『Sweet Surrender』
by Natsuki.K
(やだ、ゾロったら。こんなに食べて・・・)
(いいじゃないか、くいな。ゾロは君より小さいんだし)
(まあ、そうよね。ホント、子供なんだから)
うたた寝の夢に浮かぶ、遠い日の思い出。
それを破ったのは、コックの呼ぶ声だった。
「ナミさーん、おやつですよ〜! 野郎共、さっさと来ねぇと食わせてやんねぇぞ!」
続いて、どやどやと傍らを駆け抜けてゆく、ルフィたちの足音。ゾロは伸びをしながら起き上がる。彼にとって、少し憂鬱な時間の始まりである。
ガラスの器に盛りつけられたフルーツポンチを、何口か食べた所で、ゾロは手を止めた。
「俺はもういい。ごちそうさん」
「お、だったら俺が貰うな!」
ルフィがテーブル越しに手を伸ばし(文字通り)、器の中身を一息に飲み込む。
「クソゴムてめぇ、もっと味わえって言ってんだろ!」
サンジの怒鳴り声をよそに、ゾロはキッチンを出た。
「何だよサンジー、美味いって言ってんじゃねぇか」
「あー、サンジ君、お取り込み中悪いんだけど、お代わりお願いね」
「はっ、はいナミさん、今すぐにっ!」
彼らの会話、まだまだ大きなガラスボールに残っているフルーツポンチ。そんなものが、ゾロには辛い。
(畜生、こんなことでどうする!)
未練を振り切るように、剣の素振りを始める。
(仮にも、世界一の大剣豪を目指そうという男が、あんなものに惑わされるなんて! 末代までの恥さらしだ!)
「あーあ、何でなんだろうな」
おやつの後片づけをしながら、ふと呟くサンジ。それを聞きつけたのは、テーブルで新聞を読んでいたナミだった。
「どうしたのサンジ君?」
「いや、その・・・クソ剣士の奴がね、もうすぐ誕生日でしょう。何か好きな物でも、食わせてやりたいって思ってるんですけど」
麦わら一味に加わって、まだ日の浅いサンジ。すっかり馴染んではいるものの、ゾロとだけはどうもうまく行かない。
『もうすぐグランドラインなのに、クルー同士がそんなことじゃ困るのよ。喧嘩のとばっちりも半端じゃないし。何とか歩み寄りを計りなさい!』
ナミがサンジに、そう命令したのはつい先日のこと。そのため彼は、ゾロの誕生日を機会に、腕を振るってやろうと思っていた。
そもそもサンジとて、ゾロが「嫌い」な訳ではない。ある意味、憧れてさえいる。自分には得られなかった強靱な肉体、不屈の精神。だからこそ素直になれないのだが。
「何が好きなのか分からないとか? 直接聞いてみればいいじゃない?」
「・・・もう聞きました。『別に好き嫌いはねぇ』であっさり片付けられましたよ」
ナミの問いに、ため息と共に煙を吐き出して、サンジは答える。
「もちろん、俺ぐらいのベテランコックなら、食った時の反応で大体の好みは分かる。なのに・・・あいつ、意識的に『美味い』って様子を見せねぇんだ」
「全く、何を意地になってるのかしらね。そんなことで張り合ったって仕方ないのに、まるで子供みたい」
ナミは苦笑し、そしてふと気づいたように言う。
「・・・そうだわ、子供の頃に食べたかった物なんてどう? ずっと憧れてて、でも食べられなかったような御馳走なんて」
もう永遠に帰らない、幼い日々。その中の味覚は、今でも思い出と共に、ゾロの中に残っている。
例えば、色とりどりの飴玉。口に放り込むと、じわっと甘みが広がって。いつまでも味わっていたいのに、うっかり噛み砕いてしまうと、ちょっと損をしたみたいな気分になる。
稽古の中休みに時折、隣家のおばさんが持ってきてくれる菓子。大福、饅頭、空腹を心地よく満たしてくれる餡の味。
