音楽、ということを全く越えた、
    人の根源的なエネルギーだったと思います。

    前回もそうでしたが、そんな空間を共有させてもらえることが、恐ろしくも嬉しかったです。
    「空に光る」は、本当に印象的でした。

    先程の話題でも言いましたが、全く過去をなぞるのではなく、
    現在形の、新鮮な喜びが、素晴らしかったです
    (そういう意味では、KENSOのライブは私にとって、半端なフラメンコ以上に刺激的なフラメンコです)。

    前回は、「もう一回Good days Bad days を歌いたいなぁ」と思いましたが、
    今日はオープニングが終わったとたんに
    「すまん! 暁に楽師が は、もっかいやらしてくれぃ」と 思ってしまいました。

スペイン行きを目前にして、KENSOのライブに参加できたことは、
他人が多分全く解らないであろう、私だけの、大きな意味のある喜びです。

また、機会があったら声をかけてください。
ありがとうございました。
ライブの間、どんどん子供のような顔になっていく清水さんやメンバーの方がたがとても素敵でした。

川島桂子 送信日時 : 2003年 11月 4日 火曜日 1:35 AM
件名 : Re>セブンシーズの新●さん

いろいろメールをありがとうございました。 今朝はさすがに声がボロボロで、
日中あったミニライブの時は「川島さん、風邪ですね」と言われてしまいましたが、
夜は、気の合った人達との舞台で、いつもより開放感と熱を持って出演者全員が楽しむことができました。
私の中にまだ昨日の熱が鮮明に残っていたので、声の調子がイマイチでも、波に乗れた気がしました。
清水さんは大仕事が終わって、脱力状態でしょうか・・残務整理でそれどころではないとか。

私の歌を喜んでくださるKENSOファンがいらっしゃるのは、ほんとにうれしいことです。
普段のライブを見てみたいと言ってくださる方までいらしたのは、驚きです。
渡西までに、まだ変わったタイプの舞台もいくつかありますが・・

昨日お話させていただいてつくづく感じたのが、清水さん、そして他のメンバーの方がたが、
私の歌をものすごく大事にしてくださっているということで、
それはある種、真剣勝負の空気を孕んでいて、
私は「全くカッコつけてるスキなんかないぞ」と、改めて思わされました。

歌が歌として切実に存在すること、人が人として生々しく存在すること・・
カンテの大命題を、KENSOは違う形で私にはっきり示してくれていると思うのです。

どうか清水さん、闘い続けてください !
私はこんなふうにKENSOのウズに巻き込まれ、揉まれながら、
いろんな光をかいま見せられる瞬間が、危険なくらい好きになってきてしまいました。

私の歌が、KENSOの中で、何かしらの火花になれるかもしれないというのは、
ものすごく刺激的で、幸せなことです!

川島桂子

送信日時 : 2003年 11月 8日 土曜日 2:47 AM
件名 : つづき

新●さんにも話しましたが、KENSOというのはつくづく不思議なバンドです。
特にライブの熱や圧力というのがただ事ではなくて、
「よかったなぁ」という、なにやら形容しがたい感慨が、
終わってから日を追うごとに強く体の中に戻ってくる感じです。

去年たしか「日にちがたってもライブの時のことが通奏低音のように残っている」と書いたと思いますが、
2回目だった今年も、それは同じです。
良いもの、強いもの、嘘がないもののライブは、必ず私にそういう残り方をしてくれて、
牛のように時間をかけて楽しむことができてうれしいで す。
川島桂子

_________________________________

次に、2003年秋の正式メンバー、小森氏のHpを 紹介しよう。
彼の感じた「ハレ紀ライブ」の感想が生々しく書いてある。
ぜひ、彼のHPに行って読んで感じて欲しい。

小森くん!こんなにもkensoに力を与えてくれて、心から感謝している。
っつうか、最高だよ、こもちゃんのドラム!
私の中にある1968-76 rock spirit が メラメラと燃えたぜ!  
http://www.keisukekomori.com/cgi-bin/diary/diary2.cgi
________________________________________

最後に旧友(昔は喧嘩したり、一緒にライブ見に行ったりしたね)のキーボーディスト&作編曲家、
最近はプリズムのアルバムにも参加している石黒彰氏のHPから引用させてもらった。
全文は彼のHPへどうぞ。

http://hw001.gate01.com/akiraishiguro/Diary/Nov.2003.html

“で、そこで見た『KENSO』は僕にとっては懐かしい80年代初頭の山本はるきち氏在籍時の
いわゆるオールド『KENSO』にも通じる、
テクニカルでありながらもヒューマンな温かさを持つ新しい『KENSO』だった。

この変化はまぎれもなく、今回のこの助っ人ドラマーによってもたらされたものだ。

全くの私見だが、彼(小森)の特殊性はテクニカルでありながらも音符が長く、
なおかつその重心が低いという所にあると思う。
通常、ドラマーはテクニカルになればなるほど音符は短くなり、
骨太な「ロック」な感じとはだんだん遠くなっていく。
エッジはきつくなり、シャープにはなれどファットではなくなる。

従って『KENSO』ような演奏者に高度な演奏技術を要求する”ロックバンド”に彼は正にうってつけだ。

また、今回清水さんは『川島桂子』さんというもの凄い才能も紹介してくれた。
普段はフラメンコの世界で活躍している方だそうだが、
『KENSO』の音楽に何の違和感もなく溶け込んでいた。
歌唱力も半端じゃない。
歌い出した瞬間からぐぐっと持って行かれる感じだ。

こういう逸材とコラボレートする所が、まったく目の付け所が違うというか何というか...
同好の志が集まって作った「プログレ・バンド」には到底思いつかない発想だろう、、、後略。”


ありがとう、石黒くん。
21年前『KENSO SECOND』のレコーディング中に、
わざわざ横須賀の神奈川歯科大の軽音楽部部室まで来て、
当時クリックを使うことをしてなかったためにずれてしまった箇所を聞くや否や、
にやっと私の方を見て
「清水さん、ずれてるね」と指摘したことも帳消しにしようかな。


といった具合に、演奏者、友人のプロミュージシャンや音楽ライターが、
今回のライブを 意義深いものとして評価してくれた。
今までのベストライブであったと言ってくれた人もいた。
オーディエンスからの反応も熱く、コンサートを楽しんでくれたようで、本当によかったと思っている。

でも、アンケートの中にはオーディエンスのひとり、M●くんのような意見もあったので紹介しておこう。

『(偉そうに聞こえるかもしれませんが)全般的には満足致しました。
小森氏のドラムも村石氏に負けずサイモン・フィリップスばりに凄かったです。
しかし残念ながらLIVEでは村石氏ほど皆さんとの呼吸が合っていない場面もあったように思えます。
私もバンドをやっていますが、一緒にやった経験が長ければ長いほど、
ミスがあったときの相互の カバーしあえると思います。

清水様、今回よりVG導入したようですが、あの路線は大変ですよ。
パコ・デ・ルシアやる気ですか?
ソロの際も手が縮んでいたようですね。

小口様、本日は決めるところ(ソロ)は非常に良かったですが、
テーマ等でのミスタッチが 多かったように思えます。
またトリトン(清水註:原文ママ)の音色トラブルも有りましたね!
オンエアーLIVE時とは キーボードの配置が異なることや
V-Syntheの導入等も上記の原因となったのではないでしょうか。 後略』

 なんか、レコード会社にデビューさせてもらう新人ロックバンドに対する、
スーパーマーケット再建の名人で音楽のことなんて全然分ってないけど
レコード会社の経営改善の ために招かれた邦楽部営業課長のような意見ですね。

この意見に対して矛盾点を指摘したり、
またこういうことを書く、いや書かねばならなかった彼自身の せっぱつまった心理について
私なりの分析をすることはたやすいことであるが、 時間の無駄なのでやめておく。
ってゆうか、笑ってました、読んで。

“路線”という表現自体に、この人の通俗性と発想の貧弱さをみる思いがするなあ。
それと “パコ”っていう例えが、なんか悲しいっていうか、Tim Bradyでも出してくれればね、せめて。
ドゥ・ユ−・農?

一緒にやった経験が長ければ長いほど、いろんな怨念が溜まっていて、足をひっぱりあうバンドも あったよな。
まあ、キミはきっと知らないでしょうけどね。

この人は、昨年からKensoを聞き始めたらしいので、持っていないかもしれないが、
「LIVE92」の一番最後に入っている言葉が、私から君へのメッセージだ。  
缶・幽・アンダースタンド?


ところで、女子生徒諸君の中で、このM●君と結婚したいと思う人はいるかね。

シーーーーーン。

ま、そうだろうな。

「う、この味噌汁、ちょっと辛いな。」
「ごめんなさい、お塩とお砂糖の量をちょっと間違えちゃって」
「お前、塩と砂糖の容器、変えただろう、配置も!、 だから間違えるんだよ!」
「あっ!あなた、やめてっ、やめてっ!」
「ふふふ、スキンシップしてやる(意味不明)」

なんてなるかもしれんもんな。

その時、教室の隅にいて、なぜかカーテンに半分顔を隠した女生徒が手を挙げた。

「せんせエ、、、、わだし、、、、するっちゃ、、、、このシトと、、、結婚。ぐえっぐえっ、、」

「おっ、お、お、お前は!!、、、、、、、、、、、、、墓場ッ子!」





以上です。


●そして穏やかな日々へ

5月後半から続いた緊張の毎日はクラブチッタでの“ハレ紀ライブ2003”で ピークをむかえ、
だんだんと普通の歯科医の日常にもどりつつある。

今日の午前中は校医をしている小学校の歯科検診があり、
約500人の生徒さんたちの虫歯の チェックを行ってきた。
歯科医以外の方には想像もつかないだろうが、
8:45から12:30まで、 間に10分ほどの休憩があるだけで、ずっと両手を挙げっぱなしなのは、
もう既に四十肩ビシビシの 私には結構きつい。
ましてや、まだギターの重みが(特にレスポールは重いのだッ)残っているので、 かなりしんどかった。

大人しい生徒ばかりでは勿論無い。いわゆる多動児なのか、動きまくるのも 困りモノだが、
ふてくされて口を開けないやつもいる(先生の眼がなければコツンとやりたいぜ、もう)。
こどもの幼いギャグに笑ってあげたら
「歯医者が笑ってどうする」なんて、つっこみを入れる生意気な 坊主もいる。
まあ、仕事ですから、この程度のことは笑い話ですが、、、。

また、今回のライブを撮影したビデオをメンバーとスタッフ用に少しづつダビングする作業も
毎日の日課となっている。
今回のライブほど関係者や単なる友人から
「ね、清水さん、お願いがあるんだけど、 チッタのビデオ、ダビングしてくれないかなあああああ、なんて」
とたびたびお願いされたのは なかったな。

そんな穏やかな日々にも「まさかね」ということが起こる。
もし『日本プログレ新聞』なんてものがあれば、三面記事にはなるであろう出来事。

[KENSO清水氏、痴漢を捕まえる!]

昨日、仕事からの帰宅途中、駅から自宅へいつもの通り歩いていた。
『オリジン弁当』の前を通り過ぎた時である、
そうだなあ30mくらい前を歩いていた女性が 何か声を上げている。
そして、黒いジャンパーを着た男がこちらへ小走りに向かってきた、
その女性もそれを 追い掛けるように、、、
で、その二人が私の前へくるなり女性が「この男、私の体を触ったんです。 痴漢です。」

正直言って、「えっ、困ったことになったな」と感じたが、周囲には私しかいないので、
内心「恐いなあ、この男、見た目は弱々しいけど、なんかいかにも変態チックだし、刃物とか 出されたら、、、」
と思いつつ、いたって平静を装って、その男を捕まえた。
100mくらい先に交番があることを思い出し、
一応自分は腕力には自信があるふりをして(多分、ぜんぜん そうは見えなかっただろうが)、
その痴漢野郎を連行することにした。
もちろん、誰か助っ人が 近くを通ってくれることを祈りつつ。
そしたら、その痴漢野郎が突然、土下座をして(ウソ泣きもしたように記憶している)
「すみません、すみません」と言い始め、その後になんとなく逃げようとしたそぶりを見せた時、
50代半ばと思しき3人の男性が「どうしました?」と集まってきてくれて、なんとか交番へ連行。

まあ、その後はよくある取り調べだったのだが、
3人の警官の詰問に対し、痴漢男は「自分はやっていない」 と言ったり、
「やりました、ごめんなさい」と言ったり混乱の体。

不謹慎と思いつつ内心笑ってしまったのは、
痴漢男「だって、僕はこの女の人とは初対面で、、、(だから、やってないと主張)」
警官「それを痴漢っていうんだよ!誰が自分の身内を触るかよ!」 というやりとり。

もうひとつ笑ってしまったのは、
私の帰宅があまり遅くなると心配するだろうと思い、妻に電話したら、
携帯の電池がほとんどなくて、なんかはっきり聞こえないうちに切れてしまったため、
「痴漢」
「今はセブンイレブンの近くの交番にいる」
「おまわりさんに色々聞かれて」
「でも大丈夫」などの断片しか聞こえなかったので、
妻は私が痴漢と間違えられて交番に連行されたと勘違いし、
以前に見たテレビの番組で、 痴漢の冤罪をはらすのがいかに大変かをやっていたことなどを思い出し、
非常に困っていたらしい。

じゃん、じゃん。

そう言えば、先日購入したCDの中で、とても良かったのがあったので紹介しておこう。
ちなみに、この日購入したCDは

1:寺内タケシとバニーズ『レッツゴー運命』
  自分のお小遣いで初めて買ったLPがこれ。
  先日のリハーサルの時に、このLPの話を光田にしていて、もう一度
  どうしても聞きたくなってきたのでCDで購入。
  リッチーブラックモアが、このアルバムを聞いてショックを受けたというエピソードを聞いた
   ことがある。
  とにかく、当時としては画期的だ。
  MDにダビングして、光田に郵送、押し売りかも。

2:Keith Jarrett『MY SONG』
大好きなアルバムで、LP、CDとももちろん所有しており、
今回のKENSOのライブからの帰り道に 楽器車の中で聞いて、あらためてその素晴らしい音楽に感動した。
これを薦めてくれたのは、佐橋俊彦氏だったなあ。
CDショップにいったら、「GOLD CD」「紙ジャケ」で出ていたので、院長室用に購入。

3:Jack Bruce『song for a tailor』
ユーロロックプレス誌にたしか坂本理さんのレビューが載っており、「へえ、聞いてみよっ」と 思っていた。
まだ聴いてないが、楽しみだ。

4:P.M.G.『Still Life(talking)』
いわずと知れたPatMethenyの名盤。

相模原高校ライブの帰り道、急病で入院した友人のお見舞いにいった。(病院が、相模原にあったので)

彼のことは、実はこのHPにも書いたことがある。
「清水にキングクリムゾンを教えたのは俺だ」とよく言っていた。
GENESIS初来日のチケットをゲットするために野宿した。
今年4月のクリムゾン公演をいっしょに見た帰り、初めて見た生のK.C.に感動した彼は、
「よしひさのライブにも行くよ!」と言ってくれ、本当にチケットを買ってくれた。

ところが、急病で入院。
それを知ったのは、相模原高校ライブの前日、サウンドチェックから帰宅した深夜、
一緒にKCに行ったもうひとりの友人からの電話でだった。

見舞った夜、彼が「すごく不安だ。でも、音楽を聴いている時だけは気持ちが安らぐよ」と 言って、
奥さんに持ってきてもらったらしい紙袋に入ったCDを見せてくれた。
「今の俺にはクリムゾンは、ちょっとヘビーだから、、」といいつつ、PFM、FOCUS、GENESISなど を見せてくれ、
実は「ブルーム」も中にあった。

「よしひさ、あさって川崎でのライブ、がんばってくれよ。音楽って、本当に人の心を癒すんだって、
今回よく分ったよ。よしひさも、ぜひお客さんの心を癒してやってよ。俺も行きたいなあ!」

お陰さまでクラブチッタでのライブは大成功したよ!
御礼に、僕が大好きなMethenyのアルバム、こんど持ってゆくね。
という気持ちで購入。

5:Jeff Beck『WIRED』のリマスター
 いや、もうすごいですよね、ベックは。
これも今回ライブへ向かう楽器車の中で、最近のBECK作品を連続して聴き、本当に凄いなと感じ、
前から気になっていたWIRED のリマスターを購入。
やっぱ、これが一番好っきやねん。
何年か前のJeffの油で汚れた手の写真のジャケットのアルバムも大好きだけど。

6:ANNA MARIA JOPEK『UPOJENIE』
JOPEKについては詳しく知らないが、以前にも作品を聴いたことがあったように思う。
で、このアルバムは上記のMethenyのアルバムを買った時、
そのコーナーに “Metheny全面参加”と書いて置いてあったため、何か予感がして購入。
これが、すごーーーーーーーーーーーく素晴らしいのである。
もう、毎日こればかり聴いている。

25th記念やLAでのライブで手伝ってくれた河野啓三くん(現在はT-スクエアをサポート、
先日の相模原のライブにも来てくれた)を始めとするメセニーファンに勧めまくっている。

7:R.STONES『It's only rock and roll』
私はミックテイラ−在籍時のストーンズが一番好きだ。
なぜかCDで買い直してなかったので購入。
やっぱ、いいなあ、これも。


同日、購入した書籍は以下のとおり。

1:ビートルズ日本盤よ、永遠に:これは、数あるビートルズ本の中でも大変に面白い本だ。

  私は、児童書のコーナーで、ジョン・レノンの伝記が「マザーテレサ」とか「キュリー夫人」と
  並んで偉人扱いになっていることに大いに違和感を覚えている。
  もちろんジョンは偉大だ、「ジョンの魂」私は大好きだ。4枚組BOX SETも持っている。
   でも、、、、、わかるでしょ、みなさん、そういう人じゃないんだって。
  それじゃ、ロックじゃないんだって。
  「日本盤よ、永遠に」は、ロックの本来の姿を再考する上でも、多くの示唆を
  与えてくれる。それ以上に面白いし!

