「黒い風」空白の3年間
〜「いつの間にかいい奴らになってんなよ!」と突っ込みたい貴方へ〜アーケード版EDで、かつての仲間に囲まれ、ふっきれた笑みを浮かべるジーク。
その姿に、ソウルエッジから彼を見てきた人は、様々な感想を持つことだろう。
・・・思った以上に「納得できない!」と言う人が多いようだ。
確かに、盗賊団だったはずの「黒い風」が、魔物と戦うという「正義の側」に
いつの間にか収まっている、という点に釈然としない人は多いと思われる。
しかし、である。16世紀のドイツ(神聖ローマ帝国)が、
戦乱のただ中にあったことを思い出してほしい。
ソウルエッジでのジークが、まず傭兵隊長として登場しているように、
当時、戦いの主役は傭兵たちであった。
そして彼ら傭兵隊は、戦争という仕事を得られずに食い詰めると、
たちまち「盗賊団」に早変わりしたのである。
(気候条件の厳しい北ヨーロッパでは、冬になると停戦になることが多かった。
そして傭兵たちは、なけなしの退職金を貰い、次の春までお払い箱になる)
盗賊団「黒い風」も、そういう数ある集団のひとつであったと思われる。
つまり、「ごくありがちな、傭兵隊兼盗賊団」だったのだろう。
ジークが戻った時点で「仕事としての魔物退治」をして稼いでいた、
ということは十分考えられる。
彼らとしては「いつの間にかいい奴になっていた」つもりは無いだろう(笑)。
力を尽くして、乱世をたくましく生き抜いてきた、というだけのことだ。それに、可能性としては「元々、盗賊集団としては良心的な方だった」
ということも考えられるのだ。
・・・これは憶測になってしまうが、「黒い風」は、「庶民の敵」では
なかったのではないだろうか?
義賊とまでは行かなくとも「お宝は、有る所から頂く」というポリシーで、
「貧しい人々から、なけなしの財産を強奪する」ということは無かったか、
あったにしても、よほど食い詰めた場合のみだった、という可能性がある。
おそらく、ジークは父フレデリックから、
「庶民を苦しめることは、結局、支配者の命取りになる」という教え
(かつて反乱軍に参加したフレデリックには、そういう思想があったはず)
を聞いていたろう。
貧しい農民から全財産を奪ってしまえば、飢え死にするしかなくなるが、
生きていれば、来年もまた作物を作るだろう。
そして、貧しい一般庶民(特に、ドイツは貧しい国であった)から奪うより、
彼らの労働を吸い上げている支配者階層を狙う方が実入りが大きい、
ということも気づいていたはずだ。
危険ではあるが、実行できる力さえあれば。
それにジークには「騎士の子から、盗賊にまで成り下がった」という負い目がある。
あんなにも、父にこだわっていた彼だ。
その教えに背いて生きている、という自責から
「自分は盗賊をしているが、かつて父が守ろうとした『貧しい庶民』を
苦しめるような真似はしない」
というポリシーを持とうとする(動機は自己欺瞞だとしても)ことは、
十分に考えられるのではないか?
縄張りの村々に対しては、他の盗賊団や悪徳役人からの保護を約束し、
味方につけていたかもしれない。
討伐隊などが送り込まれた際には、それはかえって有利に働く。
(現代においても、ゲリラ戦の基本は“住民を敵に回さない”ことである。
それが出来ない組織には、泥沼の戦いと、破滅とが待つのみだ)
そして人々は、金持ち連中をターゲットにした「黒い風」の活躍に、
密かに喝采を送っていた・・・という可能性はないだろうか?
自分が被害者になる可能性がなければ、言うのも難だが、
「犯罪ほど楽しい見せ物はない」のだ。
(現代人とは、犯罪や人の死に対する感覚が少々違った、ということも
言い添えておかねばなるまい。なにしろ、善良な庶民が休日に、
一家でお弁当提げて「死刑見物」に行くような時代である)このポリシーを、ジークが去った後も、「黒い風」が守り続けていたとすれば?
「庶民の敵にだけはならない」という一点の正義(頼りなくはあるが)を柱に結束し、
その教えを残したジークのことも、精神的な支柱として見ていた・・・
そうだとすれば、ジークEDでの彼らは、当然のことをしていただけ、と言える。
つまり「人々を苦しめる魔物をやっつける、一応礼金は頂く」ということ。
これなら、彼らの行動には全く矛盾はない。何はともあれ、ジークはこれからも、乱世の中を生き抜いていくだろう。
現代人の感覚で、正義だ悪だと言っても通用しない世界を。
後世に生きる私たちには、彼を断罪する権利はない。
ただ、精一杯生きた彼の、魂の安らぎを祈るばかりである・・・。