そのおばさんは後に、風邪で寝込んだゾロのために、プリンを作ってくれた。首都の親戚がくれた本に載ってた、栄養たっぷりだよ、と言って。甘いカラメルの乗った固まりは、ぷるぷると不思議な感覚で、喉を滑り落ちていったっけ。
夏にはかき氷。冬の間に河から切り出した氷を、おが屑に包んで地下の氷室に入れておくと、何とか夏まで解けずに保つ。その貴重な氷を削って、餡とシロップをかけて。
もっと貴重だったのが、冷たい薄黄色の「あいすくりん」。一夏に一、二度しか来ない、冷凍箱を馬車に積んだ行商人が売ってくれる。初めて食べた時には、こんな美味いものがこの世にあるのかと、感動さえ覚えた。
でも、何より印象に残っているのが、生まれて初めて見たバースディケーキ。くいなの誕生祝いにと、「先生」の知人が首都から送ってくれたもの。
白いクリームの上に飾られた、鮮やかな大粒のいちご。チョコレートで書かれた異国の文字。綺麗な細いろうそくが並んで、小さな炎を灯していた。ごく普通のショートケーキだったのだが、あの時の印象は忘れられない。
(これは間違いなく、これまで食った中で一番うめぇ食い物だ)
一目見た瞬間、ゾロはそう思ったものだ。ちゃぶ台の上のケーキを、身じろぎもせず見つめながら。
そんな様子を見て、くいなは苦笑しつつ言ったものだ。
『ゾロやみんなにも分けてあげるわよ。私はいいから・・・甘い物なんて食べすぎたら太っちゃう。動きが鈍くなるでしょ』
という訳で、くいなには、八分の一かもっと少ない一切れを。残りは小さく切り分けて、道場の子供たち全員に配られた。年長の弟子たちが辞退してくれたこともあって、うまく皆に行き渡った。
白いクリームとふわふわのスポンジ。その味が巧みに、甘酸っぱいいちごと溶け合って。初めて知った、とろけるような甘さ。天国の雲を切り取ってきたら、きっとこんな味がするに違いないと、幼いゾロは思ったものだ。
こんな小さな一切れでは物足りない、もっともっと、出来るなら分けたりしないで丸ごと平らげたい。密かに、そう願いながら。
だが。子供時代とは、いくつかの苦い経験と共に、過ぎてゆくもの。ゾロにとってそれは、道場の大人たちの宴会に、顔を出した時だった。
『なあ、ゾロ君。もし今、何か望みが叶うとしたら、何が欲しいかい?』
畳の上にちょこんと座っていたゾロに向かい、柔和な笑みと共に、傍らの「先生」が尋ねてきた。
『そんなの、いらねぇ。大剣豪には、自分の力でなるんだ!』
『分かってるよ、だから・・・その他に、何か欲しいものはあるのかいって聞いてるんだ』
何だそういうことか、とうなずいて、ゾロは元気よく答える。
『だったら、ケーキを丸ごと! 俺、小さく切ったのしか食ったことねぇし』
と、宴席はしんと静まり返った。何かおかしなことを言ったろうか、と思いつつ、ゾロはさらに墓穴を掘ってしまう。
『そ、その・・・「あいすくりん」百個でもいいんだけど、村には「れいぞうこ」が無いから取っとけないし・・・』
その時、我慢しきれなくなったように、「先生」が吹き出した。つられるように笑いが広がり、そして、宴席中を巻き込んだ爆笑へと変わっていく。
『そうかそうか、ゾロ君はそんなものが欲しかったのか。いつも世界一とか言ってるのにねぇ』
笑いすぎて涙さえにじませながら、先生は言った。
『いやいや、この歳ならば仕方ないこと。いくら夢は大きくとも、まだまだ子供じゃからのう』
近くにいた老人が、真っ赤になってしまったゾロをなだめる。
『なぁに、気にするな。もうじき、酒の味でも覚えれば、そっちの方が良くなるさ』