2:ザヴィヌル:もちろん、あのJoe Zawinulの伝記。ついにでたか。当分読む時間はないが、
  こういう本はすぐ書店から消える(悲しいかなKENSOのCDもだ)ので、購入。

3:もっと知りたい、世界の民族音楽:もっと知りたいので購入。

4:救急精神病棟:新聞の書評を見て興味を持ったドキュメント作品。

5:べてるの家の「非」援助論:これも新聞で、どなたかが推薦していたので購入。
はたして、いつ読めることやら。

以上。

次回は超大作「ハレ紀ライブとは何だったのか」である。
多くの方からのメールを引用するため、その承諾をとっているので時間がかかるかも。
また、皆さんから寄せられたアンケートもじっくり読んでからと思っているので。

11月13日


●もうすぐライブだ!and「後輩のみなさんへ」

もう間もなくライブだ。楽しみなのはもちろんなのであるが、この時期になると、いつにも増して
猛烈に忙しくなる。スタジオの手配とリハーサル、招待者リストの作成、
ライブレコーディングやビデオ収録関係の段取り、
更に今回はDVD「ハレ紀」リリースと重なったから関係者へのサンプル盤の梱包/
宛名書き/発送作業などなど、イヤになるくらい忙しい。
もちろん歯科医としての仕事は
それとは関係ないことだから日常と同じようにあるし、今週は従業員の結婚式の主賓スピーチもある!

それでもまあ、昔はチケット関係やライブハウスとの細かい打合せ、ステージのセッティング図や
PAの回線をメンバーに聞いたりなんかも自分でやらなくてはいけなかったことを思えば、
今は制作会社が代行してくれるし、舞台監督さんが図面やタイムテーブルは作ってくれるし、
PAも慣れ親しんだスタッフがやってくれるから楽になっている部分も多いのだけれど、、、、、
まあね、シルバーエレファントの頃はお客さんも150名とかだったから、
私個人でも仕切れたんだよな、、64名なんてこともあったし。

それにしても毎日、物凄い量の処理しなくてはいけないメールが入る。
愚痴をこぼしてもしかたないが、こんな時は「もっとお金になるバンドで、マネジャーを雇って、
これとこれやっといてっ」って言いたいよ〜〜!
今も爆発しそうになった頭の冷却のため、こどもの熱さまし用に買ってある「ひやしま専科」を
一枚拝借して額に貼付けてパソコンに向かっている。

というわけでライブへの意気込みは、もうそれは凄いものがあるのだが、文章を書いている時間が
この先どんどんなくなる。ということで、ライブ前最後のこのコラムは、クラブチッタでのライブの数日前に
あるホールで(スタッフでいまだに学園祭でやると思っている輩がいた。違うって!)
行われる私の母校でありバンド名の由来ともなった神奈川県立相模原高等学校の創立40周年記念式典での
コンサート用に生徒さんたちに向けて書いた文章をご紹介しよう。
あ、言い忘れていたが、クラブチッタでのライブには新曲数曲を演奏する予定です。

後日談: 当院の女性スタッフHさんの結婚披露宴での失策、、、、
披露宴の当日、KENSOライブおよびDVD関係の処理が終ったのが午前3時すぎ、
それからスピーチを考えて 、約3時間半眠り出勤。
午前中の診療後、女性スタッフが掃除および披露宴への装いをしている間に、
院長室で45分間の爆睡。
「やばい、寝過ごした!」急いで、披露宴会場へ向かう。結果的には
式場にやや早く着いたのだが、既にそのロビーには列席者の一群と受付前には長い列。
私と当院の衛生士は、「おお、間に合った」「先生、私ちょっと服装を直したいんですけど」
「ああ、どうぞどうぞ、いってらっしゃい。私はここに並んでいるから」
ということで、列にならんで受付(記帳やお祝をわたすところですね)を待った。
昨年一度だけ(やはり冠婚葬祭の席で数分間)御会いしたことのある
新婦のお父さんらしき方がいらして歓談している、新郎によく似た背の高い青年もいる。
「わ、似てるな彼(新郎)に。あれ、ぜったい弟だな」などと思いながら、文庫本を読みつつ、
受付に並ぶ出席者を撮影しているビデオに穏やかな表情で映るよう意識して(笑)、、
その時なの、もしもし君たち、じゃなくて、その時
後ろに並んでいた女性が「あ、もう写真飾ってある」「え、どれどれ、あ、本当だ。」
「水中結婚式の様子はDVDにしたんだね」などと話していたので、「水中結婚式?、Hさん、
そんな趣味あったっけ?あ、ホントだ。受付の横に式の時の写真が飾ってある。
水中結婚式って書いたDVDも置いてたる。あれ?
あそこに映っている新婦、Hさんじゃないな。彼女のお友達かな。そうだよな、
だっ挙式は今まさにやっている時間のはず」などと考え、、、、
清水よ!このあたりで気づくべきだった、、、
睡眠不足の頭でぼーっと列に並び、ついに自分の番。
着飾った女性が「新婦側の方ですか」
「ええ、そうです。これお祝です」「ありがとうございます。
では、こちらに御住所とお名前を、、」「はいはい」という披露宴会場によくある会話の後、
新郎新婦からの挨拶、披露宴での席順、お料理のメニューなどが印刷されたものを受け取った。
「さて、席はどこかな」とその印刷物を開いて「ふたりからのメッセージ」を読んだ瞬間に
いやーーーーーな感じ。「知らねえぞ、こんな名前!」
そうです、そのとおりです。私、赤の他人の披露宴会場の列に並んでしまい、お祝を渡し、
芳名帳に記帳し、出席者を写したビデオにまで出演してしまったのです。
しかも、ビデオに映ってしまったであろう文庫本は、生死の境に追いつめられた人間同士が相食むに
至る惨劇を通して極限状況における人間心理を描いた作品、武田泰淳の『ひかりごけ』だった!
  
それから、約一時間後、何事もなかったように、新婦側の主賓とし「結婚というものは、、、」
なんちゃって、偉そうに祝辞を述べたりしてました。すみません!
本当の座席表の親族のところを見たら、
新郎には男の兄弟はいなかったし、新婦のお父様は、記憶とぜんぜん違う顔だった。
すみません、ホントに。「いやあ、先生、素晴らしい祝辞をいただいて、本当にありがとう
ございます。」なんて、ビールつがれてしまって、いやああああ、汗でました。
さ、祝辞も終った、あとはライブのMCだ!
今回も面白い企画ありですッ。
ライブレコーディングの予定もあるので、悪い事(会場での違法録音)は
あまり意味がないですよ。
チッタのテープレコーダーチェックは厳しいですよ。
私、PFM来日の時、『関係者』でバックステージパスを持っていたのに、  
チェックにひっかかって、終演後にメンバーの楽屋で撮ろうと思って
持ってきたコンパクトカメラ、終演まで没収されました。
いい年して恥ずかしかったア。

では、相模原高校の生徒さんへのメッセージです。

創立記念式典ライブに臨む私の想い


皆さん、こんにちは。相模原高校10期生の清水義央です。
KENSOというバンド名の由来が「県相」であることは、ファンの間では既によく知られた
ことですが、そのKENSOのスタート地点である母校の創立40周年記念式典にお招きいただいた
ことを大変光栄に感じております。
また、自分達が育んできた音楽を、私と約30歳も年の離れた皆さんを前に演奏できることを
とても嬉しく思います。

皆さんと同じくらいの年令だった頃の私にとって、ロックとは
単に音楽を聴く楽しみを与えてくれるだけのものではありませんでした。
世の中の理不尽さに怒り、大人達の勝手な考え(と若かった私には思えた)や
狭量な意見(今思い返しても、ひどいモノもあった)に閉口し失望し苛立ち、
抗い難い現実逃避への誘惑に怯え、
言い様のない虚しさに立ち尽くし、
将来への漠然とした不安が通奏低音のように響く毎日、、、、、。
○○小学校の高学年の時に所謂“いじめ”にあった私は、それ以降、
表向きには善良そうに見える人の裏側にある暗い面を敏感に感じとるようになっていました。
そして人間不信と他人と繋がりたい気持ちが自分の中でせめぎあっていました。

そんな多感な時期に降りかかった諸々の出来事に圧しつぶされそうになった時、
私に勇気を奮い起こさせてくれ、私を癒し、私を救ってくれたのは間違い無く
英米のロック・ミュージックでした。
また今振返れば、自分でもコントロール不能なdaemonicな嵐が心の闇に吹き荒れ、
名状し難い感情の高まりが破壊的な衝動にまで至りそうになった時に、
それをなんとか昇華してくれたのもロックでした。
英米のロック・ミュージックを聴くこと、それは快感と共に憧憬と希望を味わわせてくれましたし、
バンドを組み、大音量でギターを弾くことは全身の血液が煮えたぎるかのような異常なまでの
興奮を私に与えてくれたのです。
英語の歌詞を完全に理解できなくとも、エネルギーに溢れた「音」そのもののに
強烈なメッセージを感じました。
それは大きな力になってくれる存在であり、信頼のおける先輩でもありました。
五里霧中をさまよっていた自分が求めている「答」がその中にあるように思えました。

ロックを浴びるように聴き、また演奏することでのみ、
閉塞した日常に風穴をあけることができたと言っても過言ではないでしょう。

もちろん、「バンドって楽しいな!」「ライブでお客さんに拍手されるのって気持ちいいな」
という極めて単純な感情もあったはずで、高校時代に味わったバンド活動の楽しさは“快感原則”と
なって、紛れも無い中年オヤジ46歳である今でも、自分の原動力のひとつとして残っています。
相模原高校の文化祭において体育館や中庭で演奏した時の歓喜と高揚、ラジオのコンテストでグランプリを
とった時の感動と自信、、、、KENSOというバンド名をずっと使ってきた理由のひとつは、
そこに自分が体験した思春期の熱狂が潜み、今も息づいているからなのです。

ところで、今回の記念式典ライブに関するスタッフとの初期のミーティングにおいて
「KENSOの音楽は今の高校生には難しいだろうから、清水さんの昔の写真とか思い出とかを
交えて、なごやかにやったらどうか」という意見もでました。
でも、それは違うと思います。
それでは皆さんや私達を招聘してくださった方々に対し失礼です。
私達は、思春期という感受性豊かな時期の真只中にいる皆さんに向けて
時間こそ短いけれど、いつものライブと同じように演奏するつもりです。
自分たちが時間をかけ一所懸命に創造してきた、またこれからも追求してゆく音楽の
平成15年10月31日時点の断面をお聞かせすることが最善を尽くすということだと
考えるからです。
楽しんでいただければ嬉しいし、あるいは将来何かの折に思い出してもらえるだけでも結構です。
もしも「つまらねえ」「最悪だ」と感じられたら、その時は貴方の大切な時間を
無駄にしてしまい申し訳ないと謝るしかありませんが、まあ
こういった経験も人生の勉強のひとつになるかもしれません。
本日の行事は教育の一環として行われるのでしょうから、“忍耐力”を養うための訓練で
あると捉えて頂いてもよいのではないでしょうか。

最後に、、、
KENSOは私にとって最良の人生勉強の場でしたし、これからもきっとそうあり続けるでしょう。
このバンドがあったお陰で多くの人と出会い、切磋琢磨できる友人を得ることができ、
金銭的な利害関係の無いところで、純粋に新しい音楽を創作するために力をあわせるという貴重な
体験を何度も積むことができました。
ゼロから何かを生み出す大変さ、作品完成までの激しい感情の交錯、
お互いの才能や価値観を尊重すること、
全身全霊を傾けた作品が完成した時の大きな喜び、そしてファンからの励まし、、、、、。
一度きりの人生において、この様なバンドを結成し、これまで続けてこられた事は、
私にとって本当に幸運な事であり、感謝の気持ちで一杯です。
そして、若く未知の可能性を秘めた皆さんにも、たくさんの良き出会いがあらんことを
心から祈っております。
   
□□□□□では○○会館大ホールでお会いしましょう!!
□□□□□□□□□□□□□□□To be a rock and not to roll.
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□KENSO リーダー/清水義央

以上です。
では、クラブチッタで御会いしましょう!

DVD「ハレ紀」通販の予約、好調のようです。
今までで最もボリュームのあるオマケ「DVD制作日記」をゲットするには、
ライブ会場での即売かHpでの通販しかありませんなあ。
「そうですなあ。」

10月26日

10月21日、 県立音楽堂で『中国国宝楽団』公演を見た。
いやああああああ、すごい。
凄まじいばかりのエネルギーの爆発と音楽の歓喜があった。
伝統の上に革新があった。
民族の誇りと人間や自然への愛がまばゆかった。
これなんだよ、私が音楽に求めているのは!
なんか、今のロックって本当につまらないよな、なんてことも感じた。


●リハーサル通信そして「アララトの聖母」

10日4日土曜日、横浜の某スタジオにてリハーサルを行った。
小森氏は広島からの戻り日、駅から直行という強行軍であった。
私は夕方まで診療、タクシーでスタジオへ向かう。
それにしても楽しい。バンドは本当に楽しい。
特に今回は、色々なことがあっただけに、そして小森氏の熱意に触発されていることもあり、
私自身、いつも以上に気合いが入っている。
8月から数回やっている個人でスタジオを借りて4、5時間ギターを弾きまくる
なんてのは、実はKENSO始まって以来のことだ。
気合い入りすぎて脳の血管切れないようにしないと、いい年なんだから。

この日のリハーサルは、小口の難曲の細かいところに取り組んだり、その他前回のリハーサルの
録音をじっくり聞いて、小森氏とまだコミュニケートが万全ではない部分をより完璧に
近付けるという目標を持っておこなった。新曲“暁に楽師が”も、初めてバンドで演奏した。
新鮮!

