『ダイヤモンドカッター』

by Natsuki.K

「おお、神よ、我らが供物を受け入れたまえ。外界より来たる、金の髪の生け贄を」
 紋章入りのローブをまとった神官が、大仰な身振りで祈りを捧げる。広場の中央の儀式台。その上には、巨大なギロチンが据えられていた。
 失われた古代文明の技術で作られたという、ダイヤモンドのギロチン。刃はもちろん、それを支える柱も、犠牲者の首を固定する枷も、大きな宝玉の塊だ。幾多の血を吸いながら染みひとつ無く、陽光に透き通ってきらめくそれ。宝飾品に造り替えたなら、一体どれほどの値がつくだろうか。
 だが、その値打ちを計算してみようとは、ゾロは思わなかった。そこに戒められている、金髪の頭を、身じろぎもせず見つめながら。緩やかなローブの中に刀を隠し、死刑台を囲む僧兵たちに紛れながら、彼は機会を待っていた。
 サンジは仰向けに、ギロチンに固定されている。手足にはがっちりと鉄の枷がかけられ、口には猿轡が噛まされていた。よほど口汚く、連中を罵り倒したもの思われる。死を目の前にしてなお、塞がれた口からもれる呻き声は、誰へ向けてのものだろうか。
・・・この島に根を張る邪教集団に、捕らわれてしまったサンジ。教義によると、金髪碧眼の若者は、最上の人身御供なのだという。
救出のチャンスは、今しかない。信者たちの目前で、ギロチンに血を吸わせる儀式の、この時しか。
 その作戦のため、広場のあちこちに身を潜めた麦わら一味。最も敵中深く潜入したゾロは、ギロチンの破壊とサンジの解放という、要の役割を担っている。
 周囲からは、信者たちの唱える、単調な呪言が沸き立っていた。その中で、ゾロはふと思う。
(それにしたって・・・まさか、本当にダイヤモンドを斬る羽目になるとはな)
 かつて、アラバスタで倒した「スパスパの実」の能力者。彼に、次はダイヤモンドでも斬る気か、と問われ、自分は何と答えたか。
(そりゃあ勿体ねえだろ、と・・・確かそう言った)
 だが、ダイヤの価値が何だと言うのだ。大切な仲間がいる。守るためだったら、ダイヤだろうと何だろうと叩っ斬ってやる、と。今ならきっと、そう答える。
 そう、例え「最も硬い物質」であろうとも。
(やってやる)
 あの戦いで取った「居合い」の構えを、脳裏になぞる。あの時と同じように、手を和道一文字の柄にかけて。
 巨大なダイヤモンドの塊という、天然にはありえない物質。だがそこにも、独特の「呼吸」がある。それを感じ取り、斬る。
 出来るはずだ。出来なければ、あのコックは。
(・・・畜生、集中できねえ!)
 周囲の呪言が、ひどく耳障りに聞こえ出す。意志力を奪うかのような、重苦しく単調な繰り返し。殺気をばらまいてしまいそうになるのを、必死で押さえながら、ゾロは「ギロチンの呼吸」を感じようとした。
 どう動けばいいか、どう力を入れて、刃を振り抜けばいいのか。いつもなら、大抵の物体が対象なら、簡単にイメージできる。なのに、それがうまく行かない。代わりに眼に浮かぶのは、血しぶきと共に転がり落ちる金髪の頭。無念げに見開いたまま、もう何も映さなくなった碧い瞳。
(そうはさせるか・・・させるかってんだよ、畜生・・・!)
 ローグタウンで、ルフィが処刑されかけたことがある。助けようとした自分の手は、届かなかった。落雷という偶然によって、ルフィは生還したが・・・その時に、ゾロには予感があったのだ。同じ奇跡は、二度とは起こらないと。今度、同じようなことがあったら、確実に助けなければ・・・さもなくば、大切な存在が失われてしまうのだと。
 皮肉にも、その「二度目」の犠牲になろうとしているのは、ローグタウンで背中を預けて戦った男。船長を救わんと、心を一つにして嵐の中を駆けた相手だ。
 あの頃は、喧嘩ばかりしていたのに。いつの間にこれほど、近しくなっていたのだろう。いつ誰が死んでもおかしくない海賊稼業。なのに、喪うことを想像するだけで、こんなにも心は乱れて。
 ダイヤの首枷に透けて見える、細い肩。目指すものこそ違え、自分と同じように、夢を背負っている。互いの夢が叶うのを見届けると、約束こそしていないが、心に決めていたのに。
(本末転倒だ。こんなことで動揺して、助けそこねたら)
 救わねばと思い詰めるほどに、集中が乱れていく。一刻も早く、ギロチンを破壊しなければならないのに。
 ダイヤモンドの「呼吸」が遠い。雑音のひどいラジオのように、調律の狂った弦のように。いや、チューニングが狂っているのは、自分の方か。
・・・いつだったか、サンジが言っていた。斬鉄の技を見せてやった時に。身構え、集中し、そして剣を一閃させる様は・・・オーケストラの前に立ったバイオリニストが、弦をチューニングし、そして弾き始める姿を連想させたと。
『何をきょとんとしてやがる。てめえの剣技は芸術だ、って言ってやってんだぜ。有り難いと思いやがれ』
 あの洒落者のコックは、そんな感想を述べたのだ。
 ならば今の自分は、どうしてもチューニングが出来ない、無様な演奏者か。
(畜生。どんなに調子が悪かろうと、本番は待っちゃくれねえんだ)
 それは一度きりの、命がけの舞台。
 儀式を司る、仰々しいローブをまとった神官は三人。そのうち一人が手斧を取り、ギロチンに歩み寄る。ゾロはまだ、集中しきれていない。
(聞こえねえのに、ダイヤの呼吸が・・・でも、もう後はねえ!)
 ギロチンの刃は、引き上げられた状態で、細い綱で留められていた。呪言が高まる中、振り下ろされる手斧が、それを切り離す。
・・・それと同時に、ゾロはローブを脱ぎ捨て、跳躍した。気合いと共に、和道一文字が鞘走る。鉄の刃とダイヤの刃が、高い音を立ててぶつかり合い・・・
 そして、透明な石塊が、粉々に砕けて宙を舞う。
 死刑台の上の神官たちは、我に返る間もなく、次の一瞬で血の海に沈められた。続いてゾロは、サンジの足枷と、首の枷を留めている鉄鎖を断ち切る。
 起き上がったサンジは、枷のはまったままの手で、猿轡を乱暴にもぎ取った。白い額に返り血が飛んでいる。
「遅えんだよ、クソ剣士! 処刑寸前まで待たなくたっていいじゃねェか!」
 解き放たれた獣の、いつもと変わらぬ悪態、凶悪な上目遣いの三白眼。生きている。その凶暴な輝きを、損なわれることなく。
 それだけのことで、ゾロの中の乱れたものは、全てあるべき所へ収まってゆく。静かな、だが激しい高揚と共に。魂が感じ取る「物の呼吸」に、もう雑音は混じらない。
「文句なら後で聞く!」
 そう答えながら、和道一文字を構え直し、振り抜いた。二本のダイヤモンドの柱が、すっぱりと切れて倒れる。邪教集団の、象徴であったギロチンが。
「上等だ! だがその前に・・・こいつらに、落とし前つけて貰わにゃな!」
ようやく驚愕から覚め、武器を構えた僧兵たちを見回すと、サンジは無造作に脚を振り上げ、足元に転がる柱に叩きつけた。ダイヤの柱が、あっけなく粉砕される。
(こいつ・・・! いつの間に、ダイヤを砕ける程の力を!)
 ゾロの驚きをよそに、碧い瞳が不敵に笑う。
「おい、ぼさっとしてねえで、この手枷を何とかしろよ。全開でやってやるんだからな」
・・・そうだ、それでこそ俺の相棒、背中を預けるに足る男だ。世界一を目指す剣士は、同じ不敵な笑みを返すと、剣の一閃で手枷を斬り飛ばす。そして残りの二刀を抜き、押し寄せる敵に向かった。
 広場の別の一角でも、騒ぎが起きていた。彼らに呼応して暴れ出した、ルフィとチョッパーだ。ウソップの撃ち込む煙星が、さらに混乱を拡大する。
 ゾロとサンジが、敵を蹴散らして仲間と合流するまで、時間はかからなかった。