すでに出来上がっている男が、ゾロの背中を叩きながら、豪快に笑った。
その大人たちの態度が、一層深く、少年に思い知らせる。
(子供、なんだ。お菓子が好きっていうのは。子供みたいで、恥ずかしいことなんだ)
その後、気をつけて周囲の大人たちを見てみると。
確かに、村の男たちは誰も、甘い物など食べてはいなかった。そもそも、菓子類の少ない環境だったこともあるが。たまに大福だの饅頭だのが手に入っても、男たちはせいぜい味見をする程度で、後は女子供に分けてしまうのだ。
そして、口を揃えて言っていた。『子供じゃないんだ、要らないよ』と。
(あれが、一人前の大人の男ってものなんだ)
ゾロは、いくらかの寂しさと共に思ったものだ。
(立派な男は、菓子なんか好きじゃいけねぇんだ。まして、世界一を目指す男が・・・)
とにかく、甘い物が好きというのは、男として恥ずべきことだと。ゾロの中に、その思い込みはしっかり焼きついたまま、現在に至る。
「なあ、ゾロ」
「何だよ、クソコック?」
夕食後の静かなキッチン。サンジが食器を洗う音だけが響いている。晩酌をしつつ、その背中を何気なく見ていたゾロに、不意に声がかけられた。
「お前さ、ガキの頃に、食いたくてたまらなかったような物ってねぇか? そういうのって、懐かしいもんだよな」
さりげない口調の問い。だが、ゾロにとっては突然に、古傷をかきむしられるような。
・・・記憶の中でフラッシュバックする、幼い自分の声。
『ケーキを丸ごと! 俺、小さく切ったのしか食ったことねぇし』
辛うじて、表には出さなかった・・・はずだ。ゾロの狼狽にも気づかず、サンジは振り向いて言ったのだから。
「俺に作れる代物だったら、食わせてやるよ。なぁ?」
その微笑は、表裏のあるものではなかったが、頭に血が上ったゾロには、小馬鹿にしているようにも見えた。実は甘党だ、ということを暴き出して、ゾロに恥をかかせようとしている、という風にも。
(しまった・・・こいつのおやつになんか、手を出すんじゃなかった)
サンジの作る菓子は絶品で、ゾロは「せめて味見だけでも」と、いつも少しだけ手を着ける。その程度なら、仲間たちもおかしな顔はしないので(ルフィが『もったいねぇなゾロ、もっと食えばいいのに』と言うのは、あの性格だから仕方ないと思っている)、コックの仲間入り以来、ずっとそれで通してきた。
だが、サンジは腕のいいコックだ。食卓でのちょっとした反応から、仲間たちの好物を巧みに探り出す。おやつをわざと残す、などという程度では、甘い物好きをごまかせなかったかもしれない。
つまり・・・ばれてしまった。弱味を握られた。こともあろうに、反りの合わないこの男に。
思わず、ゾロは音を立てて立ち上がり、怒鳴っていた。
「このクソコック! そんなこっ恥ずかしい真似、俺にさせようってのか!」
「はぁ?!」
「要らねぇ! 俺はもうガキじゃねぇんだ!」
言い捨てて、足早にその場を去る。酒瓶すらも放り出したままで。
「な、何切れてやがんだ、あの野郎・・・」
サンジは、怒ることも忘れて、呆然とその背中を見送った。
そこへ、ナミが戸口から顔を出す。今し方、ゾロにぶつかられそうになっており、何があったのかと思いながら。
「サンジ君、どうしたの?」
「ああ、ナミさん・・・作戦失敗です。『子供の頃に食べたかったもの』を聞き出そうとしたら、あいつ、いきなり切れやがって」
「ちょっとまずかったかしらね? もし、子供時代にひどく貧乏だったりしたら、『恵んでやる』みたいな態度には腹が立つこともあるし」
そういう感情を誰よりも知るナミが、推測してみせる。
