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8月6、8時15分黙祷をささげました。

 
   ヒロシマをまどうててくれ 昨日の友愛会主催「原爆展」と「語り部」にこれから どうこたえつずけるのか 先日亡くなった故藤川さん(四街道 ヒロシマ被爆者)がよぎりました。 式典で子供代表2人は、祖父母たちが、この70年間、ヒロシマを生き抜いて、わたしたちに命、と。 平和を守るために戦争できる、することを国是としようとする安部首相は列席していた。 列席している年老いた被爆者も目にはいった。若い人にしっかり伝えてください。 バトンを渡すからね、といっているようにみえた、 過去の過ちを繰り返してはならない。 歴史的選択、70年の節目の時なんですね 今を生きるものとして皆さんに伍していきたい。暑さがつづいています。ごじあいください。

祈り





「広島と長崎の原爆で、朝鮮人約7万人が被曝」

 
作家の西村一郎さんからよせたメールから・・・

「広島と長崎の原爆で、朝鮮人約7万人が被曝し、4万人が殺されました。生き残った2千人が 北朝鮮へそして2万1千人が韓国へ戻ったようです。6日午前にソウルの赤十字会館で韓国被爆者 70周年の式典があり、400名ほどの式典に参加してきました。」

「展示室に、冊子「原爆投下後の70年 今、なお」を寄贈してきました。韓国でも高齢者 の方には、日本語を読むことのできる方も多く、展示室の責任も「ありがとうございます」と感謝して いました。」



        




成田でのお見送り


今、26日、夜半の1時です。
背中と腹部に触る一切を避けて書き始めました。
一昨日24日午後1時から3時の成田空港。
児玉さんと友人(被曝者二世南さん)らのニューヨーク(国連軍縮会議)に訴えに行くのを見送る為でした。
本来なら私たちに馴染みの岩佐さん(策12月平和と文化の集いで講演)、 被団協代表としていくはずでしたが従来からの原爆症として首筋からおもしを押し付けられたような苦病が走り、 ニューヨーク行きをあきらめざるを得なくなりました
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母と妹への手紙        岩佐 幹三

  母さん、好っちゃん(好子)。今年も八月六日がやってきたね。
被爆から六十三年がたった今でも、僕は、原爆で連れ去られた母さんたちの命を甦らせて、手をとり抱き合いたいという空しい願いを持ち続けているんだ。 欠かさん、僕は、先日も何回目かのつらい夢を見たよ。頭上でグワンという爆発音がして破壊し尽くされた町並みが現れた。 それを見た僕は、「今度こそ母さんを助けるぞ」と叫んだ瞬間に、目が覚めた。その時の悔しさは、言いようがなかったよ。 母さんたちの死は、戦争だから仕方がなかったという考え方は、絶対に許せない。
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