これは今年の頭のローランド社のイベントのためのリハーサルの時に助っ人ベーシスト永井さんからの
指摘で「あっ、そうなんだ」と思ったのだが、KENSOの演奏というのは、曲の部分部分で、
テンポがかなり違うらしい。ここで断っておきたいのだが、これはアマチュアバンドが
「走ってしまう」あるいは曲の難しい部分で「もたってしまう」のとは当然異なる。
あったりめえだろ!
感じとしては、オーケストラ的なテンポの変化に近いものではないだろうか。
光田は永井さんに「そうなんですよ(笑)でも、それはメンバーの想いが曲のその部分部分に
でてくるからなんです」というふうに永井さんに答えたと記憶している。
まあこれは長い間同じメンバーで演奏しているから生じる“現象”だろう。

で、本日も小森氏から「願いかなえる〜」のある部分に関して、「ここはアッチェするんですね」
という質問があり、私などは「あれ?アッチェしてる?」「ええ、かなり」みたいな話しになって、
更に小森氏から「で、同じようなフレーズでも、こっちはテンポを落すということですかね」
「あ、そうそう。最初にでてくる時は山下達郎さんの、えーとなんていう曲だっけ?(フレーズを
口ずさむ)」「スパークル?」「あ、そうそう」「ええっ?!あのさわやかな感じ?」
「で、後半にでてくる時はグランドファンクね、ヘヴィに」一同爆笑、
という楽しい雰囲気。


リハーサル終了後、スタッフも含めて親睦のため横浜名物「ラーメン博物館」に。
小森氏は、広島からの長旅(前日の深酒?)と翌日の仕事のため残念ながら行かれなかったが、
なんか昔を思い出してすごーーーく楽しかった。「そういえば、こうしてライブの前にみんなで
御飯食べるなんて、光田くんが入ったころのライブの時に恵比寿のとんかつ屋に入って以来だよね」
「夢の丘のレコーディングの時、お昼御飯食べにいった帰りに、キングレコードYKスタジオの近くで
カップルが抱き合っていて、それを見た光田くんが“押さえられなかったんですね”ってポツンて
言って。で、それから間もなく、うちの自宅スタジオに録音に来た時、マンションの駐車場で
やっぱりかなりヤバいところまでいっているカップルがいて、それを見て光田くんが“押えられな
かったんですね”って言って」みたいな話しで盛り上がった。
また小口くんの、他人の食べ方にまであれこれ(まるで小口曲のポリリズム練習の時のように)
細かい指示をするラーメン通ぶり、ありがた迷惑の領域まであと一歩のB級グルメぶりに呆れながらも、
修学旅行の生徒さながらに昭和の下町の雰囲気をたたえた街並をバックに記念写真を
とりまくった。実は、私も3年前に買ったデジカメを持っていったのだが、なんと小口、三枝も
持ってきており(みんな可愛いなあ)、それがいずれも最新式とおぼしいスマートなカメラ
だったので(小口くんなんて昨年PFMが来日した時に持っていたカメラとも違う機種だったぜ)、
私は自分の古い武骨なデジカメを出すのが恥ずかしかったわい。あんなもん出したら、
「えっ!清水さん、いまだにそんなの使っているんですか」って小口に言われそうで、あの
蘊蓄衒学型ラーメン通の、私が御馳走しているのに、その私に対して「ここのラーメンは
化学調味料が、、、やっぱり化学調味料は使ってほしくない」というような発言をする小口くん
なら言いそうだし。練習でも難曲で泣かされ(これからライブまで朝練します)、
ラーメン博物館でも古いデジカメをけなされたんじゃ、立つ瀬がないっちゅうか、
暗い気持ちになるじゃんか!
こうなったら、もうライブのmcで小口ネタ連発か!?
ふふふ、私にはそういう手段があるのだよ、小口君!
といったところで以下次号。

追伸: 現在公開中の映画「アララトの聖母」は、素晴らしいというか凄すぎる映画であった。
映画が終って、会場が明るくなってもしばらく動けなかった。
KENSOファンのあなたには、絶対お薦めの作品だ。いや是非、見て欲しい!
ただし、いっしょに行く友人を選んだほうがいいだろう。映画の後、歴史について
芸術について、人と人の絆について、きちんと話せる友人と行かないと、、、、興醒めかも。


2003/10/11

●ライブまで秒読みって感じイ&FMに出演

先日、相模原高校記念式典ライブおよび川崎クラブチッタ「ハレ紀LIVE」の打合せが、
自由が丘の某高級喫茶店であった。
高級喫茶店とは何ぞや。答は霧の中。

とにかく携帯ばっか覗きこんでいる奴らには到底入ることの許されない、 かなり高級な感じ、
中で池内淳子とか八千草薫とかがアフタヌーン・ティを楽しんでいそうな、 そんな店さね。
短いスカートの下に不粋な紺のショートパンツをはいて、
おめえのパンツなんて 誰が見るかよと思いながら駅の階段を上がる私を意識して、
スカートを押さえながら 私の前をゆく女子高生なんて、とてもとても、、、
その喫茶店に入ったとたん、 そんな恥知らずな鉄面皮女子高生でも、
何か眼に見えぬ圧倒的な存在にもの凄い力で店の外まで 押されて出てしまうんだ。
砲丸投げをやっているようなパワフルな女子高生だったとしても 無駄なこと。
人間でありさえすれば、つまりヒトの遺伝子を持っていれば必ず押し出されてしまう。
(私は、その高級感の元素とでも言うべきものが、ヒトのミトコンドリアに対して、
何らかの力を及ぼしているという仮説をたてている)
そんな超越的存在が守護神となっているような高級喫茶店で、我々は打合せをしたんだ。

えっ?何の打合せかって?
だからア、相模原高校記念式典ライブと「ハレ紀LIVE」の打合せだって。
えっ?どこでやったかって?
だからア、自由が丘の某高級喫茶店だって。

その日は、その打合せの前にはFM番組の収録があった。
FM世田谷(83.4MHz)の番組「おやつ気分で茶っとタイム」という「天鵞絨症綺譚」の世界とは
どう考えても相容れないタイトルであるが、またこの違和感がたまらない。
なんとなく上品な感じ、優雅な感じ、やっぱ世田谷ってところが、 自由が丘の高級喫茶店と繋がるなあ。
自由が丘駅は目黒区だけど、その辺が秘密めいていて良い。
放送は9月15日から19日の5日間、15:00からの予定。
いったいどんなことをしゃべくったか、私もよく分からないうちに終ってしまった。

さて、今週はカンテの川島さんと新曲「暁に楽師が」の初練習だ。
ライブまで、あと50日ほど。気合いが入ってきた!

9月8日

P.S FM世田谷(83.4MHz)の番組「おやつ気分で茶っとタイム」にKENSO清水が出演します。
放送は9月22日〜26日の5日間、15:00からの予定です。


●2003年後半型KENSO、ついに始動!

8月最後の日曜日、待ちに待った2003年後半型KENSO(この意味するところについては、
前回の文章を 参照)がスタートした。
たった今、リハーサルから帰宅してこの文章を書いている。
かなり疲れているので長く書く元気はないが、
とにかくファンの皆さんに一刻も早く伝えたいので、 パソコンに向かっている。

いや〜〜〜〜小森くん、すごい!!!
もちろん素晴らしいドラマーであることは分っていた。
ライブでもスタジオ盤でも、ずっと前から 彼のプレイは体験済みだからね。

しかし、一緒にやってみて改めて感じた。
素晴らしい!

多忙な毎日にもかかわらず、私や小口が送った譜面を全て自分用に改めて書き換え、
リハーサル初日にも かかわらずset list 全曲を(アルバム「天鵞絨症綺譚」収録曲で
まだライブで 演奏してない2曲も含んでいる)ひととおり演奏できるまで取り組んでくれた
彼の姿勢には頭が下がる思いだ。
また そのプレイには期待していた以上に新鮮な感動があった。
実はまったくの新曲が何曲か出来ているものの、
あまりに小森くんの負担になってしまっては申し訳ないと 思って、
リハーサルの具合によっては今回は止めようとも考えていたが、これならok。
次回のリハーサルには新曲も練習することをメンバーに告げた。

リハーサルスタジオから最寄り駅まで光田の車でおくってもらった。
「やっぱり凄いですね。こもちゃん」
「楽しみだね、これから」

2003年後半型KENSO、これから増々加速してゆきそうだ。
ということで、今回のライブ、期待していてください!        

8月31日


●2003年後半型KENSOへの私の思いと決意

今秋のライブの情報が広く流れ始めているようだ。
(この原稿がアップロードされるころにはチケット発売しているかも)
企画制作を担当してくれる「楽工房」さんのところにも 多くの問い合わせがあるようだし、
私のところにも、期待、不安、などなど聴衆の皆さんのさまざまな反応が伝わってきている。
直接メールで質問される方もいらっしゃる。

まずは、我々の音楽にこんなにも関心を持ってくださっている 皆さんに
「ありがとう!」 と言いたい。

「私は村石さんが入ったKENSOを聞きたかった」というメールをくださった方に言っておこう。
今年のある時期まで、その貴方の聞きたかったKENSOで全てが進行していたのだと。
私もそのつもりで、演出を考えていたのだと。
それ以上のことは、今は言わない。
あの、頭の中が真っ白になり目の前が真っ黒になった夜から 既に2か月以上たった今、
私の興味は「ハレ紀ライブ」自体にのみ有るから。

数日間ではあったが「一時的ドラムレス」の状況に陥った我々を救ってくれ、
予定されていたコンサートの中止を回避してくれたのは、言うまでも無く小森啓資氏だ。
小森氏には実は今までも(10年以上前から)何度か助っ人を打診したことが あったし、
今回も別なドラマーにサポートを頼むなら
「ぜひ一度一緒にプレイしてみたかったドラマ−」と やりたいと思い、
他の3名のメンバーの強い賛成意見もあって、この人選となった。

彼も、かなりの過密スケジュールだったにもかかわらず快諾してくれた。
ありがとう!
その他、現時点では言えない、
いずれ「KENSO回顧録」でも出版する時に 書こうと思っている経緯が、
今回小森氏にお願いする原点にある。

繰返すが、小森氏には大変に感謝している。
彼自身、ライブにレコーディングにと物凄く忙しい。

「早いところKENSOモードに入りたいんですけど、
野獣王国と●●のレコーディングと△▲のセッションと ??のライブと
××FESへの参加と更に◆◆があって、なかなか入れません。」といいつつ、
「●月○日、スケジュールが空いたので、他のメンバーの方の都合が良ければ
リハーサル 入れていただいて結構です」
というようなメールが 彼から直接、逐次、送られてくるのには感激してしまった。

結果として現時点で、当初予想していた以上のリハーサル日がとれることになった。
逆に彼は約3か月、休み無しになってしまったらしいが、、、、、、。
先日、彼のHP『Comorhythm』に書かれている、
今回のKENSOへの参加についての心境に触れた時には、 なんか目頭熱くなりました。

最初は助っ人ドラマーとして、音楽的にも人間的にも最適役だという認識だった。
しかし彼とメールや電話でやりとりしているうちに様々な感情が生まれてきて、
私は小森氏を入れたこのバンドを2003年後半型のKENSOだと考え始めた。
2003年後半のKENSOは、このメンバーなのだと。

超多忙な時間をやりくりしてKENSOの複雑な曲の譜面に取り組み、
「今日、ちょこっと時間があったのでKENSOの曲に取り組んでみたら、 ドンガラガッシャーンでした」
というようなユーモアたっぷりのメールや
「今回KENSOをじっくり聴いて、改めてファンになりました。自分なりのKENSO愛を 表現したい」
というような有難いメールを送ってくれる彼に対して、
私流の敬意を表したいという心理的要素もあるが、
純粋に音楽的な部分で何かが起こりそうで、実際にこのバンドで音を出す日が楽しみで仕方ないのだ。

しかも、ここ数回の彼のメールからは、
かなりKENSOの音楽の内面に 迫ってきている気配があり、
同時に彼の演奏家としての姿勢や大切にしているモノが おぼろげながら見えてきて、
こちらも大きな刺激を受けている。
2003年後半型KENSOのスタートが本当に待ち遠しい。

小森氏の大切な時間をいただいて行うライブを、いつも以上に 充実した、
願わくば彼にとっても楽しく音楽的に意義のある一夜にできるよう私も心底考えたい。
小森ファンも期待して欲しい!

ライブのチラシにも書いたが、私にとって“適度の困難”は猛烈なやる気を生む。
今までもそうだった。
「ハレ紀ライブをKENSO史上に残るものにしようじゃないか」
「イレギュラーな編成にもかかわらず、お金を出してKENSOの音楽を聴きに来てくれる方が
充分満足していただけるライブにしなくては」と、日々考えている。
今までライブ演奏していない曲や更に、次なるKENSOを占う新曲も披露する予定だ。

カンテの川島桂子さんとの再会ももちろん楽しみだ。
私はこの一年間、「共演者」としての視点で
川島さんのフラメンコのステージに何度も 接してきたし、
お互いに専門分野の音楽を MDにダビングして交換したり
終演後の楽屋で“思い”を語ったりしてきた。
昨年より一歩進んだコラボレーションになることだろう。

更に、、、、
この一年、DVD「ハレ紀」の編集過程で、
我々の演奏を真剣に聴きまた非常に楽しんでおられる皆さんの様子を見ることができた。
有難かった。
私は自分の中枢神経から、やや貧弱な運動神経にまで、それを刻みこんだ。
自分の中に何かが灯った。


5月某日、とんでもないアクシデントが起こった当初は本当に困った。
そして怒ってもいた。
破壊的な衝動にも駆られた。
でも、“アレ”が自分の中にメラメラと燃え上がるエネルギーをたっぷりと補填してくれた気がする、
今となっては。

「天鵞絨症綺譚」という集大成的アルバムをリリースして、
安定してしまいそうだった このKENSOというバンドに対し、
こんな美味しい試練をしかけてきた神様、 なかなかやるなアと感心させられる。
おかげでこのくそ忙しい日々ではあるが、
休日前夜には汗だく、 くたくたになるほど楽器を弾いている初老の男、それは私です。

皆さん、KENSOは元気です!
クラブチッタで会いましょう!!

追記1:小森氏からの最新メールによれば、小口は私には何の連絡も無しに、
“GIPS”のリニューアル・リズムパターンの譜面を小森氏に送ったらしい。
小口くん!小森くんをあまり困らせないようにね!
ただでさえ、 彼にとっては全曲新曲で大変なんだから。

この件について小口からの回答:
「小森くんから “なにか指定があれば遠慮なく云って下さい。出来る出来ないは別 として…”
という有難いメールが入ったので嬉しくなってJPEGでメール送信したものでした。
ちょっとうかつだったかも知れませんね。 今後は気をつけます」

追記2:川崎クラブチッタでの「ハレ紀LIVE」の数日前に行われる、
私の母校の記念式典での演奏についての問い合わせもいただいたが、
残念ながら、一般の方は入れない。
当日のタイムテーブルを見ると、ロックコンサートではありえないプログラムが 色々とあって、
とても楽しそうだ。
自分達が精魂込めて演奏する音楽を、 感受性豊かな若者たちがどう受け止めるか、興味が尽きない。
LA同様にスタンディングオベーションか、はたまた玉砕か。
その報告は、クラブチッタのライブにて、ウソ偽り無く報告するつもりだ。

BGM:ドビュッシー「前奏曲集1&2」
   ワルター・ゼーキングによる1953〜54録音の至宝的名演。

●DVD映像チェック。おおっ!かっこいい!

