一年を振りかえって    花を見る気持ちを忘れずに・・・

 

20世紀から21世紀へ

今年を振り返るより今世紀を振り返るということがテレビでは盛んに放映されている。

「今世紀最後の○○○○です!」

と言う具合だ。もちろん今やってることは今世紀最後の仕事になるはずだが、それほど歴史に名を残すわけでもないのに、ちょっとオーバーだよね。

とにかく、20世紀が幕を閉じようとしていることは確か。

今世紀はかつての時代の流れをはるかにしのぐ勢いでいろんなものが開発された。ちょっと考えて見ても、飛行機、コンピュータ、放送、車、電気、水道・・・どれもが当たり前のように私達に関わっている。

次の100年ではさらにすごいものが開発されるのだろうか?

世の中が便利になった反面、まわりにはヒステリックな人達が多くなったような気がするし、田舎に人がいなくなり、町の中の小学校も生徒が減った。ドーナッツ現象である。

私達の過ごしてきた20世紀はいったい何のための時代だったのだろう。自然を破壊し、後世のことはどうでも良いから今の繁栄を重視してきた。

神が存在するならその仕打ちを受けて当然であろう。

地球レベルの問題、「温暖化」は自然環境の変化をもたらし、その元になった人類の「文明」は裏で自分達を蝕む諸悪の根源となってきた。

子供達は家に閉じこもり、野山は中高年の遊び場でしかない。それが自然破壊を抑制している良いサイクルになっているのかもしれないが、若い人達はこの自然を守ってくれるのだろうか。

懸案である自然史博物館の構想もなかなか進まない広島県のレベルも相当あやしいもので、相変わらず何かそういった施設ができると言うと学校の先生や役所の人間ばかりが働き場所を拡張している。

大多数を占める一般人、主婦、老人、青少年はどこに置かれた立場なのだろうか。

インターネットサービス

昨年の終わりから始めた「広島自然観察会」のホームページ、これはQJYつうしんをインターネットで見られるようにしている。

なかでも好評だったのが「緑花試験」の模擬問題集を載せたこと。他に似たようなものが無かったせいか全国からメールが届いた。

私を植物の先生と思い、また実際の試験問題を作っている人と勘違いして質問してくる人もいた。ま、そのくらい皆さんの役に立っていれば本望。

また、全国のみならず広島県にも山や植物に関心のある方が実に多いことも良くわかった。

以外と普通の会社員であるケースが多いのも驚きである。

沖縄旅行

丁度一年前の141号で年に2回沖縄に出かけたことを書いているが、今年は5回も出かけている。沖縄は私にとって心のふるさと、人間を成長させてくれた原点の地でもある。

そう「旅は人を育ててくれる」、今でも成長しきっていないから「旅」を続ける。

昔、離島ではいつも良い思いをしたわけではない。まだ観光地化していない竹富島では子供達に石を投げられたことも。しかし「島」に閉じこもってしまうと外部の人間を疎外してしまうのは無理もない。今では考えられない出来事だ。その頃の石垣島・川平湾は今のように遊泳禁止ではなかった、シュノーケルしていた私の目の前を猛毒の海蛇「エラブウナギ」が泳いでいた。

18歳の時「宮古島」では島の人の言葉がさっぱり理解できなかった。おばあさんから出されたお茶は初めて飲むジャスミンティー、とても日本にいるとは思えなかった。

私の旅はどこへ行くにも「植物園」がついてまわる。沖縄の旅は冬の安価な時期に花がたくさん咲いているのだ。

1月のヒカンサクラ、3月のツツジ、4月のユリとくればいかに花の咲く時期が早いかが分かると思う。台風にも遭った、サミット前の異常な体制下の沖縄も見てきた。昨年感激した「サガリバナ」をもう一度見に行ったら、素晴らしい咲き具合だった。

まだまだ見たい花がたくさんある。

5月末(梅雨の時期)に咲くイジュ、西表島に自生するナリヤラン。年に一度姿を現す「八重干瀬」や白保のサンゴ・・・。

オリンピックイヤー

いつもオリンピックの年には思い出に残る試合がある。女子マラソンもそうなのだが、忘れられないのは男子柔道の篠原選手の一言。

「自分が弱いから負けたんです。」

実に爽やかな言葉だった。誤審とも言える審判の判定に対して何も文句を言わない。勝ったと思って攻撃を続けなかったことにのみ反省の言葉が聞かれる。

ごっつい顔をして、あんな爽やかな言葉が出るからとても印象的だ。

男はこうでなきゃならない。

勝って喜び、負けて泣く。スポーツの基本である。当たり前だが、これで審判に対する苦言ばかり聞かれるスポーツが他に存在するから篠原選手がとても偉大に見えるのだ。