QJYつうしん第5号 平成7年10月2日

絶滅危惧種 ネコヤマヒゴタイ 猫山(1195.5m)/東城町(広島県)

庄原、あるいは東城あたりから山登り、と言えば、道後山や比婆山、もちろん吾妻山も大人気の山登りのターゲットの定番と言ったところだ。
それぞれ、雄大な景観あり、大木、草原、四季おりおりの高地の花が咲き乱れる。この3つの山に出かけない年は無い。
恐らく最低でもそれぞれ2回ずつは登っているだろう。三段峡を中心に冠山や芸北の山系を西の横綱格に持ち上げるなら、東の横綱は帝釈峡を従えた比婆道後山系だ、この両横綱が広島県の代表のハイキングコースである。


どの山も一山一日に休日を充てないと十分楽しむ余裕はない。
ただ県内の山はどれも日帰りが可能で、そういう意味では「山登り」では無く「山歩き」、つまりハイキングコースと言える。
ある意味では幸せなことである。ただ平日でさえ相当数のハイカー達と山ですれ違うことになる。これらの山の特徴はガイドブックに載っているので省路するが、交通機関をマイカーとすれば何ら不便さの無い理想のハイキングコースだ。


9月の中句、平日であったが東城町の猫山に登った。


猫山は言わずと知れたスキー場。周囲に人家のある、つまり独立蜂。
その雄姿は向いの道後山から全容が見渡せる。


この山に興味を持ったのは山の名前を冠するヒゴタイがあると言うこと。その記述を読んだとき、どれほど胸が踊った事だろう。そしてその姿を指導員仲間の和田秀次氏から聞かされたとき、どれほどがっかりしたことか。


ヒゴタイと聞いて想像するのは青いネギぼうずの生け花に利用するいわゆるルリヒゴタイ、九州に多いので肥後台が語源と聞く。確かに広島県でも絶滅危惧種とされている。昨年、東城町の帝釈宇山、高尾要さん宅にお邪魔して自生するフクジュソウを撮影させて貰った事がある、この高尾さんが大事に保護しているのがヒゴタイ、この地では盆に供える花として利用されていたと言うことだ。


で、がっかりしたのはネコヤマヒゴタイには申し訳ないけどトウヒレングループの一種だということ。ホクチアザミやタムラソウの仲間だ。図鑑で見るとミヤコアザミと区別が出来ない。わずかに頭花の総包片に白い綿毛が混じることで区別できるようだ。下部の葉の形状などは図鑑を持ら歩かないことにはいちいち覚えていられないので、ええい面倒だ、猫山の頂上でミヤコアザミを見たらネコヤマヒゴタイだと思え、ということとする。これだからシロウトは楽しい。


時期としてはあらこちでミヤコアザミが咲く今が見頃ではないか。勝手な判断を下して登山路に入った。
スキー場の草地に沿って登る。雑木林はクリの実がたくさん成っている。実を付けたミツバアケビが手の届く高さにある。
これだけでここに登る人の少なさが窺える。
コブシの実がやはり手の届く高さで見られた。


祠のそばにはトチバニンジンの赤い実が。
足元にはキバナアキギリ。山道を振り返ると道後山の山の家が同じくらいの高さに見える。
気持らの良い秋だ。道はもっとヤブコギかと思ったが想像以上にきれいである。
ツノハシバミの実、ホツツジの遅い花、ゆっくりと楽しみながら上がれる山だ。


直登の感がするしんどそうな山だが意外と頂上は楽にやってきた。
頂上に自分が向かうのではない、頂上がやって来るのだといつも思う。
三角点を目指すのではなく花の写真を撮りに来たのだから頂上はいつのまにかやって来る。
ここで引き返すと何をしに来たのか分からない狭い頂上に二等三角点はある。そこをもうしばらく通り過ぎると見晴らしのよい南の台地が有った。


知らない人は頂上を確認して、ここで引き返すかも知れない。
眼下に小奴可の集落が点在する。こらら側こそ本当の山頂だ。
だが登山路とこうもイメージの違う山頂も珍しい・・美味しい空気と心地よい疲れ、あ、ちょうどお昼のランチタイム、山村の有線放送か、12時のサイレンも聞こえて来る。