前回の文章の最後に触れたとおり、DVDは最終チェック段階に入っている。
最終といってもそれは私が参加する部分の最終であって、
監督の野呂さんにはまだまだこれからオーサリングという作業、
(実は私にはよく分からない、、、CD制作過程でいうとマスタリングに相当するのかな?
データの圧縮とか難しい言葉が野呂さんと撮影監督の川元さんの間でなされていた)
他にも様々な「詰め」のプロセスがあるらしい。

7月20日に野呂さんが主宰する「映像光房」のスタジオで、
でかいスクリーンで「ハレ紀」の 本編部分(本編以外におまけ映像というのもあるのだ)見たのだが、
いや、すごいっすね!さすがに専門家の力は。
それに彼の熱意が素晴らしい。

これは、長年さまざまな制作スタッフと作品を作ってきた経験から 言うのだが、
KENSOの音楽に対し愛情を持って接してくれる人と、あくまで“お仕事”、
「あたしゃ時間で雇われているだけだもんね」というあからさまな態度で、
時として面倒そうに接する人とは、当然のことながら作品の出来はぜんぜん違う。
ひどい場合には 「売れないよね、この音楽」
なんてアホ発言をするやつまでいるんだから世の中、、、ったく。
そんな時には 「まあ、あなたもそんな事言うってことは、何か満たされてないんだろうねえ、
人生楽しくないでしょう」
 なんて、思いながら「想像上の蹴り」を入れているが。

KENSOの音楽を愛し(なにしろ野呂さんと初めて会ったのは、
L.A.で開かれたProgfest2000の ツアーでだった)、
ロックの映像作品に精通している野呂さんとのこの1年間のコラボレーションは 実に楽しかったし、
知らないことを色々と教えてもらった。 (私が歯科医だけしかやっていなかったら、
映像の仕事をしている人の人生と交叉するなんて機会は なかっただろう)
最初の頃は、意図が伝りにくい部分もあったが、 後半はまるで長年一緒にプレイしている
バンドメンバー とのインタープレイのように以心伝心かつスリリングで
「おっ、こうきたか!」というワクワク感があった。
特に彼が「その清水さんの要求は、映画的手法でないと表現できないと思う」
というような 段階に入ったあたりからは、
もともと映画の制作をしていた彼の本領発揮というか、
とにかく「かっこいいよ、野呂さん!」と感じることしきりであった。

演奏終了後の部分と、それに続くエンドロールの部分が出来上がってきた時は(最初は無音の予定だった)、
「まるで映画じゃん!」と素人丸出しで感動し、
新たにその部分用に宅録の短い作品をレコーディング してしまったよ、あたしゃ。

ということで、DVDの完成がとても楽しみだ。
例によって、ライブ会場での即売とHPでの通販には特典「DVD制作日記」がつく予定なので、
詳細はそちらで読んでほしい。

さて私は、DVDの制作最終過程を野呂さんにまかせ、ジャケット関係を白水さんにまかせ、
そろそろライブの準備に本腰を入れようと思う。

ああ、楽し〜〜イ!

7月27日

BGM: 6:00AM。
   やっと梅雨があけるのだろうか、さわやかに晴れた空、小鳥のさえずりが本当に心地良い。
   小鳥のさえずりを譜面にしたのはO.メシアンだったかな。    
●コンサートに向けて

先週の週末に、2003年秋のライブ「ハレ紀」の宣伝用チラシができてきた。
もう既に手にした方もおられるだろうが、まだの方、更に諸事情により今後もチラシを手にできない方のために、
チラシ裏面にある私の文章を紹介しておこう。

    コンサートに向けて----------- KENSO 清水義央

今回、スケジュールの都合で参加できない村石に代わって、
小森啓資氏をドラマーとして迎えてコンサートを行えることを大変光栄に思っている。
80年代の終わりに“センス・オブ・ワンダー”の楽屋で初めて小森氏に会い、
拙作「スパルタ」を手渡し、
それから数日後に彼から電話があって色々と話したことが こういう形で実現するとは!

彼の類い稀なセンスと卓抜した技が、KENSOの楽曲に新しい角度から 光をあててくれることだろう。
そして彼のプレイに小口、光田、三枝、そしてもちろん私が 触発され、
何か思いもよらないモノを生み出せるに違いない。

また、昨年観客の度胆を抜いた川島桂子さん(フラメンコ・カンテ)が今年も参加してくれる。
川島さんと初めてリハーサルした時、メンバー全員が息をのみ、感動したことを思いだす。
昨年のライブの後、お互いに是非また共演したいという気持ちを交換してきた。
今年は一歩進んだ“ここにしかない音楽”をお聴かせできるだろう。

更に、このライブの数日前に約900名の現役高校生を聴衆としたコンサートがあるので、
1970年代progressive rockのスピリットを根底に持つ我々の音楽が、
どんなふうに現代のティーンエイジャーに迎えられたかという興味深い報告も 行う予定である。

クラブチッタでのライブはイレギュラーな編成ではあるが、
KENSOの次なる挑戦の第一歩だと考えており、
このイレギュラーな編成でしかできないことは何かを、
これから本番までの5か月、考え、追究してゆくつもりだ。

KENSOを結成した高校生の頃、ワクワクした気持ちで 文化祭当日を待ったのと同じ様に、
11月2日、クラブチッタでみなさんに会えることを、 心から楽しみにしている。

難題を乗り越える度にバンドが成長してきたこの28年間を振返り、
自分が日ごとに内側から励起されてゆくのを感じている。
                   6月1日    清水義央

以上です。

これからDVDの編集作業のため、スタジオに行ってきます。
昨日は、ギターテクニシャンの志村昭三さんと、
今回のライブにおけるギターサウンドに ついて、かなりつっこんだ打ち合わせをし、
ますます自分の中に火がついた感じです。
明日は、日本の伝統芸能・狂言を観に行きます。
そういえば、今までまともに狂言に 触れたことがなかったので楽しみです。                            7月20日


●元ドリアン助川、現在はTETSUYAさんのライブを見た!

いつか、このコラムに書きたいと思っていた。
それは、朝日新聞に毎週1回連載されている「ティーンズ・メール」という、
いわば ティーンエイジャーのための人生相談における元ドリアン助川、
現在はTetsuyaさんの回答の 素晴らしさについてである。
ちなみに、この「ティーンズメール」は2000年6月から始まったらしく、
2002年10月までの掲載分がまとめられ書名「ティーンズメール」として、 教育史料出版会より刊行されている。
大人にとっても貴重な示唆を含んでいるので、 ぜひお読みいただきたい。
(もちろん中には、さほど面白くない回答もあるよ)
現在は4人の回答者が交代で担当しているが、中でもTetsuyaさんの答が私は一番好きで、
最近では新聞スクラップはもちろん、何部もコピーを取り、
他人に「こんな、素晴らしいことを書いている人がいる」と渡しているほど。

特に、5月と6月の回答には、ジ〜ンときた。
(光田健一の弾き語りライブ終了後に、楽屋で彼にも渡した)

その新聞連載がきっかけとなり ドリアン助川時代の著書を読み、その詩の世界も知って、
彼の強靱にして繊細な感性に更に 心を動かされてしまった。
そんな折、今回からkensoのライブ制作をしてくださる楽工房さんが Tetsuyaさんのバンドのひとつ、
“ツキノワ”のライブを開くことになり、
光田ライブ(金曜)、 自分も出演したピアノ発表会(土曜)の連チャンで、見にいってきた。
ポエトリー・リーディングとロックの融合したものだというふうに聞いていたので、
未知の何かに出会える期待を抱いて。

予想を遥かにこえた迫力であった。
編成は、歌&語りとギターとパーカッションの計三人。
劇団を率いていたこともあったTetsuyaさんの演出はかっこいい。
バックの音楽と絶妙のタイミングで絡む「言葉」「詩」が冴えていた。

もともと詩が好きで、バンド用の作曲をするより前から未熟なものではあるが詩を書いていた私にとって、
自分が置き忘れてきた何か大切なモノを、思い出す、、、、というより突き付けられた気がした。
「清水よ、今のままでいいのか」と。

kensoというバンドは、御存知のとおり歌詞のないインストバンドである。
そして自分なりに、それを追究してきた。
歌手の声域という限界がないこと、
言葉の響きを考えなくてもよい自由さなどを 最大限利用しようと思ってやってきた。
ちょっと怠ければ、スーパーマーケットでかかっているBGMに堕するインストというジャンル。
音楽の中に様々な感情や心象風景を内包させられたら、、、、と考え、やってきた。
歌詞がない分、とにかく心のこもった良いメロディを作ることを自分に課した。
聴き手にも歌詞にとらわれない、それぞれが思い描くイメージを自由に持ってもらえたらなあと、 思ってきた。

しかし、ここまで赤裸々な叫びを見せられてしまうと、、、迷う。
はたして、KENSOで、こういう“絞り出すような感情”を表現できているだろうか。
その他にも色々、感じた。
今は、混乱しているので上手く言えないが。

今日の体験をKENSOにどう反映してゆくかはこれからの問題。
それを離れて感じたのは、ロックボーカリストは、やはり
“どれだけ伝えたいものを持っているか”
“どれだけ激しい感情の高まりを持てるか”
“そしてそれを歌にできるか”ということが大切だということ。

表現したいものがないのに、そつなく歌う小賢しい歌手をロックボーカリストと呼ぶことは 私はできない。
心の底から怒ったり、泣いたり、やるせない思いに沈んだり、切迫した感情に喘いだり、、、、
そうしたものを表現するのがロックではなかったか。
気にいらない奴の胸ぐらをつかんで引き倒すようなことの代わりがロックではなかったか。

ドリアン助川時代の著書に、「俺には、何の才能もない」と書かれた部分があったように記憶しているが、
冗談じゃない!すごい才能じゃないですか。
素晴らしく説得力のある声じゃないですか。
それが、カスとウンコが蔓延る商業音楽界から背を向けられたとしても、
これだけあなたの歌を 必要としているファンがいるじゃないですか。
そんなことを感じた。

宮沢賢治や中原中也がお好きだとどこかで読んだ気がしたが、
それを彷佛とさせる幻想的な世界にも、背中がゾクゾクした。
ユーモアのセンスも脱帽です。

終演後、即売ブースでTetsuyaさんのロックバンド「AND SUN SUI CHIE」のCDを買った。
ファンのみなさんの列に並んで、サインをもらった。

__________と、ここまではライブから帰宅し、子供が寝てしまった後、
妻にライブの様子を 話してから、どうしても感想を書いておきたくてパソコンに向かって書いた分。

なんか変な文章だなと思うところもあるし、今既に自分の書いたことに対し
「そうとも言えないんじゃないかなあ」と感じる部分もあるのだが、
ライブの興奮覚めやらぬなか、夢中で書いたレポートなので、手直しはしないでおく。

そして、1時30分に就寝したが4時30分に眼がさめてしまい、
しばらくベッドの中で昨日のライブのこと を考えていて、
結局完全に頭が起きてしまったので、またしてもパソコンに向かうことにした。

以前、何かのインタビューで、
KENSOにボーカルを入れるつもりはないのかという ような質問に対し
「ケイト・ブッシュのような歌手と共演できれば話は別だけど」と 答えた気がする。
事実、“The Dreaming”あたりまでのケイト・ブッシュや
“4th”あたりまでの ピーター・ガブリエルとプレイできたとしたら、そりゃあやりたいでしょ、歌もの。
(そう言えば、かつて飼っていたネコの名前はケイト、
「死にそうだったんで」と捨ネコを妻がひろってきて、
結局数日後に死んでしまったその子猫にはガブリエルと 名付けたなあ。
ちなみに、今飼っている犬はパットという。 P.METHENYに申し訳ない気がするくらい頭の悪い犬だ)

もし自分の人生の、例えば20代前半において、
もしTetsuyaさんのような詩人&ロックボーカリストと 出会っていたとしたら、
きっと是非いっしょにバンドをやりたいと思っただろう。
彼の持っている世界と自分の持っている世界をかけあわせたいと強く感じただろう。

Tetsuyaさんは私より5歳年下だから、ありえない話ではないはず、、、、、
などと、 そんな、結局、しょうもないことを、こんな朝っぱらから考えていたわけです。

6月30日

追記1:Tetsuyaさんのバンド AND SUN SUI CHIEライブは、
7月28日(月)高円寺ショーボート、 8月31日(日)渋谷Egg-siteが決まっています。
ハード・ブルーズ・ロックと“あの詩の世界”が堪能できるはず。

追記2:他人のバンドの告知をしている場合か!?
    私のバンド、KENSOのライブ情報は間もなくアップされます。


●みんなZEPが好きなんだなあ!

未発表ライブCD(3枚組)とDVD(2枚組で収録時間5時間以上!)でZEPがロックシーンに帰ってきた。
いや、甦ったというべきか。

このDVDリリースを知ったのは、昨年暮れか今年始めかに横浜のタワーレコードに 行った際、
「もしや、何か新しい音源がでていないか」とLED ZEPPELINのコーナーに立ち寄った時 だった。
どのCDショップに行っても、ZEPのコーナーの前に立ち、その傑作群のジャケットを眼にすると 神妙な気持ちになる。
心の中で手を合わせている時もある。
私にとってZEPはThe beatlesと並んで、
既に自分の遺伝子に組み込まれたかの ようにさえ思える特別な存在なのだ。

「ツェッペリンってハードロックでしょ。僕、ヘビメタとかハードロック、嫌い なんです。」
などと上品ぶって(或いは、したり顔で)言う奴 には、
ロックのかっこよさなんて ズエーーーッったいに分らないと断言できる。
どうぞ、B'Zでも、モ−娘でも、アユでも聴いていてくれ。

KENSOはZEPのコピーバンドからスタートした。
現在KENSOのDVDの編集作業をしているが、何度もライブ音源を聴いて、
曲作りや自分のギタープレイが、いかにJ.Pageから大きく影響されたかを改めて痛感しているのだ。
そう言えば、このコラムのタイトル“The battle of evermore”だってZEPの曲名だ。
私の音楽部屋にはバリの絵画やお面と並んで、
高校生の頃に特典でもらったZEPのポスターが今も貼ってある。
ZEP自体について語りたいことは、山ほどあるが、それはやめておく。
きっと一冊の本になってしまうから。

さて、そのDVDについての情報をタワーレコードに行く度に確認し、
結局ボツになったりしないのかなと いう不安をかかえながら待ちました。
ついに本当に出るんだ!と確信し狂喜したのは、今年の4月だったか。
かなり具体的な情報が、ZEPのコーナーに告知されていた。

その後インターネットのCD SHOPで偶然「ZEP予約受付中」の文字を見た時は、体が震えた。
既に、幸福感に溢れたレビューが(まだ音を聴いていないのに、収録されている演奏のデータから、
ブートの名盤で慣れ親しんだ最高の演奏が、正規版の画質、音質で体験できることに喜んでいるのがすごい)
いくつか掲載されており、もちろん五つ星、
それを読んでいるだけで元気がでてくるような ZEPに対する愛情に 満ち満ちた文章ばかりだった。

みんなZEPが大好きなんだ。
みんな待ってたんだ。

いつもは少しでも安く買おうと色々と検索したり、
最近の日本盤のライナーノーツって読んでも しょうもない文章が多く、
かえってそのライターの無知無能ぶりに腹が立ったりするので輸入盤を 買うほうが多いのだが、
ZEPについては、最初から日本盤を買うつもりだった。いくら、高価でもだ。
それは、おそらく渋谷陽一氏がライナーを書くはずだからであり、
そうでなかったとしても、みんなが どんな想いでこのDVDを待ったかを読むのは楽しいからだ。
(1990年ころにリリースされた4枚組box setの渋谷氏の文章は実によかった)

初回プレスは、通常定価より1000円安いという販促が泣かせる。(註2)
私は、もし発売日近辺に多忙でCD ショップに行けなかったら、、、、、と不安にかられ、
そのインタ−ネットshopで予約をした。
“注文確定”を送信してから、もう一度ZEPの広告を眺めて いたら、こんなコメントが眼に入った。

「注文数に入荷が間に合わない場合は、しばらくお待ちいただくことになります。ご了承ください」

い、い、いやだッ!
絶対、すぐに欲しい!