だがサンジは、それも違うような気がしていた。
「・・・それがね。クソ剣士の奴、なんか妙なこと口走りやがったんですよ。『そんな恥ずかしい真似』とか『もうガキじゃねぇ』とか」
「あら? 欲しがることが、恥ずかしいような食べ物なんてあったのかしら?」
ナミの呟きに、サンジはふと思い出す。バラティエにいた頃「宗教上の理由で、ある種の肉は食べられない」という客が、時々来ていた。
「そうか・・・ゾロの育った地方は、結構変わった文化があるみたいだからな。何か特定の食べ物が『恥ずかしいもの』ってことにされてても不思議はないか」
そして、その「恥ずかしい食べ物」とは。サンジには、思い当たることがあった。
「もしかして・・・あれか?」
その後、ナミの持っていた本の短い記述から、それは確認された。辺境の「サムライ」たちが、軟弱な贅沢品として遠ざけていた、ある種の食物のことが。
GM号はある島に寄港した。いつものごとく、ゾロはサンジに引っ張り出され、食料の買い出しにつき合わされる。
だがこの島では、ほとんどの店に配達サービスがあったため、大荷物にはならなかった。
・・・そして、一通りの買い物が終わった後。
「あー、疲れた。一休みして、甘い物でも食ってかねぇ?」
大通りを歩きながら、サンジが突然、そんなことを言い出した。ちょっとした荷物しか持っていないにも関わらず。
「お、俺はいい」
「だからぁ、俺が休みてぇんだってば」
戸惑うゾロに構わず、サンジは近くのオープンカフェに向かった。通りからも見える、小洒落た屋外テーブルに陣取り、ウェイターに注文する。
「紅茶とスペシャルフルーツパフェを。それと、こいつには・・・」
「コーヒーでいい」
何か悪い予感を覚えつつ、ゾロは言った。
程なく、そのメニューは彼らの前に運ばれてくる。生クリームのたっぷり乗った、大きなフルーツパフェ。サンジはそれを眺めて、碧い目を細める。
「さすが、素敵な彩りだな。ここのパフェは、雑誌の読者アンケートで毎年、バラティエと一位を争ってたんだ」
つまり、サンジは元々この店を知っていた。この美味そうなパフェがあることを知っていて、わざわざゾロを連れてきた訳だ。
何を企んでいるというのか。悠然と食べ始めたサンジに、ゾロは穏やかならぬ視線を向ける。
「ん、どうした? 味見でもしてぇのか?」
それに気づき、にっこり笑って、フォークに刺した果物を差し出すサンジ。生クリームの甘い香りが、ゾロの鼻先をかすめる。
「てめぇ・・・俺に喧嘩売ってんのか」
「はぁ? 連れに美味いもんを勧めることが、何で『喧嘩を売る』ことになるんだ?」
とぼけた返答に、ゾロは今にも切れそうなのを抑えつつ、声をひそめて言った。
「クソコック、てめぇが甘い物を食うのは仕方ねぇ。職業上、色んな味を知らなきゃならねぇしな。ルフィやウソップだってまだまだガキだ、菓子に目がねぇぐらい大目に見てやるよ。けど、俺は違う。俺は一人前の男だ、そんなもん人前で食えるかってんだ」
小声ながら、気の弱い者なら震え上がりそうな怒気を込めて。しかし、それはこのコックには、ちっとも通じていない。
「だから何で? 一人前の男になったら、甘いもん食っちゃいけねぇのか?」
「当たり前だ!」
ぴしりと言うゾロ。と、サンジはフォークを置き、長い脚を組み直しながら呟いた。
「・・・なぁゾロ。てめぇは、気の毒な奴だな」
少しも嘲りの色がない、淡々とした調子で。それにかえって調子を狂わされ、一瞬返事に詰まったゾロに、サンジは告げる。
「いいか。てめぇのその『一人前の男は、甘い物なんか食べちゃいけない』って思い込みは、辺境地域の習慣でしかねぇ」
