ホーム四街道のとくらし福島のことのこと子供たちと出会ってこの国のことを思う思いつくままbutton5

記載履歴

蓬莱島をご存知ですか?  大槌湾に浮かぶ島
(♪♪ひょこりひょうたん島♪♪のモデル)
1300人の命日が同一の、3.11の悲しみのまちを、
励ますかのようにしてうっすら浮かぶ島です。

その日まで1300人と行き交いしていた隣人たちが・・・
その時まで親や兄弟姉妹、祖父母と話した子供たちが・・・
おバーちゃん・おじいちゃんと呼んでくれた子供や孫たちを失った
老人たちが・・・・・・・・・・魚を取るために海に出ていた漁師たちが・・
仮設住宅に住み(1412世帯、3031人)、湾に浮かぶ蓬莱島を眺めて"たましい"と一緒に生きています。
日本一行方不明者が多い町で。
震災の年の20011年8月、私はこの町(12000人の町)の高台にある小学校の校庭から見た町の様子に・・・体が震えました。
連れて行ってくれた岩手の友人と同行した埼玉の友と無言のままです・・・・。
いつしか震災から5年経ちました。
忘れようにも1日たりとも忘れられない被災者たち。
だんだん記憶から消えていく(日本中の)私たち
忘れたときに震災は必ずおきたことが
東日本大震災(人災)の歴史だというのに。
この大槌町の子どもたちにと手芸品をつくりさばいた資金で
本を送り続けた友人から、さきほどメールをいただきました。(注)
ひょっこりひょうたん島のメロディーが涙の中で聞こえてきます
♪♪・・・・・・
丸い地球の水平線に
何かがきっと待っている      (希望をうしなわない(TH
苦しいこともあるだろさ
悲しいこともあるだろさ      (誰にも、わたしにも。こどもたおとしよりにも
だけど僕らはくじけない
泣くのはいやだ 笑っちゃおう   (子どもたち、おおつじの
進め ひょっこりひょうたん島
ひょっこりひょうたん島
♪♪

ひょっこりひょうたん島
日本中で苦しむ人たちへの勇気と励ましのエールだと思いました
私には飯場にはたらいて井上ひさしを育てた、
母へのあかるいエール
ではないかとみました。
日本中のひとに。もちろん私にもです。

「注1」
「風の電話(NHKテレビ1時間もののぶたいがここです)
親(あるいは子を)をうしなってトウマになっていたこども
(あるいは親が線のない電話を訪ね来て
胸の内をかたる実録です。おおつじ町のなかにある
たましい。わたしの溜息は深呼吸に変わりました。
辛酸に向き合い耐えてこられたひとのもつたましい、
ぜひごらんください。テレビ放映を
つたえたメール


仮設住宅にお住まいのお年寄りの方 郡山医療生協のひとこま

全員でかるた取りをし、お汁粉を食べました。
かるたは回想かるた」という、懐かしい物が書いていあるかるた です。
「羽釜」「井戸」「三輪車」「火鉢」「足踏みミシン」・・・などなど
「懐かしいね」「昔はこれだったね」 「毎日昼休みにお風呂の準備をして、舅様に熱いかぬる いか聞きながら温度調節するのが嫁の役割だったね」などなど 話に花が咲きました。
「この度は参加させて頂き、ありがとうござい ました。避難者の方々の生の声は、私にとって初めて聞くものばか でした。
仮設住宅での生活は寒さや不便さなどの問題だけでなく、人とのつながりが希薄になり、 孤独になりやすい面もあるのだと知ることができました。
前職は会社勤めだったので、ぼたんの会のような取り組 みができる桑野協立病院はすごいと思いました。
職員と患者という立場の違いを越えての交流は、とても楽しかった です。また参加させていただきたいです。(医事課 Sさん)

「2月29日号・郡山医療生協・桑野郷里地病院・核害対策ニュース」 (毎日発行)より抜粋
2回当院を訪問し以来3年余私に送っていただいてきました。 郡山は福島原発から70㎞離れた地域ですが放射線量は高く、市内に 10ミリシーベルトがが私の計測に記録され、この病院を訪ねました。 核害犠牲者はこの地域から出さないという意思で、医師・役職員が院内に 漲っていました。TH
                         


支援学級に通っている小学3年生を迎えに行ったときの事

廊下に絵が飾られていた。子供たちの絵である。 牛の胴体から尻尾にかけて、画用紙いっぱいに描いた絵があった。 それを見ていたとき、担任の先生が見えた。

先生 「この牛の絵が県展に入賞したんですよ」。子供を思いやるいつもの調子。
私  「よく見て、描いてますね。」
先生 「この子は尻尾がはえている場所を間違えて書くんです。私が何回直 しても、それをなおしてまた同じ絵にもどしてしまう」
私  「先生この子の絵、これが正かいですよ。牛の尻尾は背骨に続くよう にでているのです。私は田舎そだちだから牛みて育ったから」
先生 「あら、私が間違っていたの。ちっとも知らなかった。そうなんですか」
私  「子供ってよく見ているよね。自分の見たままを描いている」
先生 「何回直してもこの絵になるのでのでね、このまま県展に出したんです そしたら入賞しちゃったの。」
私   「すばらしいですね」

先生も牛の尻尾の生え方を、自分の思い込みで直させようとした、子供は自分の見 たとおりを絵とした。障がい児が大人の思い込みを正してくれたシ-ンでした。 以前連れ合いから聞いていて僕の自戒として記憶にありました。これは 教えよう、助けよう 、支えよう、という立場の側の陥りやすい例ではないでしょうか。この子が幼い3年生ではなく 長じるに従い上下のかんけいに縛られるにつれて、真実を見る目が萎えてしまうのでは ないか・今学校で、政府検定の教科書を使い暗記中心のテストにしばられていくとしたら・・・ ・それぞれ個性や子供の感性を信じてあゆみたい(自戒が必要な高橋晴雄)。
社会福祉協議会のボランチア要請におおじ、進んで参加した連れ合いの手記から


牛


K君からいろいろ学ぶことがありました。

学校からバス停、バスに5分ほど乗り、500メートルくらい歩くとK君の家です。一緒に手をつないで歩くのです。 最初はぎこちなかったK君。しっかり手をつなぐようになり、時には学校の話をしてくれました。 ある時、迎えに行くと飛び込んできて抱き付かれました。背も大きくなり、重さでびっくりしました。 先生から「最近女性に興味を持つようになったのよ」と言われました。 その後心理士さんも交えて話し合いをした時のこと。その話をしましたところ、「あの子は他人に抱き付いたりしません。 お母さんだけです。きっとあなたにお母さんの面影を見たのではないかしら」と言われ、やっとなついてくれたのかとうれしくなりました。 お母さんが入院していたので寂しかったのでしょう。 それからわが孫にも握手をしてコチョコチョをして、飴玉を渡したりしてました。その後孫から「握手」と言われ、 手を出すと飴玉が握られていました。その孫も今では高校生です。障害のある子も、ない子も子供は皆かわいいものです。 あのK君、今どうしているのか、ときどき思い出されます。大人になって働いているのでしょか。懐かしい思い出です。

kodomo

子ども、若者はいいなぁ

何ならもとに戻りたい 。
子どもの頃の感性で今の世の中を覗いてみたい 。

目の前の子どもは確かに私の未来です 。
子どもや若者は前向きに後を振り返らない 。
そんな子どもにツケを残してはいけない。
あとは野となれ山となれ。そんなばかな・・・
そのとき、おじさん何してくれたのか と
聞かれないように生きたいものだ 。

子どもや若者と笑顔で話せる年寄りになりたい 。



        
kodomo