「何だよ、ヤリてえんなら後でな。残党が居たりしたら厄介だろ」 サンジはそう言うと、戦いの最中に緩んだネクタイを締め直し、先に立って歩き出す。 「・・・・・」 ゾロは黙って、その隣に並んだ。 まばらな林の中に、夕陽が投げるオレンジの光。それは強烈すぎて、かえって何もかもを、モノトーンの影絵めいて見せてしまう。細部の飛んだ、どこか非現実的な映像。 さきほど倒してきた、数え切れぬ敵の亡骸も、そんな影絵の中なのだろうか。それともこの映像は、戦いの興奮で異常を起こした、ゾロの瞳孔にだけ映っているのだろうか。 ふと視線を落とすと、指に残る返り血が映る。赤黒く浮き上がるそれは、そのまま、人斬りとしての自分の業につながっている。 今の自分はきっと、酷い表情をしているだろう。ゾロは、賞金稼ぎだった頃の出来事を、ふと思い出した。ある海賊団を壊滅させた後、船室の窓を見てしまったことがある。突き刺さるような視線と、余りに凶悪な殺気に、とっさに剣を構え直した後・・・ようやくそれが、窓ガラスに映った自分自身だと気づいた。 血走った眼と、剣をくわえた口元にむき出した歯が、ひどく獣じみていて。身動きもできないまま、ああ、これが世間の言う「魔獣ゾロ」なのだなと、半ば麻痺した頭の片隅で思った。 ・・・その魔獣を、ここに立つ男だけは恐れない。 影絵と化した視界の中、サンジの姿だけが鮮やかだった。視線が合うと、煙草の煙越しに、碧い瞳が不敵な笑みを投げてくる。少しでも怯えを見せられようものなら、その場でねじ伏せて犯してしまうだろう予感が、ゾロにはある。 戦う男たちがしばしば、殺し合いの興奮を色事で鎮めることは、ゾロも以前から知っていた。持ち前の潔癖さから、自分だけはそんな行為に走るまいと思っていたが・・・その決意が実は、人一倍強い情欲の裏返しであることも、分かっていた。 人を斬った後の状態で、女を抱いたりしたら、きっと殺すまで止まらない。息の根が止まるまで犯してしまう。ずっと、そう思っていた。「魔獣」とはよく言ったものだ、ゾロの中には確かに魔物がいる。幾艘もの海賊船を血の海に沈め、娼婦を死にそうな程に責めさいなんで狂喜する悪魔が。 野望を追うため鍛え上げた、強靱な肉体。それが少年から男へと成長するにつれ、とんでもない爆弾を抱え込んでしまって。 恋などする余裕もなく、商売女を相手にするしか無かったが、それは、女であることに苦しんでいた親友への裏切りに思えた。汚れていく自分を恥じ、内なる獣の凶暴さに怯えながらの行為は、いつもどこか不全感を残し、発散しきれない熱がまた身を苛む。 サンジに出会ったのは、どうしようもない悪循環が、限界近くまで来ていた頃。色恋に長け、他人の感情に敏感なこの男は、程なくゾロの状況を見抜いてしまった。 『俺の前で、そんな餓えた眼されてっと、イラつくんだよ』 挑発的な囁き、細く長い指で、自らはだけて見せたシャツの胸元。あの夜の闇に浮かんだ白い肌を、昨日のことのように覚えている。 『なあ・・・欲しいんだろ? 気がふれちまいそうなぐらい、餓えてんだろ?』 やめろ、馬鹿な真似はやめろ、殺しちまう。そんなことを、うわごとのように呟きながら、熱い体に触れてくる手を感じていた。理性が吹き飛ぶまで、時間はかからなかった・・・。 このコックは、いつもそうなのだ。本音を出すのが苦手な、不器用な剣士に向き合うため、サンジは文字通り、傷だらけで体を張ってみせる。 初めて交わしたその行為の後も、白い脚に血を伝わせながら、平気だと言い張った。俺ってちょっとマゾ入ってるから、このぐらいで丁度いいんだ、などと笑ってみせた。 出まかせだとは、分かっていた。サンジは、ゾロの前で弱味をさらすような物言いなど、しようとはしないのだから。それでも・・・ 『ホント、凄かったぜ。てめえが嫌でなけりゃ、また楽しませてくれよな?』 そう言われた時、ひどく安堵した。密かに惹かれていたこの魂と身体とが、自分の側にあっても、壊れないだけの強さを持っていることに。 だからつい、その強さと優しさに甘えてしまう。 飯を食わせてもらって、喧嘩を繰り返して、でも戦いになれば信じて背中を預ける。すでに、食欲と闘争本能を、この男に満たしてもらっていた。