私は、注文取り消しのメールをした。
やはり、私を数カ月の間ワクワクさせてくれたタワーレコードで予約して発売当日に買うことにしよう。
それが礼儀ってもんじゃないか。
筋を通せよ、清水。

DVDの発売日は、、、、水曜日か。
診療が終ってから、自宅と反対方向に電車に乗り、、、と 購入計画を立て、翌日早速予約をしに行った。

私が、カウンターに行き
「あの、ZEPのDVDとCDを予約したいんですけど」と店員に告げると、
その店員は黄色の予約注文伝票を私に書かせ、
レジの後ろのキャビネットから、予約伝票の束を 出してきた。
「あ、それZEPの予約伝票ですか?」
「そうですけど」
「ずいぶんたくさんありますね」
「??」
「でも、今日、今、予約すれば、絶対に買えますよね」
その若い店員は、怪訝そうに私を見て 「えっ?ええ、買えますけど」

ミスチルとかBOAとかを愛聴し、
電車の中で平気で菓子パンたべてる女と一緒に 「きみはペット」とかを見ていそうなその若僧に
私のZEPへの熱い想いが伝わるはずもなかったが、
もうちょっとなんとかねえ、と感じつつ、 予約伝票の写し2枚を持ってタワーを出た。

さて、5月後半になると、既に輸入盤CD(一足先に発売)を聴いた友人たちから連絡が入り、
みんな興奮して、その素晴らしさを語っていた。
「なんだあ、清水、まだ聴いてないんだア。盛り上がろうと思って電話したのに」

数日後、 私も「●●堂整骨院」にて、
低周波治療器を付けられ肩腰背中の筋肉をピクピクさせられてる最中に、
治療室内に流れるラジオで新CDからの「移民の歌」を聴いた。
「おっ、おお、! かーーーっこいい!」

高校生のころ、なけなしの小遣いをはたいて買った、ZEPのブートレッグ。
ワクワクしながら 家に帰ってレコードをターンテーブルに乗せ針を落とし流れてきた「移民の歌」。
スタジオ版と異なり、Pageのギターソロが入っていて驚いた瞬間から そのギター魔術の虜になった。
徹夜で必死でコピーした。
そして、今、マッサージを受けながら聴く「移民の歌」ライブバージョン。

さて、
実は、今まだ、私はDVDもCDも開封すらしていない。
「レコードコレクター」誌のZEP特集号(註1)を読みながら、期待に 胸おどらせている。

どうしてすぐに聴かないのか。

忙しすぎるのだ。
KENSOのDVDの編集とライブの準備、
「願いかなえるこどもをつれてゆこう」ピアノ連弾バージョンの アレンジと練習/本番、
顧問税理士からは早く帳簿を提出してくれと催促があるし、
もちろん日々の診療、
「生活習慣病としての歯周病」という講演の準備もあるし、
その他やらねばならないことがたくさん、、。

片手間には聴きたくない。
スピーカーの前に座って、謹んで拝聴するのだ。
5時間連続で見続けたい。
ROCKとは何かを、もう一度師匠から教わるのだ。

だから今はただ初回特典の「ZEPポストカード」を眺め、喜びの先送りをしているわけです。

註1:この特集はなかなか面白かった。
   特に、竹本潔史氏による「伝説と栄光のライブ史」はよかった。
   1980年のところで、だんだんダメになってきたZEPのライブについての
   本当に気持ちのこもった文章が泣かせる。
   その他、DVDとCDを聴く上で参考になるところに、私もアンダーラインを
   引いたくらい、資料としても充実している。
  一方、和久井光司氏の書いたZEPの変拍子に関する記事はいただけない。
  和久井氏の著書「ビートルズ」(だったかな?)は切り口が大変新鮮で楽しめ、
  みんなにも薦めたのだが、期待に反してZEPに対する分析はイマイチだった。
  Black DogとThe Oceanのリズムに関する解説なんて、えっ?何言ってンの?って感じ。
  ああ、きっと和久井氏は実際にコピーバンドで演奏したことがないのかもな。
  私は既に1974年、The Oceanを演奏したいがために悩みぬいたのだ。
  Black Dogもそう。
  ボーカルパートの後、どうやってギター、ベース、ドラムが
  ぴったり入ることができるのか、意見をぶつけあった。
  当時は、バンド譜なんてなかったし。(註3)

     「変拍子とZEP」。
  なぜ、私に書かせてくれなかったの!

ZEPに関する伝記の類は沢山でているが、私のお薦めは「LED ZEPPELIN物語」 スティーブン・デイヴィス著。
もとの書名は「HAMMER OF THE GODS,THE LED ZEPPELIN SAGA」。
それと、雑誌関係では、
ニュー・ルーディーズ・クラブvol.19(1998年発行)と ROCK JET vol.8(2002年発行)が、面 白い。

「ジミーペイジ語録」なんてのもありんすえ。ややマニア度高し。

註2:最新情報によれば、1000円安い初回3万セットは既にメーカー切れとのこと。
   すげえZEP!
   さすがZEP!

註3:楽譜と音楽についての書籍としては指揮者/岩城宏之著「楽譜の風景」岩波新書が
   面白い。特に、最終章「楽譜事始」は、本当に素晴らしい音楽体験の真髄であると
   思う。読んでみてほしい。

6月17日


●Maria del Mar Bonet、素晴らしい!

6月8日、待ちに待ったM.d.M.Bonetの公演に行ってきた。
昨年9月にP.Metheny Groupを見た後(このライブは素晴らしかった)、
どのコンサートへ行っても“まあまあ、かな”とか“けっこう良いね”というのばかりだったが、
今日のMariaのコンサートは、現時点で間違いなく今年のベスト1である。
(あとはSARSの影響で一度中止になった中国国宝楽団の秋公演が期待できるけれど)
そのくらい凄かった。

私に今日のコンサートのレビューは書けません!
コンサートの間中、言語化できる感想と言えば
「歌、歌かあ、歌なんだよな、歌って素晴らしいなあ、
歌は人間、人間そのもの、歌いいなあ、歌」 と何度も感じたということくらい。
あとは、もう、、、、、、、恍惚として聴いてた。

まだ行ったことのないマジョルカ島、
市の立つ広場で、
日の当る坂道で、
暗雲たちこめる海岸で歌っているMaria (もちろん普段着の)を想像したり。

音楽ライターの内田さんと昨日電話で、
「ついに明日だね。楽しみだな」って興奮しながら話したのだが、
彼が「きっと彼女は、歌を学校で勉強したとか、そういうのじゃなくて、
生まれ故郷のマジョルカ島で、ただもう歌が好きで好きで歌ってたんだろうね。
で、すごーーーく上手い少女だっただろうね」 と言っていたのが、何度も思いだされた。

もちろん、彼女だって色々なことから歌を学び、
色々な人生経験を通して歌を深めていったなんてことは 当たり前のことで、
ノヴァ・カンソ運動(註)以外にも、 大変なことが沢山あったはずだ。
また、歌のテクニックについて 専門的なことは知らないが、きっと技術的にも卓抜しているのだろう。
そんなこと言うまでもない。

でも、彼女の生のステージに接して、
しかもかなり良い席で、 その表情もはっきりと見ることが出来て一番強く思うのは、
やはり彼女は 本当に歌が好きなんだな、ってこと。
そして、「歌うこと」を自分の役割として、この世に生まれてきた存在だと いうこと。

今回の来日は“奇跡の来日”らしいので、再び日本に来てくれるのかは分らないが、
次があれば、貴方にも是非、見てほしい。
体験してほしい。
これが本当の歌なのだ。
歌姫というのは、こういう歌い手のことを言うのだ。

歌のことばかり書いたが、バックの演奏も素晴らしかった。
これだけのシンガーと一緒に演奏するメンバーなのだから 当然だろうが、
この上ない抑制と迸る熱情に酔いしれた。

5月半ば、大変不愉快なことが起こり、
それについて怒ったり、 悩んだり、うんざりしたりしていたが、
Mariaの歌を聴いている 至福の時間に、こんな声が聞こえてきた。

「KENSOはお前が作ったバンドじゃないか。お前がやりたいように 自由にやればいいじゃないか」

力強く、豊かで、しかも繊細で温かい、そんなMariaの歌に とても勇気づけられた。

カンドウシチャッタヨーーーーーーーーーーーー!

BGM:なし。   
コンサートの余韻を楽しみつつ。              
 6月8日

註:ノヴァ・カンソ運動/1960年代、フランコ独裁政権下、言語統制がもっとも激しかった時代、
  公共の場所でスペイン語以外の言葉を用いることは厳禁されていた。演説や講演はもちろん、
  カタルーニャ語の歌を歌うことすら許されていなかった。(以上、“Raixa”ライナーノーツより)
  そんな中で起こった、母国語カタルーニャ語で歌を歌うことを推進するシンガーソングライター、
  学生、知識人たちの非合法ギリギリの運動のこと、、、、らしいです。私の知っている範囲では。


●DVD編集は佳境に

既に告知したかもしれないが、昨年6月/ON AIR EASTでのライブを素材としたDVDを、 今秋リリースする。

今回は「秘匿性心象」とは違い、音質や画質にもできる限りの配慮をした KENSO初の本格的な映像作品である。
伝え聞くところによるとビデオ「秘匿性心象」について、私が自ら編集作業をしたと 思っている
(インターネット上で発言している)輩がいるようだが、 それは間違い。
あれだって、一応ビデオ制作スタジオで作ったんだ。
ただ、色々な点で無理があったように思う。
最初、業界の友人に制作費のことを訊ねたら、とても払えない額を言われたので、
しかたなく 自分でNTTの電話帳で探したビデオ業者。
そこのエンジニアの方は親切だったけれど音楽ビデオはあまり経験がなかったようだし、
私も映像制作について無知すぎたし、その他齟齬をきたしていたことが多かった。

しかし今度のDVDは、ロック映像に造詣が深く、 しかもLAで開催されたProgfest2000にまで
足を運んでくれるくらいKENSOの音楽に興味を持ってくださっている “映像のプロフェッショナル”野呂さんの
全面的な協力を得て、 ライブ終了直後からもう既に約1年かかりっきり状態で進めてきた力作だ。

具体的な制作過程については、またしても特典「DVD制作日記」を作るので そちらで読んでほしいのだが、
ともかく10台のカメラの映像を繰返しチェックするのは、 なかなか大変な作業であった。
そして、私の無謀な要求を入れて、それをまとめあげる野呂さんは、 もっとしんどかったことだろう。
本当に、彼の貢献なくしてこの作品は絶対に作れなかった、感謝!

あ、今、気がついた。
まだ、完成していなかったんだ。
なんか、今日、アンコールナンバーの「Good days Bad days」のチェックを終ったので、
作業まで終った気になってしまった。

でもね、かっこいいんだよ、これが。
早く見たいでしょ?
えっ?そうでもない?
フン。
なら、それでもいいよ。
でも言っておく。
初回限定製産だからね。
あとで吠面かいても知らないよ!

昨年のライブを終った後、音楽ライターのひとりが、
「TVカメラが入っていたみたいだけど、 是非DVD化して後世に残して欲しい」というメッセージをくれたけど、
本当にそうなってくれれば、野呂さんと私の苦労も実ろうというもの。

ところで、気になるお値段のほうであるが、
さすがに一般の「売れている方々」のDVD価格まで 下げることは無理であるが、
「秘匿性心象」よりは安価にできそうだ。
まあでも、「売れている方々のDVD価格」との差は数千円なわけで、
書店に平積みされている辻なんとかの 小説なんて買うのを止めて、
古本屋で三島由紀夫の文庫本を買えば、そんな差なんてすぐに とりもどせるぜ。
それに、その方が、自分のためにもなるってわっけーーー。
いい加減アイドルの写真集から卒業したい君が、
「KENSOのDVDは、アイドル写真集2冊分くらいか」って 感じてもらえる程度の価格にしたいと思っている。

だけど、キミね、
「やっぱ、マツウラあやや(註1)の写真集にしよっ!」てなるなよな!
そりゃ、人生の敗北ってことだんべえよ。  

 6月2日

註1:「マツウラあやパン」という呼称もあるようだが、どうでもいいこと。
   要は、あの確かにアイドル然とした顔をしているけど、 楽屋とかでは、立てひざでタバコ吸って、
    鼻糞ほじりながら弁当食べて、「お茶持ってこい、お茶!」
    と、がなっていることを、かなりのリアリティをもって感じさせる泡沫的歌手のこと。
    職業柄、患者さんが診療室に入ってきた時の一瞬の表情や雰囲気から、体調を推し量 ったり、その他
    少なからぬ情報を得る毎日をおくっている私は、何かの番組で、「あやや」の営業用笑顔の裏にある
    酸鼻の極みともいうべき醜悪なモノを読み取ってしまったのである。

 BGM: Maria del Mar Bonetのライブ盤。

    もしかして、もうすぐ来日公演!
    カタルーニャの歌、そして文化が、どんな風に自分に迫ってくるのか。
    すご〜〜く楽しみだ。

    6月27日(金)、横浜赤レンガ倉庫での光田健一ソロコンサートにも行くんだった。

     タンバリンで飛び入りしちゃおうかな、“友情壊し出演”。これも楽しみ。   


●母校訪問

以前にも書いたかもしれないが、今秋、私の母校でありKENSOというバンド名の由来でもある
神奈川県立相模原高校の創立40周年記念式典で演奏する。

このことを話すと「えっ?学園祭に でるの?」とか「体育館でKENSOやるの?」と驚かれる。
ところがそうではない。
キャパ1200人くらいの某ホールで、現役高校生や先生方、PTA関係者を前に演奏する。
記念式典ということだから、キョ−イクイインカイの偉い方もいらっしゃるのかも。
ともかく LAで行われたProgfest2000を除けば、我々にとっては最大の会場なのだ。
いったいどういったことになるのか、まったく予想もつかない。

さて先日、相模原に私用で出かけたついで(と言って大変失礼なのであるが、真実なので)に、
28年ぶりに母校を訪問してきた。
コンサート前に一度は訪れて気持ちを高めたいと思っていたので、 いいチャンスと思ってのことだった。

校長先生にご挨拶した後、 コンサート開催についての打ち合わせで既に面識のある先生に案内していただいて、
朝礼の時に貧血でぶっ倒れた体育館に入り、
長髪を注意されて逃げまくった廊下を歩き、
当時の男子生徒の憧憬にして禁断の部屋、女子更衣室の前を通り売店へ、、、
あれっ、売店のおばさん、まさか?!Tさん!
「お元気でしたか、10期生の清水です。」

文化祭で初代KENSOが演奏した中庭を見た時は、熱いものが込み上げてきた。
下手くそではあったが、必死で演奏したZEPPELINナンバー、、、、、。

また、私の時代には無かった軽音楽部が練習をしていたので、のぞかせてもらった。
なにか、とても懐かしくなってしまい、生徒さんのひとりにギターを借りてセッションまでしてしまった。

今の高校生たちが、どんな音楽を好んでいるのかは知らないが、
約30歳年下の彼等と 短い時間ではあったが交流した後、
帰りの電車の中で私は記念式典ライブの意義をより強く感じて いた。

自分達が時間をかけて培ってきた音楽を、
若くて感受性の豊かな世代に向けて演奏できることは 大変幸運だと思う。
もちろん、「何これ?」「これでもロック?」 「歌が無い音楽なのか?」「早く終らないかな」
という反応もあるだろう。
でも、ひとりでもふたりでも、KENSO体験をきっかけとして
今まで知らなかった 音楽世界の広がりに喜びを見い出してゆく若者がいてくれたら、それでいいと思う。

突然の訪問にも快く応じてくださった先生方に感謝、
練習の邪魔をしてしまった生徒さんたち、 ごめんなさい。
でも、行ってよかった。

5月22日

BGM:Pat Metheny「One Quiet Night」、本日タワーレコードで偶然見つけたソロ新作
   やはり素晴らしい、その一言に尽きる。


●ヘンリーダーガーの芸術

4月の始めだったか、神宮前のワタリウム美術館で開かれていた「ヘンリー・ダーガー展」を 見にいった。

バリ島での美術館めぐりを除けば、絵画をきちんと見るのは 昨年5月の「カンディンスキー展」以来だったかな。
言うまでもなく画集で絵を見るのと、本物の前に立って鑑賞するのとは大きな違いがある。
ずいぶん前のことになるが、ある展覧会で私は自分の背中に強烈な“名状し難い何か” “エネルギーのようなモノ”
を感じた。不思議に思い振返ってみると、そこにはプリミティブな 印象を与える彫刻があり、
そこから何かが発せられているのだった。その彫刻の作者はピカソだった。
(その展覧会はピカソ展ではなく、あるテーマに基づいて様々なアーティストの作品が集められていた)
そんな経験を何度かしたので、できるだけ足を運ぶようにしているのだが、
忙しい毎日ゆえ すぐに1年もたってしまう。
20代、30代の頃には、ずいぶんと観にいったものだったが。