「どういうことだ?」
「ちょっと、向こうの席にいるおっさんを見てみな」
サンジが示した先を見て、ゾロはぎょっとする。
ひげを生やし、灰色のスーツを身につけた、品のいい老紳士が席についていた。彼が幸せそうに食べているのは・・・色鮮やかなスペシャルフルーツパフェ。
固まっているゾロの耳に、静かな声が流れ込んできた。
「そもそも菓子っていうのは、文化のバロメーターだ。単に『生きるため』じゃなく、より良く生活するために食を楽しむ、それだけの余裕と文化がある所に、菓子類は生まれる。極めて文化的な行為なんだよ、菓子を食うってことは。それを楽しむのに、年齢も性別も関係ねぇ」
「でも・・・俺の国じゃ・・・」
「どこのローカル文化か知らねぇけど、もったいねぇよな。それとも、そもそも菓子が気軽に食えるほど、文明が進んでなかったか?だったら仕方ねぇけどよ」
世界的に見れば、「大人だから、男だから菓子は食べるな」などという文化の方が、少数派なのだとサンジは言う。
「試しに、てめぇも注文してみろよ。パフェでもケーキでもタルトでも。『海賊狩りのゾロ』がそういうもん食ってても、誰も笑ったりしねぇだろうし、多分噂にさえならねぇ」
「そ、そんなもんかよ?」
「・・・ちなみにひとつ、とっておきの秘密情報を教えてやる」
戸惑ったままのゾロに、にやりと笑ってサンジは囁いた。
「バラティエを出る前、クソジジイに聞かされたんだ。『鷹の目』の奴は、ブルーベリータルトに目がねぇ。それもクリームチーズ仕立ての、上にいちごを飾ったやつにな。・・・知らなかったろ。だから『噂にもならねぇ』って言ってんだ」
「タルト・・・? 飾りにいちご・・・?!」
それを思い浮かべ、記憶にある「鷹の目」と組み合わせてみて、ゾロは頭の中が真っ白になった。
赫足のゼフは、昔グランドラインでミホークと出会った時、それを作ってやったおかげで、一党壊滅を免れたのだという。
「万が一、奴の機嫌を取るような羽目になったら、作ってやれって言われたよ。・・・だからな、世界一の剣士が甘党だろうと、変に思う奴なんて居ねぇのさ」
そう言うサンジの、してやったりと言いたげな表情。
だが、ようやく気を取り直したゾロは、首を横に振った。
「例え世界的にはそうだろうと、俺の国では違う。それこそ万が一にでも、そんな噂が伝わったら、どの面下げて故郷へ帰れるって言うんだ。こっ恥ずかしくて、くいなの墓参りも出来やしねぇ」
あの宴会の翌日、試合に惨敗した後の、彼女の皮肉が忘れられない。くいなもまた「甘い物好きな男=まだまだ子供」という、辺境の常識に縛られていた。
「あいつに、言われたんだ。『ケーキを丸ごと食ってみたい、なんて思ってる子供相手じゃ、勝負になる訳もないわよね』って」
そう言うだけあって、くいな自身、あまり甘い物を食べなかった。ゾロの記憶では、かなり小食だった気もする。(後にサンジが指摘するのだが、彼女は、成長を恐れる少女にありがちな心因性摂食障害・・・軽度の拒食症だったのかもしれない)
だが、ゾロの危惧をサンジは笑い飛ばす。
「いいじゃねぇか、そう思ったままそれだけ強くなれたんだから。何なら、実際にケーキ丸ごと食ってみて、弱くなるかどうか試してみっか? てめぇなら平気だ、俺が保証する」
自分だけのケーキ。ゾロが捨ててきた、小さな夢。
仲間たちのバースディケーキも「味見程度の一切れ」しか、決して口にせずにきたゾロ。屈託なくお代わりをせがむルフィたちに、密かに苦い思いをしてきたが。
「だけど・・・」
