『たった一度の嘘』
by Natsuki.K


 ゾロが覚えているくいなは、嘘をつくような人間ではなかった。
・・・たった一度を除いては。


「たぁっ!」
 気合いと共に、ゾロの竹刀が下段から振り上げられ、くいなの頬をかすめる。風圧が髪を舞い上がらせ、その下にある金色のものを揺らした。
 数日前から、くいなはピアスをつけている。首都で流行ったアクセサリーが、ようやくこの片田舎にも入ってきていた。両耳に揺れるそれを見て、大人たちが『くいなちゃんも、やっと女の子らしくなったね』などと言うと、相変わらず不機嫌な顔を見せるのだが。
 そんなものを着けても、くいなは何も変わってはいない。毎日のように、こうしてゾロとの試合を受ける。今日の試合場は、村外れの河原だった。
 珍しく、ゾロが押している。石ころだらけの河原は、道場とは勝手が違うからか。いつもなら勝負がついているというのに、試合開始から数分、二人はまだ竹刀を打ち合わせている。
(今日こそ、勝てるかもしれない)
 熱に浮かされたような思いで、ゾロは両手の竹刀を振るう。いつの間にか、試合の場は小川の浅瀬に移っていた。
 足元で、白く飛沫を上げる水。川底を慌てたように逃げてゆく小魚。河原でゾロを応援する、村の悪ガキたち。そんなものも目に入らず、二人はただ、勝負だけに集中している。
 水中では不安定だろうと読んで、ゾロの竹刀が、くいなの足元を狙う。難なく見切った様子で、背後へ飛んで避ける少女。
 が、その拍子に足を滑らせた。
「きゃあっ!」
 悲鳴と共に、水の中へ倒れ込む。派手に飛沫が上がった。
「貰った!」
 すかさず踏み込むゾロ。勝った、とうとう俺の勝ちだ。そう思いつつ、飛沫の中へ振り下ろした竹刀は・・・ただ、水を打っただけで。体勢を崩したゾロの横合いで、ざばっと音を立てて立ち上がるくいな。次の瞬間、少年の背中に竹刀が叩き込まれる。
「・・・起きなさいよ、溺死する気?」
 うつ伏せに水中へ突っ込んだゾロを、猫を持ち上げるように首根っこをつかんで、少女が助け起こす。
「ううっ・・・今日こそはって思ったのに」
 ぐしょ濡れの顔で、ゾロは恨めしげに、彼女を見上げた。くいなの服も濡れている。そのせいで、女らしくなってきた体の線がくっきりと見え、彼は少しどぎまぎする。
 その時、くいなは突然手を離した。ゾロは再び、水中に尻餅をついてしまう。
「何すんだよ!」
「な・・・無い! ピアス、片っぽ無くなっちゃった!」
 顔色を変え、少女は右耳を手探りする。確かに、さきほどまでそこに光っていた、金のピアスが無い。
「落としたんだわ! さっき転んだ時に!」
「た、大変だ! 探さなきゃ!」
 ゾロは慌てて、周囲の川底を見回した。小川の流れは、そんなに早くない。まだ、流されてはいないかもしれない。
「何してんだ、お前らも手伝え!」
 河原の悪ガキたちへも一喝を加え、ゾロはくいなと共に、ピアスを探し始めた。こんなことがあると、連中は『あいつら、やっぱり好き合ってるんだぜ』などと、こっそり言い合うのだが。
 結局、日が傾く頃になっても、ピアスは見つからなかった。
「流されちゃったのかな・・・」
 いつになく気弱げな、くいなの細い声。
「ごめん・・・」
 ゾロは思わず、そう答えていた。自分が足元を狙うような真似をしなければ、転んだ所へ追い打ちなどかけなければ、ピアスが外れることも無かったかもしれない。
 すると一転して、きつい瞳がにらみ付けてくる。
「もういいわ。これ以上、探したって仕方ないでしょ」
 ばしゃばしゃと音を立てて、河原へ上がるくいな。そこで突然、残った左耳のピアスを外すと、追ってきたゾロの手に押しつけた。
「あげる。持って行きなさいよ」
「え・・・? 何で?!」
「片っぽだけじゃ、私が持ってたって意味ないでしょ! あんたのせいで無くしたんだから、責任取ってよね!」
 ヒステリックに言い捨てて、彼女は駆け去ってゆく。夕日に照らされた河原を、振り返りもせずに。
 ちなみに、くいなからの「プレゼント」は、入門直後に貰った手作り菓子以来だ。それをからかった悪ガキ連中をシメていたら、うっかり袋ごと、田んぼに落としてしまったのだが。
「何だよ・・・訳わかんねえ」
 呆然と、手の中のピアスを見下ろすゾロ。
 手伝わされていた少年のひとりが、うなずきつつ言う。
「そうだなぁ。全く、これだから女ってやつは・・・」
 そいつの脳天に、ゾロはごつんと拳固を落とした。
「くいなの悪口を言うんじゃねえ!」