さて、ヘンリー・ダーガーについては、今年3月27日の朝日新聞文化欄で初めて知り、
「これは見ておかないと後悔する」という直感があったので、
「えっ!4月6日まで開催?!もう少しで終りじゃん!」と焦りつつも、
何とかスケジュールを 調整して体験することができた。

ヘンリーダーガーについて興味のあるかたは(というより、興味持ってよ!)、
御自分で検索したり本を読んだりしてほしいのだが、 私の知っている範囲で簡単に説明しておこう。

米国シカゴ生まれのダーガーは、生活上の問題から8歳で児童施設に入所し、
後に知的障害児の施設で 生活、ただし知的障害がなかったことは、後に彼が残した文章と絵画からも明らか。
対人恐怖など、 コミュニケーション能力に問題はあったかもしれないが、
その辺りの分析は専門家にまかせることにする。
何度も施設からの脱走を試み、17歳でついに成功、
その後は雑役夫などをしながら他人との交渉をもたない 孤独な生活をおくる。
19歳から始められ、老人収容施設に入れられるまで約60年間創作し続けられた 『非現実の王国で』 という
約15000ページの物語と挿し絵300点が、彼の晩年、
家主(プロの写真家でもあったため、その価値が分ったということらしい)によって発見された。

とにかく凄い。
背中が何度もゾクゾクした。
作品が発見された時のダーガーの部屋の写真も衝撃的であった。

精神科医の斉藤環氏が、ヘンリーダーガーの 作品をみることについて
「私たちは、他人が日記帳を読む以上の 倫理的に問題のある行為をしているのかもしれない」と表しているように、
他人にみせるために描かれたものではない『非現実の王国で』は、
ダーガーの赤裸々な欲望や、 むき出しの野生が溢れかえっている。
絵画の教育を受けたことのない彼が、内なる表現欲求に突き動かされて編み出した、
独特な絵画制作法は それを「芸術」と呼ぶかどうかの議論は色々とあるようだが、
観る者を戦慄させずにはおかない。
くりかえし言っておくが、画集では「戦慄」は味わえないかもしれないよ。
もちろん、みないよりはいいけど。

切り貼りしてあるコラージュ作品(専門的になんていうのかは分りません)なんか、
台紙と切片(って、いうはずないけど)の間のわずかな隙間から、ダーガーの情念が 吹き出してくるようだった。

ダーガーの作品は、現在では高い人気があり「アメリカの現存するアウトサイダーアートの最重要作品」
などと称されている。 アウトサイダーアートというのは、正規の教育を受けていない人々の芸術をさしたり、
精神を病んだ 人々の芸術作品をさしたりするようである。
“専門的な美術教育を受けていない人々が、伝統や流行に影響されず、
自身の内側から湧きあがる 衝動のままに表現した芸術”という説明が「アウトサイダー・アート」という本にあった。

ヘンリーダーガーの孤独、そこから生まれた物凄い作品。
それを体験して以来、読書も当然その方向に向かい、それに続いて、
以前トライしたけど難しくて挫折したユング関係の本を何冊か 読んだり、
かつて好きだった安部公房氏の未読の作品を読んで少しがっかりした後、
約10年前に読んで感動した色川武大著『狂人日記』を再読したい衝動にかられ、
他人に邪魔されない時間と場所を選んで集中して読んだ。

やはり素晴らしい小説であった。
それにしても、何という孤独だろう。
そして、月並みではあるが「人間、ひとりで生まれ、ひとりで死んでゆく」なんてことを 思ったりもする。
「いっぱいのかけそば」とか「○○の母への手紙」とか「泣ける話100話」などというようなのは、
どうも表面的なお涙頂戴話にしか思えず、白けてしまうのだが、
『狂人日記』の主人公の悲しみ、孤独、寂寥感といったものが私の奥深い部分と共鳴する。
また幻覚というものの扱いが、こんなにも見事で叙情性さえ感じさせる作品を私は他に知らない。
最後の文章を読み終わって、しばらくは何も現実のことができず、その物語を何度も反芻してしまった。
kensoファンには、是非読んでほしい作品だ。

kensoの音楽は、こうした体験の積み重ねの中から生まれてくるのだから。

では、最後にダーガーに関する文献を紹介する。

1:斉藤環著「戦闘美少女の精神分析」太田出版  
 日本におけるダーガー分析の先駆者、精神科医によるもので、ダーガーについて、   
かなりのページがさかれている他、「おたく」の人々についての記載が興味深い。   
しかし、「戦闘美少女」に興味のない私には、後半いささかつらい部分もあったことを  
白状しておく。

2:アウトサイダー・アート(画集)求龍堂   
アウトサイダー・アーティストの作品を知るのに便利。

3:美術手帖2003年2月号 美術出版社   
ダーガーについての記事の他、「心のひみつ・アートの衝動」という特集など、   
たいへんに面白い。

ダーガーの画集もでているのだが、まだ私は購入していない。

5月1日


BGM:武満徹作曲「そして、それが風であることを知った」   

NAXOSレーベルは、低価格で良質な録音を提供してくれて有難い。   
クラシックマニアでない私は、収録されている演奏が歴史的名演なのか平凡なものか どうかは知らないが、   
「この作曲家って、どんな曲を書いていたんだろう」というような時に、   
気軽に何枚か買って聞けるので助かる。   
もちろん武満氏のCDは既に沢山所有しているが、このCDの演奏もなかなかよい。   
おとといもNAXOSレーベルのスクリャービンのピアノ曲CDを2枚買った。   
CDショップで突然、「そういえば、光田がキーボードマガジンのインタビューで   
スクリャービンのピアノ曲について語っていたな」と思い出したので買ってみたのだ。   

おとといCDショップに言った目的は、LED ZEPPELINのDVDとLIVE CDを予約するため。   
6/10発売!DVDは収録時間合計5時間以上らしいし、CDは3枚組!   
あああ、時間が欲しい!   
でも、ものすご〜〜〜〜く、楽しみ。      


●十代限定助言倶楽部その1

「ねえ、清水くんてハゲなの?」
「えっ?!」  

 金子くんの突然の質問は、密かな口調ではあったが、かなり衝撃的であった。

あっ、だめだめ、オヤジは今回はダメ!
退室、退室。
タイトルをよく見て頂戴ね。
「十代限定助言倶楽部」って書いてあるでしょ。

歯科医とロックミュージシャンという二股人生を歩んできた私、
40代も半ばを過ぎた私が、
十代のみなさんを相手に実に役にたたない経験談を話し助言を与えることで、
これからの日本を背負って立つ若くて純粋な感性の健康な育成を目的とした新企画なんだから。

それにしても、他人の経験談っていうのは、それを話す本人が考えるほどには役にたたないってのは、
カウンセリングに関する本(河合隼雄先生の著書だったと思う)にも書いてあったけど、 本当だよね。
“どうしてかっていうと、そのひとつは経験談を話す、まあだいたいは年長者の中に
少なからず自慢というかナルシスティックなものが入ってくるから”
というようなことだったと記憶して いるが、これは本当にそう思うよ!
特に酒の席での「俺の豊富な人生経験を聞かせてやろう」 という趣きの話は、
もう話し手の視線は遠い昔に向かって 宙をさまよい、酒臭い息と恍惚とした表情が気色悪いだけ。
お気持ちだけいただいておきましょう。

話が横にそれてしまったが、そういうことなのだ。
今年の大きなイベントのひとつ、母校の県立相模原高校でのコンサートに向けて、
色々と考えている私が 思いついた十代向けの企画なのであります。

というわけで今回は十代向けの話なので、悪いけどオヤジはエロサイトにでも行ってくれや。
えっ?じゃあ、清水さんお薦めのエロサイトを教えてくれって?
だめだめ、そういうのは自分で探さなきゃ。
同時に「IN CONCERT」はどうやったら入手できますか、ってのもダメダメ。
自分で探さなきゃ。
苦労して探して、そして手にしたものにこそ価値がある。

さてと、、、、では健全なる若者、 「乳房」という文字を読んだだけでもう股間が熱くなってしまう
君たちにむけて再スタートしよう。 だめだめ、両手はひざの上ね。
女子の場合は、そうだなあ、白樺の木に左手を置いていつか迎えに来てくれる王子さまを
待ち焦がれる気持ちでね、とでも言えばいいのかなあ。
実はよく分んないっす。女の姉妹いないし、高校時代3年間男子クラスだったし。

時は1972年、場所は相模原市立上溝中学校の講堂、
生徒会長選挙の演説会で 私は立候補した友人の応援演説をするために舞台上にいた。
やはり応援演説のために隣に座っていた同級生の金子くんが私の耳に囁いた。

「ねえ、清水くんてハゲなの?」
「えっ?!」
 金子くんの突然の質問は、密かな口調ではあったが、衝撃的であった。

結論から先に言うが、当時中学3年だった私は断じてハゲてはいなかった。
髪型は後ろと横は刈り上げ、前髪だけのばして7:3に分けていた。
かつて“皇室カット”などと 言われたものとゲゲゲの鬼太郎をミックスし、
垂れてきた前髪をかき上げる仕草をあらかじめ 計算にいれた類いのものであった。
ただし、私は生まれつき額が広く、 しかも当時は洗髪も怠りがちであったから、
その長い前髪は広い額に張り付き、 時として前髪は額を被いきれず、
黒い前髪の中に額の肌色が川のように透けてみえて、
まさに「人生は川のようなもの」(PFMの名曲、必聴です)というか、
ハゲているように見えたのであろう。

「えっ、えっ、違うよ、ハゲじゃないよ」
私は狼狽しながらも否定し、金子くんもそれ以上追求することはなかったのだが、
その日以来「自分は禿げるのかも」という不安感と
「金子くん以外にも、清水君てハゲかもって 思っている人がいるのではないか」という猜疑心が
通奏低音のように我が青春の日々に影をおとした。
電車の吊り広告とかで、「若ハゲ」という文字を見るたび暗い気持ちになった。

ここで、コンプレックスということについてひとこと言っておきたいのだが、
コンプレックスというのを、劣等感のことだと勘違いしている人も多いようだし、
「マザコン」だとか「ファザコン」だとかいう言葉を意味も知らず未消化なままに使っている大人がいるが、
みなさんはそういう恥ずかしいことはやめましょう。
私だって専門家ではないから偉そうなことは 言えないが。
せめて、先程もお名前をだした河合隼雄先生の著書「コンプレックス」(たしか岩波新書)
くらいは読んでおいたほうがいいですよ。

ところで私は中学2年の時に眼鏡をかけた。
当時の日記を見ると、眼鏡をかけなければいけなくなったことは大変大きな心理的負担だったようで、
「明日眼鏡を買いにゆく。、、、中略、、、これからは“メガネ”というあだ名にも耐えなければ ならない」
などと書いてある。
ハゲについて同様、思春期というのは色々と悩むものなのだなあ。
結局のところ“メガネ”と呼ばれたことは私のその後の人生に一度もなかった。

更に、中学3年の時、理科の先生から、多分年賀状か暑中見舞いの返事だと思うのだが、
こんな 葉書をもらった。
「勉強も大事だけど、運動もね。、、、中略というより忘れた、、、
背が低いのは、清水くんの 数少ない欠点だもんね」と書いてあった。
私は決して背が高くはないが、私の世代ではちょうど平均身長なのである。
でも中学3年の頃は 確かにかなり小さいほうであったし、
女子生徒から“あしみじ”、つまり足が短いとバカにされたり していた。
(この話を数日前に妻に話していて突然気づいたのだが
“あ、し、み、じ”という 蔑称の“し、み、じ”の部分は“し、み、ず”にひっかけたものだったのかも。
まあ、今さらいいけど)
この理科の先生はとてもいい先生で、私も好きな先生であったから、
「背が低いのは、清水くんの数少ない 欠点だもんね」という言葉は深刻に受け止めるに値するものに思えた。
今になって思えば、きっと先生は
「清水くんは、勉強もよくするし、バンドもがんばっているようだけど、 スポーツや体作りも大事だよ。」
と言いたかったのだろう。
実はこの先生、顔は俳優のようにカッコ良かったのだが、御自身も背が低かった。
その辺りのこともあって、暖かいアドバイスのつもりだったろうと 今は想像できる。
しかし、当時の自分は「背が低いことは自分の欠点なんだ」と真剣に受け止めた。
そう言えば、バブルの時代に「結婚相手は3高」などと言う風潮があった。高学歴、高収入、高身長だと。
そういう基準で結婚相手を選んだ女性たちが今、本当に幸せに暮らしているのかについては別 な話。
また別な機会にすることにしよう。

さて、話をハゲにもどそう。
高校時代はハゲについて深刻に悩んだ記憶がない。
たぶん、本当に毎日毎日勉強とロックに 明け暮れていて、またそうした日常に疲れていて、
あるいは将来への漠然とした不安感に 苛まれていて、
「ハゲ」ということについて悩む余裕もなかったのだろうと思う。
また、高校時代は髪をのばし始め、常に風紀の先生に追いかけられていたが、
後期ビートルズの 頃のジョンレノンのようにまん中から分けていたので、
「前髪は川のようなもの」状態にならなかった ことも一因としてあげられるだろう。
しかしながら、このころやはり同期の女子生徒(またいずれ話す時が 来るかもしれないが、
私は3年間男子クラスであった。あ、去年書いたね)の一部から
「たまねぎクン」という愛称とも蔑称ともとれるニックネームをいただいていたようである。
それは、やはり先生、担任の江口先生が「お前、たまねぎクンて呼ばれているんだって」と教えてくれた。
その日以来、私は毎朝、髪をとかす時に、どうしても「たまねぎ」を意識してしまうようになった。

さて、では大学入学後はどうだったか。
大学1年の時から髪はどんどん長くなり、
2年になるとついに憧れのジミーペイジを目指して、 パーマをかけた。
自分としては、結構イケテル感じを持っていたが、
歯科大の同級生の女の子は後年、「変人だと思った」 「敗残兵みたいだった」と告白している。
くそ!
でも、いいのいいの。
やっと自分がやりたかった長髪カーリーヘア、ロンドンブーツで ギターを肩からかけて町を歩くことが
現実となったのだ。
しかし、当時の相模原では男は床屋、女は美容院という不文律があったので、
いささか美容院へ行くのは勇気が必要だった。
「清水さんとこの長男は美容院へ行っている」
「あんなに髪をのばして、女みたい」
「そういえば、昔、男のくせにピアノ習ってた」
「男のくせにハイヒールはいている変人だもん、
 そう言えば、夏祭りや桜祭りで暴れながらギター 弾いていたって、うちのおばあちゃん言ってた」

しかし、私が気にしていたのは、そうした田舎者たちの 噂話ではなく、
パーマをかけるたびに 確実に抜け落ちる髪の毛であった。
「まだまだハゲはしないだろう。
しかし、現在のこのかっこよさ(自分ではそう感じていたんです!)と、
将来の髪の毛の量のどちらをとるべきか」 これは、なかなか難しい問題であった。

大学3年の後期になると、臨床実習が始まる。 ご遺体を使わせていただく解剖実習も始まるので、
歯科大生はこの時期、歯科医という職業へ向けて 意識改革を迫られることになるが、
その一つは身だしなみである。
長髪はNG。
私も仕方なく切ったが、 最初は特に厳しくする方針なのか、 インストラクターが髪の長さをチェックし、
耳にかかっている奴は呼び出して注意した。
(偉そうにしていたそれらインストラクターも 今思えば、20代の若造であり、
どう考えても もてそうにない男のインストラクターが、
その職権を使って女子生徒を自分の下宿に連れこもうと したり、色々とうんざりさせられる出来事があった)

