by Natsuki.K
その男は、逃げ込んだ小さな倉庫の中で、よろめくように腰を下ろした。 背負われていた大きなバックパックから、軽い金属音を立てて、何かが転げ落ちる。 身の回りの品だけでなく、武器や弾薬を詰め込んであったそれには、大きな裂け目が開いていた。ゾンビに、異形の「生きた死体」に襲われ、爪で引き裂かれたのだ。 頼みにしていた銃も、強力な弾薬も、ほとんどがその裂け目からこぼれ落ちてしまっていた。今、彼の手に残されているのは、一丁のリボルバーだけ。 人間をゾンビ化する病原体は、彼の身体も蝕んでいた。自分も遠からずそうなる……彼はぼんやりとそう思う。それが嫌なら、その前に、頭を撃ち抜いて死ぬしかない。少なくとも、ゾンビに喰われたり、自分自身がゾンビになるより、ずっとましだろう。 銃のシリンダーから、空薬莢を落とす。そして、近くの床に転がったマグナム弾を一つだけ拾い、シリンダーに込める。ただそれだけの作業に、やけに時間がかかった。手が思うように動かないのだ。ひどく、気分が悪い。吐きそうだ。 ようやくリロードを終え、少しためらってから、重たい銃身を持ち上げようとした時……男は気づいた。銃の使い方が、分からない。最後の理性が、この瞬間に食い尽くされ、消えようとしていた。 苦悶の声は、もう意味をなさない。リボルバーがごとりと床に落ちる。数秒後か、数分後か。一体のゾンビが、倉庫の中をよろよろと歩き回り始めた。 「……とまぁつまり、そういうことだと思うんだ」 俺は、倉庫の床に転がった、もう動かないゾンビを見おろして話し終えた。背中にバックパックを背負った男。中にあったマグナム弾の箱は、破れ目から中身が落ちたらしく、もう空っぽに近い。 (あんたの、持ち物だったんだな) この近くの道ばたに、ぱらぱらと転がっていた、箱詰めもされていないマグナム弾。丁度マグナムリボルバーを拾っていたから、ありがたく使わせて貰ったが。 「大した想像力だな、全く」 デビットが、いつもの無愛想な声で、そう呟いた。 「いつもその調子で、捕まえた奴らの罪状をでっち上げてやがったのか?」 「でっち上げとか言うなよ。この程度の推理は、警官なら基本中の基本だって。これでもな、俺の勘って結構当たるんだぞ。うまく説明できねぇけどこいつ怪しい、とか思うと大抵……ん? どうした?」 デビットは答えずに、残弾一発のマグナムリボルバーを見つめている。どこか思い詰めたような、魅せられたような瞳で。 ……何を考えているか、分かった。 ここで、この銃で死んでしまえば、楽になれる。死神の誘惑が、きっとあいつの耳には聞こえている。 会話だけは余裕ぶっていても、俺もデビットも満身創痍だ。救急スプレーやハーブは、鎮痛効果こそ高いが一時しのぎで、傷が消えてなくなる訳じゃない。前の傷への効果は切れかけているし、新しい傷を治療するには足りない。もう二人とも、まともに走ることさえできなくなっていた。 ゾンビ共の頭の悪さが幸いして、今までは辛うじて振り切ってきたが……いつまで保つか。いつ捕まって、喰われて、死ぬんだろうか。 「なあ、俺さぁ……」 デビットの様子に釣り込まれるように、弱音が漏れた。 「あんたが『一緒に死んでくれ』って言ったら、断れるかどうか自信ねぇや」 その瞬間、あいつの目つきが変わった。冷水を浴びせられたように、はっと俺を振り向く。夜明けの空色がさぁっと変わっていくように、その視線はすぐに、いつもの鋭さを取り戻した。 「意外だな、ケビン。お前なら、俺を撃ち殺してでも拒むと思っていたが」 その口調も皮肉でぶっきらぼうで、だから俺は少し安心する。死の誘惑に耐えて、しぶとく戦い抜いてきた、今までのデビットが戻ってきた、と。 だから俺は、もうほんの少しだけ、甘えてしまおう。 「だってよ、本当にもうゾンビになるしかねぇってなったら、俺だって考えるよ?」 今まで吐けずにいた弱音。きっとうまくいく、と繰り返して済む話じゃない。何度も目の前で希望が消えた。一緒に逃げてきた仲間たちとも、はぐれたきりだ。俺たちの中の、忌々しいウィルスを消す手段も見つからない。「手遅れ」になる瞬間は、刻々と近づいている。 今、誰かに一押しされれば、俺も信じてしまいそうなんだ……ゾンビになる前に死を選べることが、俺の最後の「幸運」だと。 俺の弱気を、叱ってくれよ。そうすれば俺は、もう少しだけ頑張れるから。 それとも、いつもみたいに嘲るか。それでもいい。 何ならここで、本当に、一緒に死のうと言ってくれるか。腐った化け物になるよりずっといい、って。 なあ、どうする? どうせ死ぬ時は一緒なんだ。どちらかが倒れたら、もう一人も助からない。それなら、今ここであんたが決めたって、同じことかもしれないんだぞ? 答えてくれよ、なぁ。 「そうか。なら……」 その時、デビットが浮かべたのは、思いもよらない表情だった。少し皮肉な表情、だが確かに微笑んで、あいつは告げる。 