「だけど、何だってんだ? そもそも栄養学的に言って、てめえにゃもっと甘い物が必要なんだ。あんなに寝てばかりいるのは、糖分不足でエネルギー切れ起こすせいじゃねぇのか? あれだけトレーニングしてんだ、もっとカロリー採って構わねぇんだよ。もっと強くなりてぇなら、プロの言うことは聞きやがれ」
なにしろ「食」に関することだ。「食いてぇ奴には食わせてやる」を信条とする、このコックに引く気はないだろう。言い返せないゾロに向かって、サンジは一気にまくし立てる。
「大体てめぇ『最強を目指した時から命は捨ててる』とか言ってたけどよ、だったら尚更、妙な悔いは残したくねぇだろ? もし、死に際に思うのが『いっぺん、菓子を思いっきり食ってみたかった』なんてことだったら、それこそ天国のくいなちゃんに顔向けできんのか?」
だがゾロとしては、長年の思い込みが、そう簡単に変わるものではない。こんな所で、甘い物を食べると想像するだけで、顔がかっと熱くなる。
「・・・だから、言ってんだろが。俺にとって、そんなもんバクバク食うのは、ひらひらのドレスで女装して街を歩けってぐらい恥ずかしいんだ」
「大丈夫大丈夫。人目のねぇ所で食う分には、別に構わねぇ訳だよな? で、その程度のことは簡単だ。なんせ、GM号にはこの俺様がいるんだから」
サンジは、ここぞとばかりに押し切りにかかる。
「その夢、叶えてやるよ。誕生日のプレゼントは、お前だけのとびきりのバースディケーキだ」
その「甘い誘惑」に、ゾロはとうとう屈服した。
というより、反りの合わないはずの自分に、ここまでしてくれるサンジの心意気に、と言うべきか。
「ルフィの奴、よく寝てたぞ。ウソップもな。もう朝まで起きて来ねぇだろ」
十一月十日、夕食後。眠り込んだルフィたちを男部屋に運んで、ゾロはキッチンに戻ってきた。
「あいつら、酒に弱いからな。ウィスキーボンボンの二、三ダースも食わせりゃ、あっさり潰れるよ」
サンジはくすりと笑い、洗った食器を戸棚にしまう。そしてオーブンに火を入れると、スポンジ生地の用意を始めた。
他の誰にも、仲間たちにさえも知られたくないと、ゾロが望んだからだ。図らずもそれは、ゾロとサンジが初めて持つ「二人だけの秘密」になったのだが。
卵と砂糖を泡立て、バニラエッセンスと小麦粉を混ぜ、型に流し込んでオーブンへ。じきにほんのりと漂い始める、甘い匂い。
その中でサンジは、黄桃のブランデー漬けを瓶から出し(既成の缶詰でも良かったのだが、そこは彼のこだわりだ)、細かく切り分ける。
「おい、まだかよ。トロトロやってんじゃねぇ」
悠々と作業しているその雰囲気に、少々焦れたゾロは尋ねた。
「まーだだって、スポンジ焼けてねぇよ。焼き上がるのに四十分、それから冷まして仕上げなんだぜ? ま、日付が変わるまでには出来てんだろ」
サンジは挑発に乗ってこない。主導権を握っているという余裕のためか。
「・・・時間あるんなら、ちょっとトレーニングして来る」
このまま待たされるのではたまらないと、ゾロはとうとう席を立った。にやにやしつつ、サンジが声をかける。
「あ、シャワーも浴びて来いよ。汗まみれのままじゃ、ケーキの香りが楽しめねぇぞ」
そして、もうすぐ十二時という頃。シャワーを済ませたゾロが、キッチンに戻ると。
サンジはうつむいて、冷蔵庫にもたれていた。テーブルの上は綺麗に片付けられ、作業の跡はない。少々、綺麗すぎるほどに片づいている。
「済まねえ、ゾロ。あのケーキな、ちょっと目を離した隙に、ルフィに丸飲みにされちまった」
「何だとぉっ!!」
「・・・ってのは冗談。ほら、出来てるぜ」