4年になると、少し規制が緩んだので、 私は短いままパーマをかけた。
驚いた!
抜け毛はジミーペイジを目指していた頃の比ではなく、 本当に四谷怪談を想起させるほどであった。
パーマにより髪を痛めたのに加え、 当時の私は精神的にまいっており、
かなりのストレスに苛まれていたことも関係していたように思う。
また、一日中、実習用の布帽子をかぶっていて 通気性が悪いことも関係しているのではないかと
友人どうしで話しあったのを覚えている。

どうしよう。 深刻に悩んだ。 そしてつぶやいた。
「カロヤンかな、ついに」 カロヤンというのは、いわゆる育毛剤。
値段は3000円くらいはしたと記憶しているが、 当時の物価および貧乏学生の小遣いからすると
なかなか高い価格といえるだろう。
購入したのは、大学から駅へむかう道路のうち、 比較的学生が通らない細い道にある、さびれた薬局。
すぐ近くに「日活ロマンポルノ」を常時上映している 映画館があったが、
断じて私はそこには入っていない! 信じてくれ!
(18歳になったばかりの時、初めて新宿のいかがわしい 映画館に学割で入ったのだが、
その話はまた別のお話。 別の機会にするとしよう)

最初は基本グレードのカロヤンを使用していたが、
いつの間にかより効果が期待できるカロヤンハイ (カロヤンハイSだったかも) に変えてゆき、
裸電球1個が天井からぶら下がっている 私の下宿には、その空き瓶が増えていった。
果たしてその効果があったのかどうか、、、、。
憑かれるように毛髪および頭皮に薬液をなすりつけた。
なんか、ベターっとしてきて、汚い感じというか、 かえって髪の毛が少なくなったような印象もあったが、
「こんなに高い薬だから、必ず効果があるはず」と 思い込むことにした。
小さなラジカセ(これは友人が、その情婦に貢がせたモノを 無料でゆずってもらったモノ、なんとみじめな青春よ)
からは、 キングクリムゾンが流れていた。 Starless and Bible black.
今でも名曲「フラクチャー」を聞くと、カロヤンの臭いが 甦ってくる、、、、、これは牽強附会。

さて、脱毛はどうなったか。
具体的なデータがあるわけではないのだが、
大学5年になって、パーマをやめたあたりで 我が毛根は復活したようだ。
自主制作「KENSO FIRST」、そう表が雷様のジャケットの あの作品の裏に当時の私の写 真が載っているが、
ね?大丈夫だったでしょ。
大学6年の時は、もう臨床実習と国家試験準備で猛烈に 忙しかったので、髪の毛どころではなく、
むしろ精神的にその状況に耐えられるのかどうかという 毎日だったので、よく覚えていない。

そして卒業。 ストレスはぐっと減った。
念願のkensoのライブ活動やレコーディングも実現 できる環境になったので、
あまり頭髪のことは 気にならなくなった。
仕事を覚えることと自分の理想を実現すべく作曲に 夢中だったから。

それから数年は、頭髪を気にした記憶がないのだが、
30歳前後に一度だけ「やばいかも」と感じたことがある。
それは、岡山へ向かう新幹線の中であった。
当時私は岡山大学医学部の研究生として、 歯科医院の休診日の前日、
診療終了後に 最終の岡山行き新幹線に飛び乗り、 翌日一日は研究室で実験や論文書きをし、
また最終の新幹線で横浜にもどってくるという 生活をしていた。
若いからできた荒技であった。

その新幹線車中の洗面コーナーの三面鏡に 映し出された自分の髪の生え際を見て一瞬
「、、、?、、、!」
明らかに後退してるように思えた。

まあ、今思えばたいした後退、脱毛では なかったのだが、
やっぱりあの頃 結構ストレス多かったのかな、と感じる。
あ、そういえばその新幹線の中でも キングクリムゾンを聞いていたな。

岡山大学での研究生生活の最後の山場は 学位取得の口頭試問であった。
自分の学位請求論文について、 自分の所属研究室以外の教授3人に 色々と質問を受け審査をお願いするのである。
でも、実をいうと口頭試問については、
スライドを写しながら説明 しているシーンがわずかに記憶に残っているだけで、
むしろよく覚えているのは、 待合室で自分の番を待っている時に、
その時作曲中だった曲を推敲していたこと。
その曲は「月の位相」か「心の中の古代」であった。

それから「夢の丘」をリリースし、 それは当時の自分にとっては満足のゆく出来であった。
数回のライブの後 活動を停止し、
こどもが生まれ忙しくて 髪の毛どころではなくなって、
活動再開して、
曲をまた作って、
「ESOPTRON」を出して、
「25TH ライブ」をやって、
アメリカで演奏して、
「天鵞絨症綺譚」を出して、、、、
気付いたら40代もなかば。
もしかして、「スパルタ」のジャケットで 額を出している自分と今の自分を解剖学的に比較したら
生え際は後退しているのかもしれないが、 もういいんです。

さあ、ヤングのみなさん、 私は何をみなさんに伝えたかったのでしょう。

ヤングA「カロヤンの効果についてです。」
清水「君は阿呆ですね」
ヤングB「キングクリムゾンと髪の毛の関係」
清水「なるほどね、それを一生の研究テーマに してみたらいかが?」
ヤングC(留学生)「不安をあるがままにして、 自分の生きる目的、自己実現欲求を優先させることが
   重要であるということデス。」
清水「それ、森田療法ですね。まあ、そういうことも 言っているかもね。」
ヤングA「先生、聞いて!聞いて!あのね、    ジミーペイジと四谷怪談の関連性についてです。」
清水「君は、本当の阿呆のようですね。」

さあ、そちらにいる皆さんはどうかな?

「鉄腕アトムです」 「怪獣ブースカです」 「アテンションプリーズです」 「チャコちゃん社長です」
「力道山です」 「てなもんや三度笠です」 「七色仮面です」 「怪傑ハリマオです」
「少年ジェットです」 「ジェスチャーです」 「まぼろし探偵です」

あっ!まだいたなオヤジ!
どこにかくれていたんだ!?
今回はヤングのための企画だって言っているのに。
だいたいなア、 チャコちゃん社長、チャコねーちゃん、 チャコとケンちゃん、
などで 主役はってた四方はるみさんが ヌードを発表したのだって、 もう30年前のことなんだぜ。
昭和は終ったンだよ。
ところで、KENSOのケンちゃんふたりは 元気にしているかな。

補足: 私の友人のある女性がこんなことを話してくれた。
中学の時、自分の髪の毛の中に白髪を発見して 非常に驚いたと同時に、中学で既に白髪なんて、
これからどうなってしまうのだろうと、非常に 不安になったらしい。
電車のつり革広告で「若白髪」とか「白髪染め」の 文字をみつけると、目をそむけていたらしい。
ティーンエイジャーの後半まで心配していたらしいが、
そのうち、ふと気付くと、ぜんぜん自分は白髪になっていなく、
同じことで悩んでいた友人がいて、白髪恐怖について笑って 話せるようになっていたとのこと。
もちろん、彼女は今、ぜんぜん白髪ではない。

私からのメッセージ、分ってくれたかな?
そう、だからね、今はとにかく勉強なさい!
あたしゃ、これから「願いかなえるこどもをつれてゆこう」を
ピアノ連弾バージョンにアレンジせにゃあかんのや。

4月3日


●民族音楽への扉

今のkensoには、kensoの作りだす音楽そのものに共感したり興味を持っているリスナーの他に
村石くんや光田くんのファンで、ムーラや健ちゃんの活動はすべて網羅したいという気持ちから
kensoにおつきあいくださっているリスナーが少なからずいらっしゃることを感じている。

これは皮肉でもなんでもなく、リスナーの裾野が広がってくれることはリーダーとして 本当に嬉しいことだ。
彼女や彼らは、プログレッシブロックなんてものは「???」であり、多くの場合、 普段は普通の世間に広く認知されている所謂ポピュラー音楽を楽しんでおられるようだ。
そして、ひたすらムーラや健ちゃんが大好きで、
「ムーラや健ちゃんが一所懸命やっているバンドらしいから、ちょっと聞いてみようかな。」 と思って、
時として遠方からはるばるライブに足を運んでくださる。
そしてアンケートを見る限り、ライブもそれなりに楽しんでくれたり、
あるいはこんな音楽が あることを知ってショック(註2)を受けたと感じてくださったり、、、、
まあ、中には 明らかにkensoの音楽については何の感慨も興味もわかなかったのか、
アンケートには 別のライブの感想が
「先日の○○でのムーラのドラムソロ、最高でした!」なんて書いてあるのもあるが。
(「ギターのひとが邪魔でムーラが見えなくて残念。」なんてのもあるが、私の名前は清水です!
私がリーダーです!)

それでも、高いお金を払ってCDを買ってくださったり、
ライブに来てくださる方々には 心から御礼を言いたいし、
KENSOをきっかけとして、世の中には、巷に流れている音楽の他にも
もっと広漠たる音楽世界があることを(余計なおせっかいかもしれないが)
知ってもらえたら 嬉しいなあと考えている。

私にいわゆる民族音楽(註1)への扉を開いてくれたのは、
元PFMのバイオリン奏者マウロ・パガーニの ソロ「地中海の伝説」であった。
70年代の終りだっただろうか。
あれから、随分たくさんの民族音楽を聞いてきた。
それぞれについて書いていたら、一冊の本ができあがって しまうので、
本日は民族音楽に関する書籍を思いつくままに紹介したい。
蔵書をすべて探る時間はないので 頭にパッと浮かんだものだけだが。

1:『「音楽」以前』藤井知昭著/NHKブックス
   音楽以前の「音と民族」の関わり、それぞれの民族の持つホモサピエンスとしての相違が
   どのように音楽の個性に繋がっているか、などから音楽の発生、発展を検証している本。
   古本屋の100円ワゴンセールの中にひっそりと在って、私を待っていてくれた本です。

2:『ユーロ・ルーツ・ポップ ・サーフィン』大島豊監修/音楽之友社
   ヨーロッパ全土を「北西」「北欧」「中央」「バルカン、地中海」「ユダヤ音楽」
   「イベリア半島」に分類して、それぞれの音楽の歴史的地理的な考察を加えた逸品。
   ディスクガイドも充実しており、私もずいぶんお世話になったが、1999年発刊の本書、
   そろそろ改訂版が欲しい気がする。というのは、このジャンル、どんどん素晴らしいCDが
   リリースされているのを私自身がお金を使って日々経験しているから。
   この本で奨められた音楽を聞いてもらえば、巷に垂れ流されている流行音楽の大半はクズで
   あることが分るだろう。分らないとすれば、それは貴方自身の感性の問題だ。

3:『世界の民族音楽』星川京児編集/音楽之友社
   kenso小口健一氏のおすすめにより購入。世界中の民族音楽CDの購入ガイドで、読んでいると
   すべて聞きたくなってきてしまう。購入しようと思ったCDにチェックしてゆくと、
   ものすごい数になってしまうのだが、「聞きたい!」と思う気持ちを押さえることはできない。
   それにしても、音楽って本当に面白い。

4:『音楽の根源にあるもの』小泉文夫著/平凡社
  『小泉文夫フィールドワーク』小泉文夫著/冬樹社
   いままでも何度となく紹介してきたが、読む度に新鮮な示唆を与えられる名著です。
   音楽をただ単に、気晴らしやテレビの下らないバカバラエティ番組と同次元の娯楽だと
   とらえている人には全く薦めないが、kensoのリスナーはそんなことないでしょうから
、    是非読んでほしいです!

5:『ガムラン武者修行』皆川厚一著/PARCO出版
   これも今まで何度も紹介してきたが、西洋音楽で育ってきた(著者はもともとはクラシックを
   学んで芸大に入学した)皆川先生が、ガムランに出会い、それに惹かれていき、それに自分の
   人生を賭けてゆく様子が実に興味深く、色々なことを考えさせられる。
   私自身、いかに自分が西洋音楽的にしか音楽を捉えていなかったのか考えさせられるきっかけと
   なった本。
   ガムランについて知らない方でも楽しめると思います。

他にもまだまだあるが、本日はこのへんで、、、。
本日のBGM:やはり小口健一氏おすすめのCD「ペルシャの伝統-イランの古典音楽」

註1:私はワールドミュージックという言葉が好きではない。
   なんか、音楽産業の臭いがするからだ。と、思っていたら「世界の民族音楽ディスクガイド」
   (音楽之友社、2002年)にこんな記載があった。
   “実際、CDショップのワールドミュージックコーナーでは、いわゆる伝統的な民族音楽は
   脇役扱い。そこにあるのは、地域別に分けられた各地のポップス〜中略〜ワールドミュージックと
   いえば、第三世界のポップスという状況になってしまった、”

   なるほど。
   でも、純粋な民族音楽以外にも、それらに今日的意味を持たせた音楽やそれらに触発された
   音楽の数々、私は好きです。
   さっきもTrilok GurtuとMaria del Mar Bonet、聞いてました。

註2:ショックだった。
    3月7日金曜日、帰宅するといつもの通り、子どもがTV「ミュージックステーション」を見ていた。          着替えてリビングに来て新聞を広げれば嫌でも音は聞こえてくる。
  この番組、気の毒になるほど貧相な音楽を演奏している方々が続々登場するので、
  かなり醜悪な歌にも驚くことはなくなったが、この時は思わずテレビに注目するほど桁近いに
  下手くそな歌手が出演していた。
  名前は不明。新聞のTV欄をみると押尾学と言うやつなのかもしれないが、分らない。
  知りたくもない。毛糸の帽子をかぶった大柄な男がボーカルで、
  他にツインギター、キーボード、DS,BSという一応ロックバンド的な編成であった。
  バンドは演奏はしていなくて「アテブリ」であったが、歌は実際に歌っており、そのひどいこと!
  歌が下手とか気持ちが伝わってこないとかの次元ではなく、音痴なのだ。
  こいつの歌を聞いて、まず浮かんできたのは音痴という言葉だった。
  キッチンにいて夕食の支度をしていた妻までが、わざわざTVをのぞきに
  きたくらい衝撃的な音痴。もちろん英語まじりの歌詞もひどい代物だったが、なんといっても歌。
  いや、これを歌と呼ぶのだろうか?
  トドだ!
  凍てついた北極海に響きわたるトドの咆哮だ!  
                                    3月12日


●願いかなえるこどもを救急へつれて ゆく

と、冗談を言っていられるのは、もうだいぶ回復したからなのだ。
先日、診療終了後、たまってしまった未読の論文を読もうと、家人に少し遅くなる旨電話したら、
子どもが嘔吐しているとのこと。
子どももインフルエンザの予防接種してあるはずだが、しかし ワクチンの発症防止は100パーセント
というわけではないので、ありえるかも、先週学級閉鎖だったし、
新聞によれば児童のインフルエンザ脳症が例年以上に多く報告されているとのことだったし。
いろいろな心配要素が頭をよぎり、 ともかくすぐに帰宅することにした。

帰宅して様子をみるとインフルエンザではないようだった。
友人の内科医に電話して指示をあおぎ、彼がもと勤務していた病院の救急外来に行くことにした。

救急で受け付けをすませようと思ったところ、そこの病院では小児科医がいないので子どもは診れない
とのこと。ええ〜〜っ!
更に車で数分の救急センターへ。反対車線にある救急センターの駐車場は満車のようで、
道路まで車があふれている。しかも金曜日の夜のことで近所の駐車場も満車。
酔っ払いがうろつき、あちこちでタクシーを止めるので、細い一方通行道路が 渋滞する。
もともと嫌いな酔っぱらいをいっそう嫌いになる。
やっとの思いで少し離れたところに駐車し、 ひさしぶりに子どもをおんぶして救急へ急いだ。

重い、重くなったなあ。今にも背中で嘔吐するかもという 状況のなかであったが、
あんなに軽かった、片手で楽々だっこできたのが、こんなにも重くなったことに 感慨を覚えた。
ポールマッカートニーが何かのインタビューで
「今の僕が歌うYesterdayは、ビートルズの時のYesterdayとは違うんだ。
あっ!こどもが熱をだした、ぐったりしている、そらっ病院だ、 そらっ車だ!
という経験をした後のYesterdayなんだ。」などと、
育児体験を話していたことを 思い出しつつ救急センターへ早足で向かう。