 GM号が待つ入り江へと、一行は追撃をかわしつつ、山道を急ぐ。一刻も早く、脱出せねばならなかった。邪教の勢力拡大を危険視して、海軍が討伐のため、一艦隊を動かしたとの情報がある。巻き添えで捕まる訳にはいかない。
 三刀の重さもあって、少し遅れているゾロに合わせるように、サンジがスピードを落とした。そして、小声で話しかけてくる。
「なあ、さっきだけどよ・・・」
「何だ」
 どうやら、礼を言いたい訳ではないらしい。サンジはにやりと笑い、声を落としたまま、少し意地悪く言った。
「初太刀のタイミング、外したろ。ギロチンの刃、斬れねえで割れてたよな?」
「うっ・・・」
 この男の眼は、ごまかせなかった。確かにあの時、微妙にコントロールを誤ったのだ。うまい具合に刃が割れてくれて、事なきを得たが。
「そうだな・・・面目ない。あのぐらい、確実に斬れなきゃ・・・」
「バーカ」
 突然、サンジがゾロの言葉を遮る。そして、呆れたと言わんばかりの調子で続けた。
「いいかぁ、ダイヤってやつは確かに硬えが、脆いんだ。大剣豪様が出るまでもなく、力一杯ブッ叩いてやりゃ割れるんだよ」
「何・・・だってぇ?!」
 大声を出しそうになり、ゾロは慌ててそれを抑える。
「やっぱり知らなかったな。なのに、バカ正直に『最も硬い物質を斬ってやろう』とか思ってたんだろ? それで結局、精神集中が間に合わねえで、強引に飛び出したってとこか」
「・・・・・」
 全て、図星だ。ゾロはもう言葉もない。
 儀式場で感じたあの焦燥は、恐怖は、胸の痛みは・・・だったら一体、何のためだったんだ? 一気に脱力感が襲ってくる。ダイヤを斬るという達成は、結局、自己満足でしか無かったのか?
 なにしろ、その性質を知っていたサンジにとっては、粉砕するぐらい「簡単だった」というから。
「まあ結果オーライだ、勘弁してやるよ。その代わり、来週の甲板掃除、俺の分まで頼むわ」
 サンジが、ふっと笑みを見せる。ゾロの弱味を握った時特有の、忌々しくも魅力的な、小悪魔めいた微笑を。
「これでも大サービスさ。てめえの修行に付き合わされて死にかけたんだ。俺の懸賞金と同額ぐらい、吹っ掛けてもいいんだぜ?」