それに続いて性欲までも。 ケダモノとしての自分の、下世話な部分ばかりを押しつけてしまっている。そうして、「強く誇り高き剣士」の外面を保っている。最強を目指すがゆえに、世の常のような恋などできないとは思っていたが。 (最も側にいる相手に対して、それはねぇだろう) ゾロの中の、密かな負い目。サンジは強い男だ、自分との関係ぐらいで食い潰されはしまい。そう思ってはいても、文字通り食い潰すような激しさで狂熱をぶつけてしまう度に、密かな悔いが残る。 サンジの戦闘力は認めている。コックとしての腕とプライドには、敬意を払っている。共に歩みたい、誰より側にありたいと願うことを「愛」と呼ぶなら、確かに愛情もあるのだろう。だが・・・それを形にする時、ゾロは獣に堕ちるしかない。野獣の行為でしか、愛することができずにいる。 求道者の魂と獣の情欲。彼の葛藤は、いつ尽きるとも知れない。 少し離れた木の根方に、転がるものがある。そして微かな腐臭。人か、とどきりとした後で、動物の死骸だと気づいた。野犬か、それとも狼か。半ば腐って、骨らしき白いものが見える。 光の加減で、はっきりとは見えないのが幸いだ。今の気分で、腐乱死体などまともに見てしまったら、ゾロはその場で吐いてしまったかもしれない。 (今更、眼を背けるのか。俺の方が汚ねえだろうに) そう思った時、サンジが立ち止まった。ゾロの見たものに、彼も気づいたのだろう。 「・・・蝿、か。ま、こっちに寄ってこなけりゃ、わざわざぶち殺すまでもねぇ」 獣の死骸より、その周囲を飛び回る、黒い点のようなものに目を止めたらしく。低い呟きが、その唇を漏れた。 「人間様の食い物にたかる蠅は、コックの天敵だけどよ・・・ああいうの見てると、ある意味偉いなって思うんだ」 「偉い?」 時折こんな風に、サンジは意外なことを言う。 「だってよ、人にゃとても食えねえものを、食ってくれるだろ。きっちり食い尽くして、土に還して・・・誰も欲しがらねえようなものをさ」 誰も、欲しがらないような。・・・サンジの秘めている業は、「必要とされないこと」への恐怖だ。それは時に、もうひとつの業、飢餓への恐怖をもしのぐ。 「誰にも食えねえ腐肉の存在意義はな、蠅になら食ってもらえる、ってことさ。ま、俺が船のコックである限り、肉に蠅わかすようなへまはしねえけどな・・・腐肉でさえ欲しがる生き物がいるなんて。神様も案外、この世を気の利いた風に作ってくれたよな」 腐肉や蠅の「存在意義」など、ゾロは今まで、考えたことも無かったが・・・ 確か、「蠅の王」という名前の悪魔がいなかったか。堕天使ベルゼブル。神が見捨てた、汚らわしきものどもを喰らう魔。・・・喰らわれることは、業罰なのか、それともひとつの慈悲なのか。神は、表の顔で許せないものをも救うために、異形に身をやつしたしもべたちを遣わしたのか。 サンジに尋ねたなら、慈悲だと答えるかもしれなかった。ふさわしい場所に受け入れられ、ふさわしい罰で浄められることは、慈悲だろうと。 ・・・碧い眼に、不思議な微笑を浮かべたまま、彼は続ける。 「どんなものにも役割があって、必要とされてんのかもな。蠅と腐肉。そしてゾロ、てめえと俺・・・」 「やめろよ!」 ゾロは思わず、その言葉を遮っていた。 「そんな汚ねえもんに、自分を例えるな・・・俺はいい、俺は本当に血まみれの、汚れきった獣だ。でも、てめえは・・・」 飢えた獣の前に、その身を餌食として投げ出した優しさ。ずっと昔、そんな聖者がいたというが。ゾロは、その伝説を、サンジに重ねてさえいるのに。幾度となく獣欲をぶつけても、背中を預けることで罪の一端を負わせても、汚れてほしくはないと、矛盾した願いを抱き続けてきた。 だがサンジは、少し皮肉げに口元を歪め、思い詰めたゾロの眼を見返す。 「俺がどうだって? てめえの眼にゃ、欲情するぐらい綺麗に映ってるかもしれねえが、とんでもねえよ。『白く塗りたる墓』なんて例えがあるだろ・・・俺の中身は、餓死寸前の汚らしいガキだ」 そこまで言って、ゾロの肩を抱き、耳元に囁きかける。 「いや、もうとっくにくたばった後の、骨にこびりついた腐肉なんだぜ。