 永遠の別れが、もう間近に迫っていた、ある日の出来事だった。

 ゾロには信じられなかった。約束したばかりなのに。どちらかが世界一の剣豪になるのだと、誓ったばかりなのに。それでも、運命の時は来てしまった。
 彼の想いをよそに、死者を送り出す儀式は、次々と執行されてゆく。出棺を前に、最後の別れを告げながら、少年はくいなの耳に、貰ったピアスをつけてやった。
「くいな・・・これ、返すよ。俺が持ってたって、それこそ、どうしたらいいか分かんねえし」
・・・その様子を見て、ふと顔色を変えた娘がいた。道場の下働きをしていた娘。くいなを妹のように可愛がっていた、少し年上のその少女が、後日、こっそりゾロを呼び出した。
「これ、見覚えあるでしょう?」
 その手の中に、見覚えのあるピアスを見て、ゾロは目を見開く。同じものが、三つあった。
「あの子が、ポケットに入れてたの。皆には見せられなくて・・・だって、『夢を叶えるおまじない』を持ったまま死んだなんて言ったら、みんなもっと辛くなるでしょ?」
「おまじない?」
 呆然と聞き返したゾロに、娘はうなずいた。
「私が、くいなちゃんに教えたのよ。願い事を叶えるには、ピアスをつけるといいって。首都で流行ってるおまじないなの」
 彼女は、その手のことに詳しかった。いかに否定していても、くいなもやはり「女の子」であり、そういう話に興味が無くはなかったのだ。
「そして、同じ夢を叶えたい人がいたら、お揃いのピアスを。だからあの子は、お小遣いをためて、二組のピアスを買ってたの・・・」
「でも、一つ川に落として、無くしちゃったんだぞ。だからくいなは、片っぽ持ってたって意味ないって、俺に一個くれた。それをさっき返したんだ・・・計算合わねえぞ?」
 ゾロは、河原の試合でピアスを無くした経緯を、手短に説明した。娘はそれを聞き、切なげに答える。
「落としてなんか、いなかったのよ。言ったでしょ? 同じ夢を叶えたい人と、お揃いのピアスを、って。そのおまじないには、一組の片方ずつでもいい・・・くいなちゃんは、何とかしてゾロ君に、それをあげたかったのね」
 ようやく、ゾロの中で話がつながる。くいなの「同じ夢を叶えたい相手」とは、自分のことだったのだ。でも、意地っ張りの少女が、素直にそれを手渡せるはずもない。だから、あんな芝居まで打って。
 最後の日、くいなはそれを打ち明けようと、三つのピアスを持っていたのだろう。前夜の誓いを、改めてそのピアスに込め、ゾロと分け合うつもりだったのだろう。「誓いの印」なのだから、今度こそ、悪ガキ共の目をはばかることもないと。
 たった一度の嘘を、詫びる前に逝ってしまった少女。だが、それよりずっと大きなぬくもりを、ゾロの胸に残して。
 くいなが渡せなかったピアスを、彼の前に立つ女は、天上からの使者めいた微笑で、ゾロの手に握らせた。
「持ってお行きなさい。くいなちゃんの願いと祈りが、この中にこもってるわ。・・・あ、忘れる所だった。夢を叶えるには、男の子だったら、左耳につけるのよ」


 そして時が流れ・・・故郷を旅立つゾロの左耳には、三つの金のピアスが揺れていた。修羅の道を行く青年を、そっと見守るように。
   

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