 慌ただしく出航した後、ナミがラウンジのテーブルに頬杖をつきながら、ほっとしたように言った。
「無事で良かったわぁ。全く、ゾロがなかなかギロチン壊さないから、心配してたのよ」
 言外には明らかに「あんたの『馬鹿力』なら、簡単に『割れる』と思ってたのに」との意味が含まれている。ちらりとゾロに投げかけた目つきでは、確実に、後で何か言ってくるだろう・・・「口外されたくなかったら十万ベリーね」とか何とか。
・・・と、サンジが思い出したように口を開く。
「あ、そうそう、ナミさんにおみやげです! 何とかこれだけ拾ってきました」
 ジャケットを脱ぐと、テーブルの上で逆さにして振る。内ポケットの中から、輝く小石がざらりとこぼれ落ち、小さな山を作った。ナミはすぐさま、飛びつくようにそれを検分する。
「これだけぇ? まあ、あの状況では上出来よね。粒も大きいし、透明度も上々・・・一財産にはなるわ。ありがと、サンジ君。ホント気が利いてるわね、誰かさんと違って」
「てめえ、いつの間に・・・?」
 呆然と呟くゾロに、サンジのからかうような笑みが返る。
「ダイヤは斬るもんじゃなくて、美しく飾るもんだぜ。てめえにも、分かってると思ったけどなぁ?」
「けっ、言ってろ」
 いたたまれず、酒瓶をつかんで出ていくゾロ。その背中を見送ってから、サンジは航海士の耳元に、小さく囁いた。
「ナミさん、取りあえずこれで、クソ剣士への罰金おしおきはチャラにしてやってくれますか? 何だかんだ言って俺、ダイヤを斬れるバカが仲間だってこと、誇りに思ってるんですよ」

OP TOP

という訳で、表テーマは「ついにダイヤを斬る」、
そして裏テーマは「大ボケなゾロと小悪魔なサンジ」でした(笑)。
196話の例のやり取り、ただのジョークじゃなくて
いつかは本当にやってくれるんじゃ、と密かに期待してるんで(^^;