てめえ程のケダモノでなきゃ、その中身の腐肉を、骨ごとバリバリ喰ってやろうなんて気は起こすはずがねえ。ふふっ、お似合いだよな、俺たちって」 いのちの極限を知るサンジの囁きは、凶暴で、でもひどく優しかった。だからかえって、ゾロは辛くなるのだ。許されたいという願いを、誰より知るサンジ。だからこそ、己の痛みも省みず、ゾロの全てを許してしまうのではないかと。 今夜も多分、優しくなど出来ないだろうに。 「・・・腐肉なのは、俺の方だろ。夢のためと言って、どれだけこの手を汚してきたか。綺麗事言っても仕方ねえよな・・・てめえには、もう何もかも見せちまったんだから」 ゾロの震える唇から、誰にも告げたことのない弱音がこぼれ落ちる。相手がサンジだから。浅ましい獣としての自分を、さらしてしまった存在だから。 「恥じちゃいねえ・・・命がけで歩いてきた道だ。今更引き返せねえし、その気もねえ。ただ、こびりついた業が、重てぇんだよ。いつの間にか、お前の体を貪ってごまかさなきゃ、進めなくなってた。腐れてやがるよな、本当に」 と、サンジはむっとしたように、ゾロの肩を突き放した。が、瞳は一層激しい色をたたえ、その手より強い磁力でゾロを捕らえる。 「ごまかしたっていいじゃねえか。てめえは元々、生真面目すぎるんだ。そんなのをごまかしって言うんなら、死体が土に還って、そこに花が咲くんだってごまかしだ。勝手に悩んでんじゃねえよクソッタレ。俺なんかの体でよけりゃ、いくらだってくれてやるさ」 そこまで一息に言って、ふと口元を緩めた。 「・・・なぁ、ゾロ。その剣も、命も、誓いもてめえ一人のもんじゃねぇけど、あとは全部俺のものだよな? だったら黙って、残らず俺に寄こしやがれ」 分かっている、サンジはそういう奴だ。血と精液にまみれながらも、鮮やかに微笑うことが出来る男だ。 「血まみれのケダモノのてめえに、俺は惚れたんだ。例え神が許さなくても、俺が許すからよ」 今こうして、冒涜的な台詞を吐きながら、笑ってみせるように。 「でも・・・」 混乱する頭で、ゾロは何を問おうとしたのだろうか。 「何だよ、ごちゃごちゃ抜かしやがるのはこの口か、あぁ?」 荒々しく、噛みつくように唇を重ねられて、そんな問いは忘れてしまった。 「・・・今の腐れた考え、俺が喰ってやったぜ。今度、同じ気分になったら、それもまた喰ってやるからさ」 堕天使の微笑と共に、サンジの髪が血色の夕陽を映す。汚濁に身を染め、無垢を自ら踏みにじってきた全ての道程は、一匹の魔獣と共にある今のために。 「サンジ、お前は・・・」 そこまで呟いて、胸が詰まる。無言のまま、ゾロはその身体を抱き寄せた。そのために造られたかのように、胸の中にすっぽりと収まる細い身体を。 「え? 何だ?」 優しい堕天使の囁きに、魔獣は答えられぬまま、密かに思った。 ―――お前は、神が許さない俺を、抱きしめてくれる悪魔だ。
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☆ラスト3行は、ゾロとサンジ、どちらの想いと解釈しても構いません。
・・・それにしても、某硬派ゾロサンサイト様の影響バレバレだわ(^^;
ワンピコーナー設置の時に、同時UPする計画で書いたものですが
どうも納得できずにボツり、しばらく放置。
その後半年の発酵を経て、何とかこの形に(苦笑)
(発酵したのか、ええかげん腐っとるのかは読者さんの判断に委ねます(爆))
なんか、私のイメージのゾロって、「あんた本当に攻?」ってぐらい
変に潔癖な所があるようです(苦笑)。肉体的には絶倫のくせに(ぉぃぉぃ)。
このへん多分、くいなの影響が大きいだろうな、とか思ってたり。
「女でありたくない」という彼女の感情の中には、「男より弱いから」だけでなく
「女の身体は、男の欲望の対象にされるから」という意識もあったはずで。
無意識にそう感じ取っていたゾロは、長じて商売女との関係に罪悪感を感じるようになり、
そのうちうっかり同性のサンジに欲望を向けてしまう・・・というのが
うちのゾロサン基本設定だったりしてます(爆)。
(ゾロ×くいな前提じゃないとゾロサン書けないってのは、
そういうことでもあったりして ^^;)