すっと身をひるがえして、サンジは冷蔵庫を開ける。皿に乗せられた、白いケーキが姿を見せた。
「だからな、そういう冗談はよせって」
とっさに刀にかけていた手を離し、苦笑しながら、ゾロはテーブルについた。
いちごを飾った、シンプルなショートケーキ。基本中の基本だからこそ、作り手の腕が問われるのだが。サンジはゾロの傍らに立ち、それをテーブルに置いた。
「こいつが・・・俺のケーキか・・・」
ほうっと息をついて、ゾロが呟く。まだ何か不安なように、振り向いて尋ねてきた。
「食いてぇだけ、食っていいんだな? 俺だけのものなんだな?」
見上げるゾロの瞳が、サンジには、遠い日の幼子のそれに見える。菓子さえ自由には手に入らない、片田舎の小さな村で、ひたむきに世界一を夢見ていた子供。
そのために、もうひとつのささやかな夢を、封印した子供。
「ああ、そうだ。てめぇのもんだよ」
優しく、サンジは言った。こんな「子供」を前にして、コックなら、食わせることを生き甲斐とする奴なら、誰だって優しくなれる。ケーキにさくりとナイフを入れ、小皿に取ったのと、壁の時計が十二時を知らせたのと同時だった。
「ハッピーバースディ、ゾロ」
目の前の小皿を見下ろし、ゾロがごくりと唾を飲む。震える手でフォークを握り、ケーキの端を切り取って、そっと口へ運んだ。
「・・・どうだ?」
「うめぇ。最高だ、クソコック」
短いやり取りの後、ゾロは残りを一息に、口の中へ押し込む。その眼に、うっすらと涙が浮かんでいたのは、サンジの見間違いではなかったろう。
満たされていくのは、ただの味覚ではない。遠い昔の心残りが、ようやく昇華されていく。記憶の片隅で唇を噛んでいた少年が、今やっと、笑顔になれた。
「お代わり」
「おいおい、がっつくなよ。誰も取らねぇんだから、もうちょっとじっくり味わえ」
この結果を、食べている本人以上に喜びつつ、サンジは新たな一切れを、小皿に乗せてやった。
「嬉しいもんだろ? 諦めてた夢が叶うなんてよ」
サンジに、夢を追う力をくれたのは、ゾロだった。ゾロは諦めることなど知らない、何でも必ず手に入れる男だ、とサンジは思ってきた。
なのに・・・諦めてきたもの、泣く泣く切り捨ててきたものがあったなんて。しかも、それを自分が叶えてやれるなんて。皮肉と言えば皮肉だが、それがサンジには嬉しい。
もしかして、ゾロに欠落している何かは、こんな風に自分が持っているのではないか。サンジはそう思ってみる。自分に無いもの、求めても叶わないものを、ゾロが持っているように。
それは不思議と、幸せな感覚だった。
夢中で食べ続けるゾロ。その皿に、満面の笑顔でケーキを盛りつけていくサンジ。
そして、残りはあと二切れになった。一切れが、ゾロの皿に乗せられる。
「・・・なあ、お前は食わねぇのか? 美味いぜ」
そこでふと手を止めて、ゾロが尋ねた。
「当然じゃん、俺が作ったんだから。気にしねぇで食えよ、夢だったんだろ? ケーキを丸ごと1ラウンド、って」
「いいや。最後のひとつは、お前が食え」
ゾロの深緑の瞳には、いつになく穏やかな笑みが浮かんでいる。
「お前のお陰で、分かったんだから。・・・俺の村の大人たちが、甘い物を食わなかったのは、子供たちに分けてやるためだった。大事な奴らに食わせてやるのは、自分だけで食うより、ずっと幸せなことなんだな。お前を見てたら、やっとそれが分かった」
「ゾロ・・・」
サンジは、胸を突かれる思いだった。歩み寄ってなどくれないと思っていたこの男が、コックの心を、「食わせる幸せ」という自分の想いを理解してくれるなんて。