キュウシュウコゴメグサ、トリカブト、ヤマシロギク、イヨフウロ、何とも色とりどりの組合せ。
ミニ「池の段」だ。池の段は比婆山の烏帽子の登り口にある南の草原、吾妻山の「南の原」もそうだが植生豊かな花大好き人間のユートピアである。これだけの高度のある山ならではの楽しさだ。


そして、お目あてのネコヤマヒゴタイがたくさんある。

ネコヤマヒゴタイ

比婆科学教育振興会の編纂した「広島県の山野草」(中国新聞社)には別名をキリガミネトウヒレンと説明している。
葉先の日焼けしたような黒い感じもそのままだ。
見開きの左のぺ一ジにあるミヤコアザミと比べるとやや荒々しさがあるか。と、言うよりミヤコアザミがその上品さで名前が付いた、としてある。


かつて三瓶山にオキナグサを撮影に行って、尾根筋の乾いた道端に咲いているのを見つけたとき、待ち合わせた恋人と出合った気がした。
そこまでの感激は無かったけれど、基本的には同じ喜びを感じる。

希少種、危急種、絶滅危惧種とレッドデータには松竹梅のランク付けまであって、ちょっと笑ってしまうが、こうやって頂上でやっと見られる植物は本当に貴重である。時期的にはらちょっと遅かったかも知れないが、イブキジャコウソウもこのあたりに有ると言う話だから、一年を通して登ればいろんな花に会える所だろう。山陰にいた頃はこの花を見るために立久恵峡に通い岩場を登ったものだ。


夏場はポットに冷たい麦茶を入れていたが今日は陽がさしていても暖かいお茶でも構わない。先ほどの祠の場所には水場もあったが、あたりが濡れている程度で喉を潤すほどの水量は無かった。スキー場を抱えた山では水場は敬遠した方が良い、と言うのが私の持論である。原因は言わずと知れた、汚染である。特にスキー場はあちこちにタバコの吸殼が捨てられる。10年20年と蓄積されたタバコの吸殼汚染は簡単には消えないと言う。


恐羅漢の水場はやはりこれで水質検査に掛かるようになり、登山者には背を向けられるようになった。惜しいことだ。中には水場にわざわざ吸殼を投げ捨てる人もいるようだ、本人は火が消えるので都合が良いと思っているらしいが、登山者にとってはトンでもない話だ。山の水に少なからず愛着とこだわりを持っている私としてはポットの麦茶より岩清水のミネラルウオーターが一番。コーヒーはもとよりカップヌードルさえもおいしくなる。


山のルール

こんな話題になってしまったので自然観察の心得についてウンチクを傾けたい。
今年は4月の終わりに自然観察会を山口県の寂地峡で開いた。
前日が雨だったせいで道が良くない。その時皆さんに何度も悪い道の中央(つまり、もっともドロンコの所)を歩いてくれるよう呼びかけた。
三十数名の参加者が一列になって道をはずれて歩いてしまうと、ずぐに新しい道が出来てしまう。


山道に沿って季節季節の花が咲いていることを思い出して欲しい。道をはずす、と言うことはそれらの花の世界を踏みにじっていることなのだ。自然観察をする人は決して新しい道を開拓してはいけない。
こんなことは登山のガイドブックには載っていないので、気にしていない人が多いのだ。


登山のルール、なんてことを説明した本は余りにも多いが、ほとんどが安全確保に基づいてのマナー集で、掘れてしまった山道の中央を歩け、などと書いているのはNACS−Jの指導員用の本ぐらいしか無いのかも知れない。


自然を守るには、残念だけどルールがいるのだ。交通ルールは町中だけのものでは無い。
もっとも、町中では交通ルールを守らないと身の安全が確保されないが、山ではそれは自分の為で
はなく自然のためのルールだから訳をちゃんと説明してあげなければいけない。それが自然観察指導員の役割でもある。

交通ルールは守ってね