「絶対に、そんなことは言ってやらん」 予想外の、いや、求めていた以上の、答え。俺は一瞬あっけに取られ、それから威勢良く言い返す。 「……おう、上等だ!」 大丈夫。まだ、笑えてる。こいつも俺も、足元まで迫り来る死を蹴り飛ばして、笑顔を作れる。 俺たちはそうやって、命をつなぐ。互いに意地を張り合って、崩れ落ちそうな自分を支えながら、前に進む。 デビットは、拾ったマグナムに落ちていた弾丸を詰めると、俺に差し出してきた。 「使え。お前の方が射撃は上手い」 「いや、あんたが持ってろよ。俺も一丁持ってるしさ」 「代わりにハーブでも持って行け。お前はすぐ怪我をするからな。全く、間合いの取り方がなっちゃいない」 「そっちこそ、ナイフ一本で接近戦なんかするから、怪我してばかりじゃねぇか」 普通、極限状況じゃ、武器だの薬だのは奪い合いになるんじゃねぇか? なのに俺たちは、何だかんだと譲り合いを繰り返している。だから生き延びられたのかもしれないが、こうなるともう「押しつけ合い」だ。何とも麗しい友情だな、笑っちまうよ。 結局、今度はデビットが折れた。受け取った拳銃を、無造作に腰の工具ベルトに挟み込んで、手にはナイフを構える。 「ゾンビ程度なら、こいつで十分だ」 「分かってる、でも別の敵もいるからな」 アンブレラの研究所にいた、爬虫類のような化け物。ハンター、とか言ったか? そいつらを、この近くで見かけた。施設から逃げたのが何匹か、街をうろついているらしい。 本調子のデビットなら、一匹や二匹はナイフで片づけられたかもしれない。だが今は無理だ。勝ち目があるとしたら、近づかれる前に銃弾をぶち込むしかない。 「分かってる、行くぞ」 デビットは倉庫の扉をそっと開け、街路の様子を確認し、そして先に立って歩き出した。 あいつが前に立ってナイフで敵を牽制し、後ろから俺が狙い撃つ。大体、そういう感じで進んできた。そのせいか、ほんの数日見ていただけのつなぎの背中を、後ろで縛られた黒い髪を、もうずいぶん長いこと追いかけている気がする。 その背中は今、怪我のせいか、すっと気持ちよく伸ばされてはいない。前屈みでよろよろと進んでいくデビット。まあ、俺も同じような状態だがな。 少し先の曲がり角に近づいた時、あいつが、ふと足を止めた。工具ベルトからマグナムが引き抜かれたのと、俺の耳にもハンターの足音が届いたのと同時。 無言で視線を交わし、うなずき合う。傷の痛みに耐えながら、同時に背筋を伸ばし、しっかりと銃を構えて、歩き出す。どちらかが狙いを外せば、二人とも死ぬ。 いや、外さなくてもヤバいかもしれない。どの道、一人が死ねば、もう一人も助からない……それでも、最後まで精一杯やってやる。 (死ぬ時は、一緒だぜ) さっきと同じことを、さっきとは正反対の、不思議と高揚した気分で、俺は心に呟いていた。 END
初出・06年夏コミ無料配布冊子『Derringer』 |
元ネタは、オンラインプレイでの実話です。小説化で多少色はつけてありますが。
殲滅3VHは、最初に「残弾1のマグナムリボルバー」が拾えることがあり、
「恐い代物を拾わせんな!(笑)」と内心突っ込みつつ出発するのですが……
その回、私はケビンでプレイしてたんですが、仲間とはぐれてデビットと二人きりになり
(他の二人は、合流できないまま別々の場所で死んでいた)
そして揃って毒デンジャー状態となって、ものすごくスリリングな道中に。
当時は経験不足で、うまく立ち回れないうちのケビンを守って、懸命に戦うデビット。
その背中越しに必死で銃を撃つケビン。ご迷惑おかけします……と思いつつも萌えでした。
なけなしの回復や武器弾薬を譲り合い(マグナムを貰う→弾詰めて返す→代わりに緑ハーブが来る
→そのハーブを使い、次に見つけた緑ハーブはデビに渡す→なのにアイテム交換でハーブが戻ってくる ;_;)
這いずりになっては起こし合い(地雷を体を張って除去する男前配管工にこちらは感涙)
ハンターの足音を聞くと、二人でシャキッと背筋を伸ばして構え歩き開始(まさにFILE2のデモの構図!)
もう吊り橋効果全開、色々な意味でドキドキしながら進んで行ったのですが……
SS中にはあえて書かなかったけど、こんな惨状ではやはり、クリアはできませんでした。
(だからタイトルが『Final Stand』、“最後の抵抗”な訳です)
連絡階段の所で、画面の死角からハンターが襲ってきて
逃げ切れなかったデビットが即死をくらい、駆け寄ろうとしたケビンも次の瞬間に……
しばらく呆然とリザルト画面を見た後、プレイ後チャットに行ったら、
もうデビのプレイヤーさんはいませんでした。
(OBでは、先に死んだプレイヤーはそのまま退室するのが普通なので、仕方ないですけどね)
ネットの向こうのどこかにいる、その時ご一緒したきりのデビット使いさんへ。
ありがとう。貴方と肩を並べて、最後まで戦い抜けたうちのケビンは幸せ者でした。