そういやー私も若いころは、仕事から帰ると毎日すぐに鍵盤に向かって作曲していたな。
完全にバンド中心の生活だった。ところが、子どもが生まれて、毎日が猛烈な忙しさで過ぎてゆき、
もうとにかくクタクタになっていたころ、とても音楽どころではなかった。
でもそれはそれで楽しかった。
95年に活動を再開した時、活動休止中2年半くらいの作曲用ノートを見てみたら、
一曲も完成していなかったどころではなく、数小節のフレーズが書き留めてあっただけだった。
「在野からの帰還」以降の曲は、すべて活動再開後に作ったんだったなあ、あ、着いた着いた、
○○救急センター。
いつ来ても独特の雰囲気だな、酔っぱらいが陽気に騒いでいる外側との対比も。

救急は混んでいた、みんな一様に不安そうに子どもを抱きかかえている。
ものすごーーく若い ヤンキーのカップルもちゃんと親の顔つきになって、神妙に順番を待っている。
それにしても、ずいぶん待たされるなあ。
そういやあ、小児科医が不足していると新聞にも書いてあったなあ、
おお、あのストレッチャーは交通事故 かなあ、などと考えつつ、
待たされること1時間50分、やっと診察になった。
もう夜中の12時40分だ。
結果としてインフルエンザではなかったが、しばらく絶食しなければならないとのこと。

「お腹すいたよう!」と悲痛な声をあげる子どもに申し訳ないと思いつつ、
親ふたりは御飯をいただくこと2日、さすがに若い!急速に回復し、元気な笑顔を見せてくれ始めた。

あああ、大変な週末だったなと思いつつ、火曜(建国記念の日)には授業参観と美術展のため一緒に登校、
我が家にも平和と健康がもどったと思ったのも束の間。
木曜の朝からは、こんどは私が強い嘔吐感とともに目覚め、ダウンした。
木曜はふらふらになりながらもなんとか仕事をしたが、結局金曜は休診。
一ヶ月の間に2回も診療に差し支えるほどの風邪をひくなんて珍しい、
いささか暗い気持ちになり、 また弱気にもなった。
前出の友人の処方してくれた薬を飲んで3日ほどで回復したのだが。

まあ、しかたない。
でも、私/こども/私と交互に病気をしたことである目標が達成できなくなりそうなのは 大変残念だ。

2月23日に劇団仲間公演/ミヒャエル・エンデ作「モモ」を家族で見にゆくことになっているのだが、
演劇を見る前に、こどもに「モモ」の原作を読み聞かせようと思い、
一月から結構厚い本を 少しずつ読み進んできていたのだ。

御存知の方も多いと思うが、ミヒャエル・エンデの作品という のは非常にイマジネーション豊かで、
しかも読み手によってさまざまな解釈のできる、とても 優れたものだ。
それだけに、演劇を見る前に原作を体験して、
自由に登場人物や場面や主題を子ども自身の感性でその心の中に描いて欲しかったのだ。

「モモ」公演まであと3日、とても全部は無理だが、できるだけは読んであげよう。
イマジネーション豊かな子どもに育てること、これはとても大切な親としての役割だと思う。
そして、それはもちろん生まれ持った才能というのもあるだろうが、
ある程度培い育むことは できるはずだ。
最初から、「はい、登場人物の顔はこんな。それと、、その不思議な建物はこんな感じ」と
イメージを固定されてしまうのは、その機会を失うことだ。
大きな損失になる可能性もある。

まして、それが「ネバーエンディングストーリー」のような、
原作の主題を完全に無視した 軽薄な作品だったら最悪じゃん。
あれと「果てしない物語」は別物だよ。エンデも告訴してたけど。

ということで、私の日常でした。
私の日常と言えば、昨年末より少しづつ、今秋にリリースする昨年のライブDVDの編集作業をしている。
KENSO初のDVD作品、ぜひ期待していてね。

2月19日


●ローランドのイベントを終えて

ローランドのイベントを終えて、もう一週間が過ぎた。
本当は、もっと早く書こうと思っていたのだが、風邪にやられました。
インフルエンザはワクチンを接種していたので免れたが、ローランドライブ用のリハーサルを
19日に終えてからの6日間が忙しすぎた。
ライブ当日も午前中診療をしてから 急いで帰宅し即アムラックスホールへというハードスケジュール、
歳には勝てませんでした。
終了後も各方面へ御礼のメールなど書いたり、事後処理に忙しく、月曜の午後から発熱してきた。

普段めったなことでは休まないのだが、とても診療は無理だったので、
午前中の患者さんをキャンセルさせてもらい、医者に行き、午後から診療。
しかし翌日になっても復調せず、またしても午前中休診、、、。
というような訳で、しんどい一週間でした。
それでも、木曜には今年のライブに関する打ち合わせに 行ったりもしたのだが。

それにしても、ローランドイベント、楽しかった!
前日のサウンドチェックは、予定されていた時間の半分もできなくて、
「本当にこれで大丈夫なのかな」と 不安にならないでもなかった。
永井さんのプレイ自体は、19日のリハーサルが予想の半分の時間で終了 した時点で
ぜんぜん安心していたし「永井さん、せっかくの機会だから、今回のみのアレンジも、、」
などと余裕すらあった(そのひとつが、心の中の古代のイントロのベースソロ)のだが、
機材およびそのセッティングがね、、、、、。
でも、まあ大きな機材トラブルもなかったし。
永井さんからの意見や感想は、13年も同じメンバーで演奏してきた我々にとって、
とても興味深いものだった。もちろん、彼のプレイも刺激的であった。
三枝の代役としてメンバー全員が「永井さんにお願いできないか」とまず考えた、
そしてライブ終了後「永井さんにお願いしてよかった」と 誰もが感じていた。
素晴らしいベーシストですね!

さて、当日15時ころからだったか、ライザミネリだったかベルサイユだったか、いや違った、
え〜と ジャンヌダルクだ、そうそうジャンヌダルク、っていう若いバンド(ビジュアル系らしい)
のギタリストの人のステージがあって、
その人の時は聞くところによると整理券を発行するはずだったらしい のだが、
始まってみるとさして混雑もせず、 私も様子を見にいったが、
3列くらい並べられたパイプ椅子が埋まり、 立ち見がパラパラ程度だった。
ビジュアル系ということで、もっとキャーキャーと騒ぎ立てる女の子たちを 実体験できるのではと
期待したが、数人のみ盛り上がっていた印象。
後から考えれば、既に19時からの kensoを見るために数少ない椅子席を確保していた方々もいた模様。

kensoのスタッフが、トイレでローランドの社員のこういう会話を聞いたと私に話してくれた。
「なんで、今日こんなに混んでんの?」
「知らねえけど、kensoがお目当てらしいよ、みんな」
「kensoって、そんなに知名度あるの?」
「さあ。でも甘くみていたね。整理券も出さなかったし」

嬉しいね、この甘く見ていたっていうの大好きなんだよね。
どんどん甘くみて欲しいね。
LAでのProgfestの時もそういう態度の奴がいたんだよな。
「今日のメインはTrans Atlanticなんだ。お前ら時間通りに終れよ」みたいな関係者がよオ!
上等じゃねえか、と思ったね。英語じゃあ言えないけど。
結果はみなさん御存知のとおり、まあ気持ちよかったこと!

話をローランドにもどすと、とにかく会場に人が入りきれないので、
「椅子席の人は、自分の椅子を持って 1メートル前へ移動をお願いします」
というアナウンスがあるほどの盛況だった。 本当にありがとう。
午前中から、ずーっと待っていてくれた方、わざわざ大阪を始めとする遠方から来てくれた方、、。
とにかく、あの日集まってくれたすべてのリスナーに心より感謝します。

ローランドのイベント責任者の方からは、聴衆の誘導の仕方に不手際があって申し訳なかったということ、
そしてkensoが出演してくれたことで、本当に音楽を愛し楽器を愛する方々に
ローランドの新製品を 見ていただけて感謝している旨、メールをいただきひとまず安心した。
ちゃんとした報酬をいただいて、こんなに楽しませてもらって、
その雇用主にも満足していただけたのだから、ありがたいことだ。

実は、この日のライブには今後kensoのコンサートの制作をお願いすることになる
「楽工房」の 方々もお見えだったので、イレギュラーな感じとはいえ、
まあまあの演奏を聴いてもらうことが でき、明日へつなげるステップともなった。
秋に予定されているライブ、「楽工房さん」よろしくお願いします!

さて、今回は体調を気遣ってそろそろ終らせてもらうが、
木曜に「楽工房」オフィスでの打ち合わせに でかける際、家人から
「病気なんだから、寄り道しないで帰ってきなさいね」と念をおされたので、
打ち合わせの前に目白ワールドディスクにて購入したCDをここに紹介しておこう。

1:Moustaki and Flairck/ついにCD化されたか!!うれしいーーーーー!    
   ギリシャの吟遊詩人ムスタキとフレアークのコラボレーション。前半のゆったりとした部分も
   素晴らしいが、なんといっても終曲の緊迫感溢れるアンサンブルが白眉だ。
   この曲ばかり何度も何度も聞き過ぎて、私のアナログLPは擦り切れて音がでなくなったのだ。

2:Edward Artemiev/私の尊敬するタルコフスキー監督の作品で音楽を担当していた 作曲家E.Aの作品。

3:Three Odes/上記E.A関係のロックオペラ的作品みたい。

4:Egberto Gismontiの3CD入り、ボックス。
  偶然、私が持っていなかったCARMO,CIRCENCE,TREM CAIPIRAの3種の作品が
  一つの箱に入って売っていた。どうしようかなと思い、ちょこっと聞かせてもらったら、
  やっぱり真の天才はすごかった。一瞬でKOされました。

5、6:Crazy Saints とUsfret/言わずと知れたインド人打楽器奏者Trilok Gurtuの昔の作品。
    つねに探していたので、偶然見つけて即「これ、僕のもの!」と脇にかかえた。
    店内には客は誰もいなかった。

7:PANTA RHEI/店長の中島くんのおすすめ、というか「清水さん、こんなのあるんですけど」
  と、用意してくれていたCD。いいよ、いいよ、これ良いよ、買うよ、となったのです。

   ということで、本当はFOCUSのDVDを買うつもりで行ったのだが、
これだけ素晴らしい作品が あるのに、ノスタルジーに浸っている時間も気持ちもないのでパス。

本日のBGMは、大好きな女性打楽器奏者Marilyn Mazurの「Small Labyrinths」、いいなあ!
同時に買った2枚組ライブは、もっか院長室のヘビーローテーション。                                  2月2日
The Battle of Evermore TOP


●されど、われらが日々

柴田翔という作家を知ったのは、まったくの偶然だった。昨年の11月頃だったか、
1年以上も前に買ってあった「日本読書株式会社」という本を読み、そこで奨められていた中で
興味のわいたものをチェック、まずは自宅近くの古本屋で探してみた。
紹介されていた「されど、われらが日々」の他にも「鳥の影」「贈る言葉」(タケダ某の
あの気持ちの悪い歌とは無関係)が置いてあり、
川端康成の「掌の小説」開高健「輝ける闇」などと一緒に購入した。
そしていつものことで、積み上げられた本の上に更に積み重ねておいた。

冬休みになり大掃除も終えて、またそれまで読んでいたややヘビーな「緋文字」も読み終った元旦の
午後から読み始めた。
「されど、われらが日々」では、主人公が古本屋で偶然購入したある作家の全集が、安寧とした日常を
ぐらつかせる必然として重要な役割を果たしているのだが、年が明けた朝、
自宅スタジオ兼書庫に積み上げられた大量の本の中から柴田翔を「これに、するか」と選んだことに、
何か妙な符合を感じる。
読書には、そんな瞬間がある。

子どもが大きくなってきて、宿題その他の勉強で忙しくなってきたため、
私がかかわれる時間が少なくなってきたことは少し寂しくもあるが、
正月早々、妻と子どもが教科書や参考書に向かい合っている真剣勝負の時間に、
二人の邪魔をしないように別室で読書に集中できるのはありがたいことでもある。
普段は忙しかったり、目を通さなければいけない歯科関係の本があって、
文庫本一冊に2週間くらいかかってしまうこともあるが、集中すれば3時間くらいで
読み終えることを、そして小説はやはりそうして物語に没入して読むのが
一番いいなあという当たり前のことを実感した。

それにしても、何故、柴田翔の小説がそんなに今の自分に入ってきたのか。
所謂「文豪」と呼ばれる作家の作品のように、文体や修辞に圧倒されたわけではない。
むしろ、淡々とした文章だと思う。
描かれた世界に「凄い、すごすぎる!」と、恐れおののいたわけでもない。
でも、何故か惹かれるものがあった。
あまりに短い期間で続けて3册読んだので、収録されていた物語が混じりあってしまったため、
それぞれの粗筋と自分なりに考えた主題を日記帳に書き留めた。
小説でこんなことをしたのはひさしぶりだ。
明日から家族旅行のため、飼い犬をペットホテルに預けるために家をでた時、
見なれた自宅周辺の景色がいつもと少し違ってみえたのは
早朝から降っていた雪のせいだけではないだろう。
この3作品に描かれている、若い頃の希望や夢が挫折していく様子や、
日常がつねに破局と隣り合わせであること、いつそちら側にいってしまうかもしれない
“内在された狂気”、、、。こうしたモノが、中年期の私に、いや中年だからこそ身につまされる主題
として、突き付けられた気がした。
これは、今年予定されているkensoの活動とも無縁ではないように思う。

その予定とは、私の母校であり、kensoというバンド名の由来でもある「県立相模原高校」の
創立40周年記念式典での演奏である。メンバーの一部は、学園祭みたいな規模で
体育館みたいなところで行われると(私からのメールを良く読まないからだよ)思っていたらしいが、
そうではなく、キャパ1200〜1300人の、kensoにとっては大きなホールでのライブになる。
(残念ながら一般の方は入れないが、相模原高校のOBとかは入れるのかもしれない)
現役の高校生850人プラス学校関係者、保護者らに自分達の音楽をどう伝えるか、
それを考える過程で自分の高校時代ってなんだったのか、想いをめぐらせていた。
自分にとって、勉強とバンドに明け暮れたあの頃の本当の夢ってなんだったのだろう。
だいたい、夢なんてあったんだろうか。
なぜ歯科大を受験したんだろう。
なぜ卒業式に出なかったんだろう。
1年の文化祭の朝、学校に置いておいた全てのエレキギターの弦が切断されていた印象的な事件について。
その犯人は後に明かされたが、どうして彼はそんなことをしたのだろう。
あれこれと考えていたことが、柴田翔の小説が自分の中に入ってきやすい土壌となっていたのは確かだ。
もちろん、それだけではないだろうが。

高校時代、毎日浴びるように聴いていたロック。
そして、何かにとり憑かれたようにギターを弾いていた自分。
あれから、約30年。
自分の作ってきた音楽って何だろうか。
ギタリストとして大して上手くもない私が、その道のエキスパート達と音楽を作り、
想像もしなかった成果を作品という形にすることができた。
そうしたエキスパートが集まったバンドのリーダーとして、バンドを牽引してきた私が、
これから何をやってゆくべきなのか。
どうしたら彼等がこの“ほとんど金にならないバンド”にかかわることでしか得られない
大きな価値、人生の貴重な時間を費やす理由を、より高い次元で提示できるのか。
そして、自分にとってはどうなのか。
こんなことを考えつつ、ここ数年やってきた。
「天鵞絨症綺譚」のようなアルバムを作ってしまった今、
それを更に突き詰めねばならないし、更に音として残していかねばならない。

1月10日

追伸: ローランドのイベントに関してはhttp://www.roland.co.jp/event/を御覧下さい。
kensoの出演時間は、今のところ19時からの予定です。