「俺は、剣士だ。斬ること、奪うことしか出来ねぇ。人を生かすことの出来るてめぇの方が、ずっと尊い仕事をしてるってことは、俺にだって分かってる。だから・・・せめて、分け合えるもんは分け合いてぇんだ。ガキみたいに独り占めしてぇとは、もう思わねぇよ」
「・・・・・」
ふとこぼれそうになった涙を、前髪で隠して、サンジは答えた。
「そうだな。ガキは何でも独り占めしたがる。分け合う幸せが分かるのが、本当の『大人』ってことか」
「だよな? 俺にも、大人の振る舞いってやつをさせてくれよ」
そうして二人は、最後のケーキを分け合った。独り占めするよりずっと美味しい、最高のケーキを。
(まったく、参ったぜ。こいつにはかなわねぇや)
不思議と優しい気分で、互いにそう思いながら。
ゾロの誕生パーティから、数日が過ぎた頃。
「ルフィ、ゾロ起こして来い。奴が来ねぇとおやつ食わせねぇぞ」
「えー! ゾロが起きてからって、いつになったら食えるんだよ」
「いいから。・・・起きねぇようなら、あんみつが出来てるって言ってやれ」
キッチンでのそんな会話から、数分後。いつになくあっさり目を覚ました剣士が、スプーンを握ってテーブルについていた。
仲間たちが薄々「異変」に気づいたのは、誕生パーティでのこと。全員用の、大きなケーキが切り分けられた時、ゾロは残さずに食べていた。もっともその時は、誰も何も言わずにいたが。
「どうぞ、ナミさん。本日のヘルシーおやつ、あんみつです」
サンジが、ガラス器に盛りつけたそれを、真っ先に彼女の前に置く。ナミはその時、ふと思い出して尋ねた。
「あれ? サンジ君、夕べの仕込みでプリン作ってなかった?」
「ああ、済まん。俺が食っちまった」
サンジの答えを待たず、ゾロが小声で言った。
「酒のつまみにプリンって、案外いけるんだな」
その言葉に、サンジがうなずいて言い添える。
「プリンは、タンパク質が豊富だからな。合わせる酒にもよるが、つまみとしちゃ、まあ悪くもねぇんだよ」
ナミは彼らの会話に、目を丸くした。
「ね、ねえ。ゾロって、甘い物嫌いじゃなかったっけ?」
「・・・べ、別に、好き嫌いはねぇ。それがどうかしたか?」
「それどころかね、ナミさん。こいつ、すこぶるつきの甘党ですよ。ガキの頃の夢は、ケーキを丸ごと平らげることだったって」
サンジがさらりと言ってのける。数秒の、沈黙。
驚いたように注視してくる仲間たちの、何とも言えない表情に、ゾロは思わず首をすくめた。
が、その直後。ウソップが苦笑しながら口を開いた。
「なぁんだ、だったら誕生日のプレゼント、菓子で良かったんじゃねぇか! 前の島で丁度、でっけぇチョコ売ってたんだぜ!」
「俺が買おうとしたのにさ、ナミとウソップが駄目って言ったんだ。ゾロはこんなの嫌いだって。ひでぇよな、ゾロ?」
ルフィの文句に、ナミが言い訳のように答える。
「私はてっきり、ルフィが自分で食べようとしてると思ったのよ。ゾロは食べないから、後で貰おうと企んでるんだって。・・・考えてみりゃ、ルフィにそこまで気が回る訳もないわよね」
「ししししっ! とにかく良かったなゾロ、甘いもん堂々と食えるようになって! サンジのおかげだぞ!」
・・・しばし呆然としていたゾロは、ふとサンジの視線に気づく。俺が正しかったろ、と言いたげな、でも暖かな横顔に。
未来の大剣豪ロロノア・ゾロ。今年から、彼の楽しみな日課に、名コックの手によるおやつが加わった。いつ命尽きても悔いぬように、精一杯その味を楽しむことが。
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